« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018年8月

パイプオルガン

  最低一日おきにはブログを更新しなければと思いつつ不精になっている。
 できる限り聴くようにしているクラシック倶楽部は室内楽中心だ。交響曲関係のディスクはまずまず手元に揃っているのだが、室内楽に関してはすこし足りない。しかし買い足す必要はなし。この番組で足りる。
オルガン画像
       オルガン画像
 最近で興味深かったのは、藤木大地 のカウンターテナー。実は、日本にカウンターテナーがいるとは知らなかった。ソプラノのようなときとして金属的な感じもなく、落ち着いた空気をもたらしてくれる。特に、近代の流行歌も取り入れ、味わい深く聞かせてくれた。「ゴンドラの唄」吉井勇:作詞、中山晋平:作曲。「宵待草」竹久夢二:作詞、多忠亮:作曲といったところ。
 木下牧子や岸田衿子:作詞、加藤昌則:作曲の「てがみ」、谷川俊太郎:作詞、武満徹:作曲「死んだ男の残したものは」。V.ギルム:作詞、R.シュトラウス:作曲「万霊節 作品10第8」を聴くことができ、幸運だった。
 それと、きのうの東京芸術劇場のパイプオルガンは圧巻。久方ぶりに音の建造物の醸すバッハを堪能。あとは、N響メンバーによる室内楽も心地よく、またきょうのズーラシアンブラス、編曲者は誰?とみれば、三澤慶、石川亮太、高橋宏樹、大塚子龍、山口尚人といった音の魔術師たちであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうのことば

 けさ心に過ったおことばは、イザヤ32:15「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」。これが神から与えられたものであるか、自分の記憶の中からついと出てきたものなのかはわからないけれども、何れ、さまざま思いめぐらすうちに、すっとやってきて、ああ、これかと思わせられ、すぐにPCを開き書きつけております。

Dsc00757


 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、『キリストの平和』(説教國光勝美牧師)、聖書引証はコロサイ3:12~17でした。
3:12それゆえ、神に選ばれた者、きよい、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

 

・キリストの平和が心を支配するようにしなさい。喜びは間歇的なもの、キリストの平安は恒久的なものです。
・キリストのことばが、あなた方のうちに、豊かに生きるようにしなさい。それには、聖書購読、詩篇などを味わうこと、讃美することなどです。
・イエスの名によってすべてを為すこと。イエスの名にふさわしい行動をとること、行動にイエスの名を冠してもだいじょうぶな行動をとりましょう。

 大まかですが、このようなおすすめがありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第36回

当ブログ筆者の、盛岡タイムス掲載「楽都のユニゾン」連載第36回がきょうです。各コンビニなどでお求めいただければと願っています。春陽の作曲は即興の力を書かせていただきました。どうぞ宜しくお願いいたします。

小生無坊 石川県の視学・医者・漢学者の子として金沢市に生れる。本名は小生第四郎。
 広谷水石(日本画家)の門に学ぶ。雑誌『ベースボール』に野球漫画を連載。デビュー作『野球絵物語』(博文館1913?年)以来、「夢坊」の雅号(永平寺の僧の命名)を使用。 1914(T3)頃、母と上京。『第三帝国』や『へちまの花』『新社会』に寄稿(その「聖画」は堺利彦に推奨される)。『二六新報』の文芸欄を担当。大正期に、「特別要視察人」乙号に指定される。
 '23関東大震災直後から浅草を主舞台に曾我廼家五九郎などの劇団に関与し、布施辰治の助けを借りて俳優争議も実行。'30(S5)『尖端をゆくもの』(塩川書房)を出版し、「プロレタリア芸術家の使命」を高唱。 八光流誌『護身道』に寄稿。戦後、樋口一葉記念館の建設、曾我廼家五九郎顕彰碑の建立、下町博物館の建設などの文化活動を展開。夢坊を「ゆめぼう」と読む文献もある。 <近代日本社会運動史人物大事典>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうのことば

 先週は、お盆や、そして多くの人たちに優しさ、気づかいのゆえに愛された方のお葬儀があるなど、慌ただしく過ぎました。
 暑いあつい夏も過ぎ、庭には秋の気配が。
 けさ起きがけに個人的に心にかよったおことばは、「凡(すべ)て勞(つかれ)たる者また重(おもき)を負(おへ)る者は我(われ)に來(きた)れ我(われ)なんぢらを息(やす)ません」でした。
Dsc02170  
 先週の聖書個所はコロサイ3:12~17、説教題は『キリスト者の晴れ着』でした。
3:12それゆえ、神に選ばれた者、きよい、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
 この日の説教内容は、特に、神様がイエスさまの十字架のゆえに私たちの罪を赦してくださったのだから、私たちも互いに赦しあって、イエスさまの平和が心を支配するように、イエスさまの平和とともにあるようにというおすすめでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうのことば

 けさ起きがけに心に浮かんだことばは、
「なんじら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」
イエスさまのおことばだ。人生はよいことと自分にとってはあまり歓迎したくないこととの抱き合わせだ。よいことばかりではあり得なく、また悪いことばかりではない。ただよりよい人生は努力してつくりあげていかなければならないようだ。最悪にいたっても、そう努力することが肝心なようだ。どうもうまくいかないなというときには、こんなことばがある。
「なんじら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」
ものの成り行きのすべてには、何ものかの意思が通っている。自分の思い通りにいかないときでも、そこにも何ものかの意思が通っている。だから
「なんじら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」
なのだろう。
それにしても、よくここまで生きてこられたものだ、これが近頃の実感である。神さまのお蔭、そして、いままでに出会ったすべての方々のお蔭であると思う。
Dsc02179
 先週教会で開かれた聖書個所は、コロサイ書3;12~17でした。
3:12それゆえ、神に選ばれた者、きよい、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうのことば

 
  7月31日~8月2日の三日間、インマヌエル綜合伝道団では、東北聖会が開かれました。会場はいこいの村岩手。わたしは日帰りで2日間参加。
 講師は大阪伝法教会の朝比奈悦也牧師でした。集会の終わりに恵みの座が開かれ、悔い改め祈るようにとのおすすめがありました。大勢の方々が講壇近く、前の方に次つぎに進み出てお祈りを捧げます。
 聖書にある、このまちに、もし正しいものが10人いたら滅ぼさない、と神の使いがいったのだが、結局、その10人がおらず滅ぼされてしまったという記事を思い出しました。wikipediaから以下を転載します。
 創世記18章後半部(16節から33節)で、ロトのおじであるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して事前にヤハウェと問答している。ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっているとして、それを確かめるために降(くだ)ることをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすとは、全くありえない、と進み出て言った。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦(ゆる)すと言った。そこでアブラハムは「塵芥(ちりあくた)に過ぎない私ですが」と切り出し、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すようにヤハウェと交渉をした。最終的に、「正しい者が10人いたら」というヤハウェの言質を取り付けたが、19章でヤハウェは結局、ソドムとゴモラを滅ぼした。
 オウム真理教のような宗教を騙る犯罪集団があるために、まともな宗教までが遠ざけられてもいますが、実際、この危機的な世の中、地球全体がタイタニックに乗り組んでしまったようなこの世の中が、いまそれでもこれだけあるのは、こういった真実に悔い改め祈る方々がこのようにまだいるからなのだ、そう思わせられたことでした。

 

 わたしは、このような方々のように素晴らしくはないのだけれども、少なくとも、このような方々のしんがりからこぼれ落ちないように、跡をたどっていかねばならないと思ったことです。

 

尤も、付き従うべきはイエス・キリストであり、人にではないのですけれども。

 

Dsc02171
 
 先週の日曜日の同団の國光牧師のメッセージは『キリストとともに』、聖書引照個所はコロサイ書3:1~11でした。説教全文を起こすのは、いまでは時間的にも体力的にも非常に厳しく、聖書の引証だけでもそのまま書いておきたいと思います。
3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが、神の右の座に着いておられます。 3:2上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 3:3あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 3:4あなたがたのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現われます。
3:5ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。 3:6これらのために、神の怒りが不従順な子らの上に下ります。 3:7あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。 3:8しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。 3:9互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、 3:10新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。 3:11そこには、ギリシヤ人とユダヤ人もなく、割礼の有る者も無い者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

盛岡さんさ踊り  2日目

Dsc02113
Dsc02115sannsa
 
Dsc02114
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »