2018も大変お世話になりました。
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木管楽器のスーパースターたちが結成するアンサンブル、レ・ヴァン・フランセ(フランスの風)の登場。
エマニュエル・パユはベルリン・フィルのフルートの首席。
ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチはクロアチア出身。西のベルリン放送交響楽団の首席ホルン奏者を務めたあと、ソリスト活動に転じる。
バソンのジルベール・オダン、いまそちこち跳んでみると、バソンの会というのが立ち上がっており、オダンは熱烈に激賞されていた。オダン自身のお奨めレコードがあり、「ジャン・フランセ バソンと11弦楽器のための協奏曲」CYBELIA-650。
オーボエのフランソワ・ルルーは1992年から2004年まで、バイエルン放送交響曲楽団の首席奏者。
オーボエはフランソワ・ルルー
プレイエル曲「フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第5番 ヘ長調から 第2章と第3楽章」、ドヴィエンヌ曲「フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第2番 ヘ長調から 第2章と第3楽章」と演奏されていたようだが、実際に聴き始めたのは、
名曲アルバム、青森県民謡「津軽じょんから節」
松田隆行,唄。津軽三味線、澤田勝秋,澤田社中。
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先週は、全世界のクリスマス。午前の厳粛な礼拝、そして、午後には、一年を通じて最も楽しいクリスマス祝会がありました。

一週間遅れですが、インマヌエル盛岡キリスト教会のクリスマスメッセージ『大きな喜びの知らせ』(國光勝美牧師)の概要をおつたえします。聖書引証はルカ22 :
8 ~20です。
☆
2:8さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。 2:9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。 2:11今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 2:13すると、突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」
2:15御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
2:16そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
2:17それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
2:18聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
2:19しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
〈おはなしメモ〉
日ごろ私たちは、いったいどんな知らせを大事なものとして受け止めているでしょうか。新聞の折り込みに、さまざまなチラシが入ってきます。安売り、クリスマスセール、初売りなど、ありとあらゆる広告がきます。果たして、私たちは、何をいちばん喜んでいるでしょう。
ここでいう喜びは、深い霊的な祝福のことです。11節には、その喜びがあるのがいつかといえば「きょう」、どこに? 「ダビデの町に」、何が? 「救い主がお生まれに」。民族的に何百年、何千年もの間待ち望まれた日が、ついに、ダビデの町ベツレヘムでそれが起こる。
これは旧約聖書にミカが記している預言の成就でありました。当時、イスラエルはローマの支配下にあったので、このくびきから解き放ってくれる救い主が現れるのを期待していました。しかし、そうではなく、人間を、罪と死から解放する救い主イエス・キリストさまが人間世界にお生まれくださいました。12節の事実に心を向けましょう。
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イザヤ14:12~14
12 明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。13 おまえは心の中で言った。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。14密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」
神がご自身に似せてアダムとエバを造られたばかりのときは、それは非常によかった。それをいちばんねたんだのは、地に落とされた御使いの頭である悪魔でした。何とか人を堕落させようとして、ヘビの形を通して、人間を神に従うあるべき姿から、おまえ自由にやれよ、人間の尊厳なんだから自分の思い通りにやったら良いんだよとそそのかしました。そのささやきに負けてしまった人間を、何とか救うために、天の父なる神は、イエス・キリストをこの世に送ろうと決心されました。その神さまのお心をつたえるために、ルシファーのように堕落しなかった御使いガブリエルが、マリアや羊飼いたちに遣わされ、彼らに主のお誕生を告げ知らせます。それがルカ2:11です。
神であられるイエス・キリストさまは、極みまで謙遜の限りを尽くし、ご自分を卑しくされ、贖いのためにこの世に来られました。
ピリピ2:6~9にある通りです
6 キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。 9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
神の御子が、これほどまでに身を低くして、天から降りてきてくださった、ここにクリスマスのメッセージがあることを心に留めましょう。
きのうは忙しく、これはもう明日は早くは起きられないな、今日中にやってしまおうと、24時までかかって書き、すこし過ぎに更新しておきました。それが、けさ浮かんだことばがあり、ここに書き足しています。
イザヤ32:15
しかし、ついに、
いと高き所から私たちに霊が注がれ、
荒野が果樹園となり、
果樹園が森と見なされるようになる。
きょうも新しい一日が加えられたことに感謝しながら、7時、編集、更新
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筆者が盛岡タイムスに連載している「楽都のユニゾンー鳥取春陽と太田カルテットー」第45回が本日出ました。コンビニで扱っています。
岩手が誇るべき大正時代の弦楽四重奏団太田カルテットの主宰者梅村保。その梅村の自宅でレコードコンサートがありました。そこで選曲や解説をしていた教授がいたのですが、実はその方が宮澤賢治の訪問を受けており……、あとは、きょうの盛岡タイムスでご覧いただければと思います。
ここではなしは、クラシック倶楽部に。バイオリン:ジェローム・アコカ、チェロ:クリストフ・コワン、ナヴァラ、アーノンクールに学んだ古楽の雄、クリストフ・コワン。フォルテピアノ:金子陽子の共演で、シューベルトが30歳で作曲した「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 作品100」。これはシューベルトが死の前年に作曲したという。この年、シューベルトは「冬の旅」を書いている、またベートーヴェンが亡くなり、シューベルトはこの葬儀に参列している。翌年には彼自身が。
金子陽子さんのHPによると、ことしは中国、韓国でのステージがあったよう、また、今回のコワンたちとの共演では、フォルテピアノのもつ限りない表現の可能性と室内楽のあるべき真の姿を共に提示した、とありました。フォルテピアノ、音の強弱の幅が狭いので繊細なタッチが求められるという。
すでに病にあったシューベルト、作曲は、彼の現実逃避であり、自分を励ますことであり、生きていることを実感できる手段だったのでは。哀惜するような、うたうような、不安げな、そんな旋律が耳にのこった。
前述の噂(あまりにヴァイオリンがあまりに巧く、また風貌、性格的な問題から悪魔呼ばわりされる等など)が原因で埋葬を拒否され、遺体は防腐処理を施されて各地を転々とし、改葬を繰り返した末に1876年にイタリア中部の町パルマの共同墓地にようやく安置された。(wikipedia.から転載)
聴きながら、ウェブのそちこちに跳んで、6時8分 更新
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あすはおもしろそう、と予告を見たが、聴いたのは、後半のみ。4人のコントラバス「ザ・ベース・ギャング」。イタリア出身。6回目の来日。来日するたびに、日本でのヒット曲、何が日本で喜ばれるかを考えるらしい。日本で受けた曲がイタリアでも受けるのだとか。ピストルが出たり奇声を発したり、ロックのライブでは珍しくもないけれど、眠気覚ましの効果かと思うも、居眠り組はいそうにない。面白い。ふだんはオケの端っこにいて、高音あってのベースかの印象。それが堂々ベースだけでのアンサンブル。クラシック、番組の予告にはなかった第9の編曲、この中で発した奇声に、ベートーヴェンのデスマスクが苦笑いした気がしたのはこの頭の固さか、何れ、名曲はどう調理しようがやはり最高のグルメ。アレンジされたジャズ、映画音楽、ロックとパフォーマンスの数々、意外性と面白みに富んでいた。
「20世フォックス・トレード・マーク・ファンファーレ」ニューマン曲、ピーギ編曲、「黒猫・白猫」
カライリチ/アラリカ/スパラヴェロ作曲、ピーギ編曲、「月影のナポリ」デ・フィリッピ曲、ピーギ編曲、「フニクリ・フニクラ」デンツァ曲、ピーギ編曲、「オー・ソレ・ミオ」ディ・カプア曲、ピーギ編曲、「バードランド」ザヴィヌル曲、ピーギ編曲、「モリコーネ・メドレー」モリコーネ曲、グランチ/ピーギ編曲、「ボラーレ」モドゥーニョ曲、ピーギ編曲、「ロックンロールNo.9」ベートーベン曲、進士広行編曲、「赤とんぼ」山田耕筰曲、グランチ編曲、「恋」星野源作詞作曲、「5×4メドレー」デスモンド/チャイコフスキー/ロイド・ウェバー曲、ピーギ編曲、「ラテン・ベース・メドレー」エルナンデス/バホーゾ/シモン/ペローニ/アブレウ/リオ/ベン/パウエ:作曲
ピーギ編曲
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「いかなるめぐみぞかかるものを」、けさ浮かんだ賛美歌だ。
クラシック倶楽部まえ番組はライブ。これまで、試聴ディスクで聴く以外に見る機会はなかった。5時前のGang Of Four、A Flock Of Seaguiis。その時の気分で楽しんだり一応知っておくだけであったり。5時には、ロック世界は84年代に帰り、がらりと別な雰囲気世界に。
5時になると、チョン・キョンファ。巨匠バイオリニストといわれる、この方、イギリスの新聞から「ジネット・ヌヴー以来、こんな素晴らしいヴァイオリニストを聴いたことがない」「満員のお客のしつこい拍手喝采以上の価値が本当にあったのだ。果たしてハイフェッツがこれよりも巧く奏いたかどうか、疑問に思う」(Wikipediaから)といわれた方なのだ。ハイフェッツの名が出ると、条件反射的にピンと聞き耳が立つ。キョンファ、けがで2005年から長期療養し、2010年に復帰。どんなけがだったのか、回復に5年とは長い。今回は70歳の記念演奏会だ。キョンファがたって望んだピアニストがケヴィン・ケナー。3年で4つのメジャー国際コンクールへ入賞したアメリカ人ピアニスト。ヤマハのマスタークラスの公開レッスンに招聘されたことがある。キョンファが彼と組んで音の対話をはじめてから8年になるという。2018年6月5日 東京オペラシティ コンサートホールでの収録。
フォーレ作曲「バイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 作品13」。ブラームス作曲「バイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108」、16歳ではじめてこの曲を弾き、後になってから、この曲にハンガリー音楽の影響があることに気づき、何と、昨晩弾いていて、それをやっと納得した、というキョンファ。厚みのある響きのなかに、悲しみ憂い泣き、高まる感情も聞こえ、それが癒しとも。アンコールは、ドビュッシー作曲、ハイフェッツ編曲「美しい夕暮れ」
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きのうに引き続き作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの「聖母のための夕べの祈り」から。演奏はコンチェルト・イタリアーノ。指揮はリナルド・アレッサンドリーニ
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イタリアのクラウディオ・モンテヴェルディ、2017年に生誕450年を迎えているという。コンチェルト・イタリアーノの演奏。作曲家、演奏家ともにこれまで聴くことはなかった。大作を2日間にわたっての放映。きょうは第1曲~第8曲。指揮するリナルド・アレッサンドリーニのコメントでは、モンテヴェルディは、初めてオペラをつくった作曲家、音楽にものがたり性を持ち込んだ作曲家、多くの声楽作品をのこしたという。
男声8人、女性2人、リュート2人、その他の楽器と合わせて20人程度の編成。すべて聖書の内容そのまま、父と子と聖霊に栄光を帰す内容。
「聖母のための夕べの祈り」から 第1曲「主よ 救われるべき人に」、第2曲「主は言われた」、
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けさ地震があったようだ。カムチャッカ半島付近。こんなニュースがあるたびに、土台の亀裂がまたも押し広げられた不安が過る。被害のほどが憂慮される。祈り、いつも通りに一日をスタート。
クラシック倶楽部まえに、ライブを一曲、Bryan Adams、こういった系列の動員力、興奮に巻き込むパワーはやはり無視できない。
さて、きょう放映の中村恵里ソプラノ・リサイタル、2017ヤマハホール、なぜオペラシティやサントリーホールじゃないの? と。それはともかく、すごかった。まさしく名器ともいえる声、ヴァイオリンの名器ストラディバリウスのドルフィン以上かとも。どこがどうと言えるものではない。とにかく素晴らしかった。実際にホールで聴いたならどうだったろう。特に番組後半のアリアは素晴らしかった。
プログラムのはじめに2つか3つの日本語の歌を入れておくと中村恵里はいう。ふだんはドイツ暮らし。日本の人々に近づくため、自分を日本に近づけるためであるらしい。ドイツを拠点に世界各国で活躍。たいせつなのは「人」であり、コミュニケーションによって、先入観にあるそのひとのイメージに、コミュニケーションによってまた新たな発見を付加できる、自分のそのような発見が、また聴く方々に影響を与えられればと、すこし言い回しは違うけれども、そのようなことを仰っていた。この方にして、歌詞を忘れることがあるという。そこを巧くつなげるのも妙技の一つであるのだろう。
「北秋の」清水重道詞、信時潔曲。ピアノ木下 志寿子。「かなしくなったときは」寺山修司詞、大中恩曲。「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第1曲`小さなものでも'」ハイゼ詞、ヴォルフ曲。同じく「第2曲`遠くへ旅立つと聞いたが'」、「 第11曲`ずっと前から望んでいた'」、「第20曲`恋人は歌った'」、「第46曲`ペンナにも私の恋人がいる'」、恋人はたくさんいる、10人もいるといった内容をコミカルにうたうところに、向こうの人たちの陽気な一つの気質を見たような。と思いきや、「わが愛はむなしく 作品32第1」ヘンケル詞、リヒャルト・シュトラウス曲で、罪の世はかならずくらむでしょう、正しきものの前にと至極まともを切々と。「知らず」ギルム詞、リヒャルト・シュトラウス曲。「鐘の響き」ヘンケル詞、リヒャルト・シュトラウス曲。「歌劇「イドメネオ」から`お父様、お兄様、さようなら'」モーツァルト曲。モーツアァルトの巧さがわかったような。わかったとはいわない、わかったようなに留め置く。「歌劇「ボエーム」から`私が町を歩くと'」プッチーニ曲。「歌劇「トゥーランドット」から`氷のような姫君の心も'」プッチーニ曲。「歌劇「ファウスト」から`宝石の歌'」グノー曲。「歌劇「ドン・パスクァーレ」から`騎士はあのまなざしを'」ドニゼッティ曲。アンコール、「ウィーン、わが夢の街」ジーツィンスキ曲 。淀川長治のあとを継いだ映画評論家だったでしょうか、「いや~映画ってほんとうにいいですね」を思い出す。「いや~、歌曲ってほんとうにいいですね」
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バリトンのディートリヒ・ヘンシェル。なかなか滋味ある声がすばらしい。ただけさは、きのう聴いた若き俊才たちの歌が、映像が、講義が強烈なまでに入り込んで、この番組が始まってからも鳴り響いている始末で、せっかくのすばらしい演奏がストレートに耳にはいってこない。聴くための心備えができていないといったところ。
ヘンシェルのコメントがちょっとだけ入ったアイヒェンドルフ詞、シューマンの「リーダークライス」は興味深く聴いた。1~13まで、それぞれは個々にわかったような心持で聴いたものの、この通して連関というか、通しての作曲の意匠を汲み取れなかった。ただわたしは単に聴いて喜んでいる者の一人であって、音楽の専門家ではないので、“役不足”ということばは浴びずに済むかと思う。門外漢の気楽さだ。 自分のメモ書きとして1異郷にて、2間奏曲、3森の対話、4静けさ、5月の夜、6美しき異郷、7古城にて、8異郷にて、9悲しみ、10たそがれ、11森の中で、12さびしさが僕の胸のそこまでしのびこんでくる13春の夜。このうち1,3、7、12、13に共感。
ショーバー詞、シューベルト「音楽に D.547」。この曲を聴くたびに、亡くなられる前年まで、この曲をプログラムの最後に歌っておられた音楽家を思い出す。最後となったリサイタルで、もうこれ以上声が出ませんと仰った。音楽家人生というのは! 芸術は人生、人生は芸術といまだならない自らに一抹の寂しさがある。
名曲アルバム。DVD、買った方がいいかなと思うのだが、買い置くと聴かなくなる。いつでも聴けると思うと聴かない。いま聴かないと聴く機会はないという緊迫感があればこそ聴くし聴く価もある。それで、いまだにこの番組に依存している。
ホルストの木星。まえにも流してくださった。17歳で教会のオルガニストに。保養地チェルトナムではいまでもホルスト音楽祭が。惑星は40歳すぎての作品。52歳で人生最大の名誉、幸福であるホルスト音楽祭が開催される。
音楽を聴いているあいだに、脈絡なく浮かんだ三つの音楽の用語があったが、頭から飛んでしまった。そういま一つだけ思い出したが、コラールだ。こういうときは一応、ぐぐってみる。「もともとルター派教会にて全会衆によって歌われるための賛美歌である。現代では、これらの賛美歌の典型的な形式や、類似した性格をもつ作品をも含めて呼ぶことが多い」とWikipedia。
6時52分更新
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「歌曲集「乙女の花」」、ダーン作詞、リヒャルト・シュトラウス曲
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| 1 | きよしこのよる 星はひかり、 すくいのみ子は まぶねの中に ねむりたもう、いとやすく。 |
| 2 | きよしこのよる み告げうけし まきびとたちは み子のみ前に ぬかずきぬ、かしこみて。 |
| 3 | きよしこのよる み子の笑みに、 めぐみの み代(みよ)の あしたのひかり かがやけり、ほがらかに。 |
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けさは5時15分からの視聴。いい曲目を逃してしまった。ソプラノ佐々木典子さんが「糸を紡ぐグレートヒェン」をどのように歌うか聴きたかったのだけれども。いまシュワルツコップの「糸を紡ぐグレートヒェン」が耳の奥で回っている。聴いたのはミニヨンの歌「ただあこがれを知る者だけが」から。愛の喪失の歌だ。ミニヨンの一連を日本で初めて歌ったのは武岡鶴代ではないかと思うが。ピアノは千葉かほるさん。
一連のシューベルト、シューベルト自身が愛に精通していたか、当時はこういった歌曲が受けたものか、ありとあらゆる愛の心の形の詞。三原剛さんのバリトン、小坂圭太さんのピアノでも詞を玩味。この場合の詞は詩の字を当てるべきかも。みなよく知られた曲ばかり。ザイドルの「ハトの使い」、何度となく聴く機会はあったが、この詞は名作だと改めて思わせられた。
あるブログには
ザイドルの詩に作曲した「鳩の便り」は、シューベルトのあずかり知らぬところで「白鳥の歌」というタイトルの歌曲集の最後に置かれて出版されました。
それ自体は作品が知られるきっかけにもなり悪いことではないと思いますが、「美しい水車屋の娘」や「冬の旅」のようなストーリーがあるわけではない為、歌曲集から切り離して単独で歌われたり、曲順を変更して歌われたりもしています。
この「鳩の便り」と「岩の上の羊飼い」がシューベルトの残した最後の歌曲ということになっていますが、どちらが最後だったかはさだかではありません。
しかし、いずれにせよ、短いシューベルトの生涯の最後に、こんなにピュアで自然で一抹のもの悲しさもこめられた作品を書いてくれたことに我々は感謝の気持ちしかありません。
「あこがれ(Sehnsucht)」という名前の伝書鳩を飼っている主人公は、まさにシューベルトそのものという気もします。
とありました。
鳩の便り
私は1羽の伝書鳩を雇っている。
それは全く従順で信頼の置ける鳩だ。
行き先にたどり着かないこともないし、
通り過ぎてしまうことも決してない。
私はその鳩を毎日何千回と放ち、
偵察に行かせている。
鳩はいくつかの大好きな場所を通り、
私の恋人の家に到着する。
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名曲アルバムは、エスタンシアのバレエ組曲「終幕の踊り」。あのアルゼンチンの大平原がまたまた。大地に力強く生きる今となっては稀少な人々。ヒナステラは作曲前にガウチョを訪れたようだ。
指揮は三ツ橋敬子氏。女性指揮者だ。「小澤征爾 先生の求める精度の高さに度肝を抜かれた」という方。
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クラシック倶楽部、バイオリン部門、110人の中から4人。
関 朋岳さん、福田 麻子さん、佐々木 つくしさん、荒井 里桜さんの演奏、楽しかった! 今後の伸び代に期待。
高関 健指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。
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第87回日本音楽コンクール、ピアノ部門は229人の中からの4人。小井土 文哉さんのラヴェル「ピアノ協奏曲 ト長調」、よい意味でのあそび、ゆとりであるかもしれないが、音のコントロールが行き届いている。ジャズ感覚の部分でも、当を得た躍動感が湧出、全体を弾きたおしたなという感じだった。この方、岩手県出身。桐朋。望月 晶さん、尼子 裕貴さん、竹澤 勇人さん、清新さに元気をいただく。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、梅田俊明氏の指揮。
“名曲”、マーラーの6番。ウィーンのマーラー通りが。行ってみられる方々はラッキーでしょう。0円の“グレート・トラバース”の身には縁遠いことです。ウィーンでのオペラの全盛期を作り出したマーラーも、反ユダヤのエルガー市長登場で、功績はあってもウィーンを去らざるを得なくなっている。人種差別は根深く執拗で無慈悲。
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けさの雪景色。
クラシック倶楽部、この番組、1時間近く聴いて、何か一つ掴めたら御の字と思っている。
第87回日本音楽コンクール、たとえが適切ではないとしても、高校野球、甲子園の決勝の一途で必死な表情が重なる。コンクールを見る価は、このような表情に、漫然と生きて来た、何事にも必死になったことのない自分を悔やんだり、これからでも遅くはないかと自分の眠っている部分を刺激し鼓舞してみたりと、遅まきながら、生きるのにプラスとなるいくつかをもらえるところにあるかもしれない。
クラリネット部門の本選会、205人からの勝ち抜きのようだ。5人が予選を通過。亀居 優斗さん、須東 裕基さん、福井 萌さん、佐藤 拓馬さん、中舘 壮志さんと覚えきれない。けれどいつの日か何かで活躍する場面に出あい、ああ、あの時の、と思い出すことがあるだろう。
すこしでもわかって聴きたいと、コープランド「クラリネット協奏曲」って? とウェブに訊く。ざっと読み終え、ああ、そうかと幾分かわかったところで、「これを見た方は、こちらも見ています」、と透かさず、ニルセンの「クラリネット協奏曲」をすぐに開けるように示してくれている。この気の利きようは! どんな名教師も及ばない。
管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮:渡邊 一正さん。5人の方々を聴き終えて、すこしわかったような、そんなところです。
この岩手には、大向佐保さんというすばらしいクラリネット奏者がいるのだが、いまドイツにいらっしゃる。近々戻られるかどうか、伺ってはいない。
“名曲”、広瀬悦子奏するサティ「グノシエンヌ」。「グノシエンヌ」はサティの造語であるようだ。語源は古都「グノーソス宮」とも神秘教会グニーシス派とも。古代ギリシャの詩の脚韻を踏んだリズムが伴奏部に使われている、それを聴きとろうと。
東洋的な雰囲気は、1889年のパリ万博で知ったルーマニア音楽の影響だそう。
型破りな作曲家への興味はまだまだ続きそう。譜面に書かれている「思考の端末で」「うぬぼれずに」「頭を開いて」、ぜんぶ自分への助言とも思われる。
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きょうはトランペット、150人からかき分けかき分けトップに躍りでた俊才たちのペットの音、とTV、スイッチ・オンしたところが、あらららら、「B-CASカードに正しくアクセスできません」と出る。映らない原因を教えてくれるこの有難さ、なのだが、研ぎ澄まされたペットの音は、つかみ損ねてあえなく霧消。ま、ここのところTVの観すぎ、TVと無縁もいいのではと。田中陽希さんのグレート・トラバースも終わったことですし。
これまで山岳の映像を数々見たけれども、その映像がどんなに素晴らしくとも、なかなか実感として捉えられなかった。それが田中陽希さんの番組で、景観や感動が生きたものとなった。そこに人が直接介在してこそ、景色も動き出す、そう実感したことであった。
と思いきや、B-CASカードを挿しなおしたぐらいでは容易に回復しないだろうとすぐに取り掛からなかったのだが、主人がやってみたところ、あっさりと回復。シェーヌの「トランペット協奏曲」に間に合った。といってものこす時間は10分程度。演奏者はとみれば、三村 梨紗さん、第一位の方だ。今後どの方面で活躍なさるだろう。
“名曲”は「交響詩ターボル」。フス戦争の解説が。枝分かれした石畳の道が見事。
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シプリアン・カツァリスと広瀬悦子のピアノデュオ・リサイタル。けさは情けなくも、 番組は20分過ぎていた。つまり寝坊。それでもストラヴィンスキー「火の鳥」の放送の終わりに滑り込み。カツァリス、超絶技巧と詩人との側面を併せ持つ、肉声の処理が非常に巧みと評されているようだ。カツァリス、広瀬悦子ともに国際コンクールでの入賞を重ねてきた同志が、二台のピアノ、これがヤマハだった、久方ぶりのヤマハ、しかし世界で生産台数が最も多いヤマハなのだが、この楽器での共演。「火の鳥」、カツァリスの詞的な面をぼんやり頭で何とか聞き分けられたかなと。広瀬悦子さん、1941年生まれだが、若さにびっくり! 観客席に空きが目立ち寂しさがちょっと。「交響曲 第9番 第4楽章」、デイスクで聴いたとき物足りなさを拭いきれなかった。今回は久方ぶりのリスト編曲版だったこともあり、すこしそれがなかったかなと。ドボルザークの「スラブ舞曲」は一台のピアノにお二人並んでの連弾だった。
この番組には直接関係は無いが、「火の鳥」と出会うたびに、ちょっと誇らしいことがある。自慢げにいうのもどうかと思い、これまで人にもあまり語ったことはないが、実は宮沢賢治の所有だったレコード「火の鳥」のありかを知る機会に恵まれたことがあるのだ。これを知った時、わたしは興奮して一晩眠れなかった。このことを宮澤賢治研究家の佐藤泰平氏にお知らせしたところ、氏がご自分の著書『宮沢賢治の音楽』に書き留めておいてくださった。今になって、これがどれほどに有難いことであったか! さきほどスキャンしたばかり、ここにアップさせていただく。
☆
いきなり思い立ってコピー、269頁がスキャン途中でちょっと動かしてしまったために、ぶれてしまいましたが。1989年当時は、ほんとうに一生懸命あれこれ調べておりました。
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4時半ごろに、何台もの緊急車のサイレンが駆け抜けていったが、何処へ向かっているのかわからなくとも、近頃は、気持ちが一瞬沈んでしまう。さまざま祈りながらひと時を。して、いまはデニス・マツーエフのピアノ。ロシアのピアノの巨人弾くベートーベンだ。「とどろく爆音から、限りなく澄み渡る弱音まで変幻自在!」と解説にでていた。もう「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31第2」が流れている。演奏前にトークが入った。「作曲家が求めるものを弾く」「ロシアのピアニズムは歌うこと、ハンマーで打ち叩いて音をだすのだが、それでもうたうこと」「ラフマニノフは神のような存在」、そして「ベートーベンの17番、31番は自分が熱いロマンスの心境になれる。31番はもっとも情熱的。17番と31番を演奏のはじめに置くことは自分にとって重要」と語った。作曲家を追体験、感情移入しその心情になって、真直ぐに正直に、今動き出した即興性で弾く、これが彼の真骨頂であるらしい。いま、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110」が流れている。ベートーベンが一音一音を書き留めるすがたがふつふつと浮かぶ。のこる4分47秒で、デニス・マツーエフが作曲した「即興」だ。ピアノのハンマーがランダムにと見えるのだが、実にリズミカルにシャープに振り下ろされている。クラシックから飛び出して、自在な感情の迸しりに任せ存分に自らに浸り、自らが癒されているという感じが。
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雨。おもたい雨音が聞こえて、なにか、もの寂しい思いに。日が望まれるすこし前の1時間に流れる音楽、クラシック倶楽部。きょうは、アンリ・バルダ。よく神秘、深い精神性と評されるフランスのピアニスト。派手さ、名声からは一線を画していたようにも思われる。ウェブにはピアニストが惚れこむピアニストとも出ている。
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あしたは小山実稚恵さんだ、とまたまた楽しみだったクラシック倶楽部。彼女の著書もディスクもけっこうあるはあるのですが、それはそれ、これはこれ。小山さんは“純国産”、海外留学経験はない。岩手県盛岡市で育っており、盛岡一高から東京芸大に進まれた。小山さんのショパン、繊細な音色にはつい涙させられることしばしば。チャイコフスキー国際コンクール、ショパン国際コンクールに入賞。国際コンクールの審査員も務める。アルティ弦楽四重奏団との共演は16年からだったようだ。番組の中で、アルティとの共演について、小山さんは、「自分もこう弾きたかった、自分の演奏を見直す機会でもある」と。一方アルティの方は、「共演することで、演奏に彩り、奥行きを添えられている」とはなしている。
アルティは結成20年、現在バイオリン豊嶋泰嗣、バイオリン矢部達哉、ビオラ川本嘉子、チェロ上村昇各氏のメンバーで、日本を代表する弦楽四重奏団の一つ。
互いの演奏に共感し、互いのよい部分を玩味しながらの「ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44」、受け取る側も親しく共感をもって聴くことができた。ピアノに映る演奏中の小山さんの手の動き指の動きをずっと見ていたけれども、女性がここまでと、何か切ない気持ちになった。ピアノという楽器はやはり男性が弾くにふさわしいのかもしれない。
名曲アルバムは津軽じょんがら節。「人のまねではなく自分の三味線を弾け」、人のまねではなく自分の文章を書けと聞こえる。三味線、この盛岡辺りでは藤原翼さんがいたなと思い出す。映像を見ながら、意外にも桜によくあう三味線、来春の桜は津軽じょんがら節とともに見ることになりそう。
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