天気が気がかり
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昨朝は山田耕筰、「かちどきと平和」だけになったが、こんな曲を聴けるときは、NHKがありがたく思われる。ニュース番組の編集では、圧力、統制もあるのだろうが、音楽はまだ健全かなと。
今朝は、今頃、外は冷えに冷えて、この5時には、しっかりと冷え込ませているだろうと思いながら、武満、武満と起きだしスイッチオン。
映画音楽で、ゆかりのアーティストの自由なアレンジでのセッション。渡辺香津美(ギター)、coba(アコーディオン)、鈴木大介(ギター)、ヤヒロ・トモヒロ(パーカッション) 。「不良少年」、「伊豆の踊子」、「どですかでん」、「日本の青春」、「太平洋ひとりぼっち」、「他人の顔」、「写楽」 など。
ワルツ、シャンソン、ジャズなどを取り入れている。アレンジは、用いられる楽器のためばかりではなく、曲が、その時代時代に生きのこっていくためにも必要なのかも。
cobaのアコーディオンはすばらしいと思っていたが、武満の眼に、というより耳に、だろうが、とまり、彼は武満の八ヶ岳の音楽祭に招かれたことがあったらしい。
ここ一週間ばかり、頭の中で、「ドナウ河の漣」が、それも、幸田延、安藤幸、海軍、陸軍軍楽隊が鹿鳴館で弾く、それに憧れ、太田カルテットが弾く「ドナウ河の漣」が鳴りつづけていたのだが、ここで曲が入れ替わった感じが。
パソコンが不安定で、ブログ更新が億劫になっていたのだが、何とか今朝はアップしてみた。
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スピードスケート女子金、カーリング女子銅で沸いた朝7時、不安要素のニュースが多い中で、元気と明るさをもたらしてくれました。
参考として開かれたのは以下のとおりです。
ピレモン書10節
第一コリント15:1~4
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村上哲男氏に関して
太田上鹿妻
1893~1982
大正11~24年間、旧太田村助役
昭和22~8年間、村議会議員
沢田橋の架け換え、太田小学校の増築、太田村誌「朝暾に額づく」の編纂に関わる
太田米の生産、名声向上に寄与
昭和23年太田農協設立。初代組合長
宰郷、稲荷場に親しく出入りし、関わってきた人物
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大雪に対応しながら、また、ピョンチャン五輪の活躍にわいたきのうでした。そうそう、神のことば、とPCをあけています。花巻にいたときには、よく「日は君臨し輝きは」と歌う機会が多くありましたが、日曜となれば、GODは尚も君臨す、なのです。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『頭なるキリスト』(説教國光勝美牧師)、聖書引証はコロサイ書1:15~20でした。
1:15御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。 1:16なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 1:17御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 1:18また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。 1:19なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 1:20その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
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けさは、除雪などでおおわらわ。それでも陽はあかるく、地域の集まりがおわるまでは、よい天気だった。感謝!
みどりがいい。はやく土があらわれて、芽をだしてほしいものだ。
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きょうは、わりあい暖かな朝、といっても5時の室温は6℃、そとはおそらく1℃、0℃といったところかと。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝メッセージは『キリストの平和』(説教國光勝美牧師)、聖書引証はコロサイ書3:15でした。
コロサイ書3:15
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
<メモ>
環境に影響されることなく、心深くに持ち続けられる平和がキリストの平和である。信頼していた弟子たちが裏切ったときでさえ、キリストの内には平和があった。これを持たせていただきたい。キリストは、生ける神です。神は生きておられます。この神を拝させていただきたい。
スティーブン・メディカルという方は、日本人が満州を支配していた当時、日本人憲兵が中国の方を殺害する現場に居合わせ、どうしても日本人を赦せなかった。しかし、「汝の敵を愛せよ」という神のことばのまえに悔い改め、日本人のために祈り、戦後、マッカーサーが、日本にきてくれる宣教師を募った時に、スティーブンは応募し、日本宣教に自らを捧げました。
先ず、主の前に悔い改めるべきところを悔い改めて進んでいくことが大切です。
簡略に記しましたが、以上のようなおすすめがありました。
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明治、大正の詩人たちを見ていくうちに、三木露風の詩が目に留まった。この時代の多くの文学者たちが、キリスト教の影響を受けている。
三木露風 詩
秣(まぐさ)の桶
キリストが、
秣の桶で生まれた日。
ながはなたばこが咲いている。
目を開いたキリストが、
一に見たのは、るりのそら。
二に見たのは、ながはなたばこ。
開け放した扉(と)があいて、
きしきし鳴っている。
鳥がなく、
家畜(けもの)が、めいとなく。
秣の桶で、
赤ん坊のキリストが、
手をあけて、握った、ながはなたばこ。
かぞヘて見たら数が十。
『こども雑誌』大正8年8月
☆
ながはなたばこをウェブでさがしてみたが、ハナタバコは出ているが、ナガハナタバコでは見つけかねた。
ハナタバコはナス科の多年草、別名ニコチアナ。丈は30~90㌢。花は6~10月。タバコに近い仲間。長い花筒の先に2~5cm星型の花を咲かせる。葉はやや大きめ、株はロゼットで花茎を直立させる。暑さに強い。
☆
露風がなぜこの花を詩に詠み込んだのか、幼子イエスにこんな星形の美しい花がふさわしいと思ったものか、果たして、ほんとうにこの花をイメージして書いたのかどうかも判然とはしない。ただ、「数が十」で、この意味は、キリストの誕生でモーセの十戒が反故になるのではないという意味なのか、或いは、十戒をすべて守り得るお方という意味であるのか、そこのところは想像するのみ。
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盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン 鳥取春陽と太田カルテット」、今回で第22回となる。
今回は、日本ではじめての流行歌雑誌「演歌」、これが当初はビラ本だったのだが、この執筆陣の名を10人ばかり書き込んで、ぜんぶ消して書き換えた。いまは誰にも知られていない名前を見たとしても、おもしろい人はいないだろうと思われた。
「読売業」ってなに? と思われる方もあるかと。読売業の元祖は瓦版だと思っていただければ。瓦版が進化して読売業となる。現在の読売新聞の読売もここから出ている。
木村駒子って?
一応、ウィキペディアがわかりやすいので、転記したい。
木村駒子(1887~1980)大正・昭和期の日本の女優、フェミニスト、神秘主義研究家。
霊能者として夫とともに「観自在宗」を作って霊術治療をする一方、婦人団体「新真婦人会」を組織し、浅草新劇の女優にもなった。本名、黒瀬駒(子)。
1913年(大正2年)、独身者中心だった平塚らいてうの青鞜社に対抗して、既婚女性の団体として、社会主義者、西川光二郎の妻・西川文子、預言者の宮崎虎之助の妻・宮崎光子[6]とともに小石川白山御殿坂に「新真婦人会」を開設。雑誌『新真婦人』を刊行していたが、実務家の文子が会を主導するようになったため、駒子は演劇に方向転換を図る[3]。浅草金龍館の曾我廼家五九郎一座に加入して人気女優になり、高給を得るようになる。
1917年(大正6年)、一家でアメリカに渡る。8年後に帰国し、舞踏の指導などを行なう。芸術大学創設のため三河島に仮校舎を建てるが、断念[4]。1980年(昭和55年)、92歳で没。
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