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きょうのことば

 きのう原稿をまとめようとしておりましたが、頭が重く、なかなか集中、没入することができず、落ち着かない心境でおりましたが、午後になって、そうだ!、と祈りましたところ、心の中で乱雑になったパズルが、すっときれいに嵌め込まれたようなスッキリ感を得、あれこれと書籍を開いては確かめ、文字を打ち込むことができました。祈って神にうまいことやってもらお、というのではなく、先ず祈ってみよう、と祈ったのでした。書かせていただいている、そんな気がしました。

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 先週は、召天者記念礼拝の日、ご遺族の方々がいらっしゃいました。
亡くなられたお一人おひとりがプロジェクターで映し出されます。0歳で亡くなられたお子さんから、97歳で亡くなられた方まで。思えば、40数年間、毎日曜日にお会いした方々、自分の実の兄弟姉妹以上に、この人生でお会いした回数が多かった方々です。
 教会では、主任牧師國光勝美先生が、『共鳴する福音』と題し、コロサイ3:1~4を引いておはなしくださいました。
3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 3:2あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。 3:3あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。 3:4私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。


<メモ>
2000年の昔、イエス様が私たちを救うために、人としてこの地上に来てくださった。罪を犯し、神から離れている人間と同じくなって来てくださった。人間が犯した罪の身代わりに十字架に架かってくださいました。共鳴箱と“同じ材質”で、共鳴させてくださった、ここに愛があると、まるで音叉をポーンとたたいて共鳴させるように知らせてくださった。その音叉、音は、あらゆる時代を超え空間を超えて、いまもずっと響き続けています。どの地域、どの時代の人であっても、神はここに愛があると、贖いがあると、提示されています。誰でも、このお方を信じるなら、罪をゆるされ、天国に行けるのです。
 振動数が違っていると共鳴しないが、振動数が合っていると、たとえ他の人たちは気づかなくとも聞こえてくる。そういう人たちが、イエス様の救いを喜んで受けて、「キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです」、アーメンと受け入れることができます。願わくは、共鳴、共振を得て帰っていただきたく思います。

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