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2018年12月

2018も大変お世話になりました。

新年へ、新年へと追い立てられるような第九、すこし落ち着きのない、うま味をぎりぎりまで濃縮したかの第九演奏会がいま終わった。
 
 

指揮:マレク・ヤノフスキ

 

ソプラノ:藤谷佳奈枝
メゾ・ソプラノ:加納悦子
テノール:ロバート・ディーン・スミス
バス・バリトン:アルベルト・ドーメン
合唱:東京オペラシンガーズ

この2018は、失敗も多くありましたが、これまでになく努力した年であったと自己評価。相対評価はどうであれ、精一杯できる範囲を生きました。反省は次年につなげ、月並みながら健康に留意し、この先を歩みたく願っております。一年間、ほんとうに、ありがとうございました。


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ことし最後のクラシック倶楽部

木管楽器のスーパースターたちが結成するアンサンブル、レ・ヴァン・フランセ(フランスの風)の登場。
 エマニュエル・パユはベルリン・フィルのフルートの首席。  
 ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチはクロアチア出身。西のベルリン放送交響楽団の首席ホルン奏者を務めたあと、ソリスト活動に転じる。
 バソンのジルベール・オダン、いまそちこち跳んでみると、バソンの会というのが立ち上がっており、オダンは熱烈に激賞されていた。オダン自身のお奨めレコードがあり、「ジャン・フランセ バソンと11弦楽器のための協奏曲」CYBELIA-650
 オーボエのフランソワ・ルルーは1992年から2004年まで、バイエルン放送交響曲楽団の首席奏者。

 オーボエはフランソワ・ルルー

 

 

プレイエル曲「フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第5番 ヘ長調から 第2章と第3楽章」、ドヴィエンヌ曲「フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第2番 ヘ長調から 第2章と第3楽章」と演奏されていたようだが、実際に聴き始めたのは、

  

モーツァルト曲「オーボエ、クラリネット、ホルン、バソンのための協奏交響曲 変ホ長調 K.297b」から。実のところ、次のイベール曲「木管五重奏のための3つの小品から 第1曲」の明るく軽やか、弾む演奏でやっと目が覚めたという情けない今朝でした。

 

名曲アルバム、青森県民謡「津軽じょんから節」

松田隆行,唄。津軽三味線、澤田勝秋,澤田社中。

津軽三味線の始祖は仁太坊「人まねでなく汝の三味線を弾け」

   

ウェブのそちこちを読むに時間がかかり、6時55分、やっと、やっと更新
年末は息が切れます。モーツァルトの楽譜が失われたはなしはおもしろかったんですが、調べかねたまま。

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白鳥

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きょうのことば

 先週は、全世界のクリスマス。午前の厳粛な礼拝、そして、午後には、一年を通じて最も楽しいクリスマス祝会がありました。

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一週間遅れですが、インマヌエル盛岡キリスト教会のクリスマスメッセージ『大きな喜びの知らせ』(國光勝美牧師)の概要をおつたえします。聖書引証はルカ22 :
8 ~20です。

2:8さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。 2:9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。 2:11今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 2:13すると、突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

2:14「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」

2:15御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」 2:16そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。 2:17それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。 2:18聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。 2:19しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。 2:20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

〈おはなしメモ〉

日ごろ私たちは、いったいどんな知らせを大事なものとして受け止めているでしょうか。新聞の折り込みに、さまざまなチラシが入ってきます。安売り、クリスマスセール、初売りなど、ありとあらゆる広告がきます。果たして、私たちは、何をいちばん喜んでいるでしょう。

 

ここでいう喜びは、深い霊的な祝福のことです。11節には、その喜びがあるのがいつかといえば「きょう」、どこに? 「ダビデの町に」、何が? 「救い主がお生まれに」。民族的に何百年、何千年もの間待ち望まれた日が、ついに、ダビデの町ベツレヘムでそれが起こる。

これは旧約聖書にミカが記している預言の成就でありました。当時、イスラエルはローマの支配下にあったので、このくびきから解き放ってくれる救い主が現れるのを期待していました。しかし、そうではなく、人間を、罪と死から解放する救い主イエス・キリストさまが人間世界にお生まれくださいました。12節の事実に心を向けましょう。

イザヤ14:12~14

12 明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。13 おまえは心の中で言った。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。14密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」

 ここに天使の堕落がかかれています。御使いの中でも上に属する立場、存在、それが、明けの明星、暁の子と呼ばれているものでした。悪魔は天使が堕落してなったものです。天使がすぐれた力あるものに王座に就きたい、神のようになりたい、と傲慢になったとき、神は天使を地に落とされます。12節にいわれているのはそれです。いちばん高いところから低いところに落とされてしまったのが悪魔です。罪の本質は傲慢です。れて 

神がご自身に似せてアダムとエバを造られたばかりのときは、それは非常によかった。それをいちばんねたんだのは、地に落とされた御使いの頭である悪魔でした。何とか人を堕落させようとして、ヘビの形を通して、人間を神に従うあるべき姿から、おまえ自由にやれよ、人間の尊厳なんだから自分の思い通りにやったら良いんだよとそそのかしました。そのささやきに負けてしまった人間を、何とか救うために、天の父なる神は、イエス・キリストをこの世に送ろうと決心されました。その神さまのお心をつたえるために、ルシファーのように堕落しなかった御使いガブリエルが、マリアや羊飼いたちに遣わされ、彼らに主のお誕生を告げ知らせます。それがルカ2:11です。

 

神であられるイエス・キリストさまは、極みまで謙遜の限りを尽くし、ご自分を卑しくされ、贖いのためにこの世に来られました。

ピリピ2:6~9にある通りです

6 キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。                          9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

神の御子が、これほどまでに身を低くして、天から降りてきてくださった、ここにクリスマスのメッセージがあることを心に留めましょう。

                            

  きのうは忙しく、これはもう明日は早くは起きられないな、今日中にやってしまおうと、24時までかかって書き、すこし過ぎに更新しておきました。それが、けさ浮かんだことばがあり、ここに書き足しています。

イザヤ32:15
しかし、ついに、
いと高き所から私たちに霊が注がれ、
荒野が果樹園となり、
果樹園が森と見なされるようになる。

きょうも新しい一日が加えられたことに感謝しながら、7時、編集、更新

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第九

 慌ただしい年の瀬に、駆け足で居間を通りぬけながらTVを見ると、第九は第九でも、1万人の熱唱、汗だくの熱狂タクトは佐渡裕。第九のスケールは、より感動を、もっと感動を、で拡大の一途にある。しかし、いかに規模が大きかろうと小さかろうと、第九が聞こえるときに浮かぶのはベートーヴェン。聴力を失ったベートーヴェンの壮絶さ。すべての苦悩を音に問い、音に探り、旋律を掴みながら、すべてを曲に昇華させていく偉大な作曲家ベートーヴェンの姿に行き当たる。
 いちどだけ、第九にアルトで参加し、指導を受けて歌ったことがある。最後部分に入って、終わることが無念でならなかった。

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.


ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界中の者どもよ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう

 

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聞くともなしに

  いつもなら今時間帯はクラシック倶楽部。きのう、「ことし最後のクラシック倶楽部」と書いてから、よく番組をみたところ、31日もある。木管楽器のスーパースターの登場らしい。で、「ことし最後」は削除しておいた。
 けさ、ラジオに笠松康洋さんが出ていた。あ、やっぱり笠松、そのやっぱりで、さっそくwikipediaに跳ぼうとしたところ、前段階で、「この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典が全くありません。存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります」と出てきた。これは自分への警告でもある。在野でほんの片隅をいじっているにすぎないが、取り違えると大変なことに。笠松の記事を一読し、どこがほんとうでどこが? なのか戸惑うも、当のご本人がはなしていた分だけは間違いなかろうと。
 
 「和楽器にオリエント系の楽器が融合する」の部分。日本古来の楽器と思い込んでいた篳篥や琵琶が、実はオリエントと連関があるようだ。向こうに飛んで、系列の楽器を確かめたらしい。宮廷の雅楽の印象までが変わってしまった。
 それと作曲家の耳のよさ、ドヴォルザークの新世界で、特に管の美しさに感銘、個々の楽器の響きを的確にとらえてしまう。特にオーボエに魅かれて、自らがオーボエ吹きでもある。そして、やはり作曲家の行きつくところは、オペラであるようだ。
 作曲家になるプロセスもはなされていたが、「それは誰でも知っている」ということになりそうなので、ここまでに。


   要らざることをと思いつつ6時20分 更新

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こらえる樹木

 横なぐりの雪、凍てつく底冷え、いわれない人の虐げに、口をひらくこともなく、地のしたに深く根を伸ばして、静かにこらえる冬の樹木たち。鈍色の空に春をまちながら。 
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上から、メタセコイア、ギンドロ、シダレカツラ

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盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第45回が出ました。&クラシック倶楽部ー

筆者が盛岡タイムスに連載している「楽都のユニゾンー鳥取春陽と太田カルテットー」第45回が本日出ました。コンビニで扱っています。
 岩手が誇るべき大正時代の弦楽四重奏団太田カルテットの主宰者梅村保。その梅村の自宅でレコードコンサートがありました。そこで選曲や解説をしていた教授がいたのですが、実はその方が宮澤賢治の訪問を受けており……、あとは、きょうの盛岡タイムスでご覧いただければと思います。

ここではなしは、クラシック倶楽部に。バイオリン:ジェローム・アコカ、チェロ:クリストフ・コワン、ナヴァラ、アーノンクールに学んだ古楽の雄、クリストフ・コワン。フォルテピアノ:金子陽子の共演で、シューベルトが30歳で作曲した「ピアノ三重奏曲 変ホ長調 作品100」。これはシューベルトが死の前年に作曲したという。この年、シューベルトは「冬の旅」を書いている、またベートーヴェンが亡くなり、シューベルトはこの葬儀に参列している。翌年には彼自身が。

 

 金子陽子さんのHPによると、ことしは中国、韓国でのステージがあったよう、また、今回のコワンたちとの共演では、フォルテピアノのもつ限りない表現の可能性と室内楽のあるべき真の姿を共に提示した、とありました。フォルテピアノ、音の強弱の幅が狭いので繊細なタッチが求められるという。

 すでに病にあったシューベルト、作曲は、彼の現実逃避であり、自分を励ますことであり、生きていることを実感できる手段だったのでは。哀惜するような、うたうような、不安げな、そんな旋律が耳にのこった。

 

名曲アルバムは 
パガニーニ作曲、バイオリン協奏曲『鐘』 
パガニーニ、バイオリンの歴史を変えた天才。バイオリン木野雅之、東京フィルハーモニー交響楽団、飯守泰次郎指揮

 

何度でも聴きたい『鐘』のロンド。
ニコロ・パガニーニ(1782年1840年)の死因、埋葬が遅れたわけは、
 一般に死因は喉頭結核もしくは喉頭癌といわれているが、主治医の診断から結核ではなかったことがはっきりとしており、記録に残る症状(歯肉炎振戦、視野狭窄など)から、水銀中毒だったことは明らかである。

 前述の噂(あまりにヴァイオリンがあまりに巧く、また風貌、性格的な問題から悪魔呼ばわりされる等など)が原因で埋葬を拒否され、遺体は防腐処理を施されて各地を転々とし、改葬を繰り返した末に1876年にイタリア中部の町パルマの共同墓地にようやく安置された。(wikipedia.から転載)


聴きながら、ウェブのそちこちに跳んで、6時8分 更新

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冬に耐える樹

 先日、岩手大学図書館に本を返却しに。何しろこの図書館にしかない本があるので。因みに、わたしは同校の卒業生ではない。行ったついでに池をひとまわり。水面の半分は凍り付いている。映ってはいないが、左手にある銀杏の木の実が一気に落ちたのだろう、落ち葉の上に密に散らばって、腐食がすすんだ表皮に、新たな命の核がのぞいていた。水にドイツトウヒが影を落としている。
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 清冽な水面の深くに静かにひそむ樹木の陰。
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 年末の慌ただしい家事の合間に小休止、気分転換にちょっと更新。これも、自分でじぶんを元気づける一つの方法。頑張れ、がんばれ!
 

 

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クラシック倶楽部ーびっくりコントラバスー

あすはおもしろそう、と予告を見たが、聴いたのは、後半のみ。4人のコントラバス「ザ・ベース・ギャング」。イタリア出身。6回目の来日。来日するたびに、日本でのヒット曲、何が日本で喜ばれるかを考えるらしい。日本で受けた曲がイタリアでも受けるのだとか。ピストルが出たり奇声を発したり、ロックのライブでは珍しくもないけれど、眠気覚ましの効果かと思うも、居眠り組はいそうにない。面白い。ふだんはオケの端っこにいて、高音あってのベースかの印象。それが堂々ベースだけでのアンサンブル。クラシック、番組の予告にはなかった第9の編曲、この中で発した奇声に、ベートーヴェンのデスマスクが苦笑いした気がしたのはこの頭の固さか、何れ、名曲はどう調理しようがやはり最高のグルメ。アレンジされたジャズ、映画音楽、ロックとパフォーマンスの数々、意外性と面白みに富んでいた。

「20世フォックス・トレード・マーク・ファンファーレ」ニューマン曲、ピーギ編曲、「黒猫・白猫」
カライリチ/アラリカ/スパラヴェロ作曲、ピーギ編曲、「月影のナポリ」デ・フィリッピ曲、ピーギ編曲、「フニクリ・フニクラ」デンツァ曲、ピーギ編曲、「オー・ソレ・ミオ」ディ・カプア曲、ピーギ編曲、「バードランド」ザヴィヌル曲、ピーギ編曲、「モリコーネ・メドレー」モリコーネ曲、グランチ/ピーギ編曲、「ボラーレ」モドゥーニョ曲、ピーギ編曲、「ロックンロールNo.9」ベートーベン曲、進士広行編曲、「赤とんぼ」山田耕筰曲、グランチ編曲、「恋」星野源作詞作曲、「5×4メドレー」デスモンド/チャイコフスキー/ロイド・ウェバー曲、ピーギ編曲、「ラテン・ベース・メドレー」エルナンデス/バホーゾ/シモン/ペローニ/アブレウ/リオ/ベン/パウエ:作曲
ピーギ編曲

「魔王」シューベルト作曲、若草 恵・編曲、河野 克典のバリトン、東京フィルハーモニー交響楽団、円光寺雅彦指揮
ゲーテの最期のことば「もっと光を」、単に電気を明るくというときにも、思い出したこのことば、今になって、ふと、それほど重大な意味合いがあったのだろうかという疑念が。これ以上は書かないけれども。

             けさは6時から書き始めて、6時57分 更新      
                     

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カモ

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                         21時18分 更新

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きょうもクラシック倶楽部ーあのヴァイオリニストはいま?ー

「いかなるめぐみぞかかるものを」、けさ浮かんだ賛美歌だ。

クラシック倶楽部まえ番組はライブ。これまで、試聴ディスクで聴く以外に見る機会はなかった。5時前のGang Of Four、A Flock Of Seaguiis。その時の気分で楽しんだり一応知っておくだけであったり。5時には、ロック世界は84年代に帰り、がらりと別な雰囲気世界に。

 

5時になると、チョン・キョンファ。巨匠バイオリニストといわれる、この方、イギリスの新聞から「ジネット・ヌヴー以来、こんな素晴らしいヴァイオリニストを聴いたことがない」「満員のお客のしつこい拍手喝采以上の価値が本当にあったのだ。果たしてハイフェッツがこれよりも巧く奏いたかどうか、疑問に思う」(Wikipediaから)といわれた方なのだ。ハイフェッツの名が出ると、条件反射的にピンと聞き耳が立つ。キョンファ、けがで2005年から長期療養し、2010年に復帰。どんなけがだったのか、回復に5年とは長い。今回は70歳の記念演奏会だ。キョンファがたって望んだピアニストがケヴィン・ケナー。3年で4つのメジャー国際コンクールへ入賞したアメリカ人ピアニスト。ヤマハのマスタークラスの公開レッスンに招聘されたことがある。キョンファが彼と組んで音の対話をはじめてから8年になるという。2018年6月5日 東京オペラシティ コンサートホールでの収録。

 

フォーレ作曲「バイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 作品13」。ブラームス作曲「バイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108」、16歳ではじめてこの曲を弾き、後になってから、この曲にハンガリー音楽の影響があることに気づき、何と、昨晩弾いていて、それをやっと納得した、というキョンファ。厚みのある響きのなかに、悲しみ憂い泣き、高まる感情も聞こえ、それが癒しとも。アンコールは、ドビュッシー作曲、ハイフェッツ編曲「美しい夕暮れ」

    

名曲アルバム

 

ショパンの「英雄ポロネーズ」

 

ピアノ清水和音
クラクフの街並み、人々の映像。生きている英雄伝説。

こうして各国、各人の演奏をメディアで楽しんでいる筆者自身は海外に行ったこともなく、日本岩手県でしか暮らしたことがない。だから、この岩手が世界の中心、誰が何といおうとも、岩手こそが世界の中心なのだ。その岩手の一角で、実は、そう遠くはない未来に、全国的な、世界的な活躍が期待される若い方々が声楽の学びにある。きのう、その活躍の前奏曲ともいうべき歌声を直に聴く機会が。宝石がさまざまに磨かれて、さまざまな切り口、面に、多彩な光を放っている。
                  6時10分更新   

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燭火礼拝

 ゆうべ、インマヌエル盛岡キリスト教会で、燭火礼拝がありました。
 賛美歌を歌い、エレクトーン、ギター、エレキギターの演奏、讃美歌ライブ、トーンチャイム演奏、國光牧師のクリスマスのおすすめがありました。筆者はトーンチャイムです。キャンドルサービスでは、主牧から次つぎに火が点されました。
やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
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クラシック倶楽部ー聖母のためのー

きのうに引き続き作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの「聖母のための夕べの祈り」から。演奏はコンチェルト・イタリアーノ。指揮はリナルド・アレッサンドリーニ

第9曲「天よ お聞きください」、第10曲「エルサレムよ 主をほめたたえよ」、第11曲「聖マリアのソナタ」、第12曲「海の星よ」、「マニフィカト」、アンコール第1曲「主よ 救われるべき人に」

 宗教曲、日本語で流れているのを聴いたことがない。宗教的なことはともかく、詞の内容には、慈愛、慰め、希望があるにもかかわらず、語学に通じているもの以外に、それはほとんど伝わらない。特に詩がもっている癒し、カウンセリング効果が言語の壁に閉じ込められているのは残念な気が。きょうは、そんなことを思いながら聴いた。今日にいたるまでも、滅多には翻訳で歌われないのは、やはりそれなりの難しさがあるからだろう。言葉自体の語感も味わいの一つとなれば、もともとの言語は外せないということも。字幕を追うこともいいのだが、これが多くの方々にもっと恩沢を及ぼせる内容であることを思うとき、残念な気がした。


 第12曲「海の星よ」のなかで、〈神を育てる〉というフレーズにどきりとした。イエス・キリストは人ではなく神の御子、つまり、神であるとされというよりも、聖書には神であるとある。その育児とはどんなものであったろうかと様々な場面が想像された。偉大な一つの大仕事であるが、どれほど大変であったか。神経の使いようは。もし、マリアが、この子は神の子なんです」などと口にしたなら、もう世間にはまともに相手にはされなかったろう。ただマリアは愚かではないのだ。
 「マニフィカト」
惨めなものを高くされ、飢えたものをよいものであかせ、富めるものを手ぶらでかえされる。一般社会の常の逆転。
 アンコール  第1曲「主よ 救われるべき人に」
 主よいそいでわたしを助けにきてください

 ところで、古楽器、2台のリュートと思っていたのはほんとうにそうかどうか、間違えた気もし、古楽器のページにとんでみると、何と、古楽器といわれるものは45種類以上も。リュートの写真で、たぶん、リュートといっていいのではないかと思うのだが……。



名曲アルバム
スメタナの「交響詩ターボル」
東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は渡邊一正
ジシカとチェコの都市ターボルの町に再び
                  6時38分 更新

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光を写真で

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一昨日、昨日と忙しかった。きょうは日が照らず、先ほど、塀の外まわりを掃きそうじしたが、冷えこんできている。写真は先日の高松の池。日の光を写真で見るだけでも、心洗われる。年を越すまでは、落ち着く暇はなさそう。

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クラシック倶楽部ーふってきたクリスマスのめぐみー

イタリアのクラウディオ・モンテヴェルディ、2017年に生誕450年を迎えているという。コンチェルト・イタリアーノの演奏。作曲家、演奏家ともにこれまで聴くことはなかった。大作を2日間にわたっての放映。きょうは第1曲~第8曲。指揮するリナルド・アレッサンドリーニのコメントでは、モンテヴェルディは、初めてオペラをつくった作曲家、音楽にものがたり性を持ち込んだ作曲家、多くの声楽作品をのこしたという。
 男声8人、女性2人、リュート2人、その他の楽器と合わせて20人程度の編成。すべて聖書の内容そのまま、父と子と聖霊に栄光を帰す内容。

「聖母のための夕べの祈り」から 第1曲「主よ 救われるべき人に」、第2曲「主は言われた」、

第3曲「私は黒いが愛らしい」、第4曲「息子らよ 主をほめたたえよ」、第5曲「麗しきかな」、第6曲「喜ばしきかな」、第7曲「ふたりの天使」、第8曲「主でなければ」と、忘れ対策に、一応曲名をメモる。2017年武蔵野文化会館収録。

“名曲”はサティー「グノシエンヌ」、広瀬悦子の演奏、またしても登場で、これもクリスマスプレゼントか。1889の万博で聴いたルーマニア、ハンガリーの民族音楽に影響を受けての作曲だとか。以前書いたブログには、パリ万博の影響としか書かなかったような気が。何度も聴いてみるもの。それにしても「舌のうえにのせて」のように表現せよとは、う~ん、ここかななどと想いながら聴きはするけれども、奇抜というか、斬新というか、深いというか、次に言葉つづかず……しずくのような不思議な音の妙味。
                     6時37分更新

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メリークリスマス!

「ヒイラギの画像」の画像検索結果
きょうは第四アドベント、
     クリスマス、おめでとうございます!
 
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先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、第三アドベント講壇『救い主の誕生』と題し、ルカ2:1~7から、國光勝美牧師がお話しくださいました。
ルカ2:1~7
2:1そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。 2:2これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。 2:3それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 2:4ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 2:5身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。 2:6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、 2:7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
〈メモ〉
主牧は、カナンの園でもご奉仕をしてらっしゃいますが、そこのお子さんが、ルカ伝のイエスさまのおはなしを聞きたいと仰ったとか。たしかに最も親しんでいるのがこのルカ伝にあるお誕生の場面です。それを受けてでしょうか、きょうはここのところからのお話をいただきました。何十年も聞き続けている場面ですが、この年もまた新たな想いで心に留めるは意味あることとして始められました。
皇帝アウグストとありますが、これは天皇陛下という社会的な立場をあらわす呼称です。アウグストの実名はオクタビアヌスです。住民登録の勅命、これは、課税額や軍隊徴用のための一斉調査であり、いまでいう国勢調査で、これが発布されたわけです。ヨセフとマリアは、エルサレムから140キロも離れたナザレに住んでいました。そこからベツレヘムというダビデの町(エルサレム)に上っていかなければならなかった。マリアはその時、すでに身重になっていました。もしアウグストの勅令がなければ、ヨセフとマリアは、エルサレムに行くことはなかったでしょう。
身重のマリアが、ここまで退避せざるを得なかった理由はどこにあるのか。もちろん勅令が出たからではありますが、このことはすでにミカによって預言されており、この預言の成就のときであったのです。ミカ5:2に
 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
とあります。
 ミカ書はイザヤ書とほぼ同じ時代で、紀元前8世紀に記されたものです。このミカが、イスラエルを治めるものがベツレヘムから出ると預言していたのです。
 ヨセフはダビデの血筋であり、ベツレヘムの出身です。皇帝アウグストが、自分の領土の国勢を調べるために命令を出したので、ヨセフはマリアを連れて、ベツレヘムからエルサレムにやってきたのです。
 神の御意(みこころ)は、アウグストのように、神を知らない人物を通してでも必ず推し進められるものです。この教会が建つに至ったときもそうでした。当初の候補物件に当たるために現地に行ったところ、そこの方が、より相応しい物件があると、いまの教会の土地を紹介してくださいました。

 神がご自分のわざをすすめようとなさるとき、不思議なように、教会とは関係のない世の中の人を通してでも、ご自分のわざを進めます。ミカの預言は、アウグストがたまたま発した勅令によって成就しました。
 ルカ2:7に出てくる飼い葉おけは、どんなものだったでしょう。
お生まれになった主は、木で作られた飼い葉おけに寝かされている、クリスマスカードなどによって、私たちはこのようにイメージしていますが、さて、実際はどうだったでしょう。
 多くの学者たちの見解が一致するところは、木の家ではなく、木の飼い葉おけではないようです。イエスがお生まれになったところは、石灰岩が多く、石灰岩の洞窟を利用して家畜などを飼っていました。洞窟は温度が安定しており、暗いところではなく、これを利用して家畜を買うのはめずらしいことではなかった。主が寝かせられたところは木づくりではなく、石灰石、削りやすく加工しやすい石灰岩に干し草を敷いて寝かされていました。
ルカ2:8、9
2:8さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 2:9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
 イエスさまは、絢爛豪華な宮殿にうまれたのではありません。もしそのようなところにお生まれになったとしたら、羊飼いのように貧しく身分のないものは、とてもお会いすることなどできませんでした。このように、誰でもがやってくることができるところに、ほんとうに自らを低くし、しかも罪びととして我々の兄弟となられ、罪から救うためにこの地上に来られました。そしてついには、十字架の上でさいごの一滴まで血を流され贖いを成し遂げられたのです。
 
「ベツレヘム」のそもそもの意味は、「パンの家」。霊的に解釈すると、「わたしはいのちのパンであると」という意味です。
 今日はピリピ2:6~11節を最後にお開きします。パウロのクリスマスといわれている箇所です。
2:6キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 2:8キリストは人間と同じようなかたちになり、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。 2:9それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。 2:10それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 2:11すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
 このことばこそ、パウロがのべているクリスマスの事実です。パウロが理解したクリスマスです。これに、ともに肯かせていただきましょうと、しめくくられました。
 ※聞き違いもあるかと思いますが、簡略ではありますが、おつたえいたしました。

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嘉藤治のレコードコンサート

権三ホールで、藤原嘉藤治の遺したレコードのコンサートでした。解説はどっこ舎の内城弘隆先生。1雅楽 越天楽、2端歌「梅は咲いたか」3グノーのセレナーデ、4ビゼーの「白鳥の歌」、5モーツァルト「キリエ」、ショパン「夜想曲」☆音楽劇「セロ弾きのゴーシュ」
 音楽劇の交響曲田園が最後部分で合唱で歌われており、これには大変感動しました。
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息子からのプレゼント

ラジオで末盛さんのはなしを聞きながら、TVで耳石を集める少年が魚をさばく姿を見ている。6時半の起床、ゆったりと過ごしている。雪がふるまえには、庭にでて草花を見てまわるのだが、それも春先まではない。11月遅くに植えたパンジーたちが、霜をまぶされてかじかんでいるだろう。きょうも新しい一日を与えられたことに感謝し立ち上がる。
昨夜、次男が現れて、「仕事で来られなくて遅くなったけどおめでとう!」とわたしに誕生プレゼントを! ほんとうにありがとう!
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しっかり読むからね!
               7時7分更新 

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第26回小川未明文学賞大賞ちばるりこ著『スケッチブックー供養絵をめぐる物語ー』が出版されました

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喪中欠礼

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 いつも年賀状の発送は遅くなるのだが。例年になく喪中欠礼が多く届いている。名古屋の友だち、3・11までは交信がなかったが、震災のとき、案じて電話をくれたことで、連絡しあうようになっている。いま一人は田沢湖に実家があり、よく46号線を往復、このほど、お母さんが亡くなられた。そして親戚たち。周りに、自分の年代相応の慶弔が続いている。
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 空がばりっと青い。山のすべらかしに、鑿でえぐった跡が見える。
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          18時05分更新

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クラシック倶楽部

けさ地震があったようだ。カムチャッカ半島付近。こんなニュースがあるたびに、土台の亀裂がまたも押し広げられた不安が過る。被害のほどが憂慮される。祈り、いつも通りに一日をスタート。

クラシック倶楽部まえに、ライブを一曲、Bryan Adams、こういった系列の動員力、興奮に巻き込むパワーはやはり無視できない。

 さて、きょう放映の中村恵里ソプラノ・リサイタル、2017ヤマハホール、なぜオペラシティやサントリーホールじゃないの? と。それはともかく、すごかった。まさしく名器ともいえる声、ヴァイオリンの名器ストラディバリウスのドルフィン以上かとも。どこがどうと言えるものではない。とにかく素晴らしかった。実際にホールで聴いたならどうだったろう。特に番組後半のアリアは素晴らしかった。

 プログラムのはじめに2つか3つの日本語の歌を入れておくと中村恵里はいう。ふだんはドイツ暮らし。日本の人々に近づくため、自分を日本に近づけるためであるらしい。ドイツを拠点に世界各国で活躍。たいせつなのは「人」であり、コミュニケーションによって、先入観にあるそのひとのイメージに、コミュニケーションによってまた新たな発見を付加できる、自分のそのような発見が、また聴く方々に影響を与えられればと、すこし言い回しは違うけれども、そのようなことを仰っていた。この方にして、歌詞を忘れることがあるという。そこを巧くつなげるのも妙技の一つであるのだろう。

 

「北秋の」清水重道詞、信時潔曲。ピアノ木下 志寿子。「かなしくなったときは」寺山修司詞、大中恩曲。「ハイゼの詩によるイタリア歌曲から 第1曲`小さなものでも'」ハイゼ詞、ヴォルフ曲。同じく「第2曲`遠くへ旅立つと聞いたが'」、「 第11曲`ずっと前から望んでいた'」、「第20曲`恋人は歌った'」、「第46曲`ペンナにも私の恋人がいる'」、恋人はたくさんいる、10人もいるといった内容をコミカルにうたうところに、向こうの人たちの陽気な一つの気質を見たような。と思いきや、「わが愛はむなしく 作品32第1」ヘンケル詞、リヒャルト・シュトラウス曲で、罪の世はかならずくらむでしょう、正しきものの前にと至極まともを切々と。「知らず」ギルム詞、リヒャルト・シュトラウス曲。「鐘の響き」ヘンケル詞、リヒャルト・シュトラウス曲。「歌劇「イドメネオ」から`お父様、お兄様、さようなら'」モーツァルト曲。モーツアァルトの巧さがわかったような。わかったとはいわない、わかったようなに留め置く。「歌劇「ボエーム」から`私が町を歩くと'」プッチーニ曲。「歌劇「トゥーランドット」から`氷のような姫君の心も'」プッチーニ曲。「歌劇「ファウスト」から`宝石の歌'」グノー曲。「歌劇「ドン・パスクァーレ」から`騎士はあのまなざしを'」ドニゼッティ曲。アンコール、「ウィーン、わが夢の街」ジーツィンスキ曲 。淀川長治のあとを継いだ映画評論家だったでしょうか、「いや~映画ってほんとうにいいですね」を思い出す。「いや~、歌曲ってほんとうにいいですね」


   

名曲アルバムはマーラー6番。NHK交響楽団,飯森範親の指揮
マーラーがウィーンを去らざるを得なかったのはユダヤ人であるばかりでなく、頑固さ、強引さにも理由があったよう。
                7時10分更新

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秋の追想

 撮りおいてもアップしなかった写真を。
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けさもクラシック倶楽部ーヘンシェルのシューベルト、シューマンー

バリトンのディートリヒ・ヘンシェル。なかなか滋味ある声がすばらしい。ただけさは、きのう聴いた若き俊才たちの歌が、映像が、講義が強烈なまでに入り込んで、この番組が始まってからも鳴り響いている始末で、せっかくのすばらしい演奏がストレートに耳にはいってこない。聴くための心備えができていないといったところ。

ヘンシェルのコメントがちょっとだけ入ったアイヒェンドルフ詞、シューマンの「リーダークライス」は興味深く聴いた。1~13まで、それぞれは個々にわかったような心持で聴いたものの、この通して連関というか、通しての作曲の意匠を汲み取れなかった。ただわたしは単に聴いて喜んでいる者の一人であって、音楽の専門家ではないので、“役不足”ということばは浴びずに済むかと思う。門外漢の気楽さだ。 自分のメモ書きとして1異郷にて、2間奏曲、3森の対話、4静けさ、5月の夜、6美しき異郷、7古城にて、8異郷にて、9悲しみ、10たそがれ、11森の中で、12さびしさが僕の胸のそこまでしのびこんでくる13春の夜。このうち1,3、7、12、13に共感。

 ショーバー詞、シューベルト「音楽に D.547」。この曲を聴くたびに、亡くなられる前年まで、この曲をプログラムの最後に歌っておられた音楽家を思い出す。最後となったリサイタルで、もうこれ以上声が出ませんと仰った。音楽家人生というのは! 芸術は人生、人生は芸術といまだならない自らに一抹の寂しさがある。

名曲アルバム。DVD、買った方がいいかなと思うのだが、買い置くと聴かなくなる。いつでも聴けると思うと聴かない。いま聴かないと聴く機会はないという緊迫感があればこそ聴くし聴く価もある。それで、いまだにこの番組に依存している。

ホルストの木星。まえにも流してくださった。17歳で教会のオルガニストに。保養地チェルトナムではいまでもホルスト音楽祭が。惑星は40歳すぎての作品。52歳で人生最大の名誉、幸福であるホルスト音楽祭が開催される。

 音楽を聴いているあいだに、脈絡なく浮かんだ三つの音楽の用語があったが、頭から飛んでしまった。そういま一つだけ思い出したが、コラールだ。こういうときは一応、ぐぐってみる。「もともとルター派教会にて全会衆によって歌われるための賛美歌である。現代では、これらの賛美歌の典型的な形式や、類似した性格をもつ作品をも含めて呼ぶことが多い」とWikipedia。                     

 6時52分更新

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クラシック倶楽部ー花のアーチー

けさ4時半にバイクの音がし、新聞なら5時のはずだがと、木戸の向こうの気配を気にかけ、闇にライトの明滅をみていた。どうも引き継ぎをしているようだ。配達の方が変わるのだ。それで4時半。外気温はどれぐらいだろう。ごくろうさま、である。

クラシック倶楽部まえのライブは1984、6といったあたり、Dio、Motorhead、UFO、Judas Priest。

けさのクラシック倶楽部は、ソプラノのキャロリン・サンプソン。ピアノはジョセフ・ミドルトン。
キャロリン・サンプソンは、バッハ・コレギウム・ジャパンのソリストとして度々来日しているようだ。サンプソンさんとはいわない。敬称はいつも難しい。日本人音楽家の方々に失礼かとさん付けしてきたわけだが、「あなた、あの有名なすごいお方とどういうご関係?」と眉をしかめられているかも。「いえ、何も」と小さくなる。かくして、このコンサートを「花に寄せて」と題したサンプソンいうに「花の曲でつなげたアーチを」、なんて素敵なことを思いつくものだろう! 「あまり取り上げられない曲に光を」との意図もあるようだ。サンプソン、「自分を花にたとえると?」と訊かれて、「ジャスミン」とこたえていた。う~む。いかにも。
 いったい花をどんなふうに表現するのか、これは詩のなかでのことだが。一とおり聴いてみると、女性を、愛を、愛の悲しみを仮託。ああ、そうなんだ。サンプソンの歌は、水の面に多様な光をうけたさざ波のよう、さざめきのようでした。
 

「歌曲集「乙女の花」」、ダーン作詞、リヒャルト・シュトラウス曲

矢車草は「くもりなき心」、けしの花は「赤い血かよう健やかさ」、きづたは「その涙は誰も逆らえぬ……はじめの愛のからみで一生の運命が決まる」、して、すいれんは「麗しき星雲の妹……言の葉は銀波のさざめき」。詩人の繊細な表現力に驚くのは、今日聴いたすべてに共通。

「花言葉」プラットナー詞、シューベルト曲。「森で」ブルッフマン詞、シューベルト曲。「ジャスミンの木」リュッケルト詞、シューマン曲。「献身の花 」リュッケルト詞、シューマン曲。「まつゆき草」リュッケルト詞、シューマン「花」ヴィルモラン詞、プーランク曲。「ちょうと花 」ユゴー詞、フォーレ曲。「捨てられた花 」シルヴェストル詞、フォーレ曲。「捧げもの」ヴェルレーヌ詞、アーン曲。「花」ドビュッシー作、曲。「去年咲いていたリラの花は」ジャム詞ブーランジェ曲。「ありったけの花」ロスタン詞、シャブリエ曲。どうもリラの花は重要。「からたちの花」北原白秋詞、山田耕筰曲。「野ばら 」ゲーテ詞、シューベルト曲。


名曲アルバム、「おとめの祈り」バダジェフスカ(1834年/1838年 - 1861年9月29日)作曲。32歳で亡くなった彼女はワルシャワのヴァンスキ墓地に。アマチュアの作曲家、ピアニスト。パリで出版されるまで、自ら売り歩いたという。
作曲は、日本でいえば、桜田門外の変があったころかな?
                                    6時45分更新


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地域のサロンで塗り絵

歴史ある盛岡城南小学校のうえに広がる青空に桜が枝をのばしています。
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きょうは地域のサロン、わたしは準備の係ではなく、脇役で気楽な手伝いを。大先輩の方々のあいだで塗り絵に参加、それぞれに個性が出ていてなかなか楽しいものでした。いつもながら、真摯に奉仕なさる役員の方々には心打たれます。あたたかい方々です。たぶんこのブログを知っている方はいません。けれども、これぐらいは書いても許されるでしょう。
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 お弁当、茶菓を囲み、最後は「きよしこの夜」でお開きでした。
   ♪   ♪


きよしこのよる 星はひかり、
すくいのみ子は まぶねの中に
ねむりたもう、いとやすく。
きよしこのよる み告げうけし
まきびとたちは み子のみ前に
ぬかずきぬ、かしこみて。
きよしこのよる み子の笑みに、
めぐみの み代(みよ)の あしたのひかり
かがやけり、ほがらかに。
 

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けさもクラシック倶楽部ー愛の大家シューベルトー

けさは5時15分からの視聴。いい曲目を逃してしまった。ソプラノ佐々木典子さんが「糸を紡ぐグレートヒェン」をどのように歌うか聴きたかったのだけれども。いまシュワルツコップの「糸を紡ぐグレートヒェン」が耳の奥で回っている。聴いたのはミニヨンの歌「ただあこがれを知る者だけが」から。愛の喪失の歌だ。ミニヨンの一連を日本で初めて歌ったのは武岡鶴代ではないかと思うが。ピアノは千葉かほるさん。

 

 一連のシューベルト、シューベルト自身が愛に精通していたか、当時はこういった歌曲が受けたものか、ありとあらゆる愛の心の形の詞。三原剛さんのバリトン、小坂圭太さんのピアノでも詞を玩味。この場合の詞は詩の字を当てるべきかも。みなよく知られた曲ばかり。ザイドルの「ハトの使い」、何度となく聴く機会はあったが、この詞は名作だと改めて思わせられた。

 

あるブログには

 

ザイドルの詩に作曲した「鳩の便り」は、シューベルトのあずかり知らぬところで「白鳥の歌」というタイトルの歌曲集の最後に置かれて出版されました。
それ自体は作品が知られるきっかけにもなり悪いことではないと思いますが、「美しい水車屋の娘」や「冬の旅」のようなストーリーがあるわけではない為、歌曲集から切り離して単独で歌われたり、曲順を変更して歌われたりもしています。
この「鳩の便り」と「岩の上の羊飼い」がシューベルトの残した最後の歌曲ということになっていますが、どちらが最後だったかはさだかではありません。
しかし、いずれにせよ、短いシューベルトの生涯の最後に、こんなにピュアで自然で一抹のもの悲しさもこめられた作品を書いてくれたことに我々は感謝の気持ちしかありません。
「あこがれ(Sehnsucht)」という名前の伝書鳩を飼っている主人公は、まさにシューベルトそのものという気もします。

 

とありました。

 

鳩の便り
 私は1羽の伝書鳩を雇っている。
 それは全く従順で信頼の置ける鳩だ。
 行き先にたどり着かないこともないし、
 通り過ぎてしまうことも決してない。

 私はその鳩を毎日何千回と放ち、
 偵察に行かせている。
 鳩はいくつかの大好きな場所を通り、
 私の恋人の家に到着する。

  そこの窓から鳩はこっそりと中を覗き、
 彼女のまなざしや足取りをうかがう。
 私からの挨拶をじゃれながら彼女に伝え、
 そして彼女の返事を持ち帰ってくる。

 もう手紙を書く必要などないのだ、
 涙すら鳩に預けられるのだから。
 おお、鳩は涙も確実に届けてくれる、
 全く熱心に私に仕えてくれるのだ。
 
 昼も夜も、目覚めていても夢の中でも、
 鳩にとっては同じことなのだ。
 鳩はただ飛んで、飛んでいられるだけで
 満ち足りているのだ!
 
 鳩は疲れたり弱ったりしない、
 空の道はいつも新鮮なのだ。
 無理に誘い出したり、褒美を用意する必要はない、
 この鳩はそれほど私に忠実なのだ!

 だから私も忠実に鳩を胸に抱いてやるのだ、
 素晴らしいお土産を確信しながら。
 その鳩の名は-あこがれ!御存知だろうか。
 忠実な気質を持った使者を。

   

名曲アルバムはショーロ。シンフォニエッタ盛岡で聴かせていただいた響きを思い出しました。

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肴町ホットライン

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けさもクラシック倶楽部ー第二次大戦前後の作曲家のリートー

けさ5時前の番組、ライブだろうとスイッチ・オン。何と、フランツ・ウェルザー・メスト指揮。タングルウッド音楽祭の録音。ラベルの「ラ・ヴァルス」の最後部分だ。雪が二階の屋根から一階の屋根に落ちる音を聞きながら聴く。雨で緩んだ雪がさかんに落下している。年始の見どころ番組紹介5分、これでまたTV時間が増えるかと。
 けさのクラシック倶楽部はメゾ・ソプラノの小山由美さん。第二次世界大戦前後の作曲家たちの作品紹介。現代に近づくにつれて今の感覚で歌えるという小山さん。ピアノは佐藤正浩さんでオペラの伴奏に力のある方なようだ。小山さんの選曲に、音楽の専門でも何でもないわたしだが、唸るというか、感心したというか、小山さんに失礼とはならない言葉選びに迷っている。ベルク曲、ヘッベル詞の「眠りなさい眠りなさい、めざめることなく夢をみることなくわたしを襲ったあの苦しみがわずかでも私の記憶に残らないように」やコルンゴルト曲、デーメル詞の「祝詞」には励まされ、ラヴェルの「永遠の謎」にヘブライの音を聴き、メシアン作詞作曲の「シラブル」の鳥が啼き騒ぐ表現は面白かった。日本の子守歌は暗いなと思っていたが、まだ暗い子守歌があったとは! それがショスタコーヴィチの「子守歌」。スターリンの死後モスクワで初演されたようだ。「とうさんはシベリアで鎖につながれている。おまえのおとうさんは遠いシベリアにいる……ねんねんよおころりよ……わたしの悲しみは夜より黒い……いい子だねお眠りよ」と、深い悲しみの中で子どもを抱く母親の深い悲しみが歌われているのだ。なんという国だろう、と思ってしまう。
 
 一人の人物になりきってその人格が変わっていくのを、さまざまな絵を客観的に見せていく、その〇〇(聴き落した部分)にあった色をみせていくと、リートを歌う心情を語る小山さん。さらに「自分のパーソナリティを聴かれているという点が」でどきりと。すべての芸術に通じることばかと。
2018年9月22日 ハクジュホールでの収録。いちいち駆けつけて聴くことのできない地方にあるものにとっては、実にありがたい番組である。

名曲アルバムは、エスタンシアのバレエ組曲「終幕の踊り」。あのアルゼンチンの大平原がまたまた。大地に力強く生きる今となっては稀少な人々。ヒナステラは作曲前にガウチョを訪れたようだ。

 指揮は三ツ橋敬子氏。女性指揮者だ。「小澤征爾 先生の求める精度の高さに度肝を抜かれた」という方。

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きょうのことば

 きょうは第三アドベントです。ご降誕を祝うために、今月はトーンチャイム練習などの楽器練習、また教会側も、その他もろもろの準備が続いています。
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先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、『ヨハネの誕生・ザカリヤ賛歌』と題し、國光勝美牧師がルカ1:5~25、57~79からおはなしくださいました。
〈メモ〉
きょうはザカリヤとエリサベツが登場するルカ1章に焦点を合わせたおはなしでした。
1:5ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。 1:6ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。 1:7エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
この5~6節には、イエスさまの誕生、つまりクリスマスの六か月まえのできごとで、バプテスマのヨハネの誕生にかかわることが書かれているそうです。父はザカリヤ、母はエリサベツ。この夫婦は、主の命令を落ち度無く行い、敬虔に神に仕えていたのですが、子どもが無かった。やがて救い主がどこかに生まれるはずだという民族的な確信、希望、その子メシヤによってイスラエルは救出される、どこかに必ず生まれる、それはもしかすれば自分たちのもとにと思うも、もはやふたりは齢をとり、その可能性から除外されている。子どもが与えられるようにという祈りは切実でした。
1:9祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。
ザカリヤは祭司職にありましたが、くじで、神殿に入って香をたくことになりました。ダビデ王の時代、祭司は24組に編成されていました。当時は1~2万人の祭司がいました。それを24組に分けて組ごとに、1年のうち2回、1週間ずつ神殿で奉仕しました。光栄ある役目です。それにザカリヤがくじで当たったのです。滅多にはないチャンスです。裁判員制度にあなたが当たりましたといった確率にも等しいのではないでしょうか。くじで当たった14人が1週間、この務めに就く。朝と晩の2回の務めです。
そこに天使ガブリエルがやってきます。ミカエルは戦いを助ける天使ですが、ガブリエルは、情報伝達の役目のある天使です。
1:11ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。 1:12これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、 1:13御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。 1:14その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。 1:15彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、 1:16そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。 1:17彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
この11から17で、ガブリエルは三つの事を告げました。
一つ、あなたの願いが聞き入れられた。
二つ、男の子が生まれたらヨハネと名付けなさい
三つ、イスラエルの子らの多くを主に立ち返らせる
これに対するザカリヤの応答が18節です。
1:18そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
 せっかく天使が、願いが聞き入れられると現れたのに、ザカリヤは、一般的な人の常識と、常識的な不信仰で「え、そんなばかな」と言ってしまいます。
 このクリスマスに、イエス様を信じ救われる人々が出ることを願っているお互いですが、それとともに、こんな時代に、そう簡単に救われる方が出るはずがないと密かに思っている。6節にあるように、主の命令、おきてを落ち度無くやっていたこのザカリヤにしてそう思ってしまった。
 これに対してガブリエルは言い渡します。
1:20ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」
 神様は、信じなかったバツをザカリヤにくだしました。口がきけなくなるというバツです。
それが、67節にはザカリヤが神をほめたたえることばが連ねられています。
1:57さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。 1:58近所の人々や親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜んだ。 1:59さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、 1:60母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません。」と言った。 1:61彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません。」と言った。 1:62そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。 1:63すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ。」と書いたので、人々はみな驚いた。 1:64すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
1:67さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。
1:68「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。
主はその民を顧みて、贖いをなし、

1:69救いの角を、われらのために、
しもべダビデの家に立てられた。

1:70古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、
主が話してくださったとおりに。

1:71この救いはわれらの敵からの、
すべてわれらを憎む者の手からの救いである。

1:72主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、
その聖なる契約を、

1:73われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
1:74 1:75われらを敵の手から救い出し、
われらの生涯のすべての日に、
きよく、正しく、
恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

1:76幼子よ。あなたもまた、
いと高き方の預言者と呼ばれよう。
主の御前に先立って行き、その道を備え、

1:77神の民に、罪の赦しによる
救いの知識を与えるためである。

1:78これはわれらの神の深いあわれみによる。
そのあわれみにより、
日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

1:79暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、
われらの足を平和の道に導く。」
ガブリエルはマリアに現れますが、マリアの信仰の応答はどうだったでしょうか。
1:26ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
1:35御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。 1:36ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。 1:37神にとって不可能なことは一つもありません。」
 1:38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
 マリアはこのあと、ザカリヤ夫婦に身を寄せています。マリアは自分の身に起こったことを、ザカリヤたちに話したでしょう。そしてザカリヤは、マリアを通して、神のことばは必ず実現することを信じたでしょう。ザカリヤは口がきけない間、このことを思いめぐらしたにちがいありません。これが口がきけないあいだの神さまからの恵みであったのです。ここに常識的な信仰と、常識的な不信仰に対する神さまの取り扱いがありました。
1:57さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
これが、バプテスマのヨハネの誕生です。そしてザカリヤは神をほめたたえます。
1:71この救いはわれらの敵からの、
すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
主の降誕は、われらを憎むものの手からの救いです。
 
 神学校の男子寮の寮監が蔦田真理先生だったことがあります。
「罪をもったままでは、おそれなく神に仕えることはできない。罪からの全き救いが福音である。おそれなく主に仕えるようにしてくださる、それがイエスさまの救いです」とおっしゃいました。
これがザカリヤの讃美です。
1:78これはわれらの神の深いあわれみによる。
そのあわれみにより、
日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
1:79暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、
われらの足を平和の道に導く。」

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新たな一日よ、きょうも宜しく!

盛岡市の気温、パソで7:00、-5と出ていた。7時のニュース、カルロス・ゴーンを聴きながら目をさまし、脈絡なく「ドイツ」ということばが浮かび、こんどはドイツに、へ~すごいじゃない! と反応。いうまでもなくそれは自分ではない。家族でもない。
 カーテンをあけると夜中に雪はふらなかったようだ。てっぺんにのせたままの樹木や陰影をまとっていない庭の低木のあいだに静まる雪を眺めながら、きょうというあたらしい一日に言ってみる「おはようございます! きょうもよろしく!」



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あすはコチコチ

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 午後になって、神さま、あとは何をしましょうかと問う。襖貼りが浮かんだ。そうだ、買いこんでまだ使っていない襖紙があるはず。二枚。これで裏表を貼る。すっきりとした。盛岡市、あすは-7予報。とけなかった雪。あすはコチコチ。 

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盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第44回が出ました。

盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第44回が出ました。どうぞご覧ください。



クラシック倶楽部の前の番組は何かというと、これが、いまは1980年代のロックが続いている。きょうはThe Mixx。この番組に気づいたときは、60年代を流していた。この系統のヒット曲も試聴だけはしていた時期がある。それが聴くだけと観るとは大違い。当時、なぜNHKが流さなかったかがわかる。参考にたまに10分程度観ている。

クラシック倶楽部、バイオリン部門、110人の中から4人。
関 朋岳さん、福田 麻子さん、佐々木 つくしさん、荒井 里桜さんの演奏、楽しかった! 今後の伸び代に期待。
高関 健指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。

“名曲”、ホルストの組曲から木星。飯森範親氏指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。
当時、無名の音楽家にでも仕事をくれるのは、やはり教会だったのだなと。

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けさもクラシック倶楽部ー小井土 文哉さんー

第87回日本音楽コンクール、ピアノ部門は229人の中からの4人。小井土 文哉さんのラヴェル「ピアノ協奏曲 ト長調」、よい意味でのあそび、ゆとりであるかもしれないが、音のコントロールが行き届いている。ジャズ感覚の部分でも、当を得た躍動感が湧出、全体を弾きたおしたなという感じだった。この方、岩手県出身。桐朋。望月 晶さん、尼子 裕貴さん、竹澤 勇人さん、清新さに元気をいただく。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、梅田俊明氏の指揮。

“名曲”、マーラーの6番。ウィーンのマーラー通りが。行ってみられる方々はラッキーでしょう。0円の“グレート・トラバース”の身には縁遠いことです。ウィーンでのオペラの全盛期を作り出したマーラーも、反ユダヤのエルガー市長登場で、功績はあってもウィーンを去らざるを得なくなっている。人種差別は根深く執拗で無慈悲。

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けさもクラシック倶楽部

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けさの雪景色。


クラシック倶楽部、この番組、1時間近く聴いて、何か一つ掴めたら御の字と思っている。
第87回日本音楽コンクール、たとえが適切ではないとしても、高校野球、甲子園の決勝の一途で必死な表情が重なる。コンクールを見る価は、このような表情に、漫然と生きて来た、何事にも必死になったことのない自分を悔やんだり、これからでも遅くはないかと自分の眠っている部分を刺激し鼓舞してみたりと、遅まきながら、生きるのにプラスとなるいくつかをもらえるところにあるかもしれない。

 

 クラリネット部門の本選会、205人からの勝ち抜きのようだ。5人が予選を通過。亀居 優斗さん、須東 裕基さん、福井 萌さん、佐藤 拓馬さん、中舘 壮志さんと覚えきれない。けれどいつの日か何かで活躍する場面に出あい、ああ、あの時の、と思い出すことがあるだろう。

 

 すこしでもわかって聴きたいと、コープランド「クラリネット協奏曲」って? とウェブに訊く。ざっと読み終え、ああ、そうかと幾分かわかったところで、「これを見た方は、こちらも見ています」、と透かさず、ニルセンの「クラリネット協奏曲」をすぐに開けるように示してくれている。この気の利きようは! どんな名教師も及ばない。

管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮:渡邊 一正さん。5人の方々を聴き終えて、すこしわかったような、そんなところです。

 この岩手には、大向佐保さんというすばらしいクラリネット奏者がいるのだが、いまドイツにいらっしゃる。近々戻られるかどうか、伺ってはいない。

“名曲”、広瀬悦子奏するサティ「グノシエンヌ」。「グノシエンヌ」はサティの造語であるようだ。語源は古都「グノーソス宮」とも神秘教会グニーシス派とも。古代ギリシャの詩の脚韻を踏んだリズムが伴奏部に使われている、それを聴きとろうと。
東洋的な雰囲気は、1889年のパリ万博で知ったルーマニア音楽の影響だそう。
 型破りな作曲家への興味はまだまだ続きそう。譜面に書かれている「思考の端末で」「うぬぼれずに」「頭を開いて」、ぜんぶ自分への助言とも思われる。

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ポインセチア

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 きのう盛岡駅近くの電気店へ行った帰り道。まだ4時前だったが、空は青いが色濃く陰が。
さきほど3時に原稿送信を終えてほっと一息。


 ☆

 たった今、横浜から神奈川に転居した友だちから、すてきなポインセチアの写真が届きました。ありがとう!

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けさもクラシック倶楽部、と辛うじて……

 真夜中に起きていることはそう無いのだが、昨夜はどうしてもやるべきことが。それで一気に集中しすぎたのまずかったか、血圧が急上昇。けさになっておとなしく休んでいた方がと思いつつ測定。150、130,120と推移。それでまたついついTVのまえに。このところ、「わたしに死んでほしいと思っている人が少なくともふたりはいるからね()」とよく根拠のない冗談を言ってはひとを笑わせているけれども、そうならぬよう、なるかもしれないけれども、疲れていないとは思っても測定は欠かさずにである。

いまのところは、何がどうあろうと観なければならないこの番組というわけである。
書くのもテンションを落としてとなっているが、けさのクラシック倶楽部、声楽の本選、ずっと聴いていて、ちょっとはなしが飛ぶけれども、ザギトワと紀平のときも、どうしてどちらも一位にしてあげられないのと逐一点数化され比較されるのを見る辛さがあった。このコンクールも、もうここまで来たんだから、これから先まで順位をつけなくとも、などと思うのは、ナンセンスなのか。
 ただ歌曲で一位となる理由の一つは説得力、歌に説得力があるかどうかに掛かっているのでは、それを森野 美咲さんが教えてくれた。リヒャルト・シュトラウスの「礼拝 作品36第4」、心に届きました。

“名曲”、この地球上に地に足の着いた暮らしをする人々を見るとほっとする。何しろ環境を破壊しているのは都市で便利で豊かな暮らしを享受している種族であって、大地に直に生きる方々は、そういう大罪は犯していない。

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樹木のシルエット

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けさもクラシック倶楽部、といいたいところが……

きょうはトランペット、150人からかき分けかき分けトップに躍りでた俊才たちのペットの音、とTV、スイッチ・オンしたところが、あらららら、「B-CASカードに正しくアクセスできません」と出る。映らない原因を教えてくれるこの有難さ、なのだが、研ぎ澄まされたペットの音は、つかみ損ねてあえなく霧消。ま、ここのところTVの観すぎ、TVと無縁もいいのではと。田中陽希さんのグレート・トラバースも終わったことですし。

 これまで山岳の映像を数々見たけれども、その映像がどんなに素晴らしくとも、なかなか実感として捉えられなかった。それが田中陽希さんの番組で、景観や感動が生きたものとなった。そこに人が直接介在してこそ、景色も動き出す、そう実感したことであった。

と思いきや、B-CASカードを挿しなおしたぐらいでは容易に回復しないだろうとすぐに取り掛からなかったのだが、主人がやってみたところ、あっさりと回復。シェーヌの「トランペット協奏曲」に間に合った。といってものこす時間は10分程度。演奏者はとみれば、三村 梨紗さん、第一位の方だ。今後どの方面で活躍なさるだろう。

“名曲”は「交響詩ターボル」。フス戦争の解説が。枝分かれした石畳の道が見事。

 

 

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きょうのことば

 きのうは、真珠湾攻撃の日でした。そして、きょうは第二アドベントです。唐突ですが、日々の気象を見るに、やはり気になる温暖化。こんな不安が過るとき、長いあいだに学んだ聖書が心のシェルターになっています。
死海写本(しかいしゃほん)は、1947年以降、死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある遺跡ヒルベト・クムラン英語版 (Khirbet Qumran) 周辺で発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。(wikipedia.より)

 

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教題は『救い主の到来』(國光勝美牧師)。引証聖書個所はイザヤ9:1~7でした。
イザヤ9:1~7
1しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
2やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
3あなたはその国民をふやし、その喜びをまし加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。
4あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。
5戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
〈メモ〉
イザヤ書はBC700年にイザヤの預言が記されたそうです。いまに救い主が生まれますよと、もうこの時に書かれている。驚きです。
 礼拝では、地図、解説が多くありましたが、その中で、クリスマスにこの地上に来られたイエス・キリストというお方について、筆者にもとてもわかりやすかったので、それを書かせていただきます。
・不思議な助言者ー 恵みと知恵に満ちたお方 
 コロサイ書2:3
 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。
・力ある神ー全能の神(奇跡、復活) 
・永遠の父
 イザヤ63:16
 まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私 たちを認めなくても、主よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私た  ちの贖い主です。
・平和の君ーキリストの平和
 コロサイ3:15

 

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
 キリストのないところには平和はありません。しかしキリストがやってきたところには平和がある。イザヤ9:7にその主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」とあるように、万軍の主の熱心が顕れたできごとが、クリスマスであると締めくくられました。

次はクリスマスの集会のご案内です。

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このチラシは國光先生方のご息女A師がボランティアで作成してくださいました。
 

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軽やかなジャンプに

きょうは当初に、これをしなければと思うことを先ずやり終えてほっとし、TV、グランプリファイナルを見ている。若手の活躍。一方、高齢者の就活を取り上げた番組が思い出される。77歳で仕事をさがしておられる方がいた。そして、62歳だったろうか、保育の仕事に就いた方がいた。100歳の方は、もうじき全国で7万人となりそう。氷上での軽やかなジャンプに感嘆しながら、片や、この高齢化社会、若者たちがさぞかし重たかろうといっとき案じたが、宇野昌磨の出番を待っている。

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ハレルヤ! ハレルヤ!

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 きょうは何の日? きょうは人に何かをしてもらいたい、何かをしてもらおうという日ではない。人に仕え、人に何かをすべき日。それで私は考えた。私と同じ齢で、いま病にある方がいらっしゃる。もう長い。自宅にいらっしゃる。その方のために何かをしようと。

 主に感謝せよ、主はまことに慈しみ深い、その恵みはとこしえまで!
きょうも曇り、庭もくすんで見えるけれども、まず神に感謝することから始める、これがいちばん!

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けさもクラシック倶楽部ーアリス・紗良・オットー

クラシック倶楽部、アリス・紗良・オット、艶やかなドレスに身を包み、どの曲も見事に華麗に弾きこなしていた彼女が、何と、こういう世界にたどり着いていた! 一音一音聴き逃せない、というよりも聴き逃させない演奏。彼女が個人的にいう「ナイトフォール(逢魔時/おうまがとき)に耽溺。2018年9月27日東京オペラシティ、現在の彼女の芸術追及のすがただ。日の入り直後の光と闇という二つのぶつかり合いに人の持つ二面性を観ている。その二面性を正義であるかないか、白か黒かとばかりは問えない場合を彼女は音楽の世界で描くように音を連ねる。サティのジムノペディ第一番は、単純なようでいて実は旋法のような旋律と和声でよく知られる曲なようだが、よく知らぬ筆者はいま知ったという次第。ラヴェルの「夜のガスパール」には絶句。生前は無名だったというルイ・ベルトランの詩集を題材にした組曲。第一曲「オンディーヌ」、第二曲「絞首台」、第三曲「スカルボ」の3曲から成る。深い夜のしじまを手探り歩むような一、二を破るように響く第三曲「スカルボ」、こんな相剋はもうご免だ! と聴こえる。狂おしく探り歩き廻るがそれでもいまだ解が無く、そしてまた光と闇が厳然としていつもどおりにそこにある。これが今朝の、というよりは、2018年9月27日に東京オペラシティでの、彼女の演奏だと感じられた。すごい!
 ライトに青く染まる黒いドレスの内に包まれた彼女の魂を、青く染まる黒鍵と白鍵を行き来する赤いマニュキアの指先が見事に空間に紡ぎだす。実に美しかった。

 

名曲アルバムは清水和音の「英雄ポロネーズ」。クラフクの街の映像とともに、アリス・紗良・オットの興奮が冷めやらぬままに聴いたことは、何か申し訳なかったという思いが。

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けさもクラシック倶楽部ー火の鳥ー

 シプリアン・カツァリスと広瀬悦子のピアノデュオ・リサイタル。けさは情けなくも、 番組は20分過ぎていた。つまり寝坊。それでもストラヴィンスキー「火の鳥」の放送の終わりに滑り込み。カツァリス、超絶技巧と詩人との側面を併せ持つ、肉声の処理が非常に巧みと評されているようだ。カツァリス、広瀬悦子ともに国際コンクールでの入賞を重ねてきた同志が、二台のピアノ、これがヤマハだった、久方ぶりのヤマハ、しかし世界で生産台数が最も多いヤマハなのだが、この楽器での共演。「火の鳥」、カツァリスの詞的な面をぼんやり頭で何とか聞き分けられたかなと。広瀬悦子さん、1941年生まれだが、若さにびっくり! 観客席に空きが目立ち寂しさがちょっと。「交響曲 第9番 第4楽章」、デイスクで聴いたとき物足りなさを拭いきれなかった。今回は久方ぶりのリスト編曲版だったこともあり、すこしそれがなかったかなと。ドボルザークの「スラブ舞曲」は一台のピアノにお二人並んでの連弾だった。

 この番組には直接関係は無いが、「火の鳥」と出会うたびに、ちょっと誇らしいことがある。自慢げにいうのもどうかと思い、これまで人にもあまり語ったことはないが、実は宮沢賢治の所有だったレコード「火の鳥」のありかを知る機会に恵まれたことがあるのだ。これを知った時、わたしは興奮して一晩眠れなかった。このことを宮澤賢治研究家の佐藤泰平氏にお知らせしたところ、氏がご自分の著書『宮沢賢治の音楽』に書き留めておいてくださった。今になって、これがどれほどに有難いことであったか! さきほどスキャンしたばかり、ここにアップさせていただく。

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 いきなり思い立ってコピー、269頁がスキャン途中でちょっと動かしてしまったために、ぶれてしまいましたが。1989年当時は、ほんとうに一生懸命あれこれ調べておりました。

 


 
 TVに戻って、名曲アルバムはシューベルト「魔王」。リストの膨大な編曲を考えさせられた後では、とても編曲者の名前を外すことができない心境となり、編曲は 若草 恵、バリトン河野 克典、指揮 円光寺雅彦 、東京フィルハーモニー交響楽団。
         

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朝のひとときークラシック倶楽部ー

4時半ごろに、何台もの緊急車のサイレンが駆け抜けていったが、何処へ向かっているのかわからなくとも、近頃は、気持ちが一瞬沈んでしまう。さまざま祈りながらひと時を。して、いまはデニス・マツーエフのピアノ。ロシアのピアノの巨人弾くベートーベンだ。「とどろく爆音から、限りなく澄み渡る弱音まで変幻自在!」と解説にでていた。もう「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31第2」が流れている。演奏前にトークが入った。「作曲家が求めるものを弾く」「ロシアのピアニズムは歌うこと、ハンマーで打ち叩いて音をだすのだが、それでもうたうこと」「ラフマニノフは神のような存在」、そして「ベートーベンの17番、31番は自分が熱いロマンスの心境になれる。31番はもっとも情熱的。17番と31番を演奏のはじめに置くことは自分にとって重要」と語った。作曲家を追体験、感情移入しその心情になって、真直ぐに正直に、今動き出した即興性で弾く、これが彼の真骨頂であるらしい。いま、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110」が流れている。ベートーベンが一音一音を書き留めるすがたがふつふつと浮かぶ。のこる4分47秒で、デニス・マツーエフが作曲した「即興」だ。ピアノのハンマーがランダムにと見えるのだが、実にリズミカルにシャープに振り下ろされている。クラシックから飛び出して、自在な感情の迸しりに任せ存分に自らに浸り、自らが癒されているという感じが。

名曲アルバムはパガニーニの「バイオリン協奏曲“鐘”」。行状宜しくなかったパガニーニが亡くなった時、彼の埋葬を引き受ける教会がなかったようだが、何と、死後36年経ってから、イタリアの中部パルマに埋葬されたらしい。
 木野雅之のバイオリン、指揮は飯守泰次郎。この番組を見ていると、日本には実は多くの指揮者がいるのだと気づかされる。さてどれぐらいの人数がと見てみたところ、近代から合わせて235 人も。数え間違えているかも。何れ200人以上は認識されているようで驚きだった。

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クリスマス会のご案内

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きょうもクラシック倶楽部

雨。おもたい雨音が聞こえて、なにか、もの寂しい思いに。日が望まれるすこし前の1時間に流れる音楽、クラシック倶楽部。きょうは、アンリ・バルダ。よく神秘、深い精神性と評されるフランスのピアニスト。派手さ、名声からは一線を画していたようにも思われる。ウェブにはピアニストが惚れこむピアニストとも出ている。

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」。シューベルト「4つの即興曲 作品142」、歌うような旋律がとくとくと流れる。2017年の収録。



続く、「名曲アルバム」
サキャルベンポルカ『』。フィンランドの厳しい冬に、人々の奏で、歌うすがた、サウナ、バーベキューのようすなど、美しい映像に感謝。
『モロトフは駄目だ』(フィンランド語: Njet, Molotoff)は、1942年に発表されたフィンランドの軍歌である。タツ・ペッカリネン(フィンランド語版)が作詞し、マッティ・ユルヴァ(フィンランド語版)が作曲した。
 乗りで、ユーチューブに。フィンランド歌謡、民謡を続けて聞いてしまった。どこまでも明るい。こうして厳しい冬、困難を向こうに吹き流して生き抜いている。

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クラシック倶楽部ーアルティ弦楽四重奏団&小山実稚恵

あしたは小山実稚恵さんだ、とまたまた楽しみだったクラシック倶楽部。彼女の著書もディスクもけっこうあるはあるのですが、それはそれ、これはこれ。小山さんは“純国産”、海外留学経験はない。岩手県盛岡市で育っており、盛岡一高から東京芸大に進まれた。小山さんのショパン、繊細な音色にはつい涙させられることしばしば。チャイコフスキー国際コンクール、ショパン国際コンクールに入賞。国際コンクールの審査員も務める。アルティ弦楽四重奏団との共演は16年からだったようだ。番組の中で、アルティとの共演について、小山さんは、「自分もこう弾きたかった、自分の演奏を見直す機会でもある」と。一方アルティの方は、「共演することで、演奏に彩り、奥行きを添えられている」とはなしている。
 アルティは結成20年、現在バイオリン豊嶋泰嗣、バイオリン矢部達哉、ビオラ川本嘉子、チェロ上村昇各氏のメンバーで、日本を代表する弦楽四重奏団の一つ。

 互いの演奏に共感し、互いのよい部分を玩味しながらの「ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44」、受け取る側も親しく共感をもって聴くことができた。ピアノに映る演奏中の小山さんの手の動き指の動きをずっと見ていたけれども、女性がここまでと、何か切ない気持ちになった。ピアノという楽器はやはり男性が弾くにふさわしいのかもしれない。

 名曲アルバムは津軽じょんがら節。「人のまねではなく自分の三味線を弾け」、人のまねではなく自分の文章を書けと聞こえる。三味線、この盛岡辺りでは藤原翼さんがいたなと思い出す。映像を見ながら、意外にも桜によくあう三味線、来春の桜は津軽じょんがら節とともに見ることになりそう。

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きょうのことば

はや師走。きょうは第一アドベント、聖餐式がもたれる。
さまざまに学びたい近頃。音楽のこと、賢治のこと、などなど。それといつも気になる環境破壊、というよりは崩壊目前の環境といった方が。
ロイターは、米国の東海岸沖から西アフリカ沿岸地域に至るまで、海洋生物が生き残るために生息地から逃れ、その結果、それら生物に依存していた生物が生存の危機に直面していることを発見した。」
このような地表に生かされている日々。
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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝説教は、コロサイ4:7から『親愛の挨拶』(國光勝美牧師)でした。
コロサイ4:7
4:7私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。4:8私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。 4:9また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。
4:10私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。―― 4:11ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。 4:12あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。 4:13私はあかしします。彼はあなたがたのために、またラオデキヤとヒエラポリスにいる人々のために、非常に苦労しています。 4:14愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。 4:15どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。 4:16この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください。 4:17アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように。」と言ってください。
4:18パウロが自筆であいさつを送ります。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。
〈メモ〉
 最後の「かたく信仰に立つために、祈りに励んでいますという牧師でありたい」という締めくくりが心にのこりました。

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主よみもとに近づかん

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朝いちばんに聞こえるのは、新聞配達のバイクの音だ。きょうは5時2分前。起きようかなと思いつつ、土曜日、クラシック倶楽部がない。とはいえ、こうしていても仕方がないと起きだす。書いておかなければと思ったことが一つ。3時ごろかに、「主よみもとに近づかん」という賛美歌が、奥底から湧きでるように浮かんだからだ。時間を書いておくことも大切だと思う。あとでその意味がわかることがあるからだ。このような賛美歌が浮かぶ時、思うのは、きょうは気をつけよう。予測しなかった危害、危害といえば大げさだが、それに近いもの、かもしれないが、それに心備えをせよという勧告かもしれないと思うのだ。それともう一つは、それを通過することで、霊的な祝福が得られるのかもしれないと。
 この賛美歌で真っ先に思いだすのが、「タイタニック」。この船がいまもって“浮沈艦”である理由は、人間の本性がむき出しになる状況にあって、覚悟を決めて最期まで使命を全うし、或いは、ボートにこれ以上乗せると自分たちも危ういことが明らかであっても、人々が溺れ沈みゆくところに戻った人たちがいた、それが心を打つからだと思っている。
 それはともかく、これは書いておこうと思ったことには、後で、それに対する答えがある場合がある。
 イエス・キリストが十字架を背負われ、ローマ兵に追い立てられた道、それからの道には、ただ苦難だけがあった。聖書は、キリストが十字架上で息絶えたその瞬間に神に迎えられ、父なる神の右の座にところを占めたとある。しかし、その瞬間までは、過酷な辱めとむち打ち、誹謗中傷があるのみだった。キリストの神たるところは、「父よ彼らをゆるしたまえ」と、自分を痛めつける者たちのために祈ることができた点だ。これは神でなければできない。
 「主よみもとに近づかん」。心ぞなえをせよとも捉えている。
☆  ☆  ☆
楽譜:主よ みもとに
 
 

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