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2019年7月

アンディ・マイルス&大向佐保&千菅道子 コンサート

 アンディは東日本大震災の後に岩手に駆けつけてくださった演奏家。2013年の動画がユーチューブに出ています。昨夜の演奏も力強く鋭く優しかった。
 大向さんは、アンディのクラリネットの最初の1音に感動しドイツに渡られ、アンディに師事しておられます。昨夜6時半からのコンサートを聴かせていただきました。アンディのあたたかいお人柄が伝わってきました。大向さんのピアソラを聴いたとき、もう私が知っている大向さんではなかった。明らかに大向さんの世界が変遷、変容を遂げておられるのを感じました。聴くことができ感謝でした。
 

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Img119次のコンサートは、

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2019/7/30クラシック倶楽部を聴く


ベルリンRIAS室内合唱団 演奏会

1948年設立。ドイツを代表として活躍する合唱団として世界各地で活躍。時代を超えた幅広いレパートリーを持ち、透明感のある歌声は高く評価されている。
ジャスティン・ドイル
イギリスのランカスター生まれ。ウェストミンスター大聖堂歌隊に所属した後、ケンブリッジのキングス・カレッジで学ぶ。2017年にベルリンRIAS室内合唱団芸術監督および首席指揮者に就任。
ジャスティン・ドイルのコメント
この合唱団のすばらしいところは35人の歌手がひとつの生き物のように動くことができることです。とてもしなやかで繊細…まるでカメレオンのようです。心が温かく、声という驚異的な楽器を持っている人たちが集まっています。オペラやオラトリオでソリストを経験した人たちが、この合唱団で活躍する道を選んだのです。寛大で勤勉な彼らと仕事ができるのはすばらしいと思います。
ふだんはアカペラで小品を歌っていますが、合唱カンタータのような大作の委嘱を初めています。しかし、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトといった古いレパートリーも大切にしています。RIASはドイツ合唱の伝統を受け継ぐ「大使」ですが、違う文化の音楽を歌う能力を持っています。だから他国の民謡などにも取り組んでいます。そのような活動は今後も続けたいと思います。

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☆「歌え 主のみ前に新しい歌を BWV225」バッハ:作曲
1726~27年に作曲したといわれているモテット2群の4声合唱により3つの部分で構成されている。
☆「3つの詩編 作品783 詩編22 神よ なぜわたしを見捨てられたのか」メンデルスゾーン:作曲
1844年にこの年の聖金曜日のために作曲された。キリストの受難を預言する詩篇22に基づいている。
☆「キリストは われらのために」ブルックナー:作曲
ブルックナーは教会オルガン奏者を務めながら数多くの壮大な交響曲を作曲した。ラテン語の典礼用モテットも生涯にわたり作曲し、神秘的な作品を残している。
☆「エサイの枝は芽を出し」ブルックナー:作曲
☆「イエスは わが喜び BWV227」バッハ:作曲

🎵
けさは非常に多忙であり、仕事をしながらの視聴、しかし、メンデルスゾーン、ブルックナーの響きに新たな理解が得られた。聖書の翻訳は45通りかとおもっていたが、今回の訳、書き留めたい部分も多かったが。

 

🎧
名曲アルバム
「宵待草」多忠亮・作曲、竹久夢二・作詞、ニウ・ナオミ・編曲
【歌】黒田博,【ギター】鈴木大介,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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⛳早朝から非常に多忙のため奏者のコメントなどは後で書き足しておくことに。 7時50分
 

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辻井さんの音楽

 先週の土曜日でした。辻井伸行さんが盛岡のマリオスに。辻井さんのステージ登場を待つ間が長くて長くて。と言えばアンサンブル金沢に叱られそうですが。と書きながらも叱られないことは百も承知。名だたる評論家ならいざ知らず、片田舎の一音楽愛好家の戯言となれば笑って済まされもするのです。気楽なものです。

 辻井さんの演奏には浄化作用がある。これです。これは他の名だたる演奏家たちが手に入れようと思っても手にすることができない。プログラムをこなし、アンコールなどで、定番曲以外を辻井さんが見事にやってのけたときの観客の興奮、確信が最高潮に達するときに浄化作用が起きる。浄化された感動に、日ごろ味わえない人間としての何かが、空白部分が満足するのです。

 ただ一つ残念だったことは、アンコールでパトリック・ハーンが辻井さんとハンガリー舞曲の連弾を企てたのは結構だったのですが、ハーンには辻井さんがたしかにスツールに掛けたことを確かめてからご自分も着席していただきたかった。その時々の状況、成り行きというものもあろうかとは思うのですが。それが残念でした。
 やっとすこしおさまったところで、アップです。辻井さん、ほんとうにすばらしい! 天からのプレゼントでした。

 

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 金沢の弦楽6重奏、重厚でした。ルシエンヌのトランペット、刺激的でした。パトリック・ハーン、音楽はいいんですけれども、音楽家はそれでいいという視点からすればすばらしかった。

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2019/7/30クラシック倶楽部を聴く

コンチェルト・イタリアーノ演奏会(2)

(合奏)コンチェルト・イタリアノ、(指揮)リナルド・アレッサンドリーニ
201765日 武蔵野市民文化会館 大ホール~

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「「聖母のための夕べの祈り」から  モンテヴェルディ:作曲

☆ 第9曲「天よ お聞きください」」
☆第10曲「エルサレムよ 主をほめたたえよ」」
☆第11曲「聖マリアのソナタ」」
☆第12曲「海の星よ」」
☆マニフィカト
☆アンコール
 第1曲「主よ 救われるべき人に」」
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🎵楽団が各々すっきりくっきりと見えるのだが、後列は3段分高さをつけている。
自然になじむような響き、と思い聴いている間にも地震情報。5時38分に八丈島で起きた地震が40分まえにはもう画面に出ている。こうして音楽を聴いていられるのも今ここが無事だからなのだが。立て続く災害、環境の悪化、国際間の緊張の狭間に、神の存在に思いをつなげることのできる音楽にありがたさを。

 

🎧
名曲アルバム
「ハワイアン・ウェディング・ソング」、C.E.キング作曲
【演奏】Lagoon

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2019/7/29クラシック倶楽部を聴く

コンチェルト・イタリアーノ演奏会()

(合奏)コンチェルト・イタリアノ、(指揮)リナルド・アレッサンドリーニ
201765日 武蔵野市民文化会館 大ホール~

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                        モンテヴェルディ

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コンチェルト・イタリアーノは、鍵盤楽器奏者のリナルド・アレッサンドリーニが1984年に創設したイタリアのバロック合奏団。イタリア語の発音と調和する明瞭な響きの演奏を特徴とし、特にモンテヴェルディやヴィヴァルディ作品の演奏、録音で世界的な名声を得ている。「聖母のための夕べの祈り」について、「夕べの祈り(晩課)」とはカトリック教会の夕暮れ時に行われる礼拝をさす。この作品は1610年、作曲家が43歳の時に出版されたが、作曲の詳しい動機については明らかになっていない。当時モンテヴェルディはマントヴァの宮廷楽長として高い名声を得ており、1607年に書かれた最初のオペラ「オルフェオ」も成功をおさめていた。創作力の頂点にあったモンテヴェルディの音楽技法のすべてがこの作品に注ぎ込まれている。

 

リナルド・アレッサンドリーニのコメント
この曲と最初に出会ったのは1980年代の終わりごろです。コンサートで演奏したときで、指揮をしたのではありません。もう長いつきあいになります。この曲に対する興味は、時間と共に変わっています。指揮をするたび毎回のように研究しますので、時には考え方も変わりますし、音楽的な感覚も変わります。明確でなかった部分が明らかになるなど、毎回さらなる発見があります。私とこの曲との関係は、生きているあいだ続くと思いますが、一生をかけて研究し得る深めていける曲だと思います。
この作品を演奏するにあたって、この曲が最初に歌われた状況になるべく近づけるように心がけています。当時は合唱団などありませんでしたから、私たちも合唱団を持ちません。ここにはソリストの歌い手がいるだけです。小編成の演奏ですが、それはこの曲が1600年代初めに演奏されたころのやり方なのです。もっとも大事な要素は、イタリア語の「響き」を反映する音です。古典式のものではなくイタリア語の発音に近いタイプです。私たちが特に気を遣うのは、母音の響きです。そして歌と同じように、楽器たちも「話して」いるかという点です。
モンテヴェルディはイタリアの音楽文化にとって、とても重要な作曲家です。西洋音楽を改革し、最初にオペラを誕生させました。イタリアで音楽に物語を持ち込むことに仕事をささげた作曲家です。彼が遺した多くの声楽作品から私たちは学ぶことができます。歌詞と音楽の関係性や音の色合いなど、モンテヴェルディは多くのことを教えてくれるのです。

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「「聖母のための夕べの祈り」から  モンテヴェルディ:作曲
☆ 第1曲「主よ 救われるべき人に」」
☆「第2曲「主は言われた」」
☆「第3曲「私は黒いが愛らしい」」
☆「第4曲「息子らよ 主をほめたたえよ」」
☆「第5曲「麗しきかな」」
☆「第6曲「喜ばしきかな」
☆「第7曲「ふたりの天使」」
☆「第8曲「主でなければ」」

第1曲
主よ救われるべき人に
神が私を力づけに来られますように
主よ急いで私を助けに来てください
栄光は父と子聖霊に
初めにあったように今もいつも
世々とこしえまで アーメン
アレルヤ
(1
曲のみ抜粋 訳・礒山雅)

🎵

この曲が400年前に作曲された事実を超えて、2000年前から、否、46億年も前から響いているような錯覚にとらわれた。野外、野原、高原、山の頂を進むときに、この曲がもし天上から響いて来たとしたら、どんなにすばらしかろう。聴きながらそんな空想を楽しんだ。

 

🎧

名曲アルバム
眠りの森の美女「ばらのアダージョ」、チャイコフスキー

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【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

⛳きょうは見なくとも、と思う時に限って、あ、これは見ておかなければといった内容。それでついついきょうもまた更新 7時20分

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
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 7月21()の説教は『御国を受け継ぐ保証』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1714でした。

1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、 1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、 1:10時が満ちて、計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。またキリストにあって、 1:11私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。 1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。 1:13このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。 1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

〈説教〉

きょうは13節と14節に注意をしていきたいと思います。
1:13このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。 1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」
 聖霊によって証印を押される、聖霊は私たちが御国を受け継ぐための保証である。聖霊という実にカギとなることばが、ここに出てまいります。実は、このエペソ人への手紙の対象となったエペソの人たち、これがどういう人たちであり、どういう成り立ちをしていた教会であるのかを知っておくことは、やはりこれを理解するうえには必要なので、この1314のこの聖霊を理解するために、使徒の働きの19章2節をご覧ください。
19:2彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。」
 つまりエペソの教会の人たちは聖霊という事に対してほとんど知識がなかった、教えられる機会がなかったようです。このことをもっとはっきり書いてあるところが1824節、
18:24さて、アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。18:25この人は、主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。18:27アポロはがアカイアに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、彼を歓迎してくれるようにと、弟子たちに手紙を書いた。彼はそこに着くと、恵みによって信者になっていた人たちを、大いに助けた。 18:28聖書によって、イエスがキリストであることを証明し、人々の前で力強く、ユダヤ人たちを論破したからである。」

 この背景をお話ししますと、ここにアレクサンドリア生まれのアポロという非常に有能な人物が出てまいります。ユダヤ人でありました。雄弁なユダヤ人とあります。つまり、彼は旧約聖書をよく知っていて、そして、このメシアなるお方が、イエス・キリスト、あの十字架につけられたお方だという事を彼はよく知っていた。バプテスマのヨハネが、私から後に来るものは、私よりもすぐれたものだといってイエス様を指し示したように、このアキラという人は、大胆にイエスのことを「正確に語ったり教えたりしていた」。ユダヤ人であるけれども、旧約聖書の事をよく知っていて、旧約聖書が預言しているメシアは、あれは実はナザレのイエス様なのだとアポロは正確に語っていた。エペソの人たちはこれによって恵まれたのです。
 それなのになぜ、どこに問題があるのか。26節にあります。
18:26彼は会堂で大胆に語り始めた。」。ところがそれを聞いていたエペソの信徒のご夫妻がいらした。プリスキラとアキラ、このプリスキラとアキラという人は、パウロのコリント伝道のときに力となった人で、天幕づくりの技術を持っていてパウロを助けて、そしてパウロの助手として伝道を助けたすばらしい信徒ですが、このご夫妻が、アポロ先生の講壇を聞いてみました。この先生は確かに本当のことを話されている、聖書の語っているメシアはナザレのイエス・キリスト様、その通りで間違いはない。しかし、プリスキラとアキラは、アポロが語ることには何か大切なものが欠けていると気づいたのです。何が欠けていたのでしょう。26
18:26彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。」
 この辺は非常に興味深い。若いアポロという雄弁な説教者が講壇に立って一生懸命にメッセージを語っているのですが、しかし、それを聞いているプリスキラとアキラは惜しくてならない。この話の内容はすべてが整っているけれども、ただ一点が足りない。その一点、イグニッションコイルで点火してエンジンを発動させるような、その着火するもの、これが足りない。
 その場で見てきたような脚色をさせてもらうならば、説教を聴いていたご夫妻は、目と目を合わせて、ああ、この先生にこれを知ってもらいたいな。そして話が終わるのを待って、決してアポロさんに恥をかかせないように、先生ちょっと来てください、一緒にお茶でものみませんかと言ったかどうかはわかりませんけれども、その一点というものを進言したでしょう。「先生のお話しには、聖霊の働きという事が語られていないことに私たちは気づきました」と。アポロ先生はプリスキラとアキラに光を与えられたのです。

 アポロはその後、27節にあるようにコリントの方に渡っていきたいとアカイヤ通るんですけれども、プリスキラとアキラは、これからアポロという非常にすばらしい青年説教者がコリントの方に行きますので、どうか彼をよろしくというお手紙を書きます。
 アポロが非常に有能でありすばらしい人物であったことが分かります。コリントの人たちはすっかりアポロ先生に魅了されます。霊に燃える説教者となっていましたから。もしかすればコリントの人たちは、パウロ先生よりこんど来たアポロ先生の方がいいね、いやいややっぱりパウロ先生の方が、或いは、やっぱり私はペテロ先生だ、などと信徒たちがアポロ派に分かれたりパウロ派に分かれたり、ペテロ派にといった分派ができたりすることも。しかし、いわんとすることは、プリスキラとアキラによってアポロが大切な意味に気づかされたということです。

ここで使徒の働きの19章1節を見ます。
19:1アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。」
 そこにいる信徒たちがちょっと変だなと思われた。いいのだけれどもちょとおかしい、と感じたのです。それでパウロが「2信じたとき聖霊を受けましたか?」と尋ねる。するとその人は「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と。「3それではどのようなバプテスマを受けたのですか」と重ねて尋ねると、「ヨハネのバプテスマです」。そこでパウロは言います「4ヨハネは自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです」。これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けます。「6パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。」
というように続いていきますが、これがエペソの人たちの背景にあったところなのです。

 さて、それではエペソ人への手紙1章にもどりましょう。
はじめエペソの人たちは、聖霊のあることさえ知らなかった。しかし、パウロによって聖霊の働きというものの意味する大切な生命的なものを聞いて、パウロはエペソの人たちに語りました。
「いいですか、聖霊はあなた方に、そう聖霊によってあなた方は救われているのですよという証印を押されたのです。「14聖霊は、私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」と書いてあります」
そして、聖書の欄外には、「保証」の直訳は「手付金」とあります。「聖霊は私たちが御国を継ぐことのできる手付金です」
 まだぜんぶを得たわけではない。けれども、聖霊があなたがたに与えられた時、あなた方は罪赦され、神の子どもとされるすばらしい救いを、あなたがたがこれから天の御国の諸々の祝福を受けることのできる保証、たしかにあなた方がそうなんですよということを約束してくれる手付金なんです。

 小惑星探査機「はやぶさ2」の快挙が浮かびます。研究者たちが今回の快挙についてにこにこしながら記者の前で話をしている場面。この人々の喜んでいる顔は今でも浮かびます。小惑星の砂石の採取に成功、表面のものでない、長い間太陽からの放射線にさらされているものではなく、深いところにある砂石、そういったものを持ち帰る、すると、太陽系の起源がわかる。私たちは太陽系の成り立ちの歴史を手にしたことになるのだと喜び興奮しているあの姿、真理を追究している人たちの手掛かりを得た喜びには思わず拍手をしたくなりますね。

 小惑星のほんのわずかなもの、それを手にした時に、われらは太陽系の歴史を手にしたと喜んだのです。地上に帰ってきて分析が始まる。私たちが、天国における前味わい、はやぶさ2がようやくそこに向かっていますけれども、私たちは聖霊によってイエス・キリストの十字架の贖いを信じて救われたときに、御国を受け継ぐものとしての証印を押された。そして、その聖霊は私たちに、救いの前味わい、手付金を与えています。聖書の最後の方にペテロの手紙の第一の手紙があります。18
1:8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。 1:9これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」

 私たちが、イエス・キリストの十字架、復活を知った時に、ああ罪赦された、感謝だ、キリストとともに神の国の世継ぎとなった、ああ嬉しいというそのことを、聖霊は私たちに保証して下さる。ほんの僅かなものなのです。でも、それは私たちにまさに天国の御国の祝福のそれと変わりない、同じものがすでに保障として与えられている。これが私たちの救いの福音なのです。

エペソ1章14節を見ると、私たちが贖われて神のものとされた、このことによって神の栄光がほめたたえられた。これは神様の喜びである。実に驚くべきことですね。こんな者が、みなさんお一人おひとりが、皆さん方が救われるときに、それは天に大いなる喜びが、失った一匹の羊を見出したというときに、それは、神様の栄光でもあるし、神様の喜びでもある。考えただけでももったいないですね。私のような者がイエス様を信じているだけでも感謝なのに、これが、神様がご自身の栄光をあらわす者となる。私の救われることが、神様の喜びになる。大きな祝福です。そのことを感謝したいと思います。

 

 

 

 

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JーMEROピックアップ

J-MERO in山形パート1

山形市人口25万。県庁所在地。いま東京オリンピック・パラリンピックに際し、14の国と地域のホスト役を務めるために準備中。

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ティーナ・カリーナは宮城県在住のシンガーソングライター。昭和の名曲カバーもしており、レパートリーは500曲以上。7年前に東北に拠点を移し、東日本大震災の被災地で活動するうちに山口百恵、松田聖子、テレサ・テンなど昭和歌謡を被災地で歌った時にみんなが一つになることを実感、歌のちからというものを感じ、昭和の名曲を歌うようになる。2014年から三世代が一つとなれることをめざし「ひとり昭和歌謡祭」というコンサートを始める。カリーナ、2年前から山形県の南陽市のラーメン大使。山形県は人口に対するラーメン店が日本一。

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山形在住の外国人の方々は、いらした理由はさまざま。日本人と結婚したから、日本語を学ぶため等など。好きなアーティストとして、嵐、長渕剛、水樹奈々、宇多田ヒカル、テレサ・テンがあげられていた。

⛳SKE48 にはラーメン部があるらしい。              7時3分 更新

 

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盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第60回が出ました

 きょう、盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第60回が出ました。そろそろ終盤にあります。
今回は、鳥取春陽の故郷の関係者が、春陽の音楽活動をどのように受け留めていたものかを書かせていただきました。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

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2019/7/26クラシック倶楽部を聴く

アラカルト ビバ! アンコール

 

☆「カルメン幻想曲 作品25から」サラサーテ:作曲
(バイオリン)ギル・シャハム、(ピアノ)江口 玲
2018624日 紀尾井ホール~
☆「スピーク・ロウ」オグデン・ナッシュ:作詞
クルト・ワイル:作曲
(メゾ・ソプラノ)小山由美、(ピアノ)佐藤正浩
2018922日 ハクジュホール~
「超絶技巧練習曲 第10番 ヘ短調」ドビュッシー:作曲

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(ピアノ)ミシェル・ダルベルト
2018111日 浜離宮ホール
☆「「古風な様式による組曲」から「ジーグ」」フリーバ:作曲
(コントラバス)ナビル・シェハタ
2018
1122日 ハクジュホール~
「幻想曲 ト長調 BWV571バッハ:作曲
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(オルガン)バンジャマン・アラール
2018128日 武蔵野市民文化会館 小ホール~
☆「おとぎの絵本 作品113から 第4曲」シューマン:作曲
(ビオラ)ニルス・メンケマイヤー、(ピアノ)島田彩乃
201867日 トッパンホール~
☆「歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から「ママも知るとおり」」マスカーニ:作曲

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(メゾ・ソプラノ)清水華澄、(ピアノ)越知晴子
2018626日 紀尾井ホール~
☆「こもり歌」レベッカ・クラーク:作曲
(バイオリン)青木尚佳、(チェロ)ウェン・シン・ヤン
2018124日 武蔵野市民文化会 小ホール~
「ロンド・カプリチオーソ 作品14メンデルスゾーン:作曲

Dsc07521o (ピアノ)イノン・バルナタン
2018626日 トッパンホール~
「朧月夜」高野辰之:作詞、岡野貞一:作曲、ジャスティン・ドイル:編曲

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(合唱)ベルリンRIAS室内合唱団、(指揮)ジャスティン・ドイル
2018112日 東京オペラシティコンサートホール~

 

🎵
アンコール曲だけの編集を聴く機会があるとは! その都度とはまた違った共感が得られた。個人的に印象的だった演奏を太文字に。それにしても毎朝5時前には起きて、ここにあるぜんぶの演奏を聴いたのかと思うとちょっとした感慨が。

 

🎧
名曲アルバム
「エグモント 序曲」ベートーベン

Dsc07536h 【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

 

⛳6時54分 更新

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2019/7/25クラシック倶楽部を聴く

ヨハネス・モーザー  チェロ・リサイタル
(ピアノ)高橋礼恵
2016
1129日 トッパンホール(東京)

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ヨハネス・モーザー 1979年ミュンヘン生まれ。8歳からベルリンのアイスラー音楽院でダヴィッド・ゲリンガスに学ぶ。2000年ダヴィドフ・コンクール、01年メンデルスゾーン・コンクールで第1位を獲得した後、02年チャイコフスキー・コンクールで最高位受賞(1位なしの2位)、また《ロココ風の主題による変奏曲》の演奏により、最優秀解釈賞受賞した。以来、数々の世界的なオーケストラと世界的指揮者のもとで共演。現代音楽へも大きな情熱を注ぐ。室内楽奏者としても熱心に活動。多くの国際音楽祭から招かれている。また、14年には権威あるブラームス・プライズを受賞。(トッパンホールからの抜粋)

Dsc07464a 高橋礼恵 桐朋学園大学を経て、ベルリン芸術大学に留学。日本音楽コンクール第2位、エリザベート王妃国際コンクールファイナリストなどを経て渡独、その後もリーズ国際コンクール特別賞、シューベルトと現代音楽コンクール第1位など多数の賞を受賞。2005年には第1回ボン国際ベートーヴェンコンクール第2位、および特別賞を受賞。海外のオーケストラとの共演も多い。ベルリン在住。(トッパンホールからの抜粋)

モーザーのコメント
プロコフィエフを演奏するにあたって、私はモスクワでロシアの音楽を演奏するにあたって感動したことをよく覚えています。チャイコフスキー国際コンクールではショスタコーヴィッチの作品を演奏しました。会場はロストロポーヴィッチが教鞭を執りショスタコーヴィッチが自作を初演したモスクワ音楽院。そんな場所で演奏できたことは、忘れられない特別な思い出です。私はロシアのチャロ界とつながっています。恩師ゲリンガスはロストロポーヴィッチの弟子でした。ロストロポーヴィッチはプロコフィエフのソナタを初演しました。私の人生はロストロポーヴィッチの偉業ともつながっています。またゲリンガスのもとで学んだことで多くのロシア作品にも取り組めました。もちろんコンクールでの経験が私の人生を変えたことも事実です。日本で素敵な演奏旅行が行えることもそのおかげです。ロシアの音楽と文化にはとても感謝しています。実際ロシアの音楽とチェロは相性がよいのです。プロコフィエフのソナタにはチェロが最適な音域で歌える場面がたくさん出てきます。こうした曲を演奏することは私にとってまさに祝宴のようなものです。

☆「無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010」バッハ:作曲
☆「チェロ・ソナタ ハ長調 作品119」プロコフィエフ:作曲
プロコフィエフは晩年、チェロ奏者ロストロポーヴィッチと交流を深め、彼の協力を得ていくつかのチェロ作品を作曲。そのひとつがこのチェロ・ソナタで完成は1949年。ロストロポーヴィッチのチェロとリヒテルのピアノで初演。

🎵
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分遅れで視聴。バッハに関するコメントを聴き逃したかと思う。しかしこの回はプロコフィエフの「チェロ・ソナタ」を聴けば、大方は聴いたという事になるかなと。民族的な血の響きといった要素、或いは、苛立ち、そして懐かしさを手繰り寄せるような部分もあり、輻輳した感情が時として無彩色を帯びて沈潜していき、また気分を織りなしながら奏され、オチに。

🎧

名曲アルバム
歌劇マクベスから「しいたげられた祖国」ヴェルディ作曲
【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明

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🎵
みるたびに印象にのこる場面が違っている。心にしみる合唱。

⛳7時8分更新

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2019/7/24クラシック倶楽部を聴く

チョン・キョンファ バイオリン・リサイタル Ⅱ
(ピアノ)ケヴィン・ケナー
東京オペラシティ コンサートホール(201865日)

コメント ケヴィン・ケナーとの共演は8年目。今や固い絆で結ばれています。フォーレというソナタは、ケヴィンという共演者を得て初めて取り組んだまさに「2人の曲」です。だからお互いの息づかいまで感じられる。音楽で自由に対話できるのは本当にすばらしいことです。「この音楽の自由を得た今こそ私たちの音楽の新たな始まりね」と。
バイオリンの音色には命が宿っているようです。どの楽器にも魂がありますが、特にこの「ガルネリ」は人間に近いと感じます。人の魂が吹き込まれていると思うほどです。16歳の時初めて聴いたブラームスのソナタが今回の第3番でした。若者ならではの演奏だったと思います。好奇心の塊でしたが、旋律をどう表現し持続させるかにとらわれていました。今の私はブラームスの作品にハンガリー民族音楽の影響を感じます。若い頃はそれを意識せず、過去の偉大な演奏家の解釈に従っていましたが、今回勇気を出してハンガリーらしさを全面に出すことにしたのです。昨晩ブラームスを弾き、ようやく自らの演奏に納得することができました。

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☆「バイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 作品13」フォーレ:作曲
フォーレが30代の頃の作品で独特な転調や不安定なリズムが随所に現れる。
忙しい活動の中、毎月のように演奏を共にしているキョンファとケナー。音の対話を豊かに奏でようとこの曲に集中して取り組んだという。
2楽章、ケナーの弾くショパンの「舟歌」を聴き、キョンファは彼に魅了された。この楽章に「舟歌」を感じるというキョンファ。揺れるピアノに夢みるような旋律を重ねていく。
☆「バイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108」ブラームス:作曲
作曲当時ブラームスは友人の死を経験し、孤独感にさいなまれていたという。重厚で悲哀に満ちたこの曲を、キョンファは、10代から繰り返し演奏してきたが。その情熱は50代を過ぎて更に高まり、ブラームスを「人生最愛の作曲家」と呼ぶ。
☆「美しい夕暮れ」ドビュッシー:作曲、ハイフェッツ:編曲

🎵二日続けてキョンファを聴くことができラッキーだった。フォーレ、70にして止むことのないキョンファの探求心が感じられた。音の向こうに何があるか、そのまた音の向こうに何があるか照らし探り続けているという感じが。聴きながら涙が流れた。
ブラームス、悲哀、泣き、咽びに共感しつつ、沈潜することなく語りかけ起き上がり、昇華させていく感じが。70での新たな曲の構築にキョンファのすごさが。キョンファのガルネリのようなビリッとした感じの映像を捉えるタイミングに欠けたのが残念。

 

 

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名曲アルバム
「英雄ポロネーズ」ショパン
清水和音

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ポーランドの代表的な民族舞曲ポロネーズも彼らの誇り高き文化の一つであると。

 

⛳7時8分  更新

 

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2019/7/23クラシック倶楽部を聴く

チョン・キョンファ バイオリン・リサイタル Ⅰ
(ピアノ)ケヴィン・ケナー
東京オペラシティ コンサートホール(201865日)

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チョン・キョンファ
1948
年韓国生まれ。6歳の時運命の楽器バイオリンに出あう。僅か12歳で家族と離れ、アメリカの名門ジュリアード音楽院で学ぶ。ビユーから50年以上、世界を舞台に活躍。今回は彼女が最も信頼を寄せるケヴィン・ケナーと共演。197022歳の時、ロンドン交響楽団アンドレ・プレヴィンと共演し華々しくヨーロッパデヴュー。世界の聴衆から喝さいを受ける日々が30年以上続く。しかし、2005年、突然、活動を休止。左手人差し指を痛めてしまう。これまでともに歩んできたバイオリンを失う。そのとき向き合ったのはバッハの無伴奏作品でした。

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コメント
 世界有数のバイオリニストになるなんて考えてもみませんでした。バイオリン、特にその音色に魅了されこの年までひたすら情熱を注ぎ、演奏することに喜びを感じてきました。
「人々に音楽を届けたい」この思いが私を駆り立てたのです。
初めてモーツァルトを弾いた幼い日、美しさ、みずみずしさに圧倒されました。
若い頃は夢がいっぱいでした。練習の時も架空の聴衆に向けて音楽を奏で、壁さえも私の聴衆だと感じていました。「音楽を届けたい」という思いに突き動かされていたのです。

 指を痛めてからは、楽器をおいて内省すること。頭の中だけで音楽を解釈し、和声を捉え流れを作るこれまでにない練習の日々でした。寝る時もバッハのフーガが頭をめぐり、音楽を構築していました。どの音も沈思黙考の上生まれたものです。昔は一音でも間違えると落ち込んだものです。できない自分をどうしても許せなかった。 

もはや技術的に完璧な演奏はできません。肉体的な限界を感じます。しかし今の私が求めるのは、心に残る音が響く特別な瞬間を聴衆と分かち合うことです。
若い時は「無の境地」なんて馬鹿にして常に何かを得ようと突き進んでいました。今は「無」こそが自由だと思うのです。
 人間の一生は束縛との闘いです。それは受胎の瞬間から始まります。9か月で誕生しお乳をもらうために泣き叫ぶ。そして最初の一歩、大人は感激しますが、赤ん坊には試練です。色々な経験をしながら一生を終える。たった一度の人生をどう生きるか、人生という旅の途中で何を発見するか、そこに深い意味を見出せるかは自分次第。自問自答を続けることが大切で、それなしでは演奏できません。
 一音一音を自らに問いかけ生み出す、それが今の私の音楽です。

 

☆「ヴォカリーズ」ラフマニノフ:作曲
☆「シャコンヌ」バッハ:作曲
☆「バイオリン・ソナタ イ長調」フランク:作曲

🎵

 シャコンヌ、深いところから深いところに語りかけてくる。「壁さえもが私の聴衆」というが、逆に静物、家具、絵画、壁、ドア、窓までが彼女に語り掛けているすべてに彼女が丁寧に弦で応答している感じさえする。深い川底を澄明な水がこだわりのある一つひとつの岩に石ころに得心しながら底を削り流れるようでもある。キョンファだ、やっぱり!エーネスの美しいシャコンヌとはまた一味違っている。

 

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名曲アルバム
「交響曲第4番 不滅」ニルセン作曲
【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】沼尻竜典 

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2019/7/22クラシック倶楽部を聴く

MAROワールド 第32回演奏会
20171025日 王子ホール

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篠崎史紀 愛称まるさん。N響のコンマスとしての活躍の傍ら、情熱を注いできたのがMAROワールド。篠崎氏と共演するのは、若手からベテランまでの音楽仲間MAROカンパニー。アンサンブルを大切に2004年の開始以来31回を重ねる
コメント MAROワールドというのは、演奏会提示という考え方よりも、どちらかというと僕がヨーロッパでずっと体験してきたサロンコンサートという感じ。だから言い方を変えちゃうと、大人の集まりの社交場と思ってくれればいい。そこで集まった人たちはお客さん同士であれ、僕たちとお客さんであれ、みんな仲間としてしゃべれるような場所、そんなみんなで音楽を育てていく空間として育ってきたのがMAROワールド。僕の中にとってのクラシックというジャンルに関する考え方は、伝承していくこと。もちろん作曲家という人がいますから再生しなければいけない。それを伝承していくっていうこと。だからきょうのMAROワールドを見てもわかるように、3世代続いている。3世代が続いていく、そして、その後100年、200年と同じものが延々と続いていくような、そんな予感をさせる場所。やっぱり舞台上は楽しくないとお客も楽しくないし、僕たちが楽しんでなければスタッフも楽しくないし、その気持ちというのはやっぱり強ければ強いほど新しいものを探求していく好奇心、強いエネルギーを産むような気がする。そうねそれがMAROワールドと言っちゃうと、そうかもしれない。 

MAROワールドカンパニーの若手演奏家たちにとってMAROワールドとは
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バイオリニスト 小林壱成 最初に出させていただいたのが、たしか去年の一月だったと思うんですけど、コンサートマスター、コンサートマスター、という感じでもうなんで一緒なんだろうなと最初緊張したんですが、いざ…ってしまえば、みんな音楽を通して会話してて、遊んでるという雰囲気がすごく楽しいなと思いました。(…は聞き落し)
チェリスト 岡本侑也 すごく印象深かったのは、心から純粋に音楽を楽しまれてて、僕もその中で本当に楽しく演奏させていただいて、ご一緒させていただいて、今まで経験できないような楽しさがあって。リハ…はすごく楽しかった。終電を逃してしまって王子ホールからそれぞれの家まで徒歩で帰ったことが一度あります。それもとてもとても楽しい…できごと。
バイオリニスト 大江馨 MAROさんというすごく大きな存在があって、もうステージに出るだけで、お客さんを楽しませる。お客さんにも、MAROさんが出てきたら何か楽しいことをやってくれるんじゃないかと期待させるパワーみたいなものをすごく感じます。これは勉強してなれるというものじゃない。ただいつかは自分もできたらいいなと思いますけど。

☆「弦楽四重奏曲 イ短調 第1楽章」クライスラー:作曲
(第1バイオリン)篠崎史紀、(第2バイオリン)水谷晃、(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)桑田歩
クライスラー唯一の弦楽四重奏曲。故郷ウィーンから渡米後、不遇の時代に作曲した。篠崎史紀は学生時代、ウィーンの古本屋でこの曲の楽譜に出あって以来魅せられ続けているという。
☆「美しいロスマリン」クライスラー:作曲
名バイオリニストであったクライスラーが「古いウィーンの舞踏歌」として書いた曲の一つ。曲名のロスマリンは少女の名前だという。
(バイオリン)崎谷直人、(ピアノ)清水和音
☆「2つのバイオリンのための協奏曲 BWV1043 1楽章」バッハ:作曲
バッハが1730年頃に書いたと考えられている。2台バイオリンのための名曲。追いかけるように進むバイオリンの絶妙な掛け合いが魅力。
(第1バイオリン)小林壱成、(第2バイオリン)大江馨、(ピアノ)清水和音
☆「弦楽セレナード ハ長調 作品48」チャイコフスキー:作曲
西洋の様式とロシアの民族音楽を織り込んだ。この曲をチャイコフスキー自らも好んでいたという。
(コンサートマスター)篠崎史紀、(弦楽合奏)MAROカンパニー

🎵音楽番組で、コンマス席に篠崎氏がいれば、ああN響か、とおもってきたが、傍らこのような音楽活動を。楽しませるという観点からか、みな有名な曲。すっきりとした高音質といった感じ。若手が育っているなという感じが。15,6人の人数での立ち姿での演奏(チェロの3人だけは座っていたけれども)は音も相まって聴く者に一層迫るものがあるなと。
 

 

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名曲アルバム
「ローマの噴水」レスピーギ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

⛳7時22分更新

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きょうのことば

 九州、大雨の被害が伝えられております。心が痛みます。殺伐としたニュースも伝えられるなかで、けさの家の外回りを掃くなどしながら、さまざまな事をおもいながら、タチアオイやマリーゴールドの咲きがらを取りのぞいて回りました。曇ってはおりますが、こうして何かすることがある、日常通りであることに感謝をし、コーヒーで一息ついてから、このページの仕上げに取り掛かったことでした。

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
 7月14()の説教は『御国を受け継ぐ者』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1114でした。

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1:1神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。 1:2私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:3私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 1:4すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。 1:5神は、みこころのよしとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。 1:6それは、神がその愛する方にあって私たに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、 1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、 1:10時が満ちて、計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。またキリストにあって、 1:11私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。 1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。 1:13このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。 1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

〈説教〉

(説教のまえに、6月に開かれたバザーの準備、また岩渕氏のコンサートまで労された方々、音響を従来よりも飛躍的に改善して下さった橋本勝兄に教会から感謝のことばがありました)

きょうは、エペソ書1章7節から見ていただきましょう。
1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、 1:10時が満ちて、計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」

 神が私たちに知らせてくださった奥義とは何かが、述べられております。
まずポイントとして捉えておきたいことは、「奥義」(おくぎ)ということばであります。
「天の御国の奥義」というように「奥義」が使われている箇所があります。また「神の奥義」、或いは「福音の奥義」とも使われております。この「奥義」にスポットを当ててみます。奥義には(おうぎ)という読み方もあります。しかし、聖書では(おうぎ)とは読みません。(おうぎ)は、修行などを積んでその結果として真理に到達する、悟りに至るような場合に用いられます。しかし、聖書での(おくぎ)は、それとはまったく違います。隠されている真理、神の領域における真理をいいます。幕によって隠されているものが、ある時点でパーッと幕が開かれて、ああ、こういうものがあったんですねというようにわかる。それが、福音の奥義、天の御国の奥義といわれるものでありまして、隔てている幕が開けられ、そしてもたらされるものが啓示です。

 

ヨハネ福音書1417節をご覧ください。
14:17の方は、真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたはこの方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
 ここに「真理の御霊」という存在が書かれています。16節に「真理の御霊」の説明があります。「助け主」であるとあります。助け主である聖霊なる神様、真理の御霊が私たちに宿ってくださる。そして、この御霊様が、ふつうの人たちには幕がかかって見えなくなっているものを見させてくださる。

 もう一つ確認するために、ヨハネの福音書の1526
15:26わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証してくださいます。
 そうです。つまり、天の奥義、或いは福音の奥義、これは、聖霊なる神様によって、それまでわからなかったできごとが、ぱーっと幕が開いて、ああそうか、永遠のいのち、罪の赦しはここにあるんですね、福音とはこういうものなんですね、とはっきりわかるようになるのです。


 ついでにもう一つ。ヨハネの福音書1613
16:13しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
 そして14節には、「16:14御霊はわたしの栄光を現わされます」。聖霊によってのみ、私たちはキリストの栄光を十字架の栄光を、復活の栄光を、「ああ、有り難うございます。」と心から受け取ることができる者となるのです。

 エペソ書に戻りましょう。
エペソ1章7~9をお読みいたします。
1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、 1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。」
 いまここにいらっしゃるお一人おひとりが、イエス・キリストの十字架の救い、罪の赦し、キリストの復活、これをアーメンと肯くことができるのは、私たちの内にあったかつては見えなかった幕が、聖霊によって開かれて、深くうなずけるものになったことを意味しております。
 そしてこれは「耳があるものが理解できる」。マタイ1115節には「耳のある者は聞きなさい。」とあります。11章の中ではイエス様について、或いは、バプテスマのヨハネについて真理が語られているときに、イエス様は「耳のある者は聞きなさい」と、こういう突き放したものの言い方をしている。言っても分からない人にはわからないでしょう、だけどね、耳のある人にはわかるんだよ。

マタイ139節にも「13:9耳のある者は聞きなさい。」とある。ここでは、「天の御国とはいったいどういうものでしょうか」と質問した人物がおり、それに対してイエス様がたとえを用いて、福音の種を蒔いたが石地に落ちた種があった、或いはいばらの中に落ちた種があったなどと語られたそのときに、「耳のある者は聞きなさい」、このような言い方をしている。つまり、福音の真理は、耳に覆いがあり、目に覆いがある人たちにはどんなに語ってもわからないと仰っている。
 しかし真理の御霊が与えられている私たちには、これがわかるようになっている。そのことを心に留めたいと思います。

 エペソの110節に戻ります。
1:10時が満ちて、計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。  キリストにあってすべてのものが一つに集められる。一切のものが、キリストにあって一つに集められるというのです。今までは、この森羅万象すべてのものが、無秩序にあるようです。どうしてこんなことが、なぜこのように。それは自然界だけではなく、人間の歴史を見ても、争いがあり、混乱があり、混沌としている。しかし「時が満ちた」ときには、すべてのものがキリストにあって一つに集約される。そしてキリストにあるすべてのものが御国を受け継ぐものとなる。
 エペソ書はパウロがローマの獄中で書いたものですが、パウロはローマの獄中にあってすごい事をいっているのです。パウロは牢屋の中にありながら、心は宇宙に向かって、全世界に向かって、すべての者がこのキリストにあって一つにまとめられる、集められるのだというのです。それはどういうことなのか。それまでユダヤ人たちはキリストを否定していました。キリストを受け入れることができなかった。しかしパウロは、ユダヤ人たちもキリストにあって一つになる。さらに異邦人たち、神様の祝福からはるかに離れていた存在である異邦人たちもキリストにあって一つになる。私たちが伝えているこの福音によって、キリストにあるすべての者がキリストによって一つになる。パウロはこのことを、ローマの獄中で、聖霊の光を受けて、私たちに示しているのです。

エペソ112
1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」
「前からキリストに望みを置いていた私たち」とは誰ですか? 誰の事をいっていると思いますか? ユダヤ人の人たちは、アブラハムの子孫である我らユダヤ民族こそ神様の祝福を受けているものであるといって、やがて現れるメシアを待ち望んでいたわけです。ところがそのメシアをユダヤ人たちは拒絶してしまった。しかし聖霊によって目が開かれたときには、ああ、あのナザレのイエス様こそ旧約聖書が預言していたメシアだったのだ、キリストだったのだとわからせられる。パウロ自身もそうでした。以前はユダヤの神を信じ、キリストを拒絶していた人たちであったけれども、キリストに望みを置いてきた人たちがそこにおいて一つとなる、救われるのです。以前からキリストに望みを置いていた私たち、ユダヤ人たちがみな神の栄光をほめたたえるものたちになります。

そしてエペソ113
1:13このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。」
「あなたがたもまた」、かつては神の約束に遠く離れていて何の特権もない異邦人たち、私たちです。アブラハムの約束にはるかに遠く離れていた異邦人である私たちがこのキリストにあって、ここで13節をよくご覧ください。
「あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。」
 「耳ある者はそれを聞くべし」とありましたけれども、あなた方の救いの福音をまず聞いて、聖霊の憐れみによって、ああそうかと福音がわかるものとされて、そして聞いただけではなくそれを信じて、そして信じたことのゆえに、確かにあなたは神の子どもになりました。

エペソ114節を見ると、
1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」とまでいっています。そうです。かつては罪の中にあって、神様から当然怒りを受けるべき怒りの子であった私たちが、キリストにあって、まず、それも聞いて、その後信じて、そしてあなたは確かに救われたという約束の聖霊によって証印を押された、救われた。これが、パウロのいっている一切のものがキリストによって一つに集められるということばの意味している内容です。

エペソ110節
1:10時が満ちて、計画が実行に移され」
神の御子が人となって生贄のための贖いの仔羊としてこの世に送られ、そして「時が満ちて」、ついにそのことがなされた。イエス様は「私の心ではなく、御心のままに為してください」とお祈りをされて、父なる神様の御心を行うために十字架の贖いを成し遂げてくださった。「時が満ちて」これが実行された。「神様、すべてが完了しました」。十字架の上で贖いを成し遂げたお方、そしてその後聖霊が注がれるという、あのペンテコステのできごとにつながっていくわけです。これはぜんぶ「時が満ちて」神の計画が実行に移され、天にあるもの、地にあるもの、一切のものが、このキリストにあって一つに集められる。そして、私たちは御国を受け継ぐものとされたわけであります。

エペソ114
1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」
では、異邦人は、ユダヤ人たちが先に救われて、その後、異邦人たちが救われるのか、これは、確かに順序から言えば最初にペテロやそのほかユダヤ人たちがイエス・キリストを信じて、救われたわけです。しかし、ペテロたちが救われたのも、それは、割礼を受けていたアブラハムの子孫だから救われたと聖書に書かれてはいない。ペテロたちが救われたのも、同じく十字架の福音を聞いて信じて証印を押されたからです。ユダヤ人だからといって特別な救いがあったのではない。十字架の福音を聞いて信じて救われたのです。それで証印を押されたのです。それとまったく同じように、異邦人である私たちも福音を聞いて信じて証印を押されたのです。そこには何の優劣もありません。ただ時間的に次に異邦人が救われておりますけれども、そこに質的な違いは何もありません。キリストにあって私たちが御国を受け継ぐものとなっていることに感謝したいと思います。 

 

 

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J-MERO ピックアップ

J-MERO

ロックフェスティバル・イン・ジャパン
ゲスト:SILENT SIREN、スキマスイッチ、ヤバイTシャツ屋さん
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SILENT SIRENの群馬県渋川市の牧場での野外フェスリポート、壮観。SILENT SIREN2012年デビュー、4人組のガールズバンド。全員モデル経験がある。野外フェスには1000人が参加、ロックの名曲を熱演。2017年から続く。過去2回では、1980年代に活躍した群馬県出身の伝説的バンドBOOWYの曲が演奏された。今年の曲は、1985年から10年間活動したパンクバンドTHE BLUE HEARTSのヒット曲「終わらない歌」。THE BLUE HEARTSはロック界に数々の名曲と影響力を残した。


このフェスに全国から集まった人たちの声。
「全員で鳴ったらどんな音かな」「昔コピーバンドやってたこともあって、すごい楽しみにしてる」「なかなか人前で演奏する機会がないもので、年に一回の楽しみに参加」「最初はお父さんの影響でブルー・ハーツ好きになりました」「子どもは1年ぐらいしかやってないけど、たぶんいい経験になる」「本番の日が待ち遠しかった」
親子での参加が目立ち、これに向けてギターを始めた子どもたちも。

 

スキマスイッチは1999年結成。作詞作曲を2人で一緒に行う。野外フェスの魅力は晴れたときはもちろんいいけれども、雨が降ってもそれはそれでお客さんと一体感が生まれる。自然のロケーションの中で歌っていることがすごい非日常なのでそれだけで思い出ができる。
「楽曲制作で大切にしていることは、世の中にないものを、なるべく自分たちの身の丈に合った等身大のものを作りたい。たとえば歌詞の内容で、「世界の平和に」と書こうとしても、もっとそれをいうに相応しい人がいるんじゃないかなと思うし、気持ちはあったとしても、歌詞の主人公がそれを言ったところで、ちょっと大きすぎない、背伸びしてないかということに。身近に思う事を、フィクションの中で作られたものだとしても、自分たちがそこにいたらどうかということを大事にして、それをぶつけて、何それ?という事になることもあるんですけど、そこのバトルも含めて曲作りをやっている。」

 

ヤバイTシャツ屋さんは2016年デビユーの3人組。独特な歌詞センスとテンポの良さが魅力。
楽曲制作について、まずパワーワード、印象に残るフレーズ、歌詞を一つ決めて、そこから広げていくことが多い。英語に翻訳しづらい歌詞ですが、「かわいい越してかわいふやんけ」といった歌詞。「猫飼いたい、猫飼いたい」とか。耳に残る、印象に残るフレーズを一つ決めて、そこから広げていく。最初のそのパワーフレーズを一つ作るのにいちばん時間がかかる。

 

🎵1000人の第九は知っていたけれども、1000人のロックフェス。これはいよいよ盛んになりそう。等身大の創作、一考に値。パワーワード、ストレートパンチとなるか。

⛳7時20分更新

 

 

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庭のハーモニー

 

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2019/7/19クラシック倶楽部を聴く

N響メンバーによるハルモニームジーク演奏会
201667日 ハクジュホールでのライブ録音

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(オーボエ)青山聖樹、(オーボエ)和久井仁、(クラリネット)伊藤圭、(クラリネット)山根孝司、(ホルン)福川伸陽、(ホルン)勝俣泰、(ファゴット)宇賀神広宣、(ファゴット)森田格、(コントラバス)西山真二

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☆「管楽八重奏曲 変ホ長調 作品103」ベートーベン:作曲
☆「交響曲 第8番 ヘ長調 作品93」ベートーベン:作曲、J.バーコンス:編曲
今回はJ.バーコンス版にN響メンバーが手を加えて演奏。

🎵
8番のみ視聴、たぶん最初のほうにコメントが入ったと思うが聴き逃してしまい、残念だった。それにしても、ベースが入って管だけの交響曲8番、物足りないのではないかと思いながら聴いたところ、それは勘違い、むしろ凝縮された味わいがあり、全般、明るく朗らかな響きが駆けつづけ、それがまだ鳴り続けている。「管楽八重奏曲」、どうであったか。

 

🎧
名曲アルバム。四季から「夏」、ヴィヴァルディ作曲。バイオリン荒井英治&東京フィル。

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「ヴィヴァルディ(1678生まれ)。ヴィヴァルディの時代、ベネチアは独特な音楽文化を誇っていた。歌手や演奏家の多くは、教会の慈善院に集められた孤児の少女たちで、彼女たちには質の高い音楽教育が施された。成人して司祭となったヴィヴァルディも同様の慈善院で音楽を教え、祭壇上で教え子たちと合奏し、自作の音楽を披露したという。教え子を連れて劇場に出入りし、オペラ上演にも携わったヴィヴァルディ。聖職者の身で音楽にのめり込んだ彼は、市民の反感を買い、街を去る。」

⛳名曲アルバム、たった5分に生誕の地や作曲に関わる地方、景色、風俗、作曲家の家、部屋、資料、使用楽器、楽譜などを盛り込み、分かりやすい解説を印象深く。ほんとうにすぐれた映像であると有難く視聴している。買ってしまうといつでもあるからとむしろ聴かなくなる。当分はTVで楽しみ、あと5年もしたなら自分のライブラリーに入れようかと思う。

7時2分 更新

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2019/7/18クラシック倶楽部を聴く

レ・ヴァン・フランセ 協奏交響曲の夕べ

(フルート)エマニュエル・パユ
(オーボエ)フランソワ・ルルー
(クラリネット)ポール・メイエ
(ホルン)ラドヴァン・ヴラトコヴィチ
(バソン)ジルベール・オダン
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団

2018424日 東京オペラシティコンサートホール
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ポール・メイエが中心となって結成されたトップ・プレイヤーたちによるアンサンブル・グループ。2002年創設。

コメント
フランソワ・ルルー これまでに素晴らしい活動、そして今回のように素敵なホールで演奏してきました。「唯一無二の音」を持つこのアンサンブルだからこそ多様なプログラムが実現可能です。
ポール・メイエ 演奏曲はシーズンごとに決めています。たとえば今回の協奏交響曲のように。この企画は2年以上前から温めていました。さきざきのプログラムをメンバーで漠然と話し合い、徐々に企画が固まっていく感じです。
ラドヴァン・ヴラトコヴィチ 今回はオーケストラとの共演で「協奏交響曲」だけのプログラムが実現しました。
ジルベール・オダン 楽器を引き立たせる独創的なところ、またオーケストラと対話するところが協奏交響曲の魅力です。あらゆる形の対話で展開していくところが最大の魅力です。すばらしい仲間との共演はとても嬉しいです。そして今回はオーケストラの一緒!
エマニュエル・パユ 管楽器の多様な組み合わせをお楽しみください。そして私たちと一緒にすばらしい音楽のひとときを楽しみましょう。

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☆「フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第5番 ヘ長調から 第2章と第3楽章」プレイエル:作曲
プレイエルはオーストリア生まれ。作曲をハイドンに師事。またピアノ製作と楽譜出版でも高い名声を博した。生涯に協奏交響曲を6曲残した。第5番はフランスに活動拠点を移した後の作品。
☆「フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第2番 ヘ長調から 第2章と第3楽章」ドヴィエンヌ:作曲
ドヴィエンヌはフルート奏者とバソン奏者、そして作曲家と多彩な才能を持った音楽家。第2番はフランスのモーツァルトと称されたドヴィエンヌらしい優美さを感じさせる作品。
☆「オーボエ、クラリネット、ホルン、バソンのための協奏交響曲 変ホ長調 K.297b」モーツァルト:作曲
1778
4月、コンセール・スピリチュエルの演奏会のために、オーボエ、クラリネット、ホルン、バソンのための協奏曲を作曲。しかし演奏会はなぜか開催されず、楽譜も行方不明となってしまった。1870年に筆写譜が見つかるが、フルートではなくクラリネットを用いた楽譜だった。偽作ともいわれているが、卓越した曲想から名作の一つとして親しまれている。
☆「木管五重奏のための3つの小品から 第1曲」イベール:作曲

 

🎵細やかな部分にも空気を豊かな音に換えてしまう見事さ! アンコール曲を演奏するレ・ヴァン・フランセを見守る、見つめる東京フィルの方々の表情が何とも素敵でした。  

 

🎧
名曲アルバム
「アルプス交響曲」リヒャルト・シュトラウス作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】田中良和

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⛳音楽って、いいな~  7時5分 更新

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2019/7/17クラシック倶楽部を聴く

トルヴェール・クヮルテット 結成30周年コンサート
2017
108日 東京文化会館小ホール
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トルヴェール・クヮルテット
須川展也(ソプラノ・サクソフォーン)
日本で最も有名なサクソフォーン奏者のひとり。多くの作品を委嘱し、サクソフォーンの新たなレパートリーを開拓。
彦坂眞一郎(アルト・サクソフォーン)
東京芸術大学大学院修了。室内楽を中心に活動。ソロやアンサンブルなど数多くの演奏・録音に参加。
神保佳祐(テナー・サクソフォーン)
アンサンブルを中心にオーケストラや吹奏楽の公演に参加。2017年からトルヴェールに参加。
田中靖人(バリトン・サクソフォーン)
第一回日本管打楽器コンクール第一位。東京佼成ウィンドオーケストラのコンサートマストーを務める。

小柳美奈子(ピアノ)
室内楽を中心に活動。トルヴェールとは結成間もないころから共演。

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1987年結成。2017年には結成30周年を迎える。クラシック作品、ポップス、オリジナル楽曲など多彩なレパートリーを持ち幅広く支持されている。29年間オリジナルメンバーで活動。2016年テナー・サクソフォーンの新井靖志が逝去。2017年新井に師事していた神保佳祐がメンバーに加わる。92年東京国際音楽コンクール第2位、第5回日本吹奏楽アカデミー賞「演奏部門」受賞。
「トルヴェール」とは、中世フランスで街行く人々に恋愛や社会について歌い語った吟遊詩人のこと。

 

コメント
須川
ことしで30周年ということで、みんなでかばい合って信頼し合って続けていきたい。もちろん練習のときには、音楽の深いところまで突き詰めていくんですけれど、本番になったらどちらかというと解放して、練習でいままで起こったことをみんなで楽しむ。移動するとき、食事するときもみんなでたわいのない話をしながらも、話題のキャッチボールができるような、これが秘訣じゃないか、これが長い時間かけることで秘伝になり秘伝のたれとしてこれからもやっていきたい。
彦坂
始めたときからそうなんですが、すごい達者な人たちが集まってるなという自覚があって始まったわけですけど、やはり、自分にできないところがあったら、みんなのようにとそれで頑張ったり、或いは、この人はこういうのが苦手なんだなという事がだんだん分かってきたりして、それぞれが名手なんだけれども、苦手があったり。演奏している時はほんとうに楽しくて幸せで、別の宇宙がある、実生活じゃなくて音楽の中のまた宇宙があって、そこで一緒に生きていけるのが幸せだなと思っています。
神保
ぼくが高校生の時に初めて…カルテットを聴かせていただいて、その時はCDでした。すごいテンションの高さがあった。一緒に演奏させていただけるようになり、もっとシリアスな感じで音楽づくりをされてるのかなと思ってたんですけども、ある意味、シリアスさはあるかもしれないけれども、とてもリラックスして、ここで音楽をしているというよりは、未来ある音楽にみんなで向かっていくというような姿勢がとても素敵だなと思って、一緒に演奏させていただいてとても幸せです。
彦坂
30年経って、いちばん最初に新井靖志がいたんですが、その新井君と作ってきたものが、こうやって30年を迎えて、移ろってきて、いま神保君が入って、こんなふうに常に時間が流れ移ろっていくものだから、音楽を演奏するときに決めたとおりにやるんじゃなくて、今が次につながっていくという、そういう先がどうなるかを決めたものでやってくのが音楽だとみんな思ってるんだけど、僕は逆だと思っていて、過去に何があったから今こうなっていくというものを作っていくというものが音楽だから、そういうふうに前を見るだけじゃなくて後ろを見たりとか、というふうに視点を色々変えながら演奏していくということが、すごく新しく同じ音楽でも演奏するときはまた変わっていく、移ろっていく、それを楽しんでいけばいんじゃないかな。
田中
今回ライブの映像ですので、楽しんでいるすがたをどうぞお楽しみください。
練習の時とはちょっと違う事件といいますか、いつもこう吹いているんだけどちょっと違うなとか、フェイクして吹いているな、それプラス振り付けを付けたりとかすることでお客様にも楽しんでいただくんですが、。やはりメンバーに楽しんでほしい。
小柳
それぞれのユニークなキャラクターが集まった時にできる音楽、そこがトルヴェールのすごいところ。ピアノが入ることによって私が支え役になってみんなのそれぞれの活躍できる場が音楽の上でも広がる。弦楽四重奏とピアノだと4対1が多いのですが、トルヴェールの中に入るときは、ピアノひとりじゃなくて、もう一つ支え役のサックスが入ったようなつもりで、みんなが自由に歌ったりできるように心がけています。

☆「G線上のアリア」バッハ:作曲
☆「弦楽四重奏曲 ヘ長調」ラヴェル:作曲、新井靖志:編曲
トルヴェール・クワルテットのメンバーである新井志が彼ら自身のレパートリーとして演奏するために編曲。弦のピチカートなどをサクソフォーンの特殊奏法で表現し原曲の弦楽四重奏の持ち味を生かしている。
☆「ティプシー・チューン」長生 淳:作曲
「ティプシー」とは「ほろ酔い」を意味する。「チゴイナーワイゼン」「巨人」「革命」「チャールダーシュ」など有名なメロディーが次つぎに登場する。トルヴェール・クワルテットの曲を数多く手掛ける作曲家長生淳の作品。

🎵やはりコメントによって理解が得られること多々。「ティプシー・チューン」、五木の子守歌までが登場してこの先は? そこにこのカルテットのキャラと本領が音のジョーク、パフォーマンスを交えて発揮され、実に楽しく愉快。

🎧名曲アルバム
ラルゴ「懐かしい木陰」ヘンデル作曲、ニウナオミ編曲
【トランペット】古田俊博,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】矢崎彦太郎
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⛳解説、写真、コメントなど、番組からです。コメントに今回の演奏内容は現れている。時間の関係で、きょうはこれで更新。時間があったらまた書き足すことに。 7時20分


 

 

 

 

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2019/7/16クラシック倶楽部を聴く

アメリカ海兵隊バンド 日本公演

1798年創立。大統領直属の演奏団体。大統領就任式などの公式行事、一般公開の演奏など、年間500回以上の演奏活動。指揮ジェイソン・フェティッグ。マーチ王J.P.スーザが第17代隊長。新たなレパートリーの発展にも力を注ぐ。指揮のジェイソン・フェティッグ大佐は、マサチューセッツ大学でクラリネット指揮などを学び、メリーランド大学でオーケストラ指揮の修士号を習得。1997年クラリネット奏者として入隊。2014年から第28代隊長として、多くの曲の初演を手掛ける。
本多の森ホール 2019516(石川県金沢市)

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☆「アメリカ合衆国国歌「星条旗」」
☆「日本国歌「君が代」」
☆「行進曲「海を越えた握手」」ジョン・フィリップ・スーザ:作曲
マーチ王、作曲家ジョン・フィリップ・スーザ(18541932)は、18801892年まで海兵隊バンドの第17代隊長を務めた。その後、自分の名をつけたスーザ吹奏楽団を率いて人気を博した。「海を越えた握手」は特定の国を相手に作曲されたのではなく、国際的な共通言語としての音楽をあらわしている。
☆「エスプリ・ドゥ・コール」ロバート・ジェイガー:作曲
ロバート・ジェイガー(1939)は、「シンフォニア・ノビリッシマ」ほか、多くの吹奏楽作品で日本でも人気のあるアメリカの作曲家。「エスプリ・ドゥ・コール」はフランス語で団結心の意味。アメリカ海兵隊バンドの委嘱により、1984年に作曲された。演奏の速度指定はTempo di Bourgeois。委嘱当時の隊長ジョン・ブルジョワの快活な気風をあらわしている。
☆「イロァ・イロァ」ケヴィン・ウォルツィク:作曲
アメリカの作曲家ケヴィン・ウォルツィク(1964)により東日本大震災と津波の犠牲者への祈りとして2015年に書かれた作品。題名は聖書にあるイエスの言葉Eloi, Eloi,lama sabachthani?「神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのですか」からつけられている。

☆「ルイ・アームストロングへのトリビュート」スティーヴ・ブラ:編曲
この作品はルイの演奏した作品の人気曲から6曲を選びメドレーにした。海兵隊バンドのダニエル・オーバンがソリストを務める。
(独奏トランペット)ダニエル・オーバン、(独奏クラリネット)パトリック・モーガン、(独奏トロンボーン)サミュエル・バーロウ
☆「「ユーソニアン・ドゥエリング」(世界初演)から 第2楽章「タリアセン・ウエスト」、第3楽章「落水荘」」マイケル・ギルバートソン:作曲
これはピュリツァー賞候補にもなった新進気鋭の作曲家マイケル・ギルバートソン(1987)の初めての吹奏楽作品で海兵隊バンドの委嘱によって作曲された。「ユーソニアン・ドゥエリング」とは「アメリカ人の住まい」を意味する言葉。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの後期の住宅群から着想を得て作曲された。3つの楽章からなる曲として構想され、第2楽章と第3楽章が今回世界初演された。第2楽章「タリアセン・ウエスト」はライトの自宅および建築学校で冬の家としてアリゾナ州スコッツデールに建てられた。建物周辺の荒涼とした砂漠の景色を反映している。第3楽章「落水荘」はペンシルバニア州ミル・ランにある滝の上に建てられた邸宅。流れ落ちる水が演奏で巧みに表現されている。作曲したギルバートソンも金沢での初演に立ち会った。
☆「くちづけ」アルディゲーリ:作詞、アルディーティ:作曲、パターソン:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド
イタリアの指揮者で作曲家ルイージ・アルディーティ(18221903)の歌曲。スーザ吹奏楽団で演奏された人気曲である。
☆「「ウエストサイド物語」から「サムホエア」」ソンドハイム:作詞、バーンスタイン:作曲、フェティッグ:編曲
(メゾソプラノ)サラ・シェフィールド
☆「行進曲「星条旗よ永遠なれ」」スーザ:作曲

1896年スーザ42歳で作曲。アメリカを代表する曲。

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🎵
ユーチューブでもロシア民謡などを見ると軍服で歌っているのが珍しくない。軍服には抵抗感があるけれども。司会サラ・シェフィールドの日本語で親近感、あ、これが狙いかな。などと勘繰るのはやめ、世界共通語である音楽に耳を傾けてみた。演奏する方々もみな音楽を愛し、音楽で人々に楽しみや平和をと願っているはず。
 今回特に興味深かったのが、「ユーソニアン・ドゥエリング」。最初の独特な響き、人を寄せ付けない世界をあらわすことで、その響きが人を寄せ付けているという、この摩訶不思議に引き込まれた。作曲者のギルバートソンも登場、画面上から写真がうまく撮れなかったのが残念。サラ・シェフィールドの歌でいっぺんに空気が入れ替った。
  日本の洋楽のはじめは、日本に開国を迫った軍艦の軍楽の恩恵を受けている。その流れを聴くことができた。

⛳ペリー来航やらロイド・ライトの建築物をwebに訪ね歩いているうちにこんな時間に。けさも楽しい朝のひと時。何しろ素人びとの更新、これをさらにマメに斬ってくださる方があっても不思議はないと 8時 更新

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わが魂を愛するイエスよ

きょうはクラシック倶楽部がない、と思うまえに、心に流れていたこの曲。単純で、優しく、心洗われる。この音の配列は、こうかああかと頭の中で音符を組み合わせたものではないと。「わが魂を愛するイエスよ」。1740年チャールズ・ウェスレー曲。多くの音楽家たちが、まず教会音楽で育ち、そして偉大な作曲を成し遂げているけれども、この曲もまたそのような才能を育んだ一曲なのでは。オルガン演奏で聴くのがいちばん。

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 昨夜聴いたJ.S.バッハ(アヴィタル編)の協奏曲ト短調(アヴィタル&ポツダム室内アカデミー)とソナタホ短調、イスラエル生まれのマンドリン奏者アヴィ・アヴィタル、これがなかなか良かった。いつか息子がパソコンに入れておいてくれた曲なのですが。

AVI AVITAL / アヴィ・アヴィタル / バッハ

⛳クラシック倶楽部がなくて何かなとTVを点けたところ博多祇園山笠2019の生中継、いま四番山笠大黒流れが入ってき、こんどは五番山笠東流。7000人の男たちの参加、だったかな。     5時49分更新


 

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2019/7/14きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きにわたって、岩手で主のご奉仕をしておられます。
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 7月7()の説教は『もう一度君に会いたい』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:第一コリント書151220でした。

15:12ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。 15:13もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 15:14そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。 15:15私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。 15:16もし、死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 15:17そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。 15:18そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。 15:19もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。15:20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

 

〈説教〉

  きょうは礼拝音楽の日ですので、短くみことばの時を持たせていただきます。
 岩渕さんをお招きするのは2回目です。一回目は2011年の311の後でした。岩淵さん方は積極的に被災地の支援に力を尽くしてくださいました。そんな中に土曜日に時が許され、この教会でコンサートを持っていただいたことを覚えております。またお招きしたいと思ったのは、「もう一度君に会いたい」の歌が、岩渕さんがご長女を天に送るという経験をされ書かれた歌ですが、ああ、これだとこのように思ったことでございます。
 ほんとうに私たちが、必要としている救いの恵み、福音というのは、このことに集約されているのではないでしょうか。色々な角度から福音というものを解明かすことができますけれども、いちばん現実的に自分の問題として関わるときに、復活、永遠の命、天国での再会、これがただ単なる宗教的な言い回しではなくして、ほんとうにそうだと心から肯くことができる、それを提供できるのは、キリストの復活。永遠の命の約束、これが、いちばんの福音の中心ではないだろうか、私はそのように岩渕さんのこの証しを通して、これでいいのだ、これをお伝えするのが、私たちの教会の大切な使命なのだという思いを新たにしたのでございます。
 それでこの第一コリントを開いたのでございます。いつもの礼拝ですと、去年はコロサイ人への手紙を礼拝で学び、そして今年はエペソ人への手紙にシフトいたしまして、それを今一節ごとに基本的には学びつつありますが、きょうは、第一コリント15章です。

 第一コリント15章は新約聖書の中にあります。旧約聖書は、やがて私たちに救い主が与えられるという神様の約束が記されているとするなら、新約聖書は、その旧約聖書が約束していた救い主が、あの十字架につけられたナザレのイエス、そして、よみがえられたナザレのイエス、振り返ってあのお方だったんですよという事が書かれているのが新約聖書です。

コリント人への手紙はパウロが書いた手紙の一つです。紀元後の55年という大昔に書かれたこの書物を当たり前のように開く恵みを私たちは持っております。

コリントはギリシャの町ですが、たいへん開かれた、というか、堕落してしまったということもできましょうか。自分たちは色々な知識を持っているのだという事で、コリントの人たちは自分たちの知識をひけらかしたり、或いは、古臭い道徳といったものは全く気にしない。自分たちの思ったことを思った通りに生きて何が悪い、そんな生き方を彼らはしていた。これもパウロが開拓した教会です。教会がどうも福音の真理からはずれてしまっている。それは何かというと、いちばん大切なキリストの十字架と復活ということさえ、そんなばかなことがあるものかと、福音の大切な部分を、これは間違っていると拒否してしまっていた。それに気が付いたパウロは、「もしキリストの復活という事がない、またもし永遠の命の希望というものがなかったとするならば、私たちは、すべての者の中でいちばん惨めな存在です。ありもしないものをあると言い張って、空しいものを信じているとすれば、クリスチャンほどばかばかしいものはない」そして逆説的に「クリスチャンほどばかばかしいものはない、けれども、ほんとうにイエス・キリストが復活をし、よみがえったからこそ、私たちは生けるまことの希望を持っているのです」と諭したのがコリント人へのお手紙であります。

 岩淵さんの証しの中に、お嬢さんが8歳で天に召される。しかし、この19節をご覧ください。

15:19もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

本文では「地上の」にマークが付いていますので一層はっきりといたします。私たちのいのちはこの地上においてのみだけではない、まことの永遠のいのちにつながっている。永遠のいのち。

 私にもどうしてもお話ししたいことがあります。それは、私が小学校の5年から6年になろうとする時でした。私をとても可愛がってくれた叔父、私とそんなに齢が離れてはいません。色々ないきさつから一緒に住むことになった叔父、といっても中学生の叔父なのですが、それでとおる兄ちゃんと呼んでおりました。満州から引き揚げてきて、私の母が見るに見かねて引き取っていたのです。兄ちゃんが来てくれたことは私にとって楽しく嬉しいことでした。しかしとおる兄ちゃんに果たして人生が楽しいという時があったでしょうか。彼は自ら命を絶ってしまいました。決意していた前日、一緒にふとんを並べて寝ていたのです。
 兄ちゃんは古い写真を見せながら、「勝坊、このときはこうだった、あのときはこうだった」というのを最初は興味深く聞いていたのですが、「とおる兄ちゃん眠いよ」といって私は寝てしまい、その後、彼は自死いたしました。まだ息があるうちに見つかったので、何とか生きてもらいたいと、これは長野県の松本での事ですが、何とか助かるようにと祈りました。しかし祈っても私のところはクリスチャンではなかったので、何に祈ったらいいのかわからないのです。神棚もあれば仏壇もある。私は神様というのはこういうものだと思っていたのです。「何とかとおる兄ちゃんの命が助かるように」、もう必死になって祈りました。しかし、病院から連絡があって息を引き取ったということでした。
 「おまえをいちばん可愛がっていたようだから、すぐ来るように」という事で、留守をしていた私は、初めて、亡くなった人の頬に触って、ああ、これが、死という事なのだと経験しました。私は、自分の生涯にもう笑いというものはないと思いました。どうして世の中の人は笑えるんだろうと思うほど、悲しく辛かった。それでも時が経ち、6年になりました。先生の家庭訪問があります。5年と6年は同じクラスの持ち上がりでしたので、同じ担任の先生が家に来て、「最近、勝美君が授業中ぼうっと窓の方を見てばかりいるんだけど、何か家でありましたか?」と訊いてくださるほどだったようです。さらに時が流れるうちには、笑いも出ましたし中学生にもなりました。ただ消えていないものがありました。とおる兄ちゃんの死の時から、心の底にどす黒い火が、ふつうは赤い火と表現するのでしょうが、黒い火がちょろちょろと燃えているのです。友達と楽しくは過ごします。高校時代も、やがて東京の大学に行っても楽しくふつうに過ごしながらも、ふっと気が付くと黒い火がちょろちょろ燃えているんです。僕は一生これとつきあわなくちゃならないのか、いやだなあと思っていました。黒い火に捕らわれたときには、なあに歯を食いしばっていやな事辛いことを生きることはない、いやになったらあの薬の瓶一つで死ねるんだから。なんでそんなにまでして生きる必要があるのか、と思うのです。

しかし私は、19681116日、福音というものに初めて触れました。これは神様の憐れみでした。キリスト教に触れるとは、聖書を勉強してはじめてわかるということなのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではないと私は知っています。何もわかりませんでした。けれどもあの日、ダヴィット・マーチン先生が達者な日本語でお話しくださった「あなた方は、今イエス・キリストを信じて永遠の命を得なければならないのです」そしてその先生が「今私だけが皆さんを見ています。皆さん方目を閉じてください。私だけ見てますから、今晩イエス様を救い主として信じたいと思う人は手をあげてください」。私は後ろの方にこっそりと座っていたんですけれども、辺りをそっと見まわすと、学生街ということもあって100人弱の学生が集まっていたうち、手をあげたのはたったの56人でした。これだけ先生が汗をたらたら流しながらイエス様を信じたい人手をあげてくださいと促しているのにたった56人という事はなかろう。私は、そうだ、この先生が語っておられるこのことを私も信じたい。これが救いというものなら、私はこれが欲しい。東京で4年間学ぶ機会を与えられたけれども、何を確信して生きたらいいのかを持ち合わせていなかった。けれども、これを持って生きて行こう。よし。一瞬のうちでしたが手をあげました。すると先生が「いま手をあげた人は前に出てきてください」。勇気を出して前に出ました。先生の祈りに合わせて「信じます」と告白し祈りました。あの19681116日の事は今でも覚えております。それから当時下宿をしていた大田区のあの雪谷のところに帰っていくまで、何か心の中が浮き浮き、ほんとうにハレルヤという思いでした。それからです。処女降誕、復活など常識から考えるとわからないことがいっぱいありましたけれど、教会に行って、これはどういうことですか、これはどういう意味ですかなどと先生に伺いながら、指導をしていただきました。

そして、あれっと気が付きました。小学校5年から6年に移るとき以来ずっとちょろちょろ燃えていた死への誘いといったらいいのか、あの黒い火が消えていたのです。これがイエス・キリストの十字架の救い、復活の永遠のいのち、ああ、このことだったんだとわかりました。私はこれをお伝えするために自分の生涯を用いたいと思いました。

当時レコード会社に勤めており、SV1045「港町ブルース」、JRQ1015「長崎は今日も雨だった」などのレコードを出荷する度に、この先こんなことに用いられたくない、心底そう思って間もなく召命を受け、献身を決意しました。世の中一般の仕事を決して否定するわけではありません。そういうお仕事をする人がいていいのです。しかし私は、自分の生涯は、この福音をお伝えするために用いたい。そして、とおる兄ちゃんのあの悲しい出来事があったからこそ、私はこのような今を迎えることができていると思いました。

  とおる兄ちゃんには福音を耳にし信じる機会はありませんでした。そのことを私は思うのです。そしていつも心の中に深く響くのは、ひとりの御子をさえ私たちのために与えて惜しまない愛の神様がおられる、その中に一人ひとりの生涯が導かれている。今私たちにはわからないことがある。分からないことはあるけれども、それは神様の御愛の世界にすべてお委ねすることができる。神様にすべてお委ねする。そして今現れているこの、イエス・キリストの十字架、それが罪を赦し永遠のいのちの保証する、これを、しっかりと信じる者はみな永遠の命を持つという、このことをはっきりと宣べ伝えること、それこそ大きな祝福なのだという事を思います。
 岩渕さんの音楽がなぜ私たちに慰めを与え希望を与えられるのか、それは岩渕さんご自身が福音に生きておられるからです。その中に育まれてきた讃美、証し、メッセージであると思うのです。是非この福音をこの教会の集いにおいて、或いは今日の午後の集会において共感し我がものとしていただければと心から願っているところでございます。

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♪父の涙

心に迫る 父の悲しみ
愛するひとり子を 十字架につけた
人の罪は 燃える火のよう
愛も知らずに 今日も過ぎていく
十字架から あふれ流れる泉
それは 父の涙
十字架から あふれ流れる泉
それは 父の愛

父が静かに 見つめていたのは
愛するひとり子の 傷ついた姿
人の罪を その身に背負い
父よ彼らを 赦してほしいと
十字架から あふれ流れる泉
それは 父の涙
十字架から あふれ流れる泉
それは イエスの愛

十字架から あふれ流れる泉
それは 父の涙
十字架から あふれ流れる泉
それは イエスの愛

 

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J-MEROから

J-MERO


再放送。前回、曖昧に見ていたところが今回でくっきり。
13
回目のみやざき国際ストリート音楽祭、内外を取りこみ、拡充させようとの地域住民の熱意がむん。人口40万の街。地元のミュージシャンと宮崎出身のシンガーソングライター秦基博さんの「仰げば青空」、「YHE NINE WORLDS」を始動したらしいEXILEの黒木啓司さん、そして米良美一さんらが登場。

海外から宮崎に移住した方は、フランスからのロジェさん、動画を撮影、編集、海外に発信。好きな歌手はSuperfly。ドイツ出身ビョーンさんは陶芸。好きな歌手は玉置浩二。

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そして前にも書いた米良美一さんの一言一言には含蓄が。米良さんの神社への思い入れ。ふつう日本人は、試験に合格させて、病気治してなどと、何とかいいこと起こしてよと柏手たたくのだが、米良さんは感謝の心を表すためにお参り。宮崎駿に見出され、「もののけ姫」リリース。
 米良さん感動の歌は「ヨイトマケの唄」。米良さんもカバー、CDを出す。「(ヨイトマケを)歌った時びっくりするぐらい嗚咽やすすり泣きが起こってしまって、その一人が会場にいた私の母なんです。こんないい歌をうたってくれてありがとう、ってお礼を言われて。それまでいろんな褒め方されたけど、魂の奥深いところに響いた瞬間でしたね。あの歌を歌ってから、違うものの見方ができるようになった。自由になったんです。歌ってこういうものだったんだ。それまでは歌を武器にしてたんですよね。戦うための武器。人を見返してやろうとか、自分のことをもっと評価してもらおうとか、でもそういうのよりも、…しょっちゅういろんな故障があるんですけど、それもすべて時に試され時に、それによって感謝を噛みしめたり、他人さまのあたたかさを味わったり、ということなのかな。それがしいては音楽にもすごく生かされたり、すべてが米良美一という人間を高みにあげてくれる。この世の成功のためではなくて、精神と魂を純粋な高みにあげてくれるために起こっていることなんじゃないか。静かな気持ちで受け止めようと思って励んでいます」と米良さん。

⛳いつもながらの偏った取り上げで  7時10分 更新

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  ベルケアもタチアオイも、もう咲き終えるところです。はやく撮らないとと思ってはいたのですが、忙しさに追われ、ついつい今ごろに。
 ことしも咲いてくれてありがとう。この雨もようの日にもびっしりと水滴を帯びながら、光をさえぎる灰色の雲の下で、地に傾きかげんになりながら、そうなの、ふむふむ、と相槌を打ってくれる。

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盛岡タイムスに連載の「楽都のユニゾン」第59回が出ました

本日、筆者が盛岡タイムスに連載している「楽都のユニゾン」第59回が出ました。
今回は太田カルテットの主宰者梅村保が音楽界から身を引く決意するまでの成り行きを書かせていただきました。
どうぞ宜しくお願いいたします。

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2019/7/12クラシック倶楽部を聴く 「火の鳥」世界初演 録画

シプリアン・カツァリス&広瀬悦子 ピアノ・デュオリサイタル
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

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2人は、拠点としているパリで出会う。広瀬の演奏に感銘を受けたカツァリスの呼びかけでレコーディングが実現。今回は初めてのデュオリサイタルで2台ピアノ編曲版「火の鳥」の世界初演。
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

シプリアン・カツァリス
1951年フランス、マルセーユ生まれ。40年にわたり世界の第一線で活躍。作曲・編曲も行う。ベートーベン/リストの交響曲全曲録音を行い高い評価を受ける。
コメント
きょう121日は私たち2人の初めてのコンサートです。そして2台ピアノ編曲版「火の鳥」の記念すべき世界初演の日でもあります。オーケストラでフルートやバイオリンが奏でる美しい旋律が、ピアノによって違った音色になります。いうなればクリスタルな音色です。オーケストラでは聴けません。ピアノ版とオーケストラ版と2つの着想があったのかもしれません。今回のピアノ版は、ストラヴィンスキーの意図をすべて汲みとっていると信じています。
私が初めてベートーベンの田園をピアノ編曲版で弾いたとき、ある評論家が私に言いました。「この交響曲のことをより深く学べた」と。編曲版は交響曲をより深く分析して作られているからです。そして私が編曲版をより深く愛するもうひとつの理由は私自身のピアノ演奏を成長させてくれることです。音の表現や強弱を捉える感覚が充実し、ピアノ曲を弾くときでさえ作品をより魅力的に感じます。たとえばショパンのバラードの旋律も、弦楽器のボーイングをイメージします。時にはクラリネットや人の声もイメージします。編曲版は音楽を理解するのにとても充実した方法なのです。


広瀬悦子
名古屋出身のピアニスト。ミュンヘン国際音楽コンクール優勝。マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール優勝。世界各国でリサイタルを開催。数々の音楽祭にも出演している。

コメント
この
ストラヴィンスキーの場合は、ほんとうにピアニスティックな魅力に溢れていて、打楽器的な要素だったり、そういうものが多いので、新たな側面というか、新たな光を当てて皆さんに新しい魅力を提示できるんじゃないかなと思って、ピアニスティックな華やかなアレンジなのでそういう点でも聴きごたえのある作品だと思います。

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☆「バレエ組曲火の鳥」ストラヴィンスキー:作曲、アキレス・ワストル:編曲
ストラヴィンスキーが作曲した最初のバレエ音楽。今回はギリシャ出身のピアニスト・作曲家であるワストルによる2台ピアノ編曲版
☆「交響曲 第9番 ニ短調 作品125 から 第4楽章」ベートーベン:作曲、リスト:編曲
リストはベートーベンの交響曲全曲をピアノ独奏版に編曲。その中で第9番のみ2台ピアノ版も残している。
☆「スラブ舞曲 ホ短調 作品722」ドボルザーク:作曲
当時無名だったドボルザークが、ブラームスの勧めで作曲。管弦楽曲としても親しまれているが、元はピアノ連弾用の作品。

🎵YAMAHAピアノ2台での演奏。2台で撮った映像の編集で20本の運指を間近にできるおもしろさ。交響曲のピアノ版は、特に声部に埋めきれないものがあり、それが空白として残ってしまうのだが、カツァリスのコメントを参考に、ピアニストの声や弦のイメージ化に発想を転換させて聴くとまた確かに新たな発見が。あの分厚いスコアから、ピアノ譜にのこす音符を拾い上げつかみ取り、鍵盤で玩味する労力、仕事の大きさに思いが至った。

 

🎧
名曲アルバム。「ハワイアン・ウェディング・ソング」C.E.キング作曲
【演奏】Lagoon

 

 

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2019/7/11クラシック倶楽部を聴く。トマス・ヘルのリゲティ

トーマス・ヘル ピアノリサイタル

201663日 トッパンホール

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プロフィール
1970
年ドイツ、ハンブルク出身。96年近・現代作品が課題のコンクール「オルレアン国際ピアノコンクール」最高位受賞。古典から現代曲まで幅広いレパートリーを持ち、正確無比な演奏技術と知的かつ情感豊かな表現力で聴衆を魅了している。

コメント
この曲は演奏技法のうえで全てが新しく、他に類を見ません。難易度の高さゆえ、スポーツのように攻略したくなりますし、この曲を通して自分がどこまで行けるのか、リゲティが望む境地まで自分が応えて行けるのか…こうした葛藤も作品の魅力だと思います。神経を使うのは、複数の声部が織りなす色彩の豊かさを表現することです。「何て難しく大変な曲!」と思ってほしくありません。この曲の美しさを伝えるためにも、力を抜いて集中します。このエチュードをどの順番で演奏するか長いあいだ考えましたが、未完の第3巻から始めるのが良いだろうと思い至りました。第3巻には第2巻のように「締めくくる」という特徴がありません。リゲティが生きていたらこの続きを書いていたでしょう。ですから第3巻から振り返るように曲を進めていくのもすてきだと思うのです。

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リゲティは全3巻からなるこの作品の作曲に19852001にかけて継続的に取り組んだ。アフリカの民族音楽の影響による複雑なリズム構造をもった曲で、リゲティが文学や美術、化学から得た様々なインスピレーションが集約されている。

 

☆「ピアノのための練習曲 第3巻から 第15番「白の上の白」」
☆「ピアノのための練習曲 第3巻から 第16番「イリーナのために」」
☆「ピアノのための練習曲 第3巻から 第18番「カノン」」
☆「ピアノのための練習曲 第1巻 第1番「無秩序」」
☆「ピアノのための練習曲 第1巻 第2番「開放弦」」
☆「ピアノのための練習曲 第1巻 第3番「妨げられた打鍵」」
☆「ピアノのための練習曲 第1巻 第4番「ファンファーレ」」
☆「ピアノのための練習曲 第1巻 第5番「虹」」
☆「ピアノのための練習曲 第1巻 第6番「ワルシャワの秋」」
☆「ピアノのための練習曲 第2巻から 第9番「眩暈」」
☆「ピアノのための練習曲 第2巻から 第10番「魔法使いの弟子」」
☆「ピアノのための練習曲 第2巻から 第11番「不安定なままに」」
☆「ピアノのための練習曲 第2巻から 第12番「組み合わせ模様」」
☆「ピアノのための練習曲 第2巻から 第13番「悪魔の階段」」
☆「ピアノのための練習曲 第2巻から 第14番「無限柱」」

🎵
各題名の独特さ。「白の上の白」、冒頭の間合いから叙情、想念が聴こえる。「無秩序」、叙情とは対極、無機質のような感じが。「開放弦」、どこぞから音がランダムに落ちて来る。「妨げられた打鍵」、音を封じ込めた聴こえないはずの音が聴こえた気が。「ファンファーレ」、実験的。「虹」虹が消えていくところで捕まえようと。「ワルシャワの秋」、優雅、甘美といった旋律の対極にある音の点描。「眩暈」、ネガティブなものの汲み上げ。「無限柱」、リゲティの想起する、瞑想すると言った方がいいのか、無限柱とは。あらゆる距離、空間をそれぞれの間に保ちながら林立する柱が浮かぶ。それぞれの太さ、高さ、形状の影を落としながら立っている柱に存在の意味を問うているような、即ち人の存在の意味を問うているような、そんな感じを持ちながら聴いた。

 

 

🎧
名曲アルバム。「バラのアダージョ」チャイコフスキー
東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

⛳筆者による部分は🎵のみで、そのほか解説、写真などは番組の通りです。毎回面白く、あすはやめようかと思いつつ、起きだし視聴、そのたびに内容に惹かれて筆記となっている。  7時7分更新

 

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2019/7/10クラシック倶楽部を聴く

サラ・デイヴィス・ビュクナー ピアノリサイタル
(ブゾーニの生誕150年記念コンサート)

201641日 京都府立府民ホール・アルティ~

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サラ・デイヴィス・ビュクナー
ジュリアード音楽院に学ぶ。1983年エリーザベト王妃コンクール入賞。84年ジーナ・バッカウアー・コンクール優勝。86年チャイコフスキー・コンクール3位。フェルッチョ・ブゾーニ(18661924)の弟子たちである、ミェチスラス・ムンツ、エドワード・ワイス、グンナル・ヨハンセンに師事。

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コメント
1994年にブゾーニ版「ゴールトベルク」をCD録音しました。初録音だったはずです。ブゾーニの弟子エゴン・ペトリが演奏して以来、誰も弾いていなかったのです。私はオリジナルの「ゴールトベルク」を実際に演奏したことはありませんでした。いわゆる「原典版」の楽譜は使わずブゾーニ版から「ゴールトベルク」を学ぶことでどんな演奏になるか試してみようと思いました。原典で手が重なって弾きにくい部分でのブゾーニの解決策は実に効果的です。さらにすばらしいのは構成のドラマ性です。確かに30の変奏をすべて繰り返しを含めて聴けば、瞑想的なすばらしい体験になるかもしれません。しかし、30の変奏を楽譜通りの順序で全て演奏すべきとバッハ自身が考えていたとは思えません。「この変奏を弾いてみよう」「これを編曲してみよう」という風にさまざまな試みを楽しむために作られたはずです。「音楽のささげもの」や「フーガの技法」も同様です。どれも楽譜通りに最初から最後まで演奏し聴衆に静かに聴いてもらうための作品ではないのです。もっとも関心したのは、ブゾーニが大規模な曲での構成のドラマ性を理解していることです。ブゾーニ版「ゴールトベルク」の構成は、ブラームスの「ヘンデル変奏曲」に似ています。変奏を三つの大きなグループに分けられる形式を「ゴールトベルク変奏曲」に適用したのです。これは実に美しく説得力のある構成です。鍵盤の全音域やペダルを活用することもできます。私はこのブゾーニ版を学んだ以上、いわゆる「原典版」を弾くことはもうできないと感じています。

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☆「ゴールトベルク変奏曲 BWV 988」バッハ:作曲、ブゾーニ:編曲
ブゾーニ版は1915年に出版。長大な「ゴールトベルク変奏曲」は当時、ほとんど演奏されていなかった。ブゾーニは30の変奏から9つをカットし、リピートもすべて省略し、コンサートに適した30分の曲として再構成している。
☆「パガニーニによる大練習曲 から 第1番 ト短調「トレモロ」」リスト:作曲、ブゾーニ:編曲
☆「パガニーニによる大練習曲 から 第2番 変ホ長調」リスト:作曲、ブゾーニ:編曲
☆「パガニーニによる大練習曲 から 第5番 ホ長調「狩り」」リスト:作曲、ブゾーニ:編曲☆「パガニーニによる大練習曲 から 第6番 イ短調「主題と変奏」」リスト:作曲、ブゾーニ:編曲
ブゾーニ版の楽譜では、演奏の難しいリストの原曲を弾きやすくするために多くの改変が施されている。優れたピアノ教師としてのブゾーニを伝える「編曲」である。

🎵
アップテンポ、激しさの中にもどこか風通しのよさが感じられる。なかなか演奏されなかった曲がブゾーニという音楽家の編曲により広く演奏されるように。これまで無意識のうちに聴いてきた数々の「ゴールトベルク変奏曲」はブゾーニ編曲版だったかもしれない。
それにしても、府民ホール「アルティ」、観客席との高さの隔たりがなく、ステージが袖よりも低く、袖に下がるときには3段の階段をあがるという変わった設計。京都らしさなのか。設計は誰だろう。
 

 

 

🎧
名曲アルバム。「エグモント」序曲、ベートーベン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

 

⛳7時15分更新

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2019/7/9クラシック倶楽部を聴く

デニス・マツーエフ ピアノ・リサイタル

2017129日 武蔵野市民文化会館 小ホール

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デニス・マツーエフ
ロシア、イルクーツク出身。1998年第11回チャイコフスキーコンクール優勝。以来国際的に活躍。ベルリン・フィル、マリインスキー劇場管弦楽団など世界の名だたる管弦楽団と共演。コンクールを主催し若い才能の発掘に尽力している。
コメント
 きょうのプログラムは、私がいま「熱いロマンス」の状態になれるプログラムなのです。愛のプログラム。この2つのソナタにたどりつくのに時間がかかりました。ベートーベンの第17番も第31番も最も深くロマンティックなソナタの一つだと考えています。第31番はロマンティックの最高峰と言えます。第17番は「テンペスト」嵐としても知られていますが、誰もが知る作品です。私にとって第17番と第31番の組み合わせはリサイタルの前半に演奏するのに理想的なのです。私にとってとても大事なことで、リサイタルの出だしというのは最も重要な瞬間なのです。会場のパワー聴衆のパワーをつかむため、というのも聴衆はいつも私を正しく導いてくれるので。日本の聴衆は尊敬するべき人々で大好きです。とても教養があり理解に優れています。日本のホールやピアノも大好きです。会場の雰囲気も好きです。いつも集中力が感じられ洗練されています。

ロシアピアニズムとベートーベンについては、才能や個性、解釈に民族による違いはないと思っています。ロシアやソ連のピアノの伝統は今も残っています。ギリレス、リヒテル、ホロヴィッツ、ソフロニッキーといったピアニストたちが偉大な解釈で演奏しました。けれど私はこれらの録音を聴くとき、演奏者の民族を意識していません。ロシアの音楽家の解釈がドイツの音楽家と違うとはいえません。求められることは、作曲家の書いた音楽を奏でること。その上でひとそれぞれ独自の解釈を持っています。何らかの流派の規範があるとは思いません。ただもちろんロシアピアニズムの最も重要な規範の一つは、ピアノで「歌う」ことです。ピアノは弦をハンマーでたたく楽器ですが、それでも歌わせなくてはならないのです。これが最も大事なことで、たとえばラフマニノフがそうです。ラフマニノフは私にとって神のような存在なのですが、実際、解釈はその人の才能によるもので、民族によるのではありません。ベートーベンのソナタでいえば、リヒテル、ミケランジェリ、ポリーニ、フィッシャーそれぞれの解釈で、民族は関係ない。私の解釈は偉大な先人のに近いのですが、私にはまったく違うものが生まれると信じています。誰かに影響されずに。どの作品でも勉強するときは、様々な演奏を聴きます。その後、聴くのをやめ、その瞬間、自分独自の解釈が生まれます。私の規範、原則というのは、作曲家が求めるものを弾くことです。その後、そこに入り込み、その人個人の独自な解釈が生まれるのだと思います。

ロマンティックな音楽を演奏することに関しては、ロマンテッィクな音楽は、それを実践できている時に弾かねばなりません。現在、私は最もロマンティックな状態にあります。恐らく私の今の年齢では、様々な作曲家のロマンティックな作品を弾くことが可能です。勿論これは追体験、作曲家に対する感情移入をしてのことです。ステージに上がる演奏家はある意分の解釈、心を通して今日という日にホールに来た聴衆に伝えなければならない。私にとって最も大事な事です。もし演奏家がいなければ、作曲家が作品を書いたときの苦しみ、感情を感じることはとても難しくなるでしょう。もちろんロシアピアニズムについていえば、前にも言ったように、楽器の上で「歌う」芸術です。そしてもちろんどのロマンティックな音楽に対しても、独特な感情、独特な共感があります。演奏というプロセスの当事者でいること、何らかの役に入っていること。その役はまっすぐで正直でなければなりません。ステージの上では正直でなければなりません。わざと何かを作ろう、今日はこういうのをしようとすると、解釈や即興は何も生まれなくなります。必要なのはまず解釈のゆがみなしに作曲家が書いたとおりに弾くこと。すべてはステージの上で起こるのです。作品は体得した、リハーサルも十分した、頭の中に心づもりはある、しかしステージに出てしまえば、全てが純粋にゼロから始まるのです。これから何が起こるのかわからない、つまり、即興、この瞬間のひらめきなのです。「今動き出した」という瞬間が好きなのです。私は自分を管理しません。そこでは何らかの魔法が起きている。いわゆるステージの奇蹟が起こるのです。

 

☆「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品312」ベートーベン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110」ベートーベン:作曲
☆「即興」デニス・マツーエフ:作曲

🎵
ベートーベンのソナタ2曲、息吹をあげて次つぎに生まれ来る美しさをのみ込んでは、また次の美しさをのみこみ、また生まれ来る美しさ、きょうはこのように聴こえた。デニス・マツーエフの即興、常に作曲家の求めるところをとある意味、自ら規制しているその規制から一気に解き放たれて自らの思うところを存分にたたき出したという感じが。ロシアピアニズムがどこかに雲隠れしたかにも。しかし彼のハンマーはそれでも歌っていたのかもしれないがそこは聴き落したが、アメリカイズムというかどうか、ジャズ感覚が一気に爆発。観客からは素直な共感、賛辞が飛んだ。

 

🎧
名曲アルバム。「ノクターン」ボロディン作曲
【演奏】クァルテット・エクセルシオ

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ボロディンは大学に勤めながら医化学の研究に明け暮れるが、合間を縫って独学で作曲、「日曜作曲家」と自らを呼ぶ。28歳のとき、エカテリナのピアノを聴いて心奪われ、溢れる創意をもって作曲に没頭。エカテリーナへの愛の告白から20年経って、「ノクターン」を作曲し妻に捧げた。夫の慈愛に満ちたまなざしが切々と綴られているという。ボロディンは心臓発作で突然死。4か月後、妻のエカテリーナは最愛の夫を追うようにこの世を去った。

⛳7時20分 更新

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2019/7/8クラシク倶楽部を聴く

津田裕也 ピアノリサイタル
2017
1117日 ハクジュホール

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津田裕也
宮城県出身。東京芸術大学および同大学院で学ぶ。2007年第3回仙台国際音楽コンクール第一位。ベルリン芸術大学で研鑽を積む。
豊かな音楽表現、澄んだ音色と評される。

津田裕也コメント

このメンデルスゾーンの無言歌集って、彼の人生の長い期間において48曲書かれているすばらしい曲で、メンデルスゾーンの個人的な親密なちょっと親しい人にだけ語りかけるような音楽だと思うんですけど、で、僕が個人的な思い入れがあるのは、「ベネチアの舟歌」で、この「ベネチアの舟歌」は3曲あるんですが、どれもすごくいい曲で、ただゴンドラに乗っている様子を描いているというよりかは、何となくこうそれを人生にたとえてじゃないですけど、水の上で舟が滑っていくように人生も流れていくみたいな、そういう事を感じたりするのが「ベネチアの舟歌」ですね、僕にとって。僕ベルリンに8年住んでまして、ベルリンの近くの街でライプツィヒがあるんですが、メンデルスゾーンのお家を訪ねたことがありまして、今は博物館、彼が使っていたものなどが飾られてあるんですけど、その中で、彼が描いた絵画がありまして、彼はたくさん絵画を描いていた人で、絵もほんとうに素敵なんですけど、たとえばベネチアのスケッチとかスイスの湖のスケッチとか、ほんとうにち密で繊細で何となく「夏の世の夢」の序曲が聴こえてくるような感じが何となくその絵を見たときにそんな感じがして、ああすごいおもしろいなと思って、ほんとうに彼の音楽と共通する感じがするなと、ピピッときまして、もともと彼の作品を好きだったんですけど、まとめて勉強してみようかなと思いました。

 

「無言歌」はメンデルスゾーンが生涯にわたって作曲した48のピアノ曲でぜんぶで8集にまとめられている。表題の多くは出版社によってつけられたもので、メンデルスゾーン自身によるものはごく1部である。歌曲的でありながら言葉に制約されない「無言歌」。

 

☆「「無言歌」から 甘い思い出 作品19 1」

流れるような伴奏と優美な旋律を特徴とする。
☆「「無言歌」から 後悔 作品19 2

2曲目。ほの暗く感傷的な旋律。

☆「「無言歌」から 狩りの歌 作品19 3

狩りのラッパを思わせる6拍子のリズムが特徴的。
☆「「無言歌」から ないしょ話 作品19 4
なめらかな導入部に続いて静かに語りかけるようなメロディーが始まる。

☆「「無言歌」から ベネチアの舟歌 作品19 6

この表題はメンデルスゾーン自身によるもの。ベネチア滞在中に作曲。これで第1集を締めくくるこの曲は、波に揺れるゴンドラを描いている。「ベネチアの舟歌」の表題をもつ無言歌はこの他に2曲書かれている。
☆「「無言歌」から 慰め 作品30 3

合唱風の穏やかなテンポの曲。その主旋律は賛美歌にも編曲されている。

☆「「無言歌」から ベネチアの舟歌 作品30 6
「無言歌」第1集と同じく、第2集でも「ベネチアの舟歌」がその最後に置かれている。中間部と後奏に現れる細かいトリルは、夕日にきらめくさざ波を思わせる。
☆「「無言歌」から 失われた幸福 作品38 2

不安をはらんだメロディーに始まり、次第に強さを増していくが、やがて諦めたかのように曲は閉じられる。
☆「「無言歌」から 情熱 作品38 5

速いテンポで奏される。躍動感に満ちた曲。音楽は終始さめやらぬ熱をたたえている。
☆「「無言歌」から デュエット 作品38 6

この表題はメンデルスゾーン自身による。のちの妻セシルと出会った時期に作曲された。高音部と内声部に交互に現れるメロディーは、男女の愛の語らいを思わせる。
☆「「無言歌」から 浜辺で 作品53 1

ゆるやかに流れる分散和音にのせて牧歌的なメロディーが綴っられる。

☆「「無言歌」から 胸さわぎ 作品53 3

もとは表題なしで出版されたが、自筆楽譜には「舟歌」と記されている。早い分散和音とリズミカルな旋律が不安を駆り立てる。
☆「「無言歌」から 五月のそよかぜ 作品62 1

クララ・シューマンに献呈された「無言歌」第5集冒頭の曲。簡潔に書かれていて学習者のレッスン曲として人気が高い。
☆「「無言歌」から ベネチアの舟歌 作品62 5

「無言歌」第1集と「無言歌」第2集の「ベネチアの舟歌」と同様に、表題はメンデルスゾーンが自身がつけたもの。

津田は今回の演奏で「ベネチアの舟歌」3曲をすべて演奏した。
☆「「無言歌」から 春の歌 作品62 6

48曲の「無言歌」の中でも特に有名な一曲「春の歌」は自筆楽譜に記された表題である。☆「「無言歌」から 失われた幻影 作品67 2

スタッカートの伴奏と寂しげな旋律は、有名なシューベルトの「セレナード」を思わせる。
☆「「無言歌」から 紡ぎ歌 作品67 4
「春の歌」と並んで「無言歌」の中でも有名な一曲。少女が回す糸車のように、音楽は終始軽やかに流れる。

🎵「無言歌」、一部を取り出しての演奏を聴きながら興味はもっていたが、今回ざっと概観を聴くことができ、また番組の解説を書き留めておいたがこれを参考にまた聴いてみよう。クララ・シューマンってどんな人? クララに関して興味が湧いた。

 

🎧名曲アルバム。ヴィヴァルディ「四季 夏」。バイオリン荒井英治。東京フィル。

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⛳あれこれ考えながらの更新。解説、コメント、写真はすべて番組から  7時53分

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kyounokotoba きょうのことば

 先週は筆者が高校の同期会で役目もありましたので欠席いたしましたが、教会からデータを送っていただき起こしました。

きょうは岩渕まことさんのコンサートがあります。

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先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
 630()の説教は『みこころの奥義』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1114でした。

1:1神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。 1:2私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように1:3私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。1:4すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。 1:5神は、みこころの良しとするところに従って、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。 1:6それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって、私たちのうえにあふれさせ、19みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とはキリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、110時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。111またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。 1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。 1:13このキリストにあって、あなた方もまた、真理のことば、あなた方の救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。 1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

〈説教〉

 (復習にも新たに加えられた事項がありましたが割愛いたします)

きょうは「キリストにあって」を念頭に置きながら、エペソ人の手紙1章の7節、8節、9節にスポットを当てて見ていきたいと導かれております。

7節に心を向けましょう。

1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

 「その血による贖い」、この意味をはっきり理解することは、クリスチャン信仰生活には極めて重要なことです。これがわからないと、イエス・キリストの十字架が持っているほんとうの意味を理解することができません。聖書は徹頭徹尾、血による贖いを伝えております。それはイエス・キリストの十字架にあらわれるものであり、これによって人の、人類の罪が赦される。そのことを見ていきたく思います。

 

 血による贖いは、創世記の3章の21節にも書かれております。

321神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って、彼らに着せられた。

 まだ人間が罪を犯すまえのエデンの園において、アダムとエバ、人間は祝福にあふれた生活をしておりましたけれども、人間が罪を犯してしまったことのゆえに、神様からの裁きを受けねばなりませんでした。神様の戒めを破って彼は死ななければならない。罪を犯したがゆえにエデンの園から追放されるというその大きな悲しみの中に、憐れみ深い神様は、アダムとその妻のために、罪を犯してしまったその者のために、手ずから皮の衣を作って彼らに着せられたのです。このときはじめて、エデンの園において動物の血が流され命が絶たれました。血を流し殺された獣の皮衣がアダムとエバの衣として、神様によって提供されました。神様が人間に備えてくださった着物です。神様から直々に与えられた動物の命の代償である毛衣でした。こうしてみますと、聖書はそのはじめから人間の罪の贖いには動物の血が流され命が絶たれ、その毛の衣によって覆われることでしか人間は神の前に出る事ができないことを教えているのです。聖書はまさしく血塗られた、ある意味凄惨な書物です。もっとも凄惨な場面が主イエス様の十字架である、聖書はそこに焦点が合わせられていると言ってよろしいでしょう。

 

 みなさんはノアという人物をご存知でしょう。創世記8章の20

820ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、またすべてのきよい鳥から幾つかを取って、祭壇の上で全焼の捧げものをささげた。 

 陸をも沈めるほどの大雨のとき、ノアは箱舟に乗り込んですべての破滅から逃れました。再出発のとき、ノアがいちばん最初にやったことは、主のために祭壇を築いたということなのです。そして、彼らにとって最も大切であった家畜、それも最もきよい家畜を生贄(いけにえ)として屠り血を流して捧げ、神様に礼拝を捧げました。これも、いかに動物の血が流される生贄というものが主の前に必要であるかを示しています。

 

 こんどはヘブル人への手紙、このヘブル人への手紙というのは、旧約聖書を良く知っており、その律法に従って生きていたヘブルのユダヤの人たちに、旧約聖書に書かれていた生贄とは、実はイエス様のことなんですよと教えようと記されたものなのです。その922節。

9:22律法によれば、ほとんどすべてのものが血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。

 ここに明確に、十字架の贖いというものがなければ、人間の罪の赦しはあり得ないとあります。

もう一つ、第一ペテロ12節。12使徒の中でも代表的な人物ペテロが、自分の受けていた福音をお手紙としてまとめた中の12節、

1:2父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人達へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かに与えられますように。

 恵みと平安、あのパウロのお手紙と同じ書き方ですけれども、ペテロは、その呼びかけている者たちに、「あなたがたはキリストの十字架の血の注ぎかけを受けるように神様に選ばれた人たちです。呼びだされた人たちですよ。教会は神によって呼び出された人たちの集まり、あなたがたはその十字架の贖いの血潮を受け取るように選ばれた人たちなのですよ」とはっきりと私たちに示していてくれます。

 

 エペソ17節に帰ります。

 1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

 私たち罪びとは、動物の血が流され殺されなければ神様の前に義と認められない、正しい者と認められない、受け入れられないということは、創世記の3章のときから、もう始めから啓示されている。神の前に正しい者として受け入れられるためには生贄が必要でした。どうしても必要だったのです。エデンの園のときに、神様は、自ら動物を屠ってくださいました。イエス・キリストはまさしく、神様がご自身の手によって屠った仔羊なのです。イエス様は、十字架の上で血を流して、自らが命をかけて血を流し、「主よ父なる神よどうぞ私の十字架の死に免じて彼らを赦してあげてください、義と認めてください、御前に立つことができるようにしてください」と祈られた。このキリストの十字架がなければ、私たちは決して主の前に立つことはできないのです。そしてまた、これこそが、私たちへの神が備えてくださった愛のわざなのです。罪の中に永遠の滅びの中にあらねばならない私たちを、滅びから救うためにひとり子をお与えくださった。ヨハネ316節、

3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 神の仔羊の贖いの血。これが私たちには不可欠であることを、ようく心に留めさせていただきたいのです。

 

そして、エペソの1:7にあるように

17これは神の豊かな恵みによることです

受けるに値しない者に対するはかり知れない神様の恵み、これがイエス・キリストの十字架の救いなのです。そして8節、

1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって、私たちのうえにあふれさせ

そして9

19みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とはキリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい

 つまりこのことこそ、キリストの十字架の御心、奥義なのです。

 

 奥義(おくぎ)は、何らかの修行を積んで獲得せられるものとは違います。一般の宗教でいわれる奥義(おうぎ)と同じ字を書きますけれども、全く違います。

これは信仰によって与えられる聖霊が、ああそうだ、私はそういう者なのだという事実を悟らせてくださる。ああそれは私のことですと認罪を示してくださる、これこそが御心の奥義なのです。これは神に選ばれた者のみに認識されるものです。人間的な論理だけでキリスト教神学など色々なものを勉強し、これがヘブル語で、これがギリシャ語でなどと論じたてたとしても、それは奥義とはいわないし、いえません。それで学者が皆救われているかというと、神による救いは、そのようなこととは関係のないことです。むしろ、心砕かれ、神の前にへりくだって、ああこの私だ、この十字架が私に必要なのだ。私はこれほど神様に愛されている。主よ、ありがとうございます。そのことがわかる、それこそ神の御心の奥義であり、それは聖霊によって与えられます。13節、

1:13このキリストにあって、あなた方もまた、真理のことば、あなた方の救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。

 このエペソ人への手紙が、何のために書かれたのか、私たち、この機会に、どうかこれらのことを心に留めたいと願うことであります。

 

 

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岩渕まこと in 盛岡  2019/7/7(日) 明日です

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JーMEROをのぞく

けさのJ-MERO

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まずはロックバンドのSHISHAMO2013年の卒業と同時に本格的な活動を開始。作詞作曲を手掛けるのはギター&ボーカルの宮崎朝子。かつては漫画家志望だった宮崎。CDジャケットのイラストも手掛ける。合唱コンクール用の中学生課題曲「君の隣にいたいから」を書き下ろしている。「明日も」は人気応援ソング。キュートな歌声と共感を呼ぶ詩の世界観、サウンドで人気を集めている。6月には初のベストアルバムをリリース。

 「OH!」はCMソングとして書き下ろしたものだが、最近世の中いろんなことが仕事だったりスマートに効率よくスタイリッシュになっていっているような気がして、それもいいことだと思うんですけど、それ以上にこう汗かいてカッコ悪く頑張ったりすることも私はカッコいいなと私は思っていてそういう気持ちを歌った曲。サビが簡単。

 詩が先にできる。歌詞を頭からおしりまでバーッと書いてそこに、よしっ!といって歌をのっける。

合唱曲の依頼があったときは、とにかく嬉しかった。自分の中学生時代も合唱に打ち込んでいたので、みんなの青春の1ページにSHISHAMOが入れるというのが嬉しいなと思いました。生徒たちが歌ったのをきいたときの感想は、中学生の皆さんが歌ってくれると、やっぱりその時期にしか出せない真直ぐな吹き透った歌声なので、あの声で歌われるとグッときますね。作ってよかったなと感じます。

 

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続いての登場はダンス&ボーカルの6人組の超特急。これはもう書くまでもないのだろうが、というのは、SHISHAMOにしろ超特急にしろ彼らの年代層にはすでに浸透済みのこと。一応メンバーは2~7号車の車両番号を持つ。ボーカルがバックでダンサーがフロントを務める。パフォーマンスも独特。ただいま大規模ツァーの真っ最中。全国47県をまわるのだとか。

ダンス、パフォーマンスはかなりのもの。聴くと、カッコよく踊るだけじゃなく、ちょっと笑っちゃうな~みたいな、そういう他のアーティストの方にはない体の使い方が持ち味であり見どころであると。

⛳目覚ましい若者たちの活躍!  7時8分 更新

 

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2019/7/5クラシック倶楽部を聴く

ナタリー・シュトゥッツマン&オルフェオ55 演奏会
2018515日 紀尾井ホール~

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ナタリー・シュトゥッツマンのコメントの一部
歌と指揮を同時におこなうことについては、私の脳が二つのパーツで構成されているのかもしれません。私にとって「声」はずっとメインの楽器でした。ピアノやチェロなども学びましたが、声がもっとも自分を表現しやすかった。だから「二つのことを同時にしている」という感覚はありません。自分もアンサンブルの一部といった感じです。歌のパートは徹底した準備が必要です。本番では歌で体を使うので、オーケストラに細かい指示を出せません。ですからリハーサルではオーケストラの準備を入念に行います。もちろん負担は大きいです。でも作品全体を自分で表現できる至福を味わうことができます。最高ですよ。最近は指揮活動の方が増えました。指揮者になることは夢でしたので嬉しいです。偉大な指揮者たちに支えられて多くのすばらしい機会に恵まれています。でも歌手を辞めたわけではありません。指揮の割合が増えてきたということです。いまはノルウェーのオーケストラの音楽監督とアイルランド放送交響楽団の首席客演指揮者も務めています。オペラの指揮もします。このあいだワーグナーの「タンホイザー」の指揮をしましたが大変でした。でも私自身は何も変わっていません。音楽家であるということは「生き方」だと思うのです。指揮者であろうと歌手であろうと音楽家であることに変わりはありません。私は音楽ができれば幸せなのです。

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☆「協奏曲 第1番 ヘ短調から ポコ・アンダンテ」ドゥランテ:作曲
☆「歌劇「ポンペオ」から 私を傷つけないで」アレッサンドロ・スカルラッティ:作曲
☆「歌劇「ジュスティーノ」から この喜びをもって会おう」ヴィヴァルディ:作曲
☆「歌劇「アルミード」から パッサカリア」リュリ:作曲
☆「歌劇「救われたアンドロメダ」から 太陽はしばしば」ヴィヴァルディ:作曲
☆「オラトリオ「敵の将軍ホロフェルネスに勝って帰るユーディット」から 気まぐれの風にもてあそばれ」ヴィヴァルディ:作曲
☆「歌劇「みやびなインドの国々」から 未開人の踊り」ラモー:作曲
☆「パッサカリア」ファルコニエーリ:作曲「踊れ、優しい乙女よ」ドゥランテ:作曲
☆「愛の喜び」マルティーニ:作曲
☆「歌劇「オリンピアーデ」から 私は苦しみながらも震えている」ヴィヴァルディ:作曲

🎵

シュトゥッツマンのコントラルト、嘆き、憂い、怒り、苦悩、忍耐を浄化しうたいあげる。その奥に底光りを放つ黒い、青い宝石のよう。実に魅力的だ。そしてまるで空中の酸素のかわりに優しさと雅さ、繊細さで呼吸、息をしているようなオルフェオ55。シュトゥッツマンの響きに寄り添うオルフェオ55の柔らかな響き。まえにも聴いているけれども、今回より深く身近に心に落ちた。シュトゥッツマンの歌う歌詞の内容を包み、強弱の別はあれ、そこはかとない包容力に満ちて流れるこの絶妙さ。去年の5月に来日し手堅く篤く厚く熱い支持を得ているところから、またの来日が期待できそう。上京してでも聴きたいところだ。
シュトゥッツマンには女性ながら胆力も感じられ、決して尻ごみしない精神力がやはり彼女を指揮者に駆り立てたのだろうか。

 

以下、3曲の詞からの抜粋

どうか私を傷つけないで
蛇よりも毒蛇よりも残酷で
私のため息に耳も傾けない
高慢で理性を失った残忍な瞳よ
おまえは私を癒すことができるのに
私が弱るのを楽しんでいる 

太陽はしばしば
さらに美しく優雅に思えるのは
空に輝いて
つい直前まで
暗い雲に覆われていたとき
そしてほとんど波もない静かな海が
時々姿を現すとき
それまで激しい嵐が吹き荒れていたのに
激しい嵐がつい直前まで吹き荒れていたのに

愛の喜びはつかの間のことだが
愛の悲しみは一生続く

日本の歌曲の詩とは一味ちがうところか

 

🎧
名曲アルバム。「アルプス交響曲」リヒャルト・シュトラウス作曲

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】田中良和

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⛳さらに数々いれたいところだが、時間切れ、きょうも大忙し 7時17分 更新

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岩山展望

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 じっくりと写真を撮りに出かける間もない忙しい日々を送っているが、一昨日、久しぶりに岩山の展望台へとハンドルを切ってみた。重く垂れこめる雲の縁からまっしぐらに市街の一帯を照らす光。

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2019/7/4倶楽部を聴く

モイツァ・エルトマン ソプラノ・リサイタル
(ピアノ)ゲッツ・ぺイヤー
2018
73日 紀尾井ホール

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メンデルスゾーン作曲

☆「新しい恋 作品19a4」ハイネ:作詞
☆「ズライカ 作品344」ヴィレマー:作詞
☆「月 作品865」ガイベル:作詞
☆「歌の翼に 作品342」ハイネ:作詞

モーツァルト作曲
☆「満足 K.349」ミラー:作詞
☆「すみれ K.476」ゲーテ:作詞
☆(「寂しい森の中で K.308」モット:作詞
☆「魔法使い K.472」ヴァイセ:作詞
☆「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき K.520」バウムベルク:作詞
☆「こころよい静けさが K.152
☆「歓喜に寄す K.53」ウーツ:作詞
☆「春へのあこがれ K.596」オーヴァーベック:作詞
☆「ラウラに寄せる夕べの思い K.523」カンペ:作詞
☆「アリア「わが美しき恋人よ、さらば」 K.528」サルコーネ:作詞

メンデルスゾーン作曲
☆「夜の歌 作品716」アイヒェンドルフ:作詞

🎵

半ばからの視聴となった。「ぶらあぼ」にギルゲエフを驚嘆させた名歌とあった。好きな声質。多くを聴き逃し残念だったが、また再放送があるかと思うし、ディスクも出ているだろう。「ラウラに寄せる夕べの思い K.523」はエルトマンが最も愛する曲の一つであるらしい。エルトマンのコメントもこの誌に掲載されている。彼女がプログラムの最後に入れたモーツァルトのオペラのアリア「わが美しき恋人よ、さらば」は圧巻、悲劇的、情熱的で声質に与る天上的な香りが。

アンコール曲「夜の歌」、詩がアイヒェンドルフということで、拾ってみた。


昼の明るさはもはやない
彼方から届くのは鐘の音
かくして時は夜をめぐり
不意に人の命を奪いもする
楽しかったことどもは今いずこ
友の慰めはまことの腕は
愛する女の甘きまなざしは?
わたしと目覚めていたいものはないのか?
さあ意気揚げてナイチンゲールよ
ごうと鳴る滝よお前もだ
神をたたえようともに和して
まばゆき朝が輝き出るまで

 

🎧 

名曲アルバム。「ローマの噴水」レスピーギ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

第1曲「夜明けのジュリアの谷の噴水」
第2曲「朝のトリトンの噴水」
第3曲「昼のトレヴィの噴水」
第4曲「たそがれのメディチ荘の噴水」

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⛳この後は東海、関東で雨が激しく降るらしい。九州、毎回心痛みつつ  7時15分更新

 

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2019/7/3クラシック倶楽部を聴く

BS朝56時までの音楽番組「クラシック倶楽部」「名曲アルバム」は、あとで振り返るために自分の備忘録として書いているものです。

ディートリヒ・ヘンシェル バリトン・リサイタル(ピアノ)岡原慎也
2017
219日(火) トッパンホール

ディートリヒ・ヘンシェル
1967
年生まれ。90年国債フーゴー・ウォルフ・コンクール優勝。ミュンヘン・ヴエンナーレでデヴュー。以後ヨーロッパ各地の歌劇場、音楽祭に多数出演。リート歌手としての評価も高い。映像を用いた歌曲のコンサートを行うなど意欲的に活動。

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岡原慎也
東京芸術大学卒業後、ベルリン芸術大学で研鑽を積む。ソロだけでなく歌曲や室内楽でも精力的に活動。ヘルマン・プライら著名な歌手との共演を重ねる。日本ドイツリート協会会長。

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Dsc06199o ディートリヒ・ヘンシェルのコメント
シューベルトとシューマンはロマン派を代表する作曲家です。どちらも感情や情緒を音で表現しようとしました。すべての人が幸福なより良い社会を築くための希望や期待をこの2人の作曲家は音楽で語っています。前半のシューベルトの歌曲はどれも真珠のような輝きを放つ作品です。シューベルトを歌曲王と言わしめる美しい作品の数々をお楽しみください。
「リーダークライス」の聴きどころはさまざまな感情の高ぶりを体験できることです。最後の作品では春の訪れへの大いなる幸福感が表現され、ポジティブで劇的なクライマックスを迎えます。

 

☆「月にさまよう人 D.870」ザイドル:作詞

1826年作曲。月夜をさまよい歩く若者の心情を表現。
☆「春の信仰 D.686」ウーラント:作詞

1822年「12の歌曲」の第7曲として作曲。春への強い憧れが歌われている。
☆「野ばら D.257」ゲーテ:作詞

1815年作曲。ゲーテが恋に落ちた教会の牧師の娘への恋が比喩的に歌われている。
☆「孤独な男 D.800」ラッペ:作詞「ガニメード D.544」ゲーテ:作詞

1825年作曲。誰にも邪魔されずにひとりで生き自由を楽しむ男をうたう。
☆「魔王 D.328」ゲーテ:作詞

☆「リーダークライス 作品39」アイヒェンドルフ:作詞、シューマン:作曲

シューマンの「リーダークライス」は「歌の年」と呼ばれる1840年の作品。当時の恋人クララへの思いが描かれている。
☆「ます D.550」シューバルト:作詞

☆「音楽に D.547」ショーバー:作詞

 

🎵
声という楽器の霊妙さ、特に低音域の声には時として言い表し得ない魂の底に沈むものの響きが聴こえる。天から素晴らしい声を授かった方は、もう体内に何億という名器を内蔵して歩いているようなものだ。

「リーダークライス」の作詞者アイヒェンドルフ。この詩のある個所でこの詩人の鋭さを。抜き書きしてみた。

おまえがこの世に友をもっているなら
たそがれどきには心をゆるしてはいけない
眼はやさしく口では調子を合わせていても
平和を装いつつ心では攻撃の機会を狙っている
いまは疲れ果てて倒れている者も
明日はまた新しい力を得てよみがえる
だがある者は夜の間に力つきて帰らぬ客となる
だから気をつけるがよい
眠らずに頑張りぬくのだ!

そしてアンコールの最後、ショーバーの詩で「音楽に」。大いに共感。この頃、ふと楽の音に飢餓感を覚えることが一日のうちに12回はある。それが渇望という感じなのだ。少しでも聴いておくと次のエンジンがかかるといった調子。音楽には感謝が尽きない。

おまえ やさしい芸術よ
わたしが人生の激しい渦に巻き込まれたときにはいつも
おまえはわたしの心にあたたかい愛の火を点し
わたしをさらによい世界へ誘ってくれた!
あなたの竪琴から流露するため息は
またあなたの甘美な清らかな響きは
天国のようなすばらしいひとときを与えてくれた
やさしい芸術よ
おまえに心から感謝する

 

🎧
曲アルバム。「不滅」ニルセン
【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】沼尻竜典【管弦楽】NHK交響楽団,【指揮】沼尻竜典

アンデルセンと同じ故郷、貧しい農家に生まれたが父のバイオリンを聴きながら育ち音楽家を目指す。19歳の時周囲の援助で音楽院に入学。この曲が書かれたのは第一次世界大戦勃発の時期。

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⛳解説、画像は番組から あれもこれもと捨てがたく写真をトリミングするうちに時間ははや7時40分  更新

 

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2019/7/2クラシック倶楽部を聴く

戸山俊樹 バス・リサイタル。オールブラームス。

ピアノ・鈴木謙一郎

2017913日 愛知県立芸術大学 室内楽ホール

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戸山俊樹
東京芸術大学大学院オペラ科修了。1982年日本音楽コンクール第2位、海外派遣コンクール松下賞受賞。1983年ジュネーヴ国際音楽コンクール銅賞。198488年ドイツのハーゲン市立歌劇場専属歌手。1992年ジロー・オペラ賞受賞。1990年に帰国後、日生劇場中心に数々のオペラに出演。宗教曲のソリストとしても活躍。

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コメント:ブラームスの歌曲については、ブラームスは非常にさみしがり屋で内向的で   でも人恋しくて仕方がない、でも孤独でいたいと、付き合うのはなかなか難しい人間だったろうなと。での逆にブラームスのそういうところに魅力を感じるし、ブラームスの歌曲自体ぜんぜん派手さがないんです。内向的な人間。決して派手ではないけれども、そういう世界をとても自分のロマンティックな孤独な世界を大切にした作曲家だと思うし、そこに魅力を感じますね。
オペラというのは、登場から最後まで一つのキャラクター、一人の人間を演じる。歌曲の場合は一曲一曲設定が主人公が全く違う。その一曲一曲ステーションを変えていくわけですよね。それが、やっぱりオペラを経験すると即その中に入っていくというトレーニングを知らず知らずのうちに、毎日それでもって、状況に入っていくのとリンクしてるのですごく役に立ってますね。だからオペラをやってなかったら、長張り(聞き違いかも)と歌うのは難しかったかもしれないですね。まあ集中力の問題です。

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☆「おまえの蒼い瞳よ 作品598」グロート:作詞
☆「郷愁その2 帰り道はどこ 作品638」グロート:作詞
☆「ご機嫌いかが?私の女王様 作品329」ハーフィス/ダウマー:作詞
☆「墓地で 作品1054」リリーエンクローン:作詞
☆「湖で 作品592」ジムロック:作詞
☆「われらはさまよい歩いた 作品962」ダウマー:作詞
☆「五月の夜 作品432」ヘルティ:作詞
☆「永遠の愛 作品431」ヴェンツィヒ:作詞
☆「一本の菩提樹が立っています~49のドイツ民謡集 第1集」
☆「谷の底では 49のドイツ民謡集 第1集 第6番」
☆「静かな夜に 49のドイツ民謡集 第42番」
☆「僕の彼女はばら色の唇をしている 49のドイツ民謡集 第25番」
☆「愛の歌 作品715」ヘルティ:作詞
☆「たより 作品471」ダウマー:作詞
☆「野の寂しさ 作品862」アルメルス:作詞

🎵

最後の3曲はアンコール曲。プログラムの最後、「僕の彼女はばら色の唇をしている」、これが今回の曲目の中では唯一、明るく弾んで、ちょっと有頂天な曲だったけれども、これはバスという音域ではけっこう難しい表現であるかと思われた。バスの魅力はやはりロシア民謡かと。広大な粗々しさ、荒々しさの表現に向くとの思い込みがあったが、沈みゆくような、地の底からの意思、暗闇、陰、嘆き、さらには愛の喪失というステージを深くもの憂げに思慮深く歌うにも相応しいのだと知らされる。ザラストロ役も経験しており、底深いドラマ性もOKなのだろう。「野の寂しさ」、消えゆく声を聴きとりながら、ブラームスの孤独の深さをもしばし共有。

🎧 

名曲アルバム。「英雄ポロネーズ」ショパン。【ピアノ】清水和音

古都クラクフ

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ポーランドの代表的な民俗舞曲ポロネーズ。力強く輝く。

⛳スローテンポで7時23分更新

 

 

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2019/7/1クラシック倶楽部を聴く

キャロリン・サンプソン ソプラノ・リサイタル

2017126日 王子ホール
(ピアノ)ジョセフ・ミドルトン

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キャロリン・サンプソン

イギリス・ベッドフォード出身。「完璧なコロラトゥーラの技術と豊かで輝かしい歌声」と評され。バーミンガム大学で音楽を学ぶ。

バロック演奏でアーノルド・ゴールズボロー賞を受賞。《ポッペアの戴冠》でオペラデビュー。「ヴェルレーヌの詩による歌曲集」で17年エディソン賞を受賞。

☆「歌曲集「乙女の花」作品22」ダーン:作詞、リヒャルト・シュトラウス:作曲
☆「花言葉 D.519」プラットナー:作詞、シューベルト:作曲
☆「森で D.738」ブルッフマン:作詞、シューベルト:作曲
☆「ジャスミンの木 作品274」リュッケルト:作詞、シューマン:作曲
☆「献身の花 作品832」リュッケルト:作詞、シューマン:作曲
☆「まつゆき草 作品7926」リュッケルト:作詞、シューマン:作曲
☆「花」ヴィルモラン:作詞、プーランク:作曲
☆「ちょうと花 作品11」ユゴー:作詞、フォーレ:作曲
☆「捨てられた花 作品392」シルヴェストル:作詞、フォーレ:作曲
☆「捧げもの」ヴェルレーヌ:作詞、アーン:作曲
☆「花」ドビュッシー:作詞、ドビュッシー:作曲
☆「去年咲いていたリラの花は」ジャム:作詞、ブーランジェ:作曲
☆「ありったけの花」ロスタン:作詞、シャブリエ:作曲
☆「からたちの花」北原白秋:作詞、山田耕筰:作曲
☆「野ばら D.257」ゲーテ:作詞、シューベルト:作曲

🎵
2
回目の視聴。会場では、TVでこのように対応しているほどの翻訳が手渡されているだろうか。オペラにしろ歌曲にしろ各国語に堪能という方々もあるかと思うが、多くはただ美しい声を聴いたというだけで終わってはいないだろうか。74言語に対応できるポケトークもあるこの時代に、音楽の分野でも何とか言語の壁を切り崩す手はないものか。大曲の場合にはステージに翻訳機が設置される場合もあるが、歌曲離れの防御壁となり得る手立てはないものかと。
 今回はプーランク、フォーレに共感。その時々のリスナーの心境によってものこるものは違ってくる。この系列の歌曲の詩に学ぶところは多い。キャロリン・サンプソンが、手に入る限りの歌曲を集めたが、これをためすだけでも2日かかったと話している。結果、あまり有名ではない曲からの選曲になったらしい。

「乙女の花」の中で、作詞者ダーンは「すいれん」を次のように。

あの花をご存じか おとぎばなしのような
伝説にもうたわれた すいれんの花を
軽やかで細い茎の上に揺れるのは
透きとおるこうべ色あせて
すいれんが花咲くのは林の中 葦茂る沼
独り沼をめぐる白鳥に守られ
月光だけに照らされ花開く
ともに白銀のきらめきをはなちつつ
かくして咲き誇るすいれんは
麗しき星雲の妹

(抜粋)

 すいれんは日本では仏教とともに想起されるけれども、ダーンのすいれんはこのように。

 自分を花にたとえたら何の? と訊かれてサンプソン、「ジャスミン」と。ここまではまえにも書いた気がするが、そのこころは「歌の中で緑の葉をつけたジャスミンは陽光に目覚めて白い花を咲かせます。その姿が身の回りで変化が起こった時の自分の姿と重なりました。自然の中での成長と開花、私たちもそうあるべきだと思います」

🎧
名曲アルバム。「歌劇マクベス から『虐げられた祖国』」ヴェルディ作曲
【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】梅田俊明

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この合唱は、マクベスに追われたスコットランド人による祖国の悲しい運命への嘆きの歌であるという。胸にしみた。

⛳パソコンの機嫌がいまいち、けさはフリーズ。ちょっとの間ときを食うも解決で 7時35分更新

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