ヨハネ3:16
5時25分、漸う点けたストーブに部屋が温まり、まだ冷たい机に向かい座す。ことばを以って動き出すのがよいだろう、どこに書かれてあることばでもと思いめぐらすと、ヨハネ3:16が浮かんだ。
3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
☆
目の前のコルクボードを見あげると、たくさんの写真がピンで止めてある。
横浜、最近になって大磯に引っ越した中学校時代の親友と東京で会ったときの写真。彼女は独力で看護師となり、50年の職務を全うしたのだ。数十年ぶりに再開し、またの機会を約束して投宿している姉の家に帰るときには、涙が出てたまらなかった。何度目かに会って帰る途中には、電車にかけて昔のことをあれこれ考えているうちに、降りるべき駅を幾つも乗り過ごし、気づいた次の駅で慌てて降りて、逆回りの電車のホームに移動したことがあった。
クリスマスに教会の方々全員がプレゼントを掲げた集合写真。
吉川英治文学賞の受賞者で恩師の須知徳平先生を偲ぶ会に集まった「もりおか童話の会」の方々の写真。このうち4人の方が、いまはいらしていない。
新国立美術館でコーヒーを飲んでいる姉との写真。
亡き母の一周忌、一族が温泉に泊まったときに息子ふたりが並んで撮った写真。 亡き母と小岩井に行ったときに、丸太を狐に削った椅子にかけている母の写真。母は小岩井が好きだった。
わたしが「北の文学賞」をいただいた時に、親族が集まって開いてくれたお祝い会の写真。
いま朝日新聞に三田照子さんの戦争の体験取材が連載されているが、その三田照子さんが、病気の宣告を受けてから、沢内村に深沢晟雄の足跡をたずねたときに、白い蕎麦の花真っ盛りの畑を背景にして撮った写真。これは照子さんから送っていただいたもの。99歳で亡くなられた。戦争体験に耳を傾けるようになったのは、この方の影響だった。
実家にあったわたしのお琴を前にして、まだ幼かった息子ふたりと息子の従妹ふたりが並んで撮った写真。4人は琴を習ってはいないのだが、亡き母が床の間を背景に、このように設えたのだ。わたしの姪である女の子たちは着物を着せられている。このお琴は、芥川賞作家三浦哲郎の姉が一戸でお琴の教授をしていたのだが、その方が、かつての持ち主であった母の従妹に選んでくれたものであることを後年に知った。
最新版の赤ちゃんの写真。2016年6月生まれ。体重3400g。甥の長男だ。
ことしのでは、刈屋に取材に行ったときの写真。同行してくれた近所の方2人と現地の方が並んでいる写真だ。鳥取春陽の生家の近く。背後には山の傾斜が映っているが、この斜面には鳥取一族7人の墓石があった。ほぼ二等辺三角形の自然石が重なっていた。あまり人さまに迷惑をかけまいと行きたいと言ってくださった方々とともに自らが運転し出かけた遠出だった。
別な仕事をするために早起きしたのだが、いつになく写真に視線がいき、こんなことを書いて時間を費やしてしまった。
思えば、学校時代に学びを楽しいと思ったことは一度もない。窓のそとを見てぼーっとしていることが多かった。それが今になって、定期的に机に向かうようになっている。昔の自分からは凡そ考えられないこと、同級生が見たなら、「いったいどうなっちゃったの?」と発するかもしれない。おかしなものだ。
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