つづく冷え込み
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最低気温-10度以下がつづいていますが、暖房などに守られて活動ができることは感謝です。もし電気、ガス、灯油がなかったなら、生命維持さえも覚束ないのでは。バーベキュー用の炭は小屋にあります。昔の火鉢ものこっています。いざというときには何かの役に立つのかもしれません。使われなかった板材もあるにはありますが、ストーブがありません。人が厳寒には、酷暑にはいかに耐ええないかを痛感させられました。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『キリストの平和3』 (國光勝美牧師)で、聖書引証はコロサイ書3:15でした。
キリストの平和が、あなたがたを支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心をもつ人になりなさい。
メッセージをお聞きして、感謝の心を持つという事から考えると、不満だということは、わたしはあまり無いほうではないかと思う。あれが欲しい、これが欲しいということはあまりない。よし欲しいものがあったとしても、あれば嬉しいだろうが、無ければ無くてもどうということはない。感謝というと、自分がいったいどの程度のもので、どういう資格があるのだろうかと考えるとき、自分にはこれ以上望むことは分に過ぎているという考えに落ち着く。つまり、これで感謝すべきであるという地点に着地するのだ。ただ、心の平和となると、いらいらすることはまず無いけれども、時として怒りがこみあげることも無いではない。課題とすべきところです。
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写真にある、いまは盛岡市の老人ホームけやき荘となっている旧宰郷邸の跡地を訪れたのは昨年の12月半ば。調べをあまりに書籍にばかり頼ってしまっている反省からだった。
菩提寺の長松院に回ると、お参りに来ていたらしい女性が、「宰郷さんのことなら、ほら、むこうにある産直に行けば知っている人がまだいるから」と教えてくれた。宰郷、稲荷場の墓は訊かなくとも直ぐに見つけられるとおもっていたところ、まさしくその通りだった。本堂に近い墓石を見てあるくと、すぐにわかった。歴代の方々に思いを致して、心をこめ、両手を合わせた。

☆
関東方面にも降雪、息子たちが案じられる。向こうに行ってから、これまで無事故で来られたことに感謝!
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宰郷(佐々木家)では、この庭に、藩政時代、村に流れ着いた人々、みなしご達を常時30人は収容し、また食を求めて来るものには 施しをしていた。この代の忠兵衛は慈善家として知られていた。
忠兵衛の孫、佐々木和一郎は、傾きかけた家を10年計画で立て直そうとしたが、その徹底ぶりは、太田のカルロス・ゴーンかとも。大百姓制度を小作制に変える。これも、様々な見方はあるだろうけれども、経済の立て直しという観点から、何事も経済優先という考えはわたしは無いが、何れ、頭の切り替えがそこにあった。仏事にも酒を禁止するなど、駆けつけた人々の戸惑い、或いは不満、愚痴までが聞こえてくるようで面白い。家の中から近所まで、村中が、ぶつぶつ言っていたのではないか。しかし、和一郎は、自らも生涯、酒、たばこは口にしなかった。莫大な借財を8年で完済、以降は村のあらゆる事業に多額な寄付を惜しまなかった。
いまの経済事情は、当時とは違って、様々な要因があり、一概に、これに学ぶべしとは言えないまでも、企業の立て直し、商売の立て直しには、大いに示唆があると思われる。
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先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『キリストの平和2』(國光勝美牧師)で聖書引証は、コロサイ書3:15でした。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
イエスさまが十字架に架けられ、苦しみが耐えうる限界に達しても、尚、イエスさまがキリストがそこにあって、持ち続けていた平安、神の平安、神と共にある平安について語られました。イエスさまによって、はじめて神との和解があり、神との平和があり、心の平安が得られる。そしてそれは、心に与えられる聖霊によって分かることができ納得を得られるということです。
参考にコロサイ1:21、1:19,20、ヨハネ14:17があげられました。
ヨハネ14:17
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
コロサイ1:27
神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
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これもやらなくちゃ、あれもやらなくちゃ、それが、そちこちから無益な力に引っ張られているような心境になり、なにか集中力が削がれる。体外に力が無意味に拡散しているような心境に陥り、気持ちを切り替えるべく、ちょっと郊外にクルマを走らせた。すばらしい雪原を左手にしながらも、クルマを停める適当な場所がない。しばらく走るうちに信号が見えた。青だ。幹線を逸れて左折し、やっと見つけたスペースに横づける。

十数回ほどシャッターを切る。雪野原の輝き、陰影に癒され、他愛もなく美しさに納得、貼りついていた鱗のような、形にまではならない埃にも似たようなものをぱんぱんと叩き落として、クルマを切り返して方向転換、幹線にもどる。
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盛岡、12日から14日の最高気温は1.1~2度、最低気温は、-9.3~-8.2度。けさも-8。国の天然記念物である盛岡地方裁判所構内にある石割桜、この寒さによく耐えている。いまはカメラやスマホ、携帯を向けるひとも無く、周りの庁舎を見晴らしながら、薄青い空に、春はまだかと問うているかのようだ。
この石割ザクラには、とにかく咲かねばならぬ使命がある。ガンで余命幾ばくもない方が、最期に見たいといった桜であった。盛岡市の重要な観光資源ともなっている。
1932年の火災では、庭師である藤村治太郎が濡れ半纏で守り抜き、2000年には、樹木医の治療を受け、冬に向かう時期には、造園業者が高さ15mの支柱2本から76本の縄で枝を吊り、また10本の長木で支えてもらうという手厚い介護を受けている身でもある。まだまだ何とか咲いてほしいエドヒガンザクラ。咲かねばならぬエドヒガンザクラ、咲くすがたを見てもらい勇気を出してもらうために、この春も咲くであろう樹齢360年を超えるエドヒガンザクラなのである。
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明け方に雨がふっていることに気づき、昼間もふり続き、今もふっている気配だ。かなり雪も融けたろうと見ると、まだ大方がのこっている。
盛岡タイムスに800字原稿を提出して、こんどは文芸誌用に書かなければならない。気負わなくとも書けるときもあれば、熟考を要することもある。何れ締め切りがないと書かねばという意識が薄い。冬でなければ、たぶん庭先に出て土いじりでもしているのだろう。
雪の下では、こんなふうにビオラが咲いている。花の首を雪のうえに出してみた。
☆
いつだったろう、ほぼ90度に腰が曲がった女性の方が、杖をついて歩いていた。舗道を、ひたすらに前へと進んでいる。その一歩一歩に強い存在感があって、詩が数行浮かんだのだが、書き留めないでしまった。
近頃は、とんと歩かなくなってしまった。
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先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝の題は『数えよ、主の恵み』(説教國光勝美牧師)、聖書引証は詩篇103:1~5でした。
ダビデによる
1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
5 あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
また、「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ8:10)が取り上げられ、あなた方は、何を感謝し、喜びとしていますか?」との問いかけがありました。
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