はやい、はやすぎる
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数百枚とためこんだ写真の日付をみると、9割が朝の4~7時までのあいだに撮っている。昼間はぐんと少なく、多くは庭の花々。夜となると、花火と自宅の窓から撮った月と星、こんなぐあいだ。
これはけさの写真。21号が去って、まだ掃き浄められていない階段。それでも日がさしてくると、木立には爽やかに明るみが。
葡萄の木の皮を剥がしていると、奇妙なふやけた紐のようなものがくっついている。よく見ると、命のつきかけたカマキリだった。緑色ではない、茶色でもない、ふやけて張りのない白木のようなゼリーのような感じだった。チョウも翅をぎざぎざにして塀に留まっている。みな自然界の命の到達点に向かっている。これらはみな自然な成りゆき、ひとにとっても、ごく当たりまえのことなのだ。
ところが、当たり前ではない、不自然で、非現実なことをいうひとがいる。常識からいえば、もう無茶苦茶だ。脳細胞のあらかたが損壊しているとしか思えない。しかし、それがイエス・キリストなのだ。彼はいう。
「わたしを信じる者は、死んでも生きる」
こう言い切れるひと、それはやはり神だろう。
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台風21号が日本列島で荒れまくるうちに、性急な選挙戦で自民圧勝。台風被害に真っ青、野党惨敗にまっ青。
台風が来るまえにぶどう棚を片づけた。砂利に落ちたぶどうに、さいごまでついていたアシナガバチ。攻撃する力を失くしたかに緩慢にうごいていた。これはもう今日中に死ぬかもしれない。翌日、砂利のあいだに死骸が背中を見せていた。球根を植え替えるために、そちこちを掘りかえすと、甲虫の死骸が出てくる。もしかすると、冬眠にはいっていたのかもしれないが、そこはわからない。さまざまな虫たちが、それぞれの生を終えて土に還っていく。ブンブンと羽音をたてて存在感を示していたハチが、いまは動力の切れた模型のようにひっそりと動かない。
冬が来る。
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台風がどう動くのか、21号、岩手では23日を中心に大雨、大荒れとなるようだ。きょうは投票日。期日前投票は長蛇の列だった。いま4時15分、新聞配達のバイクが通り過ぎていった。雨がふっている。
先週は、この地域の行事が午前中にあったので、教会を欠席。
『百万人の福音』10月号で、宗教改革を特集していたので、たまにはこんな事を書くのもよいかと思う。
マルティン・ルターは1483年11月10日アイスレーベン生まれ。鉱山労働者であったハンスとマルガレータの二男。1546年2月28日没。
最後の信仰告白は
ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(みこ)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
1501~05年 エアフルト大学で哲学を学ぶ。
1505年 21歳 落雷に遭い、死の恐怖から、修道士になることを誓い、誓いどおり2週間後に修道院にはいる。熱心に修道生活を送るうちに、行いでは人は救われないと気づく。ヴィッテンベルク大学の教授職を得、聖書講義を行い、また聖マリエン教会での説教を担当。
「神の義は、人間側の行いによって与えられるのではなく、神からの働きかけによって得られるものであること、人はそれを受け取ることしかできない」ということに目が開かれる。神がイエス・キリストという人間になって、この世に来られ、十字架で人間の罪を贖い、神の恵みによって罪びとを無条件に義と見なし、神と人間の関係を回復させてくださったという感動と喜びが、宗教改革にかける情熱の土台となった。教会や聖人を通してではなく、キリストを通して神の子とされる。この真理のために、多くの抵抗や攻撃の中で、すべてを失うことも覚悟で当時の教会に抵抗し、聖書のドイツ語翻訳に身を投じていった。
(『百万人の福音』10月号から)
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新渡戸は大正3年、東北研究のために、盛岡、二戸市、宮古市を含む沿岸各地を4か所と、途中6月23日に刈屋に来村。刈屋尋常小学校で「自治の精神」という題で講演。 内容は大正3年7月の21~23日の岩手日報に掲載されている内容とほぼ同じであったと思われる。
この帰途、新渡戸は自動車事故に遭っている。果たしてどれぐらいの高さを転落したのか、気になり調べると、大正3年7月26日の岩手日報3面に、「二間余の高さより横ざまに転覆」とあった。この春、東京帝国大学の教授として迎えられたこの国際人のけがに、関係者がどれほど心を痛め、焦慮したかが推測される。詳しくはこの日の新聞に、またけがの程度、経過は続報に詳しく出ている。とにかく治って帰ることができて、本人も、随行、関係者の人々もどんなに安堵したことだろうか。
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先週、インマヌエル盛岡キリスト教会で、深川教会の川嶋直行先生をお迎えしての集会が開かれました。
聖書の中でも有名なルカ伝15:11~32の放蕩息子からのお話で、題は『神のもとに立ち返ろう』でした。
15:11またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15:15それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
15:21息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
15:22ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
15:25ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、
15:26しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
15:27しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
15:28すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
15:29しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
15:31父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
「自分で神の国に帰ることはできないが、十字架をとおって救いにはいることができる」、この一点が心に留まりました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌9日には聖会があり、神谷光一先生が、ルカ19:33,34からお話くださいました。
ルカ
19:33彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。
19:34弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。
率直で謙遜なメッセージに共感!
来会者の方々が熱心に耳を傾けてくださったことも、感謝なことでした。
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目をさますと4時。まだ雨が降っている。病にある方の何と多いことか。身内、友人、知人とお名前をあげると10人にも。こんなもようのよくない日には、気もちを引きあげること自体がたいへんかもしれない。自分の無力さを覚えるときには、やはり祈っている。こう祈りなさいと聖書の中でイエスさまが教えている。祈りは天の、宇宙の力を引き寄せ、それに与り、浴することであるのか。理屈はともかく、こう祈りなさいと書いてある。
主の祈り
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花のなまえはわからないけれども、いただいて植えたところが、年ごとに増え、丈も1mと、なかなかの存在感に。きのう、おとといにかけて、株を三つにわけてべつなところに植えかえる。おととい掘りおこした球根も、ヒヤシンスだけをのこしてぜんぶ植えかえた。サクラソウ、これも近所の方にいただいたもの、うすいピンクでやさしい風情をつくってくれる。これも、どこかに移動させようと根をぜんぶ掘りだしたのだけれども、植えるためには新たなスペースが必要であり、ちょっとやりすぎたかなと時間のかけすぎを反省。
10月は地域のイベントも多く、そればかりではなく、やるべきことが山積み。庭はあまりに放っておきすぎた結果、ひどく雑然と繁っているさまを見かねての作業なのだ。ターシャが、庭づくりは草とりといっていた。ターシャの庭にはほど遠くとも、そのとおりで、草をほうっておくと、花は消えてしまう。草に強い花もあるはあるようだけれども。
ターシャの暮らしには力んだところがなく自然に溶けこんでいるように見える。広大な庭の手入れを怠らず、自給自足、絵本を描き、子育て中には、夢のある世界を手作りで与えている。疲れるということがないかに見える。体力も並外れた方であったのだろう。懐かしい映像から、いまは、ターシャの強靭なしなやかさが思い出される。
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先週は地域行事への動員がかかり、教会は欠席。
けさは、病気とたたかっている教会の方々や、友人、知人の方々が心を過った。八木重吉の詩に、「聖霊がなければいくら聖書を読んでもわからない」とあるけれども、聖霊は信じたときに与えられる。ことばが力となるのはそれから。
医学も病気退治のために健闘しているけれども、何とかお力にと、「おだいじに」、「祈っています」というけれども、時として、そのことに齟齬を覚える近ごろ、一個人の心のうちに、ほんとうに励まし、力となることばがあったならと思わせられる。
きょうは特別企画の集会の日です。
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きのう掘り起こした球根が、軒下に並べられている。きょうは雨。午後の3時ごろにはあがるかと待っていたが、霧雨とはなったものの晴れなかった。
きょうは午前中に、「リン」についてのはなしを聞く機会があった。リンは遺伝子の本体DNA、RNAをかたちづくる。光合成などのエネルギー伝達に関与する。リン酸は肥料の三要素の一つ。土壌中のFeやAlと結合して、植物が吸えない。リン鉱石の生産は特定の国に偏っている。日本はリン鉱石は100パーセント輸入。輸入先は主に中国、次いでヨルダン、南アフリカ。野菜畑にはリン酸がたまっている。過剰なリン酸では病気にかかりやすい。
施用量を減らす方法がいくつかあるようだが、苗の段階でリン酸カリウム溶液に浸漬してから定植すると、初期生育が促進され、圃場へのリン酸施用量を50㌫以上削減できるようだ。大規模なところでは、先ず土壌分析をしておくと対策がしやすいという。
リンは花や実のつきをよくするので、聞いてみたけれども、そのことよりも、リンが限られた資源であることや、土壌に過剰に残留していること、使用方法を一考し、リン酸使用の削減に努めるべきことなどが、きょうの講義の眼目であった。
家庭菜園、花壇の場合は相互への影響は軽いかもしれないけれども、プロの農家は長らく農協の指導に従ってやってきても、そこからまた課題を生じ、それと取り組んでいかねばならなくなるようだ。年々変わってきている気候、災害、土壌の問題、放射能などで、作物の安定生産が厳しくなる中、研究者、農家はその対応、対策を迫られている。消費者はそんな現実をもっと知るべきなのだろう。
それにしても、ここのところ施肥を忘れ、過剰どころか窒素、リン酸、カリ欠乏ぎみのわが家の花たちである。
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【渡辺弥蔵(1879-1978)の音楽略歴】
明治12年12月5日誕生。福島県白沢村(現・本宮市白岩)出身
明治-昭和時代の教育者。
明治37年東京音楽学校(現・東京芸術大学)甲種師範科卒
同年4月盛岡中学校に赴任
明治39年7月同行退職
ヘンリー・タッピングとは、盛中を辞める年、4か月間だけ、同じ教職員として顔を合わせる。
新藤武が渡辺弥蔵の影響で音楽教師を目指す
音楽家梅村保も授業を受ける
盛岡にピアノが入ったのは、明治41年、宣教師タッピング夫妻がいた内丸教会附属の内丸幼稚園だった。タッピング夫妻は、ドイツの音楽学校でピアノを学んだ人。ピアノの正式なソロは、この婦人の演奏を嚆矢とする。このピアノは、当時、貴重なものだった。(盛岡市史)
渡辺弥蔵が授業で西洋のやさしい音楽を聴かせたというが、渡辺が盛岡市の藤沢座でヴァイオリンを演奏していることから、おそらくは、ヴァイオリンで弾いて聴かせたと思われる。
<盛岡の次は新潟にいたと思いましたが調べ中>
明治42年広島師範教諭となる
大正9年広島フィルハルモニー合唱団を結成。コンサート、ラジオ放送に出演。合唱の普及に務める。
大正14年、進徳高等女学校(現・進徳女子高等学校)着任
教頭だったときに、原爆に遭う。65歳だった。
昭和53年1月3日、広島市南区にて死去。98歳。
【作曲した校歌一覧】
広島県立広島商業高等学校
広島市立五日市小学校
広島市立船越小学校
廿日市市立廿日市小学校
広島県立広島中央特別支援学校
修道中学校・修道高等学校
山陽女学園 中等部 ・高等部
東広島市立竹仁小学校
進徳女子高等学校
広島市立石内小学校
呉市立横路小学校
東広島市立三津小学校
【著書】
最近楽典大要 1907
初等楽典釈義 1915
著書 楽器の解説 1917
【被爆体験の録音】
渡辺弥蔵の原爆体験記←クリックして聞いてください
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真っ青な空、蝶も黄色、青、白と3種類、色彩でのみいうところが少々情けないのだが、いまから確かめていると、また時間がかかってしまう。とにかくゆったりと翔び、二匹つながったクルマトンボが悠々と滑空。庭仕事がとにかく楽しく、ついつい午前、午後と一日中庭に居てしまった。カマキリも壁に張り付いて何かをじっと窺い、アシナガバチもエンジン全開といった調子で葡萄の下を飛び回っている。
植え替えや、球根を植える場所づくりだった。まだ終わってはいない。
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何らかの強制力をもったテーマでも与えられていると、同じ書くのでも書きやすい。漠然とむかって何か書こうかとなると、30分、1時間と逡巡した挙句に、まあいいや、きょうはやめておこう、そう無理しなくとも、とこうなる。
きょうもそうだ。頻発するテロ、災害、近ごろは北朝鮮の問題で隠れてしまっているけれども難民問題も現在進行形であるかと思う。環境の深刻さ。もうぜんぶを誰もがわかっている。この先も、多くの方々は気づき予測している。
ならば、心が明るくなる話題はないか、音楽は……自分はきょうどう過ごしたか、そう、少なくとも怠けてはいなかったな、そのわりには、社会的な役割はたいして果たしてないじゃないか、等など。
そういえば、今朝心に通っていたことばがあったっけ。
「涙とともに播くものは喜びとともに刈りとらん」
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おととい、玄関先に出ると、ことしお目にかかったうちでは、もっとも大きいカマキリを発見。いそいで家の中にもどり、カメラを持ちだす。そのときは、なにか獲物を捕まえたのだろうと思った。映しておいて、いましがたPCに取りこみ拡大してみた。
カマキリは、左脚のカマでがっしりと獲物の頭を抱え押さえこみ、右脚のカマで獲物の左脚を絡め押さえこんでいる。逃れられないように、この技で一瞬にして勝負を決めたようだ。
完璧な狩だ。見ていると、頭から食べていく。 人に置き替えると、何ともおどろおどろしい怖い光景だ。しかし、はたと思いいたった。人間の食卓に供されるために、動物たちがどのように命を奪われているかを。喰うとは、食べるとは、実はこういうことなのだろう。
ベジタリアンの方々はよく道徳、宗教上の理由から植物性の食物を摂るようだ。これは健康にもいいらしい。卵と乳製品を加えたりもするようだ。
売られている食材は、みな何段階にも処理されパックにきれいに詰められている。どこかで血が流されていることにはいちいち思いを致さない。酷い事はできるだけ晒さぬように、とにかくきれいに見せることに手間ひま、人件費、包装資材を惜しまないのだ。
☆
このところ流血事件があまりに多い。人が人を喰っている図式にも見えてくる。
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またベルケアが咲いています。急に冷えこんだ朝も、雨をうけながら、だいじょうぶ、まだ頑張れる、と言いながら。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝説教は『主の御手の励まし』 (國光勝美牧師)、聖書引証は、ネヘミヤ記2:17、18でした。
17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。
<メモ>
主の御座の上の手とは、それは、十字架で刺しとおされた手であり、この御手で、神は私たちの為にとりなしの祈りをしていてくださる。世々にわたって、主は、祈りの手をあげ続けてくださっている。モーセの手は時として下がったが、主の御手は下がることはない。主は、一人ひとりの名をあげて、一人ひとりに触れて祈ってくださる。
私たちも、主の仕事に着手するとき、主は手を置いて祈ってくださる。ネヘミヤだから成し遂げられるのか、そうではない、私たちもネヘミヤと同じひとなのです。
ヨシュア記で、ヨシュアが敵の、永遠の敵であるアマレクに勝ったのは、祈りの手があげられていたからであることを忘れてはならない。主は世々にわたってアマレクと戦われます。
☆ ☆ ☆
特別企画集会のご案内
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