きょうのことば
5時半、外はまだ暗い。日が昇っていようといまいと、日曜日の朝は、聖書のことばを1行でも書くと決めている。前の日に、これはもう疲れていて翌朝はとても起きられないなと思うときには、その日のうちに書いておく。ある意味、これを書きたかろうが書きたくなかろうが、興が乗っていようがいまいが、先週の説教をよく聴きつくしていようがいまいが、病気で寝込んでいない限りは、たったの1行でも書けるうちは書いておこうと思う。なぜなら、世の中がどうであれ、突き詰めれば、自分がどうであれ、これは普遍的なものだからだ。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教題は『パウロの福音2』(國光勝美牧師)。聖書引証は、第一コリント15:1~11。
15:1兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはこの福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
15:2私がどのようなことばで福音を伝えたか、それが、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
15:3私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、て三日目によみがえられたこと、
15:5また、ケファに現れ、それから十二弟子に現われたことです。
15:6その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。
15:7その後、キリストはヤコブに現われ、それからすべての使徒たちに現われました。
15:8そして、最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現われてくださいました。
15:9私は使徒の中で最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。
15:10ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
15:11とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
〈説教のメモ〉
イエス・キリストは、ご自分を信じる者を、父なる神のみ前で、この者は無罪ですととりなしてくださいます。
イエス・キリストは、ご自分を信じる者を、父なる神のみ前で、この者は無罪ですととりなしてくださいます。
イエスさまのご生涯をまとめたものが四福音書で、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝です。15:2にあるように「この福音によって救われます」。信じる者は、このイエスさまの復活の命に希望を持っています。
パウロとシラスは、ピリピで伝道をしていたとき、捕まえられ牢屋にぶち込まれました。ムチ打ちなどの責め苦に遭いながらも神さまを讃美していたとき、どういうわけでか牢の扉が開いて、囚人たちが逃げてしまいます。牢の監守は途方にくれました。なぜなら、当時、監守は、逃げられた囚人と同じ刑で罰せられることになっていたからです。監守が自らの命を絶とうとしたときに、パウロは言います。「だれも逃げてはいない。主イエスを信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。」。パウロは確信をもってこう言ったのでした。
この確信はどこから出ているのか。それは、使徒の働き9:1にあります。
パウロは、パリサイ派に属する厳格なユダヤ教徒でした。その教えをことごとく行っている人物だったのです。ですから、ガリラヤから出てきて、自分を神だと吹聴するイエスを赦し放っておくことはできなかった。それで、徹底的にクリスチャンを迫害していました。
9:3ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。 9:4彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。 9:5彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:3ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。 9:4彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。 9:5彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
ここにある通り、パウロは、よみがえられたイエスさまご自身にお会いしたのです。その後、主は、ダマスコにいるアナニヤという弟子に、一時的に眼が見えなくなったパウロを迎えに行き、保護するよう命じます。ところがアナニヤは、クリスチャン迫害の殺人鬼をいったいどうして匿うのかと驚きます。すると主は言いました。「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
9:16彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
そして、パウロは、アナニヤから自分が神に伝道のために選びだされたことと、その使命を伝え聞くことになります。
第一コリントにもどります。15:3に「聖書に書いてあるとおり」とあります。実はこれが非常に肝心で大切なことです。パウロの生涯を貫いている「聖書に書いてあるとおり」。福音は、聖書に書かれてある通りに宣べ伝えられなければなりません。パウロは言います「私が伝えたこの福音と違う福音を伝えたとするなら、それが御使いであったとしても呪われなければなりません。」と。私たちが伝えている福音は、パウロの宣べ伝えている福音と同じ福音です。パウロと同じ「聖書に書いてある通り」の福音に立っているなら、あなたは救われます。
6時53分 更新
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