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2019年6月

きょうのことば

 夏至から1週間以上たちました。夏の本番はこれからではあるものの、夏至を過ぎますと一路冬に向かうかの心境ともなります。地震の頻発、災害の大型化などのさ中に、神の平安のうちに守られ進みゆくことができればと願っております。

     ∞   ∞   ∞   ∞   ∞ 

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

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國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。

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 623()の説教は『霊的祝福の恵み-2』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1114でした。

1:1神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。 1:2私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように1:3私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。1:4すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。 1:5神は、みこころの良しとするところに従って、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。 1:6それは神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。1:7このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 1:8この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって、私たちのうえにあふれさせ、19みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とはキリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、110時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。111またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。 1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。 1:13このキリストにあって、あなた方もまた、真理のことば、あなた方の救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。 1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

〈説教〉

(前置きは割愛いたします)

 さて、エペソ人への手紙、これはパウロが福音のために迫害を受けて獄中にあったときに書いたお手紙です。このとき、自分が伝えている福音は、どのような意味をもっているのか。投獄されることがなければ、福音を伝え続けていたパウロですが、それを妨害されて獄舎につながれていたときに深く思いめぐらしたそのお手紙が、エペソ、ピリピ、コロサイ、そしてピレモンも含め、獄中書簡でございます。
 エペソという教会は、ローマ帝国の中でも屈指の都市でありましたが、そこに向かってパウロが、自分が伝えようとしている福音はこういうものなのだということを書き、ティキコという人物をメッセンジャーとして託した。このことがエペソ書6章のいちばん最後のところにこうあります。

6:21私の様子や、私が何をしているのかを、あなた方にも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコが、すべてを知らせます。 6:22ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。

 これはティキコがこういう手紙を持っていく使者となったということでありますし、またティキコはこのお手紙だけでなく、コロサイのお手紙とか他の書簡も一緒に携えて、ローマの獄中から、パウロのことを心配している教会宛にこれを持って行ったということになります。パウロがこのエペソ人への手紙を書きティキコに託したときに、これを他の教会にも回覧して読んで欲しいと望んでいたわけです。今の印刷のような時代とは違います。

 その証拠に、エペソ書1章に戻りますが、11節をご覧ください。

11神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ

 とあります。聖書をご覧になりますと、本文の方の「エペソの」の右肩にマークが付いており、欄外に〈「エペソの」を欠くものもある〉とございます。つまり、パウロがこれを書いたときには勿論エペソの人たちをまず念頭に置いていたたことは間違いない。「エペソの」が書かれていたでしょう。ただエペソだけではなくパウロが関わった周囲の諸教会にも読んでもらいたいのです。この「エペソの」のところに別の教会名を入れてもよく、そこの教会の人たちにも読んでもらいたいという願望、目的があるわけであります。

 そして2

12私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように

 これはいわばお手紙の常套句としてクリスチャンがよく書く定型の元がこれです。これは今の私たち宛でもあるのです。パウロがただの常套句のように書いたという以上の響きを読み取りたい。「恵みと平安」、これをパウロは手紙を受け取るすべての教会の人たちに祈っています。

「恵み」とは何か。神学者たちは「受けるに値しない者に対する神の御好意」と定義づけております。言い得ています。受けて当然というなら、それを受けたとしても、「恵み」とはいわないでしょう。しかし、受けるに値しないようなこのような者に惜しみなく与えられる神様のご好意、これが「恵み」である。この盛岡教会の一人ひとりもまた「父なる神と御子主キリストから、この神様の恵みがありますように」と祈られているのです。

 それから、もう一つ「平安」、これをパウロは挨拶しております。「恵みと平安があなたがたの上にありますように」。パウロが述べているこの「平安」とは何だろうか。みことばの中に思いめぐらすときに、ヨハネ14章の27節、これはイエス様が最後の晩餐の時にお弟子さんたちと間もなく数時間後に捕らえられ十字架に架けられようとしているときです。それに対する不満をお弟子さんたちが感じていたときに、

14:27わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません

 と諭し励まします。文語訳のヨハネ1633で「此等のことを汝らに語りたるは、汝ら我に在りて平安を得んが爲なり。なんぢら世にありては患難あり、されど雄々しかれ。我すでに世に勝てり」とイエス様は仰っています。

 パウロは「どうか平安があるように」と書きますが、それはイエス様の平安、私の平安、誰の平安というよりも、あのゲッセマネの祈りにおいて血の汗を流して祈られたお方が勝利を得て心定まった。イエス様の平安はわたしの平安です。十字架の上に持っておられたあの平安、それをパウロは、きっと心に留めながら、あなた方もきっといろいろな出来事に、これまでも、そしてこれからも直面するだろうけれども、だいじょうぶ、イエス様が持っておられた同じ平安、それがあなた方にあるのだよ、それをパウロは挨拶のことばとして教会に語りかけているのです。

 そして、もう一つ心に留まったことがあります。テモテへの手紙ですが、パウロがテモテというお弟子さんに書いた手紙です。これもある意味、定型的なパウロのお手紙の書きだしです。第一テモテへの手紙の第一章の冒頭、

1:1私たちの救い主である神と、私たちの望みであるキリスト・イエスとの命令によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、 1:2信仰による、真のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように

 このテモテという忠実なパウロの後継者である人物は、どちらかというと内気な、或いは腺病質なといったらいいでしょうか、そういう弱さも持っていた。それを誰よりもよく知っていたパウロです。テモテという個人に書いたこの手紙は、教会に向けて書いたお手紙の挨拶とはちょっと違います。「恵みとあわれみと平安」、恵みと平安だけではなく「あわれみ」も書き込まれている。パウロはテモテという人物をよく知っていたので、「あわれみ」も入れたのです。この「あわれみ」はどういうことばなのか。「窮状、困った状態にある人に対する同情」、そしてこれは「神の真実な愛」であります。パウロは、テモテがいま直面している状況を想像しながら、神様のあわれみがテモテにあるように。窮状にあるひとに対する同情、そしてこれは神の真実な愛です。これがこの第一テモテ12節にある「恵みとあわれみと平安」です。

 また、11節をご覧ください。

11神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ

 ここで「聖徒たちへ」と呼びかけています。さきほど申しましたように、これには同じ内容をあちらの教会、こちらの教会に回覧してもらいたいという願いがある。これは私たち盛岡のこの私たちにもパウロは呼びかけていると恵みを受け留めたいと思います。「キリスト・イエスにある忠実な盛岡の聖徒たち」。何だか照れてしまうな、聖徒たち、そんなに聖徒たちじゃないんだけど、という思いがかすめないわけではない。でも、そんな私たちに、たとえばコリントの教会の人たちもパウロは聖徒と呼んでいます。ということは。コリントという教会は、これでもクリスチャン? というような類の分派、分裂、不道徳があった、これが神のみ名の教会にあっていいの? と思わず眉をひそめてしまうような類の教会に対して、パウロは「コリントにある聖徒たちへ」と呼びかける。この場合の聖徒というのは、いわゆるよくできた欠けのない立派な人という意味では必ずしもない。そうではなく、イエス様、神様から、さあ、あなたを呼びます。呼び出された人たちが教会ですよね。エクレシア、呼び出された人たちの集まり。ですから、私たちは、胸を張って聖徒という呼ばれ方をしてもいいのです。そういう意味でコリントの聖徒たちと呼ばれるような使われ方をしている。呼び出された人たちの集まりだけれども、世から呼び出された私たちは、やはり、神様の前に聖徒と呼ばれるその者に相応しくありたいという願いが、だからこそ願いを持つのですけれども、しかし、できているから聖徒と呼ばれるのではない。呼ばれたからそうありたいと願うのは当然ですけれども、しかし、できているからあなたたちを聖徒と呼ぶという意味ではないという事で理解していただきたいのです。

 先ごろのエピソードを紹介したいと思います。木曜日に北上の集会がありました。信者の方々の訪問や集会にはふつうはひろ子先生と一緒に行きます。その日は、たまたまYさん、Aさんも同乗していました。いつもハンドルを握るときに一こと、ことばに出す出さないは別として先ず習慣的に「主よ守ってください」とお祈りを捧げるのですけれども、その時は、ある意味非日常でしたので、思わず「大切な姉妹方をお乗せしているので運転をお守りください」とことばが出ました。後ろから笑い声が聞こえて「大切なんですって」と姉妹方の声。するとひろ子先生が「そうよ、大切よ」と。それは決して大げさでも何でもない。「大切な方をお乗せしていますから」という祈りが自然に出てきました。その時にその後ろで交わされた会話がふっと心に留まったのです。イエス様は私たちを大切な一人ひとりとして名前を挙げて呼び出してとりなしていてくださるお方なのだという事。ああ、そうだ、わたしたちのような者も主は大切なものとして呼び出して、値積もって祈っていてくださる。お互い何という恵みの中にいる事か、心からそう教えられたことです。私たちは神によって選ばれ、召され呼び出されている、そういう者であります。前回、「キリストにあって」を繰り返しましたが、この事は特にこのキリストにある特色である事をもういちど心に留めさせていただきましょう。

「キリストにあって」、私たちを祝福して下さるという事。祝福の所以、基であるおことばを挙げますが、13「キリストにあって」、それから14「この方にあって」、16「その愛する方にあって」、17「このキリストにあって」、19「キリストにあって」、これだけ次々と、「キリストにあって」これらのことを得ている。110「キリストにあって」、111「またキリストにあって」、113「このキリストにあって」。

「キリストにあって」ということは、どういうことなのか、つまり私たちが信仰によってイエス・キリストと一つとなって、これがきょうお話しさせていただいた忠実な聖徒たち。繰り返すようですが、何か立派な人物だからではない。「このキリストにあって」というその意味において、私たちは聖徒として呼ばれている。

 4節をご覧ください。

1:4すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです

 神に選ばれ、そして傷のないものとして、私たちは永遠的な祝福を受けるために神様に選ばれたということです。

 きょうは、これにすこし踏みこんで締めくくらせて頂きたく思います。

5節をご覧ください。

1:5神は、みこころの良しとするところに従って、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました

 これは、立ち止まって、この意味を当てはめてみる時、とんでもない恵みです。私たちをイエス・キリストによって神様がご自分の子にしようと愛をもってあらかじめ定めておられた。世界の基の据えられる前から、この方にあって私たちを世から選んでくださって、呼び出してくださって、御前にある聖なる、傷のない者にしようとされて、私たちを神のご自分の子どもにしようと愛をもって世界の始まる前から定めていてくださった。思わずエーっと言ってしまいます。

「ベン・ハー」という映画をご覧になったことがあるでしょうか。私は中学校のころに初めて見ました。

 主人公のベン・ハーとメッサラは、本来は親友でした。メッサラは時の権力者であるローマ皇帝に取り入って出世を図ろうとします。メッサラは出世欲にとりつかれていた。俺はローマで出世するんだ、ローマ皇帝のもとでという価値観、人生観で生きていく。片やユダヤ人のベン・ハーという誇り高き家系にある彼は、自分の同族がローマ帝国によって苦しめられていることに非常な怒りを感じていた。メッサラは親友なのですが、ベン・ハーとは生き方が違う。そしてとうとう行き違いがあって彼は捕らわれの身となり、ガレー船の漕ぎ手とされてしまう。ところがその船が襲撃されたとき、ベン・ハーは、敵であるローマの将軍を助けました。将軍は命の恩人であるベン・ハーを「おまえは私の子どもだ」と将軍の跡取りの印として指輪を与えられる。この権威をもってベン・ハーは、自分の母親、自分の妹の居場所を吐かせます。私はローマの将軍の跡取り息子、私はこういう者である、それを示す一場面です。

 あの指輪ではありませんが、私たちは罪と滅びの中にあった。生まれながら神のみ怒りを受けるべき私たちが、不思議な恵みによって呼び出されて、私の罪の身代わりとして、神のひとり子が、命をかけて救ってくださった。私たちは、その神の子どもとされる指輪、それは十字架のイエス様の血潮によって、この者は、わたしを信じているこの者は、わたしの子どもである、わたしが命をかけて彼をわたしの子としたのである。神はこのようにいってくださる。エペソ15節にあります。

1:5神は、みこころの良しとするところに従って、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

 こんな私たちがイエス様を信じて罪赦されて神の子どもとされる特権が与えられた、もっと正確にいうならば、イエス・キリストによってご自分の子とする、これには「神は」という主語がありますから、父なる神様のキリストによってご自分の子どもとせられた、そういう意味です。そして私たちがそのようなものになることによって、6節、

1:6それは神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

 つまりイエス様が十字架の贖い、私たちが神の子どもとされるというこのようなすばらしいことをしてくださったことによってイエス様ご自身が崇められるということです。イエス様の十字架のすばらしさ、こんな者たちを救うことがおできになるイエス・キリストご自身が神のみ前に大きな栄光を受ける。神の恵みの栄光はほめたたえられるため、これを読んだとき、この者たちの救いがいかほどに大きなものであることか。13節、

1:13このキリストにあって、あなた方もまた、真理のことば、あなた方の救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。

 信じたことによって私たちはイエス・キリストの十字架の血潮によって、約束の聖霊によって証印を押されたのです。あなたはわたしの大切な子どもだ。すばらしいこのことが神の栄光につながるのだ。

 どうぞこの福音を更にさらに私たちのものとし、これに生きていくお互いであらせていただきましょう。

 

7,053字の打ち出しと編集の労を神様にお捧げいたします。 53分 更新

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JーMEROを聴く

J-MERO、さいたまのパート2

きょうは海外でも話題の埼玉出身の2組

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BAND- MAIDの5人組。2016年からアメリカをはじめ世界各地で公演。「DOMINATION

Choose me」を紹介。

コメント:たくさんの国々でお給仕させていただいてるんですけど、国々によって文化の違いや人柄の違いがラージ?にもあらわれていて、私たちもすごく楽しくステージすることが毎回できました。はじめて知った方はメイドの衣装などにびっくりされる。衣装がかわいいから曲もそうかと思われる方が。ところがギャップ。これが私たちのコンセプトの一つ。この格好でロックします。海外にまで届くように精一杯お給仕しますと。どうやらお給仕は演奏、ライブということなよう。

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二組目はSKY-HIとSUPER FLYERS。SKY-HIAAA-のメンバーでもある。日高光啓(みつひろ)のソロプロジェクトだ。「One Night Boogie . THE SUPER FLYERS」「Divers High」「Nanisama(Who Do you think You Are?)」などを紹介。

コメント:何を大事に? という質問に、おおきくたぶん二つあって、音楽を作るという事だと思うんですけれど、ヒップホップを中心に聴くようなったりしてたときとかは、やはりヒップホップを聴いてる人たちに向けて曲を作ってたし、そのことしか考えてなかった。そうじゃなくてたとえば大声、オールドなホールを聴く人とかファンクが好きな人とか、日本のポップスが好きな人とか、アニメソングが好きな人とかいろいろいる中で、ラップソングを楽しんでもらうというのには、いったいどんなものを作ればいいのかを考えることと、もう一つは精神性のヒップホップ、自分であるという事、精神性がしっかりしていると、だいたいなにやってもちゃんと貫き通せるような気がします。と、なかなかでした。

 

🎵クラシックのアレンジでまだラップ調は聴いたことないな~


いま気ぜわしいので、あとでコメント書き足しておきます。写真、解説などは番組から 7時5分更新

コメント書き足しました。7時28分

 

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「楽都のユニゾン」連載第58回がでました

本日の盛岡タイムスに筆者の連載第58回が掲載されています。ご覧いただければ嬉しく思います。

今回は鳥取春陽に兆す病、そしてそれに伴う来し方の心境などを書かせていただきました。

 

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2019/6/28クラシック倶楽部を聴く

名古屋大&愛知県立芸術大学 スペシャルキャンパスコンサート・プラス

2016428日 名古屋大学 豊田講堂~

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江川智沙穂:東京芸術大学ピアノ科を卒業。愛知県立芸術大学大学院修了。第3回ルーマニア国際音楽コンクール第2位。名古屋を中心に活躍の場を広げている。

倉田寛:東京芸術大学卒業。1992年ナルボンヌ国際金管五重奏コンクールで特別賞を受賞。1993年神奈川フィル入団。翌年日本管打楽器コンクール第3位入賞。ソロの活躍の場を広げ2014年退団。現在は後進の指導にもあたっている。

川島幸子:東京音楽大学ピアノ科を卒業後、声楽へ転身。ドイツのフランツリスト音楽大学で学ぶ。第12回チャイコフスキー国際コンクールでセミファイナリストとなり注目される。透明な音色と完成度の高いテクニックは高い評価を受けている。

鈴木謙一郎:桐朋学園大学ピアノ科を首席で卒業。第60日本音楽コンクールで第1位。文化庁海外研修生として渡仏。トゥールーズ音楽院を特別一等賞で卒業。ホロヴィッツ国際音楽コンクール第4位、銅メダル受賞。ウクライナで30回を超える演奏会は高く評価された。

 

川島幸子コメント
リヒャルト・シュトラウスについては、ドイツで「ブレンターノの詩による6つの歌」をオーケストラと共演したときがあって、そのときに曲ぜんぶ歌って、リヒャルト・シュトラウスの音楽の世界にどっぷり浸かることができて、オーケストラトと最初に一曲目は背中からばーんと出て来た時にもう何てすばらしい曲なんだろうと感動しまして、もう音楽の虜になりました。

鈴木謙一郎コメント

留学先のウクライナについて。ホロヴィッツがとても好きで、ウクライナに行くと決まったときは縁を感じました。ウクライナに滞在していた時に、お世話になったオーケストラの指揮者のディスカヴィッチさん、チェルニーゴフ(チェルノブイリから約70㎞離れたウクライナの都市)という街の方ですが、その方が、作曲家ボルトキエヴィッチの大ファンで、すべての楽譜をいただいて是非日本に帰ったら演奏してくれ、日本に広めてくれと。それがきっかけですが。そのオーケストラはちょうど原発事故のときにチェルノブイリにいて、活動ができなくなった。3年ぐらいしてまた復活してコンサートを再開したのですが、その時の話をいつもその指揮者の方が涙ながらに語っていた。だからボルトキエヴィッチを演奏するときには震災の事、原発の事を含めて思い出して深く考えるところとなっています。

倉田寛コメント:楽器演奏と発声の関係について。オーケストラを続けていたある日、調子を崩したことがあります。口のトラブルなどです。そのとき藁をもつかむ思いで留学したところ、「ソング&ウィンド(SONG&WIND)」といって歌と音楽というのはすごく結びついているんだよということ。ほんとうに簡単に道具を扱うこまかいパーツをこうだよああだよと教える前に、歌えたら吹けるんじゃないかというほんとうにシンプルな教えを教わったのをきっかけに本格的に歌も始めた。SONG&WIND。WINDというのは息。息と歌があれば楽器は吹けるんだよ。私にとってはそれが音楽の糧となり礎となっていますね。

 

☆「愛の想い」プライヤー:作曲
(トロンボーン)倉田寛、(ピアノ)江川智沙穂「献呈」

作曲者プライヤーはアメリカ海軍軍楽隊の伝説的トロンボーン奏者。自身の技術や演奏経験をもとに多くの作品を作曲。ワルツのリズムで始まり徐々に華やかさが加わってゆく。
☆「献呈」リヒャルト・シュトラウス:作曲

リヒャルト・シュトラウス(18641949)はドイツ後期ロマン派の巨星。長大なオペラや交響詩のみならず、歌曲に特別な愛着を持っていた。(ソプラノ)川島幸子、(ピアノ)鈴木謙一郎
☆「あすの朝」リヒャルト・シュトラウス:作曲

Rシュトラウスが自身の結婚を記念して妻に捧げた作品。甘く幸せな世界を描いた詩と歌とピアノが呼応する音楽は、歌手であった妻との愛の語らいのようである。
(ソプラノ)川島幸子、(ピアノ)鈴木謙一郎
☆「ツェチーリエ」リヒャルト・シュトラウス:作曲
(ソプラノ)川島幸子、(ピアノ)鈴木謙一郎

☆「ノクターン 作品9-2」ショパン:作曲

ショパンが22歳で発表したノクターン作品9の全3曲。楽器商プレイエルの妻であり才媛と名高かったマリーへ献呈された。数あるノクターンのうちで最も人気がある。

(ピアノ)鈴木謙一郎
☆「エレジー 作品46」ボルトキェヴィチ:作曲

ピアニストでもあったロシアの作曲家ボルトキェヴィチ(18771952)はドイツ、オーストリアで活躍し、ロマン派的な表現を得意とした。この曲はラフマニノフのような雄大さと甘い響きを併せもつ作品。
(ピアノ)鈴木謙一郎

☆「交響組曲「シェエラザード」」リムスキー・コルサコフ:作曲、クルサーノフ:編曲

ロシアのリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」、異国情緒あるれる名作をロシアの作曲家クルサーノフが編曲。オーケストラの豊かな色彩が一台のピアノで表現される。
(ピアノ)鈴木謙一郎

☆「カッチーニのアヴェ・マリア」ヴァヴィロフ:作曲

16世紀イタリアの作曲家カッチーニの歌曲として知られてきたが、近年、ロシアの音楽家ヴァヴィロフが作曲していたことが明らかになった。テノールと同じ音域をもつトロンボーンが憂愁を帯びた旋律を歌う。

(トロンボーン)倉田寛、(ピアノ)江川智沙穂

☆「歌劇「トゥーランドット」から`誰も寝てはならぬ'」プッチーニ:作曲

「トゥーランドット」の中でも最も有名なアリア。トゥーランドットへの愛をカラフ王子が高らかに歌う。今回はトロンボーン演奏が歌に加わる。
(トロンボーン)倉田寛、(ピアノ)江川智沙穂

☆「小さな空」武満徹:作曲
(ソプラノ)川島幸子、(トロンボーン)倉田寛、(フルート)橋本岳人、(ピアノ)鈴木謙一郎

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名古屋大学の豊田講堂は2011年に登録有形文化財に指定されたようだ。

🎧名曲アルバム。「バレエ組曲 ロデオ」、コープランド作曲

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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⛳今回は備忘録としてのみできるだけ忠実に筆記してみた  7時50分更新
 

 

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2019/6/27クラシック倶楽部を聴く

名古屋大&愛知県立芸大 スペシャルキャンパスコンサート

2016428日 名古屋大学 豊田講堂~

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上左・川島幸子氏、右・鈴木謙一郎氏
下左・倉田寛氏、右・橋本岳人氏

川島幸子:神戸市生まれ。東京音楽大学ピアノ科卒業後声楽に転向。第12回チャイコフスキー国際コンクール声楽部門で日本人でただひとりのセミファイナリスト。第10回R・ザンドナイ国際オペラコンクール入賞。ヨーロッパ・日本各地で公演。愛知県立芸術大学准教授。(オフィシャル・ウェブサイトより)

鈴木謙一郎:1969年大阪生まれ世界最長のファツィオーリ演奏で話題を集める。91年第60回日本音楽コンクール第一位。桐朋学園大学ピアノ科首席卒業。文化庁海外派遣研修生として渡仏。トゥールーズ音楽院を特別1等賞で終了。03年ホロヴィッツ国際音楽コンクール第4位。銅メダル受賞。ウクライナでは30回に及ぶコンサートツアーで高く評価される。世界最長のファツィオーリ演奏で話題を集める。愛知県立芸術大学で後進を指導。(番組&camerataより)

倉田寛:静岡県浜松市出身。東京芸術大学。1993年神奈川フィルに入団。翌年第11回日本管打楽器コンクール第3位入賞。04年文化庁新進芸術家海外留学制度研修者としてシカゴ留学。14年神奈川フィル退団。現在は後進の指導に当たっている。(オフィシャルサイト&番組から)

橋本岳人:東京都出身。東京都出身。桐朋学園大学音楽学部を経て、1999年同大学研究科修了。在学中、スカラシップを得てキジアーナ音楽祭に参加し、ディプロマ賞を受賞。大学在学中、1996年日本フルートコンクール第3位と併せて高島賞受賞、日本現代音楽コンクール入賞。1998年第67回日本音楽コンクール・フルート部門入選。名フィル在団中、2001年第70回同コンクール入選。2007-08年文化庁在外芸術家研究員に選出されパリに留学、ミシェル・モラゲス氏に師事。現在、名フィル首席フルート奏者、名古屋音楽大学講師。(名古屋フィル&番組から)

☆「万霊節」リヒャルト・シュトラウス:作曲
(ソプラノ)川島幸子、鈴木謙一郎
☆「あなたの歌が私の心に響くとき」
リヒャルト・シュトラウス:作曲
(ソプラノ)川島幸子、(ピアノ)鈴木謙一郎

☆「歌劇ランメルモールのルチアから<狂乱の場>」ドニゼッティ:作曲
(ソプラノ)川島幸子、(ピアノ)鈴木謙一郎、(フルート)橋本岳人

☆「ワルツ 作品64-2」ショパン:作曲
(ピアノ)鈴木謙一郎☆「ポロネーズ 変イ長調 <英雄>」ショパン:作曲
☆「トルコ行進曲 大変奏曲」モーツァルト:作曲、ヴォロドス:編曲
(ピアノ)鈴木謙一郎

☆「コンチェルティーノ」ラーション:作曲
(トロンボーン)倉田寛

🎵
「英雄」、中間部のオクターブの連続に注意を引かれる。「トルコ行進曲」、これまで多くの変奏曲を聴いたけれども、難曲の妙技を聴いた気が。

 

🎧
名曲アルバム。シューマンの「交響曲 ライン」。【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】沼尻竜典。

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「交響曲ライン」、心を病んだ後とは思われない力強さ。

⛳7時20分更新  写真などは番組から
 

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2019/6/26クラシック倶楽部を聴く

沖縄県読谷村公開収録  森麻季 ソプラノ・リサイタル

(ソプラノ)森麻季、(ピアノ)山岸茂人

~読谷村文化センター 鳳ホール 2017129日~

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森麻季プロフィール
1970
年東京都生まれ。東京藝術大学、同大学院独唱専攻、文化庁オペラ研修所修了。ミラノとミュンヘンに留学し、プラシド・ドミンゴ世界オペラコンクール「オペラリア」等多数の国内外のコンクールに上位入賞を果たす。古典から現代まで幅広いレパートリーを持ち、コロラトゥーラの技術と透明感のある歌声に支えられた音楽性が高く評価されている。
コメント:聴き落しもあるが、森氏、20歳前は見えなかった言葉の意味を、いまより深く解釈できることがある。オペラ、日本歌曲のよさを知っていただければ。筆者がちょっと考え込んでしまったあいだに、スケールのはなしを、たしかスケールのことだったと思うが聴き落してしまい残念。コロラトゥーラのことも話しておられた。聴いたことがあるなと興味を持っていただけるような選曲ですと氏。
山岸茂人プロフィール
1994
年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。97年同大学院音楽学専攻終了。ライナー・ホフマン教授のドイツ歌曲講習会を度々受講。声楽の伴奏者として共演者からの信頼があつい。

 

☆「Stand Alone」小山薫堂:作詞、久石譲:作曲、秋山しげる:編曲

☆「歌劇シャモニーのリンダから恋の炎」ドニゼッティ:作曲
☆「セレナード」シューベルト:作曲、リスト:編曲
☆「アヴェ・マリア D.839」スコット:作詞、シューベルト:作曲
☆「アヴェ・マリア」バッハ、グノー:作曲
☆「アヴェ・マリア」マッツォーニ:作詞、マスカーニ:作曲
☆「歌劇ファウストから宝石の歌 なんと美しいこの姿」グノー:作曲
☆「間奏曲 作品1182」グノー:作曲

☆「初恋」石川啄木:作詞、越谷達之助:作曲
☆「見上げてごらん夜の星を」永六輔:作詞、いずみたく:作曲
☆「歌劇ロメオとジュリエットから ジュリエットのワルツ私は夢に生きたい」グノー:作曲
☆「歌劇ボエームから ムゼッタのワルツ私が町を歩くと」プッチーニ:作曲
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Stand Alone」の詩。

ちいさな光が歩んだ道を照らす
希望のつぼみが遠くを見つめていた
迷い悩むほど人は強さを掴むから夢を見る
凛として旅立つ一朶の雲を目指し
あなたと歩んだあの日の道を探す
ひとりの祈りが心をつないでゆく
空に手を広げふりそそぐ光あつめて
友に届けとはなてば夢叶う
(
後略)

🎵
読谷村は人口4万1千。村の人口日本一。この機会に15世紀の琉球王国について、駆け足でウェブを。特産の焼物「やちむん」の工房が60か所以上もあるとか。
読谷村文化センター 鳳ホールに集った聴衆は600人。森麻季氏の歌声は何としても聴かねばならぬ声の一つ。それがけさの忙しさは! いくつかの家事をこなしながらの視聴となった。 
オペラの歌い上げのすばらしさはもういうまでもない。「みあげてごらん夜の星を」の歌詞が声質と相まって、そのすばらしさを再確認。「みあげてごらん夜の星を ぼくらのように名もない星が ささやかな幸せを祈ってる」。ピアノ、「間奏曲」がよかった。
石川啄木を取り上げていただいたことは岩手人として嬉しい。深く懐かしく味わい深く歌ってくださった。

 

🎧
名曲アルバム。「スペインの庭の夜」ファリャ作曲
【ピアノ】廻由美子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】小泉和裕

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⛳けさは6時には朝食。それを終えてからの筆記。つまりこの番組を聴きながら朝食を準備。とにかく忙しい朝。それでも7時40分更新。もうこれはほとんどゲーム感覚、競技感覚、時間との戦いなのだ。(笑)
あとで写真を2枚ばかり足しておきたい。

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2019/6/25クラシック倶楽部を聴く

パク・キュヒ ラテンの風 古民家に響くギターの調べ
横浜市農村生活館 みその公演 横溝屋敷 収録

プロフィール
東京音楽大学を経て、ウィーンとスペインで学ぶ。数多くの国際ギターコンクールで優勝。

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コメント:古民家での演奏と聴き、野外演奏をしたことがないので,どういう響きになるかイメージがわかず心配だったが、家で弾く感じなのかなとキュヒ。
ヒナステラの「ソナタ」には、アルゼンチンの男性が踊る「マランボ」のリズムが使われており、特殊奏法、弦を弾くだけでなく、板や弦をたたいたり、弦をこするという奏法が駆使されている。4楽章では日本人奏者が名付けた猫パンチ奏法も。これはラスケアードと一気に弦を弾く組み合わせだそう。
「旅人のソナタ」はブラジルを旅する感覚。オダイルに献呈されているが、オダイルその人はワイルドで自由なのだとか。「この曲はロックン・ロール」なのだそう。

 

☆「ソナタ ト長調 K.391」スカルラッティ:作曲
☆「フリア・フロリダ(舟歌)」バリオス:作曲
☆「ワルツ 作品8 3」バリオス:作曲
☆「ワルツ 作品8 4」バリオス:作曲
☆「ソナタ 作品47」ヒナステラ:作曲
☆「カタルーニャ奇想曲」アルベニス:作曲

☆「練習曲 ホ短調 作品6 11」ソル:作曲
☆「旅人のソナタ」ブローウェル:作曲
☆「愛のロマンス」作者不詳:作曲
201811月 横浜市 みその公園 横溝屋敷~

 

🎵
この放送を聴くのは2回目。よいものは何度でも。聴くたびに感じ入る曲が違うのだが、今回はソルの「練習曲 ホ短調」。鳴ったとたん、うっと来るものがあった。
カメラワークのすばらしさ、演奏のすばらしさは前にも書いたけれども、ギターのラテンの響きが時を超えて16世紀の古民家に届きそこで鳴り、同時にいまのこの古民家のたたずまいに響いているかの不思議さ。
キュヒについてはウェブ上に数限りなく出ており人気の高さが。

 

 

🎧
「歌劇 セミラーミデ序曲」ロッシーニ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー管弦楽団,【指揮】飯森範親

 

音楽番組に食材満載画像という面白さ。

⛳6時32分更新

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2019/6/24クラシック倶楽部を聴く

北海道斜里町公開録画~山宮るり子ハープ・リサイタル~

(フルート)小池 郁江、(ハープ)山宮 るり子
201693日 斜里町公民館 ゆめホール 知床~

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山宮るり子プロフィール
1988年新潟市生まれ。2012年ハンブルク国立音楽演劇大学卒業、現在同大学院で学ぶ。2009年ミュンヘン国際音楽コンクールで第二位。2011年リリー・ラスキーヌ国際ハープコンクールにて満場一致で日本人初の優勝。以後ヨーロッパや日本を中心に、ソリスト、室内楽奏者として活躍。

コメント:斜里町は土地が広く、一本道がずっと先まで見え、フランスに留学した時の景色を彷彿とさせ懐かしい。演奏会の前半は短い時間で幅広い年代が楽しめる選曲をしました。ハープの繊細な音色は知られていますが、激しい感情の表現もできる幅広さをも持っています。後半の選曲については、ハープとフルートの演奏。この二つの楽器は相性がいいので多くの作品があります。

小池 郁江プロフィール
東京芸術大学卒業。同大学院修士課程を修了。第11回日本フルートコンヴェンションコンクール第1位。現在、東京都交響楽団フルート奏者を務め、ソロや室内楽の分野でも活躍している。
コメント:2014年から山宮氏と何度も共演。ハープの音を壊さないようにやりたい、山宮氏は、共演するときでもこの曲はハープのために書かれた曲かなと思うほどに曲をしあげるなどと、もっぱら山宮氏の礼賛に回る謙虚さ。

 

☆「ハープ協奏曲 変ロ長調 から 第1楽章」ヘンデル:作曲

この曲はヘンデルが自作のオラトリオの幕間に演奏するために書いた協奏曲の一つ。無伴奏でも演奏され、今日ではハープの重要なレパートリーとして知られている。
☆「ROKUDAN」黛敏郎:作曲

日本を代表する作曲家黛敏郎が箏の名曲「六段の調べ」を元にハープ独奏用として作曲。弦を爪ではじくなど奏法を似せて箏の音色を意識しながらも、楽器をたたく、金属ハンマーで弦をこするなど伝統的響きと前衛的奏法が同居する名作。
☆「交響詩「モルダウ」」スメタナ:作曲、トルネチェク:編曲

この作品はチェコのスメタナが作曲した6曲の交響詩から成る「わが祖国」の第2曲。同じチェコのハープ奏者トルネチェクによりハープ独奏用として編曲された。旋律と分散和音を幾つも重ねることで壮大な管弦楽曲を1台のハープで表現している。
☆「タイスの冥想曲」マスネ:作曲
☆「カルメン幻想曲」ボルヌ:作曲
☆「子守歌 作品16」フォーレ:作曲

🎵

斜里町は人口12,000人。漁業のほかビート、ジャガイモの生産地。オジロワシ、ヒグマ、エゾシカなど棲息しているらしい。

「斜里町公民館 ゆめホール 知床」は平成10年会館。実はホールには空席が目立つのだが、これだけの演奏ならばふつうは満席、ブラボーも飛ぶはず。しかし、しかし、このホールに聴きたいと思い集た方々に、このすばらしい音楽を届け得た値は大きい。あの空席の5つも買い占めたいもの、それでどうする? と問われても答えに窮するのだが。

去年か一昨年か、何れ前に一度聴いたことのあるコンサート録画。たしかハープは水を表現するのには実に相応しいとかなんとか言った気がする。今回じっくりと聴いてみると、「ROKUDAN」、これが、まず1で、「六段の調べ」の格調の高さをぎゅっと刻印された気がした。これをⅡ~Ⅴの変奏、変奏というよりは、真新しい、先を切り刻んで奏でられるような音色に驚かされた。ということは、前に聴いたときは、いったいどこを聴いていたの? と言われても仕方がない。ハープという楽器の極限までの突き詰めだ。ただ繊細なばかりではない多様性を教えられた。前衛的な響きがくっきりはっきりとのこった。「モルダウ」、水の表現、波間に光を散りばめながら、クワッ、クワッと溢れるような、これは水の豊かさ、満水の豊かさ、旋律と数限りない分散和音の作り出す妙に心酔。
 「カルメン幻想曲」、フルート演奏、よかった。後半、ハープが伴奏を務めたが、この逆バージョンを聴いてみたいもの。

 

🎧
 

名曲アルバム。「交響曲第6番 田園」ベートーヴェン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】大友直人

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⛳7時15分更新

 

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きょうのことば

 

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。

Dsc05411bokusi  616()の説教は『霊的祝福の恵み』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証:エペソ書1:1~3でした。

1:1神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。 1:2私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。1:3私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

〈説教〉

きょうからは、このエペソ人への手紙をべースに学びを進めていきたいと導かれております。当然のことながら、その時々に対応した別のみことばを開くこともあるわけですが、基本的にはエペソ人への手紙からですので、この公開説教が祝されますように祈って頂きたいと思います。

(前置きの一部、前回の復習は割愛します) 

 新約聖書のなかにある『ピリピ人への手紙』『コロサイ人への手紙』『ピレモンへの手紙』『エペソ人への手紙』の4つは、パウロがローマの獄中に捕らえられていたときに書いたもので、これらは獄中書簡として分類されております。エペソ人への手紙もその必要があって書かれており、書かれた年代は紀元後の60年であろうといわれております。

 聖書は旧約聖書、新約聖書と大きく二つに分けてあります。ざっくりとお話しするならば、救い主キリスト、メシアについて記されているのが聖書であります。旧約聖書は、そのお方がやがて私たちに与えられますよと知らせ、メシアが与えられるという希望と確信を与えてくれるのが、旧約聖書にある詩歌でもあり歴史でもあり、色々なことがありますけれども、何れ旧約聖書には、やがて我らにメシアが与えられますよという事が記されている。では、それに対して新約聖書の方は、何かというと、こんどは過去を振り返って、その旧約に預言されていたメシアとは、あの十字架につけられ復活されたナザレのイエスご自身ですよということを示している、それが新約聖書です。救い主がやがて我らに与えられますよという旧約聖書とそのお方はナザレのあの十字架につけられ、よみがえられたイエスなのですよということを示して、ほら、その証拠にこういう人生、生涯を歩まれたのですよというイエス様とご生涯を誕生から或いは十字架、復活までイエス様というお方に焦点を合わせて書かれているのが『マタイの福音書』『マルコの福音書』『ルカの福音書』『ヨハネの福音書』ですし、そしてそれを承けたお弟子さんたちが、このようにして教会を作り上げていきましたよという、教会のできあがっていく過程、これが記されているのが『使徒の働き』です。そして、各教会への書簡がありますが、その多くがパウロによる書簡です。それ以外の人たちが書いたお手紙に『ヘブル人への手紙』『ヤコブの手紙』『ヨハネの手紙 第一、第二』などがあります。勿論このヘブル書というのは、誰が書いたかはまだ明確でありません。学者たちが研究しているところです。現代は、ヘブル人への手紙はパウロ書簡ではないだろう、別の人が書いたのではないかという説が多くあります。私が信仰に導かれた当時、まだそれがちょうどボーダーラインの時でありました。印象的なことでありましたけれども、講壇から蔦田二雄先生が、「このヘブル人への手紙の著者についていろいろ論じられていて、他の名前も挙げられているけれども、それがはっきりしない限り、パウロ書簡として分類して差し支えない」といわれました。その当時はパウロ書簡、パウロの書いたお手紙としてヘブル書があったなあと思い出しながら、しかし、これは今後の学者の研究に委ねてよろしいわけで、大切なことは、誰が書いたかというよりもその内容です。そしてヘブルから始まって、最後の黙示録だけは、随分趣の違ったお手紙になっております。新約聖書というのは、ですから、福音書に代表されるイエス様のご生涯と教会がどようにしてできたかという使徒の働きとして、その過程においてパウロが重荷をもって、或いは、こういうことをしてもらいたいという願いをもってその時その時必要に応じて書かれたお手紙が、それが後になって聖書として編纂されるように導かれ、パウロが書いたお手紙が13、それから、その他のいわゆる公同書簡とよばれるもの、そして黙示録など、これらのものはいろいろありますけれども、ぜんぶ、あのお方、ナザレのイエスというお方がメシア、キリストなんですよということを繰り返して示しているということには変わりがないわけであります。これが、新約聖書。

 私たちがいま、これから学ぼうとしているところが、どういう位置づけなのか、そして、このパウロの書いた、獄中書簡、これがどういう環境の中で書かれたかというと、パウロが、当時のユダヤ教徒たちの妬みを買い、反感を買い、そして彼らが、ローマ帝国に讒訴してパウロを排除しようとしている、それゆえにパウロは牢獄に捕らえられるという経験を何度かしております。結局パウロは私たちが知る限り、2回大きな投獄経験をして、2回目の時にはネロによって命を絶たれるのですが、これが書かれたときには、ローマの牢獄に捕らえられているのですけれども、まだ比較的、仲間たちとやり取りが可能であったので、獄中において必要があってお手紙を書いた、その必要あって書いた一つがエペソ人への手紙です。ピレモン書という、これは教会ではなくピレモンという個人に宛てた手紙もあります。同じローマの獄中で同じ時期に書かれたものです。 

 パウロはローマで獄中に捕らわれの身となっておりましたけれども、それまでパウロは、この地中海世界を、懸命に旅行しながら、教会開拓、建て上げに情熱を傾けていたのですが、それがいま申し上げましたようなことで、一旦、その働きにストップをかけられ、獄中におりましたときに、これは、ほんとうに摂理、神様の知恵はすごいなと思うのですが、このような時があったからこそ、パウロは、立ち止まって、私が伝えている福音というものは何なのかという事を彼自身深く心の中に確認をする。そして、これが福音なのだと確信したものをパウロは、エペソの人たち、或いはピリピの人たち、コロサイの人たちへと、お手紙を書いていたわけであります。それではエペソはどこにあるのか。エペソはエーゲ海に面しています。当時のローマ7帝国の中でも屈指の大都会であったといわれております。(説教中で用いられた地図ではありませんが「新改訳2017」の地図を参考にご覧ください)
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 パウロはずっとこの地域を伝道していくなかで、エペソに留まり、そして、一旦、きょうはもうほんとうに簡単にしますけれども、この後、もう一度パウロはアンティオケというところに帰ってくるんですね。そして、そこからまた再び、自分の開拓した教会を訪ねながら、再び第3次伝道旅行といってエペソに行き、そこでけっこう長く建て上げのお仕事をした。で、その後、獄中に捕らわれたときに、どうしてもパウロはエペソやコロサイに開拓した教会に心を留めて、必要がありお手紙を書いたとこういう事になるわけであります。

 3節。きょうはエペソ人への手紙の序論のように、いわばこれからエペソの学びをスタートしますよというところを、ちょっとこう力をためて皆さん方と一緒に備えているところでありますが、パウロは、エペソの教会によく私たちがするように、まず挨拶のことばを書きました。1節、2節はまさに典型的な挨拶の文章でありますが、3節には、「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」

 祝福してくださるでしょう、ではなく、祝福してくださいましたよね、というように彼が関わった、そして教会として呼び出された人たちの集まりに、そうだったでしょ、そして、天上にあるすべての霊的祝福、これを思います、私たちが、私も含めて異教徒であった自分、宗教というと家内安全、無病息災というようなご利益を求めるのが宗教であり祈りなのだと、そのようなことを考えておりましたけれども、しかし誤解のないように、決して地上的な祝福を求めるのが悪いという意味で言っているのではないのです。それは、私たちの健康が祝されるようにという事は、大切な祈りの課題であります。どうか、霊的なことが善で、肉体的、物質的なものは悪だというようなグノーシス的なといったらいのでしょうか、対立するようなものと考えてはならない。それは間違った教えでありますけれども、ここで言っていることは、私たちにパウロが是非確認したいのは、神はキリストとともに天上にある。この地上にあくせくしているのじゃない、私たちのほんとうの祝福は天上にある。地上における祝福、それは、限りのあるものです。でもそうではない、これは永遠的なものであり、そしてこれは、3節にあるとおり「天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」。

 私たちはそのために、呼び出され、そのために選ばれ、そのために私たちは、傷のない者にされて、たとえばこの4節、「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び」というのです。すごいですね。世の中の始まる前から、神様はイエス様にあって、私たち一人ひとりを例外なしに祝福を与えるために選んでくださって、そしてその私たちを「傷のない者にしようとされた」。これが、神様が私たちを教会に属する者として召してくださった祝福なのです。これを立ち止まって思っただけで、胸の高鳴りを感じますね。私たちはなんという恵みに浴しているのでしょう。

 で、これを確認するために、もし皆さん方、ご自分の聖書であるのならば、要所要所に印をしておいて頂ければ嬉しいなと思います。参考になるかどうか、いま消えるボールペンってありますでしょう。ちょっと熱を加えるとぱーっと消える。聖書を汚したくないという方は、熱を加えるときれいになりますし、でも自分の聖書だから、思いっきり汚して、自分の恵みをここに書き込んでいく、それもまたとてもすばらしい恵みです。

 きょう私は皆さんと一緒に「キリストにあって」ということばを聖書にマークをして頂きたいと思います。最初が1章の3節。「私たちの主イエスキリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」。これは、「キリストにあって」の祝福なのです。4節「すなわち神は世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる傷のないものにしようとされたのです。」。もう私たちは、「この方」というそれを離れたのならば、何もこのすばらしい天の祝福から縁のない者になってしまう、選ばれていない者になってしまう。けれどもクリスチャンは「この方にあって」呼び出され選ばれた者なんですね。「この方にあって」なのです。6節「それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光」。私たちはこのキリストにあって、この神がその愛するお方にあって、私たちはこういう祝福の中に選ばれ召されている者なのです。7節「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています」。これは神の豊かな恵みによることです。「キリストにあって」なのです。どうですか、この「キリストにあって」。19節、「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい」。この9節のキリストにあって私たちに恵みの奥義が知らされている、心が震える思いです。私たちはその奥義に与るものとされた。日本的な奥義というのとは違うということを前回コロサイのときにもお話ししました。秘められた、だけれどもクリスチャンたちには、ああそうかとわかる神様の、つまり十字架の奥義なんですね。十字架の奥義というのは、目の隠されている人たちにはぜんぜんわからない。だけれども目が開かれている人たちには何というは恵みでしょうか、こんな私にです。110節「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」。これは後ほどに学んで行くうちにわかるのですが、このキリストの福音、救いというものが、ユダヤ人だけに対するものじゃないよ、異邦人にもどんな者であったとしても信じるものすべてが、もう、イスラエルであろうがギリシャ人であろうが、つまり選民であろうが異邦人であろうが、イエス様にあってこの奥義に恵みに与った者たちが一つになる、これが教会である、それはキリストにあって。11節「またキリストにあって、私たちは、御国を受け継ぐものとなりました」。13節「このキリストにあって、あなた方もまた、真理のことば、あなた方の救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました」。この「キリストにあって」。今はパソコンによって検索という事ができるので、この「キリストにあって」というところがどれだけ出てくるだろうかとパウロ書簡をみたんですが、エペソ書が圧倒的に多い、特にこの1章が多かったですね。勿論違うところにも幾つかありましたけれども、これだけエペソ1章の前半に。ああパウロはこれを言わんとしている、「キリストにあって」。この抽出された数を改めて見ます、「キリストにあって」。

 お話しを締めくくります。私はきょう、「キリストにあって」という事がどれだけ私たちの信仰生涯において生命的な確信的な部分であるかという事をみことばを通して確認していただいたと思うのです。「キリストにあって」もろもろの霊的な祝福を得る。では「キリストにあって」とは、どういうことなのか。これをどうご覧になりますか。このスクリーンに敢えて接着剤の絵を描いてみました。信仰という接着剤で、しっかりとイエス・キリストご自身に密着していることです。これがしっかりしているときに、「キリストにあって」。私たちは「キリストにあって」天上にあるすべての霊的祝福を、私たちを愛して下さった神様の恵みをあふれるばかり受けることができるようになります。これが1章の3節です。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」

 

※今回は、6141字をレコーダーから起こし、できるだけそのまま筆記させていただきました。聖書の分類は簡略に記してございます。時間的な事情で毎回このペースでできかねることもあるかと思います。その時は抜粋となる場合もありますが、内容に忠実にと心がけます。

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音楽雑感

 明け方5時過ぎから降りだした雨、6時を回る今、雨音が強くなっている。植物には恵みの雨。しかし早朝に仕事に出かける方、また夜間の仕事から帰って来られる方には、ちょっと困った雨なのだ。
 春の球根類の葉っぱたちはみな地にへたりこんで枯れ、取り去られ、矢車草、花菱草、ルピナス、皐月、菖蒲、カルミヤはそろそろ咲き終えて、その背後にいつの間にかアジサイが控えめに咲いていた。雨とは相性がいいのだろう。

 

 さきほどのJ-MERO、けさは、埼玉県でパート1。人口130万。次世代を担うとして4組のアーティストの紹介。吉澤嘉代子、Beverly
 吉澤嘉代子は生まれは川口。鋳物が盛んな町だ。彼女の生家も鋳物工場。水に油が虹色に映っていたり、朝の空気にチリがきらめいていたり、鋳物づくりで火花が散る光景を身近に育ったが、それが声の出し方、音楽に影響を与えているという。人はふつう自分をカッコよく見せようとするものだが、彼女は、むしろ自分にある滑稽さ、隠している奥の部分を積極的に言葉に落とし込んで聴いた人の表面に出したくない滑稽さに寄り添うのだと話す。“Stocking”、“Nkotteru(残ってる)”、“ Muse”などを紹介。
 次にフィリピンから来た歌姫Beverly。高校時代アニソンを聴きローマ字で覚え、作曲もするように。演歌も好きだが、歌うには練習が必要らしい母国でもライブができるようになりたいと。“A New Day”、“Baby Don,t  Cry―Kamisama Ni Freru Kutibiru (神様に触れる唇)― ”などを紹介。マニラでのASEAN首脳会議の晩餐会で歌う。声質、歌唱力、包む空気を別な次元に作り成す才能ともに突出。

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あとの2グループは次回の紹介かと思う。

⛳7時6分更新

 

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2019/6/ 2019/6/21クラシック倶楽部を聴く

レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノ・リサイタル

20161125日 東京オペラシティコンサートホール

プロフィール
1970
年ノルウェー生まれ。ベルゲン音楽院で学ぶ。2016年にはジュリアード音楽院から名誉博士号を受け、現在はベルゲンのノルウェー音楽院の教授。
リサイタルや室内楽、オーケストラとの共演で世界を飛び回り、レコーディングや音楽祭のプロデュースにも力を入れるなど北欧を代表する音楽家。
「威厳ある優美さ、力強さ、洞察力を有するピアニスト」(ニューヨーク・タイムズ)。2014/2015年シーズンは、アンスネスにとっておそらく最も野心的な偉業といえる「ベートーヴェンヘの旅」がついに完結を見た。マーラー・チェンバー・オーケストラ(以下MCO)との共演で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を鍵盤越しに指揮し、協奏曲チクルスの演奏が達成された。さらに東京を含む世界19都市でオール・ベートーヴェン・プログラムのソロ・リサイタルを行った。
1970
年にノルウェーのカルメイで生まれ、ベルゲン音楽院で有名なチェコ人教授イルジ・フリンカに師事。務める。スウェーデン王立音楽院のメンバー。

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コメント
シューベルトの「三つの即興曲」は、今回の日本ツァーで初めて演奏します。この作品はシューベルトが31歳、つまり亡くなったときの作品で死の間際にも関わらず新しい何かが起こっていました。語り口がより叙情的になったのです。音楽はとてつもなく美しくシューベルトらしい歌があり、流れるような色彩と、より長い線、フレーズ、呼吸が…
シベリウスのピアノ曲について、今回私がしたように珠玉のピアノ曲を並べてみると、ピアノ曲としてだけでなく音楽としてもすばらしいのです。曲の世界観を臨時に作り出すことに長けています。(シベリウスのピアノ曲は)フレーズ、拍子に意外性があります。左右対称になっていないのです。そして、数小節後には別の場所に行ってしまいます。ハーモニーも特別です。彼の作り出す色彩感も特別で、時にはピアノではなくオーケストラの色を想起させるのです。

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☆「3つのピアノ曲 D946」シューベルト:作曲

18285月シューベルトが亡くなる半年前の作品。しばらく忘れ去られていた作品だったが、死後40年経ってから、ブラームスが匿名で編集し出版した。歌曲を想わせる美しい旋律と絶望感が見事な対比をなす作品。
☆「即興曲 第5番 ロ短調 作品5-5」シベリウス:作曲
シベリウスが初めて出版したピアノ小品集の中の一つ。高音の分散和音を多用し、澄んだ北欧の空気を彷彿とさせる。
☆「ロマンス 変ニ長調 作品24-9」シベリウス:作曲
☆「ノクターン 第4番 ヘ長調 作品15-1」ショパン:作曲
☆「バラード 第4番 ヘ短調 作品52」ショパン:作曲

🎵
特にはっとさせられたところを番組から筆記している。
ことしの3月に来日予定だったコンサートの公演中止が伝えられていたが、いま右肘に損傷があるらしい。「今月予定されている日本と韓国でのリサイタルを中止することを、大変残念に思っております。私は右ひじの故障(損傷)により、このところ何度か公演キャンセルを余儀なくされました。身体的な負荷が掛からない演奏ならば可能であるものの、今回は、リサイタルと手に重い負荷のかかる協奏曲を見送ることにいたしました。遠くない将来、日本と韓国の皆さんの前でリサイタルができることを、心より願っています。」と彼のメッセージが入っていた。ピアニストとしてどんな思いだろうか。どんな音楽も紡ぎだせる腕が手が指が音楽を鳴らせないとしたら。快癒に向かっていることを願いつつ。

 

🎧
名曲アルバム。「コーヒー・カンタータ」バッハ作曲
【出演】ソプラノ澤江衣里,管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン,指揮鈴木優人
何回か目の視聴。澤江氏の楽しいソプラノ。

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コーヒー・カンタータの詩はピカンダー作

 筆者が住む盛岡市でバッハのカンタータ・コーヒーに最も近いのは、Hコーヒー店のウィンナー・コーヒーかと思う。生クリームの先に丸い板チョコはのっていないけれども。

 

⛳近頃、朝はとみに忙しく、仕事の一つ二つは合間に片付けなければならない。それでも 7時20分更新。

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2019/6/20クラシック倶楽部を聴く

アンリ・バルダ ピアノ・リサイタル

2017118日 東京文化会館 小ホール~

プロフィール
エジプト・カイロ生まれ。16歳でパリへ渡り、パリ国立高等音楽院でピアノと室内楽を学び、後にジュリアード音楽院で研鑽を積む。多彩な感情表現にあふれる演奏は、芸術家や音楽家たちの尊敬を集めている。

めったに公の場に姿を現さず、その実演に触れられる機会が限られることから「神秘のピアニスト」とも称され、「知る人ぞ知る」その当代無比の演奏は多くの芸術家たちや音楽家たちの尊敬を集めている。

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☆「平均律クラヴィーア曲集第1巻から 第1番 ハ長調 BWV846」バッハ:作曲
☆「平均律クラヴィーア曲集第1巻から 第8番 変ホ短調 BWV853」バッハ:作曲
☆「平均律クラヴィーア曲集第1巻から 第4番 嬰ハ短調 BWV849」バッハ:作曲
☆「平均律クラヴィーア曲集第1巻から 第19番 イ長調 BWV864」バッハ:作曲
☆「平均律クラヴィーア曲集第1巻から 第20番 イ短調 BWV865」バッハ:作曲
☆「4つの即興曲 作品142から 第1曲 ヘ短調」シューベルト:作曲
☆「4つの即興曲 作品142から 第2曲 変イ長調」シューベルト:作曲
☆「4つの即興曲 作品142から 第3曲 変ロ長調」シューベルト:作曲
☆「4つの即興曲 作品142から 第4曲 ヘ短調」シューベルト:作曲
シューベルトはキャラクター・ピースと呼ばれる自由な発想で作曲した小品を多く遺した。1827年に書かれたこの即興曲には、歌曲を思わせる旋律が取り入れられている。

🎵

一貫して演奏の持つ吸引力、これはほんとうにこの曲についてのことだけれども、どの音にも吸引力がある。この番組の55分が短く感じられる。ということは、時として長く感じられる演奏家もあるということなのだが。アンリ・バルダ、何年生まれか。恐らくインタヴューのマイクを向けられることは好まず、ことばは少ないのではないかという気がする。実際にどうであるかは青柳いづみこ著『アンリ・バルダ〜神秘のピアニスト』に期待し読んでみることにする。「極端に絞り込んだストイックな演奏活動」と「ぶらあぼ」に紹介されていたが、数あるオッファーを自分の信条に照らして選択し応じているのだろう。バルダの平均律と4つの即興曲が沈まず消えずにまだ鳴っている。

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 名曲アルバム。「序奏と華麗なポロネーズ 作品3」ショパン作曲
【チェロ】遠藤真理,【ピアノ】菊池洋子

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2019/6/19クラシック倶楽部を聴く

メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル

20171016日 サントリーホール

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メナヘム・プレスラー プロフィール
1923
1216日ドイツのマグデブルク生まれ。ナチスから逃れて1939年に家族と共に移住したイスラエルで音楽教育を受ける。1946年、サン・フランシスコのドビュッシー国際コンクールで優勝し、本格的なキャリアをスタート。1955年~2008年ピアノ三重奏団ボザール・トリオで活躍。ピアノ三重奏曲の人気を大きく高めた功績を持つ。トリオは世界各地で年間100以上のコンサートをこなした。2011年、ICMA国際クラシック音楽賞の生涯功労賞および名誉あるウィグモア・メダルを受賞、20126月には、スペインのソフィア女王よりメニューイン賞を授与され、またグラモフォン誌の殿堂入りを果たした。90歳でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演。この齢93歳。コンセルトヘボウ管弦楽団、パリ管弦楽団等へ次々と客演、欧米で話題の中心となっている。室内楽の第一人者としての威信は非常に高く、ピアノと音楽の知識は膨大にして、楽譜に書かれた音符から美しい音楽を紡ぎ出す聡明さを伴う。(番組解説とウエブとからの編集)

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            スタンディング・オーベーション

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メナヘム・プレスラーのコメント
ピアノを弾くときこそが至福の時間でした。ピアノはいつも私に語りかけ私は返事をする。するとピアノは音楽に対し多様なアプローチがあることを教えてくれるのです。ピアノの声に応じていれば時には力強く時には控えめに激しくもあれば時にはこの上なく繊細な音も奏でることができるのです。
私の目的は常に作曲家たちの考えを細部まで伝えることです。例えばショパンはピアノを開花させることができる。彼の手にかかればピアノは別次元の美しさを放つ楽器へと変化します。私は作曲家が直接語りかけているような演奏を目指してきました。そのためにあらゆるテクニックは存在するのです。

 

☆「シャコンヌ」ヘンデル:作曲
☆「前奏曲集 第1巻から「デルフィの舞い姫たち」「帆」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」「ミンストレル」」ドビュッシー:作曲
☆「マズルカ ロ短調 作品33 4」ショパン:作曲
☆「マズルカ 嬰ヘ短調 作品59 3」ショパン:作曲
☆「バラード第3番 変イ長調」ショパン:作曲
☆「月の光」ドビュッシー:作曲

 

🎵
メナヘムが楽譜を見るとき、或いは高齢での思いがけない起こり得る事態への対応とも素人目には思われもするのだが、それ以上に目の表情に見とおす眼力が漲っている。この曲はこうであるという確信めいた信念だ。やはりドヴュッシーの音の機微に含蓄を感じる。特に最後の「月の光」、暗い水面、しかし暗いながら美しく澄んだ水面に、月の光が、ただひっそりとたたずむ懐深い樹林に見守られながら、とき折り月の形状をゆるやかに断裂させながら揺らめいている、そんな情景が浮かんだ。巨匠93歳の月の光だ。

 

🎧
名曲アルバム。「ジムノペディ」サティ作曲、ニウナオミ編曲

【サクソフォーン】平野公崇,【ピアノ】加羽沢美濃,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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当初は否定されたサティの作品。やがて前衛芸術運動へとつながる。

⛳地震被害どうなっているか7時のニュースへと移行 7時1分更新

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震度6強

無事を祈ります!

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2019/6/18クラシック倶楽部を聴く

アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル

2017529日 紀尾井ホール

1958年カナダ出身。オルガニストの父が弾くバッハの曲を聴いて育つ。トロント王立音楽院で学び、1985年のトロント国際バッハ・ピアノ・コンクールに優勝。バッハの演奏と解釈で高く評価され、「当代一のバッハ弾き」と称されている。2016年から4年にかけてバッハの鍵盤作品全曲を演奏する「バッハ・オデッセイ」に取組んでいる。

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アンジェラ・ヒューイットのコメント
バッハの音楽が我々の心を打つのは、喜びを踊りのリズムで表現しているからでしょう。メヌエット、ガヴォット、ブーレはもとよりインヴェンションやプレリュード、フーガにも踊りのリズムが使われています。バッハ自身の喜びと踊りが相乗して我々を心地よくしてくれるのです。旋律や主題がどのように美しく流れるのか聴くのも一つの魅力です。美しさ、リズム、喜びが原点の音楽は誰でも楽しむことができるのです。
バッハ作品を現代のピアノで演奏する理由:二つの音の一つを弱く弾くという基本的な音楽表現ができません。彼はフォルテピアノに興味を持ちましたが、汎用されたのは彼の死後でした。今のピアノを聴いたら驚くかも…。彼は楽器に魅了され、多くの鍵盤楽器を試奏しました。自分の音楽を正確に歌うことができる楽器を手に入れたかったのでしょう。現代のピアノでも作曲家の時代様式で弾くべきです。バッハをショパン、ブラームス、リストと同じように弾くのは適正ではありません。現代のピアノの利点は、2声や3声のインヴェンションで顕著にあらわれます。音色の違いで複数の声部を聴き分け、さらに音楽の構造も理解できるのです。

☆「2声のインヴェンション BWV772-786」バッハ:作曲
☆「3声のシンフォニア BWV787-801」バッハ:作曲
バッハは171723年にケーテンの宮廷楽長を務めた。その時代に数多くのクラヴィーア作品を生みだしている。彼は息子の教育用にクラヴィーア曲集を書き、1723年に改めて清書、編纂し、「2声のインヴェンション」15曲「3声のシンフォニア」15曲と名付けた。バッハはこの曲集で演奏技術の習得のみならず、豊かな音楽表現や作曲の知識を得ることを目的とした。

🎵
コメントの最初を聴き落している。こうだろうとは思うが勝手に書き込みはしない。耳で音楽の構造を聴き分けるなどは、筆者には神業ともいえる段階であり、ただこのコメントを聞き流すことを惜しみ、書き記している。アンジェラ・ヒューイット、2020年にはバッハの鍵盤作品全曲演奏が完遂されるはずで、挑戦しつづけるすがたに共感。

🎧
名曲アルバム。「“四季” から」チャイコフスキ-作曲
【ピアノ】金子三勇士

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四季折々のロシアの人々の暮らし。冬の代表はペチカ、トナカイ。ペチカはロシア式暖炉。朝くべた薪の火は家中を暖め、夕方に火は消えかかる。ペチカはオーブンにも早変わり。

⛳7時5分 更新

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岩淵まことコンサートー2019/7/7- 岩渕まことコンサートー 2019・7・7(日)午後2時~3時半 インマヌエル盛岡キリスト教会でー

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2019/6/17クラシック倶楽部を聴く

ギャリック・オールソン ピアノ・リサイタル

201659日 浜離宮朝日ホール

1948年アメリカ・ニューヨーク生まれ。66年、18歳でブゾーニ国際ピアノコンクールに優勝。68年モントリオール国際コンクール、70年に第8回ショパン国際ピアノコンクール優勝(2位:内田光子)。優れたショパン奏者として知られる。古典派から21世紀まで80曲にも及ぶピアノ協奏曲を演奏。膨大なレパートリ-を誇る演奏家として活躍を続ける。

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ギャリック・オールソンのコメント
私は一つのリサイタルでいろいろな楽曲をお聞かせしたいのです。ベートーベンの世界はシェークスピアのように壮大です。人間のあらゆることを表現しているので、一生をかけるに値する作曲家です。簡単なことではありません。納得のいく演奏をなかなか許してくれません。彼は演奏のしやすさなど気にもとめず、ただ自分の音楽だけを考えています。だから一生かかるのです。史上最も偉大な作曲家の一人ですからね。
ショパンへの思いは10代のころ直感的に湧き上がりました。私と相性がいいと恩師は言いました。氷を得た魚のような感覚です。最初のレッスンで、「あなたは生来のショパニストだ」と言われました。「なんてすばらしい才能だ」ってね。ショパンへの湧き上がる思いは恩師の影響か才能か相性の問題でしょう。ピアノというのはよく言うのですが…私はピアノが大好きで大嫌いです。ピアノは幅広い表現ができる。美しい楽器でありながらとても人工的です。ハーモニーやリズム、旋律のすべてがピアニストの手で生まれます。ピアノ自体は音が鳴り消えていくだけ。でも声やオーケストラ、カルテット、オルガン、そしてピアノそのものの音を奏でられるのです。とてもやりがいがありますし大好きですよ。ピアノのためにもただ思いを寄せて弾くだけです。

 

☆「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110」ベートーベン:作曲
☆「練習曲集 作品25から 第5番、第6番」ショパン:作曲
☆「ノクターン ハ短調 作品481」ショパン:作曲
☆「バラード 第1番 ト短調 作品23」ショパン:作曲
☆「前奏曲 嬰ハ短調 作品32」ラフマニノフ:作曲
 

🎵
ギャリック・オールソン、ステージからはみだしそうに大きな方という印象だが、その10指はいかばかり壮大な音を弾き出すのだろう。ピアノの場合には、やはりこういった方がピアノをオケ並みに弾きこなせる一要素だろうか。ショパンでは、大きな手がしなやかで繊細、温かで優しく、消えゆく音にまで神経が通っており、やはりショパンの人。なぜ日本ではマイナーレーベルでの録音となったのかは分からないが、ショパンは魅力的だった。彼のショスタコーヴィッチやベーヴェルンも機会があったら聴きたいものだ。

 


名曲アルバム。「ハンガリー舞曲 第5番・第6番」ブラームス作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】田中良和

ブラームスのハンガリー舞曲のもとになったのは、

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⛳月曜日はちょっと休みたくなるが、習慣的にやはり更新。いつまで続くやら。明日までか一月後までか、それは自分にもわからない。7時12分

 

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きょうのことば

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。この日に洗礼を受けられ方がいらっしゃいました。大変感動的な場面に居合わせることができました。その昔、ハルビンがハルピンと呼ばれていた時代に、厳冬には松花江に馬車や自動車が走れるほど厚く氷が張りますが、その氷をたたき割って、そこで洗礼が授けられていたことをふと思い出しました。受洗者の決意はそれと同じです。教会の床の洗礼槽の二枚の蓋が持ち上げられると、その底に水が張られています。そこに牧師と受洗者が相対して立ち、式文が告げられ、受洗者が牧師によって抱えられ水に浸され上げられます。感動しました。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
 6月9日()の説教は『教会の誕生』―ペンテコステ講壇―(説教:國光勝美牧師)。聖書引証:使徒82640でした


8:26さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。 8:27そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、 8:28帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。 8:29御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。 8:30そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることがわかりますか。」と言った。 8:31するとその人は、「導いてくれる人がなければ、どうしてわかるでしょうか」と答えた。そして馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。 8:32彼が読んでいた聖書の個所には、こうあった。

「屠り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている小羊のように、
彼は口を開かない。
8:33彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。
彼の時代のことを、だれが語れるだろう。
彼のいのちは地上から取り去られたのである。」

8:34宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」 8:35ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。 8:36道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」  8:38そして馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。 8:39二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。 8:40それからピリポはアゾトに現われた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイザリアに行った。

<説教>

きょうはペンテコステの日です。使徒行伝21節に、「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた」とございます。これは、愛するお方を十字架につけられてしまったお弟子さんたち、しかしまた、そのお方が復活されたという事をそれぞれが知りながら、尚、混乱の中に、整えを頂かなければならないペンテコステまでのこの50日間であったように思います。


 使徒21節に「皆が同じ場所に集まっていた」というのはまさに、一人ひとりが、この大切な福音、頼みとしていたイエス様は、もう天に帰られてしまった。見ている間にオリーブ山の上から天に帰られてしまった。残された私たちは、お互いによく知っている通り、これといった秀でたものもない普通の者たちばかり、こんな私たちにいったい何ができるでしょうか。しかし、彼らは、一つところに集まっていたとあります。これは、イエス様が、二人でも三人でも私の名によって集まっているところには私もそこにいる、とマタイの福音書に記してございますが、それで一つの所にイエス様のお名前によって集まっていた、その時です。不思議なできごとが起こったのは。 

2節「天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った」とございます。私たちは、台風の激しい風を経験しておりますけれども、突然、ものすごい風が吹いてくるような尋常ならざる響きと共に家全体にその音が響き渡りました。そして3節を見ると
「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった」4節「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」
 いったい何を話し始めたのか、それは、イエス・キリストの救いの福音です。私たちが救われた、まさにその福音を、それぞれの国の、まだ習得したこともない国のことばでお弟子さんたちが語り始めたという、非常に驚くべきできごとが起きたのです。そしてその後の5節からに、その顛末が記されております。実はこれが、教会の誕生になったのでございます。
 「教会」は、本来、新約聖書でギリシャ語で書かれており、「エクレシア」といいます。これが、「教会」と訳されていることばであり、「呼び出された者」という意味です。何かの目的で、使命をもって呼び出された者たちが集まっているところが教会なのであります。

 きょうは2章の5節以降は省略いたしますけれども、それは何かというとイエス・キリストの福音を聞いて、そして悔い改めた人たちのことでありまして、時間がありましたらば、「礼服を着た人たち」のはなし、或いは備えられ届けられている「礼服」とはどういう事かをお話しするつもりでございました。簡単に触れますと、それは、すべての者に神様が、さあいらっしゃい、と呼びかけていてくださるのですが、しかし、そこには、神様の呼びかけに応じたくない人たちもいるわけです。よしその中に応じた人がいたとしても、神様が用意してくださった礼服を着てこなかった、持ってこなかった、この「礼服」というのは、イエス・キリストの十字架の救い、イエス・キリストの贖いという、その神様が用意してくださったキリストの十字架の救いのことなのです。この神様が与えてくださった礼服ではなく、自分の良い行い、自分の誇るべき行いによって私は天国にはいることができるというように考えている人たちについて触れたいと思ったのですけれども、きょうは、ここには十分触れることはいたしません。つまり、イエス様を信じる人たちの集まり、これは、「キリスト・イエスは、罪びとを救うために世に来られたということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪びとの頭です」というこのおことばを、この神様の語りかけを聞いて、あ、そうだ、これを、この呼びかけをそのまま受け入れる、そして、私は、そのイエス・キリスト、罪びとを救うために来られたイエス様に呼び出された者である。クリスチャンとは、そういう人たちが集まっているところです。それは、私たちが悔い改め、そして、

「もし私たちが、自分の罪を告白するなら、神は真実で正しいかたですから、その罪を赦し、私たちをすべての罪からきよめてくださいます」

 とありますが、自分の罪を告白するなら、神は、真実で正しいかたですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。これが悔い改めに表れる信仰であります。きょうのS兄の洗礼の後に、記念のお祝いに、福音賛美歌集を差し上げたいと思っておりますが、賛美歌の中に、このおことばを記させていただきました。
 この前の水曜日に、このおことばを心に留めたS兄が、「その通りです。私は、このお方を心から信じます」。そう告白をなさいました。その時に、ひろ子先生が、「こんどの日曜日がペンテコステという幸いな教会の恵みの時ですけれども、どうでしょうか、洗礼をお受けになられますか?」。S兄が「心から喜んで是非お願いします」と仰いました。
 洗礼にはいくつかの形がございます。どれがいいとか悪いとかいう事ではありません。滴礼という方式、灌礼という方式、或いは、浸礼という方式があります。S兄は、「できたら、どっぷりと浸る形式でお願いしたい」と申し出られました。

 そのお話をしているうちに5月の26日に私が十和田の方に行っていた話になりました。十和田での礼拝が終わって交わりの時に、盛岡の教会の事も気にかかりましたので連絡をとってみると、その時に、3人の新しい方々がお見えになった事をひろ子師から聞きました。そのときの様子ですが、いらした3人のうちのS兄の横に座ったのがA兄でした。さまざま話を交わしたわけですが、その日は役員会があったために、A兄は後ろ髪を引かれるような思いで役員会のほうに出席されたという事も伺いました。
 A兄が、S兄のことで、「先生、使徒の働きの8章が心にあるのです」と仰いました。私は、9章ならば回心のところですが、さてはて、う~ん8章、そうだ、なるほど、なるほどと、これだなといたく得心したのであります。それが、きょうの礼拝のメッセージの8章のところであります。

 この8章の26節、ピリポという一人の伝道者が、神様に導かれてこのガザ(この地図の死海の西方)というところ、荒野に向かっていくのですが、そんなところに、ピリポは神様に導かれていくようになる。さて不思議なことよ、と思われたでしょうけれども、そこに行きましたところ、ちょうどそこに2728節、29節にありますが、真実に神様を求める一人の人物、エチオピアのカンダケの高官が、この27節を見ると、礼拝のためにエルサレムに来たのでした。これはそう簡単に来られるような時代でも環境でもなかった事は想像できますね。ですから、これほどまでに、この高官は神様を求めていた。真の神様を礼拝したい、お仕えしたいという渇きをもって、もうこれは生涯に一度だけになるかもしれない、そのような思いをもって彼はエルサレムに行ったのです。そして、やっと果たしたエルサレムの礼拝を大切な記念として求めたのが聖書の写本でした。大変高価であったはずです。しかし、彼は自分の人生を賭けてしっかりと手に入れたのです。帰りの場車の中でも、時を惜しむように、いったい本当の神様の恵み、祝福とは何なのだろうかと読んでいる。神様は、ピリポに、さあ、あそこに行きなさいと御霊によって命じられます。そして30節、ピリポがそこに走っていくと、何と彼は預言者イザヤの書を読んでいた。ヘブルの言葉で書かれているものでしょうか。ピリポにそれが聞えてきたので、「あなたは、その読んでいることがわかりますか」と問うと、38節「導いてくれる人がいなければ、どうしてわかるでしょうか」。そして、さあ、どうぞ横にお座りください。そこでピリポがその馬車に一緒に座って宦官がいま読んでいる箇所をのぞきますと、ちょうど32節、33節であり、あのイザヤ書53章のイエス様の十字架の預言と言われるところに差し掛かっているところなんですね。そして、何と34節を見ると、このエチオピアの高官は、ピリポにお願いします。「誰について、預言者はこういっているのですか、教えてください」。するとピリポは、その聖書の箇所から始めて、イエスの福音を語ったのです。宦官にはわかりました。そうか、屠り場に引かれて行く羊というのはいけにえの子羊である。それは私たちの罪の身代わりとなるべきお方、まさに過ぎ越しの子羊の血潮、このお方こそまことのメシア、救い主なのだという事を、彼はピリポを通して知ったわけであります。

 すると36節「道を進んでいるうちに、ちょうど水のある場所に来た」。ほんとうに測ったように、ちょうど、水があった。ちょうど。神様の時というのは、そういう不思議な事だろうと思います。そして、宦官の方が「見てください、水があります。私がバプテスマを受けるのに何か妨げがあるでしょうか」。
 イエス・キリストを信じ、悔い改め、信じた者は、どれぐらい教会に通っているかとか、どれくらい聖書を知っているかとか、どれくらい何かという事は、本質的な問題ではなく、いちばん大切なことは、「キリスト・イエスは罪びとを救わんために世に来たり給えりとは信ずるまさしく受くべきことばなり。我はその罪びとの頭なり。そう自らを、罪を認め、そのために、イエス様が死んで十字架の死と、そしてよみがえりを成してくださったという事を信じたのならば、もうそれは、立派に洗礼を受ける資格がある者であります。

これから洗礼をお授けしますけれども、それは、これまでの旧い自分、今までの救いに与る以前の自分が、水の中にどっぷり浸ることによって旧い自分がキリストと共に、十字架の死と共に死ぬ、水の中にどっぷり浸ることによって、旧い自分が死ぬことを意味いたします。そして、洗礼式の持つもう一つの意味は、そこからこんど出て来た時、新しい自分、それは、どういう自分かと言いますと、罪が赦された自分。神に正しいと認められた自分、そして、新しいキリストのいのちが、復活のよみがえりのいのちが与えられている自分。そして放蕩息子があのお父さんのもとに帰って、お父さんのものをすべて受けたように神の子どもとしての祝福を頂戴することができる。

 旧い自分に死に、キリストの十字架を死にあわせられ、そして出て来た時に、キリストの新しいいのちに与り、罪赦され、義と認められ、新たないのちが与えられ、神の子どもとされるという証しとなるのであります。

 そして私たちは、きょうは教会の誕生日、教会はエクレシア、呼び出された者の集まりと最初に申しました。イエス・キリストの救いに呼び出された者たちは、いま地上における教会に私たちは、属しています。エクレシア。しかしまた、既に天にお帰りになられた方々とともに、キリスト・イエス、神の右に坐したもうところのお方、天にも教会がある。天の教会。私たちは地上における信仰の戦いを生涯戦い抜いて、天の教会に移されます。
 摂理的には、私たちはインマヌエル盛岡キリスト教会という地上における教会にいま属しているわけでありますが、しかし、それは、目に見えない、同じ呼び出された他の群れのすばらしいクリスチャンたちと一緒の家族であるという事も忘れてはならない大切な事でございます。きょうはこれらの事を思いながら、最初に洗礼式を持たせていただきたく思います。

 ☆

洗礼の司式のうちに、福音賛美歌261番が奏され洗礼式が執り行われました。

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洗礼式の後には聖餐式がありました。

 

⛳この5180字を記させていただくという労を神様に捧げます。 6時45分更新 

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友人・大信田時子さんの作品ー水曜デッサン会でー

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                 以上3点は大信田時子さんの作品

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雑感

 気づくと6時10分まえ。J-MERO、もう終わりそうだったが、2場面キャッチ。

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いったい何が流されたの? ともう過去になった“番組予定”を見ると、ももいろクローバーZ、RIRI、 RYUCHELL (りゅうちぇる)だったらしい。

ロンドの歌詞につないでおこう。

⛳6時37分 更新

 

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盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第57回が出ました。

本日の盛岡タイムスに筆者連載の「楽都のユニゾン」第57回が出ています。
きょうは多忠亮(おおのただすけ)が「宵待草」を太田村で作曲したかどうか見てみました。
ウェブに、「宵待草」の初版楽譜とともに作曲が1918年5月と出ているページがありますが、これは楽譜が出版された年であり、作曲年代ではありません。作曲はやはり17年頃であり、各事典にも出ております。

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2019/6/14クラシック倶楽部を聴く

キアロスクーロ四重奏団四重奏団演奏会
王子ホール~

ロンドンで学んだ弦楽器奏者により2005年結成。ガット弦を使用し、バイオリンとビオラは立奏。ヨーロッパの聴衆に高く評価されている。エディンバア国際音楽祭をはじめ、ヨーロッパの音楽祭に数多く出演。録音も意欲的に行う。カルテットの名称「キアロスクーロ」とは、絵画の技法において光と影を意味します。

Dsc05354kiaroru (バイオリン)アリーナ・イブラギモヴァのコメント
 色彩の違い、強弱、緊張と和みなど…多くの意味を持つことがすばらしいと思います。ガット弦を使い、少し低い音程で演奏するこの奏法は、キアロスクーロ(光と影)を発展させます。私たちは光と影の境界を広げようとしているのです。
(バイオリン)パブロ・エルナン・ベネディのコメント
 立奏は自由になれます。私たちに新たな交流の方法をもたらしました。いつでも動けます。座って練習していても、立つだけで音がより心地よく響きます。
 (ビオラ)エミリエ・ヘーンルントのコメント
 ガット弦を使い、少し低い音程で演奏します。おすすまはしませんが…その音色に魅了されました。純粋で美しい音、無機質な音、野性的な音も出せるので、皆、その音が気に入っています。
(
チェロ)クレール・ティリオンのコメント
 この名にしたのはロジャー・ノリントンのおかげです。私たちがロンドンで学んでいたころ、彼に会いました。指導を受けていたときに、「もっと違いをはっきりと! キアロスクーロのように!」と言われたのです。音楽は緊張と緩和の対比なので、その名は最適です。全員が気に入っています。

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☆「弦楽四重奏曲 ト長調 作品182」ベートーベン:作曲
ベートーベンの作品18は、6曲の弦楽四重奏曲で構成されている。1799年に完成したこの作品には優雅な趣が漂う。主題が挨拶を交わしているように感じられることから、「挨拶四重奏曲」と呼ばれることもある。
☆「弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 作品12」メンデルスゾーン:作曲
1829
年、メンデルスゾーンが20歳の時にこの曲を作曲。ベートーベンからの影響を強く受けているが、メンデルスゾーンらしい端正なハーモニーも表れている。

🎵ガット弦を使いすこし低めで演奏、立奏により、より自由な音を、といった独自性に学び興味深く耳を傾ける。女性の着衣にも彼女らの独自性が。

 

🎧
「安里屋ユンタ」沖縄県民謡。上柴はじめ・編曲
【三線】山内昌也,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

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「安里屋ユンタ」は、島の美女クヤマをたたえた長編叙事詩による。あん美(ちゅ)らさ生()りばしよ「なんと美しく生まれたことよ」。
ユンタとは共同作業で歌う労働歌―結歌(ゆいか)から展化したもの。恋についての歌が多く歌われる。「安里屋ユンタ」のクヤマは、権力者の強引な求愛を拒み、島に生き、島に死んだ。

⛳7時10分更新

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2019/6/13クラシック倶楽部を聴く

東京・春・音楽祭 ヴェリタス弦楽四重奏団 演奏会

2019327日 上野学園 石橋メモリアルホール

(バイオリン)岩崎潤。(バイオリン)島田真千子、(ビオラ)小倉幸子、(チェロ)工藤すみれ
アメリカ、イギリス、日本、世界各地のオーケストラを拠点にもつ4人の奏者が集結。

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岩崎潤コメント
カルテットでは誰もがアイデアを出し合い、皆が喜んでそれに応じます。私たちはソリストでもありますが、その4人の音が一つのまとまりになります。それが室内楽の醍醐味です。

☆「弦楽四重奏曲 第7番 嬰ヘ短調 作品108」ショスタコーヴィチ:作曲
ショスタコーヴィッチが亡き妻ニーナに捧げた作品。この曲をショスタコーヴィッチは終生愛してやまなかったという。
☆「弦楽四重奏曲 第2番 「カンパニー」」フィリップ・グラス:作曲
グラスは自身が参加していた演劇集団「マブー・マインズ」の舞台「カンパニー」のために幕間曲を書いた。のちにグラスはこの曲を演奏会用の作品として独立させた。
☆「弦楽四重奏曲 ヘ長調」ラヴェル:作曲
ラヴェル28歳の時に書いた作品。ドヴュッシーは「一音たりとも変えてはならぬ」と最大級の賛辞を送った。

🎵
「弦楽四重奏曲 第7番」、危機的状況に神経を逆立てて対峙していくような切迫感に惹きつけられた。「弦楽四重奏曲 第2番」、日常からちょっと未知の世界を歩んでみたような心境にさせてくれる。「弦楽四重奏曲 ヘ長調」、圧巻。第4楽章の騒擾感、不安感、戸惑うような響きが聴いたなという実感をくれる。自分の中にあるそういった要素が音に溶かされ浄化されるのかもしれない。訴えかけてくる。1個人の内面、それはラヴェルの内面、如何ともしがたい苦悩といったものか。

 

🎧
名曲アルバム。「バレエ組曲 ロデオ」コープランド作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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 「ロデオ」は1942年バレエ音楽として発表される。ロデオの荒々しさ。荒馬、荒牛に一定時間乗るラフストックの激しさは! このような大会が毎週といったか毎月といったか開かれているのだという。

 

⛳ユーチューブから「弦楽四重奏曲第7番」を聴きながら 7時10分更新

 

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2019612クラシク倶楽部を聴く

ヴァディム・レーピン バイオリン・リサイタル
(ピアノ)アンドレイ・コロベイニコフ
2018
77日 豊田市コンサートホール

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ヴァディム・レーピン
シベリアのノヴォシビルスク生まれ。11歳でヴィエニャフスキ国際コンクール優勝。17歳でエリザベート王妃国際コンクールに優勝。世界のひのき舞台へ。今日まで一流のオーケストラや指揮者と共演を重ねる。2014年トランス・シベリア芸術祭を立ち上げ、西は中東から東は日本まで様々な芸術をつなぐ。現在、世界で最も活躍する演奏家の一人。

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アンドレイ・コロベイニコフ
1986年モスクワ生まれ。2004年スクリャービン国際ピアノコンクール優勝。2005年ラフマニノフ国際ピアノコンクール第2位、及び聴衆賞を受賞。作詞、作曲も手掛けるほか、他分野で数々の論文も発表する異色のアーテスト。

レーピンのコメント
「音楽」は旅です。本のようなものでツィッターではありません。もっと厚みがあり、聴き手が私たち音楽家を信頼してくれれば、音楽の美しさ、作品の美しさへと誘うことができます。私たち音楽家は、ツアーのガイドのようなもので、作品の隠れた魅力や普通知ることのない特別なことを知っています。旅人が念入りに探そうとしてもそれは難しいでしょう。私は自分の職業はツアーガイドだと思っています。

☆「バイオリン・ソナタ ト短調」ドビュッシー:作曲
第一次世界大戦中1917年病に伏していたドビュッシーが作曲した最後の作品。ソナタ形式の中でドビュッシーらしい虚無的な和音が響く。死を前にした作曲家の不安は隠され、曲は生き生きと華やかに展開する。
☆「バイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 作品94bis」プロコフィエフ:作曲
プロコフィエフの晩年の作品。ロシア革命の混乱を避け、1918年にアメリカに亡命したプロコフィエフ。時代に翻弄されながらも欧米各地で活躍し、1930年にはソビエトに復帰。1944年に完成したこの曲には晩年の内省的な表現がうかがえる。
☆「歌劇「エフゲーニ・オネーギン」よりレンスキーのアリア「青春の日は遠く過ぎ去り」」
チャイコフスキー:作曲。歌劇「エフゲーニ・オネーギン」の名アリアをバイオリニストのアウアー(18451939)が編曲している。決闘を迎えるレンスキーが、人生への未練と婚約者への愛を切なく歌う。
☆「ワルツ・スケルツォ」チャイコフスキー:作曲
 バイオリンの華やかな技巧と甘い旋律が散りばめられた小品。

🎵

チャイコフスキーを楽しく聴いた。ドビュッシー、プロコフィエフと晩年の作品に教えられること多々。ことばには尽くせない一生の数々を音符で表現、作曲し音になり響きとなって自分の耳に達したときの、そこに自分の生を確認したときの芸術家の想いがわかるような気がした。

 

🎧
名曲アルバム。「交響曲 ライン」シューマン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】沼尻竜典

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ライン地方の産業、文化の豊穣さ。シューマンは「交響曲 ライン」でライン地方の風土を描きだしている。商都デュッセルドルフは日本企業の一大拠点になっているとか。1850年シューマンはこの街の音楽監督として移り住む。「ライン」は1か月で書き上げられた。楽譜のゲラにはシューマンの書き込みが。

 

⛳解説、写真は番組から。筆者のコメントは🎵のみ。書き留めることで、聞き流しにならずに済んでいる。音楽はわが友! 7時8分更新

 

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2019/6/11クラシック倶楽部を聴く

ジェームズ・エーネス 無伴奏バイオリンの至芸

2017215日、16 NHK CT102スタジオ~

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ジェームズ・エーネスのコメント
ストラディヴァリが大好きです。プロになってからずっとストラディヴァリを弾き続けられるという幸運に恵まれてきました。今回の収録で弾いているのは大変有名な1715年製のバロン・ヌープ・ヴィヴァンです。フランスのヌープ男爵は歴史上名高いバイオリン・コレクターで、有名な楽器を幾つも所有していました。この楽器は彼のお気に入りだったそうです。その理由はすぐにわかりますね。弾くのがとても楽しい楽器なんです。弾いていて満足できるのです。たとえクローゼットで弾いたとしても、自然な暖かさや音響のないような場所でも豊かで色鮮やかな音が出るのです。
「無伴奏バイオリン・ソナタ 第1番」について、ソナタ第一番は(パルティータを含めた)6作品の最初の曲で、最初の楽章は続く全6曲への完璧な入口ですね。曲がバイオリンの響きを探っているのですね。大変深く美しい形でゆっくりと展開します。第二楽章のフーガの長さがすばらしいんですよ。後に書いたソナタ第2番と第3番は、フーガがどんどん大きくなっていきますよね。このフーガはより凝縮されまとまりがよく美しいシシリアンで全曲の中でも最も愛らしく魅力のある曲です。あとは第4楽章がすばらしいですね。高い技術が必要とされる曲で、演奏をした後に、「パガニーニの曲ですか?」と聴かれたことが何度かありました。バイオリン作品の中でも最もすばらしい曲の1つだと思います。長すぎないですし、聴衆も喜んでくれますから。
「無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番」については、これはやはり最後のシャコンヌで知られていますね。バッハ最高の業績と言われることが多いです。組曲全体がすばらしいコンサート用作品で、シャコンヌは単体で演奏されますが、曲全体の関係で見るとその重要性はより高くなります。この作品は何か蓄積していくものがあって、時間の感覚がおかしくなってしまうんですね。音楽が持っているすばらしい性質の1つだと思うのですが、…聴き落し…全体がどの程度の長さだったのかわからなくなってしまうんですね。曲の長さと早さによって変奏がまだまだ続くと思ってしまうんです。バッハの音楽、中でもシャコンヌは特に演奏家として大きな喜びを感じます。曲に命を吹き込む者として内側から曲について知ることができます。演奏をしないリスナーとして曲を満喫できたらなと思うことがあります。なぜならシャコンヌは曲の構造を弾き始めた瞬間からわかっていないといけません。全体を通してどのような形なのか分かっている必要があります。弾き始めて「ここはこうしようかな」「こっちはこうかな」とはできないのです。これから何をするか正確に分かってないといけないんです。たとえば、ツァーに連れて行ってもらうとします。美しい建物や街のガイドをする人は、どこで何を見せるかは分かっていますよね。そしてそれを見て参加者がどんな気持ちになるのかも分かっています。ガイドは同じ道のりでもまた違った経験をするんです。

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☆「無伴奏バイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001」バッハ:作曲

☆「無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004」バッハ:作曲

🎵

プロフィール、エーネスの場合は、なにも調べなくとも〇〇国際コンクール連続優勝、世界の名だたる楽団、ソリストとの共演、その他数々であるかと思いきや、コンクールで勝ち抜くという闘争とは彼は無縁であるのかもしれない。かもしれないというのは、そのことについてここで知ろうとするには私的時間が短すぎる。ただウェブ上には熱い賛辞が幾つも。一応知ったところは、1976年カナダ生まれ。欧米の主要なレコーディングやリサイタルを行うほか情熱的なレコーディング活動。「今最も才能とカリスマが同居するバイオリニスト」と評され、「地球上に存在する完璧なヴァイオリニストの1人」(英デイリー・テレグラフ紙)であるという。
 まとめることなく感じたままを記せば、馥郁とした音色、これが倍音というものなのだろうが、繊細で澄んだ美しい音が微細にとりどりの色彩を帯びた光を放ちながら、音が弦から発せられているというよりも、空間のそちこちから音が舞い降りて来、或いはそこで次つぎに新たに生まれて響き合う。華麗、繊細、流麗でもある。シャコンヌは、魂の深いところまでおりてきて様々に共感を寄せてくれる。静けさにさざ波がえもいわれず美しくたつようなところも見える。そんな時間がじっと立ち止まり続けていると感じられた不思議さも。これが、曲の特質を、エーネスがエーネスの独自な世界から紡ぎだした響きなのだろう。

 

🎧
 

名曲アルバム。「スペインの庭の夜」ファリャ作曲
【ピアノ】廻由美子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】小泉和裕

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名曲の方は解説に意識が集中し、肝心の音を聴き逃していることが多いのだが。

ファリャの音楽は新しく聴こえていたが、1876年生まれ。昔だから古いというわけではないのだ。近代のスペイン音楽に多大な功績。家の扉の青い色は〈ファリャの青〉。アルゼンチンに移住。死後は故国のカディス大聖堂に眠る。

⛳ウェブを走ったり、写真のトリミング、コメント書き出しを足早に やっと7時35分更新

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なんという花かな

真上から見ると、まるでダリアかキクのよう。

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横から見ると、な~んだ、ルピナス。

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 角度によってこうも違って見える。いつも真上からしか見ていないものや、真横からしか見ていないものが案外多くあるかも。

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2019/6/10クラシック倶楽部を聴く

ジェームズ・エーネス バイオリンの世界
(ピアノ)江口玲
2017215日、16 NHK CT102スタジオ~

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エーネスのコメント
「悪魔のトリル」については、
若い時に初めて習ってから、その後何年も楽しんで演奏しています。聴衆に語り掛けるような曲でピュアな音色のコンビネーションがあったり、バイオリンの高度な技術もあったり、全てを兼ね備えた曲です。バイオリンの作品に求めるすべてがあります。美しさ、ワクワク感、そしてすばらしいカデンツァも。「悪魔のトリル」には当時なかった特別な技術革新があります。私が弾きなれている版はクライスラーが作ったカデンツァで構成されています。これはバイオリニストへの要求をさらに次のレベルへと推し進めているものです。
24のカプリース」について、
パガニーニはすばらしい曲をたくさん手掛けていて、バイオリンに限らず音楽全般にとって貴重な人物だと思います。パガニーニの作品の中で一つ選べと言われたら、この「24のカプリース」を選びます。うっとりさせるようなメロディーが多くの作曲家にインスピレーションを与えました。とてもシンプルなメロディーで、誰にでも書けるような気がしてしまうのです。そのため人の耳になじみやすいのでしょう。変奏もシンプル以外の何物でもないですよね。驚くべきことは約200年前の曲が、常にバイオリンの超絶技巧の最先端にいることです。パガニーニがバイオリンの限界を広げたんです、それまでの誰よりも。この曲は人前で演奏されることを前提に書いています。パガニーニ自身、偉大な演奏家であり、ショーマンですから、劇場の要素が含まれています。16小節のシンプルなテーマがあらゆる技巧で演奏される。第24番はその中でも超絶技巧を極めた曲で、視覚的にも演奏効果が高い。リスト、ブラームス、ラフマニノフなどが、この曲に触発されて作品を書き残している。

「バイオリンとピアノのためのラプソディ 第1番」について、
バルトークは好きな作曲家の一人で、これまで何回も弾いてきました。彼の作品はどれも素晴らしくバイオリンに寄り添って書かれているんです。演奏するのは難しいのですが、バイオリンの仕組みに深い理解がある作曲家で、友人のバイオリニストと一緒にうまく演奏できるのかを考えながら作曲し、バイオリンの限界を広げていきました。その方法は大いに違いますがパガニーニと共通点がありますね。2人と楽器の可能性をある限界まで推し進めたんです。バルトークを初めて練習すると、混乱させられるんですよね。これまでやったことがない事が書かれているのですが、そういう違いがあるからこそ、バルトークの曲は他とは違って聴こえますし、バイオリンの作品を残した作曲家として彼の名声は唯一無二で特別なのです。

 

☆「無伴奏バイオリン・パルティータ 第3番」バッハ:作曲
☆「バイオリン・ソナタ ト短調 「悪魔のトリル」」タルティーニ:作曲、クライスラー:編曲

 バロック時代のイタリア人作曲家タルティーニがのこした3楽章から成るソナタ。彼の夢の中に出て来た悪魔が弾いたバイオリンのメロディーに魅せられ、すぐに書きとってこの曲が生まれたことから「悪魔のトリル」と呼ばれるようになった。

☆「24のカプリースから 第24番」パガニーニ:作曲
☆「バイオリンとピアノのためのラプソディ 第1番」バルトーク:作曲
 バイオリンの名手でバルトークと親交の深かったシゲティに捧げた曲。

🎵
 

バッハについてのコメントを書き落したけれども、エーネスは「パルティータ」は、弾いた後、デザートを満喫したような気持ちになると言っている。

 「パルティータ」、音のどこをとっても翳りというものがなく、光の遊びと聴こえる。明るい。「悪魔のトリル」、飄々と。たくらみといったところが無いのは意外。「バイオリンとピアノのためのラプソディ 第1番」、粗雑とも聴こえるところを気をつけて聴くと意匠があり、これを巧みに楽曲と成しているところに凄さを。
 出だしの数小節を聴いただけで、何かをしながら聴くことを許さない演奏というものがあるが、エーネスもそんな一人。徹頭徹尾聴き耳を立てさせる。
 翳りのない曲を演奏する演奏家の足元に延びる奏者の濃い影、薄い影の妙。スタジオ録音が捕らえた音の美しさ。

🎧
 

名曲アルバム。歌劇「セミラーミデ 序曲」ロッシーニ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー管弦楽団,【指揮】飯森範親

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⛳解説、写真はすべて番組より  7時20分 更新のための更新

 

 ロッシーニ、たったの5分間の映像から、この作曲家に関しては、楽譜よりも料理レシピを求めた方がいいのかな。フォアグラをのせたビーフステーキは彼のお気に入り。
 ロッシーニの夢はほんとうは肉屋になること。一応マルティーニ音楽院で音楽を学びはするのだけれども。オペラまで作曲しながら、彼にとってもっとも大切なのは美食だった。自ら次つぎに新しい料理を生み出す。後の料理界に多大な影響を及ぼしている。ボローニャで料理に専念するために作曲家を止めたというのはほんとうだろうか。

 

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きょうのことば

 ♪「われらついに輝く御国ににてきよき民とともに御前に会わん」。賛美歌の一節で目が覚める。時計を見ると4時半。きのう起こした説教は5112文字。ワードからこのブログにコピペ。初めからこのページで作成すると、ちょっとした不具合で記事を失ってしまうことがあるからだ。朝に起こすこともあるが、これは時間に追われちょっときつい。きょうはゆったりした心境で更新できそう。小路を隔てた隣家の丈高いレッドロビンの樹木の向こうに朝日が明るい。鳥のさえずりが聞こえている。

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先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
 6月2日の説教は『臨在の主と共に』(説教:國光勝美牧師)。第二テモテ41618でした。

第二テモテ4:16~18

4:16私の最初の弁明の際、誰も私を支持してくれず、みな私を見捨ててしまいました。どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように。4:17しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。こうして私は獅子の口から救い出されたのです。 4:18主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

<説教>

 皆様方のお祈りを頂きまして、予定通り十和田の教会の方でご奉仕を全うすることができました。懐かしい方々にもお会いできましたし、また、十和田教会は、今の場所に移りましてから78年経っておりますが、新しく加えられた方々もいらっしゃいました。教会の規模は盛岡教会とほぼ同じです。

 さて、来週はペンテコステというお祝いの日を迎えようとしています。クリスマスというと、イエス様がこの世にお生まれになった日を記念するときであります。またイースターというとイエス様が十字架におかかりになられ、墓に葬られて三日の後によみがえってくださった、復活してくださったことを記念する日です。クリスマス、イースターは比較的世の中によく知られております。しかしペンテコステはそう広くは認識されておりません。ペンテコステは、教会の誕生をお祝いする日です。盛岡教会の誕生というのではなく、世界宣教のはじまり、イエス・キリスト様が救い主であるという事を世界に力強く宣教していく始まりであり、教会の誕生の日です。来週詳しく扱いますけれども、聖霊降臨、聖霊がこの世に降って来てくださったという教会の誕生日が来週のペンテコステであります。この聖霊と仰る神様がいわば教会の生みの親といっていいでしょう。聖霊様はそういう立場にある。そのことを心に留めながら、この時期私たちは、聖霊というお方に想いを留めて歩んでおります。

 そんな中で、テモテ第二の手紙、第二テモテをお開きしたわけです。この手紙を書いた人はパウロです。パウロは、新約聖書の多くの部分を、何々への手紙、ローマ人への手紙、コロサイ人への手紙など、13の手紙を書いております。パウロ書簡といいます。他にもヨハネが書いた手紙とかペテロが書いた手紙も新約聖書にはありますが、多くはパウロが書きました。

 パウロがテモテというお弟子さんへ書いた手紙が、このテモテ書であり、第一と第二とがあります。

 きょうは、パウロのお手紙の中でも、いちばん最後の、時間的に最後のお手紙を開いているところであります。それは、実は、このお手紙を書いてから、間もなくパウロは、ネロという悪いローマ皇帝の手によって殺されてしまう。殉教したわけであります。その意味ではテモテ書は絶筆のお手紙であり、また遺言的な内容を持っています。それを心に留めましょう。きょうはその中の4章のいちばん最後の部分を抽出して、そこから恵みを頂こうとしております。

4:16私の最初の弁明の際、誰も私を支持してくれず、みな私を見捨ててしまいました。どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように。そのためにさばかれることのありませんように。

 これは、パウロがローマの裁判を受けて死刑判決を受けたことについて記しているところであります。裁判のとき誰も自分を支えてくれず、みな自分を見捨てたという非常に悲しいことが記されています。

4:17しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。

 パウロは最後に命を賭してローマの裁判に立ち、なぜ私はこのようになっているのかを命がけで弁明した、これで、すべての国の人々に、み言葉を宣べ伝える機会が与えられたと、このように味わうことができます。

 きょうは、このだいたいの背景をご覧いただきまして、このパウロのこの時の経験を、今日の私たちの経験としてしっかりと咀嚼することができるように、パウロの経験が、つまり、信頼している者からも見捨てられて、誰も自分を弁護してくれる人はいない、孤立してしまった、だけれども、主は私と共に立って、私に力を与えてくださったという事、このパウロの経験、これこそ実は聖霊がもたらしてくださる経験であります。これは、いまも私たちに提供されている恵みでもあるのです。これを捉えることができたなら、今日のみ言葉の御用は果たされるのではないかと思っております。

 

 さて、私たちの生涯的な課題は何か。この神様を人格的存在として把握する、神様を、ああ、私をほんとうに愛し、いま私のうちに居てくださるということを確かに把握する事が、どれだけできているだろうか、これは私たちの生涯的な課題であります。このことを理解していただくために、例話を考えました。

 みなさんは電話をするとき、どれぐらいお話しされますか? それは用件によって違うでしょうし、その人の性格によっても違うでしょう。  ある方がM先生に電話をかけたそうです。通じないのでしばらくしてからかけたところが、やはり通じない。1時間後にかけたところ、まだ通じませんでした。
 電話での話が長びくという事は、人格を持っている者どうしだからこそ、それだけ長く話すことができるわけです。そして考えました。一人でお祈りをするとき、そう、神様とお話をする時間の事ですが、5分、それを長く感じるか短く感じるか。どうでしょう。もし5分のお祈りを長く感じて、もう5分以上そこにいることができなくなるとするならば、それは、神様というお方との人格的な交わりが希薄であることを意味しないでしょうか。しかし、神様というお方をしっかりと、人と人とが顔を合わせてものを言うように、ちょうどさきほどの電話のように、神様とお交わりをするときに、1時間が、2時間が短く感じてしまう。私たちはこの神様というお方と、どれだけ人格的な交わりができているでしょうか。生涯的な課題として、これはしっかりと捉えなければいけないと思うのです。

 実はパウロがこのお手紙を書きましたときに、パウロは、神様との交わりが非常に深く親密にできていたからこそ、この1617節のような証ができるのです。
 16節をご覧ください。「私の最初の弁明の際、誰も私を支持してくれず、みな私を見捨ててしまいました」。また16節より前のところを引用しますと、10節「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケへ行ってしまいました。またクレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。ルカだけが私とともにいます」。みんな自分を去って行ってしまった。14節にも「銅細工人のアレクサンドロが私をひどく苦しめました。その行いに応じて、主が彼に報いられます」。よほどひどい仕打ちをパウロは受けたらしい。これを見ると私は、あら、クリスチャンらしくない、右の頬を打たれたら左の頬を出すようにとイエス様は教えていたのに。その代表的なパウロが、アレクサンドロがひどく悪辣なことをした、ひどく苦しめた、その行いに主が報いられるようにと、このような物言いをしている。ここは最後の遺言書のようなところであるにも関わらずこのように吐露している。この時のパウロの孤独、悲哀がわかるでしょう。まさに彼はその真ん中にいたわけです。どうですか? 私たちもそういう人からの誤解を受けたり、孤独になってしまう、人から裏切られてしまうことがある。ああつらい。こういう経験をすることはないでしょうか。そんな時に、臨在の主と深く交わることができる。その時に、アレクサンドロのこともそうですけれども、さまざまな事柄を神様の前に告白することです。そして、その問題を祈りのうちに昇華させていくことです。アレクサンドロの問題も神様の前にお祈りをすることによって昇華させられていく。16節を見ても、みんな私を見捨てて行ってしまった、どうか、その責任を彼らが負わないようにしてくださいというように、もうパウロは、ほんとうにありのままの弟子たちの姿をここに見ている。神様、こんなつらいことがあるんです。こんなにあの人に苦しめられているんです。こんな課題に今直面しているんです、ということを、パウロは告白しているのです。
 

 私は山歩きが好きですが、その山歩きでの事です。これは私たちのありのままの経験、それをお話しするわけですけれども。様々な問題、課題を思いながら、山道を登って行きます。どうしてこんな事が生じるのだろうか。神様と語り合いながら問題課題を主の前に提示し訴えます。つづら折りで神様はこちらの方に。そうだ、神様を見上げてハレルヤ、このようにやっていこうと思うわけですね。そしてまた、坂道を登っていきますと、課題になっていたものが、またぞろ、でもなあ、という思いが心に生じてしまう。でもなあ。いや、さっきあれだけ神様の前にお祈りをして、そうだ、神様が助けてくださると信じたんだから、そうだ、すべて主にお委ねしやっていこう、ハレルヤ! というところに落ち着くんですねえ! で、解決したかなと思って、その道を上の方に上って行きますと、また同じ問題が同じように心の中に翳りを落とす。だけど、さっきハレルヤといってお委ねしたじゃないか。でもあの問題、どのようになるんだろうか。そして祈り続ける中に、問題がだんだん、だんだんと昇華されていくのを覚えます。

 今一つのお話ですが、蔦田二雄先生、この教団の創設者ですが、いまだに思い起こします。彼は、太平洋戦争の時に、天皇中心の日本の国体にそぐわなかった。天皇陛下も罪びとだとお前は言うのかといった特高の取り調べに、何人かの先生方が投獄されました。蔦田先生は、そのときの体験を書いておられます。
「なぜこのような理不尽を経験しなければならないのか」。そこで蔦田先生は、深くこれまでの自分の生き方あり方を、神様の前に告白し、神様との交わりを深める中に、それがだんだん昇華されていくのを知るのです。彼は、そう表現しています。なぜホーリネス系の教会だけがこのような迫害を受けねばならないのか。何年か前に、生き方の違いから指導者と仰いでいた人物と袂を分かたねばならない、そういう悲しい出来事を蔦田先生たちは経験していました。で、別れてそれぞれが別行動をとるようになった時に、お互い神様を愛していながら、しかし、あの時の発した言葉、その時の心の思い、そういったことを深く考えるときに、これはいかほどに神様のみ名を辱めたことになったことか。そのような深いところに自分自身の問題を掘り下げて、そして血潮を仰いで、あの人が悪いんじゃない、あの時の私の方の心根はどうだったのか。相手はどうだったのかという事を一つひとつ光の前に出ていったとき、そこに、ああ、ここはむしろ牢獄ではなくして、これはまるで、修道院のようなものだ。神様と深く交わることができる場所なんだ。鉄格子から漏れて入ってくる月の光とか、それを見ながら、もはやここは牢獄にあらず、修道院の部屋であるというように、そこでほんとうに深く神様との交わりをしていった、そのことを、このテモテの文の中に見るのです。
17節「しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました」。この「ともに立ち」を手元の資料で調べてみますと、これは、「裁判の時にすぐ傍らに立ってくれる」という意味があるのだそうです。ほんとうにイエス様が私のすぐ横に立っていてくださる。多くの者たちが去って行ってしまった。だけども、イエス様は私と一緒にすぐ横に立っていてくださる。そして、私に力を与えてくださる。これがポイントです。「主が私とともに立ち、私に力を与えてくださる」。

 神様の前に深くふかく扱われ、そして砕かれ、血潮を仰ぎ、神様の前に悔い改めたとき、神様は私の私たちの味方です。「神もし我らの味方ならば誰か我ら敵せんや」。主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいます。このことを可能にしてくださるお方は聖霊である神様です。この神様が私たちの心の中に、この事実を体験させてくださる、そのことを私自身証しをさせて頂きたいと存じます。

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JーMEROを聴く

 昨朝は、メロディーが頭の中を流れていた。あ、新しい、しかし目覚めてみると書き留められない。夢の中での作曲かな? そんなふうに考えると楽しいが、これだけ何かしら音楽を聴いていれば、その中から組み合わせぐらいはできるだろう、作曲というほどの事ではない。しかし楽しい夢ではあった。今朝は、聖書のことばが浮かんでいた。戒めのことばだ。 

J-MERO、やれやれTVの書き写しでどうする? この時間で何か独自の創造でもした方が、と思いつつ、やがてそれができるのかできないのかは分からないが、さて、きょうは何の話題? 

 みやざき国際ストリート音楽祭だ。今年で13回目だという。県内のミュージシャンが多数参加、また宮崎出身のプロのミュージシャンも。ボランティアによる手作り音楽祭だ。
Tachibana Taiko HIBIKIZA」、これが宮崎を拠点に活動し海外公演も行っている和太鼓集団。和太鼓教室を開きその生徒も含めて150人の参加。プロの参加では日南市出身のシンガーソングライターMotohiro Hata(秦基博)EXILEKiji Kuroki、そしてカウンターテナーの「もののけ姫」で有名なYoshikazu Mera(米良美一)

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 米良氏はwikipediaによれば、宮崎県西都市出身。3万人にひとり程度の割合で発症する難病、先天性骨形成不全症を持ち生まれる[1]身長138.7cm[2][3]洗足学園音楽大学卒業後、アムステルダム音楽院オランダ政府給費留学している。世界的にも評価されているカウンターテナー歌手として知られる。1997年、映画『もののけ姫』の主題歌を歌ったことで大衆的人気を獲得。その当時は真面目な好青年のイメージで売り出したが、2012年以降はひょうきんな言動をするオネエ系のバラエティタレントとして活躍[4]
 TV解説に戻って、2014年くも膜下出血で倒れるが復帰。
米良氏の好きな場所は、神社がたくさんある高千穂町。日本神話の神々が降臨したといわれるこの地でインタビュー。
 歌は心の支え、自己肯定である。音大の声楽科を首席卒業。宮崎駿監督にスカウトされる。カウンターテナー、男か女か、どこの国の、などの区別がつかないところがもののけのイメージに合っていたのではないかと。筆者も一時期、玉三郎の非現実的な美しさに魅かれて写真をもとに油絵を描いていたことがあるが、カウンターテナーの持つ魅力は納得。地声と裏声を行き来する。
 昔は支援学校で育った時期や病気などを隠したかった。それが、他人はだませても自分をだますことはつらいと米良氏はいうのだ。「ヨイトマケの歌」を知ったとき、このようなカッコもつけない、嘘もつかない歌があるのだと感動。以来、生い立ちなどを隠すことはやめる。それまでは歌は戦いの武器だった。しかし、このときから、自由になったという。それが音楽にも生かされる。この世の成功のためではなく、精神と魂を純粋な高みに引き上げられたのだと米良氏。

⛳7時5分 更新

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庭の花々

 

 

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2019/6/7クラシック倶楽部を聴く

中村恵理 ソプラノ・リサイタル
(ピアノ)木下 志寿子
2017
1213日 ヤマハホール

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中村恵理
大阪音楽大学、同大学院修了。新国立劇場オペラ研修所を経て、2008年英国コヴェントガーデン王立歌劇場にデビュー。翌年、同劇場の「カプレーティ家とモンテッキ家」にアンナ・ネトレプコの代役として出演し、一躍脚光を浴びる。そののち、カーディフ国際声楽コンクールにて、歌唱賞・オーケストラ賞の両部門で本選進出。10年~16年、バイエルン国立歌劇場のソリストとして専属契約。「フィガロの結婚」スザンナ役でデビュー
コメント
ふだんリサイタルでは自分でひとつの役としてやるのには早いが、アリアは勉強して発表させて頂く機会にしたりすることも。今回は以前やらせて頂いたもの、実はグノー以外はぜんぶ舞台で役として演じたものが今回集まった。バイエルン国立歌劇場で6年間専属歌手。バイエルンもとても伝統があって、ドイツの中では12を争うすばらしい劇場。6年もいると大抵のことは大丈夫だと思って歌えるようになる。どちらかというと間違っても表現したいタイプ。たとえそれが起こったとしても熱くなってくる自分を抑えずにそのままストレートにお客様に伝わるような表現をしたいと思う。

木下 志寿子
お茶の水女子大学文教育学部音楽科ピアノ専攻卒業。同大学院修了。200506年ドイツに留学、ドレスデンのザクセン州立歌劇場において研鑽を積む。コレペティトゥールとして数々のオペラ公演を支えながら、声楽の共演ピアニストとしてリサイタル伴奏等でも活躍している。これまでに二期会、新国立劇場を中心に多数のオペラ公演において音楽スタッフを務め、国内外の指揮者、歌手達から高い評価を得ている。特にドイツオペラ上演においては重要な存在であり、ワーグナーやR.シュトラウスの作品に数多く関わる国内有数のピアニストである。

☆「北秋の」清水重道:作詞、信時潔:作曲
☆「かなしくなったときは」寺山修司:作詞、大中恩:作曲
☆「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第1`小さなものでも'」ハイゼ:作詞、ヴォルフ:作曲
☆「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第2`遠くへ旅立つと聞いたが'」ハイゼ:作詞、ヴォルフ:作曲「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第11`ずっと前から望んでいた'」ハイゼ:作詞、ヴォルフ:作曲
☆「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第20`恋人は歌った'」ハイゼ:作詞、ヴォルフ:作曲「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第46`ペンナにも私の恋人がいる'
ハイゼ:作詞、ヴォルフ:作曲
☆「わが愛はむなしく 作品321」ヘンケル:作詞、リヒャルト・シュトラウス:作曲
☆「知らず 作品102」ギルム:作詞、リヒャルト・シュトラウス:作曲
☆「鐘の響き 作品483」ヘンケル:作詞、リヒャルト・シュトラウス:作曲
☆「歌劇「イドメネオ」から`お父様、お兄様、さようなら'」、モーツァルト:作曲
☆「歌劇「ボエーム」から`私が町を歩くと'」プッチーニ:作曲
☆「歌劇「トゥーランドット」から`氷のような姫君の心も'」プッチーニ:作曲
☆「歌劇「ファウスト」から`宝石の歌'」グノー:作曲
☆「歌劇「ドン・パスクァーレ」から`騎士はあのまなざしを'」ドニゼッティ:作曲
☆「ウィーン、わが夢の街」ジーツィンスキ:作曲

🎵
  最初の2曲は聴き逃し。実はきょうのプログラムではいちばん聴いておきたかったのだが。それにしても、アリアは劇中でさまざまなドラマの中にあって一層その値がわかるというものなのだろうし、また演奏家にとっても劇中でこそ、ここぞと歌い甲斐のあるところかと思う。それが一挙に。大会のメイン花火が幾つも一挙に上がっている感じが。それをピアノ伴奏で、劇中に身を置いているかに、ある意味そこがどんなステージであれ、遜色なく、恋、愛、葛藤、懺悔などあらゆる感情を劇的に歌いあげ歌いつくす。
 「鐘の響き」、これは信仰によって神から与えられる歓喜なのだが、信心には遠い方々にはそれこそ錯覚、戯言と思われてしまうのでは。「ウィーン、わが夢の街」、ジーツィンスキーのウィーンへのノスタルジア、熱き追憶がこめられている。当時の、いまもそうかもしれないが、音楽家たちのウィーンへの憧れがわかる。

 

🎧
名曲アルバム。「田園」。【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】大友直人

この響きを聴いたとたん、ああ帰ってきた、そう思った。さまざま聴いているけれども、最後に自分が帰るところはベートーヴェンかバッハかもしれない。

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⛳写真、解説などは番組映像から  7時40分 更新

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2019/6/6クラシック倶楽部を聴く

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ドミートリ・コルチャック テノール・リサイタル

2018315日東京オペラシティ・コンサートホール~

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ドミートリ・コルチャック

ロシア出身。声楽と指揮法を学ぶ。2004年フランシスコ・ヴィニャス国際声楽コンクール優勝。同年プラシド・ドミンゴ国際オペラ声楽コンクールで受賞。以来、名だたる世界各地の歌劇場で活躍。近年は指揮者としても活動。

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浅野菜生子(ピアノ)

桐朋学園大学でピアノと声楽の伴奏法を学ぶ。国内外の声楽家から信頼され共演を重ねている。

ドミートリ・コルチャック コメント

今回はロマンスというテーマでプログラムを組みましたが、このようによく響くホールでの演奏会でピアノ伴奏で歌う場合オペラのやり方は通用しません。声とピアノが一体となって音楽を作り出さなければなりません。ピアノの役割は管弦楽よりも大きく繊細で作品の世界観を描き出さなければならないのです。ピアノの伴奏で歌うのは、管弦楽の伴奏で歌うよりもはるかに難しいのです。レパートリーの変化について、アルマヴィーヴァ伯爵を20歳で歌ったテノールが50歳でも同じというわけにはいかないでしょう。もっと男らしく重みのある…声の質も変わりますし。わたしも最近レパートリーを変えました。2年前の来日公演は歌劇「ウェルテル」でしたが、今回は「ホフマン物語」に出演しました。道を模索するうちに出会ったのがフランスの作品で、「トメオとジュリエット」や「ファウスト」などフランスのレパートリーも増やしています。

演奏会の前半はコルチャックの故郷ロシアの歌曲とオペラ・アリアの演奏。

☆「私は嘆く」レールモントフ:作詞、ダルゴムイシスキー:作曲
☆「歌劇「ラファエロ」から 舞台裏からの歌手の歌「情熱と喜びに心は震え」」
アレンスキー:作曲
☆「歌劇「エフゲーニ・オネーギン」から 青春の日は遠く過ぎ去り」チャイコフスキー:作曲
☆「歌うな、美しい人よ 作品44」プーシキン:作詞、ラフマニノフ:作曲
☆「「音楽の夜会」から第1曲 約束」メタスタジオ:作詞、ロッシーニ:作曲
☆「「音楽の夜会」から第8曲 踊り」ペポリ:作詞、ロッシーニ:作曲
☆(「歌劇「オテロ」から ああ、どうして分かってくれないのですか」ロッシーニ:作曲
☆「歌劇「愛の妙薬」から 抜粋」ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「愛の妙薬」から 人知れぬ涙」ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「ロメオとジュリエット」から 目覚めよ、きみ」グノー:作曲
☆「歌劇「ウェルテル」から オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」」マスネ:作曲

🎵
歌劇の歌いあげ、歌いこみにはもう次元の格差というものをかんじてしまうのだが、直截な歌劇の歌詞からは、いまだ見たこともなく聞いた事もない人間世界を知らされることが多々。チャイコフスキー、ロッシーニの曲と歌詞ともに興味深かった。「音楽の夜会」、どんなにテンポがはやくとも、ことばの隅々までを過不足なく伝えるというその演奏、歌唱技術に感嘆。

🎧

名曲アルバム。「コーヒーカンタータ」バッハ作曲

ライプチヒ。バッハは38歳で聖トーマス教会の音楽カントルに就任、学生を指導。18世紀に中東からコーヒーがもたらされる。現存するドイツ最古のコーヒーハウスは1711年創業。当時コーヒーは媚薬とされ、女性が飲むのははしたない事だった。コーヒを止めさせようとする父親と拒絶する娘の小喜劇。1734年コーヒーハウスで初演。バッハは学生たちの楽団コレギウム・ムジクムと演奏した。リキュールとクリームの入ったカンタータコーヒーは、ライプチヒの名物。

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⛳この時間の作業は競技に出ているような心境でもある。走りに走り 7時6分更新

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2019/6/5クラシック倶楽部を聴く

ジング・フォニカー、たしかにあたたかな歌声で幸せ気分にしてくれ5人の美声。2016年(第1テノール)ダニエル・シュライバー、(第2テノール)ヘニング・イェンセン、(バス・バリトン)ミヒャエル・マンタイ、(バス)クリスティアン・シュミット
2016
1030 NHK CT101スタジオ録音。

ジング・フォニカーのコメント

実はみなさん、すでにマドリガルを1曲聴いています。「ハッピー」の前半です。本物のマドリガルではなく、私たちの旧メンバーがマドリガル風にアレンジしたものです。ルネサンス期にも英語の歌曲は存在しました。次のコーナーで歌います。愛、嫉妬、そして自分の存在意義を自問する歌もあります。ここでも私たちは時空を超越した名曲をお届けします。ルネサンス期には英語は世界の共通語ではなく音楽界の主流言語はイタリア語でした。同じく重要な言語であったフランス語の歌も聴いていただきます。異なる言語で細かいニュアンスを伝えることは? とよく質問されます。4人のソリストではなくまとまったひとつのアンサンブルとして響かせる極意は? とも。ジングフォニカーのメンバは全員ソリストとしての技量をもった歌手です。常に皆と合わせるようにすること、音楽に仕えることを忘れないことが大切です。お互いの事を念頭に置いて歌うことがだいじです。互いの声に耳を傾けながら、全体の響きを練り上げていくのです。成功すると最高の気分だけれど、失敗したときは最悪の気分です。でも大抵はうまくいっていますよ。私たちには指揮者がいません。だからむずかしい。

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☆「ローレライ」ハイネ:作詞、ジルヒャー:作曲
☆「聖ヨハネ祭の前夜」ムート:作詞、ラインベルガー:作曲
☆(「小さい村 D.598」ビュルガー:作詞、シューベルト:作曲
☆「夢の光」リュッケルト:作詞、R.シュトラウス:作曲

☆「ハッピー」ファレル・ウィリアムズ:作詞・作曲、ルートヴィヒ・トーマス:編曲

「ナイト・アンド・デイ」コール・ポーター:作詞・作曲

「シスター・ムーン」スティング:作詞・作曲

「聞け 天上の愛らしい天使たち」ウィールクス:作曲

「ヒバリは言った お日様が出たよ」セルミジ:作曲

「こんにちは わたしの心よ」ロンサール:作詞、ラッソ作曲
「狩りに」不詳:作曲

☆「私は いつも嘆いている」ガブリエリ:作曲

☆「素顔のままで」ビリー・ジョエル:作詞・作曲
☆「ムーヴィン・アウト」ビリー・ジョエル:作詞・作曲

🎵
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分遅れ視聴となった。しあわせ、しあわせの「ハッピー」から。以前にもジング・フォニカーを聴いたことがあるが、この曲が記憶にのこっている。誰にでも楽しめて、しあわせな気分にしてくれるアンサンブルだ。今回は「狩りに」が面白かった。作曲者不詳、たぶん作詞者も。狩りの臨場感、立て続く掛け声などをそのまま歌っている。こんな詩を書いてみたいもの。

 

🎧

 

 

 

⛳もう庭では庭師さんたちがバリカンの音を響かせている。けさはから忙しく、やっとやっと 8時38分の更新

 

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山菜採り

きのう午後、蕨採りに。30分ほどで5キロほど。あまりに簡単に採れるのには主人もびっくり。帰りは友人のところに立ち寄り温泉入浴、歓談。小さなこぶしをかざして草原のそちこちにのびている蕨のふしぎな愛らしさが脳裡にくっきり。

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201964クラシック倶楽部を聴く

藤木大地 カウンターテナー・リサイタル

(ピアノ)多田聡子
2017121日 東京文化会館小ホール~

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藤木大地 
宮崎市出身。2003年テノールとしてデビュー。2011年カウンターテナーに転向。バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーを持ち、日本とウィーンを拠点に国際的に活動している。
藤木氏のコメント
リサイタルはとにかく楽しい。自分を全部出す。きのう練習していて、あたまから通して一人で練習していて、文章にしても音楽にしても自分が自由に表現できるというのは何と尊いことだろうかと思ってるわけです。きのうもそれを感じてすごく幸せなことだと思うし、でも演奏家の使命はそれを客席と共有していろんな思いをこの空間の中で共有する、あるいはそれぞれの想いを感じ取ってもらうという事だと思うから、その曲にまじめに向き合って作曲家から感じた事とかをできるだけ伝えられるようにしたいし、その技術を磨かないといけないと思うし、そういうコンサート、演奏をしたい。

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多田聡子
東京芸術大学卒業。器楽、声楽問わず国内外の著名な演奏家と共演を重ねている。 

☆「旅のこころ」高田敏子:作詞、加藤昌則:作曲
☆「歌曲集「旅の歌」から美しい人よ目覚めよL.スティーヴンソン:作詞、V.ウィリアムズ:作曲
☆「歌曲集「旅の歌」から私はいずこにさすらうかL.スティーヴンソン:作詞、V.ウィリアムズ:作曲
☆「ゴンドラの唄」吉井勇:作詞、中山晋平:作曲
☆「宵待草」竹久夢二:作詞、多忠亮:作曲
☆「夢みたものは・・・」立原道造:作詞、木下牧子:作曲
☆「てがみ」岸田衿子:作詞、加藤昌則:作曲
☆「ダニー・ボーイ」F.ウェザリー なかにし礼:作詞、アイルランド民謡:作曲

☆「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎:作詞、武満徹:作曲

☆「万霊節 作品108V.ギルム:作詞、R.シュトラウス:作曲

☆「あすの朝 作品274」、H.マッケイ:作詞、R.シュトラウス:作曲

☆「小さな空」武満徹:作詞、武満徹:作曲

🎵
「旅のこころ」、高田敏子(19141989)氏は女性の生活に根差した作風から台所詩人と呼ばれているようだ。「ゴンドラの唄」、吉井勇の詩が、名前が、この歌に、中山晋平によって残されている。劇団芸術座1915年「その前夜」の劇中歌。「宵待草」、夢二の詩集「どんたく」にある詞に多が作曲。「てがみ」、加藤氏が藤木氏のために書きおろす。世界初演。

「死んだ男の残したものは」、名作だと思う。

死んだ男の残したものは

ひとりの妻とひとりの子ども

他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは

しおれた花とひとりの子ども

他には何も残さなかった

着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは

ねじれた脚と渇いた涙

他には何も残さなかった

思い出ひとつの残さなかった

死んだ兵士の残したものは

壊れた銃とゆがんだ地球

他には何も残せなかった

平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは

生きてるわたし生きてるあなた

他には誰も残っていない

他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは

輝く今日とまた来る明日

他には何も残っていない

他には何も残っていない

藤木氏が戦争の悲惨、悲しみ空しさを歌い、平和の尊さを訴えてくれた。

 

 

🎧
名曲アルバム。「月光」ベートーヴェン

【ピアノ】金子三勇士

ベートーヴェンの音楽は、

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⛳7時5分更新

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田圃ー渋民ー

早苗を
まもり立たせ
風にそよぐ
樹木をやすませ
ほどけた繭の
雲を落とし
青空を
平らかに画し
底びかりを放つ
田の面は広々と

 

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2019/6/3クラシック倶楽部を聴く

三原剛 & 佐々木典子 シューベルトを歌う

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佐々木典子
1981年武蔵野音楽大学卒業。オーストリアのザルツブルクに留学。その後、6年にわたりウィーン国立歌劇場の専属歌手。現在東京芸術大学教授。
三原剛
大坂芸術大学卒業。1991年日伊声楽コンクール金賞。1992年日本音楽コンクール第一位。ドイツ留学。オペラ、リサイタルで活躍。

20161123日 いずみホール(大阪市)~
(ソプラノ)佐々木典子、(ピアノ)千葉かほる
(バリトン)三原剛、(ピアノ)小坂圭太

(ソプラノ)佐々木典子、(ピアノ)千葉かほる
「糸を紡ぐグレートヒェン D.118
「水の上で歌う D.774
「アヴェ・マリア D.839
「ミニョンの歌「君よ知るや南の国」D.321
「ミニョンの歌「ただあこがれを知る者だけが」D.877-4

 

(ソプラノ)佐々木典子、(バリトン)三原剛、(ピアノ)小坂圭太

「光と愛」

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(バリトン)三原剛、(ピアノ)小坂圭太
「アトラス D.957-8
「彼女の絵姿 D.957-9
「漁師の娘 D.957-10
「都会 D.957-11
「海べで D.957-12
「影法師 D.957-13
「はとの使い D.965A

🎵
「我は不幸なるアトラス この世の苦しみをすべて支える者」「誰かがそこに立ち宙を見つめている 痛切な悲しみに両手を握りしめて 私は恐怖にふるえた 月光に照らされたその姿は私自身だった 我が影法師」等など、きょうは詩から学ぶこと多し。シューベルトは失恋の歌ばかりという感じなのだが、恋に成功したルンルン気分は芸術にはつながりにくいのかも。これだけ失恋が歌い継がれ、また多くに受け入れられるという事は、恋の成功率は低い証左でもあるのかも。それにしても「糸を紡ぐグレートヒェン」ソプラノの愁い帯びた表現が切々と胸に沁みた。「はとの使い」、ほっとする明るさをくれるバリトン。鳩の名は「あこがれ」、こんな素敵な詩の表現をしてみたいもの。

🎧

名曲アルバム。「ジムノペディ第一番」「サティー」作曲、ニウ・ナオミ編曲
【サクソフォーン】平野公崇,【ピアノ】加羽沢美濃,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

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1878年建設ラッシュのパリに12歳のサティはやってくる。翌年パリ音楽院に入学。堅苦しい雰囲気に馴染めず学校を飛び出す。シャ・ノワール(黒猫亭)の店主に職業を訊かれ、サティーは「ジムノペディスト」(裸の子供)とでまかせに言った。古代ギリシャの祭りの名前だ。このでまかせの職業に実体を与えるために「三つのジムノペティ」を作曲する。当時は稚拙と音楽界から無視される。権威を嫌い、皮肉と遊び心に満ちたサティーの生き方と音楽に新しさを認める人々が現れる。サティーはでまかせの実体化から生まれた作曲家?

⛳家事をしながらの手作業更新  7時2分更新
 

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きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。

國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
 519日の説教は『共にいてくださるお方』(説教:國光ひろ子牧師)。詩篇16:1~11でした。

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詩篇16:1~11

ダビデのミクタム
1 神よ 私をお守りください。

私はあなたに身を避けています。

2 私は主に申し上げます。

「あなたこそ私の主。

私の幸いは あなたのほかにはありません。」

3 地にある聖徒たちには威厳があり

私の喜びはすべて 彼らの中にあります。

4ほかの神に走った者の痛みは 増し加わります。

私は 彼らが献げる血の酒を注がず

その名を口にいたしません。

5 主は、私への割り当て分 また盃。

あなたは 私の受ける分を堅く保たれます。

6 割り当ての地は定まりました。私の好む所に。

実にすばらしい 私へのゆずりの地です。

7 私はほめたたえます。助言を下さる主を。

実に 夜ごとに内なる思いが私を教えます。

8 私はいつも 主を前にしています。

主が私の右におられるので

私は揺るがされることがありません。

9 それゆえ 私の心は喜び

私の胸は喜びにあふれます。

私の身も安らかに住まいます。

10 あなたは 私のたましいをよみに捨ておかず

あなたにある敬虔な者に

滅びをお見せにならないからです。

11 あなたは私に

いのちの道を知らせてくださいます。

満ち足りた喜びが あなたの御前にあり

楽しみが あなたの右にとこしえにあります。


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説教>

 きょうは、主牧が十和田教会でご奉仕をしております。思いがけず3人の新しい来会者がいらしております。私が講壇に立たせていただくのは、ピンチヒッターとして年に12回のことですので、こんどは是非主任牧師がいる日に来ていただいて、いつもの教会の事を知っていただけたらと思います。

 

 けさは詩篇の16篇を開かせていただきます。比較的皆さんが読まれる機会の多い詩篇ではないかと思います。

 詩篇の冒頭に「ミクタム」とあります。全詩篇でこの「ミクタム」と書かれているのは6篇ほどあります。16篇には「ダビデのミクタム」とだけありますが、他の個所を見ますと、「滅ぼすなの調べで。ダビデによるミクタム。ダビデがサウルから逃れて洞窟にいたときに」とありましたり「ミクタム。ダビデを殺そうとサウルが人々遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに」とか「「さとしは、ユリ花」の調べにのせて。教えのためのダビデのミクタム。ダビデがアラム・ナハライムやアラム・ツォバと戦っていたとき、ヨアブが帰ってきて、塩の谷でエドムを12千人打ち殺したときに」というように、とても物騒な危険な状況にあってダビデが書いたのが、これら「ミクタム」の詩であります。

 「ミクタム」は、ヘブル語で祈祷とか黙想、黄金的秘密、重要などという意味があるそうです。サウル王の迫害に遭い逃げ回っているさ中にも、ダビデが主との交わりで喜びを経験し、それを源泉に書かれております。神様を全く信頼し従って、神様から与えられた平安、希望、喜びの詩です。
 実は、サウル王に追われながらも、ダビデがサウルに歯向かうチャンスは幾度もありました。けれども、ダビデは、神様が油を注がれて王様にしたサウルには決して手を下すことはしませんでした。ただ、サウル王様がダビデに距離のあるときに、サウル王様を呼びかけて、あなたを手に掛けるチャンスはあったけれども、私は手出しはしませんでしたとつたえるという、そんな事が何回もありました。何れダビデが苛酷な状況にありながら、神様がいつもどんなに幸いなことをしてくださったかをダビデは書いております。

 順次見て行きますと、

2節「私の幸いは あなたのほかにはありません」とあります。辛い状況の中でダビは幸いを感じ感謝しております。
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節「私の喜びはすべて 彼らの中にあります」。喜びも感じていました。

6節「割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい 私へのゆずりの地です」。ダビデがこれほどに大変な中にいるとは思えないような「実にすばらしい 私へのゆずりの地です」というのです。自分がいま置かれているところにおいて神様に感謝を捧げている。感謝の心を持っているという事です。

8節「主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。」。確信です。これはもう逃げ惑っている者の姿ではないでしょう。

9節「私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます」。こういうこともあるのかと驚かされます。

11節「あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが あなたの御前にあり楽しみが あなたの右にとこしえにあります」。環境がどうであれ、どんな困難課題があろうとも、ダビデがそうであったように、またイエス様がそうであったように、主の前に出る時に、喜びや幸いを感謝することができる、平安を味わうことができる事を私たちに示しているように思います。

 この16篇を学んでおりますときに、とても心に掛かることばがありました。6節「わたしはいつも主を前にする」です。「主を前にする」とはどういうことなのか。これは、いつも分かっているような、いつもしているような、或いはそうでもないような、ほんとうは分からない感じもいたします。それは具体的にはどういうことなのか。

祈るとき一瞬止まって主の前に出る事を意識して祈りなさい、また祈祷会だから水曜日にも教会に行くというのではなく、これから主の前に出るのだという意識をもって集会に行くことを心がけるように、また日曜日は主の聖日でわたしはクリスチャンだから教会に行く、このような意識を持つのは尊い事ではあります。それに加えて、私はこれから神様の御前に出るのだという心構えを持つことにより、その継続の中で「私はいつも主を前にしています」という事を体験することができる。意識的に神様の前に出る経験をし、ダビデがそうであったように、喜びや楽しみをほんとうに見出した人たちのことを神の人というのであると書かれております。ほんとうに眼がひらかれました。

 いつも神様の前にいるというのは、いつも教会に来てそこにじっと座っていることではなく、ほんとうに神様の前に出ているという意識を持ち続けること、それが私たちを変えていくという事を大いに教えられました。

 すこしお証をさせていただきます。私たちのためにいつもお祈りを頂いております事をほんとうに感謝しております。祈られているということを、最近とみに思わせられます。

 つい先日、私も誕生日を迎えてもう72歳になりました。自分のなかでは、その年齢を意識していない。しかし現実に所々痛みがあり病院に行きますと、「加齢です」と言われると反論もできません。事実そうでしょう。また格別に、皆さんにお祈りいただき、感謝の想いを持ちながら述べさせていただきますが、

 10年ほど前に、心臓の治療を受けまして、死ぬまで飲んでくださいと言われた薬を飲ん

でいます。そしてその後、バセドウ病になりました。耳下腺の腫瘍の摘出手術もしました。そしていまは、膝の治療を受けております。その治療を受けた医師が、昔、教会学校に来ていた先生であったことはほんとうに感謝でした。それとは別に度々病院に行っています。癌ではないかと受けた検査、先週の金曜日に4回目の検査でしたが、幸いにも、まったくその兆候はなく、後半年後にもう一度検査して何ともなければ、もう検査をする必要もないと言われて、大変感謝をしました。
 心臓の薬、血液さらさらの薬ですが、もう10年以上も飲んでおり、出血のときには要注意であることも忘れていました。ところが、夕食の準備をしていて、もうこれで終わりという時に、笑ってしまうぐらいほんのちょっとのことなのですが、指を切ってしまい、なかなか血が止まりませんでした。最寄りの整形外科は、閉まるちょうど7時で、先生もいらっしゃらない、ということで、近くでしたので消防署に行ったところ、手当をして下さったのですが血が止まらなくて救急車で病院へいきましょうと。血が止まらず、押さえられていても床に血がぽたぽたと落ちます。救急車で病院に着いたのが7時半ごろでしたが、それからも血が止まらなくて、押さえつけるなどして12時ちょっと前には何とか止まり、帰宅できました。血液サラサラの薬に関しては、新しいやり方であると薬を減らせるということで、こんどもう一度検査を受けて薬を考えましょうということになっております。

病気、ケガと、伝道者としてこんなことではと、本当に申し訳ないとがっかりし、私は神様の御用をさせていただく資格があるんだろうかと思ってしまいました。ある東北教区の牧師先生が、あなたはいろいろな病気になるけれども不死鳥のようによみがえるねと仰ったことで、ちょっといい気になっていたんですけれども、そうではなかったという事をほんとうに思い知らされて、ほんとうに私はこのままで神様の御用をするのに間に合っているんだろうかという思いが度々襲ってくるようになりました。大丈夫かな、私は御用をさせて頂く資格があるんだろうかという思いになり、どうしましょうと悩んだときに、この詩篇168のおことばを頂きました。

 私はいつも 主を前にしています。

主が私の右におられるので

私は揺るがされることがありません。

「主が私の右におられるので私は揺るがされない」、このおことばにとても励まされて、そうだ主が右にいてくださる、だから私は揺るがされることはないと神様は言ってくださっているし、私もそれを期待して良いんだと思い、ちょっとほっとしました。ところがその前に、私はいつも主を前にしています、という条件のように書かれていました。

「私はいつも主をまえにしている」とはどういうことか、

何通りかの聖書の訳を読んでみました。新改訳聖書では、「私はいつも、私の前に主を置いた」。文語訳では「われ常にヱホバをわが前におけり」。リビングバイブルでは「私は、いつも主のことを思っています」とあります。また口語訳では「わたしは常に主をわたしの前に置く」。新共同訳聖書では「わたしは絶えず主に相対しています」とありました。どれも真実な神様の前でのあり方を見ることができます。

「私はいつも主を前にしています」という言葉に、ダビデなら言えることばかしら、私がそう言うのはあまりに大胆で、臆面もないことなのかしらとも思いました。けれども、私はいつも主を前にしていますといえるほど、イエス様を神様を現実的に鮮明にとらえたいという願いも大きくなっていきました。そして、私が前にしている主は、わたしの右にもなる、右におられる主であり、私と共にいてくださるお方であり、わたしの内にいてくださって、恵みと力を与えてくださるお方である。そして、このダビデの経験しているような喜びや感謝やまた平安を与えてくださるお方なのだと、ほんとうにこの16篇で学ばせていただき、また、感じる実感することができました。聖書を読んでみますと、「主を前に置いた」とか「主が私の右におられる」ということばが、あちこちに出て来ます。そしてそれを、この詩を読んだ方々は体験してらっしゃる。その中の一つがアサフという方の詩にもあります。

「私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました」という言葉がありましたが、それも「私はいつも主を前にしています。主は私の右におられるので、私は揺るがされることはありません」というお言葉と、内容的には同じであるという事を知らせていただきながら、この恵みの中に、この恵みの自覚の中に日々歩ませていただいて、私自身が神様が良しとされるまで御用を果たしたいと願っております。締めくくりに16篇の9節~11節、これは私自身の証でもありますが、これを読ませて頂きます。

 

9 それゆえ 私の心は喜び

私の胸は喜びにあふれます。

私の身も安らかに住まいます。

10 あなたは 私のたましいをよみに捨ておかず

あなたにある敬虔な者に

 

 

滅びをお見せにならないからです。

11 あなたは私に

いのちの道を知らせてくださいます。

満ち足りた喜びが あなたの御前にあり

楽しみが あなたの右にとこしえにあります。

 

ほんとうにこのことを私自身の証として申し上げることができるような障害を歩ませていただきたいと思いますし、また、神様の前に在らせていただき続ける時に、イエス様はそのようにしてくださると、信じることができる、多くの先輩方が、そのように証しを遺してくださっております。その道をわたしもたどらせていただきたいと願っております。

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2019 啄木祭に行ってきました

 

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JーMEROをちょっと

JMERO、いつもならクラシック倶楽部の時間帯なのだが、土曜はそれがなく手持無沙汰から、海外発信されているということで、のぞくようになった番組なのだがちょっと面白い。

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きょうは仙台を拠点に活動するMONKEY MAJIKのライブ。「Undercover」「ChangeA.I.am Human、一応この歌詞をつないでおく。

曲作りについて彼らがいう。「車に乗ってるときにイイメロディー考えた、それをスタジオができてから、座ってで、お仕事じゃないけど、はいじゃ何かをつくりましょうと。そっちに集中できるようになって、結成してから18年もたっていると、それぞれの役割もはっきりしてきて一緒にアレンジだったり、歌詞を書いていたり、お互いにインスピレーションを受け取ったり、そういう場所ができたから、スムーズ。チャレンジがすごくだいじ。いつも全国と全世界回ってるから、そっからいろんなインスピレーションがきてる。いまの時代は携帯で簡単に自分の声もリコーディングできるし、昔と比べると違いますよね。」

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 これもなかなか面白い、そう思われた今朝。

⛳コメント、写真は番組から  6時56分更新

 

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