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2018年5月

大信田時子さん&佐藤由紀子さんの「青の会」出品絵画

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 滑り込みセーフで「青の会」展へ。それぞれの絵に筆の動きをなぞりながら、製作への弛まない姿勢を見る思いが。
  
   ☆  ☆  ☆

  

 あすは深緑の月の到来。そこかしこに見られるさまざまな事の現れを心静かに受け留めながら、強すぎもせず、しかし小雨とは言い難い、単調な、しかし、さまざまな色合い、濃紺、漆黒、時として鋼色もひらめかせながら、ことばを紡ぐこともなく、ただ淡々と降りつづける雨音を聞きながら。

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きょうのことば

 先週はペンテコステ(聖霊降臨)を記念する日でした。

 
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 ヨハネ伝7;37~39
7:37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ちあがり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 7:38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 7:39イエスはご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。


<メモ>
 この日は、主牧が他教会に招かれており、DVD視聴となりました。
「聖霊さまにいていただくべき心の中心に、自分が居座り、しかも傲慢にふんぞりかえっている」、このような一言に、謙遜になりなさいよと諭された気がしました。

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「 trust 」

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 女流詩人のOさん。彼女と話したくなって訪問したのはいつであったか。その時は出かけているということであったが、間もなく帰られた。そこへアメリカ出身のALTの女性が現れ、成り行きで、一緒に「村の小さき教会」などをうたう。彼女が「えーと、いちばん好きなことばは」といった。わたしは、すかさずに「信頼」ということばを思い浮かべていた。「英語で信頼は何という、どれがいちばんふさわしいの?」と訊くと、辞書をひいてくださって、3通りあるが、「 trust 」がよいだろうということに。

 疑いは何も生産性にはつながらない。特捜であるなら、犯人をあげもするだろうけれども、ふつうの人間関係では、疑いは、何ももたらさない。マイナス思考と苦しみと自分を切り刻み傷つけるだけになる。「 trust 」、何という素晴らしいことばだろう。「信頼」こそが、自分を生かし、自分をプラスに導くと信じる。

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    ☆
 けさはクラシック倶楽部がなく、ちょっと残念。最近で印象にのこったのは、ビオラ・ダ・ガンバの演奏。フォルテピアノ、これでベートーヴェンを弾くのは、サイズの合わない服を、窮屈でも無理に着せてしまうことに似ている。コンチェルト・イタリアーノ、静かな心境になる。
 名曲アルバム、「北九州炭坑節」には、資料映像を見ながら胸を打たれる。どこかの酔っぱらいが歌うものだとばかり思っていたけれども、意識を変えた。昭和7年にニットーレコードから出ていたようだ。

   ☆

 7月並みの暑さ。午前中は、木陰に椅子を置いて、資料などをちょっとのあいだ当たり、それから、北海道の知人のお子さんたちが書いた物語、ノート2冊分を拝読。ノートを読みながら、資料から事実は書き連ねるが、小説をいま書きなさいといわれたら、果たしてこのように想像力を働かせられるだろうかと自分を危ぶむ。

※写真は19日早朝に写したものです。


 

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シンフォニエッタ盛岡 2018年春のコンサート

  土曜日は、シンフォニエッタ盛岡のコンサートでした。モーツァルトの40番、前のほうで聞いたこともあり、目の前のステージ以上の編成かと思われました。とてもよかった!宮古市に住んでいたころに、子どもたちを乗せて海沿いを走りながら、カーステレオでかけたのが40番。真っ蒼な海が眼前に浮かび上がりました。懐かしさもあって、よいひと時をいただきました。
 映画音楽、アレンジ、自然な流れ、リズムにのり楽しかったです。指揮の方は、トランペットがご専門、「夜空のトランペット」などもお聞きしたかったですね。
 シンフォニエッタの前身を創設された成田先生はご自宅でか、奥様のお姿はお見掛けしましたが、ご挨拶しようとしたときには、もう帰られた後でしたか。代表者が替わられたようですが、コンミス席は、いつもの宮野さん。
 シンフォニエッタは、赤沢長五郎の流れを汲んでおり、リスナーの一人として、いよいよのご活躍を祈りつつおります。善意には感謝申し上げます。よいコンサートを有り難うございました。

※若干トリミングしてございますが、以下にプログラムをご紹介いたします。
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きょうのことば

  先週は主人の所用で、宮古市まで出かけてきました。片道2時間。教会は欠席しました。教会を欠席するのは、年にいちどか2度しかありませんが。
 真崎海岸に立ち寄ってきました。3・11でえぐられた傷跡もそのまま。薄墨で描かれたような雲のしたで、波が、飽かずに打ち寄せ、飛沫をあげ、時の間ためらうように砕けては返してゆきます。すっきりと晴れ上がっていないこともあり、まだまだそこかしこに、澱んでいる人の想いが見えるかのような景色でした。

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 いま6時。雨で延びていた近くの小学校の運動会開会を知らせるのろしが聞こえました。

  ☆

 きょうは、ウェブ上に、大変よいブログがありましたので、そこから転載させていただきます。癒しのことばとして取り上げてられていました。

(箴言4:20-23)
                    
「わが子よ。わたしのことばをよく聞け。


わたしのいうことに耳を傾けよ。


それをあなたの目から離さず,あなたの心の内に保て。


見いだす者には,それはいのちとなり,その全身を健やかにする。


力の限り,見張って,あなたの心を見守れ。」


 

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盛岡タイムス「楽都のユニゾン」連載第29回

 きょうの盛岡タイムスに、当ブログの筆者が寄稿している「楽都のユニゾン 鳥取春陽と太田カルテット」の連載第29回が載っています。コンビニでお求めいただけますので、購読いただければ嬉しく思います。


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なみだをこぼす鈴蘭-苦しんでいる友達に捧げるー  ぶんな詩

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ああ
ほんとうに
なみだが出ます
どうしてこうなのか
どうしてああなのか
それが罪が原因だというなら
じつは
もう
何千回も悔い改めました
それでも
なみだがにじみ
なみだは流れます
 
きよいものが
きよいほどに
きよいばかりに
後からあとから
なみだが出るのです

じぶんを洗って
すみずみまで洗って
頭のてっぺんから
指先
足のつま先まで
洗って洗って
もう
からだじゅうが
真っ赤に腫れるくらいに
洗えば洗うほどに
なみだはこぼれる

きよいものの悲しみが
なぜこんなに深いのか
それはまるで
永遠に
解けることのない
複雑で難儀な
パズルのようです

けれども
そのたくさんのなみだが
いつしか
ひとにも知られずに
小さく
ひっそりと
透明な紫色に輝く
勲章となるように
祈ります
いのります



 

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チューリップ

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きょうのことば

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  先週の教会の説教は『福音の奥義』  (國光勝美牧師) 、聖書引照は、コロサイ1:24~29でした。

1:24今、私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 1:25私は神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、 1:26すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。 1:27この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 1:28私たちは、このキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。 1:29このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

  

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たんぽぽ   ぶんな詩

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いっしょに咲いてもいたけれど
綿毛になっちゃ仕方がない
そろそろ
お先に失礼するよ
いつ吹くかもわからない
どこに吹くかもわからない
気の向くままに浮き沈む
風の乗り物にのって
まもなく僕は旅に出る
水色の空を感じながら
こっちかな
あっちかな
僕が着地するのは
どっちだろうと
そこいらじゅうを見まわしている
りっぱなりっぱな目標も
より所もなく
ふわふわと
あくびをしたりこらえたり
目をつむっては瞬きしながら
僕の危うげな低空飛行
僕は
僕の知らないうちに
そこがどこかは知らないけれど
やがては
ふわりと地に落ちて
やがて芽吹いて
やがて咲く
黄色いきいろい
小さな花の
たっくさんの花弁の中で
ふふふ
ふむふむ
くすくすと
虫なんかにも愛想して
そこでぐんぐん根をのばし
光をいっぱい身に浴びる
てらうことなく
そのまんま
つくねんのほほん
笑い咲く




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きょうのことば

 GWの最終日です。一昨日、パソコンを新しくし、きのうデーターを移行してもらい、不慣れながら何とか更新しています。
 去年、枝をかなり刈りこみ、丹念に樹皮をはがした白っぽい葡萄の樹肌のそちこちに、新しい芽がぷちぷちと吹きだしています。咲こう、実ろうとする生命力が、いま、湾曲するこの樹木のうちに漲っています。「我は葡萄の樹、なんじは枝なり。人もし我におり、我また彼におらば、多くの果を結ぶべし」ということばが浮かびました。
 まわりには、真っ赤な木瓜、そして黄色い山吹がたわわに咲き、ことしやっと花房をつけた大手毬の花が、まだ緑色をして、爽やかな朝の空気をいっぱいに吸いこんでいるようです。

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 先週の教会の説教は『奥義なるキリスト』  (國光勝美牧師) 、聖書引照は、コロサイ1:24~29でした。

1:24今、私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 1:25私は神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、 1:26すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。 1:27この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 1:28私たちは、このキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。 1:29このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

  

 

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微塵となった桜

さくらはもう消えてしまった
そう思うのは
なにかさびしい
そこに生きていたものが
消えるなんてことは
どうしたって
あってはならない
いちど咲き
いちどは散るけれど
落ちて
色あせて
土に埋めこまれるだけじゃない
美しさや
優しさは
みんなみんな
朝日が輝いたそのときに
すっかり砕かれた
硝子の微塵となって
真っ青な大空に
すんなりと溶けだし
またどこかで蕾となって
またどこかで
誰かの頭上に
たわわに
たわわに咲いて
そして咲きつづける
枯れるように見えても
それは枯れない
永遠に
それは枯れてはならない

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