盛岡タイムス連載「楽都のユニゾン 鳥取春陽と太田カルテット」22回目について
盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン 鳥取春陽と太田カルテット」、今回で第22回となる。
今回は、日本ではじめての流行歌雑誌「演歌」、これが当初はビラ本だったのだが、この執筆陣の名を10人ばかり書き込んで、ぜんぶ消して書き換えた。いまは誰にも知られていない名前を見たとしても、おもしろい人はいないだろうと思われた。
「読売業」ってなに? と思われる方もあるかと。読売業の元祖は瓦版だと思っていただければ。瓦版が進化して読売業となる。現在の読売新聞の読売もここから出ている。
木村駒子って?
一応、ウィキペディアがわかりやすいので、転記したい。
木村駒子(1887~1980)大正・昭和期の日本の女優、フェミニスト、神秘主義研究家。
霊能者として夫とともに「観自在宗」を作って霊術治療をする一方、婦人団体「新真婦人会」を組織し、浅草新劇の女優にもなった。本名、黒瀬駒(子)。
1913年(大正2年)、独身者中心だった平塚らいてうの青鞜社に対抗して、既婚女性の団体として、社会主義者、西川光二郎の妻・西川文子、預言者の宮崎虎之助の妻・宮崎光子[6]とともに小石川白山御殿坂に「新真婦人会」を開設。雑誌『新真婦人』を刊行していたが、実務家の文子が会を主導するようになったため、駒子は演劇に方向転換を図る[3]。浅草金龍館の曾我廼家五九郎一座に加入して人気女優になり、高給を得るようになる。
1917年(大正6年)、一家でアメリカに渡る。8年後に帰国し、舞踏の指導などを行なう。芸術大学創設のため三河島に仮校舎を建てるが、断念[4]。1980年(昭和55年)、92歳で没。
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