« 朝明けの月 | トップページ | ニューイヤーオペラ »

クラシック倶楽部ー新年のベートーヴェンー

  新聞投函、4時27分。これが起床時間。廊下を玄関に向かうと、暗いむこうにバイクの点滅。今朝の予報は-7、が、それほど冷えているとは感じられない。外はどうだろう。
 クラシック倶楽部の前番組は、きょうは六角線をたどる旅。いま、大きく育った焼きカキをほおばる場面、そして西岸駅に場面が切り替わる。懐かしいローカル線の旅だ。ここでテレビを消して、5時までしばし思いめぐらしの時間を。

             ☆  ☆  ☆  

クラシック倶楽部、きょうは、ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団。ウィーン・フィルのメンバーから成り、2012からウィーンを拠点に活動しているという。きょうはウィーン古典派の作品。メンバーは、
ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルク(ヴァイオリン)使用楽器はM. SchwalbとD. Bagué。弓はT. M. Gerbeth。1977年生まれ。
ベンジャミン・モリソン(ヴァイオリン)使用楽器は父デヴィッド・モリソン作(2006年)とジュゼッペ・ナドッティ作(1785年)。
ゲルハルト・マルシュナー(ヴィオラ)

ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルク
(チェロ)

和樹(長男)・直樹(次男)兄弟は、洋(三男)と日本語が流暢な三兄弟。洋はピアノ。ピアノトリオでの活動も。オーストリア・ザルツブルク出身。スウェーデン人のヴァイオリニストの父と日本人のピアニストである母をもつ。
和樹・直樹両氏へのインタビューでオーケストラと室内楽の違いを訊かれたとき、室内楽はアットホーム、親密で、語り合う。この室内楽がさらに大きくなったのがオケで、あまり差はない。ただオケはみなにわかりやすくはっきりと届けるような工夫と仰ったか技術と仰ったか、何れ楽器編成などにもそれがあるのだろうと理解して聞いた。
モーツァルトの「弦楽四重奏曲 ニ長調 K.575から 第1楽章、第4楽章」
 森の中を散策しながら樹上にかける鳥の音を聴き、自然との対話を楽しんでいるようでもある。繊細優美な流れをそのまま受け取る。

ベートーベンの「弦楽四重奏曲 作品59「ラズモフスキー」から第3番 ハ長調」。これは、ベートーベンの「傑作の森」といわれるうちの一曲。

 第一楽章、深淵、慎重、第九の冒頭のようにこの音じゃない、この音でいいのかと、作者の模索が聞こえる。流麗なところあり、対話的なところも。これは自分との対話、自らに問いながらの思いめぐらしが感じられる。第二楽章、室内を歩き回り、ときに窓外に視線を移し、こうか、ああかと反問、思索、試作をくりかえすさまがほうふつと。第三楽章、明るみに向かう弾んだ気分。ちょうど鬱を脱したような解放された快活さ、躍動感が。意匠、着想がそちこちに飛翔し最高の心境にかけのぼったところで、これでよし! とペンが置かれたような。
 無意識のうちにベートーベンの作曲のすがたを重ねながら聴いていた。 

 

名曲アルバムはベートーヴェンの「交響曲第7番」。これはわたしの生涯で、ドボルザークの「新世界」第四楽章とともに、飽きもせずに繰り返しくりかえし聴いた曲。

きょうは東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は円光寺雅彦
ウィーンの環状道路「リンク」、これはかつての城壁の跡であるようだ。オスマントルコの度々の侵攻に備えたもの。この城壁のうえに、ベートーヴェンが住んだ家があった。もっとも、彼は引っ越しを繰り返しているから、それらのうちのひとつなのだが。30代の8年間といえば、やはり重要な時期。「運命」「田園」「フィデリオ」がここで書かれている。
 
「交響曲第7番」が書かれていたときはナポレオンの攻防があったとき。人々は戦いに疲れていた。旧ウィーン大学が映っていたが、「交響曲第7番」は、1813年、ここで初演となったという。戦争傷病者のための慈善演奏会としての演奏だ。飽きるほどに、飽きもせずに聴いた7番を最初に聴いた人々、戦いに傷つき病んだ人々がその恩恵に真っ先に浴したのだ。
     きょうは聴いた!きいた! という実感と共に 6時48分 更新

|

« 朝明けの月 | トップページ | ニューイヤーオペラ »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: クラシック倶楽部ー新年のベートーヴェンー:

« 朝明けの月 | トップページ | ニューイヤーオペラ »