きょうは、蔦田就子先生の特別集会があります。10時半から礼拝、午後1時半からは、ケニアのテヌウェク病院での医療宣教のおはなしがあります。
説教を書くのは、けっこう大変なのですが、ひろ子先生は、主牧が他出したときのみ講壇に立たれますので、頑張って書かせていただきました。
先週は、主任牧師が富山教会の45周年記念特別集会に招かれており、牧師夫人である國光ひろ子牧師が、教団創立記念礼拝の説教をなさいました。『主の恵みはとこしえまで』と題し、詩篇61:1~4が引かれました。
指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデによる
1神よ。私の叫びを聞き、
私の祈りに耳を傾けてください。
2私の心が衰え果てるとき、
私は地の果てからあなたを呼び求めます。
どうか及びがたいほど高い岩の上に
私を導いてください。
3あなたは私の避け所、
敵に対して強いやぐら。
4私はあなたの幕屋にいつまでも住み、
御翼の陰に、身を避けます。 セラ
〈メモ〉
インマヌエル綜合伝道団を創設したのは蔦田二雄先生で、ひろ子牧師が神学校3年の時に蔦田師は、天に召されたということです。ですから、ひろ子牧師は、子どものときから蔦田師を知っていたようです。
はじめは外交官になり国連で働きたいと思っていた蔦田師でしたが、イギリス留学中に伝道者になりました。あと2、3枚レポートを提出すれば卒業というときに、再臨に目覚め、父からのオベイ・ワンと書かれた電報で伝道者になる決心をしました。
日本で牧会をし祝されていたところが、ある朝、どっと踏み込んできた8人に逮捕され、拘置所に入れられました。裁判が続くうちは、虚無僧のような編み笠を被せられ、綱をつけられました。イエスの教えは、国民の平和を乱す、治安維持法違反であると結審。その日96名のホーリネスの牧師らが連行され、執行猶予がついた方もあれば、刑務所で命を落とした方もあったそうです。1943年には、一切の教会活動が禁止されました。
蔦田師は、3畳の独房で動かないことを命じられ、見張りのないときに、辛うじて歩くなどしていました。看守と親しくなり、子どもが生まれたから名前をつけてくれと頼まれたこともあったそうです。
2年間を獄中で過ごし、東京大空襲で書類が焼けたために未決囚のまま釈放されました。声がでなくなっていたそうです。牢獄で、こんなところにも確かに神がともにいてくださることを確信し、釈放されたらインマヌエル(神われらとともに在す)という教団をつくろうと決心していました。
1945年8月15日終戦となり、治安維持法もなくなり、教会活動ができるようになりました。マッカーサーが日本に多くの宣教師を連れてきました。8月30日には蔦田師も働きを開始しました。
広島で被爆したクリスチャンの双子の姉妹がいました。婦人科医師の長谷川正子先生と伝道者の長谷川元子先生です。岡山の遠縁の横田宅に疎開していました。蔦田師も療養のため横田宅に。ここで3人が出会い、45年10月21日の夜から22日の未明まで3人で祈って、インマヌエル創設のビジョンを掲げ、船橋に拠点を置くことにしました。姉妹の荷物はマッカーサーの秘書をしている関係者の荷物と一緒に船橋に送られました。そして、船橋に農耕部と医務部を備えたインマヌエル綜合伝道団が開かれたのでした。教団では「聖と宣」、きよめと宣教を掲げています。神学院も聖宣神学院といいます。
盛岡教会は、1974年に開拓されました。ひろ子先生は、それまで岩手には、修学旅行で花巻市と小岩井農場にしか来たことがなかったそうです。勝美牧師は、日光より北に行ったことはなかったらしい。盛岡に任命されたときはびっくりしたといいます。100人近い応援者が駆けつけ、教会が開拓されて44年近く経っています。 いまもういちど、この神様に信頼し、祈り続けていかなければならないと思った時、詩篇136篇のおことばが与えられたということです。
1
主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。
2
神の神であられる方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
3
主の主であられる方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
4
ただひとり、大いなる不思議を行なわれる方に。
その恵みはとこしえまで。
5
英知をもって天を造られた方に。
その恵みはとこしえまで。
6
地を水の上に敷かれた方に。
その恵みはとこしえまで。
7
大いなる光を造られた方に。
その恵みはとこしえまで。
8
昼を治める太陽を造られた方に。
その恵みはとこしえまで。
9
夜を治める月と星を造られた方に。
その恵みはとこしえまで。
10
エジプトの初子を打たれた方に。
その恵みはとこしえまで。
11
主はイスラエルをエジプトの真中から連れ出された。
その恵みはとこしえまで。
12
力強い手と差し伸ばされた腕をもって。
その恵みはとこしえまで。
13
葦の海を二つに分けられた方に。
その恵みはとこしえまで。
14
主はイスラエルにその中を通らせられた。
その恵みはとこしえまで。
15
パロとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。
その恵みはとこしえまで。
16
荒野で御民を導かれた方に。
その恵みはとこしえまで。
17
大いなる王たちを打たれた方に。
その恵みはとこしえまで。
18
主は力ある王たちを、殺された。
その恵みはとこしえまで。
19
エモリ人の王シホンを殺された。
その恵みはとこしえまで。
20
バシャンの王オグを殺された。
その恵みはとこしえまで。
21
主は彼らの地を、相続の地として与えられた。
その恵みはとこしえまで。
22
主のしもべイスラエルに相続の地として。
その恵みはとこしえまで。
23
主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。
その恵みはとこしえまで。
24
主は私たちを敵から救い出された。
その恵みはとこしえまで。
25
主はすべての肉なる者に食物を与えられる。
その恵みはとこしえまで。
26
天の神に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
神ともにいてくださる幸い、聖と宣、唯一の神を信じ、イエスの贖いによる救いを得て、再臨に備える教会でありたいと。
ある方が「祈ってくださいと言われたら、社交辞令ではなく本気になって祈ります」と仰っていましたが、教会は、このような人々に支えられている。祈りに支えられていることを証しする教会でありたい。神様は高い岩に、そこに行けと言われるお方です。そこに導いてくださいます。神は困難さの内に避けどころを設けて、進ませてくださる。「主の恵みはとこしえまで」。神がこの教会に加えてくださり、恵みに入れてくださったことに感謝するものですと、ひろ子牧師はおはなしを締めくくられました。
内容は若干割愛されています。
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