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2017年11月

天沼三津子 七宝ジュエリー展のご案内

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つくばい

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 旧宰郷邸にあるつくばい。訪れた人々が、このつくばいに寄って、手をきよめたかもしれない。

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キャンドルサービス、クリスマス礼拝のご案内

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ヨハネ3:16

 5時25分、漸う点けたストーブに部屋が温まり、まだ冷たい机に向かい座す。ことばを以って動き出すのがよいだろう、どこに書かれてあることばでもと思いめぐらすと、ヨハネ3:16が浮かんだ。

3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

    ☆

 目の前のコルクボードを見あげると、たくさんの写真がピンで止めてある。
 横浜、最近になって大磯に引っ越した中学校時代の親友と東京で会ったときの写真。彼女は独力で看護師となり、50年の職務を全うしたのだ。数十年ぶりに再開し、またの機会を約束して投宿している姉の家に帰るときには、涙が出てたまらなかった。何度目かに会って帰る途中に
は、電車にかけて昔のことをあれこれ考えているうちに、降りるべき駅を幾つも乗り過ごし、気づいた次の駅で慌てて降りて、逆回りの電車のホームに移動したことがあった。
 クリスマスに教会の方々全員がプレゼントを掲げた集合写真。
 吉川英治文学賞の受賞者で恩師の須知徳平先生を偲ぶ会に集まった「もりおか童話の会」の方々の写真。このうち4人の方が、いまはいらしていない。
 新国立美術館でコーヒーを飲んでいる姉との写真。
 亡き母の一周忌、一族が温泉に泊まったときに息子ふたりが並んで撮った写真。 亡き母と小岩井に行ったときに、丸太を狐に削った椅子にかけている母の写真。母は小岩井が好きだった。
 わたしが「北の文学賞」をいただいた時に、親族が集まって開いてくれたお祝い会の写真。
 いま朝日新聞に三田照子さんの戦争の体験取材が連載されているが、その三田照子さんが、病気の宣告を受けてから、沢内村に深沢晟雄の足跡をたずねたときに、白い蕎麦の花真っ盛りの畑を背景にして撮った写真。これは照子さんから送っていただいたもの。99歳で亡くなられた。戦争体験に耳を傾けるようになったのは、この方の影響だった。
 実家にあったわたしのお琴を前にして、まだ幼かった息子ふたりと息子の従妹ふたりが並んで撮った写真。4人は琴を習ってはいないのだが、亡き母が床の間を背景に、このように設えたのだ。わたしの姪である女の子たちは着物を着せられている。このお琴は、芥川賞作家三浦哲郎の姉が一戸でお琴の教授をしていたのだが、その方が、かつての持ち主であった母の従妹に選んでくれたものであることを後年に知った。
 最新版の赤ちゃんの写真。2016年6月生まれ。体重3400g。甥の長男だ。
 ことしのでは、刈屋に取材に行ったときの写真。同行してくれた近所の方2人と現地の方が並んでいる写真だ。鳥取春陽の生家の近く。背後には山の傾斜が映っているが、この斜面には鳥取一族7人の墓石があった。ほぼ二等辺三角形の自然石が重なっていた。あまり人さまに迷惑をかけまいと行きたいと言ってくださった方々とともに自らが運転し出かけた遠出だった。

 別な仕事をするために早起きしたのだが、いつになく写真に視線がいき、こんなことを書いて時間を費やしてしまった。
 思えば、学校時代に学びを楽しいと思ったことは一度もない。窓のそとを見てぼーっとしていることが多かった。それが今になって、定期的に机に向かうようになっている。昔の自分からは凡そ考えられないこと、同級生が見たなら、「いったいどうなっちゃったの?」と発するかもしれない。おかしなものだ。

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はじめにことばありき

 忙しいのと寒いのとで、更新がぐんと減ってしまいましたが、日曜日となると、朝にパソコンに向かっています。

 きのうも、雪景色、今朝も、きのう融けかねた雪が、屋根の上に、樹木の上にのこっています。空は、モスグレーがちょっとだけ鈍色を吸収したのかなという感じです。今しがた、雪がふってきました。これは積もりそうですね。

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 先週は、世界宣教のDVD視聴でした。
ヨハネ4:31~38

4:31そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。召し上がってください。」とお願いした。 4:32しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」 4:33そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」 4:34イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。 4:35あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。 4:36すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。 4:37こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。 4:38わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
 

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撮り損ねた写真

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紅葉しているブルーベリーに、一昨日、雪が。

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  そのブルーベリーの木に、5月には白い花が咲いていた。

  ☆

 撮っておきたかったもの、けれども撮らないでしまったものがたくさんある。カメラを取りにいくのが面倒だった、取りに行っているうちに被写体が消えていた、出かけられなかった、技術的に無理だとあきらめた、許可がでないだろう、など、理由はさまざま。
 枝にとまったトンボ。命つきて砂利に落ちていたトンボ。青空が広がった午前の岩手山。星。奇跡的に大きく育ったキアゲハの幼虫。石のあいだに力尽き死んでいたスズメバチの雄姿。葡萄。トマト。雨ふる街。野良仕事すがたのお爺さんが内緒で孫にソフトクリームを食べさせている案山子。真っ赤に紅葉した大きなカエデ。公園で見かけた子どもたち。教会のお子さんたち、と、ごく日常的なものばかりだ。
 撮るなら今だ、とわかっていても、手足が即座に動かなかったり動けなかったり、動くまでに時間がかかったり、戸惑ったり。これが齢をとったということなのだろう。確かに忙しくもある。
 キアゲハの幼虫は、すがたを消した。鳥に食べられたか、蛹になるべくどこかに移動してしまったかだ。近年に見たなかでは、一まわり大きく重みを感じさせた。来春に羽化して、或いは、それがあの幼虫だなとわからなくとも、目の前に現れるかもしれない。食べられてしまったとしたら、これも自然に還っていったことには違いない。食べられないで羽化できたキアゲハ、いきのこれたものは、奇跡の一頭だ。食樹であるサンショウの木は何本もあるが、それについた幼虫はまだ大きくなりきらないうちに、ほとんど姿が消えている。餌食となってしまっている。どんな理由で生きのこるものは生きのこるのか、わたしにとっては謎だ。生きのこらなかった理由も謎だ。
 写真に撮ったものを考えずに、なぜ撮らなかったものにこだわり、いま思いめぐらしているのか、これも可笑しなことなのかもしれない。

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いよいよ冬

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 白いベゴニヤと赤いビオラが雪に咲いていた今朝。身近にもいよいよ本格的な冬。

それを感じさせないかに、青空には、隣家の樹木の真っ赤な実が掛かっていた。

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    ☆

ふるさとの訛なつかし停車場の
人ごみの中にそを聴きにゆく    啄木 

 刈屋に取材に行ったときに、わたしは、刈屋独特のことば、方言を聞くのも楽しみにしていた。ところが、お会いした方々は、どなたも標準語、聞きたかった訛に出会うことはなかった。そういうわたし自身も、いつの間にか、立派な標準語とはいかないが、それに近いことば遣いをするようになっている。文化の平均化、画一化だ。ことば一つで一概に決めつけることはできないけれども。果たして今の若い方々のうちに、訛が生きていることばで話せる方がどれぐらいいるだろう。たまに自信に満ちた大阪弁が飛び込んでくる事はある。なぜか東北弁は、列車の中や駅構内、雑踏の中でも聞こえては来ない。たまたまわたしが、そういう機会に恵まれないだけなのだろうか。
 近代という時代の東北本線のような下り列車には、幾通りもの方言が蒸れかえるように交わされていただろうか。

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はじめにことばありき

 夜明けが遅い。朝日を待つときが長い。冬至、ことしは12月22日頃、このいちばん夜が長い日をこえ、クリスマスを迎えると、厳しい冬はあるけれども、心にはまた明るみが兆してくる。
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 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会に、ギデオン教会の方がいらっしゃいました。各方面に聖書をお配りしています。

 引証されたおことばは、ローマ1:16~17、『神の言・聖書』と題し、国光牧師からメッセージがありました。

1:16私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

  

 

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 植えた球根が掘り返されて、逆さまに転がっているのを見つけるたびに、また土を掘って植えなおしている。のら猫がトイレにしているのだ。土を掘るか、かけるときに、球根まで吹っ飛ばしている。猫は、球根を掘り返して困らせようとしているのではない。むしろ、ちゃんと穴を掘って用を足し、土をかけて汚物が見えないようにして去るのだ。行儀がいい。それで腹をたてる気にはならないのだ。これが猫の単なる習性なのかどうかは知らない。猫が庭に入れるようになっているのだから、入ってきても文句をいう筋合いではない。入ってきたからといって、別に腹も立たない。日当たりのよい枯草の上で昼寝をしているときには、できるだけそっとしておいている。時々やって来ては、樹の下や、草の繁みを探訪し、いつの間にかどこかへ帰っていくらしい。猫はふと立ち止まって住人を窺っている。住人は、この猫がつぎにはどう動くかを見ている。この距離が縮まりもせず遠くもなっていない。こんな一定の距離を置いて、猫のこの庭の散歩をずっと許容してきている。

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無題

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 とぶように過ぎていく日々。

      ☆

 いまの人を書きかね、ずっとむかしに生きたひとたちのことばかりを書いている。昔はよかったか、いまはどうなのか、近ごろわからなくなっているけれども、人の願い、望み、想いは、太古の昔もいまもさほど変わってはいないように思われる。

 

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はじめにことばありき

 今朝6時ごろには、東の空に黒い雲母のような雲が居座っていましたが、なかに空洞があり、そこに暁を知らせるかのような薄明かりがのぞいていました。6時40分、雲母の縁が茜色に照らされて白銀と輝いています。

 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会では、この教会で亡くなられた方々の記念礼拝がありました。

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 『永遠の住まい』と題し、ヨハネ黙示録21:1~7から、国光牧師の説教でした。

21:1また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

 説教によると、この世の次元で見ることが不可能であるものを、神は特別な使命のあるものには、瞬時的に見せてくださることがあり、ここに書かれているのがその一例である。このような天のエルサレム(神の平和)は、たしかに別次元にいま存在していると。
 

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朽ちてゆくこと

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 枯葉を花器に心をこめて生ける映像を見た。生ききった潔さとでもいうのだろうか。枯れることは還っていくこと、ネットにはそうもあった。枯葉を踏みしだく音をしずかに受け容れ、朽ちてゆくものに素直に親和しながら、そう遠くはない道を時にゆだねて、味わいゆっくりと歩む。

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友だちの絵画ー青の会展からー

 絵画、写真となると、実物とは趣が変わってしまうので、作品に申し訳なく、ためらいもあるのですが、ご紹介させていただきます。

 

 大信田時子さんの作品。4点出ていたのですが、写真がうまくいかず、2点だけをアップ。花、力強さもこもっていて素敵でした。

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 佐藤由紀子さん、あたたかいお人柄がそのまま彩色に出ていて、ほっとさせられます。4点ありましたが、やはり写真どりが難しく、2点だけのご紹介です。

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 青の会の方々の継続的な創作によって醸造された画風を感心して拝見しながら、自らの気まぐれで、状況や気分によって創作活動をあっさりと引っ込め、引き下がってしまいがちな実態を、これでは、まあ、と一矢受けとめたかたちとなりました。

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お茶の木と十六羅漢

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 お茶の木の写真を撮ろうと、十六羅漢公園にはいって、振りかえり仰ぐと、有明の月がすっきりと見えていました。


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花は10-12月初旬ごろに咲く。そのため「茶の花」は日本においては初冬立冬11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日ごろ〕)の季語とされている[3]。花は枝の途中の葉柄基部から1つずつつき、短い柄でぶら下がるように下を向く。花冠は白く、径2-2.5センチメートル、ツバキの花に似るが、花弁が抱え込むように丸っこく開く。ツバキ科ツバキ属
                      -wikipedia.org/wiki/チャノキ から転載ー

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江戸時代,盛岡藩の四大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作によって,領内には多くの餓死者がでました。祗陀寺14世天然和尚は,その悲惨な餓死者を供養するために,十六羅漢と五智如来の合計21体の石仏建立を発願しました。そして領内から浄財の喜捨を募って,1837年(天保8年)工事に着手しました。

下絵は藩の御絵師狩野林泉が描き,石材は市内の飯岡山から切り出し,藩の御用職人の石工7人が3年かかって荒刻みを行い,北上川を舟で渡して,建設場所の祗陀寺末寺の宗龍寺境内に運び入れ.最後の仕上げをしたものといわれています。

こうして,起工から13年目の1849年(嘉永2年),発願した天然和尚の孫弟子にあたる長松寺13世泰恩和尚のときに,ようやく竣工しました。

しかし,宗龍寺は明治維新後に廃寺となり,1884年(明治17年)の大火で寺院も焼失しました。現在は21体の石仏群を残す,市の公園となっています。

                           -以上、盛岡市のHPから転載ー

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   ☆  ☆  ☆

 いまの時季、花は、フラワーショップにはたくさんありますが、自然界にはすくなくなります。
庭には菊、ホトトギス、ベルケア、辛うじて四季咲きの薔薇、ビオラ、鉢ではゼラニウムが咲いています。しかし、樹木に咲く花はありません。チャノキの花ははじめて見ました。
 帰りに途で出会った隣の町で世話役として頑張っていらっしゃる方に話すと、この方が、茶道を本格的になさっているということで、今すぐ行って見てくると仰っていました。

 茶の花が、ここにある十六体の祈り、発案した、刻んだ方々の祈りと共に、餓死された方々に手向けられ、また時を超えて、来年に摘まれるはずの茶も併せて、献茶されているようにも感じられたこの朝でした。
 

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茶の花咲く

 きょうは、八幡宮方向に進路をとる。さらに茶畑に進むと、石造十六羅漢がある。江戸の四大飢饉の餓死者の供養に造られたという。盛岡市指定の有形文化財だ。この公園にあるお茶の木に、いま花が咲いているのに気づいた。白い5弁の花びらに、おしべが黄色い花粉をまとっている。お茶の木に花が咲くことは考えてみたこともなかった。カメラを持ってこなかったことが残念だった。

 撮りためた写真の中から一枚を。

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はじめにことばありき

 

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中の橋の傍の某銀行の薔薇園。

  ☆

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の國光牧師による説教は『神の言・聖書』で、宗教改革記念礼拝でした。聖書引証は第二テモテ3:14~17です。

3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、
      3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
      3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

  特に病にある方々、困難にある方々のためにお祈りいたします。さしたる力にもなれずに申し訳ない気持ちです。 

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ひだまりを探して

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 まいとし、同じところで立ちどまり、シャッターを押している。どこかは違うでしょう、しかし、どこが違っているかは比べたことがない。あ、あそこの木がなくなっている、とか、紅葉のあざやかさが増している、とか、言ってみたいものだが。ただ、天は、まだこんなスポットをのこしておいてくれていると思うことができれば、それでいいのだろう。
 寒くなってきている。ひだまりを探してあるこう。 

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あらえびす著『名曲決定盤』

 野村胡堂といえば銭形平治、そう思っていたときが長かった。音楽の方もなにか遺しているらしいと知ったときも、読んでみようと思わなかった。あらえびす記念館ができて数年経ったころに、この著書に出会った。銭形平治を読んでいないのだが、いまだに捕物帖とクラシックのギャップが埋まらない。
 それにしても、大正時代にこれだけの音楽評論を書ける人がいたのだ。

 あらえびす著『名曲決定盤』
昭和14年4月28日印刷
昭和14年5月3日発行
昭和14年6月1日8版発行
著者 野村長一
定価 2圓50銭
中央公論社

 わたしが所有しているのは、この版。

 音楽評論家の大御所だった吉田秀和氏は、最晩年にも、レコード芸術などに、あらえびすの著書から引いたものだった。

昭和24年『名曲決定盤』中央公論社 
1979(昭和54)年  同  改訂版
1981(昭和56)年  同 (上下)  中公文庫
2015(平成27)年  同  改訂版 中公文庫
      『名曲決定盤(上) 器楽・室内楽篇』、『(下) 声楽・管弦楽篇』

 いまに生き、これからも生き続けていくのだろう。あらえびすの耳と心、知性が、いかに曲の神髄にまで迫り、聴き分けていたかが窺われる。事実、自分の好きな曲をどう書いているかを開くと、教えられること肯かせられることが多くある。

 ☆

 あらえびす著『レコードによる古典音樂』
昭和12年12月10日印刷
昭和12年12月15日発行
定価 金1圓70銭
発行所レコード音樂社

 こちらは、「あらえびす 野村胡堂」と直筆のサインが入っている。         



 

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