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きょうのことば

 GWの最終日です。一昨日、パソコンを新しくし、きのうデーターを移行してもらい、不慣れながら何とか更新しています。
 去年、枝をかなり刈りこみ、丹念に樹皮をはがした白っぽい葡萄の樹肌のそちこちに、新しい芽がぷちぷちと吹きだしています。咲こう、実ろうとする生命力が、いま、湾曲するこの樹木のうちに漲っています。「我は葡萄の樹、なんじは枝なり。人もし我におり、我また彼におらば、多くの果を結ぶべし」ということばが浮かびました。
 まわりには、真っ赤な木瓜、そして黄色い山吹がたわわに咲き、ことしやっと花房をつけた大手毬の花が、まだ緑色をして、爽やかな朝の空気をいっぱいに吸いこんでいるようです。

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 先週の教会の説教は『奥義なるキリスト』  (國光勝美牧師) 、聖書引照は、コロサイ1:24~29でした。

1:24今、私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 1:25私は神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、 1:26すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。 1:27この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 1:28私たちは、このキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。 1:29このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

  

 

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