嘉藤治の開拓
嘉藤治は賢治の親友として、また宮澤賢治全集編纂に関わったことで有名だが、戦後に水分村東根山麓に入植したはなしは、むしろ新しく新鮮であった。(9月22日、どっこ舎率いる皆さま方とともに)
藤原嘉藤治は、1945年8月、49歳のとき終戦真近の東京を引き払い、岩手県紫波町へ帰郷した。郷里に戻った藤原は、今後は賢治の精神を実践しようと水分村東根山麓に入植。過酷な労働環境、厳しい生活状況など、開拓農民の暮らしはひどく大変なものであった。この状況を打開するため、リュックにゲートル姿で農林省へ出かけていき、「宮澤賢治全集編集委員」の肩書きの名刺を持って交渉、生活資金の助成を獲得するなどさまざまな開拓行政へはたらきかけもおこなった。県の開拓者連盟委員長などを長年務め、1971年、岩手県の県政功労賞、1972年勲5等瑞宝章を受章。1977年、81歳で死去。ーウィキペディアよりー
植木鉢にしておいた銀杏の木を、終活の一環でそろそろ処分しようかと思っていたのだが、嘉藤治が街路樹にすすめていた事を思い出し、取り置くことに。
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