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2019/7/14きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きにわたって、岩手で主のご奉仕をしておられます。
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 7月7()の説教は『もう一度君に会いたい』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:第一コリント書151220でした。

15:12ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。 15:13もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 15:14そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。 15:15私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。 15:16もし、死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 15:17そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。 15:18そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。 15:19もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。15:20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

 

〈説教〉

  きょうは礼拝音楽の日ですので、短くみことばの時を持たせていただきます。
 岩渕さんをお招きするのは2回目です。一回目は2011年の311の後でした。岩淵さん方は積極的に被災地の支援に力を尽くしてくださいました。そんな中に土曜日に時が許され、この教会でコンサートを持っていただいたことを覚えております。またお招きしたいと思ったのは、「もう一度君に会いたい」の歌が、岩渕さんがご長女を天に送るという経験をされ書かれた歌ですが、ああ、これだとこのように思ったことでございます。
 ほんとうに私たちが、必要としている救いの恵み、福音というのは、このことに集約されているのではないでしょうか。色々な角度から福音というものを解明かすことができますけれども、いちばん現実的に自分の問題として関わるときに、復活、永遠の命、天国での再会、これがただ単なる宗教的な言い回しではなくして、ほんとうにそうだと心から肯くことができる、それを提供できるのは、キリストの復活。永遠の命の約束、これが、いちばんの福音の中心ではないだろうか、私はそのように岩渕さんのこの証しを通して、これでいいのだ、これをお伝えするのが、私たちの教会の大切な使命なのだという思いを新たにしたのでございます。
 それでこの第一コリントを開いたのでございます。いつもの礼拝ですと、去年はコロサイ人への手紙を礼拝で学び、そして今年はエペソ人への手紙にシフトいたしまして、それを今一節ごとに基本的には学びつつありますが、きょうは、第一コリント15章です。

 第一コリント15章は新約聖書の中にあります。旧約聖書は、やがて私たちに救い主が与えられるという神様の約束が記されているとするなら、新約聖書は、その旧約聖書が約束していた救い主が、あの十字架につけられたナザレのイエス、そして、よみがえられたナザレのイエス、振り返ってあのお方だったんですよという事が書かれているのが新約聖書です。

コリント人への手紙はパウロが書いた手紙の一つです。紀元後の55年という大昔に書かれたこの書物を当たり前のように開く恵みを私たちは持っております。

コリントはギリシャの町ですが、たいへん開かれた、というか、堕落してしまったということもできましょうか。自分たちは色々な知識を持っているのだという事で、コリントの人たちは自分たちの知識をひけらかしたり、或いは、古臭い道徳といったものは全く気にしない。自分たちの思ったことを思った通りに生きて何が悪い、そんな生き方を彼らはしていた。これもパウロが開拓した教会です。教会がどうも福音の真理からはずれてしまっている。それは何かというと、いちばん大切なキリストの十字架と復活ということさえ、そんなばかなことがあるものかと、福音の大切な部分を、これは間違っていると拒否してしまっていた。それに気が付いたパウロは、「もしキリストの復活という事がない、またもし永遠の命の希望というものがなかったとするならば、私たちは、すべての者の中でいちばん惨めな存在です。ありもしないものをあると言い張って、空しいものを信じているとすれば、クリスチャンほどばかばかしいものはない」そして逆説的に「クリスチャンほどばかばかしいものはない、けれども、ほんとうにイエス・キリストが復活をし、よみがえったからこそ、私たちは生けるまことの希望を持っているのです」と諭したのがコリント人へのお手紙であります。

 岩淵さんの証しの中に、お嬢さんが8歳で天に召される。しかし、この19節をご覧ください。

15:19もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

本文では「地上の」にマークが付いていますので一層はっきりといたします。私たちのいのちはこの地上においてのみだけではない、まことの永遠のいのちにつながっている。永遠のいのち。

 私にもどうしてもお話ししたいことがあります。それは、私が小学校の5年から6年になろうとする時でした。私をとても可愛がってくれた叔父、私とそんなに齢が離れてはいません。色々ないきさつから一緒に住むことになった叔父、といっても中学生の叔父なのですが、それでとおる兄ちゃんと呼んでおりました。満州から引き揚げてきて、私の母が見るに見かねて引き取っていたのです。兄ちゃんが来てくれたことは私にとって楽しく嬉しいことでした。しかしとおる兄ちゃんに果たして人生が楽しいという時があったでしょうか。彼は自ら命を絶ってしまいました。決意していた前日、一緒にふとんを並べて寝ていたのです。
 兄ちゃんは古い写真を見せながら、「勝坊、このときはこうだった、あのときはこうだった」というのを最初は興味深く聞いていたのですが、「とおる兄ちゃん眠いよ」といって私は寝てしまい、その後、彼は自死いたしました。まだ息があるうちに見つかったので、何とか生きてもらいたいと、これは長野県の松本での事ですが、何とか助かるようにと祈りました。しかし祈っても私のところはクリスチャンではなかったので、何に祈ったらいいのかわからないのです。神棚もあれば仏壇もある。私は神様というのはこういうものだと思っていたのです。「何とかとおる兄ちゃんの命が助かるように」、もう必死になって祈りました。しかし、病院から連絡があって息を引き取ったということでした。
 「おまえをいちばん可愛がっていたようだから、すぐ来るように」という事で、留守をしていた私は、初めて、亡くなった人の頬に触って、ああ、これが、死という事なのだと経験しました。私は、自分の生涯にもう笑いというものはないと思いました。どうして世の中の人は笑えるんだろうと思うほど、悲しく辛かった。それでも時が経ち、6年になりました。先生の家庭訪問があります。5年と6年は同じクラスの持ち上がりでしたので、同じ担任の先生が家に来て、「最近、勝美君が授業中ぼうっと窓の方を見てばかりいるんだけど、何か家でありましたか?」と訊いてくださるほどだったようです。さらに時が流れるうちには、笑いも出ましたし中学生にもなりました。ただ消えていないものがありました。とおる兄ちゃんの死の時から、心の底にどす黒い火が、ふつうは赤い火と表現するのでしょうが、黒い火がちょろちょろと燃えているのです。友達と楽しくは過ごします。高校時代も、やがて東京の大学に行っても楽しくふつうに過ごしながらも、ふっと気が付くと黒い火がちょろちょろ燃えているんです。僕は一生これとつきあわなくちゃならないのか、いやだなあと思っていました。黒い火に捕らわれたときには、なあに歯を食いしばっていやな事辛いことを生きることはない、いやになったらあの薬の瓶一つで死ねるんだから。なんでそんなにまでして生きる必要があるのか、と思うのです。

しかし私は、19681116日、福音というものに初めて触れました。これは神様の憐れみでした。キリスト教に触れるとは、聖書を勉強してはじめてわかるということなのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではないと私は知っています。何もわかりませんでした。けれどもあの日、ダヴィット・マーチン先生が達者な日本語でお話しくださった「あなた方は、今イエス・キリストを信じて永遠の命を得なければならないのです」そしてその先生が「今私だけが皆さんを見ています。皆さん方目を閉じてください。私だけ見てますから、今晩イエス様を救い主として信じたいと思う人は手をあげてください」。私は後ろの方にこっそりと座っていたんですけれども、辺りをそっと見まわすと、学生街ということもあって100人弱の学生が集まっていたうち、手をあげたのはたったの56人でした。これだけ先生が汗をたらたら流しながらイエス様を信じたい人手をあげてくださいと促しているのにたった56人という事はなかろう。私は、そうだ、この先生が語っておられるこのことを私も信じたい。これが救いというものなら、私はこれが欲しい。東京で4年間学ぶ機会を与えられたけれども、何を確信して生きたらいいのかを持ち合わせていなかった。けれども、これを持って生きて行こう。よし。一瞬のうちでしたが手をあげました。すると先生が「いま手をあげた人は前に出てきてください」。勇気を出して前に出ました。先生の祈りに合わせて「信じます」と告白し祈りました。あの19681116日の事は今でも覚えております。それから当時下宿をしていた大田区のあの雪谷のところに帰っていくまで、何か心の中が浮き浮き、ほんとうにハレルヤという思いでした。それからです。処女降誕、復活など常識から考えるとわからないことがいっぱいありましたけれど、教会に行って、これはどういうことですか、これはどういう意味ですかなどと先生に伺いながら、指導をしていただきました。

そして、あれっと気が付きました。小学校5年から6年に移るとき以来ずっとちょろちょろ燃えていた死への誘いといったらいいのか、あの黒い火が消えていたのです。これがイエス・キリストの十字架の救い、復活の永遠のいのち、ああ、このことだったんだとわかりました。私はこれをお伝えするために自分の生涯を用いたいと思いました。

当時レコード会社に勤めており、SV1045「港町ブルース」、JRQ1015「長崎は今日も雨だった」などのレコードを出荷する度に、この先こんなことに用いられたくない、心底そう思って間もなく召命を受け、献身を決意しました。世の中一般の仕事を決して否定するわけではありません。そういうお仕事をする人がいていいのです。しかし私は、自分の生涯は、この福音をお伝えするために用いたい。そして、とおる兄ちゃんのあの悲しい出来事があったからこそ、私はこのような今を迎えることができていると思いました。

  とおる兄ちゃんには福音を耳にし信じる機会はありませんでした。そのことを私は思うのです。そしていつも心の中に深く響くのは、ひとりの御子をさえ私たちのために与えて惜しまない愛の神様がおられる、その中に一人ひとりの生涯が導かれている。今私たちにはわからないことがある。分からないことはあるけれども、それは神様の御愛の世界にすべてお委ねすることができる。神様にすべてお委ねする。そして今現れているこの、イエス・キリストの十字架、それが罪を赦し永遠のいのちの保証する、これを、しっかりと信じる者はみな永遠の命を持つという、このことをはっきりと宣べ伝えること、それこそ大きな祝福なのだという事を思います。
 岩渕さんの音楽がなぜ私たちに慰めを与え希望を与えられるのか、それは岩渕さんご自身が福音に生きておられるからです。その中に育まれてきた讃美、証し、メッセージであると思うのです。是非この福音をこの教会の集いにおいて、或いは今日の午後の集会において共感し我がものとしていただければと心から願っているところでございます。

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♪父の涙

心に迫る 父の悲しみ
愛するひとり子を 十字架につけた
人の罪は 燃える火のよう
愛も知らずに 今日も過ぎていく
十字架から あふれ流れる泉
それは 父の涙
十字架から あふれ流れる泉
それは 父の愛

父が静かに 見つめていたのは
愛するひとり子の 傷ついた姿
人の罪を その身に背負い
父よ彼らを 赦してほしいと
十字架から あふれ流れる泉
それは 父の涙
十字架から あふれ流れる泉
それは イエスの愛

十字架から あふれ流れる泉
それは 父の涙
十字架から あふれ流れる泉
それは イエスの愛

 

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