盛岡タイムスに連載の「楽都のユニゾンー鳥取春陽と太田カルテット」の第56回が出ました
今回は鳥取春陽と服部良一の接点と、またロシア革命で多くの優れた音楽家たちが旧満州に日本に亡命しましたが、そのうちの一人を書かせていただきました。ご高覧いただければ嬉しく思います。
今回は鳥取春陽と服部良一の接点と、またロシア革命で多くの優れた音楽家たちが旧満州に日本に亡命しましたが、そのうちの一人を書かせていただきました。ご高覧いただければ嬉しく思います。
ウェールズ弦楽四重奏団 演奏会
~2019年3月15日 紀尾井ホール~
ウェールズ弦楽四重奏団
ヴァイオリン﨑谷直人、ヴァイオリン三原久遠 、ヴィオラ横溝耕一、チェロ富岡廉太郎。桐朋学園の学生により2006年に結成。2008年ミュンヘンARD国際音楽コンクールにて第3位入賞。これまでメナヘム・プレスラーやポール・メイエなどの著名な音楽家と共演。2017年よりベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音プロジェクトを開始。その名の示す通り真の音楽を誠実に追及する姿勢が高く評価されているカルテットである。
ウェールズ弦楽四重奏団のコメント
いまできる曲をバーンとやってるだけじゃない、きょうのもちゃんと全体を通してストーリーがありますし、それと僕ら今ベートーヴェンを取り上げるというのを軸にやっていて、それプラスアルファで何ができるかということを考えています。
三原がもってきて、まず僕がファーストは難しいのでスケジュールとにらめっこして間に合うかなとか、﨑谷からNGが出たことも過去にはある。﨑谷がやるといったら、それはもったいないから俺たちは何もいわない。無意味なプログラミングは僕らはぜったいにしない。それはもう見事、手前みそですが。仲悪くはなく友達という感じでもない。それぞれ各オーケストラで仕事もしてますし、いろんな現場で別な方と弾く機会もあるんですけど、各自が経験したものを持ち帰ってきて、ああでもないこうでもないと、一定の緊張感のある現場なので、持ち帰って論議しあう、そういう関係ですね。ずっと一緒に成長してきたし変化もしてきた仲間なので、演奏家としての自分をいちばんわかってくれていると信じているし、音楽的なつながりが強い。自分がこう弾きたいと思っても、話し合いの末却下されることもありますが、オーケストラになると、自分の意思だとか表現したいものは薄まる。人数も多いですし。やはり自分がこう自分自身がナチュラルに表現できる。だから自分にとっては、帰る家みたいに思っています。
ここまで弦楽四重奏に打ち込むことは、たぶんこのメンバーに出あわないとなかったことなので、よく出会ったなと、メンバーにはすごく感謝してて、僕が個人的に成長できたのも、このメンバーといるときがほとんどだったので、ついてる人生だったなと思っています。
☆「弦楽四重奏曲 イ長調 作品18第5から 第3楽章・第4楽章」ベートーベン:作曲
ウェールズ弦楽四重奏団
この曲は若きベートーヴェンによる弦楽四重奏曲で、第3楽章は主題と5つの変奏で構成されている。「変奏と変容」というコンサートのテーマに寄り添である。
☆「変容(ルドルフ・レオポルトによる弦楽七重奏版)」リヒャルト・シュトラウス:作曲
ウェールズ弦楽四重奏団、(ビオラ)佐々木亮、(チェロ)横坂源、(コントラバス)池松宏
「変容 23の独奏弦楽器のための習作」はリヒャルト・シュトラウスの80代の作品。第二次世界大戦末期に作曲されたこの曲はまず弦楽七重奏の形で構想が練られた。1990年になって初期の七重奏の楽譜が発見され、現代の音楽家が手を加えて弦楽七重奏版の「変容」が完成。シュトラウスが表現した戦争による「変容」への悲しみや怒りが凝縮されて演奏される。
🎵リヒャルト・シュトラウス、80歳での作曲。筆者は70どまりかという弱気のところに、もう少しは長くはという意欲が与えられる。物を見すえ見とおす作曲家の憂慮、達観といったものも、ふっと覚えた瞬間があった。
🎧名曲アルバム。歌劇蝶々夫人から「ある晴れた日に」プッチーニ作曲。【ソプラノ】木下美穂子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】現田茂夫
蝶々夫人のオペラの原作は、キリスト教宣教のために来日していたサラ・ジェーン・コレル女史が出入りの商人から蝶々さんのエピソードを耳にし、その話をアメリカに住む弟に伝えたところが、弟がこれをもとに執筆した短編小説であったという。
木下美穂子氏の声に切々とした味わいが。
⛳7時27分更新
ストリング・クヮルテット ARCO 結成20周年記念演奏会
~ハクジュホール~
ストリング・クワルテット ARCO
数々の国内外のコンクールに入賞、またはオーケストラの首席奏者を務めるなど、既に個人として高い評価を獲得している日本の音楽界期待の4人によって1996年に結成された弦楽四重奏団。これまでに東京クヮルテット、アイザック・スターン、山崎伸子、原田幸一郎他の各氏の指導を受ける。98年第3回宮崎国際室内楽音楽祭、北九州国際音楽祭に出演するほか、NHK-FMリサイタルへの出演、JTアートホール室内楽シリーズにおける定期的なコンサートの開催等。99年第3回大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門第3位入賞(日本人として最高位)。2000年ヴィオラの柳瀬省太を新メンバーに迎える。
伊藤亮太郎(第1ヴァイオリン)
桐朋女子高等学校音楽科(共学)を経て、桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマコース修了。1989年日本音楽コンクールヴァイオリン部門第1位優勝。併せて黒柳賞、レウカディア賞受賞。93年マリア・カナルス国際コンクール第2位入賞。ティボール・ヴァルガ国際コンクール第3位入賞。94年チャイコフスキー国際コンクールにてディプロマ賞受賞。同年よりロンドンに留学し、ジョルジュ・パウク氏に師事。2015年、NHK交響楽団コンサートマスターに就任。
双紙正哉(第2ヴァイオリン)
桐朋学園大学卒業。篠崎永育、徳永二男の両氏に師事。1984年北九州音楽コンクール小学生の部第1位優勝。併せて文部大臣賞受賞。86年全日本学生音楽コンクール中学生の部西日本大会第1位優勝。大学在学中より広島交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団のゲストコンサートマスターを度々務める。2002年より1年間ウィーンに留学し、A.アレンコフ氏に師事。2004年北九州市民文化奨励賞受賞。05年5月より東京都交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者に就任し、現在に至る。
柳瀬省太(ヴィオラ)
東京藝術大学音楽学部、桐朋学園ソリスト・ディプロマコースに学ぶ。1996年第52回ジュネーヴ国際音楽コンクールディプロマ賞。97年第1回淡路島しづかホールヴィオラコンクール優勝。2002年文化庁芸術家在外派遣研修員としてイタリアに留学し、イタリア各地で演奏した。04年シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団に入団。09年帰国、神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ヴィオラ奏者を経て、14年4月、読売日本交響楽団ソロヴィオラ奏者に就任。第1回松方ホール音楽賞、大阪文化祭賞受賞。
古川展生(チェロ)Nobuo Furukawa, Cello
桐朋学園大学卒業。1995年第64回日本音楽コンクール第2位入賞。97年第27回マルクノイキルヘン国際コンクール(ドイツ)チェロ部門にてディプロマ賞受賞。98年東京都交響楽団首席チェロ奏者に就任。2003年第2回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。映画「おくりびと」のテーマ曲のソロ演奏を担当するなど、各方面から注目を集めている。
☆「弦楽四重奏曲 第1番 作品20 から」ヒナステラ:作曲
☆「弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調“わが生涯から”」スメタナ:作曲
🎵今朝7時ごろに「保存」を押そうとしたところが、カーソルが動かなくなり、操作するうちに記事が忽然と消えた。やれやれという感じだが、ヒナステラ、これが浮かんだところでまた記録し直そうと。
ヒナステラ、何か所かWebを渡り歩き、感想を見る。バルトーク的、シェーンベルク的と二通りあり、読み進むうちに、理屈はどうでも眠りこけている細胞をきゅんと起こし、ぎゅっと絞ってくれるぐらいの効果はあった、これ以上の理屈はそちらにお任せというところに落ち着く。すべてを民族音楽の影響と置き換える気はないという書き込みもあったが、私的には、そういった民俗色の響きに掴まってしまうことが多い。「弦楽四重奏曲第一番」に関し、ある頁にはこうあった。「緊密で無駄が少なく、各楽章が対等の完成度。弦楽四重奏の一丸となった活発さとか自由さを活用しており、アルゼンチンらしい南米の郷土的な音世界も現代性や芸術性と融合させながら見事に表現されている。南米の弦楽四重奏の名手のヴィラ=ロボスに一歩も引けを取らない。」
「わが生涯から」、試演のときにはドヴォルザークがビオラを務めたというこの曲、柳瀬氏を念頭に選曲されている。『私の青年時代の強い芸術への憧れ、ロマンティックな雰囲気』、『楽しかった青春の日々、私はダンス狂だった』、『のちに私の妻となった少女との初恋の幸せな思い出』、『民族的な要素を自らの音楽に採り入れる術を見い出し、軌道に乗って喜んでいたところに、突然耳鳴りがして、聴覚を失い挫折する』、この4つのエピソードが弾きこまれている。ドヴォルザークの生涯も然ることながら、いまこの曲を聴きながら書いているけれども、先の弦楽四重奏団のメンバーのコメントではないが、ああ、たしかに良いときも悪いときもあるさ。楽しいときも苦しいときもある。ときを経て、山は平らになったかというと、山は山のままのところも、谷の深さもそのままのところも。しかしそれが人生、人生はさまざまの抱き合わせ、ひっくるめて人生なんでしょうね。
🎧名曲アルバム。「ベサメ・ムーチョ」コンスエロ・ベラスケス作曲、丸山和範・編曲
【ギター】沖仁,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【カホン】ホセ・コロン,【指揮】円光寺雅彦
ベラスケス、まだ恋人がいない16歳であったか、17歳かでこの曲を作ったらしい。
⛳書き直しで10時20分の更新
アロド弦楽四重奏団 演奏会
~2017年12月14日 王子ホール~
アルテミス弦楽四重奏団やエベーヌ弦楽四重奏団に学ぶ。2016年ミュンヘン国際音楽コンクール第一位。
(第一バイオリン)ジョルダン・ヴィクトリア、(第二バイオリン)アレクサンドル・ヴ、(ビオラ)コランタン・アパレイー、(チェロ)サミー・ラシド。
ジョルダン・ヴィクトリア 弦楽四重奏は傑作の宝庫です。4人でそれを好きなだけ時間をかけて仕上げていく自由さがいい。4人のソリストが共演しているような4人だけですべてを作り上げていく感じです。ただいつも一緒にいるので険悪な雰囲気になることもあります。夫婦や恋人と同じで、いい時もあれば悪い時もあります。
アレクサンドル・ヴ クラシックの演奏家でも弦楽四重奏は日頃から聴いているものではありません。だからその魅力に目覚めたのは偶然です。学校でもソリストやオーケストラ奏者などは育てますが室内楽はあまり教えてもらえませんでした。でも私たちは弦楽四重奏の虜になってしまった。ジョルダンがいうようにたった4人で理想的なサウンドを作り上げていく。音楽をどこまでも深くほりさげられるのが魅力です。それはオーケストラでも可能ですが、演奏者が多いうえに練習時間も限られています。だから曲を徹底的に掘り下げられない事が多いのですが4人ならできます。弦楽四重奏は「分かち合いの精神」が大事です。良いことも悪いことも常に4人で分かち合える。これが弦楽四重奏の魅力です。
コランタン・アパレイー ビオラ奏者にとって弦楽四重奏は魅力的です。響きに膨らみをもたせたり旋律を奏でたりするビオラは変幻自在のカメレオンのようで面白い。弦楽四重奏はどんなビオラ奏者も満足させる編成です。
サミー・ラシド 弦楽四重奏は他の音楽に比べて近寄りがたいという印象を持たれやすい。作曲家にとっても非常に難しい音楽です。哲学的だったりメッセージが複雑だったりするので難解な音楽だと思われて避けられがちです。でも終演後、初めてクラシックを聴きに来たお客さんの多くが「何て美しい音楽!」と感動を伝えてきます。人に希望と感動を与える音楽だから引き続けなければいけない、将来性を信じています。
☆「弦楽四重奏曲 ニ短調 K.421 から 第1楽章 第4楽章」モーツァルト:作曲
20代半ばのモーツァルトが、敬愛するハイドンの弦楽四重奏曲に刺激を受けて書いた作品。他にも5つ作曲され、まとめてハイドンにささげられた。現在それはハイドン・セットと呼ばれ、モーツァルトの後期の傑作として親しまれている。
☆「弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13」メンデルスゾーン:作曲
メンデルスゾーンは生涯で7つの弦楽四重奏曲を遺した。第2番は「夏の世の夢」序曲が書かれた翌年18歳で作曲された作品。尊敬するベートーヴェンからの影響も見られ若きメンデルスゾーンの意欲があふれている。
🎵4人のコメントから、ビオラの役割についての認識が変わる。きょうは意識的にビオラの音を拾って聴いた。これまではチェロだったけれども。変幻自在のカメレオンの顔を聴いた気が。「弦楽四重奏曲第2番イ短調」の深い掘り下げに感動。協奏が狂走とも聴こえるところ、それが火花さえ散らして駆けるのだが、音響と化した抑制力が聴こえ、せめぎあい、美のせめぎあいといった観を呈している。深く濃い演奏だった。
🎧
名曲アルバム。「交響曲第3番 第5楽章」マーラー作曲
マーラーのことば
(メゾソプラノ)池田香織
(女声合唱)栗友会
(児童合唱)東京少年少女合唱隊
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団
(指揮)岩村力
~オーストリア・アッター湖、シュタインバッハ~
⛳解説、写真は番組から 7時12分更新
盛岡市民文化ホール・小ホール
シンフォニエッタ盛岡の三人の演奏が階段をおりてくる皆様を出迎える
🎵いつもTV視聴していますが、やはり生演奏はその楽団の曲に向かう心意気が響きとなって伝わってきます。盛岡にもあります、いつも身近なところで市民に音楽を提供してくれるこんな楽団が!
明るく高らかに響きわたるトランペット。そして今回はそのトランペットご専門の指揮者佐々木駿氏の弾き振りでモーツァルトの「トランペット協奏曲」。続くプロコフィエフの「古典交響曲」。昨年から更にグレードアップ。聴きごたえのある演奏でした。佐藤公治氏の編曲に拠るポップス、歌謡曲のメドレーはいつも楽しい常にたのしい。ありがとう、盛岡シンフォニエッタ!
「弦楽四重奏曲 第1番 ニ短調 作品7」
シェーンベルク:作曲
(弦楽四重奏)ディオティマ弦楽四重奏団
(47分46秒)
~2016年9月3日 第一生命ホール~
ディオティマ弦楽四重奏団
4人ともパリとリヨンの国立高等音楽院で一等賞を受賞。1996年創設。フランスの弦楽四重奏団。世界的な活躍をしている。
メンバーは、(第一バイオリン)ユン・ペン・ジャオ、(バイオリン)コンスタンス・ロンザッティ、(ビオラ)フランク・シュヴァリエ、(チェロ)ピエール・モルレ
ブーレーズや細川俊夫と曲作りを行うなど20世紀以降の作品を積極的に演奏。
ピエール・モルレ 元々は新しい作品を生み出し続けている現代作曲家の活動を支えていきたい。いわゆる「現代音楽」のすばらしさを伝えていこうという意図で作られた四重奏団。ただ、過去と現代の音楽を結びつけることこそが大切。現代音楽を理解するためには、それ以前の音楽を十分に理解する必要があります。今回シェーンベルクを選曲した理由は、後世に残る弦楽四重奏曲の傑作をもたらしたのが外ならぬベートーベンでした。そういう意味で二人の作曲家は音楽史に重要な足跡を残したわけですが、どちらも芸術に新しい「法則」をもたらした世紀の天才だったのです。
日本の方々は他に例をみないほどに関心を持ったことに対して徹底的に真剣に追及しますね。今回、私たちが手掛けた作品は、そうした日本の皆様にぴったりだと思います。
ユン・ペン・ジャオ 永遠なるものはしばしば他にはない特別な香りを持ちます。今回私たちが披露した傑作も、特別な香りを持っているはずです。ただし十分な時間をかけて曲を楽しむことを知り、耳を使って味わう必要があります。
「弦楽四重奏曲 第1番 ニ短調 作品7」
無調や12音技法に至る前の初期作品で甘美な雰囲気も漂わせる単一楽章でありながら演奏時間が50分近くにも及ぶ。(ここからはwikipediaから)対位法を駆使するテクニックと、単一楽章を採用した事は特筆に価する。
🎵シェーンベルク、手持ちのディスクライブラリ-に多くあるものの、取り出して聴こうという気にならなかったのは、知らなかったから。こんなに自分の感覚に近い曲である事に驚きを。久方ぶりにまた聴いてみようとの思いが。しかしユン・ペン・ジャオの「永遠なるものの持つ香り」、なんという素敵な言葉だろう。しっかりとしたポリシー、目的をもった演奏の違いを聴いた気が。この番組には、しばしばそういう楽団が登場するのだけれども。
🎧
名曲アルバム。五味俊也・編曲。【演奏】キヲク座
「ぞうさん」團伊玖磨・作曲、まどみちお・作詞
ぞうの引っ越し。クレーン車に吊り上げられて。窓の下部から鼻が。
「一年生になったら」山本直純・作曲、まどみちお作詞
まどみちおのこどもたちへの手紙
⛳記録した解説内容、写真は番組映像からです。6時44分更新
アキロン・クァルテット演奏会
(バイオリン)エムリン・コンセ、(バイオリン)エリーズ・ドゥ・ベンドゥラック、(ビオラ)ルイーズ・デジャルダン、(チェロ)ルーシー・メアカット
☆「弦楽四重奏曲第5番 ヘ長調 K.158」モーツァルト:作曲
☆「弦楽四重奏曲 ト短調 作品10」ドビュッシー:作曲
「弦楽四重奏曲 ヘ長調 から 第2楽章」ラヴェル:作曲
アキロン・クァルテット
2011年パリ高等音楽院在学中に結成。2016年ボルドー国際弦楽四重奏コンクール優勝。色彩豊かで真摯な演奏が絶賛され満場一致の優勝。
素敵なパリジェンヌ4人の言葉を書き出してみると
ルイーズは、本番に向けて準備をする一連の過程に意味があった。何か月も同じ曲を集中的に練習し学んだことがコンクールの優勝につながった。これで世界で活躍したいという夢が実現できたと。ルーシーは、アキロン・カルテットは、自分でメンバーを決めた家族のような存在。お互いの違いを理解し合い、どんなときにも必ずそばにいてくれる。日々新しいことづくめ。他にはない強いつながりを感じていると語る。エムリンはドビュッシーについて、母国の作曲家は身近で文化的背景も同じなので演奏していてもしっくりきます。フランスならではの色彩と精緻な表現だけでない深淵な世界を感じます。情感に満ちたほんとうに豊かな曲なのですと語っている。エリーズは、皆さんの感情や経験とともに演奏を聴いてほしい。どう聴いてほしいか私たちは言葉で伝えるのではありません。言葉の壁を超えた分かち合いの瞬間が生まれるのです。今回の演奏がどのように届くのか皆さんに託し、私たちはその手ごたえを共有していきたいのですと話す。音楽は言葉を超えたところにあるものだからです。
「弦楽四重奏曲第5番 ヘ長調 K.158」、これはモーツァルト17歳頃の作品。イタリアへの演奏旅行中に作曲されたという。優美な主題、意表をつく展開など、モーツァルトらしさが光る作品であるという。
「弦楽四重奏曲 ト短調 作品10」、ドビュッシー31歳頃の作品。初演者のイザイ弦楽四重奏団に献呈されている。全4楽章から成り、ソナタ形式の中にドビュッシー独自の和声や旋法が織り込まれている。
🎵
番組中の解説をできるだけ書きとってみた。いかにわかりやすく集約的に伝えてくれているか、音楽を知りたいと思うものには、楽しんで入っていける。いつまで続けられるかはわからないが、もうしばらくは、この番組で刺激を受けよう。
🎧
名曲アルバム。「スコットランド協奏曲」、メンデルスゾーン作曲。
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦
スコットランドの首都エジンバラを、メンデルスゾーンは20歳の時に訪れているという。エジンバラの歴史と文化は、彼に多くの影響を与えた。
⛳写真も番組映像から きのうのトランプ氏の相撲観戦、大統領杯の授与ニュースを見ながら。どうもスリッパで土俵に上がったらしい。靴と見えていたのだけれども。 7時4分更新
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇、説教の概要をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
5月19日の説教は『喜びに溢れて』(説教:國光勝美牧師)。ピリピ書4:4~7でした。
<説教>
私たちはいま、ペンテコステを前に、ご聖霊様との関りを深めていきたい、それは喜びということに表される信仰生活ではないだろうかと導かれまして、きょうは「喜びに溢れて」というメッセージを準備させていただきましたが、いつものように、先ずは、前回(5月12日)の『助け主なる聖霊』(ヨハネ伝14:15~18)の簡単な復習をいたします。
御茶の水学生キリスト教会館のはじまりとなったアイリーン・ウェブスー・スミス宣教師のおことばがあります。
“As thou goest
step by step
I will open up
the way before thee”
あなたが歩む一歩一歩、わたしはあなたの前に道を開く
このおことばは、ウェブスター・スミス先生の生涯を導いたというだけでなく、同じ主が、今も、私たちと同じようにあってくださるということです。
すでに学びましたパラクレートス(ギリシア語: 'ο Παρακλητος)、これは私たちに与えられております聖霊であります。私たちのよき弁護人であり、私たちのよき仲保者、執りなし手であってくださる。これを「助け主」と呼んでいます。
ヨハネ14:16
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
これはイエス様が十字架におつきになられる直前のお弟子さんたちとの交わりである最後の晩餐での会話です。イエス様が、どうやら遠く離れたところに行ってしまわれるという不安、恐れがお弟子さんたちの中にふっと湧いてくるときに、イエス様が、いいやわたしが去ることは、あなた方の益なんだ、そのもう一人の助け主は、いつまでもあなたがたとともにいてくださるお方なのだ、そしてこの助け主、つまり聖霊なるお方は、真理を、聖書の深いところを私たちに教え、私たちに思い起こさせてくださいます。
ヨハネ16:7にあります。
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
このように、わたしが去っていくことはあなた方の益、わたしが去っていかなければ、あなたがたのところに聖霊なる助け主はおいでになりません。わたしが去ってから、わたしはあなた方のところに助け主を遣わします。
イエス様というお方を私たちは、みことばを通して知るわけですけれども、もしイエス様の肉体を考えるなら、ペテロのところにイエス様が現れているときにはヤコブのところにはイエス様はおられないということになります。物理的な制限というものがあります。でも、聖霊なる神様は、それらのことを超えて、いつでも信じる者の心の中におられます。イエス様というお方を、いつも現実的なものとしてくださる。これが、パラクレートスという聖霊なる神様の働きです。そして聖霊様は、私たちがどのような存在であったとしても、執りなし手であってくださる。私たちの弁護をしてくださるお方、仲保者であり、ともに、最善の執りなしをしてくださる。これが聖霊なる神様のお働きなのだということです。
きょうはそれらの事を下敷きにしながら、『喜びに溢れて』と題しましたが、主にピリピ4:4に注目をしたいと願っております。
ピリピ4:4いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
このお言葉には、カギが幾つもある。一つは、「いつも」という言葉です。私たちはいつも喜んでいるだろうか。それから、もう一つは、「主にあって」です。主にあって喜ぶ。そして「喜びなさい」という命令があります。経験的に、喜びというのは、命令されたからといって喜べるものではありません。喜びというのは、命令されたからできるできないの問題ではない。でも聖書でパウロはこう言っています。「喜びなさい」、しかも念入りに「もう一度言います。喜びなさい」。ということは、私たちは、ややもすると、喜びというものを失ってしまう存在なのです。そのややもすれば、大切な喜びというものを失っているときに、「いいですか、あなたはいま喜んでいますか」と質される。「いつも主にあって喜びなさい」、こうおことばはいっているわけです。
聖書の「主にあって」の欄外に注釈がついています。別訳があり「主を喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」とも訳せる。こうなると、ああなるほど、と。本文に書かれてある「いつも主にあって喜びなさい」ということと、「いつも主を喜びなさい」では何が違うでしょう。本文の方は、いつも主にあって何かを喜ぶ。たとえば、非常につらい経験、思わないアクシデントがあっても主にあってそれを喜ぶ、というように理解できますね。できるなら避けたい、けれども、主にあって、それをも喜ぶんだよと、こういうことになります。しかし、欄外の方を見ると、主を喜びなさい、いつも主を喜ぶ。何かを、ではない、主を喜ぶ、このようにあります。
ちいさな事ではありますが、このまえ経験したところですが、H兄、今回、呉市の方から、この教会で7月7日に開かれる岩淵まことさんのコンサートのために来てくれることになっておりました。しかし、もう一つ、H兄の方には長年に亘る祈りの課題があります。それは、90を超える母親の症状が強まってきていることです。現在の家では暮らしにくいので、何とか別の住居をと探したのが、それが呉市にある市営住宅なのですが、抽選があり倍率が高い。それが不思議なように当たり、移ることが可能になりました。ところが、市の連絡には、7月1日から7月14日の間に移動してくださいとありました。どうしましょうということでした。どうか皆様も祈ってください。抽選に当たったのはいいが、引っ越し日時はちょっと待って欲しい、そんな感じでした。
これは小さな事ですが、きっと皆さん方、こんなこと到底喜ぶことはできないと思われるような事が次つぎに起こってくる事を知っています。みんなそういうところを経験するのです。でも、「いつも」なのです。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」。これを思いめぐらしていた時に、私はひろ子先生から聞いた事ですが、少女パレアナを思い出しました。牧師をしているお父さんの家庭に生まれたパレアナという少女が、両親が亡くなり、叔母さんにあずけられます。叔母さんはお金持ちですが、子育ての経験がなく、扱い方がわからず厳しく当たったりもし、パレアナにとっては大いに辛いことも経験する。そんなとき、パレアナは、お父さんから教えてもらったゲームを思い出します。それは、どんな辛い苦しい状況に直面したとしても、その中から何かいいものを見つけ出して、それを喜ぶ、というゲーム、つまり喜びを発見するゲームでした。これは魅力的ですね。ふつうでは到底喜べない、むしろ愚痴や呪いさえ発したくなるような環境であったとしても、何か喜びの材料を見つけて喜ぶ。喜び発見ゲームを彼女ははじめるわけです。どうでしょう、私たちの喜び発見ゲームは。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」、「いつも主を喜びなさい」。
最後に、ずっと以前に聞いた羽鳥明先生のお話しですが。有名な寺院に井戸があった。行ってみると、その井戸の底には、ゴミや紙くずなどが埋まっていて水がなかったというのです。きっと以前は、名水の井戸と呼ばれていたのでしょうが、それが、ゴミで埋まってしまい今は出ていない。先生が仰るに「あなた方の心の中の喜びの井戸は湧いていますか? それとも何かゴミのようなものがあって井戸が涸れてはいませんか? 或いは、モンスーン井戸、台風があって大水があったときは井戸から水が湧き出しますが、そうでないときは涸れてしまう。たとえば大きな集会に出たときに、心の井戸が大掃除され新鮮な喜びの水が湧き上がる。それが一時的なものであれば、すぐに水は、喜びは途絶え閉ざされてしまう。そういうことはないでしょうか。しかし、「主にあっていつも喜びなさい」というこのおことばに想いを留めるのならば、私はイエス様にこんなに愛されている、愛される価値のない者なのにイエス様が私のために命を捨てて、贖いを成し遂げ、よみがえってくださったというそのことを心に留めるとき、私たちは、ほんとうにアーメンと喜びを持つことができます。
もし私たちに喜びが失われているとするならば、このイエス様による贖いの十字架の復活の福音の恵みが何かによって自分たちが罪を犯してしまったがゆえに、それをお詫びしていないがゆえに、紙くずのようなものが次つぎに埋まってしまって、それを途絶えさせてしまっているのではないか。
しかしピリピ書においてパウロは言います。「いつも主にあって喜びなさい。」
この教団の内山先生が、今年の抱負で述べておられました。
「喜んで礼拝に集う教会、これを目指しましょう」
喜びがない、それは生きる上でとてもつらいことです。ですから、喜びは生きるための必須のものです。どうか礼拝に集うとき、喜びというものが心の中に溢れるように。この教会にいらしたとき、辛いことをいっぱい潜って教会に入ってこられたとしても、ああ、こんな者を、こんな私をイエス様は愛していてくださるのだという事にはっと気づいて、ここで賛美歌を歌い、ここで、み言葉に耳を傾け、祈りを捧げるときに、ああ、そうだ、私は愛されているのだという事に気がついて、喜びに溢れる、そんな教会を目指していきたいものです。
ピリピ4章「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」
ネヘミヤ8:11「主を喜ぶことは、あなた方の力」そして「あなた方の力を主が喜ばれる」
そして聖なる永久運動、「神様の恵み」「私たちの信仰」、この二つが回り続けること。これがペンテコステを前にした私たちの教会のあり方でありましよう。
⛳ICレコーダーから起こしています。 6時5分更新。
けさ4時半ごろの月。久方ぶりに撮る。
ヒマワリを3本植え替えて、のこっていたマリーゴールドの苗、きのう外回りに植えたはずのマリーゴールドがなぜか数本、忽然と姿を消したのだけれども、そこに5本を植えなおす。消えた5本はきっとあの月で花を咲かせるのだろう。
それからJーMERO。これがけっこう内容が濃かった。in 仙台1。再放送なのだが。NHK、と書くと、NHKの片棒担ぎかと思われそうだが、それとこれとは関係ない。この時間帯の放送が自分の暮らしにはあっている。それだけのこと。NHK仙台放送局の民謡番組は60年以上の長寿を誇っているという。たしかに岩手県の民謡採譜で貴重な仕事をのこした武田忠一郎も、たしか仙台放送局でよい仕事をのこしたのだったなと思い到る。六華亭、東北出身の女流落語家の案内で、「Tairyo Utaikomi」「Ineage Uta」「Sendai Medeta」が紹介されていた。日本語でどう書くかは時間の関係で省略。たぶんこうだろうと思っても間違って筆記しては大変。芸能だろうか、「Suzume Odori」が紹介される。
いま東北大学には20か国以上から留学生がきているというが、その学生たちがハマったのがこの踊り。これは17世紀から続く伝統の踊りだという。「Hikami Daiko」も出ていた。それと最後はMONKEY MAJIKの被災地での支援活動の様子やライブ。被災地で撤去作業に当たり、被災された方々を励ます姿には心打たれた。
各国のことばで記された感謝のメッセージにも。あらら、番組の最初は何だったかな、といえば、仙台にあるライブハウスとそこで育ったミュージシャンの紹介でANTENAその他の方々。
⛳トランンプニュースを聞きながら 7時4分更新
滋賀県甲賀市 公開収録 Buzz Five 演奏会
☆「ロメオとジュリエット」プロコフィエフ、ロータ:作曲、福田洋介:編曲
☆「OASIS」福田洋介:作曲
☆「ラッサス・トロンボーン」フィルモア:作曲、鈴木彩水:編曲
☆「こどものサーカス」クーツィール:作曲
☆「「ポーギーとベス」組曲」ガーシュウィン:作曲、金澤恵之:編曲
☆「オー・シャンゼリゼ」ディーガン、ウィルシュ:作曲、織田英子:編曲
Buzz Five、どの方もみな10~13歳で楽器をはじめて、東京芸術大学出身、同期生で結成される。
もうきょうはゆったりと聴こうと構えずにいたところ、「OASIS」、これが福田洋介氏の作曲。ミュートの使い分けによる面白さ。福田氏は11歳の時に、コンピューターによる音楽製作を開始し、現在まで作編曲を独学で習得するという特異な作曲家。高校在学中の1991年から作曲活動を開始。2003年には朝日作曲賞受賞。
穏やかな響き、そしてアングルがこの五重奏のすばらしさを聴かせ見せてくれた。生演奏を聴かずして音楽を聴いたとはいえないと仰る方もあるが、楽器を間近に、さまざまな角度から、しかもきょうはホルンをほぼ真下からと見えたが、すこし角度はついていたろうけれども、そんな捉え方も意外で楽しかった。行き届いたすばらしい演奏だった。
名曲アルバム。シベリウス「バイオリン協奏曲」
【バイオリン】加藤知子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】現田茂夫
再起をかけた作品が失敗に終わった時の絶望感がどんなものか。しかし立ち直ることが可能である例を示してくれたシベリウス。
⛳7時57分更新
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深沢亮子 ピアノ・リサイタル
~浜離宮朝日ホール~
千葉県出身。 3 才より両親からピアノの手ほどきを受ける。10才で故永井進氏に師事。全日本学生音楽コンクール小学校の部で全国第1位、文部大臣賞を受賞。15才のとき第22回日本音楽コンクールで首位受賞。1961年ジュネーブ国際音楽コンクールで 1位なしの 2位入賞。
日本の現代作品を積極的に紹介している。
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「そこまで春が」助川敏弥:作曲
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「だれか呼んでる どこからなの」」
助川敏弥:作曲
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「秋の谷川」」助川敏弥:作曲
☆「やさしいピアノ小曲集「ちいさな四季」から 「暮れる谷川 石がなる」」助川敏弥:作曲
☆「花の舞」助川敏弥:作曲
☆「松雪草」助川敏弥:作曲
☆「山水図」助川敏弥:作曲
☆「ピアノ・ソナタ ハ長調 K.330」モーツァルト:作曲
☆「厳格な変奏曲 ニ短調 作品54」メンデルスゾーン:作曲
☆「無言歌 第5巻から 「春の歌」 作品62第6」メンデルスゾーン:作曲、ラングレー:編曲
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深沢氏、31歳のとき、作曲家助川敏弥氏から、ピアノのタペストリーを弾いてくれないかといわれ、この作曲家から直にさまざま学ぶことになったという。「花の舞」、天から舞いおりてくるような精神的な美しい曲と深沢氏。息も継がせぬ連続の三連符、洗練された転調の雅さ! 「松雪草」は助川氏の単純な美の追求であるという。文章を書くにも学ばせられることが。そして1978年作曲「山水図」、深沢氏初演。この作品には唸ってしまった。私的には、けさ最も刺激的だった。円山応挙の日本画や日本の伝統楽器からこの作品の着想を得たらしい。和楽器といえば、琵琶、琴、尺八、三味線、尺八や祭礼に用いられる楽器一通りが浮かぶのだが、助川氏が影響を受けた応挙の作品がいったいどれであったのか。しばしWEBにある応挙の作品群に見入ってしまった。写生を重視し、「雪松図屏風」、眼鏡絵、足のない幽霊の絵などで有名であると。曲は空間に語らせるという響きがある。峻厳な谷を押し包む密な樹林の森閑とした静寂にすべり滴り落ちる水の音までが聴こえている。しばし日本画の世界の旅を味わった。
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名曲アルバム。歌劇アルルの女から「フェデリコの嘆き」チレーア作曲。【テノール】福井敬,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】北原幸男
⛳7時5分更新
高橋祐二 in NHK ~時代を超えて 音楽の輪を回す~
☆「あけがたにくる人よ」永瀬清子:作詞、高橋悠治:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「エレンの歌 第2番 「憩え猟師よ」」スコット:作詞、シューベルト:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「エレンの歌 第3番 「アヴェ・マリア」」スコット:作詞、シューベルト:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「民衆に訴える」シューベルト:作詞、高橋悠治:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「膀胱結石手術図」マレ:作曲、高橋悠治:編曲
(声)波多野睦美、(バリトンサックス)栃尾克樹、(ピアノ)高橋悠治
☆「網膜裂孔」高橋悠治:作曲
(声)波多野睦美、(バリトンサックス)栃尾克樹
☆「眠り」、フレッチャー:作詞、ガーニー:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「バッハと歩哨」ガーニー:作詞、高橋悠治:作曲
(歌)波多野睦美、(ピアノ)高橋悠治
☆「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第6番 二短調」バッハ:作曲
(ピアノ)高橋悠治
~2017年1月21日 NHK101スタジオ~
高橋悠治氏はいう。「音楽は社会と歴史の中で生まれ、絡み合う音の網が動きながら、言葉にならない内側の感情や感覚、まわりにある空間の感触の記憶を残して消えていきます。即興の遊びであり音の発見であり、残された記録を読み直すのが演奏で、そこからまた別な音楽がうまれるのかもしれない。」「さまざまな音楽が響き合って、いまの世界を映しています。音楽は記憶と希望を呼び覚ますこともある。音楽がある場所で、人はひとりでないことを感じます。」
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「あけがたにくる人よ」、これは農業をしながら詩をかいていた永瀬清子氏の81歳のときの詞。昔の恋と、家を逃げ出そうとした時の苦しい思い出を山バトの啼き声が響かせるのか。
「エレンの歌 第3番 「アヴェ・マリア」」、いったい誰の翻訳? と思ったところに、「高橋悠治」と字幕が。抒情を削ぎ落した、は言い過ぎかもしれないが、余分な感情のないピアノ、ベーゼンドルファーからサクサクと響く。
「膀胱結石手術図」マレ(1656~1728)作曲。タイトルに、ほんとうかな、どうも自分の手術体験らしい。当時は麻酔無しというから拷問のようなもの。1725年作曲家。マレはヴィオラ・ダ・ガンバ奏者でもある。詞もマレなのかどうかは分からないが、これに一体どんな詞が付されているのかというと
器具が見える/それを見て震える/手術台に上る/位置に着く/装置がおりてくる/深刻な想い/手足を絹で縛る/ここで切開/鉗子を入れる/ここで石を取り出す/声も出ない血が流れる/ここで絹をゆるめる/ここでベッドに運ばれる
ここから療養が始まり、曲調は軽やかに嬉しく響くのだが。この手術場面のリアルさ。それをこのまま栃尾克樹氏がバリトンサックスで表現しわけた。
「網膜裂孔」は高橋悠治氏の作曲。奏者の栃尾克樹氏の体験であるという。光が走る、浮遊物、飛蚊症、周辺視野欠損等など、その症状によって作曲され、弾き分けられているところが何とも! レーザーで血が固まっていく様子まで。
(もう7時となり、これが筆者のタイムリイット。あとはまたこのページに書き足すことに。)
「眠り」、これも高橋悠治氏の翻訳。
「移り行くただの影でも/わずかな喜びがあるように/長く悩んだすえに/空しい迷いから生まれた思い/この喜びがいくらかでもつづきますように」といった内容。
「バッハと歩哨」、高橋氏作曲。ガーニーが1916年10月戦場で闇の中に立って星を眺めながら昔聴いたバッハの演奏曲を思い出しながら作詞。高橋氏は、バッハの名前BACHのドイツ音名を前奏にして、この詞に作曲したという。その前奏曲は、どの曲かわからないらしい。ここでは平均律クラヴィア曲集第一巻第6番を演奏すると高橋氏。10月の星は詩人には気高く見えた、音楽に戻る日があったら、あのプレリュードに同じく感動するだろうかといった詩の内容。
そしてこの後に聴く「平均律クラーヴィア ニ短調」は、あたかも自分が歩哨になって、天空の下に夜空を見上げながら聴いているようなすばらしい心境になることができた。
すばらしい音楽家たちと、素晴らしい音楽企画、制作に感謝!
🎧名曲アルバム。「おぼろ月夜」岡野貞一作曲、高野辰之作詞、横山克編曲
⛳時間内にWEBそちこちを巡りすぎ、時間を食ってしまい一旦7時11分更新
⛳9時3分 再更新
プログラム、写真、高橋氏のはなしはすべて番組からです。
クラシック倶楽部打楽器 百花繚乱
☆「回鼓録 ― 独奏打楽器のための―(2013)」田口和行:作曲
(打楽器)會田 瑞樹
(3分15秒)
~CT101 2016年9月18日~
☆「ヴィブラフォン独奏のための三章から第3楽章(2013)」水野修孝:作曲
(ヴィブラフォン)會田 瑞樹
(4分00秒)
~CT101 2016年9月18日~
☆「ヒューマンビートボックス即興バトル」
(スネアドラム)會田 瑞樹
(5分40秒)
~下北沢ReG 2016年7月2日~
☆「光のヴァイブレーション ―ヴィブラフォンのための―(2016)」権代敦彦:作曲
(ヴィブラフォン)會田 瑞樹、(ダンサー・振付家)小尻 健太
(16分50秒)
~CT101 2016年9月18日~
☆「JAMTIC JAMTAC― 4人の打楽器奏者のための―(2016)〔NHK委嘱作品〕」小出稚子:作曲
(打楽器)會田 瑞樹、(打楽器)小林 孝彦、(打楽器)角銅 真実、(打楽器)齋藤 綾乃
(16分10秒)
~CT101 2016年9月19日~
☆「星めぐりの記憶(2014)」羽根玲夢:作曲
(ヴィブラフォン)會田 瑞樹
(4分10秒)
~CT101 2016年9月18日~
會田 瑞樹
打楽器奏者。1988年仙台市生まれ。幼少でバイオリン、12歳で打楽器。仙台フィルハーモニー管弦楽団打楽器奏者佐々木祥氏との出会いで本格的に打楽器の道へ。マリンバを星律
子氏に師事。有賀誠門、藤本隆文両氏にも師事。武蔵野音楽大学ヴィルトゥオーソ学科打楽器専攻卒業。同大学院修士課程修了。吉原すみれ、神谷百子各氏に師事。大学三年時、日本現代音楽協会主催第九回現代音楽演奏コンクール「競楽Ⅸ」において第2位入賞。
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會田氏の打楽器奏者としての評価は知られているが、この才能が新たな分野のモチベーションをあげる重要な役割もはたしている好例が「ヒューマンビートボックス即興バトル」。ともすれば何が何だか、単調とも奇怪とも受け取られがちなこの世界に彩りとアドリブ的なリズムを提供。この「ヒューマンビートボックス」、ごくひとつかみの片隅的活動かと思いきや、ウェブで見ると国際的な連携をもつ組織があり、アジア大会、世界大会にもつながっているらしく、ビートボクサーの熱い戦いが続行中なのだ。
「光のヴァイブレーション」、これが舞踏とのコラボ。2016年初演という新しさ。ヴィブラホン、「闇に浮遊する光の粒子」、これは奏者の感想であったか、まるで宇宙からでも眺めるような不思議な視覚的感覚が呼び起こされた。ダンサー小尻氏、闇から光への表現、最後にヴィブラホンに向かって會田氏の音の光そのものに同化していくかの後姿が印象的。
意表を憑かれるのはここまでかと思っていたところ、「JAMTIC JAMTAC」! 永遠の時を紡ぐガムランに魅かれた小出氏の深夜0時から、まさしくJAMTIC JAMTAC、時をありとあらゆる音で刻んでいくのだ。解説では、この楽曲を構成するリズムは「12」という数字に支配されている。「12」は天体や時間をつかさどる数字。人知を越えた神秘性を宿しているという。3~6時、これが4人のタップの響き。時をつかさどる4人の番人。常に時に追いつけ追い越せ、しかし追いつけず追い越せず、ときとして時に翻弄される筆者も瞬時なりとも時をつかさどって番人を気取ってみたいもの。7~9時の中にあった板(と見えたが)を木っ端で擦る音の表現には、ここまでか! と恐れ入った。
「星めぐりの記憶(2014)」、賢治がらみの曲。これを聴いていたときに、ちょうど窓外に雨音がしてきたのだが。會田氏のヴィブラホン、精妙なマレットの紡ぎだす安らぎは、渇いた土に雨がしみるごとくに心に。
🎧名曲アルバム。ショスタコーヴィッチ「革命交響曲」
成功後、ずっと先鋭的な作風は封印されたままであると。
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プログラムは番組HP、写真は番組映像から 時に追われながら7時17分更新
武満徹の映画音楽
(ギター)渡辺香津美、(アコーディオン)coba、(ギター)鈴木大介、(パーカッション)ヤヒロトモヒロ
~オーチャードホール~
☆「フォリオス から 第1曲」(ギター)鈴木大介
☆「不良少年」鈴木大介:編曲
☆「伊豆の踊子」渡辺香津美:編曲☆「どですかでん」coba:編曲
☆「日本の青春」coba:編曲
☆「太平洋ひとりぼっち」鈴木大介:編曲
☆「他人の顔」coba:編曲
☆「写楽」渡辺香津美:編曲
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鈴木氏によると2008年に武満徹の娘のマキさんの発案でこの顔ぶれが集められたらしい。このマキさんという方、林光の唯一のお弟子さんで、林氏がマキさんのためにピアノ教則本をかいているという、何か別次元の方々。Cobaがアコーディオンをカッコいい主役にして見せるといい、言葉通り実現。Cobaが初めて武満を知ったのは、本屋で立ち読みをしていたとき、武満の音楽が聴こえてきて、無垢な音色、天使のようなメロディーに思わず本を落としてしまったという。7曲のうち、「他人の顔」、パーカッションの聴かせどころもつくり、夜の都会のビルの底に流れるヘッドライトとテールランプ、人の喜怒哀楽の交錯といえば濁りが幾分濾過された感じもするが、都会の底、飲んだくれて笑い合ったり、捨て鉢な孤独があったり、もがいても先が見えてこない閉塞感にかたまったり、恐らくは何でもありの世界に声を殺した雄たけびの行き交い、すれ違いを連想させられた。「写楽」、映画を見たことはないが、ジャズテイスト。たしかに「写楽」の大胆なデフォルメにはそんな感覚もあるかなと。
🎧
名曲アルバム。ペール・ギュントから「朝」、グリーグ作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】矢崎彦太郎
山の重なりの奥に秀麗な滝の落下、すばらしい景観。
⛳毎回の写真は番組映像から 6時56分 更新
いつも日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージをおつたえしておりますが、先週は、主人の関係の所用、コンサートのために宮古市まで行ってきました。朝はやくに盛岡を出発。10時半すこし過ぎに宮古市着。主人は所用へ。私は宮古市在住のころにお世話になった教会、宮古コミュニティチャーチの礼拝に参加しました。
宮古コミュニティチャーチの岩塚和夫牧師は、東日本大震災のとき、キリスト教関係からの沿岸支援の拠点になった教会です。教会の窓からご遺体が搬送されるさまを目の当たりにしながら、被災の惨状の中を、教会に置き所がないほどに全国から届く支援物資の管理、救援、また日々到着するボランティアの受け入れ等に、琢子夫人、スタッフとともに不眠不休で働かれました。現在も被災された方々のためのカフェを定期的に開くなどして、支援を継続しておられます。
教団=単立
設立年=1977年
牧師=岩塚和夫牧師
教会員数=24名
(キリスト教年鑑2010年度データ)
住所=027-0077 岩手県宮古市舘合町2-5
山田線宮古駅より徒歩5分
筆者が宮古市在住のころに会員としていらっしゃったKさん、いま一人のKさんが椅子に座っておられるのを見たときには心が震えました。その日は「十字架のことばは神の力」と題し、聖書の第一コリント1-8からのおはなしでした。
第一コリント1-8
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
佐賀・鍋島藩の村田若狭守政矩(わかさのかみまさのり)のことが紹介されていました。
1854年イギリスの黒船が長崎港に来航。その時の長崎の警備の担当は佐賀藩の家老が若狭守政矩でした。まだイギリス人は上陸できなかったので、配下の古川に軍艦を訪問させます。古川は軍艦からの帰りに海に浮かぶ油紙に包まれた小さな書物を見つけ、拾い上げて政矩に届けます。外国語のようです。政矩が何とかこの本を読もうと、長崎奉行所属のオランダ通訳官に訊いたところ、英語訳聖書であることがわかりました。 政矩は、やっと上海から漢訳聖書を取り寄せてキリスト教の研究を始めます。政矩は独学で漢訳聖書を研究しますが、容易には理解できず、政矩は、1862年に長崎にいたプロテスタント宣教師フルベッキから聖書の教えを乞いました。こうして若狭守政矩は学び続けて12年後、1866年5月14日に、政矩は息子たちとフルベッキのもとを訪れ、「洗礼を受けたい」と申し出ます。フルベッキは驚き、洗礼を受ければ、地位も財産も失い、近親者にも過酷な迫害が及ぶと考え直すよう諭しましたが、政矩は、確信を翻すことなく、翌週5月20日ペンテコステの日に、弟の村田綾部と共にフルベッキの自宅で洗礼を受けました。明治維新より2年前のことだったそうです。覚悟のうえで政矩は洗礼を受けたのですが、そのあと処分は受けていません。藩主が政矩の人徳と能力を惜しんでの事だったようです。
⛳6時2分前 更新
JーMERO見逃し。気づいて6時。こんな日もある、そんな日もある。それより、きょうは甥の結婚式がある。こんな5月のすばらしい日に。
番組、見逃したものの、きょうは何だったかなと見れば、「in山形パート2」、見たかった。そういえば、山形には元気の出る音楽を作曲する木島由美子氏がいらっしゃる。音源がでてますので是非聴いてみていただければ。
自然は一年で最も輝かしい。きのう撮った写真をもう一枚。
⛳6時47分更新
円子正に関しての資料をあげましたが、円子正の自伝というものがなく、数少ない著書、当時の雑誌、新聞、戦後になってから随筆欄に載った後日談などから拾っているので、たとえば円子の経歴なども、新聞の掲載年代によっても若干違っており、それのどちらがほんとうなのかを傍証できるはっきりとした資料がない場合には、はっきりするまではどちらも並記するしかないと考えていますが……。後日談には事実の前後が入れかわっていたり、曖昧なまま載せられている場合があり、その考証には思いのほか多くの時間がかかります。しかし、前後がどうであれ、これを書き残さねばと書いてくださった方々には、いつも尊敬と感謝の念を新たにしています。
いまはどんな情報もネットで出て来ますが、それもほとんどなく、おいそれとは見えてこないものを掘り当てることに面白さを覚えています。
曽根 麻矢子チェンバロ・リサイタル
最後のクープラン以外はオールバッハ
~2016年7月1日 浜離宮朝日ホール~
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第1番 ハ長調 BWV870」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第3番 嬰ハ長調 BWV872」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第10番 ホ短調 BWV879」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第14番 嬰ヘ短調 BWV883」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第18番 嬰ト短調 BWV887」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第19番 イ長調 BWV888」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第23番 ロ長調 BWV892」
☆「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第24番 ロ短調 BWV893」
☆「ハープシコード曲集 第1巻から「波」」クープラン:作曲
曽根 麻矢子(wikipediaから抜粋)
5歳のときにピアノとバイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科(ピアノ科)在学中に、J.S.バッハを深く理解しようという動機で始めたチェンバロの魅力に取り憑かれ、高校卒業後に通奏低音奏者として活動を始めた。 1986年、ブルッヘ国際チェンバロコンクールに入賞する。その後、渡欧を繰り返す。1996年に出光音楽賞を、1997年飛騨古川音楽大賞奨励賞を受賞。また、2003年からの全12回、6年にわたるJ.S.バッハ連続演奏会(浜離宮朝日ホール)に続き、2010年から2014年まで全12回のF.クープランとラモーのチェンバロ作品全曲演奏会(上野学園エオリアンホール)を行い、いずれも好評を博した。2011年よりスタートした「チェンバロ・フェスティバルin東京」では芸術監督をつとめている。
もう一つ、番組で紹介してくれた2016年の活動があるはずだが、聞き落してしまった。あとで調べておきたい。きょうに限らずよくあること。
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すばらしい装飾をほどこしたチェンバロ、製作にはいったいどれぐらいの時間がかかったのか、いったい誰が? この絵のヒントはどこから得たのだろうなどと。しばし窓外の緑を眺めながら聴くと、そう光がつよくはない落ち着いた5月の緑のたたずまいを静かに震わせてくれる。静かな時間に溶け込んでいる静かなものたちを味わいながらゆったりと流れる。「平均律クラヴィーア曲集 第2巻から第24番 ロ短調 BWV893」の躍動感で別な次元の時間に躍り出た。クープランの「波」、水がくわっ、くわっとほんとうに湧きでている。チェンバロでこんな表現ができるのだ!
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名曲アルバム。リスト作曲「エステ荘の噴水」
(ピアノ)小川典子
~イタリア・ティヴォリ~
この番組ではつい映像に魅かれてどうも肝心の演奏はBG的になる傾向が。はっと気づかされた小川氏奏する水の音は!
⛳6時55分更新
夕べ、舟越の作品からさまざまな人生の帰結が脳裏を過っていたが、モノクロだったそれがいきなり反転し、キリストの復活の光が心に穏やかに注がれていた。あくまでもこれは感覚上のこと、けれども、暗から陽に気分が反転したのは事実。忘れないうちに書き留めている。
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リナ・トゥール・ボネ&ムジカ・アルケミカ演奏会
ビーバー作曲の「ロザリオのソナタ」からの抜粋
(バロック・バイオリン)リナ・トゥール・ボネ、(テオルボ)トーマス・ボイゼン、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)パトヒ・モンテーロ、(ハープ)西山まりえ、(オルガン)ユージン・ミケランジェリ、(チェンバロ)アンヌ・マリー・ドラゴジッツ
~2018年4月9日 武蔵野市民文化会館 小ホール~
リナ・トゥール・ボネ
音楽愛好で知られた17世紀ザルツブルク大司教のため、15通りの異なる調弦で、イエスの生涯にまつわる15の場面を描き出した異色の超絶技巧曲集を、ボネートは実にあざやか、説得力あふれる演奏解釈で「いま」に甦らせてゆきます。
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つい、20分過ぎてからの視聴となってしまった。ちょうどリナ・トゥール・ボネが、キリストの血が滴るさまの演奏部分を語っていた。
全体絹手触りの音色、しかし、ドラマティック、一連のキリストへの想いが、秘めているがゆえに一層切々と壮絶に、楽器の持つ典雅な風合いを曳きながら弾きだしていく。
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名曲アルバム。グリーグのペールギュントから「朝」
ノルウェー、ベルゲンのすばらしい景観。ベルゲン近郊にあるグリーグの家「トロルハウゲン」。
⛳7時1分前更新
4月27日に宮古市から友だちが来たときに、久しぶりに岩手県立美術館を訪れた。もう1年以上も来ていないなと思いながら、タータンチェック展に。友だちが着けていた帽子がタータンチェック柄であったので、記念にボールペンをいただいていた。ひと回りして、舟越をぜひ見て行きたいという彼女につきあい二階へ。
以前は、「聖クララ」、「聖セシリア」といった一連の女性像の美しさに感動したものだった。それがその時、私が真っ先に足を運び像の前にしばらく立ち尽くして共感しながめたのは、「原の城」や「病醜のダミアン」、「ゴルゴダ」だった。「原の城」の空洞の眼は、何も見ていないかのようでいながら、ことごとくを見、すべてを見抜いている。この世の不条理、この世の悲惨、人の世の苛酷な定めを。永遠に空洞を見開き、永遠にそれを訴え続けている。「ゴルゴダ」、殉教の道にひたすらに従い踏みゆくもののたどり着いた姿、それが美しかろうはずはないのだ。理不尽、悲哀、懊悩、人間の持つ、人間から加えられる残酷さ、非道さ、凄惨さ、それらのことごとくを味わいつくしたものの表情は、醜くゆがみ、見る影もなく、美しかろうはずがないのだ。これらの作品は人間の苦悩と真理を語っている、そんなふうに思った。
「病醜のダミアン」
「原の城」
「ゴルゴダ」
クリスティアン・ベザイデンホウト フォルテ・ピアノリサイタル
オールモーツァルト
~2018年3月19日 東京文化会館小ホール~
☆「ピアノ・ソナタ ヘ長調 K.332」
☆「ピアノ・ソナタ 変ロ長調 K.281 から 第2楽章、第3楽章」
☆「ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457」
クリスティアン・ベザイデンホウト
1979年、南アフリカ生まれ。イーストマン音楽院を最優秀の成績で卒業し、チェンバロ、フォルテピアノ、通奏低音を学びつつ、欧米各地でバロック・オペラ公演の通奏低音奏者として経験を積む。21歳でブルージュ国際古楽コンクール(2001年)の第1位と聴衆賞を獲得、今日では世界の主要アンサンブルから頻繁に招かれており、ブリュッヘン、ホグウッド、ケラス、ムローヴァなど著名アーティストとの共演や音楽祭への出演も多数。09年からハルモニアムンディと長期的な録音プロジェクトを継続中。
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モダン、チェンバロ、フォルテに関してボツボツと聴き逃し、王子ホールの頁を開いてみたが、
「チェンバロがアーティキュレーションやアゴーギクやニュアンスをいかに大切にしているかを知ったことは、大きな衝撃でした――スタインウェイに代表されるモダンピアノには音色やダイナミクスという面で大きな可能性がありますが、表現力豊かなチェンバロ演奏に不可決なアーティキュレーションへの飽くなきこだわりのようなものは見られません。その反対に、継続してスタインウェイを弾いてきたことでリリカルで心を揺さぶる演奏を志すにあたっての基礎ができましたし、こういったことすべてがフォルテピアノの演奏でも役立っているのです。フォルテピアノというと、チェンバロの後継者という歴史的な位置づけのことばかりが頭にある人が多く、音色の変化、トーンやテクスチュアの多彩さといった無限の可能性がまだまだ認知されていないような気がします。」とあった。
番組では、ベザイデンホウト、フォルテピアノはチェンバロとモダンの間にあって、上品さ、きめこまやかさ、歌うような抒情性があると語っていたが、私がこれに気づかされたのは、ここのところのクラッシク倶楽部のフォルテピアノ演奏のお蔭。それまでは、フォルテピアノを聴きもせずに未開の楽器としか区分していなかった。
ベザイデンホウトが、モーツァルトの音の説明に歌舞伎の見得を引いたことで、一音一音をまたモーツァルトの才能に驚きをもって新鮮に聴くことができた。あまり賛辞を呈すると、逆に価値を貶めるのではないかと恐れもするのだが、このような音楽家たちの感性にはやはり見得を切られたときような注意、意識を喚起されること度々。
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名曲アルバム。「シチリアーナ」フォーレ作曲
東京フィルハーモニー交響楽団。沼尻竜典・指揮
バッハ、ヘンデルもシチリアーナの名曲をのこしているようだ。
⛳7時3分更新
トン・コープマン オルガン・リサイタル
~2018年7月13日 ミューザ川崎シンフォニーホールにて収録~
トン・コープマン
オランダのズヴォレ生まれ。アムステルダムでクラシック音楽の教育を受け、音楽学のほか、オルガンとチェンバロを学び、両楽器については優秀賞を授与された。古楽器に魅了され、文献学的な奏法に興味を持った彼は、バッハを中心にバロック音楽を専門に研究するようになり、やがて『真正な演奏』の第一人者と呼ばれるようになった。
1979年、彼が25歳のときにアムステルダム・バロック管弦楽団を設立。その後1992年には、アムステルダム・バロック合唱団を併設した。アムステルダム・バロック管弦楽団・合唱団は、すぐにもっとも優れた古楽アンサンブルのひとつとして世界的名声を獲得する。コープマンの意欲的な活動の中でもバッハのカンタータ全集の録音は、壮大なプロジェクトとしてドイツ・シャルプラッテン・ベルリンのエコー・クラシック賞や、BBC音楽賞、エクトル・ベルリオーズ賞などを受賞。また、グラミー賞やグラモフォン賞にノミネートされた。コープマンは、バッハ作品に加え、バッハの先達であるディートリヒ・ブクステフーデの研究も長年続けており、バッハ・プロジェクトを完結させた2005年には、ブクステフーデのオペラ『オムニア』の録音に取りかかった。このシリーズは30枚のCDで構成され、最終巻は2014年にリリースされている。国際ディートリヒ・ブクステフーデ協会の会長を務めており、2006年にはライプツィヒ市のバッハ賞、2012年にはリューベック市のブクステフーデ賞、さらに2014年には英国王立音楽院よりバッハ賞を受賞している。
現在は、ライデン大学の教授、英国王立音楽院の名誉会員、オランダのバロック音楽祭"Itineraire Baroque"の芸術監督を務めている。 (AMATIにあるプロフィールの抜粋)
☆「フーガ ト短調 BWV578」バッハ:作曲
☆「前奏曲 二長調 BuxWV139」ブクステフーデ:作曲
☆「わが愛する神に BuxWV179」ブクステフーデ:作曲
☆「フーガ ハ長調 BuxWV174」ブクステフーデ:作曲
☆「前奏曲 変ホ長調 BWV552」バッハ:作曲
☆「「オルガン小曲集」から“おお人よ 汝の罪の大いなるを嘆け”BWV622」
バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から “永遠の父なる神よ”BWV669」バッハ:作曲☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から “世の人すべての慰めなるキリスト” V670」バッハ:作曲
☆「「クラヴィーア練習曲集第3部」から “聖霊なる神よ”BWV671」バッハ:作曲
☆「フーガ 変ホ長調 BWV552」バッハ:作曲
☆「アンコール 「オルガン小曲集」から “主イエス・キリスト われ汝を呼ぶ” WV639」
バッハ:作曲
☆「アンコール ソナタ ト長調」スカルラッティ:作曲
☆「アンコール 「ヴォランタリー」から」スタンリー:作曲
🎵
トン・コープマン、最初の曲バッハ「フーガ ト短調」からにして、もう四方に、総身に、宇宙に全地に鳴り響きわたるという感じ。バッハがのこした250ものオルガン独奏曲のうちもっとも人気が高いとの解説。それにしても、いまの前衛といわれる曲に勝って新しく眩しく聴こえるところがコープマンのすごいところ。ブクステフーデ、コープマンが特に紹介したかった作曲i家であるようだ。即興性。自由な鍵盤奏法。彼は特別な劇場を必要とはせず、教会を劇場としての演奏だったよう。彼の「フーガ ハ長調」には若々しさ、みずみずしさが溢れ、もう私は楽しくて楽しくて仕方がないが君はどうだ、そうか君もか、うんうん、そう、そうなんだよ、と笑いながら作曲、演奏しているかに聴こえるのだ。スカルラッティの軽やかさ明るさとは違った、内的な喜びがあふれだしてくるという感じが。
コープマンは言う。バッハは感情と理性のバランスがとれている。和音ひとつでも感動させられる作曲家。ミケランジェロやダ・ヴィンチに並ぶ芸術家であると。「聖霊なる神よ」、果たしてバッハは聖霊なる神を自身のうちにどのように認識していたのだろうかという興味で耳を澄ませる。内奥から語りかけてくる存在、スピルチャルな諭しをささやきかける存在のように。「フーガ 変ホ長調」、たとえば2拍子は神を表すといったように、バッハの音楽の拍子は、ただ単に音刻みというだけではないようだ。それぞれの存在、事物に用いられている拍子というものがあるらしい。
名曲アルバム。「革命交響曲」ショスタコーヴィッチ作曲
【指揮】高関健,【管弦楽】NHK交響楽団
当初、体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家というイメージで語られていたが、『ショスタコーヴィチの証言』[1]が出版されて以後、ショスタコーヴィチには皮肉や反体制、「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」というイメージも加わった。(wikipediaから)
ショスタコーヴィッチ:サンクトペテルブルク生まれ
血の上の救世主教会
⛳というわけで、クラシック倶楽部はおもしろい 6時59分更新
ロナルド・ブラウティハム フォルテピアノ・リサイタル
~トッパンホール~
ロナルド・ブラウティハム
「キング・オブ・ザ・フォルテピアノ」(タイムズ紙)と評される、オランダを代表する演奏家。技巧と音楽性だけでなく音楽的興味の広さが特徴。アムステルダムとロンドンで勉強し、アメリカでルドルフ・ゼルキンに師事。1984年、オランダで最高の音楽賞であるオランダ・ミュージック・プライズを受賞。フォルテピアノ演奏に情熱を傾けるようになる。フォルテピアノの録音で数々の受賞。03年から5年かけて3台のフォルテピアノを作品に応じて弾き分けたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(BIS SA2000/9枚組)が、15年ドイツ・レコード批評家賞とエディソン賞をダブル受賞した。
☆「ピアノ・ソナタ ト長調 K283」モーツァルト:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴(ひそう)」」ベートーベン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31第2」ベートーベン:作曲
☆「エリーゼのために」ベートーベン:作曲
🎵ロナルド・ブラウティハム語るに、モダンピアノを用いての演奏がどこか自分にそぐわないという思いを持っていたところ、ポール・マクナルティとの出会いによってフォルテピアノに出あう。モダンピアノでは主に腕と肩を使うが、フォルテピアノでは指の強さやアタッチの強さにより、音は切れよく、すこし速く、刺激的に弾ける。フォルテピアノは、刺激的で若々しく愛らしい。弾いているとモーツァルトに近づいたようなモーツァルトになったような気になるのだという。
彼の言うポール・マクナルティをちょっと検索してみると、
2018年の【5月6日 AFP】から:日当たりの良い古い家に「マシン・ファクトリー(Machine Factory、機械工場)」と書かれた看板が掲げられている。しかし今、この工房が手掛けているのは手仕事だ。ここでは、天才的な音楽家たちが弾いたこともある初期のピアノ「フォルテピアノ」のレプリカが製造されている。これがマクナルティの工房だ。
チェコの首都プラハの約40キロ南東にある村ディビショフ(Divisov)にある工房からは1998年以降、200台におよぶフォルテピアノのレプリカが送り出されている。オーストリアの作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)やヨーゼフ・ハイドン(Joseph Haydn)、ポーランド系フランス人の作曲家フレデリック・ショパン(Frederic Chopin)らによって弾かれたことがあるピアノだ。マクナルティ氏は当初ギターを学んでいたが、ピアノの調律師に移行し、さらに工房でフォルテピアノ職人としてのキャリアを歩み始めた。年間10~15台のピアノを製造する同氏は、800~6000時間かけて1台を仕上げる。ピアノの値段は、3万ユーロ(約400万円)からで永久保証が付いている。
TOWER RECORDS:マクナルティ製作の楽器を使用して演奏・録音していることについてブラウティハムは「マクナルティは古い楽器を研究して、それを新しく作り出してくれるという点だけでなく、彼の製作したレプリカを演奏していると、演奏解釈の面でもなんか新しいインスピレーションを得ることができる」と語っている。
やはり使用楽器によっても演奏家は何らかの拘束感、不具合とは言いすぎかもしれないが、どこか合わない仕立ての服を着ているそれを脱ぎ捨てて、その演奏家の個性に合った楽器によって、より一層モチベーションの高い演奏を、その演奏家にとって解き放たれた、演奏上の自由を手に入れられるものなのだろう。
🎧
名曲アルバム。「おぼろ月夜」岡野貞一・作曲、高野辰之・作詞、横山克・編曲
【歌】槇原敬之,【合唱】東京少年少女合唱隊,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】角田鋼亮
高野33歳のときに逝った高野の母。日記に親不孝を詫びる
wikipediaから
高野辰之(1876~1947)
長野県下水内郡豊田村(現中野市永江)の豪農出身。国文学者としては、「国文学史」教科書、「近松門左衛門全集」、『日本歌謡史』、浄瑠璃史、日本演劇史などの業績がある。日本学士院賞受賞。
1899年 - 上京。東京帝国大学で上田萬年に師事、国文学を学ぶ。1910年 - 東京音楽学校教授。1936年 - 東京音楽学校を定年退職。
作詞:「ふるさと」、「故郷」、「朧月夜」「もみじ」、「春がきた」、「春の小川」、「日の丸の旗」、「人形を迎える歌」(作曲:東京音楽学校)、「人形を送る歌」(作曲:島崎赤太郎)
⛳写真はすべて番組から 6時52分更新
さて、けさの庭のようすはと、先ずはひと回り。咲き終えたチューリップがさいごの花びら一枚を辛うじて先っぽに留めていたり、砂利の隙間にルピナスの小指ほどの芽が出ていたり、スギナのあいだに紫のオダマキが咲いていたりと書けばきりもなくたくさんのドラマ。一つひとつにありがとう、ありがとう。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
当教会の國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
『石を取りのけなさい』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証ヨハネ伝11:17~44
11:17イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。 11:18ベタニヤはエルサレムに近く、十五スタデイオン(三千メートル)ほど離れたところにあった。 11:19マルタとマリヤのところには、兄弟のことで慰めようと、大勢のユダヤ人が来ていた。 11:20マルタは、イエスが来られたと聞いて出迎えに行った。マリヤは家で座っていた。 11:21マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。 11:22しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」 11:23イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」 11:24マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」 11:25イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。 11:26また、生きていてわたしを信じる者は、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」 11:27彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」 11:28マルタはこう言ってから、帰って行って、姉妹マリヤを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」 11:29マリヤはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行った。11:30イエスは、まだ村にはいらず、マルタが出迎えた場所におられた。 11:31マリヤとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。 11:32マリヤは、イエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」 11:33イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、 11:34「彼をどこに置きましたか。」と言われた。彼らはイエスに「主よ。来てご覧ください。」と言った。 11:35イエスは涙を流された。 11:36ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」 11:37しかし、彼らのうちのある者たちは「見えない人の目をあけたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか。」と言った。11:38イエスは、再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。 11:39イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっています。四日になりますから。」 11:40イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」 11:41そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。 11:42あなたがいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、回りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」 11:43そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」 11:44すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
前回のイエス様の復活を念頭に置きながら、今回はラザロのよみがえりについてお話しいたします。『その石をとりのぞきなさい』。これがきょうのメッセージの中心です。
先ずキリストの復活について記されているお言葉を、これから幾つか開いていきます。
使徒2:24
しかし神はイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
使徒2:32
このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
使徒13:33
神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。』と書かれているとおりです。
使徒13:34
そして、神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方と
されたことについては、こう言っておられました。『わたしはダビデへの確かで真実な約束を、あなたがたに与える。』
ローマ4:24
私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
ローマ8:11
イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
ローマ10:9
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ガラテヤ1:1
人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと
エペソ1:20
この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
コロサイ2:12
バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。
ペテロ第一1:21
あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
これでもか、これでもかというように、イエス様の復活が誰によってなされたかが記されています。キリストの復活は誰のわざであるのか。 キリストは復活したという表現と、キリストは復活させられたというのとは微妙に違います。今まで縷々見てきたのは、キリストは神によってよみがえらせられた。キリストの復活は父なる神による。神がキリストを復活させたという言い方の方が正確であるのです。私たちの復活と、キリストの復活は、ともに神の力なのです。キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられたのは神です。キリストは神の大能の力によって甦らされた、という受け身がいつでも使われていることを、しっかりと心に留めておくべきです。
イエスは死からよみがえった。これは正しいことです。しかし、この聖書がほんとうにいっていることは何かというと、イエスは死人の中からおこされた。受身形なのです。神はイエスをよみがえらせた。このいわんとしているところは、おわかりいただけると思います。つまりイエス様は、父なる神様がご自分をよみがえらせてくださると完全に信頼されたから、十字架の死へと向かわれた。そして、イエス様は復活を通して、その正しさを証しさせられた、という事ができます。イエス様が神だったから復活できたという理解ではなく、もちろんこれはイエス様が神であることを否定しているのではありません。ただ言わんとしていることは、イエス様が神だから復活されたというのではなく、イエス様は、人としてこの世に来られて、そして、自分を死からよみがえらせる力を持っている父なる神様を信じて、その信仰によってイエス様は復活してくださった。神はその大能によって、力をキリストの内に働かせる。だからこそ、初穂となってくださった。私たちと同じ人間として、神様を100%、あなたは何でもお出来になる方なのだという事を信じてイエス様が復活された、同じように私たちもこの神様を信じることによって復活できる。これを下敷きとすれば、もうラザロのところに多くの時間を費やす必要はないかと思います。
ヨハネ11:38
イエスは、再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。
「憤る」。イエス様が憤った例は、神殿が商売の場所とされていたときでした。イエス様は憤って机をひっくり返しています。いつも柔和でいらっしゃるお方が、ほんとうにお怒りになる。神様の家をあなたの利得と欲望のために使うとは何事か!神の家を利用しているというそのことに対するイエス様の激しい憤りを私たちは知っています。この時も同じ憤りです。この憤りは、日本語の意味では到底当てはまらないほどの憤りで、ギリシャ語では激怒というほどのものです。死んでもう4日も経っている、臭くなっているじゃないかという不信仰に対しての怒りとも理解することができます。或いは、人間が神に背いた結果の死という、いやはての敵である死というものが、かくも残酷なもの、人間を悲しみのどん底にまで追いやってしまうという、死というものに対するイエス様の怒りです。イエス様はラザロをほんとうに愛しておられる、けれども、亡くなってしまったラザロ。死というものの何という残酷なものであるのかという悲劇。これに対してイエス様は本当に憤っておられる。
私たちは神の大能を信じ知っていながら、しかし、ほんとうにそれを信じ切ることができない不信仰、それに対してイエス様はほんとうに憤りを持たれるのです。どうして信じることができないのか。イエス様は不信仰に対して、ほんとうに悲しみ、あの両替商への憤りはわかるのですが、神を信じ切ることができない者に対して、イエス様は憤られる。「もし信じるなら神の栄光を見るといったではないか」。聖書の中には、何度もなんどもイエス様の復活の場面が書かれてある。神は必ず死者の中からよみがえらせてくださるお方であると信じることができます。その通りに神様はイエス様を復活させてくださった。そして信じる私たちをも復活させてくださいます。
私は、きょうのお話を締めくくりますときに、自分自身の整理のために、絵を描いてみました。(絵は割愛しました)ここに書きました一つの石、この石は不信仰かもしれない、或いは障害物と見ていいでしょう。これは非常に大きい。しかし私たちは、てこの原理を知っています。キリストの復活、全能の神様が、死者の中からよみがえらせてくださるという事実、どんな重いものがかかっても、この支点はつぶれない。そして、もう一つ、ここに差し込まれる棒は、神の言葉以外にはない。偽りのない神様のおことばが、ここに、しっかり差し込まれて、そして、キリストの復活というこの大いなる事実を支点にして、ここに私たちの信仰を働かせる。到底動かすことができないような大きな岩が、私たちの信仰が小さくあったとしても、これは、てこの原理はすごいものです。この石をまろばし去ってくれる。「もし信じるなら神の栄光を見る」。 きょうのメッセージは、私たち、ああダメだーと思うような現状を認めても、この神の言葉とキリストの復活という確かな事実に神の言葉を差し込んで私たちの信仰はたとえ小さくあったとしても、聖霊の励ましによって助けられるならば、必ずそれは取り除けられるものなのです。 私たちの信仰は神にかかっています。
⛳6時15分 更新
J-MERO
きょうは山形県を紹介しながら、音楽のあれこれにつなげるという趣向。山形は人口に対するラーメン屋の軒数が日本一多いそうな、と書きながら、あららら、ほんとうは何を書きたいんだっけ……と。そう南陽市のラーメン大使がTiina Kariinaだそうで、東日本大震災以降2014年から東北で活躍。親子三代で聴ける昭和歌謡を歌っている。これがいちばん会場が一体になるんだとか。松田聖子の「赤いスイートピー」、テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」などなどのリクエスト曲があげられていた。山形在住の外国人8人があげていたのは、やはり宇多田、テレサ・テン、それにアニメ声優、アニソン歌手水樹奈々、嵐、長渕剛だったかな。日本語の学びに役立っていると。タンザニアの方は宇多田ヒカルの「Forevermore」。
SKE48の山形案内、ここからは年代格差を感じもしたのだが、最上川舟くだりの紹介で、「MogamigawaFunakudari」をいまは3か国語、English、French、Chineseでサービスしているとか、おもしろく聴いた。
⛳6時38分 更新
アレッサンドロ・カルボナーレ クラリネット・リサイタル
(ピアノ)黒田亜樹
~2017年7月26日ハクジュホール~
☆「クラリネット小協奏曲 ハ短調 作品26」ウェーバー:作曲
☆「クラリネットのための第1狂詩曲」ドビュッシー:作曲
☆「ルーマニア民俗舞曲」バルトーク:作曲、セーケイ、ベルケス:編曲
☆「歌劇「リゴレット」の旋律による演奏会用幻想曲」ヴェルディ:作曲、バッシ:編曲
☆「ガーシュウィン!!」ガーシュウィン:作曲、カルボナーレ:編曲
☆「ショレム・アレイヘム ロヴ・ファイドマン!」コヴァーチ:作曲
🎵
経歴云々より、とにかく素晴らしかった、楽しかった。黒田氏のピアノも楽しく、名コンビ。観客席に空きがあったのは意外だったが、観客席まで下り、膝をかき分け入り込み空席に座りして演奏というサービス。極限まで観客に楽しんでもらうことに徹し、またその喜びに、演奏にへとへとになりながらも、満足を味わっているアレッサンドロ。クラリネット、どうしようかな、けさは聴くのをやすんどこうかとちょっと過ったのだが、聴いてよかった、観てたのしかった!
最初の2曲は含蓄ある演奏。「ルーマニア民俗舞曲」、第一曲棒踊り、第二曲腰帯踊り、第三曲足踏み踊り、第四曲ホーンパイプ踊り、第五曲ルーマニアの踊り、第六曲速い踊り。最後に奏者が片足で床を踏み鳴らしたが、これもアドリリブ。「歌劇「リゴレット」の旋律による演奏会用幻想曲」、名曲。「ガーシュウィン!!」、これぞガーシュイン賛歌。惜しまず演奏とアドリブ、パーフォーマンスを出し尽くしてくれた。アレッサンドロいう通り、世界をめぐるようなプログラム、そして先にいくにつれて面白くなる。「わたしはおもしろいことをします」と日本語で。まさしく。「ショレム・アレイヘム ロヴ・ファイドマン!」、テロップを見逃したが、ヘブライの感覚かと。あとでたしかめ、また聴いてみよう。哀愁のある、これもまた沁みるよい曲。
🎵
名曲アルバム。「バイオリン協奏曲」シベリウス
【バイオリン】加藤知子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】現田茂夫
⛳きょうは墓参りなどがありその準備も、で急げや急げ! 6時38分更新
はなしがクラシック倶楽部から離れるが、この前番組を毎日10分程度見ているのだが、最後の曲が「Dead Or Alive」、死ぬか生きるか。はて死んだように生きるのか生きているように生きるのか、と勝手に引き寄せて一瞬考えてしまったが、時間の配分からこれ以上は……。
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けさのクラシック倶楽部は、
ブラス・ユナイテッド 演奏会
(金管五重奏)ブラス・ユナイテッド、打楽器クン・プラーティンク
~2017年3月7日 東京文化会館小ホール~
☆「スペイン組曲から 「アストゥーリアス」「カタルーニャ」「セビリャーナス」」
アルベニス:作曲、ラベリ:編曲
☆「新しい歌」、クミラン:作曲
☆「ピッチ・ブラック」ヤコブTV:作曲、フェルヘルスト:編曲
☆「プルチネッラ組曲2.0から」、ガッロ/モンツァ/ペルゴレージ:作曲、フェルヘルスト:編曲
☆「スクエア・ダンス」高嶋圭子:作曲
ブラス・ユナイテット
ヨーロッパの一流オケ等で活躍する金管楽器のトップ・プレイヤーが集い、2015年に結成したばかりの金管五重奏団。メンバーは、ロイヤル・コンセルトヘボウ管のヨルゲン・ファン・ライエンをはじめ、フランス国立放送フィルのアレクサンドル・バティ、元ロイヤル・コンセルトヘボウ管のヴィム・ファン・ハッセルト、ヨーロッパ室内管のヤスパー・デ・ワール、そしてパリ管のステファン・ラベリといった超豪華メンバー。
ヴィム・ファン・ハッセルト(トランペット)
アレクサンドル・バティ(トランペット)
ヤスパー・デ・ワール(ホルン)
ヨルゲン・ファン・ライエン(トロンボーン)
ステファン・ラベリ(テューバ)
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金管は嫌いではないが、曲によっては忍耐も必要と思っていたが、この5重奏団に忍耐は要らない。スペイン組曲の「アストゥーリアス」の冒頭から、ほわっとやわらかくあたたかい空気感。これはとにかく聴かなくちゃ、と。演奏のグレードの高さ、内蔵されている芸術性、人間の魅力が流出、湧出。「新しい歌」、詩篇の〈あたらしい歌を主に向かってうたえ〉、敬虔で静謐な祈りがこもる。
『ピッチ・ブラック』、ググった先にちょっと出ていたが、それを
「2017年の初来日にも合わせてリリースされる「ピッチ・ブラック」は、様々なバロック音楽を素材とした『プルチネッラ組曲』から、アルベニスやバルトークのトランスクリプション、チェット・ベイカーの声や演奏のテープに合わせて金管五重奏が演奏する、ヤコブTVの『ピッチ・ブラック』など、ブラス・ユナイテッドのために作曲・編曲された色とりどりの金管五重奏のための作品集。」
このうち、今回の演奏はチェット・ベイカーの声や演奏のテープに合わせて演奏する、ヤコブTVの『ピッチ・ブラック』。これが異色。テープの内容を簡略にいえば、「わたしは1960年に投獄された。真っ暗闇。目が慣れてきて辺りを見ると、40人のトランペット奏者がいた。生き残ろうと努めた。そして乗り越えた。ここはどこより自由だと。人々はあまり気にしない。永遠に1年中、24時間パーティーが続くみたいだ。ドラム抜きの方がよりクールだ。」このあたりから単調なリズムの繰り返しとなる。この語りの意外性に演奏が遠のいた感じでもあった。「プルチネッラ組曲2.0から」、華麗さあり、楽器がうたい、物語る。「スクエア・ダンス」高嶋圭子氏の作曲。
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名曲アルバム。歌劇アルルの女から「フェデリコの嘆き」チレーア作曲
【テノール】福井敬,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】北原幸男
⛳おしんが始まっている。 7時16分更新
6日に、赤レンガ館で、盛岡バッハ・カンタータ・フェラインのレクチャコンサート「マタイへの旅」があった。第一回は多忙のために聴き逃したが、2回目には何とか。筆者は所用のため開演の2時ぎりぎり、今回も滑り込みセーフ。主人と息子が先に並んで私の席を確保してくれていたのだが、立ち見の方々も多く、着席に当たっては何とも申し訳ない事となった。
解説を交えての「マタイ受難曲」の抜粋演奏なのだが、実は、このような本格的なものとは思いもよらなかった。ソリストも本番さながら、合唱もこれだけの人員とは予想外の想定外。聖書そのままの歌詞。イスラム教とキリスト教の争いが絶えないところに、キリスト教って何? を学ぶにも絶好のチャンスかと思う。主人も来てよかったと。このレクチャー、たしか5回まであるのだとか。全曲演奏会は1年後、2020年5月6日、岩手県民会館大ホール。東京在住の息子、「このクオリティなら帰省して聴きたいな」。これで年間の帰省が一回増えることとなる。
この最後の頁に「合唱出演者募集」の案内に慨嘆するのが筆者、「このクオリティではとてもついてはいけないな」。
ワルター・アウアー フルート・リサイタル
(ピアノ)沢木良子
~2016年5月28日 東京文化会館小ホール~
☆「フルートを吹く人たち 作品27」ルーセル:作曲
☆「幻想曲 ハ長調 作品79」フォーレ:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18」R.シュトラウス:作曲
☆「音楽に 作品88第4」シューベルト:作曲
ワルター・アウアー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席フルート奏者。1971年、オーストリアのケルンテン州フィラッハ生まれ。ドレスデン・フィルハーモニー管、ハノーファー北ドイツ放送フィルの首席奏者を経て、2003年ウィーン・フィル/ウィーン国立歌劇場管の首席奏者に就任。ミュンヘン国際コンクール(ARD)をはじめ、レオーベン、クレモナ、ボンなど多数の国際コンクールで入賞。近年、自らのアンサンブル「ウィーン・クリムト・アンサンブル」を結成。世界各地でマスタークラスを開催。現代作品の初演を手掛ける。
沢木良子
桐朋女子高等音楽学校音楽科卒業、同年渡仏。パリ国立高等音楽院ピアノ科を最優秀で、室内楽科を満場一致の最優秀で卒業。同時にエクリチュール科に於いて高等ディプロム取得。1989年、1994年PTNAピアノコンペティション金賞受賞。1999年Forum de Normandie室内楽コンクールにて3位入賞、2002年ブルガリア・アルベール・ルーセル国際コンクール3位入賞。同年講習会先のイスラエルにて最優秀ロマン派演奏賞受賞。桐朋学園大学音楽学部非常勤講師。
🎵
演奏のストレスなどを乗り切るために、健康には留意しているというワルター。自転車に乗ったり、ウィーン・マラソンなど大会にも参加しているらしい。技術やインターネットが発達した今だからこそ音楽が大切というのには同感。今回の演奏、奏者自身が何らかの弾きにくさを感じていたのではないか。「フルートを吹く人たち」、よく作曲家や詩人に曲が献呈されることは聞くが、奏者、それも複数の奏者に捧げられているという点がおもしろい。ワルター自身が今回の聴きどころという「バイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18」、バイオリン曲をフルートで。この曲の世界が1ランク精霊の世界に引き上げられたかのよう。美しかった。「音楽に 作品88第4」、当地にもリサイタルの最後に必ずこの曲を歌われる方が。亡くなられたが、聴くたびに思い出す。音楽家としての心こもる演奏。
🎧
名曲アルバム。「スコットランド交響曲」メンデルスゾーン作曲
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦
メンデルスゾーンがエジンバラを訪れたのは20歳。女王メリー・ステュアート以上に、王の嫉妬から殺害された秘書リッチオこそ悲劇。
⛳7時1,2分前の更新
ブラック・ダイク・バンド演奏会
(指揮)ニコラス・チャイルズ
~NHKホール~
☆「クイーンズべリー」、ケイ:作曲☆「歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲」、グリンカ:作曲、ハーグレイヴェス:編曲
☆「ミス・ブルー・ボネット」、サイモン:作曲、スミス:編曲
☆「ミッション・インポッシブル」、シフリン:作曲、ファーニー:編曲
☆「ソウル・ボサノヴァ」、ジョーンズ:作曲、ダンカン:編曲
☆「アイ ウィル フォロー ヒム」、ゥルセル・モーリア:作曲、リチャーズ:編曲
☆「トライアンフ・オブ・タイム」、グレイアム:作曲
☆「組曲「山の王」作品37から第4曲「羊飼いの娘の踊り」」、アルヴェーン:作曲、リュードランド:編曲
☆「イモータル」、クーパー:作曲
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指揮、監督のニコラス・チャイルズが言うに、何れ1855年創設という歴史のある全英一の金管バンドだ。みなアマチュアで、仕事を持つ傍らでの演奏活動というにはびっくり。
ビートルズとの関係は、聴き落しもあることを恐れwikipediaから転載で、1968年にバンドは、ビートルズのレーベルであったアップル・レコードからシングル盤を発売した[16]。レコードのA面はレノン=マッカートニー作曲でインストルメンタルの "Thingumybob" という曲で、これはヨークシャーテレビ (Yorkshire Television) が放映したスタンリー・ホロウェイ (Stanley Holloway) 出演の、同名のシチュエーション・コメディ番組のテーマ曲であった。B面はやはりレノン=マッカートニーの「イエロー・サブマリン」を金管バンドとして演奏したものであった。このシングルでは演奏者が John Foster & Sons Ltd Black Dyke Mills Band(ジョン・フォスターとその息子の会社であるブラック・ダイク・ミルズのバンド、といった意)で、指揮と編曲はジェフリー・ブランド (Geoffrey Brand)、プロデュースはポール・マッカートニーであった。このシングルは、アップル・レコードが1968年8月30日に、創立して最初に発売した4枚のレコード[17]のうちの一つである (カタログ番号は APPLE 4、Apple Records discography参照)。その後の1979年にも、マッカートニーのバンド、ウイングスのラスト・アルバムである『バック・トゥ・ジ・エッグ』で録音に参加している。
コルネット首席奏者リチャード・マーシャルの「ミス・ブルー・ボネット」、
「アイ ウィル フォロー ヒム」のトロンボーンは興味深かった。グレイアム作曲「トライアンフ・オブ・タイム」即ち「時の勝利」、
未来を切り開き進むかの響きに共感。元気をくれた。「羊飼いの娘の踊り」、これがユーフォニアムの演奏なのだが、ヴァイオリンン向けに書かれた細かな表現を、この大型の息遣いの難しそうな、音の切れが難しそうな楽器で、よくこれだけに奏するものと感嘆。日本人から最もリクエストが多かったのが「イモータル」だという。イモータル、即ち「不滅」。このバンドの打楽器奏者クーパーがこのバンドのために作曲。前にも聴いたことがあるバンド、あの時、いかに自分が漫然と聴いていたかを思い知らされたひと時となった。
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名曲アルバム。「革命交響曲」ショスターコーヴィッチ作曲
【指揮】高関健,【管弦楽】NHK交響楽団
激動を潜る芸術家の葛藤と命運は!
⛳7時1分前 更新
イアン・バウスフィールド トロンボーン・リサイタル
ピアノ児嶋一江
~Hakujuホール~
☆「ソナタの断片」、グリンカ:作曲
☆「乙女よ、もうわたしのために歌うな 作品4第4」、ラフマニノフ:作曲
☆「リラの花 作品21第5」、ラフマニノフ:作曲
☆「兵士の妻 作品8第4」、ラフマニノフ:作曲
☆「なんとすばらしい所 作品21第7」、ラフマニノフ:作曲
☆「雪解け 作品14第11」、ラフマニノフ:作曲
☆「わたしはこの世に忘れられ」、マーラー:作曲
☆「トロンボーン・ソナタ」、シュナイダー:作曲
☆「スコットランドの釣鐘草」、スコットランド民謡:作曲、プライヤー:編曲
イアン・バウスフィールド
1964年、イギリス ヨーク生まれ。7歳で始める。イギリス北部の名高いブラスバンド
の伝統に囲まれ幼少期を過ごす。
2000年、ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団首席奏者に就任、唯一のイギリス出身者という快挙。1992年よりロンドン王立音楽院教授として後進の指導にあたっていたほか、世界中から指導者として多くの依頼があったが、ベルン芸術大学よりオファーを受けたことにより、イアンはスイスを新しい拠点として、指導に集中することを決めた。彼の生徒たちは、第1級のオーケストラの上席にいるなど、世界中で大成功を収めている。
児嶋一江
東京芸術大学、同大学院修了。国際ロータリー財団の奨学生として、国立ミュンヘン音楽大学留学、同マスターコース修了。日本音楽コンクール、ジュネーブ国際音楽コンクール各入賞。全ドイツ音楽コンクール第1位。現在、東京芸術大学、尚美学園ディプロマコース各講師。
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イアンが言っていたが、ブラスの伝統のある地域に住んでいたからか、イギリスという国自体がそうなのか、子どもは毎週、無料で楽器のレッスンを受けられるのだそう。そんな環境の中で、彼はトロンボーンに一目惚れ。以来、他の楽器をやりたいと思ったことはいちどもないと。トロンボーンへの情熱は1%も失われず。むしろ今でも募るばかり。楽器をやりたいということは、心が楽器を呼んでいるのだ。心が何を言いたいのかを音楽で表現する。彼のトロンボーンへのアプローチは常に声楽的。心で曲をイメージし、それを声帯の代わりに唇を震わせて歌うのだという。
最初の7曲はピアノの音の方が耳に説得力がある感じだった。これは楽器の好みのせいかと思う。それが、「トロンボーン・ソナタ」で、一気に覚醒。トロンボーンの面白さが。ここで、ちょっと待てよ、と心の声。ちょっと違うかも、それで、
トロンボーンの歴史をちょっと拾ってみると
起源は15世紀頃までにさかのぼります。スライドの付いたトランペットを改良したものがはじまりとされており、当初は「サックバット」という名前でした。トロンボーンは、管楽器の中では唯一古くからの形をそのまま留めている楽器です。その柔らかく包みこむような響き、厳かな雰囲気をもつ音色は、「神の声」とも呼ばれ、ルネサンス、そしてバロック時代にかけて、教会での宗教音楽や、宮廷の儀式等で長く使用されていました。ドイツでは現在でもその名残を受け、宗教曲を専門とした、トロンボーンのみで編成された楽隊があります。19世紀にはいると、多くのロマン派の作曲家たちによって、交響曲等に効果的に用いられ、荘厳な響きのハーモニーはもちろん、力強く圧倒的なフォルテシモから、静寂な場面でのピアニシモまで、多彩な表現力を発揮する楽器として、オーケストラで活躍するようになります。
こうした解説を読むと、7曲までをよく理解できなかったのは、自分の耳が拾えなかったのだなとと納得。月曜日はなぜか集中力がダウン。それでも、最後の2曲はおもしろく聴くことができた。シュナイダーのジャズテイスト
「スコットランドの釣鐘草」、トロンボーンの音域をしっかりと鳴らしてくれたユーモア。イアン氏の演奏の魅力がわかった。ほんとかな? ほんとうです。
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名曲アルバム。「エステ荘の噴水」リスト作曲、
(ピアノ)小川典子
~イタリア・ティヴォリ~
ローマの水道技術の見事さを思い出しながら見る噴水の見事さ。枢機卿を迎えるために造ったとか。すでに僧籍に入っていたリストも招かれたという。同じ噴水でも、このスケールの違いは!
⛳写真んはすべてTV映像から 7時15分更新
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇をお伝えします。
國光勝美牧師、國光ひろ子牧師は、45年以上の長きに亘って、岩手で主のご奉仕をしておられます。
『復活の主と私』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証ヨハネ伝20:19~31
20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」 20:20こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。 20:21イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 20:22こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 20:23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」
20:24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
20:26八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。 20:27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28トマスはイエスに答えた。「私の主。私の神よ。」 20:29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
20:30イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。20:31これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
【説教】(前置きと復習は割愛いたします)
きょうは復活後の主の顕現ということに心を向けてみたいと思っております。お渡ししました「復活後の主の顕現」というプリントをご覧ください。副題を「復活と昇天の40日間」としてございます。プリントでは、時系列、場面、場所を設け、イースターの日に現れた事実、イースターの次の日曜日に現れた事実、そして、いつかという時ははっきりとは書かれていないけれども、イエス様のご復活の事実が聖書に言及されているところ、それから昇天の日の事、それから、あのパウロがよみがえりのイエス様に出あい回心した大きなできごとがリストアップしてございます。きょうは、このイエス様の顕現に触れることを大切なポイントとしたいと願っております。
まず、「イースターの日」には、
1、マルコ16:9「さて、週の初めの日の朝早く、よみがえったイエスは、最初にマグダラのマリヤにご自分を現わされた。彼女はかつて七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人である。」
場所はエルサレムです。よみがえりのイエス様は、第一番目に、マグダラのマリアに現れました。
2、続きまして、ほかの婦人たちに現れました。
マタイ28:9「すると見よ、イエスが「おはよう。」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」
3、には、ペテロに現れました。第一コリント15:5「また、ケファに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」
ケファはペテロの別名です。ペテロは12弟子のカギとなる人物です。そして12弟子たちに現れました。
4、それから落胆してエマオへの道を歩いていた二人のお弟子さんに現れ、一緒に歩いて、その家に泊まることにし、食事を一緒にされたときに二人の目が開かれたという場面です。これがルカ24:15~31にあります。これも、イースターのその日にあった事です。
5、そして、その日の夜、どういうわけかそこにトマスはいませんでした。トマスを除く10人のお弟子さんたちにイエス様が現れました。
ヨハネ20:19、24
20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20:24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
イースターの次の日曜日には、
6、という事になりますが、11弟子、今度はトマスがいます。私は信じないといったあのトマス。
ヨハネ20:26~28
20:26八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。 20:27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 20:28トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
一人ひとりをすべて、具に知っておられるイエス様です。よみがえられて、このトマスもねんごろに取り扱われました。
7、~10、までのところは、いつであったのか時期がはっきりとしていません。しかし、
これらは、ヨハネ21:1~24、ヨハネ21:15~17、マタイ28:16、17にあります。
主イエスが十字架につけられたことで、お弟子さんたちは、がっかりしてガリラヤ湖に戻って行った。内心、自分の人生が本当にこれでよかったんだろうか……もしかしたら間違った選択をしてしまったのかな……あのお方こそイスラエルを回復させてくださるメシヤだと思って、すべてを投げ捨てて従っていったのに。皆さん方も或いはクリスチャンとしての信仰生活を歩み、今日まで、至ったなかで、このような想いを持ったことがあったとしても不思議ではない。お弟子さんたちですらそうでした。ところが、ガリラヤの湖に行ってみると、イエス様はちゃんとガリラヤ湖に現れました。ガリラヤで私と会うからねと仰った通りだったのですが。
彼らはもともと漁師でしたから、自分の庭のようなガリラヤ湖、どこに何時後ごろ何をすれば何が穫れるかを知ったいるプロ中のプロであった彼らが、その時、1匹も穫れなかった。すると不思議なお方が岸辺に立っています。「獲物はありましたか?」と。「ありません。」と答える弟子たち。そして、このお方の言うとおりに網を投げてみると、こんどは大漁になった。あ、イエス様だ。弟子たちは気づきました。ペテロ、或いはヨハネは、ああ、あの方はイエス様だ。あのルカの5章でも、不漁を経験しました。しかし、網をおろしたときに、網が敗れるほどの、一艘ではとても、引き揚げきれないほどの大漁を経験した。彼らは網を捨ててイエス様に従っていったのでした。
そう、あなたの選択は決して間違いじゃなかったよ。あなたの人生は、ほら、初めて私と会って、スタートしたあのガリラヤにもういちど帰ってもらいたい。あそこであなたたちと会うから。その通りイエス様は、ペテロ、ヨハネたちを豊かに扱ってくださった。
よみがえりのイエス様はいつでも、私たちをよくご存じで、大きなどうしようもないような失望、落胆、試練や、課題に直面して肩を落として、ああ、私は間違えていたのか、と思うときに、イエス様は、現れてくださる。夜通し漁をしてもダメだった。それが、イエス様ちゃんと朝餉を準備して下さって、さあ、食べなさい。そこで彼らはもう一度自分の信仰の原点に帰っていくんです。ヨハネの21章1~24節をどうぞご覧ください。
そしてその後、ご存知のあの場面、ペテロが、十字架を前にしていたイエス様に「誓っていうけど、あんな男知らない」と、すべてをかけて従ってきたイエス様を否んでしまった、そのペテロを、イエス様は、「さあ、あなたは、この人たちを愛する以上に、私を愛していますか。」「主よ、私があなたを愛していることはあなたがご存知です。」「私の羊を養いなさい。」イエス様は、一度、二度三度と、ペテロに「あなたは私を愛するか。」と聞かれた。ペテロは耐えられなくなって、「あなたがご存知です」。
ここでもう一度よみがえりのイエス様は、ペテロを扱ってくださいました。
こんど10番目のヤコブを見てみたいとおもいます。
第一コリント15:7「15:7その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。」
11、主の昇天。使徒1:2~9とありますが、9節
1:9こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエス様が、これだけ数多く9番目は、ここには載せてありませんけれども、絵にもありませんけれども、9番目には五百人以上の弟子たちに現れてくださったという事実もあります。つまり、それほどに、イエス様は、「ほんとうに私は死に打ち勝ち、復活したんだよ、そして幻ではない。ペテロ、あのガリラヤの湖でよみがえりの私と一緒に食事をしましたね。トマスにも、ほら触ってごらん、霊には決してそのようなものはないけれど、私は復活の体として、ここに現れているんだよ。」
眠れるものの初穂として、イエス・キリストは本当にほんとうに死を打ち破ってよみがえってくださったのです。
新聞に載っていた人生相談です。一人の女性が、洗濯をしていた時に急に、死というものがとても恐ろしくなり、その思いにとらえられてしまった。人はみな死ぬとわかっているけれども、自分が死ぬことが本当に恐ろしくてならない、というような相談が投書されておりました。解答欄を見ました。すると、あなたの死が恐ろしいと思う気持ちはよくわかる、だけれども、人間が宇宙の物質の一つとしてあるものなので、云々、みんなそうなんだから、という以上の回答はない。さる大学の学長でした。真剣に彼女の悩みを受け留めて、精一杯良心的に答えているのです。しかし、それじゃこの女の人の解決にはならない。宇宙の物質の一つにまた帰る、だからあるがままに受け入れてといわれても、頭ではわかっても、不安、真実な疑問の答えとはなり得るのでしょうか。
わたしたちは当たり前のようにこのイエス様の復活のできごとを自分のいのち、「我を信じる者は死ぬとも生きん」とイエス様は仰る。われはよみがえりなり、命なりと仰ってくださるお方、このお方と一つとなって、私たちは、このお方を信じることによって、永遠の命をもっている、この平安、確信、確かさ、この世の中の人たちがほんとうに求めているものを、私たちはダイヤモンドのようにすばらしいものを、あまりに当たり前のように毎日曜日毎日曜日語っている。私自身もそのこを思いながら、ああ、これは自戒しなくちゃいけない、こんなにすばらしい真理を私たちは持っているんだ、改めてそう感じました。
12、このパウロの回心は、使徒の働き9:4、それから第一コリント15:8を見ていただければいいでしょう。
どうでしょうか、これらの復活のできごと、イースターの朝、1、2、3、4、5、6、7、8,10、11、12とプリントしながら、このお方と私と今、どういう関わりを持っているでしょうか。聖書の事実としてこれを知っているという以上に、このお方と、今私はどのような関係にあるのか、それを私は先ず三つに分けて、不信仰への癒しというように、これは私なりにまとめたものです。確かに人間は、不信仰になってしまう。この世の悪魔は、サタンは、私たちを、この福音信仰から離そう、離そうという勢力の中に私たちは身を置いているわけですから。このイエス様の復活の顕現をみるときに、私たちが、ややもすれば、失望落胆してしまう。あのエマオの途上のお弟子さんだって或いは、仲間の女たちが墓が空になっているという事を聞いても、或いはトマスだって、触って見なくちゃ信じられないよという。これらはみんな私たちの代弁なんです。それを復活のイエス様は、ペテロ、わかるね、トマスわかるね、ひとりひとりに復活に事実が私たちにはっきりするとき、私たちの不信仰に対する癒しが為されている。こういう表現をさせていただきたい。それから、このお方がわかったらば、このお方は、私たちといつでも一緒に歩んでくださるお方です。共に歩まれるお方。エマオに、もトマスにもペテロにも、或いは、反逆していたパウロにさえも、イエス様はちゃんと共に現れて歩んで扱ってくださる。共に歩まれるお方が、今皆様方と一緒に、この時、私も含めて、このお方は、共に今も歩んでくださいます。そしてもう一つ、内におられるお方、聖霊様は、私たちに復活のイエス様の事実を、われ生くれば汝も生くべければなり、そうだ、主は今も信じる者の内におられる。この不信仰な者への癒し、また、日々、共に歩まれる主、内におられる主、どうぞ、このお方をしっかりと、きょう、頌栄、祝祷が終わって、
世の中のそこに出ていくとき、ああ、このお方、よみがえりのお方と共にある、という事をどうか心にしっかりと捉えさせていただきたいと存じます。
※7、の絵画の説明が不鮮明ですが「漁師たちの奇蹟的召命」です。
また、間違いのご指摘、疑問のあられる方は、直接こちらにお申し出ください。
⛳7時2分前更新
今回は、鳥取春陽の曲の作詞で当時に名を馳せた一作詞家と、富田砕花の意外な一側面をすこしだけ書かせていただきました。読んでいただければと思います。
樫本大進(バイオリン)、小菅優(ピアノ)、クラウディオ・ボルケス(チェロ)演奏会
2016年5月19日 紀尾井ホール
☆「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 作品1第1」、ベートーベン:作曲
☆「ピアノ三重奏曲 作品70第1“幽霊”から 第2楽章」、ベートーベン:作曲
小菅優
東京生まれ。9歳からピアノ。
2010年から15年にはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会(全8回)を東京、大阪で行う
(Wikipediaから)多くの演奏家が、国際コンクールでの入賞をきっかけに、一躍注目されキャリアを積んでいく道をたどるが、小菅の場合コンクール歴はなく、演奏活動のみで国際的な舞台まで登りつめた、めずらしいタイプのピアニストである。その演奏能力を高く評する演奏家や評論家は多い。
樫本大進
1979年、ロンドン生まれ。LePont2007〜を開催、音楽監督を務める。1990年、第4回バッハ・ジュニア音楽コンクールでの第1位を皮切りに、1996年のフリッツ・クライスラー、ロン=ティボーの両国際音楽コンクールでの1位など、5つの権威ある国際コンクールにて優勝。
ドイツを拠点にソリストとして世界の舞台で演奏する傍ら、2010年よりベルリン・フィルの第1コンサートマスターを務める。
使用楽器は1674年製アンドレア・グヮルネリ。
クラウディオ・ボルケス
ドイツ生まれ。2000年、第1回国際カザルスコンクール(ドイツ)で優勝。室内楽部門・特別賞受賞により、カザルスの愛器として有名なチェロ「ゴッフリラー」を貸与される。現在の使用楽器は、バーデンヴルテンブルグ州の銀行から貸与されたG.B.ロジェッリ。シュツットガルト音楽大学教授。
🎵経歴は書くまでもないと思いつつ打ち出してみると、知らないことがまだまだ。
樫本氏いう。3人は昔からの仲良し。プライベートでも親しい。信頼があるので、自由に意見をいいあうことができる。受け入れられても受け入れられなくとも信頼があるからだいじょうぶ。
今回の選曲は小菅氏。私の好きなピアニストのうちの一人。小菅氏がいう。「作品1」にはユーモアがあり、演奏で3人で会話ができる。3人でさまざまなアイデアや疑問点を出し合い、助言しあう。すると演奏のときに、それぞれのメロディーが自然と内側からわきあがる、と。ベートーヴェンの初期の作品に興味を寄せている。
ボルケス氏、ベートーヴェンは民主主義に共鳴しており、それが作品にも現れている、と。サポーート役との位置づけを持たれているようだ。サポート役としての音を正確に出すのは難しい、と。これが意外だった。
「幽霊」、聴いたことがなかった曲。不気味な感じをどう出すかだと樫本氏、小菅氏。これがすこしも不気味ではなかった、と私は感じた。
ピアノ、沢水のように明るくとくとくと流れるようなピュアな感じがいい。弦は、これはもう!
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名曲アルバム。「交響曲第3番 第5楽章」、マーラー作曲
(メゾソプラノ)池田香織
(女声合唱)栗友会
(児童合唱)東京少年少女合唱隊
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団
(指揮)岩村力
~オーストリア・アッター湖、シュタインバッハ~
シュタインバッハの作曲小屋、マーラーの使用ピアノ、避暑地一帯の景観、動物や岩山、そして池田香織氏のメゾソプラノ、良かったな~
将来、書けなくなるときがやってきたら、名曲アルバムを手に入れて、日々の楽しみにしよう。
ウィーン・アカデミー管弦楽団演奏会
(指揮)マルティン・ハーゼルベック、(管弦楽)ウィーン・アカデミー管弦楽団
2017年4月18日(火)大阪・いずみホール
☆「交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」第1楽章」、ベートーベン:作曲
☆「交響曲 第5番 ハ短調 作品67」、ベートーベン:作曲
マルティン・ハーゼルベック
1954年生まれ、墺・ウィーン出身の指揮者/作曲家/オルガン奏者。オルガン奏者として高く評価され、国際コンクールでは数多く入賞。ウィーン宮廷礼拝堂オルガニストも務める。85年には古楽オーケストラ、ウィーン・アカデミー管弦楽団を創設。ハイドン、フックス、モーツァルトのウィーンゆかりの作曲家をはじめ、リストやブルックナー、2014年からはベートーヴェンの交響曲プロジェクトなど、精力的に演奏・録音を行なう。97年のオーストリア文化賞ほか受賞歴も多数。ウィーン大学教授。(タワーレコードより)
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この楽団は、オリジナル楽器を用いて、ベートーヴェンの初演の響きをいわば考証している。
ネットでそちこちこの楽団の感想をのぞくと、響きの物足りなさがフラストレーションとなったという苦言も。たしかに打ちたたくようなドラマティックな響きや、高音の心行くまでの明るさや伸びには欠ける、という言い方がよいかどうか、何れ、その点では物足りなさがのこる場合もあるだろうとは思う。しかし、ハーゼルベックのはなしでこの楽団の価値を知らされるのだ。ベートーヴェン当時、ティンパニーはもっと小さく、ネジで音の調節をしていたという。ベートーヴェンが、その調節に時間がどれぐらいかかるのかを質したらしい。金属弦がヨーロッパに入ったのは、1920年ロシアからで、それ以前は羊腸弦。気温、湿度によって狂いやすく、調弦が難しいのだ。ナチュラルホルン、第九演奏は無理といわれるこのホルンで実際は演奏されていた。ホルンが期待するところの高らかさ、のびにいまいち届かないかに聴こえたり、弦がもやもやと感じられるところもあるが、しかし、ベートーヴェンは曇った感じを受け入れていたようだ。
この楽団は、現代の楽団とは、立っている時間軸が違うのだ。ベートーヴェンの初演の再現を研究し当時のままの具現に努めている。
5番、6番の初演は1808年12月22日。真冬のとても寒い日だったという。他の曲5,6曲を含めての4時間のコンサート。アン・デア・ウィーン劇場だ。4階建てで、座席は2000。ふだんならもっと多くの観客が詰めかけ、座っているのは高齢者や名士だけ、あとは立ったまま、拍手のために腕や手を動かす隙間もなかったというのだからすごい。
ただ、この5番、6番のときは、寒いこともあり、客席は半分しか埋まらなかった。会場借用料も払わなければならないベートーヴェンは赤字だったろうと。
ここにベートーヴェンが立っていた、ここでベートーヴェンがこの響きを聴いていた、それが大事なのだとハーゼルベック。彼には、ベートヴェンが来ている、そんな気がした。
この番組の収録、カメラのお蔭で、古楽器はもちろんのこと、CDジャケットでは見ることのできないハーゼルベックの当時のベートーヴェンンへの思い入れこもるさまざまな指揮の表情を見ることができた。どんな考証かと耳を澄ませていたが、5番の4楽章では、感動してしまった。数々の名演奏に勝って、記録、収録の価あるものと思われた。
写真をとったところが、カードを入れ忘れ、よい写真、映像はないかとそちこちに跳んでみたが、それが、この映像でみた「ここぞ」という場面がないのだ。ハーゼルベックの振りおえるときの万感こもる表情が何とも!
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名曲アルバム。「ベサメ・ムーチョ」が流れていたが、ハーゼルベックにかかりきり、見逃してしまった。
⛳7時4分 更新
宮崎国際音楽祭2017
マイスキーとウィーンの仲間たち
~2017年5月6日 メディキット県民文化センター 演劇ホール(宮崎市)~
☆「バイオリンとビオラのための二重奏曲 ト長調 K.423」、モーツァルト:作曲
(バイオリン)ライナー・キュッヒル、(ビオラ)ハインリヒ・コル
☆「弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20」、メンデルスゾーン:作曲
(バイオリン)ライナー・キュッヒル、(バイオリン)ダニエル・フロシャウアー、(バイオリン)漆原啓子、(バイオリン)川田知子、(ビオラ)ハインリヒ・コル、(ビオラ)川崎雅夫、(チェロ)ミーシャ・マイスキー、(チェロ)古川展生
ミシャ・マイスキー(wikipedia)
1948年、リガ生まれ。ユダヤ人の家系で、8歳からチェロを始める。1966年チャイコフスキー国際コンクール6位入賞。1972年、国外移住を認められて11月に出国、渡米する。1973年、イスラエルに移住する。同年カサド音楽コンクール優勝。カーネギーホールでリサイタルを開催する。リサイタル後に招かれた匿名の老紳士宅で演奏したマイスキーは、紳士から1720年製のモンタニャーナのチェロを贈られた。グレゴール・ピアティゴルスキーの最後の弟子となる。
ライナー・キュッヒル(wikipedia)
1975年、日本人の真知子と結婚する。 1992年ウィーン国立音楽大学教授に就任する。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の元コンサートマスター。2017年4月より、NHK交響楽団のゲスト・コンサートマスターを務める。
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「バイオリンとビオラのための二重奏曲」、大司教が、ある作曲家に依頼した6曲のバイオリンとビオラの二重奏の作曲がならず、友人のモーツァルトが代わって作曲したのだとか。他の頁に飛んでみると、この友人とはハイドンらしい。4曲目を作曲したところでハイドンは病気になり、モーツァルトがバトンタッチ。まったく作曲の苦しみが感じられず、どうなってるのと思うほど。軽快で明るく輝いている。令和、ついに使ってしまったけれども、この初発を飾るには、次のメンデルスゾーンとともに大変相応しいかと。
「弦楽八重奏曲 変ホ長調」、8台の弦の響きがオケ的で豪華。メンデルスゾーン自身が「交響曲風に演奏すべき」と指示していた。1825年、このときメンデルスゾーンは16歳。16歳でこんな響きがどこから出てくるのか、驚き。1825の日本といえば、異国船打払令。3年後にはシーボルト事件といった時代。向こうではこんな充実した作曲が次つぎに。
🎧プッチーニ「ある晴れた日に」
【ソプラノ】木下美穂子,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】現田茂夫
木下氏の哀切なソプラノが胸を打つ。
長崎港。写真は番組映像から。
⛳7時のニュース。天皇の一個人としてのお人柄には誠実さ、特に美智子皇后のお人柄にはいつも感銘。皇室に入られ、どんなにご苦労、ご忍耐、またご努力、ご尽力されたことか。ほんとうにすばらしいと心から賞賛できる女性、お方。 7時2分 更新
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