きょうのことば
先週は、全世界のクリスマス。午前の厳粛な礼拝、そして、午後には、一年を通じて最も楽しいクリスマス祝会がありました。
一週間遅れですが、インマヌエル盛岡キリスト教会のクリスマスメッセージ『大きな喜びの知らせ』(國光勝美牧師)の概要をおつたえします。聖書引証はルカ22 :
8 ~20です。
☆
2:8さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。 2:9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。 2:11今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 2:13すると、突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」
2:15御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
2:16そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
2:17それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
2:18聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
2:19しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
〈おはなしメモ〉
日ごろ私たちは、いったいどんな知らせを大事なものとして受け止めているでしょうか。新聞の折り込みに、さまざまなチラシが入ってきます。安売り、クリスマスセール、初売りなど、ありとあらゆる広告がきます。果たして、私たちは、何をいちばん喜んでいるでしょう。
ここでいう喜びは、深い霊的な祝福のことです。11節には、その喜びがあるのがいつかといえば「きょう」、どこに? 「ダビデの町に」、何が? 「救い主がお生まれに」。民族的に何百年、何千年もの間待ち望まれた日が、ついに、ダビデの町ベツレヘムでそれが起こる。
これは旧約聖書にミカが記している預言の成就でありました。当時、イスラエルはローマの支配下にあったので、このくびきから解き放ってくれる救い主が現れるのを期待していました。しかし、そうではなく、人間を、罪と死から解放する救い主イエス・キリストさまが人間世界にお生まれくださいました。12節の事実に心を向けましょう。
イザヤ14:12~14
12 明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。13 おまえは心の中で言った。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。14密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」
神がご自身に似せてアダムとエバを造られたばかりのときは、それは非常によかった。それをいちばんねたんだのは、地に落とされた御使いの頭である悪魔でした。何とか人を堕落させようとして、ヘビの形を通して、人間を神に従うあるべき姿から、おまえ自由にやれよ、人間の尊厳なんだから自分の思い通りにやったら良いんだよとそそのかしました。そのささやきに負けてしまった人間を、何とか救うために、天の父なる神は、イエス・キリストをこの世に送ろうと決心されました。その神さまのお心をつたえるために、ルシファーのように堕落しなかった御使いガブリエルが、マリアや羊飼いたちに遣わされ、彼らに主のお誕生を告げ知らせます。それがルカ2:11です。
神であられるイエス・キリストさまは、極みまで謙遜の限りを尽くし、ご自分を卑しくされ、贖いのためにこの世に来られました。
ピリピ2:6~9にある通りです
6 キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。 9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
神の御子が、これほどまでに身を低くして、天から降りてきてくださった、ここにクリスマスのメッセージがあることを心に留めましょう。
きのうは忙しく、これはもう明日は早くは起きられないな、今日中にやってしまおうと、24時までかかって書き、すこし過ぎに更新しておきました。それが、けさ浮かんだことばがあり、ここに書き足しています。
イザヤ32:15
しかし、ついに、
いと高き所から私たちに霊が注がれ、
荒野が果樹園となり、
果樹園が森と見なされるようになる。
きょうも新しい一日が加えられたことに感謝しながら、7時、編集、更新
| 固定リンク
「教会」カテゴリの記事
- きょうのことば『どうぞ披露宴においでください』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.18)
- きょうのことば『福音を一緒に届ける同労者として』ー木山キリスト教会 松尾献牧師の説教ー(2025.05.11)
- きょうのことば『イエスは手と脇腹を彼らに示され』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.04)
- きょうのことば『聖書を、まだ理解していなかった』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.27)
- きょうのことば『わたしとともにパラダイスに』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.20)
コメント