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きょうのことばー元旦礼拝からー

元旦礼拝
説教題『神に喜ばれること』(國光勝美牧師)

 

ヘブル11:1~6
11:1さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 11:2昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。 11:3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。 11:4信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。 11:5信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。 11:6信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
信仰とは何か。~ではない、という観点からいうなら、信仰は、真面目であること、実直であること、誠実であること、ではありません。詩篇51:17にあるように、「神へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ砕かれた心」です。信仰は信頼です。信仰がなくしては神に喜ばれることはできません。
 またマタイ8:8に「ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは癒されます。」とあるように、信仰はみことばへの信頼です。期待です。イエスさまのおことばを信頼し、イエスさまのおことばを求めましょう。
 聖書を読み、聖書からおことばをいただいて一日をスタートすることです。マタイ15:27にあるように、僅かなかけらでもと切なる想いをもっておことばをいただくことです。詩篇81:10に、「あなたの口を大きく開けよ」とあります。開ければ開けるだけ、神はそれを満たしてくださいます。そして神を喜ぶことです。ものではなく、この世的なものではなく、神を喜ぶことです。ネヘミヤ8:10にはこうあります。「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」
ネヘミヤ8:10は、訳によって幾分ニュアンスが違います。
「主を喜ぶことは、あなたがたの力だから」新改訳2017
あなたがたの力を主が喜ばれるからだ」新改訳第3版
 この二つが、恵みと信仰によって行われるなら、2019年はどんなに祝福された年になるでしょうか。この二つが絶えず生き続けることを聖なる永久運動と呼びたい。
以上、牧師の説教を簡略にまとめてみました。動画は筆者が任意に選んでいます。30日の分も5日分として書き、アップしたのですが、操作を誤り、消してしまいました。30分ぐらいは画面に出ていたので、読んだ方がいらっしゃるといいのですが……。
  きのうのうちに書いておいた記事ではあるけれども、更新は5時42分です。

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