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きょうのことば

  昨夕「髙田三郎を聴く夕べ」、行ってきました。すばらしかったですね。岩手のホールに響く合唱、ソプラノ、バリトン、弦楽四重奏。まだ余韻が。あとでよく整理してみたい。これも天の恵みです。
 さて、きょうは日曜日ということで。

先週歌われた賛美歌ではありませんが、任意で載せてみました。お聴きください。


 先週は地域行事があり、礼拝を11時で中座、レコーダーに録り置いていただきました。先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『福音の力』(國光勝美牧師)、聖書引証はローマ1:14~17でした。

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写真は新改訳聖書2017から
1:14私は、ギリシヤ人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。 1:15ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。1:16私は福音を恥とはしません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。 1:17福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
 〈説教概要〉
 
福音を恥とはしません」とはどういうことでしょう。
 私の出身は長野県松本市です。東京で大学生の時に信仰に導かれました。神学生となり、在学中の三年間、毎年、開拓伝道の手伝いをしました。太鼓をたたき、ラッパを吹き、チラシを配ります。神学院を卒業していよいよ、年会での任命式に臨みました。どこに遣わされるか、何処へなりともの心境で、自分の任地の発表を待ちました。その時です。ふと、郷里の松本に遣わされたら恥ずかしいという思いになりました。幼い頃からの自分を知っている人々がいるのです。しかし私は直ぐに祈りました。「しかし、もし神さまがわたしをそこに遣わすのなら、私は喜んで行きますから、その時には、その時に適う恵みと力を与えてください」と。すると空かさず、「エホバに聖し」という聖書のことばが心に打ち込まれました。あれっと声をあげたほど鮮烈でした。もう福音を恥とはしません。

 

 パウロのいう「恥」は何だったでしょう。イエスさまに出あうまえ、パウロは徹底したユダヤ教徒でした。模範的で、その道では最高の教育を受けていたのです。それが、キリストが神であり罪からの贖い主だと言い広めている輩がいた。パウロは、このクリスチャンたちを赦せなかった。しかも、キリストの取り巻きといえば、田舎の漁師たちや、当時最も嫌われていた取税人といった人たちなのです。その者たちが、キリストは十字架につけられ一旦は死んだが、三日前によみがえったなどと言いまわっているのです。パウロは、このクリスチャンたちに唾を吐きかけたいほど嫌悪していました。ところが、そんなパウロ自身が、ダマスコ途上で、復活の主イエスとお会いしてしまう。以来、パウロは、恥と思っていたそのキリストの福音を、率先して宣べ伝えるようになりました。

 

福音は、「信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」とありますが、この「神の力」の語源は、ギリシャ語の「デュナミス」、英語では「ダイナマイト」。ダイナモ(発電機)などの語源です。これは静止しているものではない。止まってはいられず、動いて何らかに作用し変化させる。これが、イザヤ書がいう、自分自身を作り変える力であり、先に突き進んでいく力です。

  

 福音とは賜物です。ご厚意で上からプレゼントされるものです。つまり、功績や実績に対する報酬ではない。報酬は自分の働きの対価として受けるものです。しかし、賜物は、上からの憐れみによって受ける。それを私たちが、有り難うございますと受け取ることが信仰です。本来人は傲慢であり、憐れみを受けては誇りが傷つく。しかしこれが神さまの知恵である。神は傲慢な私たちを、どうしようもないところまで追いやってくださる。そして、ほら、自分ではどうすることもできないだろうと、福音を私たちに提示してくださる。
ヨハネ3:16に「
3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とある福音の真理を、私たちは、へりくだって有り難うございますと受け入れるだけでいいのです。
 
 「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」。
 私たちの過去のすべてを赦し、拭い去り、忘れてくださる、これが神さまです。パウロはそれを経験していました。神はパウロの大罪をも赦し、「キリスト我がうちにありて生くるなり」と証しすることができる者とし、新しい命、永遠の命、神の命に与る者としてくださいました。イエス・キリストの復活の命と一つになっている、これが福音なのです。
 私たちは、このキリストの福音に生きているお互いでしょうか。どうかキリストの証人として、一人ひとりがみ前にふさわしく生きるものであらせていただきたいと願うことです。
若干の編集をしていますが、趣旨は損なわぬように留意しております。
6時40分  更新

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