« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月

アマリリスのシルエット

 蕾は尖った先を天に向けて出てくる。球根から顔をのぞかせる大きな花芽は感動的だ。茎がすーっと伸びる。蕾はしだいに膨らんで、縦に切れ目ができ花の色が見えてくる。ふつうその蕾が4つに割れて、ここからがとても面白く不思議なのだが、相対する二つの蕾が違った速度で変化を遂げるのだ。先に6弁の花びらを開いて互いに背き合って横向きに咲く花房、そして、まだ斜め上のほうに蕾のまま互いに背き合っている花房。開花までの一つひとつの段階をメリハリをつけてはっきりと見せてくれるのがこの花のすばらしさだ。

 今では、香りのするもの、八重咲き。上向きのまま開花するものなど、色彩も実に多種多様であるようだ。しかし、シンプルなものがいちばん。すっきりはっきりと成長するさまを目の当たりにさせてくれる。

 

Dsc03462

| | コメント (0)

2019/4/30kurasikku 2019430 2019/4/30クラシック倶楽部を聴く

奈良県奈良市公開収録―関西弦楽四重奏団演奏会
2018526日 奈良県文化会館国際ホール~

☆「5つの小品」、シュルホフ:作曲
☆「弦楽四重奏曲 ヘ長調」、ラヴェル:作曲
☆「関西ラプソディ」、福富 秀夫:作曲

Dsc03453

関西弦楽四重奏団
バイオリン:林七奈、田村 安祐美
ヴィオラ:小峰 航一
チェロ:上森 祥平

2012年に結成。4人はそれぞれ東京藝術大学で学び、ヨーロッパでの研鑽と活動の後、林 七奈は現在、大阪交響楽団コンサートマスター。田村 安祐美は同じく大阪響のコンサートマスターを歴任し、現在は京都市交響楽団で活躍。小峰 航一は札幌交響楽団首席ヴィオラ奏者を経て現在は京都市交響楽団首席ヴィオラ奏者。上森 祥平は日本音楽コンクール第一位を契機にドイツでの研鑽を経て、現在ソリストとして、また主要オーケストラの客演首席奏者としても多忙な活躍を続けており、2016年には第14回 齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞している。 2014年度 大阪文化祭賞奨励賞、2015年度咲くやこの花賞受賞。

 

🎵関西系で聴いたことがあるのは、大阪交響楽団、それも朝比奈隆、それとたまに流れる民謡。東北にいると関西系を聴く機会はまずない。それが弦楽四重奏団というわけで興味津々。シュルホフの年代は、1894~1942チェコ。「5つの小品」、面白い曲だ。1、ウィーン風のワルツ、2、セレナーデ、3、チェコ風に、4、タンゴ・ミロンガ、5、タランテラ。作曲年、ウィキには1919と出ていたが、放送では、たしか1920年代と。民族舞踏を大胆にデフォルメしたシュルホフの代表作。民族音楽は、世紀を超えて、どの時代にも形を変えるなりして息を吹き返すものらしい。4、に、日本のどこかで聴いたような旋律もあり、どこにあっても人の同じ想いというものを聴いたような。
 ラヴェル唯一の弦楽四重奏曲。調和の霊感。この調和をとるには、どうもメンバーの合言葉なのか何か、「関西風でゆこうよ」となるらしい。その内容は不明。「関西ラプソディ」、この出演の日のために、特別に福富秀夫氏に委嘱したという。関西各地の歌のメドレーだ。観客がけっこう集中し熱心に耳を傾けていたのも印象的。

 

🎧

名曲アルバム。「花」瀧廉太郎・作曲/武島羽衣・作詞/和田薫・編曲touhoku
【合唱】東京混声合唱団,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】現田茂夫

自筆の碑の登場に、おお!

Dsc03454

Dsc03458

写真はすべて番組映像から。

⛳天皇退位ニュースを聞きながら  7時5分更新

 

 

| | コメント (0)

2019/4/29クラシック倶楽部を聴く

ドビュッシー没後100年記念演奏会
2018
1124日 フィリアホール 

☆「アラベスク 第1番」、ドビュッシー:作曲、ルニエ:編曲
(ハープ)吉野直子
☆「弦楽四重奏曲 ト短調」、ドビュッシー:作曲
(バイオリン)川久保賜紀、(バイオリン)小林美恵、(ビオラ)川本嘉子、(チェロ)遠藤真理
☆「パンの笛」、ドビュッシー:作曲
(フルート)上野由恵

☆「バイオリン・ソナタ」、ドビュッシー:作曲
(バイオリン)川久保賜紀、(ピアノ)三浦友理枝

吉野直子:1974年(6)舞台上で初めて演奏する(ロサンゼルスの発表会)1981(13)1回ローマ国際ハープコンクール第2位受賞。1985(17)9回イスラエル国際ハープコンクール優勝。メータ指揮イスラエル・フィルと共演。10月、本格デビューとなる自主リサイタルを東京文化会館小ホールで開催。
川久保賜紀2001年サラサーテ国際ヴァイオリン・コンクール優勝、2002年チャイコフスキー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門最高位受賞。
小林美恵1983年第52回日本音楽コンクール第2位。1984年海外派遣コンクール河合賞受賞。
1988
年にはシュポア国際ヴァイオリン・コンクール第2位、あわせてソナタ賞を受賞。
1990
年、ロン=ティボー国際コンクールヴァイオリン部門で日本人として初めて優勝。以来、国内外で本格的な活動を開始する。
川本嘉子92年ジュネーヴ国際コンクール・ヴィオラ部門で最高位(1位なしの2位)。
96
年村松賞受賞。97年第7回新日鉄音楽賞・フレッシュアーティスト賞受賞。
東京都交響楽団首席奏者を経て、現在ではソリスト・室内楽奏者として最も活躍しているヴィオラ奏者の1人。
京都アルティ弦楽四重奏団、AOIレジデンス・クヮルテットのメンバー。
遠藤真理2003年第72回日本音楽コンクールで第1位、2006年「プラハの春」国際コンクールにて第3位(1位なし)、2008年エンリコ・マイナルディ国際コンクールにて第2位。神奈川県出身。東京芸術大学を首席で卒業。
上野由恵:東京藝術大学をアカンサス音楽賞を得て首席卒業。同大学大学院修士課程修了。第76回日本音楽コンクール第1位、岩谷賞(聴衆賞)、加藤賞、吉田賞、E・ナカミチ賞。第2回東京音楽コンクール第1位。第15回日本木管コンクール第1位、コスモス賞(聴衆賞)、兵庫県知事賞、朝日新聞社賞。
三浦友理枝1981年東京生まれ。3歳よりヤマハ音楽教室に入会、05年英国王立音楽院大学課程を首席で卒業。07年同音楽院・修士課程を首席で修了。95年「第3回ゲッティンゲン国際ショパンコンクール」第1位受賞。これを機にドイツなどでコンサート活動を開始。

🎵必要ないかなと思いつつ受賞歴など並べてみると、卒倒しそうな錚々たる方々、この「弦楽四重奏曲 ト短調」は圧巻。けさは、どういうわけか、第三楽章のまだ日が照りはじめるまえの雨上がりの情景を思わせる演奏が静かに心に染みた。ただこの曲の持つざわつき旋律は、この凄い4人の手腕が見事に結集、顕示と思われるまでに、哲学的な雰囲気までまとって的確に伝わってきた。ふんだんに滋養を受け取った感じが。

🎧
名曲アルバム。「アルフォンシーナと海」、ラミレス作曲、フェリックス・ルナ作詞。

【歌】松田美緒,【ギター】レオナルド・ブラーボ

この曲は結構放送になっている。アルフォンシーナの詩をググってみた。抜粋。

アルフォンシーナ・ストルニの詩
「あるとき海で」

お前の凄まじい満潮に向かって、私の更に凄まじい生は、
お前の両腕に震えるような雨を降らせ、
涙と嘆き声で顔中を満たし、お前に向かって泣いたのだ。
もしお前の波を焼いても、激しい流れが跡を切り開くことはなかった。
やわらかな翠緑の果肉よ、お前は前髪をとか し、
その青い髪の房を忘却に向かってほどいた。

(駒井睦子氏の論文から) http://www.ajel-jalas.jp/nenpou/back_number/nenpou032/pdf/komai2012.pdf

xx

| | コメント (0)

きょうのことばーイースター講壇ー

 このページを仕上げているうちに、日がさしてきました。雨に濡れた庭の木々が安心したように光に照らされています。
 すでに45年以上も岩手で主に仕え、伝道をしておられる國光勝美牧師、國光ひろ子牧師。きょうは國光勝美牧師のイースター講壇です。

 

先週21日はイースターでした。聖餐式も執り行われました。

Dsc03450

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のイースター講壇をお伝えします。
『三つの開かれたもの』(説教:國光勝美牧師)
聖書引証ルカ241332

24:13ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン(十一キロメートル)余り離れた、エマオという村に向かっていた。 24:14彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。 24:15話し合ったり、論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩きはじめられた。 24:16しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。 24:17イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。 24:18そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがご存知ないのですか。」 24:19イエスが、「どんな事ですか。」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。 24:20それなのに、私たちの祭司長や議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。 24:21私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません、その事があってから三日目になりますが、 24:22仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、 24:23イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエスが生きておられると告げた、と言うのです。 24:24それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 24:25そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。 24:26キリストは、必ず、そのような苦しみを受け、それから、その栄光にはいるはずだったのではありませんか。」 24:27それからイエスは、モーセやすべての預言者から始めて、ご自分について聖書全体に書いてある事を彼らに説き明かされた。 24:28彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。 24:29彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています。」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。 24:30そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。 24:31すると彼らの目が開かれ、イエスだとわかったが、その姿は見えなくなった。 24:32ふたりは話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明してくださる間、私たちの心はうちで燃えていたではないか。」

 

【説教】きょうは2019年のイースターをお慶びする日であります。そして、共に、よみがえりの主イエスさまを囲んで聖餐のテーブルを持たせて頂きたく願っております。また、午後は、天に帰られました方々を記念し、イースターの祈りをもって、例年のように、穴口、松園、新庄とそれぞれのお墓を回って行きたく願っております。天気がよく麗しい春の日になりました。石割桜が満開になったと報じられていました。復活のいのちを覚えながら、この講壇に立たせて頂いております。

 二人の弟子が、エルサレムから地図の⓮にあるエマオに向かって歩いています。がっくりと肩を落として。

ルカ24:13に「ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。 24:14彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。」とあります。一人はクレオパです。では、もう一人は誰なのか。ある方は、もしかすればこの二人は夫婦だったと注解しています。理由は、私たちと一緒に泊まって食事をしていってくださいと強いて泊めているところから、まったく別の人というよりも夫婦と考えるのが自然であること。しかし、他のところでは、誰も断言することはできないともあります。私も、書物や関わった講壇で、夫婦であったとは聞いたことがありません。二人が誰であったか突き詰めることに、大きな意味があるとは思いませんが、もし夫婦であったと解釈しても、イエス様を囲んでの食事であってみれば、大いに意味のあることでしたでしょう。

 エルサレム、エマオ間はだいたい11キロから12キロの距離です。歩いているうちに夕方になり、一緒に食事をしてくださいとなるわけです。

 きょうのこの聖書個所を、私は、「三つの開かれたもの」というテーマで、お話をさせて頂きたいと導かれております。 

 その第一番目は「開かれた墓」であります。イースターは、イエス様の亡骸が墓からよみがえってくださったできごと、この事実に立脚しております。勿論、教会はイエス様の十字架のメッセージを中心的にお話をするのですが、その十字架は、復活と直結しているということを覚えておきたいと思うのです。この復活というできごとがあったからこそ、イエス様が十字架に架けられたときに逃げ出したはずのお弟子さんたちが、強く勇気ある人物に変えられてしまった、この事実であります。福音というのは、この事実に立脚し、ここから始まっています。キリストは実によみがえられた! これが教会のメッセージです。これを心に深く留めましょう。

死というものが何を意味しているのか、そして人間がこの死から誰一人逃れることはできないのですが、イエス・キリストは死の恐れから、死の鎖から私たちを解き放ってくださった。その最たる見本、或いは、その初発、初穂となられたイエス様のようにして、人はよみがえるんですよと私たちに、はっきりと示してくださった。ここから福音というものが、2000年の昔から、スタートしたわけであります。どうか、この開かれた墓、これが、イースターの第一のメッセージだということを覚えたいと思います。

ローマの兵隊たちは、彼が三日後によみがえるなどとたわごとを述べていたけれど、もし本当にそのようなことがあったとすれば大変なことだと、イエス様を埋葬してから墓の入り口を塞いだ石にローマ皇帝の封印をしました。ローマ皇帝の封印は、当時の地上における最高権威であり、石を動かしたものはローマ皇帝への反逆となります。しかし、地上における権威はものともせずに、この石はまろばし去られます。御使いが、「どうしてあなた方は生けるお方を死んだところでさがすのですか。あの方はここにはおられません。よみがえられたのです」と弟子たちに伝えました。

24:18そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがご存知ないのですか。」 24:19イエスが、「どんな事ですか。」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。 24:20それなのに、私たちの祭司長や議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。 24:21私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません、その事があってから三日目になりますが、 24:22仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、 24:23イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエスが生きておられると告げた、と言うのです。 24:24それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 24:25そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。 24:26キリストは、必ず、そのような苦しみを受け、それから、その栄光にはいるはずだったのではありませんか。」

こうして、イエス様と二人のお弟子さんたちとの話し合いが始まるわけです。

 私たちの福音は、死を打ち破ったイエス様の復活の事実から始まったことを、どうぞ覚えていただきたいと思います。午後にお墓に行きますけれども、「ここにはおられません。よみがえられたのです」とある通り、亡骸はそこに葬られてありますけれども、しかし、「きょう汝われと共にパラダイスにあるべし」と仰るお方のところに、いまわれらの愛する一人ひとりがそこにあるのだということを、しっかりと心に留めて行きたいと思います。このイースターの喜びをもって、午後に回りたいと思うのです。 

 その第二番目は、「開かれた聖書」です。
24:25
そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。 24:26キリストは、必ず、そのような苦しみを受け、それから、その栄光にはいるはずだったのではありませんか。」 24:27それからイエスは、モーセやすべての預言者から始めて、ご自分について聖書全体に書いてある事を彼らに説き明かされた。

聖書を、預言者たちは知っていたのですけれども、心が鈍くて信じることができなかった。ほんとうの意味で、聖書はまだ開かれていなかった。しかし、イエス様が語ってくださったとき、

24:32ふたりは話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明してくださる間、私たちの心はうちで燃えていたではないか。」

私たちにとって聖書は開かれたものです。そこから湧き出てくるイエスさまのいのち、これを聖書から私たちは見ることができるのです。「開かれた聖書」。世の中の本とはまったく異質な聖書に私たちのいのちの泉を見いだし、ほんとうに聖書が開かれているもの、そのような者たちでありたい、それが、イースターの大きな恵みであることを覚えたいと思います。

第三番目は、「開かれた目」です。

24:29彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています。」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。 24:30そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。 24:31すると彼らの目が開かれ、イエスだとわかったが、その姿は見えなくなった。

「目が開かれた」、これは聖霊の働きです。これによって彼らの目が開かれたという事を申し上げたいと思うのです。「できるようになる」、これは聖霊のお働きです。

人が主に立ち返るなら、いつでも、そのおおいは取り除かれます。主は、御霊です。そして、主の御霊がおられるところには、自由があります。私たちはみなおおいを取り除かれた顔に鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと主とおなじかたちに姿を変えられていきます。これは、まさに、御霊なる主の働きによるのです。

 聖霊の働きによって私たちは、イエス様は、ああこのお方なんだ、と知ることができる。

ヨハネ141617を読んでみます。
14
:16そして私が父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでもあなた方とともにいてくださるようにしてくださいます。14:17この方は真理の御霊です。
 真理の御霊によって、私たちはイエスさまというお方を知ることができるのです。
ヨハネ14:26しかし、助け主、即ち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなた方に話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

ヨハネ1613しかし、その方、すなわち、真理の御霊が来ると、あなた方をすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分からかたるのではなく、聴いたことをすべて語り、これから起こることをあなた方に伝えてくださいます。16:14御霊はわたしの栄光を現わされます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。

 このように真理の御霊、聖霊なる神様によって私たちは復活の主イエス様、このお方が今も生きておられるお方だという事を、目が開かれて、ほんとうの意味で知ることになるのです。 

 きょうのお話を締めくくります時、開かれたもの、それは、第一番目に、「開かれた墓」と申しました。これは全能の神様が、ご自身の力をキリストの復活によって、現してくださった聖霊なる神様の働きによるものです。このお方によらなければ、この石をまろばし去ることはできません。これを、今の私たちに当てはめたいと思いました。私たちはイエス・キリストの復活を信じている者たちです。そしてこれが、あのマリヤ、マルタ、その兄弟の復活でありますが、マリヤもマルタも兄弟もイエス様を信じていたのです。それでも、もう死んで4日もたっている、彼は臭くなっていると言います。しかし、その時に、イエス様は、信じなさい、このように彼らに仰いました。同じように、この信仰というのは、聖霊様によって主よ信じたい、信じきれない自分を助けてくださいと、まだ全きものとはなっていない。の変貌山の時、麓におりてきたとき、子どもが火の中、水の中で発作を起こしていた。聖書でいうなら、悪霊に憑かれて彼は殺されようとしている。助けてくれとお弟子さんたちに頼んだけれども、どうする事もできない。イエス様助けてください。信仰なき私を憐れんでください。ある意味矛盾するような、しかし真実な叫びを言いました。私たちも、現実生活の中で、これは不可能だろう、聖書ではそうなっているけれども、そりゃそうだけれども、とても、というような不信仰な想いがある。もう4日も経って弟は腐っています。もし信ぜば神の栄光を見んとまで汝に言いしにあらずや。イエス様が仰られたその信仰を、或いは、信仰なき我を憐れみたまえと叫んだあのお父さんのように、私たちは、聖霊の力によって、不信仰な私の心の中にある大きな岩をまろばし去っていただくと、イエス様をしっかりとよみがえりの主として受けることができる、そのようなイースターであらせていただきたい。これが開かれた墓です。そして2番目に開かれた聖書です。聖書を通して聖霊によってよみがえりのイエス様の事実を、あの知っていながら俯いてとぼとぼとエマオを旅しているあのお弟子さんたちが、イエス様によって、聖書によって、ああそうだった、ああそうか、聖書の力であるおことば、これによって生かされる。当時の事ではなく、今の私たちにとってです。今、私たち聖書を開きます。聖書を読みます。でもその時、先ほどのコリントではありませんけれども、その目におおいがかぶさっていて、イエス様だという事がはっきりわからない。生きていたという事がはっきりわからない。そのとき顔おおいが取り除かれて、聖霊によって、ああ、そうか、神を信じるってこういう事なんだ、と御言葉によって励まされる、この経験をした人は、ほんとうにイースターの恵みの中に生きる人です。どうか開かれたみことば、これによって立ち上がり、歩む者とさせていただきましょう。そして、もう一つ開かれたのは、イエス様といっしょに交わることです。レンブラントのエマオの絵があります。

ルカ2430そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。24:31すると彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。

これから私たちは、パンと葡萄酒液をともに食させていただきますけれども、十字架の贖いと復活のイエス様のいのち、それに私たちは、臨在の生けるイエス様を今私のいのちとしています、こう告白し、聖餐のテーブルに与ることができたなら、ほんとうに幸いな2019年のイースターであるとこのように思います。

 

⛳5時50分 更新

| | コメント (0)

昼に咲く花々

Dsc03403

 

 

Dsc03337

Dsc03351

 

x

| | コメント (0)

雑感

 あすはクラシック倶楽部がないと思うだけでどこか気が緩むのか、けさは6時10分前起床。J-MERO、海外向けだから一応観ておこうと思うものの、このキーの打ち方、緩慢な速度でわかるようにノリがいまいち。
 Reiのスローバラードを数分。この番組出演で、もう動画が出ているというので、ググってみたが、再生できなかった。ヒットチャートを駆けのぼりそう。聴いたのは数分だが、演出を見ながら、プロモーターの影が色濃く浮かぶ。才能ある女の子、それを取り巻く多くの影、力。本人は歌の才能の他はいたって平凡な女の子だったりするのだが、これを非凡に作り上げ、これで稼ごうという凄い輩とも思われる。もっと肯定的な側面から考えてみようと思ったところで、もう7時になりそう。

⛳6時58分、天気予報を見ながら更新

 

 


 

| | コメント (0)

アマリリス

Dsc03429

| | コメント (0)

2019426クラシック倶楽部を聴く

安田謙一郎チェロ・リサイタル。ピアノ津田裕也
オールベートーベン
2016
411日 石橋メモリアルホール

☆「チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 作品52
☆「歌劇「魔笛」の「恋人か女房があればいい」による変奏曲 作品66
☆「チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69

安田謙一郎
桐朋で学ぶ。斎藤秀雄、ガスパール・カサドらに師事、チャイコフスキーコンクールでチェロ部門第3位。1969年、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団のソリストとして日本、欧米の演奏旅行に同行。1986年、安田弦楽四重奏団を結成。ハイドンを曲演奏。
津田裕也
仙台市生まれ。2001年東京芸術大学入学。同年、第70回日本音楽コンクール第3位。05年東京藝術大学を首席卒業、安宅賞、アカンサス音楽賞、同声会賞等、数々の受賞を果たし、同大学大学院修士課程に進む。07年第3回仙台国際音楽コンクールにて第1位、および聴衆賞、駐日フランス大使賞を受賞。10年東京藝術大学大学院修士課程を首席修了、併せてクロイツァー賞を受賞。11年ベルリン芸術大学を最優秀の成績で卒業、その後ドイツ国家演奏家資格を取得。同年ミュンヘン国際コンクール特別賞受賞。

Dsc03419 Dsc03420yasuda-2

安田氏語る
 ベートーベンは確固たる存在。バッハは宗教、神を、しかし、ベートーヴェンは人間に近い音楽。ある意味現代人に近い。正直に音楽を書いた人。チェロソナタ3番は、2番よりも前向き。2番は絶望的。ベートーベンの中期に新しい意欲のある、円熟したものを創っている。人間の感情に近い。ピアノパートは伴奏ではない。支えたり色を付け加えたりしている。それで音作りをしている。

🎵自分がどう聴いたかよりも、この1時間をタカタカと書き留めることに面白さを感じている。きょうは演奏家たちが何を話してくれるか。演奏家たちは楽器で語ることで十分という考え方もあると思うが、その道を極めた方の一言には含蓄が。きょうは、齢重ねて尚、弾くべきことがある、そのことに打たれた。大家に自分を照らすもおかしいのだが、さて自分は何を? と自問。楽器ではなくとも、為すべき小さな一つでも落とさずに、あきらめずに、握っていたいものと思う。

🎧名曲。ムソルグスキー「展覧会の絵」。【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

ガルトマンの遺作展のような展覧会がもっとあればいい。

⛳⛳7時7分 更新

 

| | コメント (0)

2019/4/25クラシック倶楽部を聴く

竹澤恭子バイオリン・リサイタル。ピアノ、エドアルド・ストラッビオリ。
2016
319日第一生命ホール

 

☆「バイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 作品78」、ブラームス:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108」、ブラームス:作曲

竹澤恭子
3
歳よりヴァイオリンを始め、山村晶一、小林健次両氏に師事。6歳より才能教育研究会海外派遣団の一員として海外ツアーを行う。桐朋女子高校音楽科在学中に第51回日本音楽コンクール第1位、併せてレウカディア賞、黒柳賞を受賞。1985年にジュリアード音楽院に入学し、ドロシー・ディレイ、川崎雅夫両氏 に師事した。1986年第2回インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールで圧倒的な優勝を飾る。

エドアルド・ストラッビオリ
イタリア生まれ。ミラノ音楽院でカルロ・ヴィドゥッソに師事。同音楽院を修了後、シュトゥットガルト室内管、ケルン放送響、マントヴァ室内管などと共演。教育者としても活躍。竹澤とは20年以上も共演。

 

 竹澤氏、ブラームスは音楽家としての力量を試される、作品を取り上げるたびに発見が増え、年齢とともに感じ方が変化する。今理解するブラームスを存分に表現できれば、と。彼の音楽を近くに感じ触れていたい、とも仰っていた。「第3番」では、緊張感や力強くエネルギッシュな面が出ている等など、またVirtuosoの部分が出ていると。
 ブラームスの激しさには、私的にやり場のない情感といったものを感じる場合が多い。3番には孤独感、憂い、闇があるけれども、このままでは終わらせない、終わらないのだと全力をあげて創作に、音符に、楽器にそれを託しているという感じが。
 自分の感じ方がまともではないのではないかと思われもし、この時間内で、ユーチューブにある別な演奏も聴いてみた。

 

🎧名曲アルバム、ショパン「ノクターン嬰ハ短調」、これが名曲、これぞ名曲。

 

⛳自分が書いていることに、なにか釈然としない思いを持ちながら、7時2分更新

| | コメント (0)

2019/4/24クラシック倶楽部を聴く

(バイオリン)川久保賜紀、(ピアノ)江口玲
2016423日 フィリアホール~

☆「バイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 作品122 から 第2、第3楽章」、ベートーベン:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47 masasiku「クロイツェル」」、ベートーベン:作曲
☆「美しいロスマリン」、クライスラー:作曲

 

🎵「ソナタ第2番」、悲しい、淋しい、そして穏やか、さりげない日常といった感じも。
ピアノ、たしかにスタインウェイだけど漆黒の塗装じゃないのは……と思っていたところに解説が。1887年製であるという。年代的にはフォルテピアノに近い感じか、この限られた時間の演奏だけでいえる事かどうかはともかく劇場型という音色ではない。

Dsc03417kuroituleru

Dsc03414foruteka  
 このソナタは第1、第3とともに師であるサリエリに献呈されているとか。
 「クロイツェル」、川久保氏がコンツェルトのような大曲と。いわれてみればまさしく。きょうは「クロイツェル」と思うだけで、聴こうとの意欲がわく。第一楽章に始まり第一楽章に尽きると私的には思っている。TV画面に「Virtuosic」(名人芸)と出してくれるところ、TV試聴も悪くはない。このオンパレード。作曲者の着想がどくどくと湧きあふれ制御しなければならないほど。創造の大波が来て曳いて波間に乱反射、緩の時を創り設け落ち着きをもたらしバランスを取ってまた大波。有無を言わせぬといった感じ。
 第二楽章、第一楽章が終わり、気分がちょっと休憩状態になっているけれども、はたと、演奏者にとって、この楽章はけっこうやりにくいものではないかと思った。この楽章だけを取り出してまた聴いてみる必要があるかもしれない。
 それにしても、大作曲家というのは、幾多の国際コンクールを制覇した演奏家にさえ生涯的に苛酷な要求を突きつけ続ける。まだだ、まだだと言い続け、休むことをさせない。世紀を超えて、演奏される喜び、演奏する喜びを共有しながら、演奏家を捕まえ振り回し、苦悩させ、突き詰めさせ続ける。たいした存在もあったものと唸ってしまった。

 

🎧
名曲アルバム。サティ作曲アンリ・パコリ作詞、狭間美帆編曲「あなたが欲しい」
【歌】クミコ,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

何と、モンマルトルの20世紀を思わせる酒場にある古びたピアノ、これがYAMAHA! 「恐るべき粗悪品」ではないと信じるけれども。

※写真は番組映像から。

⛳7時6分  更新

| | コメント (0)

ひろがる青空・大空

 21日、日曜日には、いつも10時頃に家を出るのですが、1時間はやく出て、息子に本を届け、その足で岩手県立図書館に本を3冊返却、それから教会の係がありましたので、10時半より20分ほど早めに教会に行きました。そして、午後は、イースター墓前礼拝。写真は教会の墓地です。左に立っておられるのが國光牧師、右に見えているのは教会員のSさんです。

Dsc03369

すばらしい天気でした。教会墓地から望む岩手山です。

Dsc03371

 そして、きょうはスクーターで、もりおか歴史文化館の桜を惜しみつつカメラにため込んできました。Dsc03410

 

 Dsc03402

Dsc03397

 

| | コメント (0)

2019/4/23クラシック倶楽部を聴く

郷古廉(バイオリン)&加藤洋之(ピアノ)、ベートーヴェンバイオリン・ソナタ全曲演奏会
~東京文化会館小ホール~

 

☆「バイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 作品121
☆「バイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24 「春」」

☆「バイオリンとピアノのためのソナチネ 第3番 ト短調 D.408から第2楽章」、シューベルト:作曲

 

郷古廉(ごうこすなお)
 20138月ティボール・ヴァルガ シオン国際ヴァイオリン・コンクール優勝ならびに聴衆賞・現代曲賞。1993年生まれ。宮城県多賀城市出身。2006年第11回ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクールジュニア部門第1位(史上最年少優勝)。2017年より3年かけてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲を演奏するシリーズにも取り組んでいる

加藤洋之
東京芸術大学器楽科在学中に安宅賞受賞。1990年ジュネーヴ国際音楽コンクール第3位入賞後ハンガリー国立リスト音楽院に留学。96年ドイツのケルンに移り、パヴェル・ギリロフに師事。

🎵「バイオリン・ソナタ 第1」、ベートーヴェン28歳で作曲した初のバイオリン・ソナタ、第三楽章にいたって、音がいよいよ冴えわたるという感じ。緩急の間合いが絶妙、躍動感漲る旋律が活き活きと嬉々と。「春」、明るく和やかなばかりでなく、地表に生命力がざわつく感じがいい。春の苦しさといえば恋の事かと思われそうだが、、よく心病む方々が、新緑のときは苦しい、病が重くなると仰るが、何かそんな苦しさが、昇華され、春の憂愁のように聞こえるところも。ベートーヴェンはやはり凄い! 力強く鋭利さも持つ弦の響きに得心。


🎧
名曲アルバム。レスピーギ「アッピア街道の松」
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

ローマの強大さ。2300年前のローマ帝国初の舗装道路アッピア街道のくぼみに歴史を。兵の進軍場面に力は貸しても、映像の力強さにはレスピーギも負けそう。

 

⛳6時52分  更新

 

 

 

| | コメント (0)

2019422クラシック倶楽部を聴く

堤剛&萩原麻未 デュオ・リサイタル
~ハクジュホール~

☆「母と子のための音楽」、三善晃:作曲
☆「チェロ・ソナタ へ長調 作品6」、リヒャルト・シュトラウス:作曲
☆「愛の言葉」、カサド:作曲
☆「ヴォカリーズ」、ラフマニノフ:作曲

(1942年生まれ)氏、私的に興味ある履歴は、父親からチェロの手ほどきを受け、8歳で第1回リサイタルを開催。桐朋学園斎藤秀雄に師事。
萩原麻未氏、201011月に行われた第65回ジュネーヴ国際コンクール〈ピアノ部門〉において、日本人として初めて優勝。年によって1位を出さないこの伝統あるコンクールでの8年ぶりの優勝は、各方面で大きな話題を集めた。広島県出身、5歳よりピアノを始める。国内の数多くのコンクールで入賞を重ね、第27回パルマドーロ国際コンクールにて史上最年少の13歳で第1位に輝く。

🎵「母と子のための音楽」、萩原氏が、堤氏から受ける影響を「ろうそくに火をともした瞬間のしあわせな気持ちを堤先生から受ける」、これは演奏から受けるということであろうかと。まさしく、そんなあたたかさ、優しさのある演奏、こういう分野でのご功績ならではかと思われた。私的には、この「母と子のための音楽」と、「チェロ・ソナタ へ長調 作品6」の第二楽章、静かに流れゆく大河のような、暮れゆく窓にのこる残影のような響きが味わい深かった。第三楽章の終わりで、ブラボー! が飛んだが、堤氏の音楽人生へのブラボーでもあると思われ、じんわり。このホールを埋め尽くしている観客のシルエット、長年チェロを牽引してこられた堤氏のファン、そして、指導を受け育てられた多くの弟子たち、関係者の方々のシルエット。ステージに注がれる感謝のこもる熱い視線が感じられた。チェロの懐で奏でるピアノの清新な響きも印象的。

Dsc03377

 堤氏が若い音楽家たちへ期待することは、「若い方々は今までにないものをいっぱい持っている。私の時代とは違い可能性を持っている。どんどん外へ出て行って欲しい。自分をもっと主張し表現して欲しい」。

 

🎧
名曲アルバムは、ベルク作曲の「ある天使の思い出に」、渡辺玲子氏のバイオリン、シャープな感じが何とも! 指揮は渡辺一正氏、東京フィル。

Dsc03378

 

⛳6時45分 更新

 

| | コメント (0)

イースターおめでとうございます!

イースター、

    おめでとうございます! 

きょうはイエスさまの復活記念日です。

 「エマオの途上  絵画」の画像検索結果 
復活されたイエスさまがエマオの途上に現れ、弟子たちに聖書を解き明かします。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

きょうは先週のおはなしです。イースターの説教は来週になります。 

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『十字架の奥義』(國光勝美牧師)。聖書引証は第一コリント2:15です。

1兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。2なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。3あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。5それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。

 この教団から出されている「つばさ」に、このような記事があります。イエス様が、最後の晩餐の時に食事を摂られ、盃を回される。本来は、過ぎ越しの祭りでは盃を4回まわすことになっている。それでその儀式は完了するのですが、しかし、聖書には、3回までしか記されてはいないというのです。4回目はいったいどこで? 

イエス様が、疵のない神の子羊であるイエス様が、過ぎ越しの血を塗ってくださるというまことのイエス様の十字架の血潮、その成就であるキリストの十字架なのですが、そのときローマの兵隊が、息も絶え絶えになっておられる十字架上のイエス様に向かって、酸い葡萄酒を唇に差し出す。これを、私はこれまで、その酸い葡萄酒は、十字架刑はあまりに辛く苦しい刑なので、それをマヒさせるための麻酔的なものではなかっただろうかと考えておりましたが、「つばさ」の記事を見ますと、イエス様はそれを受けられて、4回目の過ぎ越しの食事を十字架の上で完成された、十字架で事を為し終えてくださったことに目が開かれました。ヨハネ1930の「完了した」という意味は、その過ぎ越しが、十字架の贖いというものがこれですべて完了したという、まさに過ぎ越しの完成の盃であったという示唆が与えられた時に、一層大きな恵みをいただいたことでございました。

Leonardo da Vinci (1452-1519) - The Last Supper (1495-1498).jpg

 

 きょうは(先週)コリント第一の手紙から、『十字架の奥義』という題を説教題で使わせていただきました。

 本来、「奥義」ということばは、ギリシャの神秘主義的な宗教の中の用語でした。ムステイリヨス、或いは秘儀。これがパウロによって、新約聖書に語られています。

エペソ書3:3~6
3:3先に短く書いたとおり、奥義が啓示によって私に知らされました。 3:4それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。 3:5この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。 3:6それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者となるということです。」

ここにあるのは、ユダヤ人だけでなく異邦人もキリストの十字架の贖いによって恵みに与る、これが奥義です。奥義が啓示によって私に知らされた。啓示ということと奥義ということ、これは、しばしばこういうように、真理が隠されていた、隠されていたからこれが奥義ということになっているわけですけれども、これが隠されて神によって啓示された。  神の側から人間では到底知ることはできない真理を神様は与えてくださった、これが啓示、奥義というものの意味するところであります。

聖書の中で、いろいろ奥義と言われるものは、ざっと考えると幾つか思い当たりますのは、三位一体の神様。これも啓示されなければとてもわからない奥義です。よく三位一体は矛盾しているという議論を持ち掛けられることがあります。エホバの方々が言うのは神は唯一だから神が三位一体だというのは偶像であり、神はエホバのみといいます。

三位一体が矛盾していると言えば矛盾しています。これを人間の頭でつじつま合わせをしようとしても不可能であり、聖書に書いてある通りに理解する以外にはない。父なる神と、子なるキリスト、そして聖霊なる神。たしかに聖書は三つのご人格、イエス様が第二位格なるお方が人格を持っておられるということはわかりますが、では、聖霊なる神様がそれをもっておられるということは。聖書に御霊を悲しませてはならないという表現が聖書にはあることにお気づきでしょう。悲しむというようなことは、人格を持っているものにしか帰することはできない。それ一つ取ってみても、聖霊というお方が、ただ単なる影響力だとかいうようなものではない、ご人格を持っておられることは当然わかる。それらのことを認めながら、しかし、神が唯一であると旧約にも新約にも同じように記されているのでございます。

これをどんなに考えてみても、真理に属するものとして受けて、またそれだからこそほんとうのものなのだといえる。こんな限られた人間が、神様を神様であろうはずがない、などと言える程度のものではないのです。これはほんとうに神秘に属する、そのまま受け入れるということに私たちはアーメンとうなずく者です。それからもう一つ、イエス・キリストと仰る方が、神であり人である。神人合一であるといいます。これにしても私たちはクリスチャンとして受け止めているのですけれども、イエスさまが神であるのならば、世の初めから神として存在しておられる。そして、その創造者なるお方が、あろうことか、人として、2000年前に緊急手段のように、肉体をおとりになって、まさに過ぎ越しの子羊となるために、死ぬために人となってくださったという、しかも私たちと何の変わらない人として食事もされ、また黙せ、静まれといって大自然にひとことで、創造者、作り主なる権威をもったご自分を示され、それが矛盾しないでイエス様の内にひとつとなっている、これを神秘と言わずして何というのでしょう。これは奥義として。そしてもう一つ大きなこととして、十字架のもとにと言われる時、十字架というものがユダヤ人にとって、神の呪いの極致であるのです。

ガラテヤ3;13

3:13キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれたものとなることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

はっきりと、パウロがイエス様の十字架というものが、私たちを律法の呪いから贖いだしてくださると言いました。そして、これが旧約聖書の何処から出ているのかというと、

申命記21;23

23その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神に呪われた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を汚してはならない。

どれほどイエス様の十字架というものがユダヤの人たちにとって呪われた者という意深いものであるかを、はたと気づかされる聖書の個所であります。神様が、ユダヤ人たちにモーセを通して与えてくださった律法、それは、これをまもり行うならばあなたがたは、この律法によって祝福される。この神が与えてくださった律法を感謝して受け止めてこれを行っていくならば、この道を歩む者は必ず祝福されるということを、神様は祝福を与えてくださるために、決して神様は、私たちを呪おうとするためではなく、祝福のルールとして、黄金のルールとして、私たちに与えてくださったのが律法だった。人に祝福を与える、このように生きなさいという黄金律を与えてくださったその実は、律法が、それがあればあるほど、私がどんなに頑張っても、その神様の律法を行うことができない。私はまじめに一生懸命に生きています。といっても、この律法という鏡の前に自分を映し出したのならば、自分が何と穢れたものであるか、そのことに、残念ながら気が付くわけです。祝福を与えるはずの律法が罪を犯してしまっている私たちには、それが呪いになってしまっている。誰一人律法を行う事によって神の前に立つことはできない、その、律法の呪いから私たちを解放してくださったのが、イエス・キリストご自身だったのです。

まことに、一点一画もくずされることのない律法を全うされたお方が、イエス様でした。人として、神の祝福とされる律法を完全に人として実行してくださった、そのお方が、だからこそ、欠けだらけの、どうしても救うことができない自分自身をどうすることもできないような自分の身代わりとなってくださった。神の律法を満足されたお方です。最後の血の一滴までも注ぎだして、私たちのために呪われてくださった。神の裁きを一身に負ってくださった。これを、知れば知るほど私たちは、もう、感涙のほかはありません。キリストの十字架はすべてを成就したというのは、まさに、この神の律法もぜんぶ成就してくださった、あらゆる意味ですべての事が完成した。私たちをそこから解放してくださったわけであります。

ユダヤ人以外の者にとって、つまり、ローマ人にとってはどうでしょうか。ローマ人たち、彼らは、もちろん犯罪を犯した者には死刑が与えられます。そしてそのいちばん残虐なのは十字架刑で、その当時からありました。そして、その十字架刑はローマのしきたりとして、ローマ市民権を持っている者は、どんなに罪を犯しても重罪であっても十字架による死刑はできないことになっていたと言われています。それほど、ローマの死刑の方法としてみたなら残虐であるのが、異邦人の十字架の意味でありました。不思議な事です。人間の残虐性の一番表れている、一番拒絶しているそれが異邦人の十字架である。それが、ユダヤの人たちから見たのならば木につけられた者は神に呪われた者であるということが見事にクロスして、重ね合わせられた時に、十字架というものを深く考えさせられます。

第一コリント2:4をお開きください。

4そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。

 いまここに、スクリーンに、ノーベル賞級の発見にブラックホールの画像化できた、空想によってではなく、データによってきちんと観測し、ブラックホールが空想ではなく実際のものとして捉えられた。きっと皆さん方、日本とか、アメリカ、チリというような色々なところから観測して、漸く遠いそこに行ってあるはずだというものを見つけた。これを見ながら、私たちクリスチャン、十字架の意味をお話しさせていただいた、これをほんとうに知ることができている。もちろんこれは一つの足掛かりとしてのお話しですけれども、私たちは、これと同じように、ほんとうに神様の愛、イエス・キリストの2000年前のカルバリの十字架において示された神の愛というものを、私たちは、神の力によって、漸く知ることができている。当たり前のように語っているのですが、このことを知っている人が果たしてどれだけいるのでしょうか。世の中には、多くの知恵のある人たちがいる。コリント一章、2章にもありますが、この世の中には知恵のある人がいっぱいいて、神の愛を探ろうとしてもわからない。私たちには、神様の愛、聖霊の力によってあのカルバリの2000年前の十字架の出来事が、これは私の救いのためなのだとはっきりとわかる。これは驚くべきことです。どれぐらい光年のことを見つけたと言って騒いでいるかわかりませんけれども、私たちは、2000年前のあのカルバリの十字架に神様の愛が現れているのだということを、涙ながらに感謝し受け入れることができること、これは生涯の大発見であることを教えられることです。

 

第一コリント2:14~16

2:14生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊のことは御霊によって判断するものだからです。 2:15御霊を受けている人は、すべてのことを判断しますが、その人自身はだれによっても判断されません。 2:16「だれが主のみこころを知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。

 どうか十字架に示された神の愛が、アーメンと私たちに受け入れられている皆さん方  まさにそれこそすごい神様の愛の真理を知っている者であることに感謝したいと思います。 

 それではどうか意義深く受難週を迎えてください。そして、どうかこの次の日曜日、喜びと感謝をもって、イースターと聖餐式を迎えさせていただきたいと願うことです。

 

⛳4時37分 更新

| | コメント (0)

シンフォニエッタ盛岡 春のコンサートのご案内

Img096_1

| | コメント (0)

イースターをまえに

 キリスト教では、14日に受難週に入っている。15日にノートルダム寺院の火災があり、唖然とさせられた。年間1300万人が訪れている。再建には10年を要するとか。ただ、大聖堂がめらめらと炎上し崩れゆくとも、神が失うものは何ひとつない、そう思われた。

Leonardo da Vinci (1452-1519) - The Last Supper (1495-1498).jpg

 金曜はイエスさまが十字架に架かられた日。そして、こんどの日曜はイースター。

 墓の中にいと低く
 葬られたりああわが主
 黄泉よりかえり
 敵なる死をやぶり
 勝利を得しわがイエスは
 この世をおさめたもうなり
 歌え、歌え、
 ハレルヤ、イエスを!

 

| | コメント (0)

盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第53回が出ました

本日、盛岡タイムスに筆者の連載「楽都のユニゾンー鳥取春陽と太田カルテット」の第53回が出ました。

今回は旧制第一高等学校在学中に華厳滝に投身自殺した藤村操のあまり知られていない一側面を書かせていただきました。梅村保の使用バイオリンも登場です。

 

| | コメント (0)

2019/4/19クラシック倶楽部を聴く

イリヤ・グリンゴルツの無伴奏バイオリン・リサイタル
パガニーニ「24の奇想曲」から2曲を演奏し、次にはシャリーノ「6つの奇想曲」から一曲をはさんで順次演奏していくというパターン。この試みは、ザルツブルク音楽祭で絶賛されている。今朝の放送は、17年9月浜離宮朝日ホールでの演奏からの抜粋。
 イリヤはロシア生まれ。1998年、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにて、史上最年少(16歳)で優勝、併せて最年少優勝賞とカプリース最優秀演奏賞を受賞。

Dsc03341iriya

 イリヤ言うに、パガニーニ( 1782~ 1840) とシャリーノ(1947生まれ)は時代が違うが基本的な考え方が似ている、両者の曲を並べ奏することは時代を凝縮した万華鏡を見るよう、二つの作品から響きの似ている曲を並べている、と。

☆「24の奇想曲 から 第1番 ホ長調」、「24の奇想曲 から 第2番 ロ短調」パガニーニ
☆「6つの奇想曲 から 第1番」、シャリーノ:作曲
☆「24の奇想曲 から 第5番 イ短調」、パガニーニ:作曲
☆「6つの奇想曲 から 第3番」、「6つの奇想曲 から 第2番」、シャリーノ:作曲
☆「24の奇想曲 から 第6番 ト短調」、「24の奇想曲 から 第10番 ト短調」、パガニーニ:作曲
☆「24の奇想曲 から 第11番 ハ長調」、「24の奇想曲 から 第13番 変ロ長調」、パガニーニ:作曲
☆「6つの奇想曲 から 第5番」、シャリーノ:作曲
☆「24の奇想曲 から 第14番 変ホ長調」、「24の奇想曲 から 第17番 変ホ長調」、「24の奇想曲 から 第18番 ハ長調」、「24の奇想曲 から 第23番 変ホ長調」、パガニーニ:作曲
☆「6つの奇想曲 から 第6番」、シャリーノ:作曲
☆「24の奇想曲 から 第24番 イ短調」、パガニーニ:作曲

🎵たしかに万華鏡、とりどりの作意から生まれた旋律がキラキラと光を放っている。研ぎ澄まされたふんだんな音が空間を鋭く幾重にも、また微塵にちぎり、切り刻んで音をまき散らしてくれるような楽しさ、美しさに満ちていた。シャリーノは、パガニーニが用いないハーモニクス奏法、日本名では倍音奏法というらしいが、それを用いているという。私的には、パガニーニの曲の狭間でシャリーノの良さを知らされたという感じが。シャリーノには前衛的な先々にメスを当てるような響きに感嘆はするものの、筆者のような骨とう品には、ややもすると金属的に耳に届く音色は少々荷が勝ちすぎる。しかし、その奏法には感嘆させられる。こんな領域もあったかと目からうろこが落ちるのだが。シャリーノの第6番が終わり、パガニーニの第24番に移行したときには正直ほっとした。シャリーニの曲には現代の先行き不透明で緊迫したさまが象徴的に表れているのかもしれない。

 

🎧名曲アルバム。「線路は続くよどこまでも」アメリカ民謡/ニウナオミ編曲

【合唱】東京混声合唱団,【吹奏楽】ぱんだウインドオーケストラ,【指揮】ニウナオミ

元気が出る!大陸横断鉄道7年で3000キロ工事を成し遂げたのは、

Dsc03346

⛳7時12分 更新

| | コメント (0)

大信田時子 人物画展   「大信田時子 人物画展 13」のご案内

Img099_1

| | コメント (0)

天沼三津子さんの「七宝に遊ぶ展」が始まっています!

 

Img097

| | コメント (0)

2019/4/18クラシック倶楽部を聴く

エドガー・モローのチェロ&ピエール・イヴ・オディクのピアノ
2017年6月1日 王子ホール


☆「エレジー 作品24」、フォーレ:作曲
☆「チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38」、ブラームス:作曲
☆「歌劇「サムソンとデリラ」から「あなたの声に心は開く」」、サン・サーンス:作曲
☆「モーゼ幻想曲」、パガニーニ:作曲
☆「チャールダーシュ」、モンティ:作曲

 

エドガー・モロー
1994年パリ生まれ。4歳でチェロを、6歳でピアノを始める。2011年国際チャイコフスキー・コンクール第2位、14年ヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディション第1位。世界各地の音楽祭に招かれている。使用楽器は1711年ダヴィッド・テヒラー製チェロ。テヒラーの父が、投資のために購入したもの。
モローが語るピエール・イヴ・オディク
チェロのレパートリーを熟知しているだけでなく、一緒に弾いている人物に耳を傾け、そのフィーリングをつかむことができる。それはピアニストとして何よりも賞賛すべき資質
(以上はエドガー・モロー 一問一答から)

🎵エドガーが骨董屋で少女が弾いていたチェロに一目惚れしたというが、骨董的価値を認めた父親がちゃんと買い取っておいた、それを貸してもらっていたが、今はエドガーが買い取り自分のものになっているのだという。チェロが人の声に近いというのは聞いたことがあるが、肉体的、官能的で引き寄せて弾いている時に、肉体と融合する感覚があるとエドガーはいう。自分の体の一部となるまでに楽器を弾きこむという意味とはまた違っているように思った。
 「チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38」、第一楽章、こもる感情の揺らめき。第二楽章、部屋には何人かいるようなのだが、屈託のない日常会話。第三楽章、さてさて本題と、思い思いの想い考えを本音をちょっと垣間見せながら提示しあっている、そんな感じで聴いた。「あなたの声に心は開く」、官能的アリアとされているが、音符が弦を潜ると、人間の濁り、あくどさはかなり濾過されてしまうので、またそれでいいのだと思うけれども、デリラの狡猾さが今一つ聴こえてこない。「モーゼ幻想曲」、これがパガニーニの作曲。チェロの最高音の一弦の音がやはり印象的、パガニーニならではという感じが。ナイルから引き出されたモーセ、エジプトの王子として育てられ、やがて自分が、この国で奴隷と虐げられている民族の血筋であることを知り、宮殿を出て荒野を彷徨い、やがてイスラエル民族の偉大な指導者となるモーセの成り行きが浮かんだが。この曲では、モーセが自分の運命と使命に覚醒させられる、そんな旋律かとも思われた。「チャールダーシュ」、要所要所で感情をギュッと凝縮させた部分があり、よく聴く曲ではあるけれども、新しい解釈があったなと。

 

🎧
名曲アルバム。「シャコンヌ」バッハ作曲

【バイオリン】堀米ゆず子

 堀米氏は、彼女がまだ桐朋で学んでいた時代に、岩手県宮古市にある宮古ジュニア弦楽合奏団に来てくれたことがある。注意力が喚起されたことと、映像のすばらしさは確かに関係はあるが、そればかりではなく、今朝流れたシャコンヌは典雅な重量感ある憂いに満ちていた。
 シャコンヌはケーテンで作曲されているが、バッハはここで領主レオポルドの庇護のもと、最も充実した時を過ごしたようだ。ケーテンは、バッハが最も輝いたまちであるという。

 

⛳6時50分 更新

 

 

| | コメント (0)

2019/4/17クラシック倶楽部を聴く

ガブリエル・ビアンコのギター
2017年8月28日 武蔵野市民文化会館小ホール

☆「セビリャーナ」トゥリーナ:作曲
☆「世紀を渡る変奏曲」、カステルヌオーヴォ・テデスコ:作曲
☆「アンダルーサ」、グラナードス:作曲
☆「アストゥーリアス」、アルベニス:作曲
☆「アラビア風奇想曲」、タレガ:作曲
☆「オートゥイユの夜会」、コスト:作曲
☆「マドローニョス」、トローバ:作曲x
☆「アランブラ宮殿の思い出」、タレガ:作曲

ガブリエル・ビアンコ:1988年パリ生まれ。2008年GFA国際ギターコンクール、2007年コブレンツ国際ギターコンクール他、さまざまな国際ギターコンクールで優勝。ギタリストの父の影響で5歳から始め、14歳でプロになろうと決意。母からもらったラヴェルのCDがきっかけだった。心奪われ、以来、この音楽の情熱にとりつかれているとビアンコ。

🎵
 すこし疲れ気味で聴いたギター。この聴く、聴けるようになる、というのも蓄積によるという感じが。ひところは、アルハンブラ以外はみな同じく聴こえていた。けさは、「オートゥイユの夜会」の優雅さ、リズムをポイント的に。もっと的確にガブリエル・ビアンコを語ってくれている方はいないかと探したところ、No Rhythm!線上のギタリストのギター時々グルメ(B級)があった。このページの一部抜粋させていただいて、「使用楽器のスモールマンは音圧も凄く、ホール中に響き渡っていましたが、せっかく丁寧にやっている音色変化が実際の音に現れにくいように思いました。ここれほどの発音技術があるなら、いわゆる名器での演奏を聴いてみたいと思いました(誰か貸してあげれば!)。プログラムにもソナタや組曲なんかが1つ入ると、重みが出て完璧だと思います」。今後、鑑賞する上での参考となりそう。体格の利点はやはり演奏技術に反映されるのだ。発音される音自体がどうであるかの聞き分けも大事。気持ちが入っているかどうか、曲の配置はどうかなどの留意点を教えてくれている。

🎧名曲アルバム。「愛のあいさつ」エルガー作曲/ニウナオミ編曲

東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】円光寺雅彦

 



WIKIからエルガーの生家と音楽を初めて学ぶことになったウスター大聖堂。

 

⛳7時2分 更新

 

| | コメント (0)

2019/4/16クラシック倶楽部を聴く

ファミ・アルカイのヴィオラ・ダ・ガンバ
2016
512日 王子ホール

ファミ・アルカイのヴィオラ・ダ・ガンバ
2016
512日 王子ホール

☆「マリサパロス」、ガスパール・サンス:作曲、ファミ・アルカイ:編曲
☆「カナリオス」、ガスパール・サンス&アントニオ・マルティン・イ・コル:作曲、ファミ・アルカイ:編曲
☆「涙」、サント・コロンブ:作曲、
☆「ヴィオール曲集 第4巻から アラベスク」、マラン・マレ:作曲
☆「ヴィオール曲集 第2巻から 人間の声」、マラン・マレ:作曲
☆「ヴィオール曲集 第3巻から ギター」、マラン・マレ:作曲
☆「シャコンヌ「モランジまたはプリセ」」、ジャン・バティスト・フォルクレ:作曲
☆「「鳥の歌」による変奏曲」、カタルーニャ民謡:作曲、ファミ・アルカイ:編曲
☆「オールウェイズ・ウィズ・ミー オールウェイズ・ウィズ・ユー」、ジョー・サトリアーニ:作曲、ファミ・アルカイ:編曲
☆「紫のけむり」、ジミ・ヘンドリックス:作曲、ファミ・アルカイ:編曲

ファミ・アルカイ:1976年スペイン生まれ。セビリャおよびスイスでベントゥーラ・リコ、ヴィットリオ・ギエルミにヴィオラ・ダ・ガンバを師事。その頃からエスペリオン XXI(J・サヴァール)など世界的に名高い古楽アンサンブルと共演。2002年に、ソプラノのマリビ・ブラスコとともにアカデミア・デル・ピアチェーレを創設、音楽監督を務める。09年以来、スペインでもっとも古く重要な古楽音楽祭であるセビリャ古楽音楽祭(FeMAS)の芸術監督を務めている。ロック、ポップスも手掛け、ヴィオラ・ダ・ガンバに新境地をひらく。

🎵最初の2曲で、ルネサンス、バロック時代の軽妙な空気感をゆったりと楽しむ。「涙」のサント・コロンブは17世紀前半、仏のヴィオラ・ダ・ガンバの巨匠であるようだ。じわりとくる悲しみの淵からの汲み上げ。マラン・マレも17世紀の同楽器の奏者。総じて重音奏法か流しこむ滋養に、心の蓄積を得た満足感が。「シャコンヌ」、本来はクリスマスキャロルである「鳥の歌」、クリスマスではなくとも新たなる夜明けと聴く。最後の2曲、これがファミ・アルカイの現代にひらく新境地の一つなのか。

🎧名曲アルバム。「ある天使の思い出に」ベルク作曲

【バイオリン】渡辺玲子,【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー
ベルクが1935年に愛する少女の死を悼み作曲。作曲した同じ部屋で、少女の死と時を同じくしてベルクがこの世を去っているという。
「ある天使の思い出に」の解説

⛳ノートルダム大聖堂火災ニュースに唖然。7時5分更新

| | コメント (0)

2019/4/15クラシック倶楽部を聴く

ジャニーヌ・ヤンセンのヴァイオリン&イタマール・ゴランのピアノ。2016年2月17日 紀尾井ホール

☆「バイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 作品100」、ブラームス:作曲
☆「バイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 作品100」、バルトーク:作曲
☆「愛の悲しみ」、クライスラー:作曲
☆「“スペイン民謡組曲”から “ポロ”」、ファリャ:作曲、コハンスキ:編曲

🎵ジャニーヌが、ブラームスの人か、バルトークの人かと問うてみると、ブラームスを弾くことは彼女にとって自然に見えるのだが、むしろ、彼女の内奥から引き出され、自分の感性に照らし、ぎりぎりまで作曲者の意匠に近づこうと、ある意味もがいたかもしれないバルトークの演奏のほうに、より聴く価を覚えた。「ポロ」も曲に立ち向かい、曲中からつかみ取り、つかみ出すという凄さを感じる。美人バイオリニストの内実が、むしろ男性的であると感じる瞬間だ。ヤンセンはオランダ出身。ほんとうは兄が弾くチェロをやりたかったが、音楽上の調和を考えて、親がバイオリンを勧めたようだ。タワーレコードのプロフでは、「2003年にはみずから“ユトレヒト国際室内楽フェスティヴァル”を創設した。録音では2003年よりデッカと専属契約を結んでいる」。
 バルトーク、第一楽章、何が那辺にあるか探るような穏やかなようで硬質な響きがいい。剥落しゆくものが感じられる。第二楽章、私的に、模索と拾い集めと聴く。第三楽章、勇躍、疾走の果てに静まり自らを久遠におさめてくかの最後の細く消えゆく音が印象的。
 ジャニーヌ言うに、音楽は感情をいちばんダイレクトに伝えられる術。人と人を結びつける強い力であり、ときには2000人の聴衆のエネルギーを感じる。日本の聴衆はこのエネルギー、集中力が最高。聴衆と一緒に心揺さぶる音楽を。自分の声ともいえるバイオリンで聴衆と音楽を分かち合うことができ最高、と。
 イタマール・ゴランはジャニーヌと組んで10年だという。リトアニア生まれ。

 

🎧
名曲アルバム。「アルフォンシーナと海」ラミレス作曲/フェリックス・ルナ作詞
【歌】松田美緒,【ギター】レオナルド・ブラーボ

 


クラシック倶楽部が始まる15分前に流れていた音楽祭を検索するうちに7時になってしまい、
7時1分の更新

| | コメント (0)

きょうのことば

 樹木が、塀の高さに抜きんでた東側に対面する樹皮に、朝の光を受け止めている。日中は17℃にはなるらしい。花粉も勢いを増して大活躍してくれそうな気配が。

Dsc03316boke  

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のおはなしは、『最後の晩餐とは』、聖書引証はルカの福音書22:14~23でした。


22:14その時刻が来て、イエスは席に着かれ、使徒たちも一緒に座った。 22:15イエスは彼らに言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。 22:16あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」 22:17そしてイエスは杯を取り、感謝の祈りをささげてから言われた。「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい。 22:18あなたがたに言います。今から神の国が来る時まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、決してありません。」 22:19それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」 22:20食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による、新しい契約です。 22:21しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。 22:22人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。」 22:23そこで弟子たちは、自分たちのうちでだれが、そんなことをしようとしているのかと、互いに議論をし始めた。

 

※今回は引証聖句のみ書かせていただきました。
⛳7時14分 更新

| | コメント (0)

神との平和

 エンジンのかかり具合は悪くなかったが、なにか、どこか本調子ではない。ここ2、3日、とにかく動ける、まだまだやれる、まだ働けると突っ走った結果、エンジン・トラブル。頭痛と花粉特有の症状が一気に悪化。脱力感。車体が旧式であるため、宥めなだめ動かしてきたのだが、ついにオーバーヒート。ドック入りさせるほどでもなく、先ずはきょうまる1日ゆったりと休ませる。夕方には漸う冷却系、オイル系が回復。と同時に食欲も回復。いつもの3分の1量。ここ2,3日は要注意。

 臥せりながら考えたことは、「もうすぐアマリリスが咲く。それも二つも。あの大きな蕾。もう周りを包む空気までが期待感に淡く透明に明るくさざめいている。アマリリスが咲く。涼やかな瞳を開いて、焦点の定まらぬあらぬ方に微笑みながら、いま朝の光に目覚めたばかりのようにアマリリスが咲く」。
 もし、たった一文字だけを書いてブログを更新するとしたら、どんな文字がいいだろう。「一」がいいだろうか。誰もが世界に一つのもの、われらは一つという連帯。人生は一度きりの一、一から出直すの一。……一等?、なにが一等、一等を生み出すには、誰かが二等や三等を引き受けなければならない。そんな一はいやだな。やっぱりやめよう、「一」という字は。あれこれあれこれ堂々巡り、そして、ああ、これかと思い当たったのが「神との平和」。一文字ではないけれど、神との平和が人との平和ももたらす。ちょっと戦いムードに傾いている自分にはちょうどいい。「神との平和」、それが「自分の心の平和」となりますように。こうして、自分を励ます。どこにあっても、自分で自分を励ますことが必要だ。

 

| | コメント (0)

2019/4/12クラシック倶楽部を聴く

 

ソプラノのエヴァ・メイ&ピアノ浅野菜生子
2017年2月20日 紀尾井ホール

☆「「音楽の夜会」から」、ロッシーニ:作曲
☆「歌劇「ドン・パスクァーレ」から「騎士はあのまなざしを」」、ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「リゴレット」から「慕わしい人の名は」」、ヴェルディ:作曲
☆「歌劇「ランメルモールのルチア」から「あたりは沈黙にとざされ」」、ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「アンナ・ボレーナ」から「私が生まれたあのお城へ連れて行って」」、ドニゼッティ:作曲
☆「歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」」、プッチーニ:作曲

エヴァ・メイ:イタリアの音楽一家に生まれ、フィレンツェのルイージ・ケルビーニ音楽院を卒業。1990年ウィーンのモーツァルト国際コンクールで、モーツァルト《後宮からの逃走》コンスタンツェ役によりカテリーナ・カヴァリエーリ賞を受賞した。その後まもなくウィーン国立歌劇場に同役でデビューし、国際的なキャリアを積み始めた。そしてこの20年間にわたり、世界の主要な歌劇場に出演している。

🎵伴奏者の浅野菜生子氏と登場した演奏家はみな、意思疎通がうまくいっているなという感じが。氏の通訳が果たしている役割の大きさだ。みな錚々たる演奏家たちが、浅野氏によって、より歌いやすく、演奏しやすいのだろう。貴重な存在かと思う。エヴァ、歌った歌詞のように、天の扉が開きそうな確かな響き。「騎士はあのまなざしを」の歌詞は、これを音楽にというところに違和感があるのだが、何事も人間の心情そのままに表現する向こうのお国柄なのか、芸術とはそういうものなのか、はたまた、こういったことをとやかく言うのは論外と言われそうな気も。

Dsc03309tuuyaku-2

 

 

🎧名曲アルバムは「線路は続くよどこまでも」

苛酷な線路の敷設工事に従事した人々。

 

Dsc03313

開拓当時の機関車

Dsc03311

写真は何れも番組の中から

 

⛳うまく更新なるか不安、一抹 6時45分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019/4/11クラシック倶楽部を聴く

 一旦はかき消えた記事を、備忘録としてのこすために書く。書いたことを記憶させておくのは大変だが、こうして記録しておくと、必要になったときに、あ、あの時に聴いたっけ、と開いてみることができる。

けさは(テノール)サイミール・ピルグ、(ピアノ)浅野菜生子。
~2016年2月25日 紀尾井ホール~

☆「歌劇「愛のまこと」から「ガンジス川に太陽がのぼり」」、A.スカルラッティ:作曲
☆「歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」から「最高の王座にある者の喜びは」」、モーツァルト:作曲
☆「歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から「恋人を慰めて」」、モーツァルト:作曲
☆「歌劇「愛の妙薬」から「人知れぬ涙」」、ドニゼッティ:作曲
☆「踊り」、ペポーリ:作詞、ロッシーニ:作曲
☆「歌劇「第一次十字軍のロンバルド人」から「私の喜びは呼び覚ます」」、ヴェルディ:作曲
☆「歌劇「シモン・ボッカネグラ」から「心に炎が燃える」」、ヴェルディ:作曲
☆「歌劇「ロメオとジュリエット」から「目覚めよ、きみ」」、グノー:作曲
☆「歌劇「ウェルテル」から オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」」、マスネ:作曲
☆「歌劇「アルルの女」から「ありふれた話」」、チレーア:作曲
☆「歌劇「リゴレット」から 女心の歌「風の中の羽のように」」、ヴェルディ:作曲
☆「ろうそくの言葉」、フラシェリ:作詞、ディズダーリ:作曲

🎵
 サイミール・ピルグはカルーソー国際声楽コンクール入賞。クラウディオ・アバドに見出され、ドミンゴに絶賛される。その昔、日本では本格的な声楽を聴くことのできなかった時代、ビクター赤盤となったカルーソーの声がマニアの間で響いていた。それが国際コンクールに名をのこしている。きょうの演目の多くが愛、恋の歌。リリック・テノールの力が詩の端から端までを耳に届ける。終盤の「風の中の羽ように」は、もうそれもわかった、これも、あれも分かった! と一気に達観した陽気さが。これが至極愉快。多くの恋愛詩は失恋、失意、失望という結果から生じるようだ。うまくいって歌いちぎった歌は数少ないように思う。失恋ありて大曲あり?
 浅野菜生子氏、桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒。同大学声楽科伴奏研究員修了。96年に野村国際文化財団の奨学金を受けミラノへ。藤原歌劇団団員、昭和音楽大学・大学院講師。通訳では、音楽家の言わんとするところを直截に訳し、観客とのコミュニケーションを取り持つ。

🎧名曲は、サティーの「あなたが欲しい」。
家具のようなそこに置いてあるだけの音楽、これが彼の真骨頂。通俗のくだらなさを知りつつ通俗を愛したの感。サティーの思想が表れている部屋が紹介されたが、写真を撮ったつもりが、何と、カードを入れ忘れていた!


こんどはうまく反映されるだろうか。⛳9時52分更新

 

 

| | コメント (0)

またまた記事消失

クラシック倶楽部、7時2分更新、五輪関連ニュースを耳にしながら更新した。いまさてまた間違いはないかと確かめるために開いたところ、ない、ない、記事がない。誤って一つ下の「保存」を押したろうか。気を付けて確かめて押したはずだ。う~ん。なにも締め切りがあるわけではないが、この忙しい時期に! 書き直すまでもない記事、しかし、継続してきているものでもある。さて、どうしようか。

| | コメント (0)

2019/4/10クラシック倶楽部を聴く

けさは、ラケル・アンドゥエサのソプラノ、ヘスス・フェルナンデスのテオルボ・バエナ、ピエール・ピツルのバロックギター。王子ホール公開録画。


☆「私は狂気」、バイイ:作曲
☆「ピエール・ピツルマリサパロス」、作者不詳:作曲
☆「わかっている 私が死にかかっているのは」、リュリ:作曲
☆「ろう屋のハカラ」、ケベド:作詞、作者不詳:作曲、トレンテ:編曲
☆「そんな風に思うなんて」、メールラ:作曲
☆「恋するヘラクレイトス」、ストロッツィ:作曲
☆「私の美しい人」、作者不詳:作曲
☆「安らかにみな忘れ」、モンテヴェルディ:作曲
☆「シャコンヌによるカプリース」、コルベッタ:作曲
☆「これほどにも甘美な苦悩が」、モンテヴェルディ:作曲

🎵「私は狂気」、この題、17世紀の作曲家たちが好んで使ったことばらしいが、平凡、月並みをいかにして超えるかには、もうこの時代にも模索されていたのかと。アンドゥエサが言う通り、一曲を除いては、みな苦しい愛を楽しむといった内容の曲、詩の内容は俗謡的でもあるが、バロック時代には多くに親しまれたのだろう。一曲というのが「ろうやのハカラ」、これは社会風刺だ。単純で素直で率直、ストレートに心に落ちる、アンドゥエサがいう「人の魂にまっすぐ届く」。いわれてみると、アンドゥエサの声質が古楽器、テオルボ・バエナやバロックギターと親しく響き合う。マイナーな感情もオブラートにくるむように、それは、制御してという意味ではない。温みのこもる腸弦のような柔らかさで歌いあげてくれる。聴いていて疲れない。

 

🎧
名曲アルバム,「交響詩“ローマの松”から“アッピア街道の松”」、
東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】渡邊一正

Dsc03307

ローマの歴史を知っているローマの松。観光案内写真にはあるだろうけれども。名曲アルバムの一場面。アッピア街道の松は動画のうちでも人気が高いようだ。日本でよく見かけるアカマツ、クロマツのようには見えないが。古木だからなのか。

傘を広げたような個体 P. pinea

wikipediaからだが、こんな松もあるらしい。

 

⛳7時2分 更新

| | コメント (0)

2019/4/9クラシック倶楽部を聴く

けさはタラ・エロートのメゾ・ソプラノ。ピアノ、ヘニング・ルーエ。東京文化会館小ホール。
☆「わが子よ、私が王ならば」、ユゴー:作詞、リスト:作曲
☆「ローレライ」、ハイネ:作詞、リスト:作曲
☆「アルプスの狩人」、シラー:作詞、リスト:作曲
☆「夢に来ませ」、ユゴー:作詞、リスト:作曲
☆「愛とはなに」、ハーグン:作詞、リスト:作曲
☆「若き日の幸せ」、ポール:作詞、リスト:作曲
☆「ベレニーチェのシェーナ」、メタスタージオ:作詞、ハイドン:作曲
:作曲
☆「むなしいセレナード 作品84第4」、古謡から:作詞、ブラームス:作曲
☆「わが恋は緑 作品63第5」、フェリックス・シューマン:作詞、ブラームス:作曲
☆「五月の夜 作品43第2」、ヘルティ:作詞、ブラームス:作曲
☆「乙女ののろい 作品69第9」、カッパー:作詞、ブラームス:作曲
☆「歌劇“シンデレラ”から“不安と涙のうちに生まれ”」、ロッシーニ:作曲

 

🎵

 タラ・エロートはダブリン出身。

 家族の影響で、4歳からヴァイオリンを弾いていた。両親が車で聴くロックやポップスの楽しさに気づく。歌のレッスンでアイリッシュ民謡のよさに目覚め、声楽の道へ。アイリッシュ民謡は聴衆とのコミュニケーションがとりやすく、バイオリンを弾くよりも楽だったとエロート。また、歌は聴衆に、もっと特別な意味のある形でストーリーを伝えることができると。バイエルン国立歌劇場の専属歌手。
 ヘニング・ルーエ、オペラのマネージメント活動も行っているようだ。

「ベレニーチェのシェーナ」、「歌劇“シンデレラ”から“不安と涙のうちに生まれ”」、すばらしかった。パソコン操作に手間取ってしまうと、このひとこと、すばらしかった、になる。この2曲、曲想もドラマティック、詩にも引き込まれる。曲と詩と美声、ピアノの相乗効果が抜群。

🎧名曲、展覧会の絵。ムソルグスキー【指揮】渡邊一正,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

Dsc03303garutomann

画像中央縦長の部分がヴィクトル・ガルトマンの絵。ムソルグスキーとはロシアの伝統に魂を共鳴させる者同志。

こちらは.wikipediaからのコピー

 

 

⛳7時3分 更新

 

 

| | コメント (0)

2019/4/8クラシック倶楽部を聴く

 昨日は、とにかく忙しい日曜日、午前の教会と、午後の地域関連の出席と、その前後に、やり残している仕事をびっしり。ずいぶんと長い日々を過ごしたような実感がした一日だった。キーを打ち込むけさの感触は、とつとつとグラーヴェ、レント。

けさのクラシック倶楽部は「歌曲集 作品40 から 1.においすみれ 2.母の夢」
アンデルセン:作詞
シューマン:作曲
(ピアノ)ティル・フェルナー、(テノール)マーク・パドモア
(4分39秒)

「はるかな恋人に 作品98」
ヤイテレス:作詞
ベートーベン:作曲
(ピアノ)ティル・フェルナー、(テノール)マーク・パドモア
(14分49秒)

「歌曲集「詩人の恋」 作品48」
ハイネ:作詞
シューマン:作曲
(ピアノ)ティル・フェルナー、(テノール)マーク・パドモア
(31分04秒)
~2016年2月18日 トッパンホール~

🎵
 プログラムは番組HPから転載。聴いたのは10分遅れで、「はるかな恋人に」「詩人の恋」。アンデルセンの詩を聴きたかったのだが聴き逃してしまった。聴いた2曲はどちらも5月の恋のうた。それも、どちらも悲恋という結末。しあわせが夢のように歌い綴られ、そして苦悩が深いところから汲み上げられるように継がれる。マーク・パドモア、トッパン・ホールに出ているプロフでは、「ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学キングス・カレッジにて合唱を学ぶ。深い洞察に富んだ解釈、確かな様式の把握、流れるような自然な歌唱は世界中で賞賛されており、リサイタル、オペラ、現代音楽の各分野で優れた才能を発揮している。とりわけJ.S.バッハの受難曲の演奏で定評があり、エヴァンゲリスト(福音史家)として、ピーター・セラーズ演出による《マタイ受難曲》《ヨハネ受難曲》(サイモン・ラトル指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)等で活躍。」と。聖職者のような雰囲気をまとう、というよりは、にじみ出ているような。構えずとも、自然に受け止められるパドモア声質と、ティル・フェルナーのピアノ。

 

🎧名曲はモーツアルトの40番。モーツァルトには作曲の依頼が殺到、十分豊かであった彼にも、聴衆が遠のいた時期も。当時、楽譜を売り出すことを考え付いたモーツァルト。生存1756~91。日本は江戸時代、田沼意次が老中になり失脚した、江戸の大火があった、天明の大飢饉があった時代。ウィーンでは楽譜の出版業が盛ん。楽譜を売ろうと39~41番を2か月で作曲したとはほんとうか、ほんとうなのだろう。40、41番は幼かった子どもを車の隣のシートにのせて、よく聴いた思い出の曲だ。

 

⛳7時5分 更新

 

| | コメント (0)

きょうのことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の國光牧師の説教をお伝えします。國光夫妻は岩手で40年以上も弛まずに伝道を続けて来られました。

 

聖書引証はイザヤ書52135312

説教題「受難の僕・キリスト」

 

まず、使徒の働き8章をお開きします。
8:25
こうして、使徒たちは証しをし、主のことばを語った後、エルサレムへに戻って行った。彼らはサマリヤ人の多くの村で福音を宣べ伝えた。

8:26さて主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。 8:27そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り

 

 

いまエチオピアはクリスチャンの国になっています。その背景がここにあるわけです。エチオピアの女王の全財産を管理する立場にある高官が、ちょうどこの時、礼拝のためにエルサレムに居たのです。まことの神様を慕い求める者たちを、世界のどんな環境にいても、神様はのこしておられるようです。このエチオピアの宦官が礼拝に行き、帰る途中でピリポに出会ったのです。宦官は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。エルサレムに上る、これは生涯そう多くはない、彼にとっては貴重なエルサレム詣でです。そこでお土産、記念として手に入れたのがイザヤ書の写本だった。高価だったでしょう、彼にとっては一世一代の買い物だったかもしれません。揺れる馬車の中で、熱心にイザヤ書を読んでいた。彼がどれほどユダヤのまことの神様に、ちょうど星に導かれたあの博士たちが、異教徒の中にありながらユダヤ人の王として生まれたお方は、どこにいるのかとたずね歩いたようなまじめさ、思いをもってこの宦官は、イザヤ書の写本を寸暇を惜しんで読んでいた。その時、御霊がピリポに近寄って、さあ、あの馬車と一緒に行きなさい、と命じられる。走って追いかけたところが、何と預言者イザヤの書を読んでいるのが聴こえた。見えたんじゃなくて聴こえたのです。宦官の真剣さがわかります。ピリポは言います。「あなたは、読んでいることがわかりますか。」すると31節、「導いてくれる人がいなければどうしてわかるでしょうか」と答えた。宦官は、馬車に乗って一緒に座るようにピリポに頼んだ。私は、ピリポがどのようななりをしていたのか想像できませんが、エチオピヤの宦官の方はきらびやかに着飾ったエルサレム詣での帰りです。ピリポはたぶん見すぼらし様子だった。もう相手がどんな身分であれ、「読んでいることがわかりますか」と聞いて来た知っていそうなピリポに、宦官はとにかく教えてもらいたかった。謙遜な気持ちで導いてくれる人がなかったら、どうしてわかるでしょうかと、素直に彼は答えます。そして、どうぞ私の横に座って、もし、導いてくださるなら教えてくださいとピリポに頼みます。
 すると31節、彼が読んでいた聖書の個所はこうであった。「屠り場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように彼は口を開かない。彼は、卑しめられ、裁きは行われなかった。彼の時代の事を誰が語れるだろうか。彼のいのちは、地上から取り去られたのである。」
 宦官は、読んではいるが意味が分からない。ピリポに向かって言った。「おたずねしますが、このイザヤという預言者はだれについて言ってるのですか。自分についてですか、それとも誰かほかの人についてですか。」
 するとピリポが口を開いて、この聖書の個所から始めて、イエスの福音を宦官に伝えました。ピリポの53章があのイエスさまのことであると、それを彼に教えたのです。そして、36節、道を進んでいくうちに、水があるところまで来たので、宦官はもう耐えられなくなって洗礼を請います。
 「見てください、みずがあります。どうか、私がバプテスマを受けるのに何の妨げがあるのでしょうか。
 そして馬車を止めるように命じる。ピリポと宦官は二人とも水の中に下りていき、ピリポが宦官にバプテスマを授けました。彼が水から上がってきたとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官がもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰っていった。
 すばらしい出会いがここにありました。私たちは、4月はいろんな違った場所に導かれる。そこであなたを待っている人がいるでしょう。ピリポのように、ああ、それは実はイエス様のことなんですと、お話しできたなら何と幸いなことでしょうか。導く者がなければ、誰がこのお方を知ることができるでしょうか。いにしえ、それこそ、あのエチオピアの宦官が、エルサレムに詣でたとき、そこにいけにえがささげられていました。そのいけにえは、自分が罪を犯した償いのために、罪のない動物のいけにえが捧げられた。やがてほんとうの動物ではないいけにえ、つまりイエス様が捧げられる。それを意識していた事でありましょう。このお方、罪のないお方が、自らをいけにえとして、神さまに捧げられたということは、全人類の罪のために捧げられたものと見ることができます。

 

 

 ここでイザヤ書53章にもどります。

 

イザヤ537

彼は痛めつけられ、苦しんだ。

だが、口を開かない。

屠り場に引かれて行く羊のように、

毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、

彼は口を開かない。

イザヤ538

虐げと裁きによって、彼は取り去られた。

彼の時代の者で、だれが思ったことか。

彼が私の民の背きのゆえに打たれ、

生ける者の地から絶たれたのだと。

 

 537はイエス様の事です。ヨハネ1:29、その翌日、ヨハネは、自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪をとり除く神の子羊」、バプテスマのヨハネは、イエス様を指さして、この方こそ私たちが待ち望んでいた救い主であると言ったのです。

出エジプト記24章8節モーセはその血を取って、民に振りかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」

 「民に振りかけ」、これはほんとうに思い切った訳ですが、イエス様は、私たちの罪のためにあらゆる責苦に遭われ、救いのために、血を流されました。

ヘブル923、ヨハネ193237、出エジプト1246、第1コリント57も開かれました。

 

イザヤ539

彼の墓は、悪者どもとともに、

富む者とともに、その死の時に設けられた。

彼は不法を働かず、

その口に欺きはなかったが。

 

 ここにイエス様の埋葬が預言されています。この預言から700年後、十字架上で息絶えたイエスさまを、アリマタヤのヨセフが、自分のために準備しておいた新しい墓にイエス様を受け入れて、葬りました。そして、ニコデモが没薬と沈香を持ってきて、イエス様の埋葬の準備をしました。預言通りです。

 

イザヤ5310節y

しかし、彼を砕いて病を負わせることは、

主のみこころであった。

彼が自分のいのちを

代償のささげものとするなら

末永く子孫を見ることができ

主の御心は彼によって成し遂げられ

イザヤ書5312

それゆえ、

わたしは多くの人々を彼に分け与え

彼は強者たちを戦勝品として分かち取る

彼が自分のいのちを死に明け渡し

背いた者たちとともに数えられたからである

彼は多くの人の罪を負い

背いた者たちのために、とりなしをする。

 

ここに、受難のしもべの「成就」が預言されています。ヨハネ1928に「それからイエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」といわれた。」とある通りです。「死」と「サタン」からの究極的な勝利と凱旋です。ローマ64に「わたしたちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。」とあるとおり、この新しいいのちに歩ませていただきましょう。

 

⛳説教の概要、割愛部分もあることをお断りして6時35分、何とか 更新  

| | コメント (0)

桜メール

 神奈川にいる友だちから桜メールが届きました!
 一気に心が明るくなり、心が明るくなると、曇り空もどこか光を増したよう。

 

Dsc_0169sakura

 

 

 

| | コメント (0)

ジャズとラップのセッション

きのうも午後は雨。夜半にも雨音。これがショパンなら、うんうんと作曲者の心境に思いを致すところ。しかし近頃はすこし降りつづくと、洪水、氾濫、土砂崩れ映像が過る。夜明け前に止んでくれたようだ。チューリップ、スイセン、クロッカス、パンジーたちが、静かに息をしながら、薄いねずみいろの空を仰いでいる。

 けさのJ-MEROはジャズ・トランペッター日野皓正(ひのてるまさ)とヒップホップのdj.hondaのセッション。互いのジャンルに歩み寄った演奏。日野が言う「ぼくが音楽をやっているというより誰かにやらされている感じ、ステージでは完全な操り人形になる」と。どうも日野を操る何者かは、どの楽器を鳴らすかまでを指図するらしい。

 セッションの最後は「NEVER FORGET 311」。このタイトルを演奏の中で繰り返しくりかえしシャウト。俺は生きるぜ、あんたも生きてる。俺は生きるぜ、死んだあんたも、ほら、生きてる、そんな叫びだ。どこを切っても生粋ミュージシャンの血が吹き出そう。

 

⛳6時15分 更新

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019/4/4 2019/4/4クラシック倶楽部を聴く

オリ・ムストネンのピアノ。~2018年2月10日 すみだトリフォニーホール~

☆「こどもの情景 作品15」、シューマン:作曲
☆「ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 作品84」、プロコフィエフ:作曲

🎵
「こどもの情景」は第1~13曲まである。第6曲「大事件」で、こどものわんぱく、躍動、驚きが。第7曲「トロイメライ」、この曲が有名なのは、第一曲とこの曲かと思う。ムストネン、甘さ控えめ、微妙にとつとつと聴こえる演奏に、より子どもの夢の世界らしさが。シューマンの作意に適う演奏かと思われた。第10曲「むきになって」。題のわりには穏やかすぎると思われたが、原題を直訳すると「ほとんど真面目すぎるくらい」だそうで、真面目を表現する音のことばはかくも数少なく控えめなのかと、ちょっと気落ち。
 「ピアノ・ソナタ第8番」、第一楽章、変則的であるところが、深刻ではない拘泥とも聴こえる。強い打鍵にも閉塞感を感じるのだが、こんな自分の感覚に迷いが。もっと適切な言いようはないかと、ちょっと数か所のブログを覗いてみると、「電網郊外散歩道」に、これならと思う感想が出ていた。参照いただければ。第二楽章、シューマンのような抒情。第三楽章、恣意的に飛びかけ、その中に充足を求めている感じが。時としてランダムとも聴こえるモチーフの編集による楽曲と思われた。プロコフィエフは自分には難解。

 


一旦は消えた記事を、また9時ごろに書いてみました。

| | コメント (0)

盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第52回が出ました。

 今回は、鳥取春陽使用のオルガンと、春陽の妻山田貞子について書かせていただきました。籍を入れてはおりませんが、正式に結婚式を挙げています。春陽の曲を貞子が歌ってレコードに吹き込んでいました。

| | コメント (0)

消えたクラシック倶楽部の投稿

 きょうのクラシック倶楽部を書いて、更新したところ、忽然と消えてしまいました。ほんとうにがっくりです。ただ、名曲アルバムから撮った写真がアルバムの方にのこっているので、これだけをアップしておきます。

 

Dsc03299syopann2

 きょうはショパンの嬰ハ短調でした。ショパンはここに眠っています。記されているのは聖書のことばです。「あなたの宝物がある所にあなたの心もある」

| | コメント (0)

アマリリスの花芽

Dsc03298

 これはいただいたアマリリス。もしかすると芽が出ないこともあるかも、といわれていたのですが、出ないどころか、根元にはもう一つ花芽が。どんな花が咲くのか楽しみ。
 ルイ13世が作ったと思い込んでいたところ、最近は、アンリ=ギース作曲といわれているようだ。

🎵アマリリス
    岩佐東一郎作詞・ギース作曲

みんなで聞こう
楽しい オルゴールを
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス

月の光
花園を あおく照らして
ああ 夢を見てる
花々の眠りよ

フランスみやげ
やさしい その音色(ねいろ)
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス

| | コメント (0)

2019/4/4クラシック倶楽部を聴く

イノン・バルナタンは1979年、テルアビブに生まれた。3歳でピアノを始め、11歳でオーケストラ・デビューを果たした。ヴィクトル・デレヴィアンコ教授、マリア・クルチョ、ロンドンの王立音楽院のクリストファー・エルトンに師事した。以後、今日に至るまでレオン・フライシャーの薫陶を受けている。2006年、バルナタンはニューヨーク市に移り、現在はハーレムの倉庫を改修して住居としている。2009年エイブリー・フィッシャー・キャリア賞

☆「ベルガマスク組曲」、ドビュッシー:作曲
☆「目に見える暗闇」、トマス・アデス:作曲
☆「夜のガスパール」、ラヴェル:作曲
~2018年6月26日 トッパンホール~

🎵ドビュッシーまでは、バルナタン演奏であることを意識して、ああ彼の音色の特徴はここだな、などと聴いていたのだが、「目に見える暗闇」になると、演奏家の妙を聞き分けるどころではなく、作曲家に取り込まれてしまっていた。出だしで、音の配列、間合いによってこうも表出内容が描出されるものかと、これはこれまでも分かったつもりでいたのだが、殊に思わせられた。解説の肝心な部分を聞き落し、書きあぐねてもいるのだが、「暗闇に捨てておかないで」という原曲? 何れ500~600年前の曲で現代曲が書けるのが不思議だというバルナタン。原曲の構築をすっかり破壊しているという。これを確かめるためにウェブをちょっと巡ったが、確かなところを掴むには、この時間帯ではちょっと厳しい。トマス・アデスはポスト・モダン。この曲は、1992年にアデス自身がブダペストで初演している。わたしはドヴォルザーク、ベートーベンだとそれに満足しながらも、音楽番組に向かうと、常に、まだ聴いたことのない斬新で奇抜で、奇想天外な音を待っている自分を発見。
 「夜のガスパール」、第一曲、感情の上り下りをアルペジオに聴く。オンデーヌが笑ったところはここかな、などと物語の内容を追うゆとりはここではあるのだが、第2曲は、「絞首台」というショッキングなタイトルが、曲に釘付けにする。重々しいテンポに、深淵に引き込まれてゆくような雰囲気は読み取るのだが、死体がさらされているような感覚にまではならない。第3曲、リストの「メフィスト・ワルツ」第一番からの着想、下敷きになっているらしい。難易度の高い指運びは、この曲の一つの特徴でもあるようで、終始運指に目を凝らしてしまった。今回は、曲を理解しようというよりも、作曲者の野心がみっちりと詰め込まれている凄さばかりが聴こえてきた。

 

🎧名曲アルバム。「歌劇“ワリー”から“さようなら なつかしいわが家”」

【ソプラノ】緑川まり,【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団,【指揮】山下一史

楽譜のカタラーニの自筆のサインに、書ききった! という満足と自信が見えたような気が。

 

⛳ニュースが始まっている。カルロス・ゴーン。成り行きは? 7時5分 更新  

 

 

| | コメント (0)

2019/4/3クラシック倶楽部を聴く

サラ・デイヴィス・ビュクナーのピアノ。ブゾーニの「エレジー集」、カゼッラの「六つの練習曲」、他。

 

☆ブゾーニ作曲「エレジー集」
「エレジー集 1.転機のあとで(瞑想曲)」/「エレジー集 2.イタリアに!(ナポリ風)」「エレジー集 3.わが魂は汝を畏れつつ待ち望む(コラール前奏曲)」/「エレジー集 4.トゥーランドットの部屋(間奏曲)」/「エレジー集 5.夜(ワルツ)」/「エレジー集 6.幻影(夜想曲)」/「エレジー集 7.子守歌」

☆カゼッラ作曲「6つの練習曲 作品70」
☆ビュクナー作曲「エレジー フェルッチョ・ブゾーニの思い出に」

際立つ音楽的才能、世界的な芸術感性 そして他の追随を許さない高い先見性を兼ね備えたサラ・デイヴィス・ビュクナーは現代の最も独創的なコンサートピアニストのひとりである。その演奏は  ”知性、誠実さに加え 全てにおいて完璧なテクニック(ニューヨーク タイムズ紙)音楽に貢献する思慮深い芸術家としての手腕(ワシントン ポスト紙)魅了され仰天させられる名人技(フィリピン スター紙)ビュクナーに勝る者はない(日本インテューン誌)など世界各地のメディアから絶賛を浴びている。

二十代のビュクナーは、エリザベート王妃国際コンクール(ベルギー)、リーズ国際コンクール(イギリス)、モーツァルト国際コンクール、べートーヴェン国際コンクール(共にオーストリア)、シド ニー国際コンクール(オーストラリア)などで受賞、そして1986年ロシア・モスクワでのチャイコフスキー国際コンクールでは銅メ ダルを受賞、1984年ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクール(アメリカ)では第1位ゴールドメダル受賞など  世界で最も権威ある国際コンクールで数多くの受賞歴を持つ。

🎵以上は、サラの演奏を聴いた後で、サラのHPを開き、転載したのだが、まさしくこの経歴を語る演奏だった。教育者としての側面も強く感じられた。こんなすばらしい女性ピアニストがいたとは! 性差をまったく感じさせない。パワフルで圧倒的。いったい時間はこの方のどこをどう過ぎ越したのか、演奏において年齢的な剥落を感じさせない。素晴らしかった!

 

🎧名曲アルバム、「アルフォンシーナと海」ラミレス作曲/フェリックス・ルナ作曲

【歌】松田美緒,【ギター】レオナルド・ブラーボ
詩人アルフォンシーナ、子どもと詩集をのこし、「わたしは眠りにゆく」と書きのこし、海に身を投げる。

 

⛳途中、当番が回ってきているゴミ集積所の管理などのよもやまの仕事をないがしろにはできず、ぼつぼつと聴くことに。6時55分の更新

 

 

| | コメント (0)

2019/4/2 2019/4/2クラシック倶楽部を聴く

ヤニーナ・フィアルコフスカヤのピアノでオールショパン。武蔵野市民文化会館小ホール。

☆「ノクターン ロ長調 作品9 第3」
☆「即興曲 変ト長調 作品51」
☆「スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54」
☆「前奏曲 変ホ短調 作品28 第14」
☆「前奏曲 変ニ長調 作品28 第15「雨だれ」」
☆「3つのマズルカ 作品50」
☆「スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20」

🎵意識がなかなか曲に向かずに困った。すこし疲れているかな。しかし、ひと月に何回かはこんなことがあってふつうかとも思う。こんなときには気楽に。

 ヤニーナ・フィアルコフスカヤ、カナダ人の父とポーランド人の母との間にモントリオール生まれ。1974年、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで入賞。ルービンシュタイン最後の弟子。巨匠A.ルービンシュタインをして「生まれながらのショパンの解釈者」と言わしめた。一時左腕の腫瘍のため両手での演奏活動を中断、2004年1月ドイツで復帰リサイタル、両手での演奏活動を再開。

 彼女が言うに、ルービンシュタインが、「わたしがめんどうを見よう」と。本気にしていなかったが3か月後に、「君の弾ける曲をぜんぶ弾いてみなさい」。そして彼の引退公演に合わせて、いきなり、年間44回の公演を彼女に準備してくれたというラッキーなおはなし。彼女の才能の確かさが。ルービンシュタインが「君は自分のために演奏している。いちばん後ろにいる観客を考えなさい。静かな音をどう出すかを考えなさい」と。

 近頃は、その静かな音に耳を澄ませるようになった。大きな音よりも、より深くさまざまなことを語ってくれるように思う。そういう意味でも、「雨だれ」、神経を集中させて聞いた。そこはかとない寂しさ、孤独と雨だれの共演と聞こえた。マズルカはショパンは50曲以上も作曲。奏者自身が子どもの時からこの民族的な舞踏のリズムを刻み付けられていたようだ。最後の2曲の冒頭の1音で目覚めさせられ、あとは躍動感をそのまま楽しむことができた。

 

🎧名曲、「花」の作詞者羽衣と滝は、東京音楽学校で同僚だったようだ。滝のことは、自分にとっては、些細なことも知っておくべき事項。

 

⛳7時7分、何とか何とか 更新

 
 

| | コメント (0)

2019/4/1 2019/4/1 2019/4/1クラシック倶楽部を聴く

Dsc03291

ブログの機能が不安定で、一旦書いたものがトラブり、また書き直している。手短に記録しよう。

🎵
けさは、コンスタンチン・リフシッツのピアノ。オールラフマニノフ。2016年2月23日紀尾井ホール公開収録。

☆「前奏曲 嬰ハ短調 作品3第2」
☆「前奏曲 嬰ヘ短調 作品23第1」
☆「前奏曲 ニ長調 作品23第4」
☆「前奏曲 ト短調 作品23第5」
☆「前奏曲 変ロ短調 作品32第2」
☆「前奏曲 ホ長調 作品32第3」
☆「前奏曲 ホ短調 作品32第4」
☆「前奏曲 ト長調 作品32第5」
☆「前奏曲 ロ長調 作品32第11」
☆「前奏曲 嬰ト短調 作品32第12」
☆「前奏曲 変ニ長調 作品32第13」

リフシッツが言う。「前奏曲にはラフマニノフの芸術観が内包されている。宇宙全体がある。一つの水滴に全世界が映しだされる」、また「私は田舎に住み、毎朝犬の散歩をしている。季節の変化を楽しんでいるが、「24の変奏曲」は、それに通じている。それは四季だ。音楽で四季の変化を楽しむことができる」と。

嬰ハ短調、運命の幕開けを告げる荘重な鐘の響きに始まり、ト短調で、強いて自らにエネルギーを注入、平穏な風に吹かれながら、赴くところを駆ける。ホ長調で躍動。ホ短調で激しさ、戸惑い、沈静、焦慮。ト長調で湧きいで、ロ長調で坦懐に情景を映し、嬰ト短調で、細やかな情感が内に外にこぼれる。変ニ長調、広々とした河に合流、滔々、悠然と流れゆく。前奏曲が次に進むごとに、新たな曲想が付加されてゆく。これがラフマニノフの人生といわれる所以かと。

🎵名曲アルバム、「線路は続くよどこまでも」アメリカ民謡/ニウナオミ編曲

【合唱】東京混声合唱団,【吹奏楽】ぱんだウインドオーケストラ,【指揮】ニウナオミ

 

Dsc03288

これが、米の西部開拓のために急がれた大陸横断鉄道の建設現場で働く人々の労働歌だったのだ! 労働者の多くはアイルランド出身であったとか。7年で3000キロの線路を完成。せかされた苛酷な労働だった。テキサス大学に応援歌となっている。

「テキサスは君たちに期待している。
いかなる時にも決して逃げてはならない」

 

⛳いつ記事が立ち消えるかと不安を覚えながら、7時分 更新

| | コメント (0)

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »