主よみもとに近づかん
この賛美歌で真っ先に思いだすのが、「タイタニック」。この船がいまもって“浮沈艦”である理由は、人間の本性がむき出しになる状況にあって、覚悟を決めて最期まで使命を全うし、或いは、ボートにこれ以上乗せると自分たちも危ういことが明らかであっても、人々が溺れ沈みゆくところに戻った人たちがいた、それが心を打つからだと思っている。
それはともかく、これは書いておこうと思ったことには、後で、それに対する答えがある場合がある。
イエス・キリストが十字架を背負われ、ローマ兵に追い立てられた道、それからの道には、ただ苦難だけがあった。聖書は、キリストが十字架上で息絶えたその瞬間に神に迎えられ、父なる神の右の座にところを占めたとある。しかし、その瞬間までは、過酷な辱めとむち打ち、誹謗中傷があるのみだった。キリストの神たるところは、「父よ彼らをゆるしたまえ」と、自分を痛めつける者たちのために祈ることができた点だ。これは神でなければできない。
「主よみもとに近づかん」。心ぞなえをせよとも捉えている。
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