撮り損ねた写真
紅葉しているブルーベリーに、一昨日、雪が。
そのブルーベリーの木に、5月には白い花が咲いていた。
☆
撮っておきたかったもの、けれども撮らないでしまったものがたくさんある。カメラを取りにいくのが面倒だった、取りに行っているうちに被写体が消えていた、出かけられなかった、技術的に無理だとあきらめた、許可がでないだろう、など、理由はさまざま。
枝にとまったトンボ。命つきて砂利に落ちていたトンボ。青空が広がった午前の岩手山。星。奇跡的に大きく育ったキアゲハの幼虫。石のあいだに力尽き死んでいたスズメバチの雄姿。葡萄。トマト。雨ふる街。野良仕事すがたのお爺さんが内緒で孫にソフトクリームを食べさせている案山子。真っ赤に紅葉した大きなカエデ。公園で見かけた子どもたち。教会のお子さんたち、と、ごく日常的なものばかりだ。
撮るなら今だ、とわかっていても、手足が即座に動かなかったり動けなかったり、動くまでに時間がかかったり、戸惑ったり。これが齢をとったということなのだろう。確かに忙しくもある。
キアゲハの幼虫は、すがたを消した。鳥に食べられたか、蛹になるべくどこかに移動してしまったかだ。近年に見たなかでは、一まわり大きく重みを感じさせた。来春に羽化して、或いは、それがあの幼虫だなとわからなくとも、目の前に現れるかもしれない。食べられてしまったとしたら、これも自然に還っていったことには違いない。食べられないで羽化できたキアゲハ、いきのこれたものは、奇跡の一頭だ。食樹であるサンショウの木は何本もあるが、それについた幼虫はまだ大きくなりきらないうちに、ほとんど姿が消えている。餌食となってしまっている。どんな理由で生きのこるものは生きのこるのか、わたしにとっては謎だ。生きのこらなかった理由も謎だ。
写真に撮ったものを考えずに、なぜ撮らなかったものにこだわり、いま思いめぐらしているのか、これも可笑しなことなのかもしれない。
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