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2018年11月

盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第43回が出ました。

当ブログの筆者が書かせていただいている「楽都のユニゾン」連載第43回が、きょうの盛岡タイムスに出ています。コンビニにありますので、読んでいただければ感謝です。

 今回は、大正の時代に、弦楽四重奏団ではわが国の頂点にあった楽団を太田カルテットが招聘したこと。それと、太田カルテット自体の弦楽発表がどのようなものであったかをおつたえしています。

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けさのクラシック倶楽部。ん? ヒナステラ? 知らない。冒頭の音がビッと打ち込まれて、瞬間ベートーヴェンの運命の冒頭を想起、だがすぐに、ああ、これは精神土壌が違うな。懊悩ではなく、原始の情念といったものか。字幕の説明にはアルゼンチンの民族的な旋律を現代的な演奏手法で、と。いっぺんに眼が覚め、弦がいますっきりと際立って耳にはいってきている。ストリング・クヮルテットARCO 結成20周年記念演奏会だ。眠気をバチンと切ったこの曲がヒナステラ:弦楽四重奏曲 第1番。あとはスメタナ:弦楽四重奏曲 第1番「わが生涯から」、ビオラが多く登場する。このカルテットの支柱だという柳瀬省太さんのビオラだ。ここからはもうゆったりとした気分で、理屈もなしに耳を傾ける。

名曲アルバム、薩摩琵琶「敦盛」。須磨海岸が映し出されていた。山下西楓の琵琶演奏。熊谷直実に追われた敦盛、須磨海岸に敗走。笛の名手でもあった美少年敦盛を熊谷は手にかけてしまい、後に出家している。

 無性に琵琶を聴きたくなるときがある。琵琶は、ひとの底にある情念をたたきだしてくれる楽器であると思う。

 

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朝のひとときークラシック倶楽部ー

けさのクラシック倶楽部、紀尾井シンフォニエッタ東京、紀尾井の名を冠した楽団があったらしいのだが、それがパリ管弦楽団と共演。マーラー交響曲第4番<室内楽版>とあり、どのような“縮小編曲”にしてあるのか、そこはエルヴィン・シュタインの才覚に負うところ。12人の編成。大編成に比べて、すっきりと落ち着いた感じで、それほど物足りなさを覚えず聴くことができた。スタインウェイの他に使い古して材の生地が目につく楽器が。高橋博子さん弾くハルモニウム、リード・オルガンだ。楽器のメンテナンスが難しく奏者がいなくなったという楽器。弾き手がいないなどで、作曲家は外しているらしい。リード・オルガンは佐藤泰平先生が全国を歩き、ご研究、資料化しておられる。島崎藤村作詞「椰子の実」の作曲者である大中寅二は「日本のオルガン文化はリードオルガンこそふさわしいと考え、礼拝用のリードオルガン曲や賛美歌などの教会音楽を多く作曲している」(wikiより転載)。この演奏で使われたハルモニウムは、1892年フランス・ミュステル社製、西沢央子さんの個人所有の楽器ではないかと思いましたが、あたっているかどうか。そういえば西沢さんのは、きれいに修復され、塗装も施されてあったように、してみると、紀尾井ホールの設備としてあるものなのかどうか、そこがわからない。

 

 

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天沼三津子 七宝ジュエリー展のご案内  &  音楽ちょっと

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クラシック倶楽部、この番組で管弦楽を取り上げるのはめずらしい。管弦楽のディスクはけっこうあるので、外してもと思っていたが、どうもハーゼルベック&ウィーン・アカデミー管弦楽団は、初演時の響きを再現することに挑戦しているらしい。ベートーベン、5番の最後部分しか聴かなかったが、惜しいことをした気も。   ユーチューブでこの楽団を探したところ、ハーゼンベルグのメッセージ入り動画が出ていました。
 次の番組で映し出された、アクセリ・ガレン=カレラの絵画、叙事詩「カレワラの世界」、白鳥狩りで命を落とした息子の死を悼む母親のすがた、描かれた目に涙を湛えた悲しみの表情に打たれた。つないだ画像では、よくわからないのだが、この絵です、というだけでも。

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五平太ばやし

けさは朝寝坊、6時半起床。クラシック倶楽部は中途から。原田幸一郎のカルテット。。バイオリン神尾真由子の方で聴くことに。フランクの「ピアノ五重奏曲 ヘ短調」だ。聞き逃した分を聴きなおそうと.youtubeをあたると、何と真っ先に出たのが、(vn)ヤッシャ・ハイフェッツ、イスラエル・ベイカー、ウィリアム・プリムローズ 、グレゴール・ピアティゴルスー 、レナード・ペナリオ のメンバー。ハイフェッツに覚えているひとりよがりのご縁もあって嬉しかった。何しろ、来日の時の記事をけっこう時間をかけて見つけ印刷してきたばかりでしたから。こうしてヘッドホンでひろってみると、TVで聴くよりも感情の起伏が血肉を帯びて入ってくるという感じが。途轍もなく得をした気分に。
 名曲アルバムも、有難いことに「五平太ばやし」。ハイフェツを聴きながら五平太ばやしを書いているのですが。「五平太」とは石炭のことのようで、船頭たちが石炭を運ぶ船の縁をたたきながら歌った民謡。民謡は、仕事をする人々の中に湧き出た唄であることを想えば、大切にすべきという思いがいつしか自分のうちに育っていた。昭和29年に火野葦平が作詞、この詞で若松の郷土芸能に生き続けているようだ。火野葦平の代表的な著作物10冊、本が堆く積まれた書斎の映像にちょっと感激。もう作家といわれる人たちを書くのは止そうと思っていたのだが、というのも、かつては作家を夢見もしたのだが、日々に自分とのギャップが肥大するのみ。これはちょっと辛いとこういうわけなのだが、しかし大正、昭和戦前・戦後のひととなれば、ダイレクトにはこないわけで、葦平さんはどんな作家なのとまたまたそちこちに跳ぶ。「『糞尿譚』で芥川賞を受賞、その後の『麦と兵隊』は大きな評判をよび、『土と兵隊』『花と兵隊』とあわせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーとなった。東京と福岡に本拠を二分し、東西を往復しての執筆活動で多忙を極めた[1]。著述業と共に「玉井組」2代目も務める。」とwikipediaに。ここでも河童を見つけたり。あら、玉井組って? となるのだが、きりがないので、ここで「五平太ばやし」に舵を切り、一通り聞きなおしてキーを打ち終える。

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くれぐれも気をつけて!

今朝ほどベートーベン尽くしだったことも珍しい。ラジオで、ベートーベンの生い立ちをたどっているのを聞いてから起きだし、クラシック倶楽部を点けると、N響の8人の管とベースで「管楽八重奏曲」「交響曲 第8番」、いずれもベートーベン。つづく名曲アルバムもベートーベンで「熱情」、懊悩、葛藤、激しい感情の湧出、迸りに粛然とする。聴き終えて、自分は耳も聴こえる、眼も見える、贅沢はしないが経済的に困っている方ではないだろう。はて、偉大な芸術を生むために必要なものとはと誰しもが想うところ。ベートーベンは曲のうちに苦悩を昇華させ、光がみえるまで昇華させて、自らの希望とし、自らを励まし、作曲の推進力となして創作に打んでいたと思われる。
きのう、庭の桂が、これが木に気の毒なほどに刈り込まれているのだが、ちょうど9時ごろに眩しい日がさしてきたなと思っていたところ、窓外に影が落ちゆく気配がし、視線を移すと、桂の黄葉が絶え間なく忙しく落下しはじめた。30分ほどの間に、いまが地に帰りゆくときとばかりにものの見事に木にのこされていたあらかたが一気に落下。見事な散りざま、潔さを見たという思いがした。
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きのうタイヤ交換した次男、きょう仕事で遠くに出かける長男の無事を祈る。くれぐれも気を付けて!

 

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きょうのことば

  外はまだ暗い。昼間よりは間近に見える5階アパートの各階の階段に明かりが点いている。この窓の右手と左手に街路灯が役目を終えて自動的に消えるときを待っている。きゅんと冷えこむひと時を越えて、きょうはきょうの壮大なドラマがもうはじまっている。「米国で温暖化に関連した山火事やハリケーンなどにより、2015年以降で4千億ドル(約45兆円)近くの被害が出たと指摘している。(朝日新聞デジタル)」、これが約11000キロ向こうの出来事と眺めてばかりいられない事態であるところが怖い。見えているところに緑が、平和があるようにと祈らずにはいられない。
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 先週は、世界宣教デー。教団制作のDVDで、インマヌエルが各国に派遣している宣教地と宣教師の先生方のようすを視聴しました。


使徒の働き11:19~26
11:19さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。 11:20ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。 11:21そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。 11:22この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。 11:23彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。 11:24彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。 11:25バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、 11:26彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
使徒の働き13:1~3
13:1さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。 13:2彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。 13:3そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。

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書くこと

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すっきりとした晴れ間がすくないこの週。けさも気温の低さと寒さ、日がさしそうにない空模様に、散歩、つい出渋ってしまった。写真は3日のもの。
ワールドニュース、会議にコーヒーが出されるところを見て、急にのみたくなり、はたと、TVの影響力の大きさを。
午後は、文学関係の会合。
ここに至って、自分を生かしてくれるもの、自分を支えてくれるものは多くあるが、つまり、多くの方々に生かされている自分ではあるが、この書くということが自分を支えてくれている、そう悟ったところがある。ひとに認められるかどうかというよりも、書くことで自分に与えられている時間を充実感をもってつないでいけそうだ。自分で自分を生かしていかなければならない。ひとをあてにしてはならない。自分で自分を支えていかなければならない。超存在の支配を認め、折々に祈りながら。

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今日はここまでに

クラシック倶楽部、いまラヴェルの「ボレロ」がまだ緩やかに穏やかにリズムをきざんでいる。インマゼールと伊藤綾子の連弾だ。ピアノは1877年フランス製のエラール・ピアノ、作曲家と同じ時代を過ごした楽器だという。暖色を感じさせる柔らかな音色だ。収録は2018年9月20日浜離宮朝日ホール。曲ののぼりつめた部分で、楽器の性質上か、音の広がりが幾分透らない感じもするが、迫力十分。ドビュッシー作曲、ラヴェル編曲の「夜想曲」、夜のしじまにシルエットの境が失われていく人の陰、樹木の陰、建物の陰が想起され、ときの間、溶けこんでいく自らのシルエットを見送るような心境に。
きょうの関連写真ではないけれども、アクセントに3日の写真を。
 
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午後のプレミアムシネマ、吉永小百合主演、山田洋次監督の「おとうと」。 
山田監督の人間へのあたたかな眼差しにジンと。鶴瓶さん、この先どうなるかと思っただけで爆笑してしまうほど、役どころに嵌り面白くしてくれた。それにしても、今だに、凛として優しく、しっかりとした役が似合う小百合さん。こんな役、誰でもやりたいでしょう。
あとはガラス拭き。日が照ってくると、ガラスのクモリが気になって仕方がない。見ないようにしようと目を逸らしたのだが、ついに立ち上がってガラスクリーナーと雑巾を持ち出し、きゅっ、きゅっ、きゅっ。これで掃除もやりだすと際限がない。幸い陽が蔭り、目立たなくなったところで、きょうはここまでに。
 
 

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西沢爽著「日本近代歌謡史」

ショパンのノクターン嬰ハ短調が流れている。名曲アルバムでは、よく取り上げてくれる曲だが、耳にするたびに、心が揺すぶられる。
 きょうのクラシック倶楽部は、リゲティ作品。一連の練習曲。演奏はトーマス・ヘル。共感得られたって得られなくたっていいんだよ、だけどわかる人にはわかるのさ、とのヘスの無言のメッセージも聞こえたような。リゲティは「私は音楽を書く。それが人々に何を語りかけるかは、気にしない。ただ、消費され、最後は無に帰すたぐいの作品ではないとの自負はある」といっている。消費とはよくいったもの。流行歌は消費され消えゆく命運にある側面もある。ユダヤ系ハンガリー人。関東大震災の年に生まれ、つい12年まえまで生きていた作曲家だ。リゲティは、2010年代に入ってよく演奏されるようになり、いまではクラシックの定番だという。それほど聴いている暇もなかったが。「芸術は、恐れていてはいけない」という荒井英治が、東京フィルでの全曲演奏を実現し、観客動員にも努めて、ある意味冒険でもあるこの演奏会を満席にし、成功させたようだ。
 雨音がしているが、この一時間の音楽で、憂鬱を免れ、よいスタートを切ることができた。


県立図書館にやむなくクルマで。ほんとうはバイクがいちばん手軽なのだけれども。また借り受けたこの著書。


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2600×1900×80、3300g。1リットルの牛乳約3本分の重さ。片手で持ち上げられない重さのこの書籍、実は、上巻、下巻、資料編の3部作。春陽を調べるようになるまで、流行歌にこういうしっかりと編纂された書籍があるとは想像もしなかった。しかも明治、大正、昭和の戦前のもの。大変な労作なのだ。西沢爽氏がのこしてくれたものだ。ふだんは書庫に眠っている。どんどん捨てられ、忘れ去られていくものを、チラシの果てまで集められる限りを尽くして収めている。偉人のこと、壮大な歴史、文化、芸術、科学なら、たくさんの研究者、文学者が、学問的情熱、或いは功績、手柄を競って人生を時間を注ぎ込みのこしているけれども、庶民の隅々までを集め、しかも、このような立派な著作物とした方がいたことは驚きだった。蔵書検索をしているうちにすがたを現したのだ。実物を見るまでは、せいぜい厚さ2センチていどの古本かと思っていたのだ。ずっしりとした重み。それも3巻。有難く拝見しているうちに、もっと光を当てたいとアップしてみた。

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初雪

雪がふる。
口をつぐんで
ひたすらに白の点描を重ねていく。
突如、雷鳴の轟き。
雪がふる。
おもたげな雪が、
雷の威嚇にも臆せず、
一様に地のうえをめざして、
なにをおもんぱかることもなく、
雪がふる。
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マイクロ資料を読んでいて、しまった、あの本、まだ図書館に返すんじゃなかった。県立から借りたのだが、市立にもある本だ。クルマで行くときには、市立の方が駐車には都合がよい。というわけで市立の方に。それが目的の本は、ただいま傷みがはげしいので補修にまわしています、とのことだった。アマゾンに出ていないこともないが、購入したとしても、高価なわりにこの一定期間が過ぎれば、そう開く機会はない。あすからの天気を見ながら県立の方に出直すことに。
午前、お祈り会に行こうとして、舘坂橋に通じる岩手大学近くの交差点で赤信号を待っていると、白鳥の声。遠い前方上空に見事なV字編隊が。ようこそ! いらっしゃい! 真っ蒼な空の下、眩い大海原のうえを、ひたすら駆け抜けてきたんだね。雨や嵐にもあったろうね。海に落ちてしまうこともなく、餌食になってしまうこともなく、よくここまで頑張ったね。
 信号が青に。ふたたび路上に眼を落して、黄葉の間に伸びる坂道を降る。

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芸術は台所にまで味にまで

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この写真は、もうアップしたかしらん。いぶかりながらアップ。だいぶ前の景色。いまはもう木の葉は先へ先へと散り急いでいる。こんなに急いでどうするの? もしかすれば、来春のいのちたちの滋養たらんと準備に忙しいのかもしれない。風がひゅっとひとひねり動くだけで、軽々と身をひるがえし地面をすべる。死んでいくのではない、冬を潜りぬけるためのウォーミングアップだ。いまのいのちを次につなぐために。
きのうのクラシック倶楽部、90歳でベルリン・フィルにソリストデビューをしたメナヘム・プレスラーのピアノ。観ているうちに、聴いているうちに涙が。スタンディングオーベーション。ブラボーに答礼する老大家の眼の輝きと穏やかさ。サントリーホールだ。この域の演奏家には、この最中に果てても、の達観卓越した演奏家魂が感じられる。心打たれる場面だった。
 けさは6時半起き。ちょっと遅い起床。ピアノは半分終わっていた。それでも次の“名曲”に間に合えば、なかなかにおもしろい内容に出会えることもしばしば。
落ち葉掃き。夜露で鮮やかさが幾分失せた紅葉を、路上にへばりついたものも剥がしながら掃き集める。掃いたところにまた落ちる。木にはあとどれぐらいのこってるのかな? 見あげると、空の青とのコントラストも鮮やかに、色も形もはっきり、くっきり。あと2、3日というところ。落ち葉掃きはそれで終わるだろう。
幸田文の台所の随筆を読む。芸術至上主義のあの幸田露伴のたしか次女。露伴の芸術は、どうも台所にまで味にまで及んでいたようだ。

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ゆったりと

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忙しいでしょうけれども、ゆったりと過ごせる時間をつくってくださいね。
「景色の中にいるようだけど、誰かをまってるの?」とブログを見てくださった方に訊かれましたが、これで、忙しくカメラのシャッターを押しながら歩いているので、ひとところに立ち止まっているということはないのです。かなり速いスピードで歩きます。残念ながらそれはないです。写真どりはブログの退屈さを埋めるため、それと生存証明に使っています。
きょうは、9時に間に合ってアイーナに。運転免許更新でした。次の更新は5年後。そのあと図書館へ。何しろ同じ建物内。東京朝日新聞マイクロを見ていたら、副産物で出てきたのが関東大震災の復興予定図面、これが衆議院通過とあるので、後藤新平の当初の案ではないことは確か。面白いのでコピー。ほかにというよりも、こちらが目的だったのだが、世界的な某音楽家が11月にきたはずと見ていくと、これがけっこう出ていて、関連を5枚コピー。3時過ぎのバスで帰宅。こんな日は、ああ、楽しかったなと納得して一日を締めくくることができる。骨董的モノクロÐVD、しかし、すばらしい映画「わが谷は緑なりき」「裁きは終わりぬ」の2本を図書館から借りてくる。夕刻ちょっと観たけれども。たとえ小さくとも自分が楽しめる、もしかすればひとりよがりでもあるのだが、そんな一つを持たせていただいたことに感謝する。地味な事ではあるけれども、こんなことをしていられるうちは、逆風の大方は乗り切れるだろう。

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きょうのことば

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先週は、『主による勝利』と題し、士師記7;15~23からのおはなしがありました。当務は國光勝美主任牧師でした。教会では、ギデオン会員のO氏の訪問をいただきました。


士師記7;15~23
15ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。主はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。」
16そして、彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。
17それから、彼らに言った。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。
18私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、『主のためだ。ギデオンのためだ。』と言わなければならない。」
19ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。
20三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「主の剣、ギデオンの剣だ。」と叫び、
21それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。
22三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。
23イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃した。



<メモ>
イスラエルの人々は、ヨシュア亡きあと、指導者不在となったそうです。人々は、神に不服従となり、神の約束の地に居ながら、周りの敵に苦しめられました。ここで人々は、これは、まことの神に従わなかったからだと悔い改めます。神はそれにこたえて、何人かの指導者を登場させます。しかし、指導者がいなくなると、人々は、また不服従を繰り返すというありさまでした。「神に不服従」→「敵に苦しめられる」→「悔い改め」→「士師の登場」と、この循環、この繰り返しでした。
 この事態のあいだに登場した士師は、オテニエル、エフテ、シャム、デボラ、ギデオン、トラ、ヤイル、エフタ、イブ、ツァン、エロン、アブドン、サムソン、サムエルがいますが、ギデオン、サムソン、サムエルが特に有名です。
 ミディアン人に苦しめられていたときに、神がつかわしたのがギデオンでした。ギデオンは、バアルのような偶像を取り除いたところ、人々はギデオンに食ってかかったのです。しているうちに大軍勢がイスラエルを襲おうとします。
 ここでギデオンは、軍勢を組織、選抜の方法は水の飲み方から判断しました。手で水を口に運んで飲むものを取り分けたのです。しゃがんで飲むものなどは外されました。敵にすきを与えるからです。こうして選ばれたのが300人。敵はこの数にすっかり油断。しかしギデオンは優れた戦術で敵を下してしまいます。
 たった300人の兵に、神は「力ある勇士よ」と呼びかけられます。神がともにいてくださるときには、何でもできるのです。小さいからダメ、弱いからダメという自己卑下するのではなく、自己卑下はサタンの罠に引っかかる要因となります。自己卑下ではなく、神がともにいてくださると信じ、不信仰と恐れを排除することです。人数の多い少ないではないのです。神がともにいてくださる、ギデオンはこのことにどんなに励まされたことでしょうか。
※簡略に書いております。

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オケの台所

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 クラシック倶楽部、自らが「骨董品」といわれてもいるからか、古いものにアンテナが。といっても楽団の歴史がふるいというだけで、演奏は聴くも楽し、見るも楽し、オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラなのだが。1923年創立と聞いて、ああ、軍楽隊の流れだなとさっそくwikipediaに訊くと、「日本で最も長い歴史と伝統を誇る交響吹奏楽団である」「日本で唯一地方自治体が所管する専門吹奏楽団として知られていた」、それが、「2014年4月からは一般社団法人に運営が移管された」とあった。橋下徹市長のときだ。財政厳しくなると、こういう文化部門が削られていくのかなと。何れ、オケの台所はいずこも厳しそう。

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盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第42回

盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第42回が出ました。今回は、関東大震災のとき、東京市長だった後藤新平が、歌詞にうたわれていた事と、「籠の鳥」の大ヒットを書かせていただきました。
 もし後藤新平の都市計画が実現していたなら、それから後の地下鉄網や高速道など、ライフラインの建設費もかなり違っていたのかもしれないなどと思いましたが。
 「籠の鳥」のレコードが続々と出、映画も次つぎに。それでまたレコードが爆発的に売れ、映画で唄を務める歌手が仕事に恵まれるという相乗効果があったようです。
 主演の澤蘭子は、後に、ベルリンフィルを指揮したこともある近衛秀麿の愛人となったこともあるようで、ちょっと意外でした。
復興節には、昭和5年に帝都復興記念としてつくられた官製版「復興行進曲」があります。復興工事が一応の竣工を見た年です。こちらは北原白秋作詞、山田耕筰作曲。
ふたつの復興の歌に関し、西沢爽は次のようにいっています。
(復興行進曲は)白秋の作詞にしては拙いが、本格詩人の格調の高い歌であるとしよう。しかし私は卑俗であろうと、(添田さつき、渋谷白涙の作詞)の「復興節」の中に、生々しい人間像を感じる。歌の巧拙を越えて、どんなに打ちのめされても、また這い上がろうとする民衆の声が聞こえるのである。
 

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教育の像

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  彫刻などは、前の方から撮った写真が多いが、背後からのすがたにも味わいがある。

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散歩ー秋づくしー

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 「白目」ということばが浮かんだ。滅多には使わないことばだが。歩くということが、他人様から見れば、何をしているのやら、と見えることもあり得るだろう。しかし、いきなり聞えるように浮かんだこのことばをもとに、数行は書けそうだ。
 主人が在職中だったころは、朝のウォーキングはもっぱら主人が積極的だった。その頃、私は朝が苦手だった。けれども健康寿命を延ばし、すこしでも人様に迷惑をかけないように生きたい、何よりも健康であってこその命ではないかと自覚してからは、一日のうちどこかを運動に充てようと思い立ち、始めたのがウォーキング。ところが、ひるまに歩いていると、そちこちに立ち寄りたくなる。コーヒーも飲みたくなる。予定外の時間がかかってしまうのだ。夜は静かでよいが、主婦がやたら出歩く時間ではない。試行錯誤のうえ、朝がいいということに。
 ところが今は、主人はあまり歩くことはしない。水泳やジムが中心だ。長距離歩くと、腰に負担がくるらしい。
 もう3年も前になろうか、毎朝5時起きで中津川沿いの散歩に付き合ってくれたご婦人がいたが、残念ながら金ケ崎に引っ越された。川の音を聞くと心が休まる、それは、少女時代に父親とよく川べりを歩いた記憶が蘇るからだと仰っていた。植物に詳しく何でも教えてくれたそうだ。今思うと1時間余、よく付き合ってくださったと思う。次にお誘いしたのは、いつも懇意にしている近所のご婦人だ。毎日ではないが、6時起きで付き合ってくださった。冬も近づいたとき、ちょっと大変だからということで、それきりになっている。
 五里霧中という心境だった時期にも、とにかく一歩踏み出さねば、とにかく一歩でも、と歩き続けた時期もあった。それがほんとうに深い霧の真っただ中ということもあった。ご一緒してくださる方に、毎日同じコースでは申し訳ないかと思い、愛宕山に登ったり、米内方面に川をさかのぼり鮭の遡上を見たこともあった。
 もうお一方は、2,3回ご一緒しただけで、あとは自分で別に行くからと断られた。思えば、私がそちこちで立ち止まっては写真を撮ることに違和感を覚えられたかもしれない。その時は気づかなかったが。ほんとうに申し訳ないことであった。
 いまは、毎日歩くのは厳しい。ただ、足が痛いときなど、歩き始めてしばらく経つと痛みを忘れており、帰るころには治っていたことがある。やはり歩行できることは基本中の基本かと思われる。そして朝という時間帯は、爽やかな恩恵を覚えるひと時でもある。
 出かけるのを渋っていると、「なんだ、もう止めたのか」と主人。中止を撤回し、意地と頑張りを見せようと靴に足を入れる。
 この秋も、写真を並べた数ほど歩いてはいないが、美しい紅葉を満喫できた。こんなに美しいものを、こんなにたくさん見せていただいて有り難うございます、と感謝しながら、一歩一歩を踏みしめている。
 

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銀杏

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散歩から

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きょうのことば

 きのう原稿をまとめようとしておりましたが、頭が重く、なかなか集中、没入することができず、落ち着かない心境でおりましたが、午後になって、そうだ!、と祈りましたところ、心の中で乱雑になったパズルが、すっときれいに嵌め込まれたようなスッキリ感を得、あれこれと書籍を開いては確かめ、文字を打ち込むことができました。祈って神にうまいことやってもらお、というのではなく、先ず祈ってみよう、と祈ったのでした。書かせていただいている、そんな気がしました。

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 先週は、召天者記念礼拝の日、ご遺族の方々がいらっしゃいました。
亡くなられたお一人おひとりがプロジェクターで映し出されます。0歳で亡くなられたお子さんから、97歳で亡くなられた方まで。思えば、40数年間、毎日曜日にお会いした方々、自分の実の兄弟姉妹以上に、この人生でお会いした回数が多かった方々です。
 教会では、主任牧師國光勝美先生が、『共鳴する福音』と題し、コロサイ3:1~4を引いておはなしくださいました。
3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 3:2あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。 3:3あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。 3:4私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。


<メモ>
2000年の昔、イエス様が私たちを救うために、人としてこの地上に来てくださった。罪を犯し、神から離れている人間と同じくなって来てくださった。人間が犯した罪の身代わりに十字架に架かってくださいました。共鳴箱と“同じ材質”で、共鳴させてくださった、ここに愛があると、まるで音叉をポーンとたたいて共鳴させるように知らせてくださった。その音叉、音は、あらゆる時代を超え空間を超えて、いまもずっと響き続けています。どの地域、どの時代の人であっても、神はここに愛があると、贖いがあると、提示されています。誰でも、このお方を信じるなら、罪をゆるされ、天国に行けるのです。
 振動数が違っていると共鳴しないが、振動数が合っていると、たとえ他の人たちは気づかなくとも聞こえてくる。そういう人たちが、イエス様の救いを喜んで受けて、「キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです」、アーメンと受け入れることができます。願わくは、共鳴、共振を得て帰っていただきたく思います。

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秋 満喫

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 今週のクラシック倶楽部は、声楽。ドイツの名門男声ヴォーカル・アンサンブル「ジングフォニカー」、それと、悲しみを切々と歌いあげるバルバラ・フリットリのソプラノ。サイミール・ピルグのテノールが特にすばらしかった。声質によるさまざまな表現を聴かせてくれた。声という楽器は誰にでも内蔵されているが、磨き抜かれた声のこのすばらしさは!

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ユリの木

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齢は順調に

  岩山、盛岡市動物公園の紅葉で1日をスタートしたこの11月も、はや8日が過ぎようとしています。ずっと動物公園の写真を続けてきたけれども、言うまでもなく、毎日行けるはずはなく、1日に撮りためた写真を使っています。後になるほどに、写真の出来がいまいちに。

 この動物たちも冬ごもりするのでしょうか。若いうちは冬の到来にも心が弾んだものですが、近年は、また冬を越さなければならないかと嘆息。それほど老いてはいないと言いたい通過点も過ぎ、自分をすこしいたわってみようかと。かくして、齢は順調に重ねております。

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 1日、虹が出ていましたが、この虹の右隣には、もう一つの虹がうっすらと見えていたのです。カメラでしっかりと捉えたつもりが、映っておりません。
 カメラを構えているのは主人です。ご覧のように、相も変わらず同じバックを提げておりますが。

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動物園の生きものたち

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動物園の紅葉

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盛岡動物公園ーアルバムからー

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きょうのことば

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 先週は、ケニヤのテヌウェク病院で医療宣教にあったっておられる蔦田就子先生がお話くださいました。


引証聖句はヨハネ黙3:20
3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


 〈メモ〉
 就子先生は、ケニヤへは2000年に行ったそうです。帰国していた期間などを考慮すると、実質14年いたことになるとか。
 牧師家庭に生まれたからといってクリスチャンになれるわけではありません。教会学校の先生が、ヨハネ黙示録3:20を開かれイエス様は心のドアをノックしているが、無理やり入ってくる方ではない。あなたが開けて迎えるなら、神は入ってくださる。罪を悔い改めて、「心の中に入ってクリスチャンとしてください」と祈ります。自分が運転している車に、ドアを開けて入っていただくのです。右にハンドルを切るか、左に切るか、分岐点に差し掛かるたびに、その選択はイエスさまにお任せします。
 「きよめ」も「罪の根っこをとってください」と祈り、きよめを得ることができます。
 しかし、この後、ボタンを掛け違え、自分の努力で信仰を維持しようとし始めました。この窮屈さはおかしいと思い始めました。「鳥のように自由に」と歌える日はくるのか。それもイエス様に委ね、ありのままの状態で進んで、いまは神様に与えられた自由の中にいます。
 家庭環境もよく、いじめる人もいない、周りはいい人ばかりの中で暮らしながら、思春期の頃に、死にたいと思っていた時期がありました。その時、学んだ金言が浮かんだといいます。
詩篇27:10「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。」、エレミヤ31:3「主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」、申命32:10「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。」
 これらのおことばで守られた先生は、看護大学に入られ、助産師の資格を取り、献身することやケニヤへ派遣されることなど、その後の歩みを、そのたびごとにお言葉に導かれて歩んでいらっしゃいます。ー心にのこったことを簡略に書かせていただきました。-ケニヤでは手に負えないことが山ほどあるのだとか。しかし、その中で神様のすごさを得心し、また皆に支えていただいていることが大きいと仰っていました。

 

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秋を留めるー文化の日ー

 けさの盛岡城跡公園
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 内丸緑地公園の伐採後の切り株。生け垣の向こうに見える方々は、朝6時から枯葉の清掃作業にあたっている。
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盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第41回

 きょうの盛岡タイムスに「楽都のユニゾン」連載第41回が掲載されています。
今回は、太田カルテットの各楽員、特に梅村と赤澤ですが、彼らが、太田カルテット以外の音楽グループにも協力、音楽普及に貢献したことを、そして、その関連から、筆者が赤澤ミツエさんから直接聞いた宮澤賢治をすこし書かせていただきました。



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秋を留める

 盛岡市動物公園です。子どもたちが眼を輝かせて、動物たちを指さしたり話しかけたりしています。スマホを向けるカップルも。園内をバスが回っているので、疲れたときには手をあげさえすれば乗せてくれます。子どもたちばかりではなく、高齢の方々にもおすすめです。主人も運動不足解消のために付き合ってくれました。
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