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はじめにことばありき

  台風がどう動くのか、21号、岩手では23日を中心に大雨、大荒れとなるようだ。きょうは投票日。期日前投票は長蛇の列だった。いま4時15分、新聞配達のバイクが通り過ぎていった。雨がふっている。

 先週は、この地域の行事が午前中にあったので、教会を欠席。
『百万人の福音』10月号で、宗教改革を特集していたので、たまにはこんな事を書くのもよいかと思う。

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 マルティン・ルターは1483年11月10日アイスレーベン生まれ。鉱山労働者であったハンスとマルガレータの二男。1546年2月28日没。
 最後の信仰告白は

ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(みこ)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

1501~05年 エアフルト大学で哲学を学ぶ。
1505年 21歳 落雷に遭い、死の恐怖から、修道士になることを誓い、誓いどおり2週間後に修道院にはいる。熱心に修道生活を送るうちに、行いでは人は救われないと気づく。ヴィッテンベルク大学の教授職を得、聖書講義を行い、また聖マリエン教会での説教を担当。
「神の義は、人間側の行いによって与えられるのではなく、神からの働きかけによって得られるものであること、人はそれを受け取ることしかできない」ということに目が開かれる。神がイエス・キリストという人間になって、この世に来られ、十字架で人間の罪を贖い、神の恵みによって罪びとを無条件に義と見なし、神と人間の関係を回復させてくださったという感動と喜びが、宗教改革にかける情熱の土台となった。教会や聖人を通してではなく、キリストを通して神の子とされる。この真理のために、多くの抵抗や攻撃の中で、すべてを失うことも覚悟で当時の教会に抵抗し、聖書のドイツ語翻訳に身を投じていった。

 (『百万人の福音』10月号から)

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