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きょうのことば

 
  7月31日~8月2日の三日間、インマヌエル綜合伝道団では、東北聖会が開かれました。会場はいこいの村岩手。わたしは日帰りで2日間参加。
 講師は大阪伝法教会の朝比奈悦也牧師でした。集会の終わりに恵みの座が開かれ、悔い改め祈るようにとのおすすめがありました。大勢の方々が講壇近く、前の方に次つぎに進み出てお祈りを捧げます。
 聖書にある、このまちに、もし正しいものが10人いたら滅ぼさない、と神の使いがいったのだが、結局、その10人がおらず滅ぼされてしまったという記事を思い出しました。wikipediaから以下を転載します。
 創世記18章後半部(16節から33節)で、ロトのおじであるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して事前にヤハウェと問答している。ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっているとして、それを確かめるために降(くだ)ることをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすとは、全くありえない、と進み出て言った。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦(ゆる)すと言った。そこでアブラハムは「塵芥(ちりあくた)に過ぎない私ですが」と切り出し、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すようにヤハウェと交渉をした。最終的に、「正しい者が10人いたら」というヤハウェの言質を取り付けたが、19章でヤハウェは結局、ソドムとゴモラを滅ぼした。
 オウム真理教のような宗教を騙る犯罪集団があるために、まともな宗教までが遠ざけられてもいますが、実際、この危機的な世の中、地球全体がタイタニックに乗り組んでしまったようなこの世の中が、いまそれでもこれだけあるのは、こういった真実に悔い改め祈る方々がこのようにまだいるからなのだ、そう思わせられたことでした。

 

 わたしは、このような方々のように素晴らしくはないのだけれども、少なくとも、このような方々のしんがりからこぼれ落ちないように、跡をたどっていかねばならないと思ったことです。

 

尤も、付き従うべきはイエス・キリストであり、人にではないのですけれども。

 

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 先週の日曜日の同団の國光牧師のメッセージは『キリストとともに』、聖書引照個所はコロサイ書3:1~11でした。説教全文を起こすのは、いまでは時間的にも体力的にも非常に厳しく、聖書の引証だけでもそのまま書いておきたいと思います。
3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが、神の右の座に着いておられます。 3:2上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 3:3あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 3:4あなたがたのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現われます。
3:5ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。 3:6これらのために、神の怒りが不従順な子らの上に下ります。 3:7あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。 3:8しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。 3:9互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、 3:10新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。 3:11そこには、ギリシヤ人とユダヤ人もなく、割礼の有る者も無い者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
 

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