散歩ー秋づくしー
「白目」ということばが浮かんだ。滅多には使わないことばだが。歩くということが、他人様から見れば、何をしているのやら、と見えることもあり得るだろう。しかし、いきなり聞えるように浮かんだこのことばをもとに、数行は書けそうだ。
主人が在職中だったころは、朝のウォーキングはもっぱら主人が積極的だった。その頃、私は朝が苦手だった。けれども健康寿命を延ばし、すこしでも人様に迷惑をかけないように生きたい、何よりも健康であってこその命ではないかと自覚してからは、一日のうちどこかを運動に充てようと思い立ち、始めたのがウォーキング。ところが、ひるまに歩いていると、そちこちに立ち寄りたくなる。コーヒーも飲みたくなる。予定外の時間がかかってしまうのだ。夜は静かでよいが、主婦がやたら出歩く時間ではない。試行錯誤のうえ、朝がいいということに。
ところが今は、主人はあまり歩くことはしない。水泳やジムが中心だ。長距離歩くと、腰に負担がくるらしい。
もう3年も前になろうか、毎朝5時起きで中津川沿いの散歩に付き合ってくれたご婦人がいたが、残念ながら金ケ崎に引っ越された。川の音を聞くと心が休まる、それは、少女時代に父親とよく川べりを歩いた記憶が蘇るからだと仰っていた。植物に詳しく何でも教えてくれたそうだ。今思うと1時間余、よく付き合ってくださったと思う。次にお誘いしたのは、いつも懇意にしている近所のご婦人だ。毎日ではないが、6時起きで付き合ってくださった。冬も近づいたとき、ちょっと大変だからということで、それきりになっている。
五里霧中という心境だった時期にも、とにかく一歩踏み出さねば、とにかく一歩でも、と歩き続けた時期もあった。それがほんとうに深い霧の真っただ中ということもあった。ご一緒してくださる方に、毎日同じコースでは申し訳ないかと思い、愛宕山に登ったり、米内方面に川をさかのぼり鮭の遡上を見たこともあった。
もうお一方は、2,3回ご一緒しただけで、あとは自分で別に行くからと断られた。思えば、私がそちこちで立ち止まっては写真を撮ることに違和感を覚えられたかもしれない。その時は気づかなかったが。ほんとうに申し訳ないことであった。
いまは、毎日歩くのは厳しい。ただ、足が痛いときなど、歩き始めてしばらく経つと痛みを忘れており、帰るころには治っていたことがある。やはり歩行できることは基本中の基本かと思われる。そして朝という時間帯は、爽やかな恩恵を覚えるひと時でもある。
出かけるのを渋っていると、「なんだ、もう止めたのか」と主人。中止を撤回し、意地と頑張りを見せようと靴に足を入れる。
この秋も、写真を並べた数ほど歩いてはいないが、美しい紅葉を満喫できた。こんなに美しいものを、こんなにたくさん見せていただいて有り難うございます、と感謝しながら、一歩一歩を踏みしめている。
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