きょうのことば
けさも、まだ暗い空に、星がさやかに見えておりました。きょうもすばらしい一日が加えられたことに感謝し、行動開始です。
先週の礼拝で歌われた賛美歌のうちの一曲です。お聞きください。
ローマ書4:16~25から「信仰と恵みに生きる」と題し、國光勝美牧師がおはなしくださいました。
4:16そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、わたしたちすべての者の父です。
4:17わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書いてある通りです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。
4:18彼は望みえないときに望みを抱いて信じ、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
4:19彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
4:20不信仰になって神の約束を疑うようなことことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、
4:21神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
4:22だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。
4:23しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、
4:24私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
4:25主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。
総会の心備えのためのおすすめの後に、次のようなお話がありました。簡単に、しかし大事な部分をおつたえします。
すべては神さまの恵みであり、私たちの誇るものは何もない。ただ言えることは、おさな児のように真心から神さまにより頼む、神に信頼しより頼むことを、神さまは、何よりも喜ばれます。すべてのことを神さまに信頼して歩んでいくとき、神さまは必ずそれに報いてくださる。
信仰は、先ず、現実をきちんと正確に認めることです。事実をそのまま認めて神を信じることです。現状を認めたくない気持ちがどこかに生じたとすれば、それは信仰ではありません。
アブラハムのように、まったく望みがない状態であることを認め、そして、神の約束を堅く信じることです。これこそが神さまに栄光を帰する生き方です。それが4;18~24に書いてあります。4:25にあるように、私たちが義と認められるためにイエスさまは、死からよみがえられました。
5時25分 更新
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