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2018年7月

きょうのことば

  けさ戸を開けて空気を入れながら庭を見ますと、ヒマワリが堂々と高く咲き、タチアオイがその下に、またその下にはカサブランカ、底にはグラジオラスが咲いていました。きょうは教会の花の係です。グラジオラスと裏庭にたわわに咲くブットレアを伐って飾ろうかと思います。
 台風の進路はどうなるのか、安閑とはしていられない、どこにも被害をもたらしてくれるなと祈りながら、困難に対峙する覚悟を迫られている、そんな思いがしました。

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 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会では、コロサイ書3:1~4から、『上にあるものを』と題し、國光牧師のメッセージがありました。

3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが、神の右の座に着いておられます。 3:2上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 3:3あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 3:4あなたがたのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現われます。 

 

 
 

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第53回音楽の夕べ

 

ことしも沿岸宮古市に弦楽の響き。梅村保先生、功二先生も心待ちに。お出かけください。

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盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第34回

 今朝の盛岡タイムスに「楽都のユニゾン」連載34回が載っています。遠い昔のことではありますが、岩手にも、一世を風靡した流行作曲家がいたことを知っていただければと思います。

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きょうのことば

 昨夜、ひと休みしてからもうひと仕事をしようと休憩にはいって、気がつくと朝の4時。27℃の気温を涼しいと感じ、感謝しながら、きょうが日曜日であることに思いがいたる。起きがけは、地球規模の厳しい環境などが浮かび、たとえあす過酷な災害に遭い、無一物で路上に放り出される境涯になるとしても、やはり自分は神の世界に取り込まれ、その路上を歩ませられることが課せられている、そのように感じ取った朝でした。ある意味、自分がそれを好もうと好むまいと、そう歩まねばならない、そう歩むものがいなければならない、たとえ完璧にできないとしても、失敗しながらでも、そう歩もうと努力をしなければならない、そう思わせられるのです。 
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 先週は、米人宣教師ロビン先生のイエスさまのおはなしと、ギター演奏でした。いらしてくださった方々のうち、遠路から朝5時起きで駆けつけてくださった方からも、大変でも来る値があったとの感想をいただきました。
お話の題は『イエス様のもとに持っていこう』引証はマルコ2:1~12
2:1数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。 2:2それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。 2:3そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。 2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。 2:5イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。 2:6ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。 2:7「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」 2:8彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。 2:9中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。 2:10人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、 2:11「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。 2:12すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない。」と言って神をあがめた。

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アジサイ

 11 日の午後だったかな、主人がめずらしく赤沢のアジサイを見にいくというので同行。ほんとうに見事でした。

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たくさんの実

 虫も食べます。鳥も食べます。ひとも食べます。すぐり、ブルーベリー、梅。入院中のともだちに話したところ、「すぐりが食べたい」。もしかすると、こちらに気を遣って「何も買ってこなくていいのよ、それがいいの」と言ってくれたような。ブルーベリーといっしょにさっそく届けに。それから、すぐりをジャムづくりの名人のところに。そして目にいいというブルーベリー、こんどは私が食べました。さて、梅はどうしようかな。実がたくさん生りました。


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 人生の実、どなたかが仰っていた意味のある実って、さてはて、いったい何だろう。

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きょうのことば

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 いよいよきょうがバイブルメッセージ&ミニ・コンサートです。今しがた小雨、遠くからいらっしゃる方々の、また近くからの方々の安全が守られますようにお祈りいたします。
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 先週、教会では、『神に育てられん』と題し、コロサイ書2:16~23からのメッセージがありました。
2:16こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたを批評することがあってはなりません。 2:17これらは、来るべきものの影であって、本体はキリストにあります。 2:18自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、 2:19かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は、節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。
2:20もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世の生きているかのように、 2:21「つかむな。味わうな。さわるな」といった定めに縛られるのですか。 2:22これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めと教えによるものです。 2:23これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。

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盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第33回

 盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」が、きょうで第33回となりました。ちょっとだけ宮沢賢治も登場、各コンビニで販売しておりますので、読んでいただければ嬉しく思います。文字数の関係で、かなり簡略ではありますけれども。

 ずっと赤沢資料が続いておりますが、これは、そのたびに借りにお伺いしているわけではありません。私が宮古市に住んでいたとき、昭和63年ごろに、盛岡市の赤沢氏のもとに資料があると聞き、不案内でしたので主人に頼んで同行してもらい、自宅にお伺いし、ダンボールに保存されていたものを箱のままお借りして自宅に持ち帰り、数か月をかけてメモ書き、その時はよくわからない紙片までを接写、コピーしたものです。お返ししたのは半年後、再び主人に頼んで同行してもらい、お返しに行ったわけでした。現在は赤沢ミツエ氏、令息の山屋氏からの使用許可もいただき、使わせていただいております。

☆  ☆  ☆

 クラシック倶楽部、今週はチェロが続いていたが、きょうはチェロ・アンサンブル。上森 祥平、林 裕、藤森 亮一、河野 文昭、上村 昇。音域が等身大に染みてくる。なかなかチェロアンサンブルの曲を探すのは難しく、編曲でプログラム作りをしているとか。林さん、河野さんの編曲もあった。いま「天使のパン」が流れている。滋味のあるぜいたくなひととき。

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きょうのことば

   先週は、土曜日を除いては、毎日地域の役目で、参加しなければならない懇談会や行事があった。また課せられた調査などもあり、趣味を楽しむどころではなかったが、これもよし。不満などいってる場合ではない。深刻な災害に遭っている方々、犠牲者がいらっしゃる。

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 先週、『枯骨の谷と神のことば』の説教で開かれた聖書個所は次の通りです。
エゼキエル書37:1~14

37:1 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。37:2 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。37:3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」37:4 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。37:5 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。37:6 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」37:7 わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。37:8 わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。37:9 主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」37:10 わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。37:11 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。37:12 それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。37:13 わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。37:14 また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。



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アメイジング・グレイス

地の上のものが流され
失われゆくかの今朝
いま
生死の境にふるえ
先々の不安を抱える方々
片や
不眠不休で
救出に追われ
対応に全力を尽くす方々がいる
いまこの瞬間にも
そしていま
人の野望や諍いが
はるか遠くに
小さく見える
そして心に通う歌は
アメージング・グレイス
誰でもが知っている

 
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Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった
The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り

Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れるのだ

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.
やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう

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きょうのことば

 はや7月。酷暑となりそうです。忙しい月ですが、守られますように!

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、コロサイ2:16~23から『頭なるキリストに結ばれ』と題し、國光勝美牧師から説教がありました。

 コロサイ2:16~23

2:16こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批評することがあってはなりません。 2:17これらは、来るべきものの影であって、本体はキリストにあります。 2:18自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪するものであってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、 2:19かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は、節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。
2:20もしあなたがたがキリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、 2:21「つかむな、味わうな、さわるな」といった定めに縛られるのですか。 2:22これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めや教えによるものです。 2:23これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。

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