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主よみもとに近づかん

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朝いちばんに聞こえるのは、新聞配達のバイクの音だ。きょうは5時2分前。起きようかなと思いつつ、土曜日、クラシック倶楽部がない。とはいえ、こうしていても仕方がないと起きだす。書いておかなければと思ったことが一つ。3時ごろかに、「主よみもとに近づかん」という賛美歌が、奥底から湧きでるように浮かんだからだ。時間を書いておくことも大切だと思う。あとでその意味がわかることがあるからだ。このような賛美歌が浮かぶ時、思うのは、きょうは気をつけよう。予測しなかった危害、危害といえば大げさだが、それに近いもの、かもしれないが、それに心備えをせよという勧告かもしれないと思うのだ。それともう一つは、それを通過することで、霊的な祝福が得られるのかもしれないと。
 この賛美歌で真っ先に思いだすのが、「タイタニック」。この船がいまもって“浮沈艦”である理由は、人間の本性がむき出しになる状況にあって、覚悟を決めて最期まで使命を全うし、或いは、ボートにこれ以上乗せると自分たちも危ういことが明らかであっても、人々が溺れ沈みゆくところに戻った人たちがいた、それが心を打つからだと思っている。
 それはともかく、これは書いておこうと思ったことには、後で、それに対する答えがある場合がある。
 イエス・キリストが十字架を背負われ、ローマ兵に追い立てられた道、それからの道には、ただ苦難だけがあった。聖書は、キリストが十字架上で息絶えたその瞬間に神に迎えられ、父なる神の右の座にところを占めたとある。しかし、その瞬間までは、過酷な辱めとむち打ち、誹謗中傷があるのみだった。キリストの神たるところは、「父よ彼らをゆるしたまえ」と、自分を痛めつける者たちのために祈ることができた点だ。これは神でなければできない。
 「主よみもとに近づかん」。心ぞなえをせよとも捉えている。
☆  ☆  ☆
楽譜:主よ みもとに
 
 

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