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2018年1月

つづく冷え込み

 

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  空はこんなに明るいのだ が、外は氷点下。午後の4時頃には、この冬に庭に出した寒暖計が-5だった。ペチカやオンドルがないここでは、もっぱら電気、ガス、灯油。まだまだ続くこの寒さ。どうかみなが守られますように!

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岩手県民オーケストラ第69回定期公演

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 去年は、なにかと忙しく、コンサートには行けないでしまいましたが、やっと昨日、県民オケの定演を聴いてきました。
 「英雄」に間に合って入場。午後のひと時、久しぶりに豊かな時間をいただきました。

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※下線は、私的メモ書きです。

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きょうのことば

 最低気温-10度以下がつづいていますが、暖房などに守られて活動ができることは感謝です。もし電気、ガス、灯油がなかったなら、生命維持さえも覚束ないのでは。バーベキュー用の炭は小屋にあります。昔の火鉢ものこっています。いざというときには何かの役に立つのかもしれません。使われなかった板材もあるにはありますが、ストーブがありません。人が厳寒には、酷暑にはいかに耐ええないかを痛感させられました。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『キリストの平和3』 (國光勝美牧師)で、聖書引証はコロサイ書3:15でした。

キリストの平和が、あなたがたを支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心をもつ人になりなさい。

 メッセージをお聞きして、感謝の心を持つという事から考えると、不満だということは、わたしはあまり無いほうではないかと思う。あれが欲しい、これが欲しいということはあまりない。よし欲しいものがあったとしても、あれば嬉しいだろうが、無ければ無くてもどうということはない。感謝というと、自分がいったいどの程度のもので、どういう資格があるのだろうかと考えるとき、自分にはこれ以上望むことは分に過ぎているという考えに落ち着く。つまり、これで感謝すべきであるという地点に着地するのだ。ただ、心の平和となると、いらいらすることはまず無いけれども、時として怒りがこみあげることも無いではない。課題とすべきところです。

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旧宰郷邸2

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 写真にある、いまは盛岡市の老人ホームけやき荘となっている旧宰郷邸の跡地を訪れたのは昨年の12月半ば。調べをあまりに書籍にばかり頼ってしまっている反省からだった。
 菩提寺の長松院に回ると、お参りに来ていたらしい女性が、「宰郷さんのことなら、ほら、むこうにある産直に行けば知っている人がまだいるから」と教えてくれた。宰郷、稲荷場の墓は訊かなくとも直ぐに見つけられるとおもっていたところ、まさしくその通りだった。本堂に近い墓石を見てあるくと、すぐにわかった。歴代の方々に思いを致して、心をこめ、両手を合わせた。


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   ☆

 関東方面にも降雪、息子たちが案じられる。向こうに行ってから、これまで無事故で来られたことに感謝!

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旧宰郷邸

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 宰郷(佐々木家)では、この庭に、藩政時代、村に流れ着いた人々、みなしご達を常時30人は収容し、また食を求めて来るものには 施しをしていた。この代の忠兵衛は慈善家として知られていた。

 忠兵衛の孫、佐々木和一郎は、傾きかけた家を10年計画で立て直そうとしたが、その徹底ぶりは、太田のカルロス・ゴーンかとも。大百姓制度を小作制に変える。これも、様々な見方はあるだろうけれども、経済の立て直しという観点から、何事も経済優先という考えはわたしは無いが、何れ、頭の切り替えがそこにあった。仏事にも酒を禁止するなど、駆けつけた人々の戸惑い、或いは不満、愚痴までが聞こえてくるようで面白い。家の中から近所まで、村中が、ぶつぶつ言っていたのではないか。しかし、和一郎は、自らも生涯、酒、たばこは口にしなかった。莫大な借財を8年で完済、以降は村のあらゆる事業に多額な寄付を惜しまなかった。
 いまの経済事情は、当時とは違って、様々な要因があり、一概に、これに学ぶべしとは言えないまでも、企業の立て直し、商売の立て直しには、大いに示唆があると思われる。

 

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大雪

 

さて、あすは何度まで下がるのだろうと案じながらいたところ、けさの最低気温は-9。きのうはずっと除雪車が動いていたようでした。廊下のガラスは凍てつき、すりガラスのように。外はこんなに雪が積もりました。

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晴れ、曇り、雪、大荒れ

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 いま22時、先週の写真をアップしたところで、外では、除雪車が入ってきた音がしている。土曜まで大荒れになるようだ。


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浅沼誠子さんの時代小説『峠越え』出版パーティー

 2018年1月20日(土)ホテル東日本の介寿荘で、もりおか童話の会代表浅沼誠子さんの出版記念祝賀会があり、みなさまの温かい祝福に包まれました。

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 右が浅沼誠子さんです。
 著書は県下の主な書店で発売中! 

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きょうのことば

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教は『キリストの平和2』(國光勝美牧師)で聖書引証は、コロサイ書3:15でした。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

 イエスさまが十字架に架けられ、苦しみが耐えうる限界に達しても、尚、イエスさまがキリストがそこにあって、持ち続けていた平安、神の平安、神と共にある平安について語られました。イエスさまによって、はじめて神との和解があり、神との平和があり、心の平安が得られる。そしてそれは、心に与えられる聖霊によって分かることができ納得を得られるということです。
 参考にコロサイ1:21、1:19,20、ヨハネ14:17があげられました。

ヨハネ14:17

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

コロサイ1:27

神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
 

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雪原

 これもやらなくちゃ、あれもやらなくちゃ、それが、そちこちから無益な力に引っ張られているような心境になり、なにか集中力が削がれる。体外に力が無意味に拡散しているような心境に陥り、気持ちを切り替えるべく、ちょっと郊外にクルマを走らせた。すばらしい雪原を左手にしながらも、クルマを停める適当な場所がない。しばらく走るうちに信号が見えた。青だ。幹線を逸れて左折し、やっと見つけたスペースに横づける。

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 十数回ほどシャッターを切る。雪野原の輝き、陰影に癒され、他愛もなく美しさに納得、貼りついていた鱗のような、形にまではならない埃にも似たようなものをぱんぱんと叩き落として、クルマを切り返して方向転換、幹線にもどる。

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写真一枚

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水の変幻

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水の変幻

掬えば指のあいだに
はかなく落ちゆく水は
だだっ広い空に
斑点のようなかたまりを散らしてみたり
方解石色の入道雲をそびえさせたり
地上に黒く分厚い蓋をかぶせてみたりと
風の向くまま気の向くままの変幻自在
霧とも靄とも
霰とも雹ともなり
雨や雪ともなって
山を川を流れ下る
あるときは潤し
あるときは湿らせ
あるときは形あるものをこぼち
かんかんと凍てつく日には
石のように硬く重く
滝の落下さえ形を留めて動かない
滴る水は凶器のように鋭く
川べりに打ち付けられる波は
飛沫は飛沫でつなぎ合わされ
幾通りものガラス細工と輝く
夏ともなれば
すべての形あるものは失せて
また黙々と
川下へ川下へと
ひたすらに流れゆく


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石割桜

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 盛岡、12日から14日の最高気温は1.1~2度、最低気温は、-9.3~-8.2度。けさも-8。国の天然記念物である盛岡地方裁判所構内にある石割桜、この寒さによく耐えている。いまはカメラやスマホ、携帯を向けるひとも無く、周りの庁舎を見晴らしながら、薄青い空に、春はまだかと問うているかのようだ。

 この石割ザクラには、とにかく咲かねばならぬ使命がある。ガンで余命幾ばくもない方が、最期に見たいといった桜であった。盛岡市の重要な観光資源ともなっている。
 1932年の火災では、庭師である藤村治太郎が濡れ半纏で守り抜き、2000年には、樹木医の治療を受け、冬に向かう時期には、造園業者が高さ15mの支柱2本から76本の縄で枝を吊り、また10本の長木で支えてもらうという手厚い介護を受けている身でもある。まだまだ何とか咲いてほしいエドヒガンザクラ。咲かねばならぬエドヒガンザクラ、咲くすがたを見てもらい勇気を出してもらうために、この春も咲くであろう樹齢360年を超えるエドヒガンザクラなのである。

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「百万人の福音」から

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先週は、地域行事の動員があり、また、親族の集まりもあり、教会をお休みしました。そこで、きょうは、「百万人の福音」から、おもしろい訳を載せておきます。

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冬の造形

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 折れた葦の先っぽでしょうか、枯れていてよくわかりませんが、とにかくその先っぽに、こんな氷ができていました。

 きょうも寒い一日でした。あすは、また新しい作品が出来上がっているかもしれません。自然にある色彩、造形の多くが、もうそのままで完璧であると思わせられます。

 

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冷え込み

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 けさの冷え込みで、川べりに、こんな造形が。

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空もよう

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照らしたくとも、遮る雲のむこうで、歯噛みする冬の太陽。

 

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真冬の雨

  明け方に雨がふっていることに気づき、昼間もふり続き、今もふっている気配だ。かなり雪も融けたろうと見ると、まだ大方がのこっている。
 
 盛岡タイムスに800字原稿を提出して、こんどは文芸誌用に書かなければならない。気負わなくとも書けるときもあれば、熟考を要することもある。何れ締め切りがないと書かねばという意識が薄い。冬でなければ、たぶん庭先に出て土いじりでもしているのだろう。

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 雪の下では、こんなふうにビオラが咲いている。花の首を雪のうえに出してみた。

   ☆

 いつだったろう、ほぼ90度に腰が曲がった女性の方が、杖をついて歩いていた。舗道を、ひたすらに前へと進んでいる。その一歩一歩に強い存在感があって、詩が数行浮かんだのだが、書き留めないでしまった。
 近頃は、とんと歩かなくなってしまった。
 

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白鳥はきょうも元気!

 6日に、兄弟姉妹、甥姪、その子どもたちが、東京から9人、県下から11人、一同に会した。年齢の幅は、76~1,6歳。歓談しながら、互いに元気でいることを喜ぶ。そして、世代交代が進んでいることを実感。みんなのために自分ができることの少なさを申し訳なく思いつつ、しかし、いまを少しでも頑張って生きることが、何らかの証しにはなるだろうと思った。

 この寒いさ中、小さいちゃんたち、よく来てくれたのね。白鳥にも会っていったもよう。忙しくて同行できず、ごめんなさい。

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きょうのことば

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝の題は『数えよ、主の恵み』(説教國光勝美牧師)、聖書引証は詩篇103:1~5でした。

ダビデによる
    1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
    私のうちにあるすべてのものよ。
    聖なる御名をほめたたえよ。
    2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
    主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
    3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
    4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
    5 あなたの一生を良いもので満たされる。
    あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

 
 また、「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ8:10)が取り上げられ、あなた方は、何を感謝し、喜びとしていますか?」との問いかけがありました。              

            
 
   
 


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スターバト・マーテル

スターバトマーテル ヴィヴァルディ の動画検索結果

 早朝、まだ部屋が温まりきらないが、流してみたのが、ヴィヴァルディ版スターバト・マーテル。聖母の悲しみ。切々として真理の内奥ともいうべき境地に聴くものを引き連れる。
 磔刑にあうキリストのすがたを見たくはない、しかし見あげ、深い悲しみと嘆きを、やわらげるものの何ひとつ無いままに、たとえ心が、魂が、ずたずたに切り苛まれようとも、現実を微塵も違えることなく、そのまま受け入れざるを得なかった母マリアの痛ましさ。

 元旦の礼拝では、「平和は、一個人のキリストとの平和から」とのメッセージがあった。この平和のために、キリストは十字架で血を流し、その家族たちもまた、想像を絶する恥辱と苦痛を味わわされたのだ。

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鳥の影

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水の面にすべり
先んじることなく
遅れることなく
波だっていようと
静まっていようと
鳴きもせず
笑いもせず
不平をいわず
呟きもせず
ため息もつかずに
光のあるかぎりは
寄りそい
そっと着きしたがう
鳥たちの影

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宮古ジュニア弦楽合奏団と仲間たち

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宮古ジュニア弦楽合奏団第52回「音楽の夕べ」。いただいた年賀状にあった写真をお借りしました。
 昨年は、とにかく忙しく、また一つときに忙しいことが集中してしまうために、行き届かぬことが多くあったことを、自ら残念に思っております。
 こうして、いま、ゆっくりとお写真を拝見し、記憶から、数々の演奏の響きがよみがえり、それがまた海のきらめきとなって、胸中を明るく照らしてくれました。

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白鳥

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鳥たち

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日が出るのを見計らい、高松の池に。凍てつき、バリバリと音をたてる路を踏みながら、水面が照らされるときを待つ。高くにある、雲のむこうの光をあおぐ。覆いがややに掃われて、降り立つ精霊のつぶやきに、打ち出される白銀の波模様。底深い青に染まりながら、か細く鳴き、鳴く声を曳きながら、どこへともなく水面をすべる鳥たち。
 

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雪に咲く花・春に咲く花

 いつもの新しい朝。きのうと違っているのは、カレンダーの2018の笑顔。
 元旦です。365日の幕あけです。
 きょうから、果たして、どんな一日が、日々に詰まっているのでしょう。
 2018の新たなドラマ。
 良いことも、大変なことも、できるなら自然体で、
 それで間に合わなければ少々の無理もしながら、
 精いっぱいこなしていきます。

 ついさっき、笑っていた2018。それが、いまは、ちょっと苦笑い。

 新年、スタートです!
  どうぞ宜しくお願いいたします!!

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