渡辺弥蔵という人
【渡辺弥蔵(1879-1978)の音楽略歴】
明治12年12月5日誕生。福島県白沢村(現・本宮市白岩)出身
明治-昭和時代の教育者。
明治37年東京音楽学校(現・東京芸術大学)甲種師範科卒
同年4月盛岡中学校に赴任
明治39年7月同行退職
ヘンリー・タッピングとは、盛中を辞める年、4か月間だけ、同じ教職員として顔を合わせる。
新藤武が渡辺弥蔵の影響で音楽教師を目指す
音楽家梅村保も授業を受ける
盛岡にピアノが入ったのは、明治41年、宣教師タッピング夫妻がいた内丸教会附属の内丸幼稚園だった。タッピング夫妻は、ドイツの音楽学校でピアノを学んだ人。ピアノの正式なソロは、この婦人の演奏を嚆矢とする。このピアノは、当時、貴重なものだった。(盛岡市史)
渡辺弥蔵が授業で西洋のやさしい音楽を聴かせたというが、渡辺が盛岡市の藤沢座でヴァイオリンを演奏していることから、おそらくは、ヴァイオリンで弾いて聴かせたと思われる。
<盛岡の次は新潟にいたと思いましたが調べ中>
明治42年広島師範教諭となる
大正9年広島フィルハルモニー合唱団を結成。コンサート、ラジオ放送に出演。合唱の普及に務める。
大正14年、進徳高等女学校(現・進徳女子高等学校)着任
教頭だったときに、原爆に遭う。65歳だった。
昭和53年1月3日、広島市南区にて死去。98歳。
【作曲した校歌一覧】
広島県立広島商業高等学校
広島市立五日市小学校
広島市立船越小学校
廿日市市立廿日市小学校
広島県立広島中央特別支援学校
修道中学校・修道高等学校
山陽女学園 中等部 ・高等部
東広島市立竹仁小学校
進徳女子高等学校
広島市立石内小学校
呉市立横路小学校
東広島市立三津小学校
【著書】
最近楽典大要 1907
初等楽典釈義 1915
著書 楽器の解説 1917
【被爆体験の録音】
渡辺弥蔵の原爆体験記←クリックして聞いてください
| 固定リンク
« 庭仕事 | トップページ | 安定生産は年々厳しく? »
「音楽」カテゴリの記事
- 室内合唱団「日唱」の第40回定期演奏会があります。指揮は中館伸一氏。題して「受け継がれる魂~祖父・中館耕蔵の足跡をたどって~」(2025.04.15)
- 音楽雑感 これそれ あれこれ(2025.03.25)
- クラシック倶楽部あれこれ(2025.03.01)
- 新ダヴィット同盟(2025.02.12)
- クラシック エラール メモ(2025.02.05)
コメント