2019年8月
2019/8/30クラシック倶楽部を聴く
コリヤ・ブラッハー バイオリン・リサイタル
(バイオリン)コリヤ・ブラッハー、(ピアノ)オズガー・アイディン
今回のリサイタルは、世界的名器と呼ばれる2丁のバイオリンによって演奏された。
2019年6月22日トッパンホール
コリヤ・ブラッハー
ベルリン生まれ。父は作曲家のボリス・ブラッハー。幼い頃から音楽に触れ、5歳でバイオリンを始める。ベルリンで学んだ後に15歳でニューヨークに渡り、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに師事。1993年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを6年間務めた後、世界各国でソリストとして活躍。バロック音楽から現代曲まで幅広いレパートリーを持つ。
使用楽器は1730年製グァルネリ・デル・ジェス「Ex.ズッカーマン」および1730年製ストラディヴァリウス「トリトン」で、キミコ・パワーズ氏より貸与されたものである。
ブラッハーのコメント
1730年製グァルネリ・デル・ジェス「Ex.ズッカーマン」は、ピンカス・ズッカーマンが若い頃使っていたのでその名がついています。彼の大ファンだった私には特別な楽器です。ニューヨークに留学していたころに、彼がこの楽器で練習するのを聴いたのでしょう。深みのある甘く温かい響き、素晴らしい楽器です。ガルネリはやや心情的な楽器です。おだやかな音色はブラームスに合います。ガルネリは「心」、ストラディヴァリウスは「知性」の楽器といわれています。ストラディヴァリウスは奏者が覚悟を決めて弾かないと鳴ってくれません。ガルネリの方が自由奔放で奏者に寛容に反応してくれます。ご覧の通り、ストラディヴァリウスはガルネリより幅が広くがっちりしていますね。この楽器は20年以上弾いています。
1730年製ストラディヴァリウス「トリトン」は、トリトン将軍の後にギリシャ神話の愛好家が使用しトリトン神にちなみ「トリトン」と名付けました。ガルネリより骨太で存在感のある響き、革命的で力強いベートーベンの音楽に合っています。
楽器に寄り添う姿勢をいえば、弾き方を要求されます。特にストラディヴァリウスは頑固です。「ストラディヴァリウスは奏者を追従させ、ガルネリは奏者が主導することができるそうです」。それを聞いて大げさだと思いましたが、実際にはその通りでした。一つの楽器を理解するには3~5年かかります。時間をかけて奏者が望む響きを奏でてもらうのです。だから私が長く弾いていた楽器を誰かが弾けばしばらくの間私の音がします。奏者が望む音がするように少しずつ楽器を導くのです。古い楽器を使うのは自分の成長を貴重な機会です。
オズガー・アイディン
コロラド州生まれ。トルコ系アメリカ人ピアニスト。トルコのアンタラ音楽院とロンドン王立音楽院で学び、1997年ARDミュンヘン国際ピアノコンクール最高位(1位なし2位)、2001年クリーヴランド国際ピアノ・コンクール入賞など、数々の賞に輝き、国際的なキャリアを築いている。
☆「バイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108」ブラームス:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47「クロイツェル」から第1楽章」ベートーベン:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47「クロイツェル」から第3楽章」ベートーベン:作曲
☆「ヴォカリーズ 作品34第14」ラフマニノフ:作曲
🎵今回は2台の名器の使用者の使用した実感からのはなしが宝。バイオリンの“人格が”が説明を通してぬっと現れた感じが。
🎧名曲アルバム
「よさこい節~よさこい鳴子踊り」高知県民謡、和田薫・編曲
【唄】高橋キヨ子,【はやし詞】岡本知高,三山ひろし,千田けい子,天野りえ,【指揮】岩村力,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
⛳息子帰省、食事づくりやらをはさみながら、どうにか7時43分更新
2019/8/29クラシック倶楽部を聴く
マキシミリアン・ホルヌング&河村 尚子 デユオ・リサイタル
(チェロ)マキシミリアン・ホルヌング、(ピアノ)河村 尚子
2017年10月12日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ
マキシミリアン・ホルヌング
ドイツ、アウグスブルク生まれ。8歳からチェロを学ぶ。2005年ドイツ音楽コンクールに入賞し一躍注目を浴びる。2013年春までバイエルン交響放送楽団の第一首席チェリスト、ソリストを務めたのち、現在はソリストとして、また室内楽奏者として世界中で活躍している。
河村 尚子
兵庫県西宮市生まれ。ドイツ・ハノーバー国立音楽芸術大学に学ぶ。2006年ミュンヘン国際コンクール第2位。2007年にはクララ・ハスキル国際コンクールで優勝。現在は日本とドイツを拠点に世界各地で演奏活動をする一方、後進の指導も積極的に行っている。
☆「「さすらう若者の歌」から「彼女の婚礼の日は」」マーラー:作曲、ホルヌング:編曲
☆「「さすらう若者の歌」から「朝の野辺を歩けば」」マーラー:作曲、ホルヌング:編曲
☆「「さすらう若者の歌」から「燃えるような短剣で」」マーラー:作曲、ホルヌング:編曲
☆「「さすらう若者の歌」から「彼女の青い目が」」マーラー:作曲、ホルヌング:編曲
以上4曲は、マーラー自身の詩による4曲からなる連作歌曲集。恋人を失った青年の苦悩が描かれる。チェロで演奏するために、ホルヌング自らが編曲。
☆「チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 作品99」ブラームス:作曲
ブラームスは2曲のチェロ・ソナタを残した。「第2番」は1886年ブラームス53歳の作品。およそ21年前に書かれた「第1番」にくらべ、より規模が大きく、情熱的な表現に満ちている。
☆アンコール「愛の悲しみ」クライスラー:作曲
🎵「さすらう若者の歌」、歌曲集をチェロ用に編曲してあるのだが、なにか物足りなさがのこった。人の声が聴こえてこない歯がゆさのような。ただ、大編成の交響曲を作曲したマーラーが、このような、チェロ版で聴くと、ひっそりしているとも聴こえるバージョンを作曲していたことを知らされ感謝。「チェロ・ソナタ第2番」、弦の奥にとめどなく人生への煩悶か苦悩を問いただすという感じが。
🎧名曲アルバム
「フニクリ・フニクラ」デンツァ作曲、栗山和樹・編曲
【テノール】福井敬,【合唱】晋友会合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】沼尻竜典
南イタリア、ナポリ郊外、標高1,281のベスビオ火山。古代都市ポンペイはAD79年、ベスビオの噴火でわずか2日間で火山灰に飲み込まれる。それから1700年後の発掘開始。1880年登山鉄道「フニコラーレ」開業。「フニクリ・フニクラ」はそのコマーシャル・ソングだ。1944年の大噴火がこの鉄道を廃業に追い込んだという。
🎵名曲の方はいつも付随的に聴いているのだが、けさは、福井敬の空に抜けるような「フニクリ・フニクラ」に俄然元気をもらった。「きょうを楽しく生きよう」、そんな空気がナポリにはあふれているという。
⛳久方ぶりに7時前の更新。「きょうを楽しく生きよう」! 6時56分 更新
2019/8/28クラシック倶楽部を聴く
ヴィオラスペース 2019
2019年6月5日 上野学園 石橋メモリアルホール
ヴィオラスペースは、世界的ヴィオラ奏者今井信子が中心となって、1992年から毎年開催されているヴィオラの祭典。国内外のヴィオラ奏者によるガラコンサートや若手演奏家のための公開マスタークラスを行っている。今回は「ヴィオラで巡る音楽の旅」というテーマで、アイルランドやオーストラリア、日本など世界各地の作品が演奏された。プログラミングディレクターを務めるのは、2004年にミュンヘン国際コンクールを制したヴィオラ奏者アントワン・タメスティ。
アントワン・タメスティのコメント
選曲が終わってから、つくづくおもいました。「ほんとうに色々なスタイルの曲が集まったな」と。ブレット・ディーンの曲はとても緻密で、無調音楽などの流れを組んでいるのですが、ベートーバンの引用もあってすごく面白い。西村朗の曲は現代音楽ですが、誰もが知る古謡「さくら」を引用しています。一見難しそうな現代曲が並んでいますが、決してそうではありません。「ストレンジャー」について、これはヴィオラとヴィオラ・ダモーレ奏者のガース・ノックスと話し合って生まれた作品です。彼の曲には即興演奏が求められる部分があります。そこでは自由な演奏ができます。彼は舞台空間を利用するのも大好きです。舞台の中央の位置だけでなく様々な位置から響きを探りながら曲を書きます。演奏者が舞台上で動くことで、聴き手も旅をしているような感覚になるでしょう。そして今までにない新しい響きを楽しむことができるのです。
「テスタメント」について、これはベルリン・フィルのビオラ奏者だったブレット・ディーンが同僚たちのために書いた曲です。現代音楽的な響きの曲で、12人のビオラ奏者とのやりとりが面白い。主導権を握る奏者が目まぐるしく変わって、音が縦横無尽に駆け回るようです。とても刺激的で魅力的な作品です。
☆「ストレンジャー」ガース・ノックス:作曲
(ビオラ)アントワン・タメスティ、(ヴィオラ・ダモーレ)ガース・ノックス
アイルランドの盲目のハープ奏者が残した「負傷した軽騎兵」という曲をもとに書かれた作品。幾多の戦いから生還した老兵士が、故郷で「見知らぬ人」として疎外される姿が描かれている。
ヴィオラ・ダモーレは、17世紀に生まれた弦楽器。演奏用の弦の下に張られた共鳴用の弦が、独特な残響を生み出している。
☆「8つのヴィオラのための<桜>」西村朗:作曲
(ビオラ)今井信子、(ビオラ)ルオシャ・ファン、(ビオラ)井上祐吾、(ビオラ)セジュン・キム、(ビオラ)大島亮、(ビオラ)辻菜々子、(ビオラ)井上典子、(ビオラ)佐々木亮
今井信子を中心としたビオラグループ「ヴォワラ・ヴィオラ!」の委嘱で書かれた作品。東日本大震災のあと、桜花のうつろいから受けた作曲者の内的な心象風景が描かれている。
☆「ル・グラン・タンゴ」ピアソラ:作曲
(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)江口友理香、(バンドネオン)三浦一馬
1982年タンゴの巨匠ピアソラが、世界的チェロ奏者ロストロポーヴィッチのために書いた作品。原曲はピアノとチェロのための作品だが、今回はバンドネオン奏者の三浦一馬の編曲で演奏された。
☆「テスタメント」ブレット・ディーン:作曲
(指揮)アントワン・タメスティ、佐々木亮、塩加井ななみ、藤原右京、石渡彩馨、本田梨紗、貝森萌、蕨春菜、布施海里、佐藤友希乃、島英恵、大島愛華、大畑祐季乃
ベートーベンの有名なハイリゲンシュタットの遺書にちなんだ作品。12人の奏者は通常の弓と松ヤニを塗らない弓を持ち替えて演奏する。不確かにぼやかされたビオラの音は、悪化する耳の病を示唆している。また同時期に作曲された弦楽四重奏曲ラズモフスキー第1番が引用されている。
🎵「ストレンジャー」、ステージの両端に距離を置いての演奏。遠隔で語りかける魂に呼応する。諦念をもらして曲が鳴りを潜める。「桜」、幽玄にたわわに、そしてどこか凄まじい感じも。被災直後の光景が累々と。それでも傍らに咲く桜。「ル・グラン・タンゴ」、穏やかなリズムにも籠る熱さ。「テスタメント」、このような状況に、甘やかな香りがふと鼻をつくような旋律も。聞こえなくなっていく状況を音で表現するという、どこかパラドックス的な。
🎧名曲アルバム
「森のスケッチ」マクダウェル作曲
【ピアノ】浦壁信二
アメリカ、ニューハンプシャー州ピーターバラ。アメリカ人作曲家マクダウェルはこの地方の自然豊かな森をモチーフに作曲。10の小品から成るピアノ曲集を作った。
15歳でヨーロッパに渡り、フランスとドイツで作曲を学び、リストに才能を認められる。帰国後はロマン主義の作曲家、ピアニスト、教育者として活躍。
⛳5時50分ごろに福岡、佐賀、長崎の各県に大雨警報、最大級の警戒が呼びかけられた。心が痛む。時間がかかってしまった。7時41分更新。
2019/8/ 2019/ 8/27クラシック倶楽部を聴く
ギター・フェスタ 2017
2017年8月20日 ハクジュホール
2017年で第12回を迎えたギターフェスタ。4人のギタリストによる多彩なプログラム。ソロ、デュオ、カルテット、魅力あふれるギター音楽の演奏。今回の演奏会のテーマは、ラテン・アメリカ。
荘村 清志:日本を代表するギタリストの一人。1964年にスペインに渡りギターを学ぶ。ヨーロッパや北米でリサイタルを行い、およそ50年にわたり演奏活動を続けている。
荘村のコメント:ふつうは日本、アルゼンチン、チリの混成チームなんてできないです。ほかのバイオリンやピアノや、色んなほかの楽器ではどの楽器でもリアライズできないですね。ギターしかできないです。和気あいあい。あまり細かいことを考えないでとにかくその場を楽しもう、ラテン音楽がそれができるというのが一つの魅力であると思うんですよ。一種格闘技戦みたいなところもあるし、あ、そういう技で来るかや、じゃ、これで返してやろうみたいなことがその場で起こるわけですよ。それは、クラシックの世界とはぜんぜん違う、クラシックギターなんですけどね。だけどまだまだクラシックギターというのはソロの楽器で、まだまだ二重奏、四重奏、要するに増えると難しくなるんですよ。もう即難しくなる。6本弦でも瞬間的に音が出るので、それがもうほんとうに一気に「せいの」といって音がドン、ピシャっとでるかどうか、これはもうほんとうにすごく高度な(聴き落し)がありますから、何ていうか一種の不思議なコミュニケーションの状態を作れますので、これはもうおもしろいと思います。
福田 進一:1981年パリ国際ギターコンクールで優勝。レパートリーはバロックから現代音楽まで幅広く、世界各地で精力的に演奏活動している。彼のもとで育った多くの若手演奏家は実力派ギタリストとして活躍している。
福田のコメント:ラテン・アメリカの音楽の魅力について。
日本でのギター音楽の人気ってのは、おおむねこのスペイン音楽によってるんですね。ギターイコールスペインというか、そういうイメージが定着してるんですけども、南米にはもっともっとたくさんのギター音楽があって、ブラジル、チリ、アルゼンチン、ウルグァイ、ボリビア、コロンビア、色々な国ぜんぶの国がはっきりと違う特色を持った音楽があるわけです。そういうものとか、色々なリズムの深さみたいなものが音楽によって違う。それから色彩感。もうものすごく色々な和声を使います。それもスペインの音楽の持っているからっとした男性的な(聴き落し)ものではなくて、非常に複雑な女性的な不思議なエレガントさみたいな、これ南米音楽の特徴の一つでもある。
レオナルド・ブラーボ:アルゼンチン出身。演奏家、作曲家として多くの賞を受賞し、南米、北米、ヨーロッパで活躍してきた。南米音楽の名手として知られ、2004年からは、日本を拠点に活動している。
ホセ・アントニオ・エスコバル:チリ出身。チリ音楽大学とドイツのアウグスブルグ音楽大学で学ぶ。現代音楽の演奏は高く評価され、多くの著名な作曲家の初演を行う期待の若手ギタリスト。
☆「大聖堂」バリオス:作曲
(ギター)福田 進一
☆「ワルツ 作品8第4」バリオス:作曲
(ギター)福田 進一
☆「南米組曲 から 1 前奏曲」アジャーラ:作曲
(ギター)レオナルド・ブラーボ
☆「2 ショーロス」アジャーラ:作曲
(ギター)レオナルド・ブラーボ
☆「3 タキラリ」アジャーラ:作曲
(ギター)レオナルド・ブラーボ
☆「7 ガトとマランボ」アジャーラ:作曲
(ギター)レオナルド・ブラーボ
☆「ミクロピエサス「ダリウス・ミヨー賛歌」」ブローウェル:作曲
(ギター)福田 進一、(ギター)ホセ・アントニオ・エスコバル
「タンゴ組曲 から 第3曲」ピアソラ:作曲
(ギター)荘村 清志、(ギター)レオナルド・ブラーボ
☆「トロイロ組曲 から ウイスキー」ピアソラ:作曲、レオナルド・ブラーボ:編曲
(ギター)福田 進一、(ギター)荘村 清志、(ギター)レオナルド・ブラーボ、(ギター)ホセ・アントニオ・エスコバル
☆「ブエノスアイレス午前零時」ピアソラ:作曲、レオナルド・ブラーボ:編曲
(ギター)福田 進一、(ギター)荘村 清志、(ギター)レオナルド・ブラーボ、(ギター)ホセ・アントニオ・エスコバル
☆「トロイロ組曲 から シータ」ピアソラ:作曲、レオナルド・ブラーボ:編曲
(ギター)福田 進一、(ギター)荘村 清志、(ギター)レオナルド・ブラーボ、(ギター)ホセ・アントニオ・エスコバル
🎵カメラにカードを入れ忘れ、番組のHPの写真を。不鮮明で申し訳ないのですが。この回の名場面キャッチできず残念。多彩な音の連なり、一音一音の機微。かつては一緒くたに聴こえていたギターの調べが、陰影を帯び、光彩を放ち、物語ってくる。すばらしい名演奏のひと時。
🎧名曲アルバム
「アヴェ・マリア」シューベルト作曲、スコット作詞、山岸茂人・編曲
🎵題名を見ただけで聴く前から森麻季さんのソプラノ、山岸茂人さんのピアノが聴こえてきて。もうこれは何度目だろう。よいものは何度でも。
⛳7時22分更新。
2019/8/26クラシック倶楽部を聴く
西村尚也&アンドレア・バッケッティ デユオ・リサイタル
(バイオリン)西村尚也、(ピアノ)アンドレア・バッケッティ
2019年6月16日 東海中学・高等学校 講堂(名古屋市)
西村尚也
1985年名古屋市生まれ。東京藝術芸大学を出て渡独。マンハイム音楽大学を最優秀の成績で卒業。ソリスト科終了。2001年イフラー・ニーマン国際コンクールジュニア部門第一位。これまでF.ルイージ指揮、PMFオーケストラやドイツ各地のオーケストラでコンサートマスターを務める。現在はマインツフィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスターを務めるほか、ハンブルクやフランクフルトの国立歌劇場にも客演している。
コメント
コンサートマスターとソリストの両立について
コンサートマスターはオーケストラという「社会」の中で、劇場だったら歌手とか事務所を含めての「社会」の一員。団体行動をとる一方で、ソロが4小節でもあるとソリストとして結果を出さなくてはいけない。その切り替えが難しい。逆にソリストとして演奏する場合は、本番で結果を出さなければソリストの活動の方が一回の本番に掛かるプレッシャーは大きい。(でも)彼のような天才的な音楽家に触発されて自由に反応していけるのがソロにしかない魅力だと思う
アンドレア・バッケッティ
1977年イタリア生まれ。幼少期よりカラヤンやホルショフスキなど巨匠らの薫陶を受け、11歳の時にミラノでデビュー。モーツアァルテウム音楽大学やパリ国立高等音楽院、パガニーニ音楽院などで学ぶ。96年プレミオ・ベネチア・コンクールで優勝。世界各地でリサイタルを行う他、ザルツブルク音楽祭などに出演。2014年よりバッハの鍵盤作品全曲録音を行う。
コメント
彼との共演はとても興味深いものです。並外れた技術だけでなく音楽的なセンスもあるのでとても勉強になります。彼は楽譜や原典を分析するのですがそれは信じ難いことです。なぜなら多くの演奏家は才能があっても作曲家の考えをそこまで憶測してはいません。だから彼のそういう点をとても尊敬しているのです。もちろんテクニック的にも並外れていて絶対に間違えないのは信じられないことです。
☆「フォリア」コレッリ:作曲
バロック時代の凡例どおり、楽譜には旋律と和声のみ記され、音の肉付けは奏者に委ねられている。
☆「フランス組曲 第5番 BWV816からガヴォット、ブーレ、ルール、ジーグ」バッハ:作曲
(ピアノ)アンドレア・バッケッティ
組曲の形式は17世紀半ばごろドイツで確立され、古い舞曲で構成されている。バッハの時代にはそれらの踊りの多くが消滅し、音楽の形式のみ残ったといわれる。ガヴォット、ブーレ、ルールの舞曲は、当時も踊りの曲としても生きていたといわれる。
☆「バイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24「春」」ベートーベン:作曲
ベートーベン31歳のころの作品。甘美な曲想から「春」と呼ばれるようになった。ウィーンに来て1800年ごろ交響曲第一番と同じ時期に作曲。そのころ耳が聴こえなくなってゆくが、伯爵令嬢と恋愛をしていた時期でもあり、若きベートーベンの感情が芸術として昇華されている名曲である。
☆「バイオリン・ソナタから第2楽章「ブルース」、第3楽章「常動曲」」ラヴェル:作曲
ピアノとバイオリンの独立性が際立たされ、ラヴェルの新しい作風を示している。第2楽章ではラグタイムのリズムが特徴的。またバイオリンのさまざまな奏法が試みられている。第3楽章ではピアノの低音に支えられ、バイオリンは細かな動きを繰り返す。第1楽章と第2楽章で登場した旋律が、断片的に織り込まれ、一気にフィナーレへ向かう。
🎵ラヴェルがおもしろかった。不安と平安の中間地点で綱渡りしているような心境に。東海中学・高等学校 講堂1931年竣工、建築に興味が湧いた。
🎧
名曲アルバム
「バイオリン協奏曲 鐘」パガにーニ作曲
【バイオリン】木野雅之,【指揮】飯守泰次郎,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
🎵「鐘」はいい。ただ、いかなる大天才といえども、死にざまは生きざま、生きざまは死にざま、どっちが妥当であるか、そんな厳粛さをも。
⛳7時26分 更新 🎵以外はすべて番組から
きょうのことば
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
先週はS姉妹の記念会と納骨式がありました。
8月18(日)の説教は『聖書の語る生と死』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:ヨハネの福音書11:25~26でした。
11:25イエスは彼女に言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 11:26また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。
<説教>
いま礼拝ではエペソ人への手紙を連続して学んでおります。きょうは(18日)エペソ人への手紙第2章に入るところでしたが、ちょっとそれをお休みいたします。日本ではいわゆるお盆を終えたばかりでございますけれども、このような時期に「聖書の語る生と死」というテーマでみことばを取り次ぐことは御心に適っていると思いますし、また何よりも、きょうは1年前に召されなさったS姉妹を記念する日であります。また納骨式もございます。この日に「聖書の語る生と死」で礼拝が立てられることは、それなりに尊い意味があると覚え、連続講壇とはすこし異なるみことばの時を持たせていただきたいと願っております。
さて、唐突ですがみなさんに質問をしてみたいと思います
「あなたは生きていますか?」
おいおい変なことを聞くもんじゃないよ、生きているからここに来たんでしょ。多くの方はそう思われるでしょう。そんな声が耳に聴こえるかどうかは別として、きっと、うん? と思われたのではないかと思います。
では、これを、もういちど、このように訊いたらどうでしょう。
「あなたはほんとうに生きていますか?」
こう質問されてみると、ああこれは世の中でいわゆる一般に訊かれている類のものではなく「ほんとうに」ということばからして、この質問者はちょうど相手の目を覗き込んで質すように、常識的な何かよりももっと本質的な深い何かを問いかけていると気づかれるはずです。きょうはこの問いかけでメッセージを始め、この問いかけでメッセージを締めくくらせていただきたいと思っております。
「聖書の語る生と死」とは。
私たちが生きている、だからここに来たんじゃないの。それは当然です。決して間違ってはいません。これは生物的といったらいいでしょうね。心臓が動いている、そういう中で生きているから、だから来られた。それはもっともです。聖書は私たちが肉体を持って生きていることの大切さも教えています。決して軽んじたり軽蔑してはいません。聖書は生物的な命も大切であると示してくれるのですけれども、もう一つ、聖書はもう一つのいのちを私たちに教えております。それは、神との交わりのあるいのちのことです。
「本当に生きていますか」との問いかけに、実は根本的なポイントがあるわけです。つまり、私たちは他の動物たちが生物的な命を持っているその意味と同じような命だけのものか、それとも聖書は、私たちが生きるものとなるというときに、犬とか猫とかその他の動物とは人間は根本的に違ういのちというもの、つまり、それは神との交わりのあるいのちを持っているかどうか。本来人間のいのちは、神との交わりのあるいのちなのです。そこで「ほんとうにこれをあなたは持っていますか」という問いかけとなるわけであります。
聖書は、神様はすべての被造物、その造り主でいらっしゃる、そのことを創世記のいちばん初めに記してあります。もちろんその被造物の中で、神様は私たち人間をご自分に似せてお造りになられました。そして、本来私たちは神様と神に似せて造られた者であり、神様と豊かな交わりの中に存在している。これがほんとうに生きている状態なのです。
ところが、聖書はそこに「死」というものが訪れることを、やはり創世記のはじめのところに記してございます。この神様の豊かな交わりがあるところに、実はこのいやな障害物、これがやってきました。聖書はこれを「罪」と呼んでいます。豊かな交わりの中にあってほんとうに生きていた私たちが、いつしか、神様との交わりは私には意味がない、私には必要がない、私には関係がないと言いだし、神様との交わりを途絶えさせてしまう。その障害物を「罪」と表現させていただきます。世の中の犯罪を目にしたときには容易に「罪」という言葉を思い浮かべます。しかし、そのような表面的ではない、もっと根源的な罪があります。それは神様との交わりなんか要らないといって神様との交わりを途絶えさせてしまうこと、それを罪と聖書は呼んでいるわけです。
しかしそれを憐れんだ神様は、神様の側から、私たちにほんとうのいのち、祝福を与えようと神様からの豊かな救いがやってまいりました。これが主イエス・キリスト様です。イエス様が罪を取り除き、途絶えておりました交わりを回復します。色々な表現が可能でしょうけれども、イエス様がその罪を身代わりとして背負って、そして神の裁きを私たちに代って受けてくださった。さあ、あなた方のいのちの回復はここにありますよと、主イエス様が十字架に救いを全うしてくださった。私たちが生きるために、罪のないお方が身代わりとして死んでくださった、救いを成してくださったと私たちに教え示しているのは聖書です。
ヨハネ11章25節にございます。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
わかったようなわからないような。先ほども、あなたはほんとうに生きていますか? という問いかけ、そして、そのいのちとは生物的な命だけでなくして、人間は神との交わりの中にあってこそほんとうに生きるということができる。その交わりが途絶えているのが死であること。しかし、その死んでいる私たちを救ってくださる救い主は、わたしは死からよみがえったまことのいのちであって、わたしを信じる者は死んでも生きると、こういわれるのです。イエス・キリストは十字架に架かり、ほんとうにみんなの見ている前で息絶えられました。ローマの兵隊が、彼がほんとうに死んだかどうか、槍で脇腹を突き刺して、死んだことを確認しました。ローマの人たちは、或いは、キリストに反対する人達は、そういえばイエスが生きていた時、私はよみがえるだのと大ぼらを吹いていたなと恐れていました。よみがえったなどと人々にまことしやかに言われでもすれば困るというので、十字架につけられ息絶えてしまったお方を墓の中に埋葬しました。これは日本のお墓とはずいぶん違います。昔は、身分の高い人は、生きている間にできるだけ自分が葬られる立派なお墓を作るのがステータスだったようです。そういう社会の中にあって、イエス様を信じて救われているアリマタヤのヨセフという裕福な人が、ああ、イエス様、どうか私のお墓に、ここをお使いくださいといって彼は、自分のために用意していたお墓に、イエス様の亡骸を入れました。そして、誰もこの墓から屍を持ち出すことがないように、丸い大きな岩で穴を塞ぎまして、そして当時の地上における最高権力と言っていいでしょう、ローマ皇帝の封印をこのところに致しました。この石を動かす者は、ローマ皇帝に反逆する者ということで、誰もこれに触ってはいけない。しかし、死んで葬られて三日後に、この石が御使いの力によってまろばされ、そしてこのお方はよみがえられました。
私たちは聖書でイエス様のよみがえりを信じて知っておりますけれども、先ほどいったように「いのち」には、二つ、生物的な命と、神との交わりのいのちと両方あります。死んで葬られる生物的な命は一時的なものです。しかし目に見えるところからは消えますけれども、イエス・キリストを信じて永遠のいのちを持っているものは、このキリストのいのちにつながって永遠のいのちを得ることができるのです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。」
はっきりとこのお方はご自分を現してくださいました。
「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
どうでしょうか、みなさんでこのことばをもうちど声を合わせて読んでみましょう。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
あなたは、ほんとうに生きているでしょうか。
「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」とは、まさにこのことであります。
⛳写真は礼拝で筆者が撮り任意で掲載させていただいております。説教はICレコーダーから起こし文章化のための編集をしてございます。画像は教会作成のものをお借りしました。
J-MEROピックアップ
J-MERO
ゲスト GLIM SPANKY
Lemi Matsuo コメント
ミュージシャンとして曲を作った時点で、それはもう世界に向いているんですけれども、あえて日本人だけじゃなくて、全人類に向けてロックをやっているっていうことによって、もっと楽しんでもらいたいなと思って口に出して言っているんですけど、ロックって、ラブ&テイク(?)だし、答えはないし、そういうのを外人の人と楽しめる日本語のロックがあっても面白いんじゃないかなと思って、何かそういうところに、アジア代表のロックバンドになれるように、そう思って頑張ってやってます。
結成当時から変わらないポリシーは、基本的に私たち高校1年生、2年生の時に組んだんですけど、感覚的には何か高校生のままというか、いい意味で、夏休みが終わらない感じでいると音楽だけやってればいいみたいな感じがしていて、そういうふうな音楽の熱だったりとか、音楽が大好きという気持ちは絶対にずっと持っていし、いまのところそれは変わっていない。
ライブという存在は、バンド結成からずっと活動休止も一回もせずにやってきたものなので、ほんとうにバンド活動そのものだったし、CDで、レコーディングで表現できることと、ライブで表現できることってぜんぜんレクトロが違うと思うので、そういう生のロックのような、生々しさの良さというものを伝えたいなとおもっているので、ほんとうにライブとは生もの。
目指すバンドは、日本人という事を誇りに思いながら、大好きなロックを奏でる、国籍も年齢も性別も関係ないところで、みんなで気持ちよくなれる音楽を作りたいなと思ってる。ロックなんで、(聴き落し)日本語にまずロックのリードのずれっていうものがまず難しいことなので。多めに入れると日本語らしくなりなすぎるので、大きな間を取るというのは、いつもいえると思う。でもやっぱこの表現したい言葉だったりとかもある、そういうとこは、並べ方もつめもしますし、でも基本的にはこう大きな心で歌うというものだと日本語がのりやすいかなと思います。
Hiroki Kamemoto コメント
最近のほうがより一層より楽しい、自分が楽しむためには何をしたらいいのかをより考えるようになってはいると思います。
⛳コメント、写真は番組からです。 6時53分更新
盛岡タイムスに連載の「楽都のユニゾン」第62回が出ました。
岩手県の出身である作曲家鳥取春陽が、新たな流行の波に押され、もし肺結核がなければという無念さのうちにこの世を去るところを書かせていただきました。どうぞ宜しくお願い致します。
2019/8/23クラシック倶楽部を聴く
アレクサンドル・トラーゼ ピアノ・リサイタル
2018年5月23日 トッパンホール
アレクサンドル・トラーゼ
1952年、旧ソ連グルジア・トビリシ出身。バンクライバーン国際ピアノコンクール入賞。モスクワ音楽院で教職につく。1983年アメリカ移住。91年インディアナ大学教授。出身のグルジア文化に愛着があり、演奏作品もプロコフィエフ、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーなど、華やかさと、洗練さよりも民族的な音響を優先したロシア音楽を得意とする。(wikipediaより)
トラーゼのコメント
ピアノ協奏曲第2番について
私の父はジョージアやソ連では名の知れた作曲家でした。父は若い頃グリエールという作曲家に師事していたのですが、プロコフィエフも父の師・グリエールに作曲を習っていたんです。弟子のプロコフィエフについてグリエールは父にこう語っていたそうです。「プロコフィエフの作品は曲の1音1音すべてが天才の創造物なのだ!」。プロコフィエフは曲に込めた思いの丈を楽譜に細かく書き込んでいます。ピアノ協奏曲第2番 第1楽章のカデンツァでは、彼が抱いていた言葉に言い表せないほどの深い苦悩を楽譜から感じ取ることができます。三つのfでとても強くと何度も何度も指示した末に、colossale“これ以上ないくらいに”という言葉を書き込んでいます。実はこれは最愛の友を自殺で亡くした時の底知れぬ悲しみの表れなのです。私にとって楽譜は完璧なガイドブックです。作曲家の祖国、文化、芸術、そして人生のあらゆる局面すべてが記されている。私はそれを聴き手に伝えたいのです。
☆「ピアノ・ソナタ第49番 変ホ長調 Hob.XⅥ-49」ハイドン:作曲
(ピアノ)アレクサンドル・トラーゼ
☆「ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16から 第1楽章 カデンツァ」プロコフィエフ:作曲、トラーゼ:編曲
(ピアノ)アレクサンドル・トラーゼ
プロコフィエフが最も大切な曲と語ったこの協奏曲は1913年に完成した。超絶技巧を要するピアノ・ソロのカデンツァは、およそ70小節にも及ぶ壮大な音楽である。今回トラーゼは、このカデンツァを含む第1楽章のピアノパートを部分抜粋し演奏する。
☆「ピアノ協奏曲第3番 作品26から 第3楽章」プロコフィエフ:作曲
(ピアノ)アレクサンドル・トラーゼ、(ピアノ)キム・シウォン
20世紀を代表する作品であるこの協奏曲は、1921年にプロコフィエフ自身のピアノで初演された。作曲前にプロコフィエフが日本を訪れていたことから、トラーゼはこの楽章に日本の影響を感じている。今回はプロコフィエフが手掛けた2台のピアノ版での演奏。オーケストラパートはトラーゼの愛弟子で韓国出身のキム・シウォンが務めた。
🎵きょうはプロコフィエフのみ聴きコメントを筆記してみた。繊細な音の連なりも強い音の連なりも、波がこちらに向かって打ち寄せてくるような感じが。
🎧名曲アルバム「交響曲ライン」シューマン
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】沼尻竜典
🎵幾度となく流されたこの曲。心を病んでも、後に輝かしい作曲ができるほどに癒された1例であるとも。
⛳7時12分更新
2019/8/22クラシック倶楽部を聴く
エリーザベト・レオンスカヤ シューベルトの調べ
2018年4月14日 東京文化会館小ホール
エリーザベト・レオンスカヤ
1945年旧ソ連の一部だったジョージアのトビリシュに生まれ、6歳からピアノを始める。1964年ルーマニアで行われたジョルジュ・エネスコ国際ピアノコンクールで優勝。モスクワ音楽院の学生時代に巨匠リヒテルと出会う。1978年からウィーンを拠点に活動。リヒテルとの共演と親交も長らく続き、大きな影響を受ける。2015年東京・春・音楽祭が企画したコンサートシリーズ「リヒテルに捧ぐ」に招かれ、シューベルトの最後のピアノ・ソナタ3曲を披露。そして2018年の春、東京でシューベルトのピアノ・ソナタ全曲演奏に挑み、4月14日に最終日を迎えた。
コメント:日本の春の印象は?
2015年桜が満開の季節に来日しましたが、魔法のようでした。とても詩的…花が咲き、やがてそよ風が吹き、雪のように静かに花びらが落ちてきます。花が散ってしまうのは残念だけど、同時にとても美しい。桜の花々の向こうに見える真っ青な空も美しいわね。
☆「ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D.960」
1828年9月に作曲されたシューベルト最後のピアノ・ソナタ。そのおよそ2か月後、シューベルトは31歳で世を去った。
☆アンコール「4つの即興曲 D.899から 第3番 変ト長調」
🎵
まえにも一度聴いている。今回は今回として。日本の印象を語るレオンスカヤに詩的な内面を見る。日本が美しい桜の風景とともにレオンスカヤの内にあることを喜ばしく思った。曲全体に一人の女性音楽家の人生を聴いた気がした。
🎧
名曲アルバム
「弦楽四重奏曲第41番第2楽章」ハイドン
🎵
ハレー・ストリング・クァルテットの演奏で、ハイドンの弦楽四重奏曲のすばらしさを再認識。
生涯に弦楽四重奏曲68曲。モーツァルトはハイドンを尊敬し、弦楽四重奏曲を献呈したという。晩年はウィーンで過ごしたが、なきがらはアイゼンシュタットに眠る。
⛳7時のニュースは始まっているけれども、近頃は辛いニュース、先行きの不透明なニュースに気持ちが沈む。沈殿した気分を音楽で引き揚げている。
7時3分更新
2019/8/21クラシック倶楽部を聴く
ベンジャミン・フリス ピアノ・リサイタル
「ディアベリ変奏曲」ベートーベン作曲
~2019年6月19日 すみだトリフォニーホール、小ホール~
ベンジャミン・フリス:ブゾーニ国際で最上位入賞。1989年ルービンシュタイン国際コンクールでは優勝。特にベートーヴェン、メンデルスゾーン、そしてフィールドの専門家として知られる。いぶし銀のような輝きを放つ名ピアニスト。ソロだけでなく室内楽奏者としても熱心に活動。特にグールド・ピアノ三重奏団での長年の活動は世界的に名高い。その長年の活動、功績、信頼、そのようなものが積み上がった結果、今シーズンからロンドンのウィグモア・ホールの室内楽シリーズの監修を一任される。「ウィーンで通用する本物のベートーヴェン弾き」ともいわれる。(ウェブから幾つかの抜粋)
ディアベリ変奏曲:ベートーヴェンが作曲したピアノ独奏曲。1823年に完成された晩年の傑作である。ベートーヴェンの「不滅の恋人」とされるアントーニア・ブレンターノに献呈された。(ウィキペディアから)
曲について専門的な関心を持たれている方はこちらをクリックしてご覧ください。
🎵最初の5分を聴き逃したことで、ウェブ上のそちこちへと跳ぶことに。ベンジャミン、知らない、ディアベリ変奏曲、知らない、で、何とか知ろうとし、結果的に大変な曲を大層な演奏家が弾いていることを知る。51分の演奏を45分聴けば、まずまず聴いたことになるのかならないのか、それにしても最初の一音の聴き逃しは大きい。演奏の終わりまで欠落感を引きずってしまった。第20変奏曲でベートーベンの足音が聞えたような気が。これがベンジャミンの名刺代わりの曲であるとまでいわれる演奏内容、徹頭徹尾に精魂籠る説得力。
🎧名曲アルバム
「ノルウェー舞曲」グリーグ作曲
グリーグ、34歳でノルウェーのハルダンゲル地方に移り創作活動の拠点に。この地に伝わる芸術文化に強い興味を持つ。哀愁を帯びた独特な音色のハーティング・フェーレの演奏を聴き、「これこそノルウェーだ」と。
2019/8/20クラシック倶楽部を聴く
ニコライ・ルガンスキー ラフマニノフを弾く
~2018年2月17日 紀尾井ホール~
「前奏曲作品23」は、「前奏曲嬰ハ短調」からおよそ10年後1903年に完成した10曲から成る曲集。全体は深い叙情性に包まれていてピアノの高度な演奏技巧が盛り込まれたダイナミックな作品である。
13曲から成る「前奏曲集作品32」は、1910年、ラフマニノフ37歳の年に作曲された。「前奏曲作品23」を受け継ぐロシア的な叙情性の中に近代的な手法も見られる作品。
☆「前奏曲集 作品23から 1.嬰ヘ短調」
☆「前奏曲集 作品23から 3.ニ短調」
☆「前奏曲集 作品23から 4.ニ長調」
☆「前奏曲集 作品23から 5.ト短調」
☆「前奏曲集 作品23から 6.変ホ長調」
☆「前奏曲集 作品23から 7.ハ短調」
☆「前奏曲集 作品32から 1.ハ長調」
☆「前奏曲集 作品32から 2.変ロ短調」
☆「前奏曲集 作品32から 3.ホ長調」
☆「前奏曲集 作品32から 4.ホ短調」
☆「前奏曲集 作品32から 5.ト長調」
☆「前奏曲集 作品32から 12.嬰ト短調」
☆「前奏曲集 作品32から 13.変ニ長調」
☆アンコール「前奏曲 嬰ハ短調 作品3 第2」
🎵
ラフマニノフの解釈に定評があるというルガンスキー。アップは「嬰ハ短調作品3第2」を弾き終えての表情。ロシアピアニズム、繊細、流麗、力強い輝き、聴く価ある演奏だった。きょうのプログラムは抜粋であるというが、これでもう十分、聴いたという充実感、満足感がのこった。最初の曲の出だしから音の霊気が鍵盤からたちのぼっている。ひと滴ひとしずくおりてくる音。今一つの世界に強く乗り出し引き出した対象と交わされる対話、これがなるほど音、音楽との会話、そこに押し出されたかの作曲者であるか演奏家であるかの個性。あふれ流れるきららかな水が澱みなくしみ込んでくる。時折見える力強く濃いロシア色の響き。尽きない魅力が最後の一音まで。
🎧
名曲アルバム
「ノクターン 作品9-2」ショパン
【ピアノ】横山幸雄
パリのモンソー公園にショパンの記念像がある。ショパンは21歳でパリへ。市内を見渡せる建物の5階に居住。ショパンはロマン派の画家シェフェールの館でのサロンに招かれる。このノクターンは、ショパンがパリの社交界に華々しく登場した頃の作品。
⛳♪「糧は豊かにあまくだるマナ」。心の食べ物はきょうもいっぱい!
7時7分 更新
2019/8/19クラシック倶楽部を聴く
ニコライ・ルガンスキー ピアノ・リサイタル
2018年2月17日 紀尾井ホール
ニコライ・ルガンスキー
1972年モスクワ生まれ。モスクワ音楽院でタチアナ・ニコラーエワ、ヘルゲイ・ドレンスキーに師事。1994年チャイコフスキー国際コンクール第2位(最高位)。以来国際的なキャリアを歩み始める。優雅で繊細、時に力強く輝かし演奏は、ロシア・ピアニズムの正統派として高く評価されている。2013年4月栄誉あるロシア人民芸術家の称号を授与された。ルガンスキーは、ロシア音楽、特にラフマニノフの演奏に定評があるが、そのほかの作曲家の演奏も豊かな表現力で聴かせてくれている。
ルガンスキーのコメント
ピアノに向き合う時の気持ちについては
多彩なアーティストでありたいとおもっています。それぞれの作品に入り込み、その作曲家に“なりきって”演奏することを目指しています。内面的にも作曲家に同調して苦悩を感じたり、子どものような感性をもったりと変化していかねばならない。演奏する曲によって、異なる課題を自分に課しているのです。
シューマンの「こどもの情景」については
私は10歳の時に弾いたこの曲に45歳になった今“戻って”きました。私はこの曲が子どものための作品なのか大人のための作品なのかいつも不思議に思います。シューマンはまるで子どものような生き生きした感受性を持っていました。大人にとって何気ないことでも、子どもは大きな反応を示すものです。大人と子どもが組み合わされたようなこの作品にシューマンは日常のふとしたことへの感情をこめました。その感情は子どもにも大人にも感じ取ることができるのです。
ショパンの「舟歌」については
この曲は私が最も好きなショパンの作品の一つです。「舟歌」はショパン晩年の作品で、彼の哲学的な面が映し出されています。世界はすばらしく感動をもたらすものだというショパンのメッセージが伝わってきます。
「バラード第4番」につては
ショパンの作品の中で最も美しく、そして悲劇の色が濃い作品です。ショパンが書いた4曲のバラードの中で最も悲劇的で夢、幸福、愛は最も悲しい結末を迎えます。この曲も私が最も好きなショパンの作品です。
☆「こどもの情景 作品15」シューマン:作曲
「こどもの情景」は、13の小品で構成された若きシューマンのピアノ作品。比較的やさしいテクニックで演奏できるように書かれているが、子ども用の教材作品ではなく、「クライスレリアーナ」や「幻想曲」とともにシューマンの創作活動を代表する傑作の一つ。
1知らない国々、2珍しいお話、3鬼ごっこ、4おねだり、5満足、6大事件、7トロイメライ、8炉ばたで、9木馬の騎士、10むきになって、11おどかし、12こどもは眠る、13詩人のお話
☆「舟歌 作品60」ショパン:作曲
「舟歌」は幻想ポロネーズ、マズルカ作品59、夜想曲作品62などと同じく、ショパン晩年の1曲。ベネチアのゴンドラの唄に端を発するジャンルの作品で、流麗なメロディーが歌われるが、晩年のショパンの作品に共通する憂愁が全体を覆っている。
☆「バラード第4番 へ短調 作品52」ショパン:作曲
ショパンは、「バラード」と名付けた作品を4曲遺した。(一節書き落とし)きわめて自由な形で進行し、ドラマティクなクライマックスと一瞬の静寂、そして悲劇的なコーダで曲が閉じられる。ショパンの最高傑作と評価されることも多く、名作として名高い1曲。
☆「リラの花」ラフマニノフ:作曲
☆「練習曲 ヘ長調 作品10第8」ショパン:作曲
🎵アンコールの2曲がリラックスして楽しめた。ルガンスキーのコメントにショパンがよりくっきり。
🎧
名曲アルバム
「カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲」マスカーニ作曲
【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】高関健
シチリア島東部に位置するヴィッツィーニ、ここがこの歌劇の舞台。
1852年に建てられたサンタ・テレサ教会、物語の登場人物たちも幾度となくこの教会で祈りを捧げる。
教会と居酒屋と広場の一角で物語が展開される。原作者はジョバンニ・ヴェルガ。題材は二組の男女に起こる恋の争い。愛憎もつれ合う血なまぐさい物語。この間奏曲は悲劇の結末に向かう直前に奏される。クライマックスの悲しみをより一層盛り上げる。
⛳月曜は全休にしたい日ではあるけれども、ゲームのような感覚で書き出してみた。すべては番組からのピックアップ。 バラード4番を聴きながら、7時22分更新
きょうのことば
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
8月11(日)の説教は『教会はキリストのからだ2』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1:17~23でした。
1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。 1:20この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、 1:21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 1:22また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。 1:23教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
<説教>
エペソ人への手紙の中から「心の目がはっきり見えるように」に焦点をあてながら、まず過去においては、神の召しにより与えられる望み、これがどんなものなのか、それは、地上的な望みをはるかに超えて、究極的にはキリストの再臨の望みであることがわかりました。これこそ究極的な希望であります。そしてまた、これは将来的にいうのなら、コロサイ3章3節で「あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです」とすでに去年学んだところでございます。
聖徒達の嗣業のいかに栄光に富んだものであるのか、キリストとともに神のうちに隠されてある復活の命、永遠の命、このことが、どうかはっきり見える者でありますように。そしてある意味、それと同じ内容に違いありませんけれども、「神の大能の働きによって私たち信じる者に働く神の優れた力がどれほど偉大なものであるのか」、これをはっきりと知ることができるように。過去、将来、そして現在、特に今そのキリストの復活という力が私たち信じる者の心のうちに力強くはたらく。20節をご覧いただきますと、
「1:20この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、」とありました。つまり、私たちはイエス・キ
リストの復活に表された神の大能の力がどのようなものであるのか、どれほど優れて大いなるものであるのかを、どうか心の目がしっかりと焦点を合わせて、ひずむことなく
理解できますように、このことは前回、或いは前々回も心に留めさせていただきました。
1章の学びの締めくくりに21節~23節を読みましょう。
「1:21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 1:22また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。 1:23教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」
教会というものが、私たちが自覚する自覚しないに関わらず、どんなに大いなるものであるのか、この教会というものにはっきりと心の目が開かれたものでありたいと願っております。
教会ほど不思議な集合体はありません。それはイエス・キリストの救いに与った者たち、キリストの命に与った者たちの集合体です。一つところに集まっていまキリストのからだを構成しているのを思う事であります。
21節にあるようにキリストは「すべての支配、権威、権力、主権の上に」坐しておられる。そして「今の世だけでなく、次に来る世においても」と記され更に「となえられるすべての名の上に」キリストというお方は君臨しておられる。
この「支配、権威、権力、主権」という言葉は何を意味しているのか、解説が必要であるかと思います。手元にある信頼のおける注解書には、これは、神様の領域の中に立てられた御使いの中にもいわゆる色々な階層といったらいいのでしょうか、それらのものを「支配、権威、権力、主権」と一つの御使いのランク、階層をあらわすものとあります。また私が救われたばかりの頃に聞いた事があるのですが、この教団の丸の内教会の講壇で、これに類似したところが扱われて、これは御使いたちを表しているのだと語られていたことを思い出します。講壇で語られたからそれが絶対的であるというのではありませんが、しかし、信頼のおける注解書の幾つかと合わせて、そのように解釈していいのだろうと判断できます。
それは、イエス・キリストと仰るお方が、天のすべての上にある御座にあり、神と等しくあったお方が、父なる神が、誰かわたしのために、救いをもたらすための働きをしてくれるだろうかという要請に応えられ、神、子なるキリスト、聖霊なるお方が、私たちの理解を超えた、この宇宙全体を貫いているすべてのものの上にあるお方が、すべてを貫いて、何とこの世においでくださった。栄光のお方が、最も貧しい家畜小屋の中に、人の子としてこの世においでくださった。すべてのものを貫いてこのお方はおいでくださった。
そしてこのお方が地上で使命を果たされ、十字架上ですべてを成就された。そして主は大能の力をそのお方の内に働かせてご自身の栄光を表してくださいました。つまり、20節でみると、「キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせ」のです。この表現に見られるように、まさにキリストがおいでになるときに、神の右の座にあるところから、貫いていちばん低くまで下りてきてくださって、御力を成してくださった。すべての階層の中から御使いさえもうらやむようなその贖いの御業を主は成してくださり、そして、先ほどは上から下までの謙卑、最も大きな神様の救いのための謙遜のわざが成されたとき、こんどは、よくやったと、父なる神様は、いちばん低くまで下られたお方を、天にまで引き上げてくださったなかに、全ての支配、権威、権力、主権の上にこのお方を置いてくださったと理解するときに、私たちの救いというものが、何か一つ吹っ切れるのです。ものすごいスケールのみわざです。
しかも、21節を見ると、「今の世だけでなく、次に来る世においても」とあります。これは、まさにアイオンをいっているのです。しばしば語らせて頂きましたけれども、一つの無限の世界なのですけれども、これを、天地創造において、私たちのアイオンでいうなら、「はじめに神が天と地を創造された」という創世記の1章1節の始まりから、歴史の神様、His Storyである神様は、この歴史の締めくくりを、すべての新しい天、新しい地を神様はこの世で締めくくりとして成してくださった。そして、これが、一つの、いまの私たちに与えられているアイオンの、しかもそれは、私たちの救いに関わる神様の言葉として、この聖書が、創世記の始めからこの世の締めくくりに、ここに人とは何であるのか、そして、神とは何なのか、私たちに、救いに関わるぜんぶのことをこの聖書のお言葉によって啓示してくださった、それがこのアイオンである。そしてこの世のアイオンが締めくくられるとするのならば、さらに、これにつなぐところのもう一つのアイオンというものが、つまり無限の一つの宇宙、或いは世界というものが、またここから始まっていく。このアイオンという言葉はまさに、このところを理解するのにとても意味のある、そういう一つの理解ではないでしょうか。今から50年近く前、救われた当時に講壇で語られた記憶に鮮やかであるアイオンという言葉をお話をさせていただくのならば、神様は、一つのアイオンというものをこのように今私たちが生きていく中に、これは、モラル、神様はこのアイオンのモラルビューティーというそういう価値観の中に、このアイオンを造られたのではないだろうか。これはもちろん、ではないだろうかというのが当然つきまとう。そうであると断定することは、それは行き過ぎであるし、しかし、一つの大きな示唆にはなると思います。そしてその時に語られた一つは、もしかしたのならば神様は、もう一つ私たちの先にあるアイオンが、どういう価値観であったとするかといえば、もしかしたらば、それはミネラルビューティーの価値観であったのかもしれない。それは黙示録に散りばめられているダイヤモンドとか緑柱石とか宝石の名前がありますが、それは神の栄光を私たちがわかるために、神様はそのようにして私たちに啓示していて下さるわけです。前のビューティーが何なのかという時に、もしかしたら、モラルビューティーのないアイオンというのは、ミネラルビューティーであったかもしれないという、このことは妙に心に残っているものであります。
つまり、何がこのアイオンにおいていちばん価値があるのか。尊いものであるのかというのは、そのアイオンによって違うとするならば、まさに神様はこの今私たちに啓示されているアイオンの中にこの神の御子の贖いを成してくださった、被造物である私たちの救いのために、神様が御子を下してくださった。この神様の御愛、21節にある「すべての支配、権威、権力、主権の上に」というのは、今私たちの限られた世界の中で天上を見るに、今の私たちの世界のすべてを貫いて神の御子がおいでくださり、こんどはそのお方が、それらのものを逆なりにすべてを突き抜けて、神の右の座に着座してくださった。そして、私たちが今の時代にキリストにあって救われたという以上に、次のアイオンがどういうアイオンになるのか私たちにはわからない、しかし、世々にわたって神様が用意しておられるアイオンの中に、私たちはキリストと共に王となる。これもまたすごい事です。次のアイオンにおいて、キリストの命に与って、さあ、この次がどういうものであるのか、このみ言葉によるのならば、21節に「今の世だけでなく、次に来る世においても」すなわち次に来るアイオンにおいても、「このキリストとともに私たちはある」。そして、「1:22また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。 1:23教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」
聖書が記している教会のイメージが大きすぎて、私の頭はパンクしそうです。この教会には、このお方が満ち満ちている。そういうところです。
きょう申し上げたいメッセージは、教会が私たちがイメージしている教会とは重なる部分もあるけれども、それよりもはるかにすばらしい意味合いがあるということです。
実はきょうもう一つの賛美歌をと幾つか考えていたのです。8月といえばどうしても広島、長崎、敗戦という大きなことがあるときに、平和の器にしてくださいというこれに優るものがないと思いもしたのですが、「村の小さき教会」が浮かびました。村の小さき教会、いまもそこにあるか。麗しい賛美歌です。しかし、私はある人から、教会はいつもこれを歌っているからダメなのだという話を聞きました。村の小さき教会で満足しちゃだめだと。
この後は簡単な蛇足だと思って聞いてください。先日、カナン工房の開所式に行ってまいりました。小さなご奉仕をさせていただいて、その後、開所式,市長挨拶がありまして、だいたいは市長挨拶は代読が一般的です。やはり代読の方がいらっしゃいました。名刺交換するときに、「先生、私〇〇です。覚えてますか」。ああと思い出しました。まだ教会が北天昌寺町にあった頃に町内にいらっしゃいました。「先生の教会、あっちにありましたよね」。そうでした。「何回か行ったんですよ」。村の小さき教会いまもそこにありや。教会の働きを50年近くしておりますと、ああ、あの当時幼稚園だった、小学生だったお子さんたちが「いまもそこにありや」といってきっと帰ってくるのかなと思いながらきたんですけれども。
話しが脱線したのは、教会には「村の小さき教会」のようなイメージもあります。けれども、教会というものは「このお方の満ち満ちているところである」、「その体である」。
天からこのお方があらゆるものを貫いて下りてくださった。そして、このお方が、すべてを成し遂げて復活をなさり、そして神のお言葉の通りに私たちと共に交わりをなしてくださる。これはブラックホールの理論的にはあると思われていたけれども、それを初めてデータ化したという発表があったのはつい数か月前でしたか。それが公開されておりますけれども。これは今も私たちの次元を超えて一つの別の世界でありますが、これをも貫いておられるお方はキリスト、このお方の満ち満ちておられるところが、私たち教会なのです。どうか、自分たちが所属している教会が、今持っているイメージで終わってしまってはならない。教会とは何なのか、私たちにもっと大きく目を開かせてくれるのがこのエペソ書であるのです。
パウロはローマの獄中にあって、教会とはこういうものなのだという教会観を示していたのです。
この次はエペソ書2章から入っていきたいと思います。
⛳写真は礼拝で撮ったものですが、画像は教会からお借りしています。説教はICレコーダーから起こし、若干編集させていただいております。
J-MERO3場面
KREVA 最前線かけるラップ のリズムを地に刻む
ジャズのフォービートの揺れに身を任せ。新たに海外でのヒットがあるといいx
デビューから10年。アイドルたり得るにはこれからが正念場。
⛳やっと涼しい朝を迎え、忙しく、ざっと見。 6時22分更新
2019/8/16クラシック倶楽部を聴く
シルク・ドゥラ・シンフォニー オーケストラ&サーカス
~2018年1月17日 Bunkamura オーチャードホール~
シルク・ドゥラ・シンフォニー:「コンサート・ホールにサーカスを」をコンセプトに、フル・オーケストラとの共演を専門とするパフォーマンス・グループとして2006年にアメリカで発足。メンバーは元オリンピック選手や世界的なサーカス団「シルク・ド・ソレイユ」で活躍したパフォーマーから成り、これまでにフィラデルフィア管弦楽団、シカゴ交響楽団ほか数々の名門オーケストラとの共演を重ねてきた。アメリカを中心に世界をツァーで回るなど国際的な人気を誇るパフォーマンス・グループ。
アレクサンダー・ストレルソフ(創設者、総合芸術監督):コメント
音楽からすべてが始まるのです。パフォーマーは自分の演技をものにするために、音楽の勉強をし、日々の習慣を変え、音楽と共に生きるのです。クラシック音楽とパフォーマーの融合が、このショーのコンセプトですから。それが実現できてこそステージが魅惑的になる。パフォーマーと音楽が合ってこそ客席の体感を高めることができるのです。私自身もこのプロジェクトを始めたとき、音楽についてはまったくの門外漢でした。そこで指揮者の方にも助言をもらいながら、適切な曲を選んでいきました。オーケストラの希望を尊重することも大事なことです。彼らにも曲に対する意思や希望があり、私たちもそれを心に留めています。これはまさに両者による真のコラボレーションなのです。
日本の観客の皆さんは盛大に応援してくれます。パフォーマーと観客がお互いにエネルギーを受け取り合う、最高の化学反応です。
クリスティン・ヴァン・ロー:コメント
この「エアリアル」はバレエ「白鳥の湖」に合わせた美しくロマンティックな演目です。パートナーを組むヴィタリーが客席やオーケストラの頭上を飛ぶのです。
ヴィタリー・ブーザ:コメント
クリスティンとステージに立つと、二人の情熱が満ち溢れます。それが客席にも伝わり、皆さんが楽しんでいることがわかると、そのエネルギーが私自身にもフィードバックされてくるのです。情熱に溢れたパフォーマンスは、必ず客席に伝わるはずです。
☆「バレエ音楽「白鳥の湖」から 小さい白鳥の踊り」チャイコフスキー:作曲
☆「歌劇「売られた花嫁」から 道化師の踊り」スメタナ:作曲
☆「歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲」グリンカ:作曲
☆「バレエ音楽「ガイーヌ」から 剣の舞」ハチャトゥリヤン:作曲
☆「ポルカ「雷鳴と電光」」ヨハン・シュトラウス:作曲
☆「「カルメン」組曲 第1番から 闘牛士」ビゼー:作曲
☆「バレエ音楽「白鳥の湖」から ワルツ」チャイコフスキー:作曲
☆「喜歌劇「天国と地獄」から」オッフェンバック:作曲
☆「交響詩「フィンランディア」」シベリウス:作曲
☆「「カルメン」組曲 第1番から 闘牛士」ビゼー:作曲
🎵
美しい芸術の融合、最高の化学反応、驚異のパフォーマンスとコメントされた通り、映像、音響の複合でよりドラマテックに緊張感を楽しんだ。最後はバレエと同じような感覚、これもあり、これもあるべき、さて次にはどんなコラボがとの期待感が過った。
🎧名曲アルバム「威風堂々」エルガー
⛳コーヒーブレイクを15分はさみ、キーの押し違いで一旦記事を消失したものの、7時26分の更新
2019/8/15クラシック倶楽部を聴く
シルク・ドゥラ・シンフォニー~オーケストラ&サーカス~
(管弦楽)ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団、(指揮)ニコライ・ジャジューラ
~2018年1月17日 Bunkamura オーチャードホール~
ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団
首都キエフを根拠地に1995年創設。音楽監督のニコライ・ジャジューラのもと、ヨーロッパ東部を代表する楽団として活躍している。
アレクサンダー・ストレルソフ
創設者、総合芸術監督
自らもサーカスのソロ・パフォーマーとして活躍。
コメント:アメリカでオーケストラと共演したことでこのプロジェクトが立ち上がった。1998年にアメリカでサーカスのツァーをしていた私に、ある指揮者がオーケストラとの共演を持ち掛けてくれたのです。ロシアではたくさんのコンサートに出演していたので、何も難しいことではありません。ロシアでは、アクロバットとバレエオペラ歌手が同じコンサートで共演することがありますから。しかしアメリカでは斬新なことだったのです。オーケストラと舞台で共演するのは、言葉には言い表せない感覚で、他のエンタテイメントと比較することもできません。生演奏からエネルギーをもらうことで、最大限のパフォーマンスを発揮でき、舞台の上で魔法がかかったような瞬間が生まれるのです。とても言葉にはできません。
☆「祝典序曲」ショスタコーヴィチ:作曲
☆「歌劇「雪娘」から 軽業師の踊り」リムスキー・コルサコフ:作曲
☆「交響詩「死の舞踏」」サン・サーンス:作曲
☆「「カルメン」組曲 第2番から ロマの踊り」ビゼー:作曲
☆「バレエ音楽「ガイーヌ」から レズギンカ舞曲」ハチャトゥリヤン:作曲
☆「組曲「仮面舞踏会」から ワルツ」ハチャトゥリヤン:作曲
☆「ワルツ「美しく青きドナウ」」ヨハン・シュトラウス:作曲
☆「楽劇「ワルキューレ」から ワルキューレの騎行」ワーグナー:作曲
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クラシックをより多くの人々により楽しく親しんでもらうという意図からの企画かとも思われた。最初は若干抵抗があった。しかしパフォーマーの方たちのコメントを見ると、音楽とパフォーマンスがコラボして不思議な瞬間を現出することがあるようなのだ。たとえば詩人が音楽を聴くことでさまざまをイメージし詩につなげると同じように、音楽がパフォーマンスにイメージをもたらし、あらたな動き、型をもたらすといった連関があるらしい。そういった観点から見ることで楽しむことができた。他のパフォーマーの方々のコメントもあったが、一応芸術監督の方のを記録しておいた。それぞれに世界レベルの域の方々であるらしい。音楽よりもパフォーマンスがくっきりと焼き付いた。
いつもなら、音楽がくれるイメージを自由に楽しむのだが、きょうはそうはいかなかった。音楽がパフォーマンスに相当支配されてしまった感じも。
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「ロマの踊り」ビゼー
管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】角田鋼亮
⛳7時17分 更新
2019814 2019/8/14クラシック倶楽部を聴く
ピアニスト 賀集裕子の世界
~2017年11月13日 自由学園 明日館(豊島区 西池袋)~
賀集裕子
1935年生まれ。51年日本音楽コンクール第一位。53年18歳でパリ留学。フォーレの影響を受け、またシューマンなど、ドイツの作曲家を得意としたピアニスト。イヴ・ナットに師事。56年21歳でエリザベート王妃国際音楽コンクール入賞。これは日本人初。以後、N響や日本フィルなどのオーケストラとの共演やリサイタルなど国内の第一線で活躍。その後国立音楽大学で後進の指導に当たっていたが、98年数十年ぶりにリサイタルを開催。高く評価される。80歳をこえて尚、バッハから近代の作品まで幅広いレパートリーに挑戦。
コメント
私は、リサイタルの時の頭に持ってくるのがバッハなんです、いつも。2声3声のフーガとかそういう重厚なドイツ音楽が好きなので、バッハから始めて、それからいろんな曲に入ります。ドビュッシーのマズルカを選んだ一つの理由は、マズルカといえばどなたもご存知のショパンなんです。ドビュッシーのマズルカなんてあるの? と思われるんですけれども、ドビュッシーにしては非常に古典的なものも中にちゃんと含まれていて非常に面白いので、そういうものがいいと。シューマンのアラベスクですけれども、アラベスクと言えばみんなの頭に浮かぶのは、ドビュッシ-ですが、それに比べて重厚でありながらドイツの中でも揺れ動くようなアラベスクに非常に興味をもちまして、そういう(聴き落し)ずつ変わったところを狙ったという選曲。
56年エリザベート王妃国際音楽コンクールで12人のファイナリストにのこったとき、思わぬピンチに陥った。それを助けてくれたのが、このとき優勝したウラディミール・アシュケナージだった。そのときのことを賀集裕子は次のように語る。協奏曲は最終予選に通った時に自分が弾きたいものを書くんですけれども、残るなんて私は思ってなかったので、ちょっと恰好のいい曲でも書いておこうかと思って、本選用にまだ演奏したことのないバートーベンの協奏曲第4番を選択し書いちゃったんですが、その曲を弾く羽目になって、また必死に勉強いたしましたんですが、大変だよと言って、私が弾くベートーベンの、一度も弾いたことがないんですから、それを、アシュケナージさんが、第2ピアノ(オーケストラパート)のところをいっぺんだけ弾いてくださったんです。それがなかったら私舞台に立てなかった。たった一度のそれで、オーケストラに立ち向かって最後まで弾いてしまったんです。
☆「オルフェオのメヌエット」グルック曲、サン・サーンス編
☆「マズルカ」ドビュッシー曲
☆「アラベスク ハ長調」シューマン曲
☆「トッカータ ホ短調 BWV914」バッハ曲
☆「詩曲 作品32第1」スクリャービン曲
☆「即興曲 第2番」フォーレ曲
☆「ノクターン 第6番 作品63」フォーレ曲
☆「月の光」ドビュッシー曲
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奏者の内に脈々と流れる音楽熱が聴こえた。陰影を曳き、揺らし、きらめきをのせながらの音楽の旅をともに。
🎧
名曲アルバム
「ノルウェー舞曲」グリーク作曲
【演奏】瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ
演奏を聴いたグリークはこれこそノルウェーだと目を輝かせたという。
⛳きのう墓参りを済ませ、今朝の低いめ25℃に活気を取り戻し、番組の中からの引き写しを楽しみながら 7時17分 更新
2019/8/13クラシック倶楽部を聴く
三浦 文彰×デジタルアート
(バイオリン)三浦 文彰、(ピアノ)江口 玲
2019年2月チームラボ・ボーダレス(東京都江東区)
三浦 文彰
2009年世界最難関ともいわれるハノーファー国際コンクールにおいて、史上最年少の16歳で優勝。国際的に脚光を浴びる。東京都出身。両親ともにヴァイオリニストの音楽一家に生まれ、3歳よりヴァイオリンを始める。
☆「愛の喜び」クライスラー:作曲
☆「大王の主題」ユン・イサン:作曲
☆「「ネル・コル・ピウ」による変奏曲」パガニーニ:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454」モーツァルト:作曲
☆「大河ドラマ「真田丸」メインテーマ(ピアノ伴奏版)」服部隆之:作曲
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前半、聴き逃した関係で、いつもそうなのだが有名で書くまでもないと思いつつ、経歴をウェブから拾っておいた。
パガニーニの途中からだったが、なにか聴いていて落ち着かなかった。次のモーツァルトからは落ち着いて聴くことができた。それにしても、「真田丸」が始まり、TVからこのメインテーマが流れたときは、鮮烈だった。別なことをしていたのだが、出だしの音にぐいんと掴まれた。弾いてるのは誰? と演奏者の名が出るのを食い入るように待ったのを思い出す。それが三浦文彰。服部隆之の作曲。
最後のコメントだけを聴くことができたが、やはり将来的に若い世代にこの音楽が受け入れられるようにと願っている。今回の収録の出演も、そういったことへの協力の一環かなと。
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名曲アルバム
行進曲「威風堂々」エルガー
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】角田鋼亮
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エルガーの父はピアノ調律師であったようだ。独学で音楽を学びドイツ留学を目指すが壁は経済的困窮。大きな転機は富裕なアリスとの結婚。勿論それまでもエルガーは辛苦の努力を怠ってはいない。1901年「威風堂々」完成。
ショパンにはジョルジュ・サンド、名だたる音楽たちの多くがパトロンに支えられた事実。そして世界的な名声を手にするに至った芸術家たち。これはみな先ず才能ありき、そこから始まっている。才能があっても埋もれてしまった芸術家も多くいるだろう。努力だけではどうにもならなかった芸術家たち。それを思うと涙が出る。そしてチャンスがあってもそれを放棄した幾人かがいただろう。画面を見ながら、そういう稀な人たちの人生に思いをいたしていた。
エルガーの「威風堂々」、いかにも堂々としている。
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きのうは気温が幾分下がったことで、これまで臆していた外仕事に終日没頭。汗、汗、汗。それも人生、これも人生。で、7時2分更新
2019/8/12クラシック倶楽部を聴く
小曽根真×富士山
~2019年2月4日・ハイランドリゾート グランドバンケット富士~
小曽根真
1961年神戸生まれ。1983年バークリー音楽大学ジャズ作、編曲科を首席で卒業。即興性の高いプレイスタイルでジャズからクラシックまで自在に弾きこなす。近年ではニューヨーク・フィル、N響とも共演。ジャンルの壁を超え世界的に活躍するピアニスト。
小曽根真 コメント
前半の4曲について。僕はもともとクラシックプレイヤーではまったくないので、クラシックを始めて、まあそれでも14、5年演奏させていただいてるんですけど、何とか弾ける曲を選びました。クラシックの場合、いちばん大事なことは譜面に書いてあることをちゃんと弾かなきゃいけないので、それがジャズとクラシックでは奏法が違うので、ジャズでいくら弾けてもクラシックのリクワイアメントしなきゃいけない、弾かなきゃいけない音を弾けるかどうかは全然違うんです。ですからあまり高度な曲、超絶技巧の曲を弾きたいんですけど、何とか弾けるんですけど、TVに収録できるだけの技術があるかどうか、ちゃんと自分の中で吟味しなければいけない。これがまず一つ。その中で、即興の要素をしっかりいただける曲にしたんです。コンポーザーとのこの対話が面白いんですけど、モーツァルトなんかは、僕が音を変えようとすると楽譜の向こうから、どうぞどうぞ、どうぞどうぞ、ここはその場所だよと投げてくる感じがある。で、バッハもショパンもスカルラッティも、ラヴェルはご自身で即興でもされてたと思うんですけど、要素がいっぱいあるんで、遊びしろというんですかね、それがいっぱいあるんですよ。なので今回は僕が弾く意味をちゃんと出せる曲を選ばせてもらいました。あとは自分の好きな曲ですけども、勿論、最終的に。
後半の4曲について。最近僕がよく口にする言葉がボーダーレスとかビョンドボーダーとか、要するに音楽という言語にはジャンルは必要ない、というふうにほんとうに思うんですね。特にこの15年クラシックという自分から、自分の中でのジャズのある意味対極にある音楽をやらせていただいて、クラシックの皆さん、音楽家の方にいっぱい助けられてもらってコンサートをやっていく中で、すごく感じたことは、言語の表面的なものはぜんぶ違うんですけど、すべて表現したいものは同じ。人間の気持ち、感情、物語というのがあって、ですから、ジャズと一口に言ってもラテンジャズもあればクラシックに影響を受けてジャズもあるし、ブルースから来たジャズもありますし、いまラップとかヒップホップというのがありますけど、もう完全にジャズから来てる音楽なんですよね。弾むリズムという自体がそうですから。ですから自分の中ではそのボーダレスで作ってきた自分のコンポジションを代表するような4曲、何かないかなと思って選びました。
富士山とのコラボについて。演奏中には富士山は見えないんですけど、自分の演奏を聴きながら、即興で演奏していくときに、ものすごくパワーを頂いている感じがしました。こんなこと言うと、おめでたいなと見てらっしゃる方に思われるかもしれないんですけど、今日ね、すごくうまく弾けたんですよ。テクニック的にうまいとかでなく、メロディーが次からつぎから聞こえてきたんですね。僕の場合は、自分が弾いているにも関わらず、自分が弾いていない感覚があるんですね。弾いてるのをお客さんとして聴いてる感覚があって、あ、これおもしろい、よくそんなこと考えたな、それいいじゃんとかいいながら弾くわけですよ。ほとんどが、演奏してるときに一緒に会場にいらっしゃる、たとえばきょうだと、このカメラの皆さんとか音声の皆さんとかのエネルギーを吸い取るように頂いて、そこからこう即興が出てくる。皆さんも含めて富士山の持ってるパワーを頂きながら今日演奏した感じがすごくありましたね。富士山のおかげです。有り難うございました。
☆「マズルカ イ短調 作品17第4」ショパン(小曽根真 編):作曲
☆「ソナタ ホ長調 K.20」スカルラッティ(小曽根真 編):作曲
☆「シンフォニア 第7番 BWV793」バッハ(小曽根真 編):作曲
☆「組曲「クープランの墓」から 前奏曲」ラヴェル(小曽根真 編):作曲
☆「NO SIESTA」小曽根真:作曲
☆「My Witch's Blue」小曽根真:作曲
☆「Mirror Circle」小曽根真:作曲
☆「Asian Dream」小曽根真:作曲
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いちど聴いたものではあるけれども、こんどはどんな印象がのこるかと聴きなおす。「My Witch's Blue」、冒頭クラシカルなピュアな響きの提示を、ジャズが、これはどうかね、割合いいだろうと問うている感じが。「Mirror Circle」、久遠とも聴こえる、謎解きが始まるがそれがジャズに撹拌され、やがて落ち着くところに落ち着くといった感じ。「Asian Dream」、時の波間に自然体で漂っている。一つ一つの音に風景が見える。
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名曲アルバム
「弦楽四重奏曲 第41番 第二楽章」ハイドン
アイゼンシュタットにあるエステルハージ宮殿で、ハイドンは29歳から30年間宮廷音楽家を務める。ハイドンは毎日のようにハイドン・ホールで自作を発表し、音楽好きのエステルハージ公を楽しませた。この曲もそうした時期の名作の一つ。
⛳きょうこそ音楽はそこそこにして伸び放題になった庭の草取りをと思っていたところが、やはり面白くて書いてしまった。 7時17分更新
きょうのことば
けさ4時の室温25℃。昨朝4時は29℃。たった一日でこんなに涼しくなりました。ナイアガラがちょっと甘みがします。蜂が来るまではまだ食べごろではありません。一気に秋に傾いたかに感じられる今朝です。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
8月4(日)の説教は『教会はキリストのからだ』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1:17~23でした。
1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。 1:20この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、 1:21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 1:22また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。 1:23教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
<説教>
(先週の復習は割愛いたします)
前回のエペソ書の1章17節、18節のところですが、これが前回の復習というよりも、ここをしっかりと捉えることこそが、きょうのメッセージの中心になるのではないかと思っております。
特に18節、「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、」、まずここにきょうのメッセージの始まりを持ってきたいと思っております。
「心の目がはっきりと見えるように」。これは第二コリントの書4章6節にも書かれてありますけれども、「「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。」。
前回、山崎さんという方のお話をさせていただきました。私自身とても大きな恵みをいただいた方です。念のためにネットで「山崎 レンズ磨き」と検索してみますと写真も出てきました。この人だ、間違いない、よく似ている。この人のお祖父ちゃんとそっくりなんです。ああ、山崎のお爺ちゃんは、確かにこの人のお父さんだと思いました。
この山崎さんは、当時のインマヌエルの丸の内教会、今は中目黒教会ですけれども、そこで蔦田真理先生と同年配の方で、蔦田真理先生を囲む何人かの同年代の方々と、私は青年会に関わっていましたが、お爺ちゃんをよく覚えております。ネットに出ている写真の方のお父さん、つまり山崎のおじいちゃん、この方は優れた研磨の技術をもっていました。今はコンピューターで為される時代ですが、当時は、レンズの歪みやひずみを手の感覚でやっていく。私は先代の山崎さんがいつ召されたのか、ずっと盛岡に来ておりましたので、知りませんでしたけれども。今は後継ぎの方がしっかりと継いでおられる。小さい頃からレンズを磨いており指が変形しておられました。
山崎さんのレンズ磨き、それは焦点がぼけていたり、傷がついたり、さまざまな問題のあるところを、丹念にきれいに磨いてくださる、まさにご聖霊様の働きがそれです。私たちは、聖霊の御手の中に、キリストにある作品として、お一人おひとりが、神のひとり子の尊い命と引き換えに、生かされ作られ磨かれているものです。あなたは私のものです、とおっしゃるお方は、ご自身の栄光を表すために、ご聖霊様がねんごろにねんごろに私たちを取り扱い、磨き、キリスト様がはっきり見えるように、天国の栄光がはっきりと見ることができるようにしてくださる。私たちには思わずも通らねばならない問題、試練、課題がある。できるならこんなところを通りたくなかった、神様を信じているのにどうしてこんな目にあうのでしょうかと問うてしまう。
しかし、現実問題に直面したなら、ああ、山崎レンズさんじゃないけれども、神様こういうところを通って磨いていてくださるんだな、ぴかぴかに。試練のさ中には、どうかこの試練をはやく取り除いてくださいと祈る。そこを通っているお一人おひとりを、神様は最善をもって磨いて磨いて、さあ、見えるようになったかね、どうだね、天の栄光はキリストの栄光が、と、神様は聖霊なる神様の御手にわたしたちを落とし込んでくださいます
きよめとは何でしょうか。色々な表現があるでしょう。だけれども、きよめというときに、この神様の手から逃げよう、もうこんなところになんかいたくないといって、それを拒むのはそれは罪です。好ましからざる境遇や環境に自分が置かれたとき、その理由はなぜかわからない、絶対にわからないのです。ダビデでさえ、詩篇の中で「主よ、いつまでこうなんですか」と訴えています。涙の革袋が裂けるまでに涙を流さねばならないくらいたくさんの辛いところを通ります。ダビデのいいところは、神様、イエス様なぜですかと叫んでいるところなんです。苦しく辛いときに神様という言葉が出てこない、もう信仰なんかと捨ててしまう。そうではなく、苦しい、もういやだというそんな中においても、神様を仰いで祈る、そこにダビデのきよめの器としてのすばらしさがあります。神様なぜですか、神様どうしてですか。なぜ私の友が私を裏切るんですか。なぜ昨日まで一緒に神の礼拝をしていた友が私を裏切るんですかというような中で、彼は、ダビデは、神様の御手の中で磨かれ磨かれて磨かれて、いよいよ神様をはっきりと見ることのできる器になっていくのです。
そして18節、もう一度注目していただきますが、「1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを」
どうぞ磨かれ磨かれ磨かれて、はっきり見えるようになるようにという事なんです。では、この「望み」というのはなんでしょうか。神の召しによって私たちはキリストに召された、呼び出された者たちです。教会とは、呼び出された者たちが集まっているところです。
エクレシアとは荒野から呼び出された者たちの集まっているところです。その神の召しによって与えられる望みとは。何のために私たちは呼び出されたのか、それは一時的な希望とか、一時的によくありたいといったような世の中的なものではない。究極的な望みのことです。私たちは、贖い主なるお方が天からこの世に王の王、主の主としておいでくださるのだという究極的な望みを持っている。その意味において、どうか私たちの心の目がいつでも、永遠的な、究極的な望みにしっかりとピントが合っているように。ただ一時的な世の中的な望みというのではなく、はっきりと見えるように、あなた方はクリスチャンになった、罪がゆるされた、そして、このお方が王の王、主の主として、私たちのこれからに与えられるお方なのだ、これが究極的な望みです。どうかそのことがはっきりわかるように。それから同じようなことですけれども、将来的なこととして、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んでいるものなのか。あのルカの15章の放蕩息子という有名なたとえ話があります。放蕩息子は地上的な一時的なものに心を奪われ、お父さんのもとから離れていきました。しかし、豚飼いになるという当時のユダヤ世界では卑しい仕事とされていた身分に、ほんとうに落ちるところまで落ちてしまった。何もなくなった時に、はっと彼は気が付いた。お父さんのところには、雇人、食べ物が有り余っているのに、子どもである私には、食べるイナゴマメさえもない。お父さんのところに帰ろうと決心します。帰っていったとき、お父さんは、よく帰って来た、あなたの帰ってくるのを待っていたんだと大喜びをした。そして、ぼろぼろの着物を着た息子に、いちばんよい衣を着せ、後継ぎとしての指輪をはめさせ、履物をはかせた。私の世継ぎなのだ。私たちがどれほどの祝福の世界に、世継ぎとして栄光に富んだ嗣業をいただくことになることか!
どうですか皆さん方、心の目が、かすみが、だんだんだんだん磨かれて磨かれて、そうだ、私の将来にはこのようなものが待っているんだ。何という祝福だろうとわかりますか?
私は、初代総理であった蔦田二雄先生が、天に帰るまえの丸の内教会での礼拝のことを覚えています。保存してある古いテープで聴くこともできますが。
丸の内教会の会衆席の前の方にはご婦人方が座っておられました。和服の方々が履物を脱いで正座しておられるすがたが珍しくない。そのうちのお二人が、船橋でインマヌエルの始まりになった開業医をしておられる双子の長谷川姉妹でした。蔦田先生が、この双子の姉妹の口調、声色をまねて天国がどんなところかを語ったことがあります。天国とはどういうものか、天国がこういうものだとかああいうものだとか言えば言うほど価値が下がる。あなたが天国とはこんなものだと言ったって、それはあなたの理解の精いっぱいのことであって、言えば言うほど価値が下がってしまう。天国というのは「ンまあ! ンまあ!」というのが天国だ。それが蔦田先生の地上生涯における最期の礼拝メッセージになりました。どれほど栄光に富んだものであることか!
そして、こんど19節「1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」
これは、神の大能の力というものがどんなに優れて大いなるものであるか、あなた方が知ることができるようにとパウロが祈っているのです。そして、その神の大能の力が何であるのかということが20節、「1:20この大能の力を神はキリストのうちに働かせて」といって、「キリストを死者の中からよみがえらせ」た力。その力が、あなた方にも働いている、あなた方、それを知っていますか? 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなた方は力を受けます」というその力をあなたは知っていますか? 主よ、どうぞその大能の力、信じる者に与えられる神のすぐれた大いなる力がどれほどなのか、もっともっと知らせてください。私は渇いています。神の力を、主よ、そのように知らせてください。心の目がはっきり見えるようになるために、私たちは聖霊様の手にあって磨かれ磨かれ磨かれ、或いは二重に見えるところが調整されて、キリストの栄光が天の栄光がたまにずれていると、悪魔が世の中の栄光を見せて、ほら、そんなに神様神様というよりも、もっといいことがあるじゃないか、と惑わされ二重に見えてしまう。でも、それをぴちっとフォーカスを合わせて、ああそうだ、これが福音の大きな恵みなのだということがわかるように信仰を働かせましょう。
説教題である「教会はキリストのからだ」については、後にお委ねすることとして、きょうは、ここまでのお話しとさせていただきます。
一つ例話をもって締めくくります。お亡くなりになった田部井淳子という登山家がいらっしゃいました。この方がまだ学生時代だったころ、仲間たちと一緒に美ヶ原高原に行きました。リーダーは田部井さんです。
私は長野県松本市の出身、地元ですから、美ヶ原のようすはよくわかります。自宅から、友達は下駄を履いて、私はふつうの運動靴をはいて、朝7時ごろに作ってもらったおにぎりを持って、12時ぐらいには頂上に着いて、というような気軽に出かけられるところで、遭難するようなところはまったくない。いちばん安全な道です。ところが、美ヶ原は、また霧の名所でもある。田部井さんが仰った、ここから何分か歩けば必ず大きな山小屋、ホテルのようなところですが、それに着くはずだというのでルンルン気分で歩いていたところが急にふわーっと霧に巻かれてしまう。霧がミルクのように流れる。自分たちがどこにいるのか全く分からなくなった。田部井さんも、わー、困ったなーと思ったけれども、リーダーである自分が困ったというと皆が不安になるので、「平気よ、霧が晴れるまで歌でも唄いながらここでちょっと休みましょう」と、内心は、もうすぐそこまで来てるはずなんだけど、ないなーと思いながらいる。それが、休んでいるうちに霧がぱーっと晴れた。晴れたら、何と目の前に大きなホテルがあって、何だここまで来ていたのに、霧でぜんぜん見えなかった、となった。霧が晴れるとのどかな牛の啼き声が聞こえてきたり。間違ってなかった、良かったと思ったと。印象深く記憶にのこっています。
信仰生活の中で、私たちは霧にまかれることはないと思っても、実際そういう事はあり得る。でもそのときに、どうか信仰をしっかり持って、聖書のみことばと、お祈りと、神様の御心を求めながら行くときに、はっきりと見えることがあるのです。
では、みなさんでご一緒に18節、19節をお読みいたしましょう。
「1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」
2019/8/9no 野菜の収穫
こんなに野菜が収穫できました。と書き、写真を入れようとしたところ、“アルバム”にはうまくつながっていないらしい。
更新プログラムの構成でPCは数回起動という事で、待っていたところが、終了後はこんな調子。
トラブルかな~
2019/8/9クラシック倶楽部を聴く
北海道浦河町公開収録 ズーラシアンブラス演奏会
(金管五重奏)ズーラシアンブラス
浦河町総合文化会館 大ホール(北海道)2017年7月1日(土)収録)
ズーラシアンの方々。ほんとうはこの方々。個々の紹介もでたのですが、慌ててしまい取り逃したのが残念!
☆「「ウィリアム・テル」序曲」ロッシーニ:作曲、三澤慶(みさわ・けい):編曲
☆「気のいいあひる」ボヘミア民謡:作曲、石川亮太(いしかわ・りょうた):編曲
☆「おんまはみんな」アメリカ民謡:作曲、石川亮太(いしかわ・りょうた):編曲
☆「トランペット・ラブレター」石川亮太:作曲
☆「アルプス一万尺」、アメリカ民謡:作曲、石川亮太:編曲
☆「剣の舞」ハチャトゥリヤン:作曲、高橋宏樹(たかはし・ひろき):編曲
☆「モーツァルトだよ人生は」モーツァルト:作曲、高橋宏樹:編曲
☆「金管大相撲」石川亮太:作曲
☆「静かな湖畔」、スイス民謡:作曲、大塚子龍(おおつか・しりゅう):編曲
☆「襟裳岬」吉田拓郎:作曲、山口尚人(やまぐち・ひさと):編曲
☆「お江戸日本橋」、日本民謡:作曲、石川亮太:編曲
☆「こげよマイケル」、黒人霊歌:作曲、石川亮太:編曲
🎵
人口12000の浦河町、いちご栽培、あれは優駿ビレッジだったろうか、乗馬が紹介されていた。この町にやってきてくれたズーラシアン。いちど見た映像ではあるけれども、何度見てもやさしく楽しい。絶滅危惧種の動物たちの登場、あらら、それじゃ自分もステージに並ばなくちゃ。だけど楽器ができない。
編曲が重要な役割を果たし、それを生かし切った数々のパフォーマンスの楽しさ。飽きさせないのだ。動物さんたちの内側は、暑いだろうな~、大変だろうな~
最初の部分をちょっとだけ見落としてしまった。
病を克服し作曲されたという。
⛳7時5分 更新
2019/8/8クラシック倶楽部を聴く
福井県福井市公開収録 パイプオルガンとバロックの調べ
福井県立音楽堂 ハーモニーホールふくい 大ホール(2017年5月14日)
1997年会館。館内には越前和紙、漆工芸など福井の伝統工芸によるアートオブジェが飾られる。
福井県立音楽堂 ハーモニーホールのパイプオルガンは、2004年4月に完成。高さ約10m、幅約11m、奥行き約5、4m。パイプはぜんぶで5014本。音色を切り替える装置「ストップ」の数は70。楽譜に書かれた音色の指示や演奏者の考えによって音色を組み合わせる。1つの曲の中でも曲想の変化によって音色を変化させていく。演奏にさきだち音色を選ぶレジストレーションにオルガニストの個性があらわれる。本番の演奏では、アシスタントがタイミングよく音色を切り替えていく重要な役割を果たす。
山本真希 神戸、ドイツ(フライブルク・シュツットガルト)、フランス(ストラスブール)でオルガンを学ぶ。2005年ドイツの第一回ランツベルク国際オルガン・コンクール第3位受賞。2006年4月からりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館専属オルガニスト。大阪の相愛大学で後進の指導にもあたる。
コメント この福井のオルガンは大型で、とても色々なストップがあって、すごくロマン派の音楽が合う楽器だなという印象を受けましたので、そういったものとみなさんなじみのあるバッハの作品などを選んでみました。スケールの大きな壮大な荘厳な響きから、繊細なデリケートな響きまで、音量の幅も広いですし、すごくこの楽器は美しい楽器で、いろんな可能性を持っていますので、そういった色々な音色の違いだったりとか、響きをお楽しみいただければと思います。大オルガンの迫力ある響き、そして、ポリティブオルガンの素朴な響き、そしてアンサンブルとの共演、そういった盛りだくさんのコンサートです。
藤木大地 2017年4月日本人のカウンターテナーとして初めてウィーンの国立歌劇場にデヴュー。バッロックから現代まで幅広いレパートリーで国際的に活躍。
コメント よく持たれるイメージとしては、天使の声、とか天からの声とか、純粋なものとかそういう表現をされることが多いんですけれども、それは意図的にやっているわけではなくて自分の楽器を使ったせいから出た音とか音楽が、そういうふうにとらえられるというのはほめことばではあるけれども、特に特別なことだとは思っていません。
今回の3人の初共演について、恐らく3人が3人ともそれぞれ一緒に音楽をするわけだから、それぞれが溶け合うように、同じ音楽の中に存在するように、それぞれが気を付けて聴き合いながらやってることだと思うので、そういった意味でよいものが出ると思うし、音色も音楽もよいものが出るんじゃないかと思います。
前田りり子 1999年ベルギーのブルージュ古楽国際コンクールで第2位受賞。ソフィオ・アルモニコ、バッハ・コレギウム・ジャパンなど多くの古楽グループで演奏活動。
コメント フラウト・トラヴェルソは指孔が7つしかありません。これは言ってみればちょうど鍵盤の8鍵にあたるドレミファソラシという音に対応する孔だけがある。じゃ、それ以外の黒鍵にあたる音も出すことはできるんですけれども、対応する孔がないので、どうしても音色がこもったり、音程が悪くなったりするわけです。そうすると対応する孔がある音とない音に個性が出てくるということなんです。作曲家はそのことをよく知っていて、その上でバッハは音楽を書いたわけなんです。ですからバッハの曲なんかをするときは、その当時の楽器で弾くと、バッハがイメージしていた曲がより表現できるんじゃないかなというのが特徴です。
☆「“テ・デウム”から“前奏曲”」マルカントワーヌ・シャルパンティエ:作曲、ウィランド・ケスラー:編曲
(パイプオルガン)山本真希
マルカントワーヌ・シャルパンティエは17世紀後半のパリで活躍した音楽家。特に宗教音楽やオペラの分野で名作をの残した。1690年頃に作曲された「テ・デウム」の前奏曲は威勢のいい快活な音楽で有名。
☆「主よ、人の望みの喜びよ」バッハ:作曲、グレース:編曲
(パイプオルガン)山本真希
マイラ・ヘスのピアノ編曲版によって広く知られる「主よ、人の望みの喜びよ」、原曲はJ.S.バッハのカンタータ第147番「心と口と行いの命」の第6曲や第10曲とされる。今回はイギリスのオルガニスト、ハーヴィー・グレースの編曲。
☆「幻想曲 ト長調 BWV572」バッハ:作曲
(パイプオルガン)山本真希
J.S.バッハが、1708~17年頃、ドイツ・ワイマールの宮廷オルガニストをつとめて頃の作品。オルガンのために書かれた作品で、急、緩、急と速度の異なる3つの部分からなる。
☆「マイスタージンガーによる祝祭音楽」ワーグナー:作曲、カークエーレルト:編曲
(パイプオルガン)山本真希
☆「アヴェ・マリア」バッハ/グノー:作曲
(カウンターテナー)藤木大地、(パイプオルガン)山本真希
欲し「無伴奏フルートのためのファンタジー 第8番 ホ短調」テレマン:作曲
(フラウト・トラヴェルソ)前田りり子
☆「フルート・ソナタ ロ短調 HWV376」ヘンデル:作曲
(フラウト・トラヴェルソ)前田りり子、(ポジティブ・オルガン)山本真希
☆「賛歌“いま太陽は その光を覆い”」フラー:作詞、パーセル:作曲
(カウンターテナー)藤木大地、(フラウト・トラヴェルソ)前田りり子、(ポジティブ・オルガン)山本真希
オルガン、カウンターテナー、フラウト・トラヴェルソのトリオは、バロック時代にはあまりない組み合わせ。ここからは、指揮者、鍵盤奏者、作曲家の鈴木優人の監修による3つのトリオ曲となる。
いま太陽はその光を覆い隠し
眠りにつくよう世の人々に告げた
柔らかな柔らかな寝台に
わが身体を
柔らかな寝台に納めるとしよう
だがわが魂が憩うのは いずこであろう
親愛なる神よ あなたの腕の中に
あなたの腕に抱かれる以上に
甘美なる安息の地があるだろうか
あなたの腕の中以上に
甘美なる安息の地があるだろうか
さあ眠れ わが魂よ
歌おう
また一日 生き長らえた恵みをたたえて
ハレルヤ
(訳 多田茂史)
☆「歌劇“オルフェオとエウリディーチェ”から“エウリディーチェを失って”」グルック:作曲
(カウンターテナー)藤木大地、(フラウト・トラヴェルソ)前田りり子、(パイプオルガン)山本真希
☆「歌劇“クセルクセス”から ラルゴ“なつかしい木陰”」ヘンデル:作曲
(カウンターテナー)藤木大地、(フラウト・トラヴェルソ)前田りり子、(ポジティブ・オルガン)山本真希
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けさの1時間は至福だった。これ以上何を言う必要があるかとの思いになり、嘆息しながら30分のコーヒーブレイク。やはりもったいと書き留める。いくら書いても楽しい気分が尽きないが、きりがないのでここまでに。信仰も神と共に憩い休むようであれば本物かと。パイプオルガン、トラベルソ、カウンターテナー、いいね!!
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名曲アルバム
バイオリン協奏曲「鐘」パガニーニ作曲
【バイオリン】木野雅之,【指揮】飯守泰次郎,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
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2019/8/7クラシック倶楽部を聴く
吉井 瑞穂 オーボエ・リサイタル
秋田県大仙市公開収録
(オーボエ)吉井 瑞穂、(ピアノ)岡 純子
吉井 瑞穂 神奈川県鎌倉市出身。14歳からオーボエを始める。東京芸術大学入学後、渡独。カールスルーエ国立音楽大学でトーマス・インデアミューレに師事。在学中、第66回日本音楽コンクールで優勝および特別賞受賞。イギリス、ワイト島国際オーボエコンクール、日本管打楽器コンクール入賞。カールスルーエ国立音楽大学を首席で卒業後、カラヤン財団より奨学金を得て、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でエキストラ奏者を務める。世界的な指揮者のもとで演奏。「ハイムバッハ音楽祭」に招かれるなど、積極的に活動している。07年のザルツブルク音楽祭では、フィッシャーの《オーボエ協奏曲》でソロデビュー。各新聞で絶賛された。いままでに、シュトゥットガルト放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ケルン放送交響楽団、フランクフルト放送交響楽団などでソロ・オーボエ奏者として出演。野村財団や文化庁から海外派遣奨学金を授与される。(トッパンホールより転載)
コメント(抜粋) 最後の曲は、平和と音楽のもたらすことのできる何が芸術で世の中のお役に立てるのかを自分に問いかけつつ皆さんと一緒に考えられたらいいなと、この曲、「オーボエとピアノのための組曲」を選んでみました。
岡 純子 10歳からピアノを始める。
大阪音楽大学卒業。在学中にオペラハウス管弦楽団と共演。
ジュネーブ音楽院伴奏科においてディプロム取得。第41回ティボールヴァルガ、ヴァイオリン国際コンクール公式伴奏者。西安国際オーボエフェスティバル公式伴奏者。
第10回および11回 国際オーボエコンクール・軽井沢公式伴奏者。第36回37回草津国際夏期音楽アカデミーでヴァイオリンクラス、ファゴットクラスのアシスタントピアニストを務める。
第23回浜松国際管楽器アカデミー&フェスティバルでアシスタントピアニストを務める。
現在、海外アーティストとの共演、CD録音、室内楽、FMリサイタルノヴァ伴奏、関西主要オーケストラのエキストラなど幅広く活動。(OBOEより転載)
☆「オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370」モーツァルト:作曲、ピーター・ホジソン:編曲
☆「シチリア舞曲 作品78」フォーレ:作曲、アンリ・ビュッセル:編曲
☆「歌劇「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」」ボロディン:作曲、グラハム・バスタブル:編曲
☆「風笛」大島 ミチル:作曲、荻野 松宣:編曲「映画「ミッション」から「ガブリエルのオーボエ」」モリコーネ:作曲
☆「オーボエとピアノのための組曲 作品17」パヴェル・ハース:作曲
パヴェル・ハースはナチス軍の占領下にチェコ北部のテレジン強制収容所に入れられた後アウシュヴィッツへ移送され、1944年ガス室でその生涯を閉じた。「オーボエとピアノのための組曲」は、第二次大戦が始まる1939年に作曲された。
☆アンコール「千の風になって」新井満:作曲、荻野松宣:編曲
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オーボエとピアノはなかなか聞く機会がないが、やわらかな音色に癒された。
後半のみの視聴となった。大仙市がどのように紹介されるかも興味があったのだが。いきなり一作曲家がアウシュビッツで抹殺されたところからでショックだった。
パヴェル・ハース:チェコのユダヤ人の靴職人ジクムントと、オデッサ出身のオリガ・エプシュテインの子として、チェコ語を母語として生まれ育つ。 14歳からブルノで正規の音楽教育を受ける。1919年から1921年ブルノ音楽院でヤン・クンツとヴィレーム・ペテルジェルカに学び、その後2年間レオシュ・ヤナーチェクの私塾で研鑽を積んだ。それ後20年の間に50曲以上が作曲されたが、作曲者自身によって作品番号を与えられたのは僅か18曲であった。家業の靴製造を手伝うかたわら、あらゆる種類の作曲にたずさわり、《交響曲》や合唱曲、歌曲、室内楽、映画音楽(「犬の生活」のための音楽)、舞台音楽、歌劇《サルラタン Sarlátan 》を創り続けた。1941年にテレージエンシュタット強制収容所に送致され、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で処刑された。《交響曲》は長らく未完成のまま放置されたが、1994年にズデニェク・ゾウハルにより、ハースの作曲様式を踏まえてオーケストレーションを施された。ハースの作品は、ボヘミアやモラヴィアの民俗音楽に根差しており、時折りユダヤ人の民謡にも似た趣きがある。テレージエンシュタット時代の作品は僅かに8作が遺されたにすぎない。(wikipediaより転載)
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名曲アルバム「アヴェ・マリア」シューベルト作曲、スコット作詞、山岸茂人編曲
【ソプラノ】森麻季,【ピアノ】山岸茂人
王に追放された父のために祈る乙女
⛳保存を押したところ、更新がならず、またワードから転載しなおし。ブログの不安定さ。九州が気になる。忙しい朝の更新。7時13分。
2019/8/6クラシック倶楽部を聴く
沖縄県南城市公開収録 砂川 涼子&与儀 巧 デュオ・リサイタル
(ソプラノ)砂川 涼子、(テノール)与儀 巧、(ピアノ)栗原 正和
~2017年9月22日 南城市文化センター シュガーホール~
砂川 涼子
沖縄県宮古島出身。武蔵野音楽大学大学院修了後、イタリア、ミラノで研鑽を積む。日本を代表するソプラノ。
コメント 海の美しさ、空の澄み切った感じ、マンゴーのきらきらしている瑞々しさ、彩とかも見ているだけで元気になりますし、いつも当たり前のように接してきたものが私の心の中にある沖縄、ふだん意識していないところもありますけれども、そういうものが無意識のうちに私に元気をくれているのかもしれないと思っています。
「ばんがむり」は、宮古島の方言を使った歌。ふだん会話の中に使うことばじゃないんですが、やわらかい響きだったり、うちの母だったり、祖母だったり、生まれてきた子供にやさしい声で歌ってくれていたということを聞いていたので、そういうものが私も表現できたらいいなと思っています。
与儀 巧
沖縄県金武町出身。国立音楽大学大学院修了。イタリア、ボローニャに留学。全国各地で活躍。
コメント 沖縄は、お祝いやお祭りで必ず親戚のおじさん、おばさんがやってきて、三振弾いて歌って、太鼓叩いて。最後はみんなで躍る。そういう風習がありますので、舞台人として人を喜ばせたり自分をさらけだしたり、そういう舞台人として必要な要素は、沖縄で、誰にも教えてもらわなくても自然と培ってきたんじゃないかなと自負しております。
「芭蕉布」は、僕が中学生の時に、金城のイベントでハワイの方で独唱させていただいたとき、それを歌ったときに、そこのハワイの方々が一緒に口ずさんで、中には涙を流しながら喜んでくださった方がいらっしゃる。沖縄と本州をつなぐ曲のひとつではないかと思って、今後も歌い継いでいきたいと思っております。
☆「禁じられた歌」ガスタルドン:作曲
☆「芭蕉布」吉川安一:作詞、普久原恒勇:作曲、中村透:編曲
沖縄の自然と歴史を描いた歌。
海の青さに空の青
南の風に緑葉の
芭蕉は情けに手を招く
常夏の国 我した島 沖縄
首里の古城の石畳
昔を偲ぶ かたほとり
実れる芭蕉 熟れていた
緑葉の下 我した島 沖縄
今は昔の首里天じゃなし
唐を紡ぎ はたを織り
浅地紺地の 我した島 沖縄
☆「ばんがむり」宮古島民謡:作曲、中村透:編曲
宮古島の子守歌
我んが守り ぷとぅわさば ヨ~イヨィ
(我が子守をしてあげるから)
姉が漕ぎ ぷとぅわさば ヨ~イヨ~ホイイ
(お姉さんがあやしてあげるから)
同士ぬぱな 生りゃしょぅてぃ ヨ~イヨィ
(友達に抜きんでるような)
あぐぬぱな 生りゃしょぅてぃ ヨ~イヨ~ホイイ
(同級生たちに抜きんでるような)
島うすい 照りゃがりゅぅてぃ ヨ~イヨィ
(島で知られる立派な人になって)
国うすい 照りゃがりゅぅてぃ ヨ~イヨ~ホイイ
(国で知られる立派な人になっておくれ)
☆「童神」古謝美佐子:作詞、佐原一哉:作曲
天からの恵み 受けてぃ 此ん世界に
生まりたる産子 抜身ぬむい育てぃ
イラヨ~ヘイ イラヨ~ホイ
イラヨ~ 愛し思産子
泣くな ヨ~ヤ ヘイヨ~ ヘイヨ~
太陽ぬ光受きてぃ
ゆういりヨ~や ヘイヨ~ ヘイヨ~
勝さあてい給り
夏ぬ節来りば 涼風ゆ送てぃ
冬ぬ節来りば 懐に抱ちょてぃ
イラヨ~ヘイ イラヨ~ホイ
イラヨ~ 愛し思産子
泣くな ヨ~ヤ ヘイヨ~ ヘイヨ~
月ぬ光受きてぃ
ゆういりヨ~や ヘイヨ~ ヘイヨ~
大人なてぃ給り
雨風ぬ吹ちん 渡り此ん浮世
風かたかなとてぃ 産子花咲かす
イラヨ~ヘイ イラヨ~ホイ
イラヨ~ 愛し思産子
泣くな ヨ~ヤ ヘイヨ~ ヘイヨ~
天ぬ光受きてぃ
ゆういりヨ~や ヘイヨ~ ヘイヨ~
高人なてぃ給り
☆「歌劇「愛の妙薬」から 二重唱「ララ、ラララ」」ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」」プッチーニ:作曲
☆「歌劇「ルイザ・ミラー」から「穏やかな夜には」」ヴェルディ:作曲
☆「歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から「私は神のいやしいしもべです」」
チレーア:作曲
☆「歌劇「アルルの女」から「ありふれた話」(フェデリコの嘆き)」チレーア:作曲
☆「喜歌劇「メリー・ウィドー」から「メリー・ウィドー・ワルツ」」レハール:作曲
☆「てぃんさぐぬ花」沖縄民謡:作曲、中村透:編曲
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アリア、圧巻。「愛の妙薬」は泡盛で盛り上がる。「メリー・ウィドー・ワルツ」日本語版で会場からは喝采、アンコール。沖縄の子守歌には子の将来への熱い願いが込められていた!
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名曲アルバム
カルメンから「ロマの踊り」ビゼー作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】角田鋼亮
⛳7時42分 更新
2019/8/5kurasikku 2019/8/5クラシック倶楽部を聴く
北海道中標津町公開録画 金子三勇士ピアノ・リサイタル
2019年6月16日北海道 中標津町総合文化会館
中標津町は酪農の町。飼育頭数は人口よりも多い。人口は23,000。郷土館には開拓時代からの品々が展示されている。本格的な開拓が始まったのは明治末期。1937年標津線開通。1989年標津線廃止。かつての中標津駅の跡地に中標津町総合文化会館しるべっとホールが建てられた。
金子三勇士
1989年日本人の父とハンガリー人の母とのもとに生まれる。6歳からハンガリーと日本で音楽を学び現在は国内外で活動。6歳のとき単身ハンガリーに渡る。数々のコンクールで優勝。国内外のオーケストラと共演するほか、ソロ、室内楽でも活躍している。
コメント 中標津はハンガリーのような風景。6歳から自分自身もハンガリーの祖父母の家、山の奥の何にもないところで暮らしてたんですけど、その景色にものすごく似てますね。遠くの方に牛さんがいたり、自然の中だったからこそ、ピアノと向き合う時間も自由に取れましたし、たぶん、音楽的なイメージをするとき、作品を弾くときに景色をイメージするときというのは、ある意味で自分の原点ですよね、この自然豊かな環境は。
リストはバルトークの次に音楽世界を感じさせてくれた作曲家で、バルトーク音楽小学校の次には、リストが立ち上げたリスト音楽院で5年間学ばせていただいたんですが、如何に彼が偉大な作曲家、偉大な人物だったかというのを意識させられたことがとてもよかったかなと思いますし、一人でも多くの方々に本来の、本当のリストのすがたを知って欲しいなという思いで、今回も多めにリストの作品を選んでみました。
今回、後半のプログラムには、リストのロ短調ソナタという31分ぐらいの長い作品を選んでおり、最高傑作と言ってもオーバーじゃないかなと思ってるんですけど、彼の人生観、或いは音楽家としての生き方、人間としての生き方、すべてが詰まっているような作品でして、18歳の時に弾いたこのロ短調そなた、或いは20代の時に弾いたロ短調ソナタ、で、この先、30代、40代、50代、何歳まで生きるかですけど、70代、80代で弾いたロ短調ソナタがどういう風に変化していくのかというのを、ずっと人生をかけてお付き合いしていく大事な曲かなと思っていまして、10年ごとのこのロ短調ソナタを皆さんに是非楽しんでほしいなと思います。
☆「「ミクロコスモス」から「オスティナート」」バルトーク:作曲
ハンガリーを代表する作曲家バルトークが息子の練習のために作曲したといわれる「ミクロコスモス」。バルトークは金子が2歳の時に音楽に目覚めるきっかけとなった作曲家でもある。
☆「練習曲 ハ短調 作品10第12 「革命」」ショパン:作曲
☆「前奏曲変ニ長調作品28第15「雨だれ」」ショパン:作曲
☆「「パガニーニによる大練習曲」から「ラ・カンパネラ」」リスト:作曲
☆「ピアノ・ソナタ ロ短調」リスト:作曲
リストが40歳頃で作曲したこの曲は、発表当時賛否両論を巻き起こしたが、現在はピアノ・ソナタの傑作として知られる。
🎵それぞれの曲に、彼の原風景と思われる音色を濃く感じた演奏、ただリストのロ短調はやはりただならぬ思い入れ。思えばひとりの作曲家、演奏家を追い突き詰めたことのない自らが物寂しく思われる。10年ごとのロ短調に出あい、その違いを玩味できたなら幸いだが。
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名曲アルバム
「森のスケッチ」マクダウェル作曲
【ピアノ】浦壁信二
マクダウェルの妻は
きょうのことば
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
7月28(日)の説教は『栄光にあふれた嗣業』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1:15~23でした。
1:15こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので、 1:16祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています。1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。 1:20この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、 1:21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 1:22また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。 1:23教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
<説教>
(先週の復習は割愛いたします)
きょうはエペソ書の1章15節のところから入ってまいります。
「1:15こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので、」という書き出しになっております。やはり、パウロはここでも信仰、これは「主イエスに対するあなた方の信仰」、それから、「すべての聖徒に対する愛」、この二つがバランスよくパウロに理解されております。私たちは、このバランスというものを、非常に意味のあることだと思います。
ある方々は、イエス様に対する信仰だけに注目をし、同じ主にある仲間たちとの交わりに無頓着である場合がある。そんなのあまり意味がない、大切なのは主イエスに対する信仰なのだとしている。確かに主イエスに対する信仰は大切です。しかし、それと共に、おなじ信仰に立つ者への愛も大切です。それぞれの人たちのために祈り交わりを持つべきです。パウロは、この二つのことを、「エペソの人たち、このバランスが大切なんですよ」と教えている、このことを先ず私たちが心に留めさせていただきましょう。
そして次に、「1:16祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています。1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」と続きます。聖霊のあることすら知らなかったエペソの人たちに、パウロはここでしっかりと福音をのべ伝えています。ローマの獄中から自分が産み出したともいえるエペソ教会に、いまこうして「神を知るための知恵と啓示の御霊」を書いている。ここでもやはりパウロはバランスがとれていると思うのです。「神を知るための知恵」とあります。それから「啓示の御霊」。この場合の「知恵」は神様を知るための「知恵」です。ただ、世の中での一般的な知恵、世学を神様のこととは関係がないからと価値を認めないなどという極端に走ってはいけません。世の中での一般的な知恵、世学もまた大切なものとして受け止めるべきです。それを通してもまた「神を知るための知恵、知識」に心が開かれますように。しばしば私は聞いたことがありますが、科学者たちが学問を突き詰めていくと、真理のそこに神様という存在を認めざるを得なくなるそうです。世の中の学問に真剣に取り組んでいくと、そこに神様というお方を見出さざるを得なくなる。そのような意味の神を知るための知恵、或いは、知識というものが大切だと思っています。
それと、「啓示の御霊」とあります。これは学問を突き詰めていってわかるものではありません。それとは反対に神様の側から示してくださる。それまで私たちにはベールで隠されていたのが、その覆いのベールがあげられて、ああ、こういうことだったのですね、と分からせてくださる。啓示について、救いについて、メシアについて真剣に学んできたことを、なるほど、こういう事だったのですね、というように、それまで閉ざされていたベールをさっと開いてわからせてくださる。パウロは、この「御霊」がそれぞれにあたえられるようにと祈っているのです。
「1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」
そして18節には
「1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、」とあります。この「心の目」という表現は、聖書の中ではエペソ人への手紙にしか見出すことができません。私たちはクリスチャンとなって聖霊が与えられ、「心の目がはっきり見える」ようになっているとあります。「はっきり見える」、この意味を考えておりましたところ、丸の内教会時代のことを思い出しました。
先ごろ音響設備を整える関係で後ろの棚を整理しておりましたところ、永井良子先生のCDが出てきました。私が丸の内教会にいた当時、奏楽をしてくださっていました。礼拝が始まるまえにこの曲を流しました。聴くうちに半世紀も前のさまざまなことが思い出されました。
インマヌエル綜合伝道団の丸の内教会は現在の中目黒教会の前身です。千代田区のビジネス街にある新国際ビルの9階にありました。昭和40年代でいいますと有楽町駅の皇居側の出口のすぐ前がそごうデパートで、その交差点を越えたすこし皇居寄りに新国際ビルという大きなビルがありまして、そこの9階でした。ビジネス街ですから、そこに入っている会社はみな日曜日は休みでした。丸の内教会は、礼拝のある日曜日と祈祷会のある木曜日だけこのビルの9階を借りて、そこを教会としていたという、実にイレギュラーなところでありました。初代の蔦田二雄代表は、これを何とか一つの会堂にとのビジョンをもっておられたことを思い出します。
日曜の礼拝がどのようであったか。まず横浜の聖宣神学院の神学生たちが車や電車で9時半ごろには着くようにやってきて、守衛さんに教会の者であるという証明書を提示して中に入れてもらい、礼拝の会場準備に当たります。一般の信徒の方々も同様に証明書提示です。会場では約300席の椅子が並べられます。その並べた椅子を拭くのです。あとはマイクの準備をしたり。奏楽の準備、これは永井先生でした。男子、女子神学生の仕事はだいたいこのようでした。
そこに必ずひとりの一般信徒の方がいらっしゃいました。山崎さんというお齢を召した細身の小柄なご老人です。神学生が椅子を並べるところで、「はい、こっち、こっち」「まっすぐ、まっすぐ」「ああ、そんな(椅子の)拭き方じゃダメだ」と一生懸命やってくださる。何しろ年配の方なので心配でもあり、「けっこうですよ」と奉仕を代ろうとするのですが、「これが俺の楽しみなんだよ、椅子を拭かせてくれよ」とほんとうに楽しそうに仰る。そして10時半になると一般信徒の方々が集まってくるのですが。
この山崎さん、後で知ったのですが、日本でも指折りの卓越した技術を持つ精密工学レンズを磨く職人さんだといういうことでした。ほんの僅かなひずみ、ゆがみを触って確かめ磨いてゆくのだそうです。
いわんとすることは、私たちも、山崎さんのような人によってレンズを磨いてもらう必要がある。私たちは確かにイエス様を知ることができています。救われて喜んでいます。しかし、世の中で生活し、地上生涯を歩んでいるときに、レンズにほこりがついていたり、軽い衝撃にあって、使っている人にはわからないけれども、プロの目から見ると、ああ、これはダメだと、磨きなおさなければならないことがないでしょうか。
「1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」
どうですか? 私たち、神の召しによって与えられる望み、これがはっきりと見えていますか。この望みとは、イエス様の再臨に関わる生ける喜び、望み、そして聖徒たちが受け継ぐ嗣業。天国にある豊かな嗣業が、私たちにはっきり見えているでしょうか?
19節の「1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるか」、これがはっきり見えていますか?
この問いかけを、きょうのメッセージの締めくくりにさせていただきたいと思うのです。私たちは、はっきり見えていますか?
世の中のあのこと、このことは、どうしてもせねばならないことですけれども、或いは、目にひずみやくもりができてはいませんか? しっかりと磨いてよく見えるようでありたい。パウロはそれを祈っているのです。
「1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、 1:19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」
この次の礼拝に集われるとき、この光栄に満ちた喜びに、勇んで、山崎さんではありませんけれども、ほんとうに主を愛し、主に仕えることを喜びとするクリスチャン信仰生活を共に歩ませていただきたいと思うのであります。
イーハトーブの畑事情
ヒマワリとヒマワリの中間地帯がわが家の畑です。児童文学を趣味とする主人が、今一つの趣味をと始めたものです。それがこの夏、主人は休養の必要を生じました。そこで私が代行しなければならないところ。
ジャガイモを掘り上げました。日ごとに巨大化したキュウリを、どう扱ったらよいかに戸惑いながら収穫。スナックエンドウ、サヤインゲン、ミニトマトが旬です。
草取りだけがお手上げです。一面にずんずんどんどん伸び放題に居丈高に生い茂った草。草を放っておくと周りの畑の方々にも迷惑が及ぶのです。それで昨夕5時ごろに行って、隣接するところから片付けたのですがなかなか。汗は流れる時間は流れる。さほど取らないうちに6時。この辺りに親子連れのシカ5頭が出没したという情報。人は襲わないのではと思いましたが、太刀打ちできる自信はなく、隣の畑の方が6時には帰ると仰っていたので、私も作業を6時に終え、車を方向変換。土手への勾配をのぼりきったかと思った時に、近くにいた方があっち、あっちというように下の畑の方を指さします。ブレーキを踏みながら見ると、立派な角の生えたシカ、カモシカは見たことがありましたが、それはシカでした。ちょうどさっきまで草取りをしていたわが家の畑の辺りに、しっかりと、そう、しっかりと4つ足で立ち、じっとこちらを仰ぎ見ています。立派です。凛とした美しいすがたです。その時、畑のどこかで誰かが追い払うために花火をバンっと鳴らしました。視線を別方向に泳がせているうちに、もうシカはいなくなっていました。
朝には現れるだろうか。そう思いながら、今朝5時すこし過ぎに畑に行きました。作業をする方々がもう10人は来ています。クルマやバイクも7、8台。毎日これぐらい働いていれば、恐々と体重計に乗ることもなかろうにと思いながらとにかく作業に没頭。肥満対策番組がけっこうな視聴者を獲得する奇妙な世の中。痩せたければ食べなければいい、働けばいいのだ、それがなかなか難しいのだ、などと思いながら汗を拭く。とうとう居る間にシカは現れなかった。
早朝の音楽も悪くないが、こんな過ごし方もまた悪くはない。
2019/8/2 クラシック倶楽部を聴く
ラトビア放送合唱団 演奏会
1940年創設。ラトビアの音楽界を牽引する24人の合唱団。古楽から現代曲まで幅広いレパートリーを持つ。各国の音楽祭や著名なコンサートホールで公演。
カスパルス・プトニンシュ(指揮)
1966年生まれ。1992年ラトビア放送合唱団の指揮者に就任。BBCシンガーズやベルリン放送合唱団などヨーロッパの一流合唱団に客演している。
カスパルス・プトニンシュのコメント
合唱はラトビアでは特別な存在です。太古から文化の一部でした。歌がうまい人や歌をよく知る人は、社会でとても尊敬されました。今でも膨大な伝統曲が歌い継がれています。(ラトビアの主な宗派の一つである)ルター派では日々、教会や学校で聖歌が歌われます。歌を歌う伝統と教会の音楽とが結びつき、合唱がより大きな存在となったのでしょう。
ラフマニノフの「徹夜禱」は、音楽史上、最も規模の大きい合唱曲の一つです。これほどシンフォニックな無伴奏の合唱曲はありません。ロシアの文化が色濃く反映されていますが、誰もが共感できる普遍的な音楽でもあります。観衆の皆さんには私たちと共に、ただ身を任せ、音楽を体感し、その一部となっていただきたいのです。私たちはそうやって皆さんを導くのが得意な合唱団だと思います。聴く人の心を強烈に揺さぶるのです。
(テノール)カールリス・ルーテンタールスのコメント
伝統的な音楽との関りがあるからこそよりお互いの音を聴き、調和が生まれるのです。
☆「徹夜禱」作品37から ラフマニノフ作曲
ロシアの合唱曲の中でも特に高く評価されている無伴奏合唱曲。夜を徹して行われるロシア正教会の祈祷に基づいて作曲された。全15曲から成り、およそ1時間に及ぶ大作。今回の放送は公演で全曲演奏された中からの抜粋。
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名曲アルバムで見た晩禱に集う人々のすがたが終始浮かぶ。三位一体の神への賛美は特にも美しく、この曲を歌う必須条件は、美声であるほうがより適っているけれども、と同時に敬虔であることと思わせられる。
🎧名曲アルバム
「フニクリ・フニクラ」デンツァ作曲、栗山和樹・編曲
【テノール】福井敬,【合唱】晋友会合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】沼尻竜典
発掘された古代都市ポンペイ。ベスビオ火山の南麓に2000年前に栄えたという。
⛳🎵以外は番組映像からです。備忘録として書きおいています。 7時4分 更新








































































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