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写真は語る

 春陽の生家の前に立派なオオデマリが咲いていた。そのときは間違いなくオオデマリだと思い写真に撮った。さて、家に帰ってPCに写真を取り込み、よく見ると、何と、葉っぱの形がオオデマリではない。いったいこれは何? そちこちを数か所検索して、テマリカンボクであることがわかった。現地では花だけを見てオオデマリと決め込み、葉の形をよく見ていなかったのだ。

 春陽の墓を訪れた。没年が昭和6年12月9日とあった。「あっ、これ、違ってますね」と私は思わず言ってしまった。この時代の没年で、私の中では賢治が基準となっていて、賢治が8年。春陽はその翌年の7年、と、こんな覚え方をしている。春陽が没したのは昭和7年1月16日のはず。6年ではない。なぜだろう、なぜ違っているのだろう。これも家に帰ってから写真を取り込みズームでゆっくりとスライドさせてみた。すると何と、「昭和六年」と「十二月」の間に「旧」のひと文字が確認できた。田圃の「田」にも見える。表面に腐葉土のようなものが付着しており、現地でぱっと見ただけではわからなかったのだ。さっそく旧暦を新暦に変換。昭和7年1月16日と出る。間違ってはいない。

 2度写真に助けられた。3度目はいつになるやら。カメラ眼に感謝!

  ☆  ☆  ☆

 このところ動かない日々が続いている。朝ちょっとだけれども、TVですばらしい歌声を聴いてから、1時間ほど歩く。午前は、地域関係の仕事で歩き、また雨がふりそうなのを幸いに、ずっと放っておいた裏庭の草をしまつすることに。始めるまではなかなかエンジンがかからないが、一旦やりだすと際限がなくなるので止めようかとも思ったが、この雨もよいの機会を逃せば、またもや酷暑、炎天下となる。やるならこの午後を除いてはないと、鎌を片手にスタンバイ。結局4時間、夕方5時まで、その間雨が降ってきたが、炎天下でやるよりはましと濡れることなど気に留めずにとにかく一段落するまで続ける。よくもこう草深くなるまで放っておいたものだ。花たちが寛ぎ空間を得てゆっくりと深呼吸、久しぶりにゆったりと手足を伸ばしているように見えたのは私の心境か。
 いま21時半、まだ降っている。東京では雹がふったようだ。

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