失敗も
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昨夜は1943年の近衛秀麿を追ったTV番組を観た。その名を目にしたのは、宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」、金星楽団の指揮者のモデルは近衛秀麿か斎藤秀雄かなどと考察している著書の中でのこと、近年ほとんど見ることがなかった。それが今クローズップ、恩師クロイツァーをはじめ楽団のユダヤ系の人々が迫害から逃れられるように便宜を図っていたのだ。繊細で優雅とばかり見えていた近衛の新たな側面だった。
先週日曜日は大
雨。主人が心配するので家に留まったのだけれども、変わらずに礼拝を守った方々がいたことを聞いた。
先週は『希望の信仰』と題して、ヨハネ黙示録21:1~8よりメッセージが取次がれたということでした。
21:1また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 21:8しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
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きのうのうちに書いておこうと思ったのだが、眼が疲れたのできょうになってしまった。
自著『光炎に響く』を出版した時には、原敬記念館に出かけて原敬日記を当たった。今回の盛岡タイムスの原稿を書くに当たっては、再度確認する程度だったので、手早く県立図書館の郷土コーナーにあった木村光治著『本懐・宰相原敬』の巻末にある原敬年譜がを参考にさせていただいた。監修が岩谷千寿子で、原敬のひ孫にあたる。
それにしても、何と便利な世の中になったことだろう。原敬日記にしても、ネットで探すと、原敬が盛岡に来た日だけをまとめて出してくれる。なかなか図書館に行けない方々でも、キーを操作するだけ。誰でも簡単に閲覧できるのだ。
原敬は養子であった原彬を10年後に彬の実父恭に返しているが、これは恭の方から解消を申し入れている。恭の後継ぎ問題などの事情があった。
安藤幸がウィーンに留学するときに、語学のためにフランス船を選ぶように勧めたのは、姉の幸田延だった。自分の留学経験から出たことだった。幸田延は、よくピアニスト、ヴァイオリニストといわれるが、真っ先に挙げるべきは作曲家であると萩谷由喜子著『幸田姉妹』にある。幸田延は明治30年には日本人による最初の本格的な器楽曲である「バイオリン・ソナタ ニ短調」を作曲した。楽譜は今でも全音楽譜出版社から出ているらしい。
☆
きのう、きょうとクラシック倶楽部、つい聴いてしまった。きのはシングフォニカー、きょうはラトビア合唱団。シングフォニカーはみなさまが楽しめるような、といい、ラトビア合唱団は、われわれがみんなを導くというこの違いは。シングフォニカー、朝の空気に自然に馴染むようなあたたかで明るく楽しい歌声に包まれる。ラトビアのほうは、ラフマニノフの『徹夜祷』、いつかのロシアの人々の教会での敬虔な祈りの映像を思い出す。
ついでに幸田家は、幸田露伴を除いてみなクリスチャンであることを思いだした。原敬は17歳でエイブラル神父から洗礼を受けている。昭和初期に岩手公論で論陣を張った主幹の田鎖凌山も聖書に大いに感動、『聖言(みことば)打ち開くれば、光を放ちて愚らかなる者を俊(さと)からしむ』、これは成就すると。……聖くならんが為には之を讀むべし……聖書は人生の道案内である。基督はその主題である……等々、綿綿と活き活きと聖書の価値を論述している。たまたま昨日図書館で読んできたばかり。当時活躍している方々には、聖書の影響が大きくあるようだ。
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ともだちの庭のアジサイ。
☆
姉から聞いたはなし。
田舎のほうでは、たとえば生まれたときに「タキノ」と名付ける。土地のひとたちは親しみをこめてさまざまな呼び方をする。「タキコ」 、「ターちゃん」、「タキちゃん」。次第には誰もが「タキ」と呼ぶようになり、「タキノ」さんがが喪くなったときに、墓石には「タキ」と刻まれていた。これはけっこうあることらしい。個人情報が喧しくいわれる現在、人さまの戸籍謄本を親族の許可なくして見せていただくことはできない。「タキ」さんであると確信して言ったところが、「あなた間違っていますよ、タキノさんが正しい」と注意を受けることがあるやもしれない。
☆
すこし疲れが出る。午後は全休。夕方には復活。
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きのうは暑さに勝てず、士気が落ちた状態に近かったが、とにかく原稿を書くべく強いて自分を追い込んだ。祈ってやった方がよいと思わせられ、祈った。書くよりも書くための調べ、確認なのだが。書く事自体にはそんなに時間はかからない。ふとブログ更新が過ったが、せっかく集中したところに今を中断しない方がいいので、そのまま続行。雨が降ってきた。12時を回り、半ごろに仕方なく止める。外は土砂降り。怖いような降り方だった。
いま23日03時58分の気象庁の発表を見たが、盛岡市に大雨(土砂災害・浸水害)警報、洪水警報、雷・濃霧注意報、何れ大雨・洪水警報は盛岡・花北地域に集中している。何も起こらずには済みそうもない気配だが。最小限に抑えられることを祈る。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、聖書のヨハネ伝6:1~14を引証、『数えてみよ、主の恵』と題して、変わらずに國光勝美牧師のメッセージがありました。
ヨハネ伝6:1~14
6:1その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。
6:2大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。
6:3イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
6:4さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。
6:5イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
6:6もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
6:7ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
6:8弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
6:9「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」
6:10イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
6:11そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
6:12そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
6:13彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
6:14人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。
この日は遠来のお客様で、千葉からお二人、東京からお一人が来会されました。
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4時半に起きだし、すこしは歩かねばと、というのも、日中は暑いので、近ごろは専らバイク移動で、歩くことがない。歩くなら早朝と思っても、時間の空費とも思われることがある。5時頃から30分程度、きょうは天満宮の階段をのぼり、ベンチに腰掛けて、しばらくは盛岡の街並みを眺める。
きのう午前は、役目上の研修の一環として施設見学。午後は某書店に。芥川賞関連で、若い女性がインタヴューを受けていた。写真も撮られたようで、そのうちどこかの紙面に現れるのだろう。書籍を手に入れにくい友人が「文學界」を読みたいといっていたので、コーナーを見たが、勿論売り切れ。じき単行本がでますが予約を入れませんか、の勧めには、またその時はその時でと、わけのわからない返事を。「芥川賞」に関して歴代の選評、受賞作家、その後の創作がどうであったかなどを扱った文庫本をちょっと立ち読み。あとは音楽関連の書籍など。
朝のニュースが始まる。きょうはまた何が起きているのやら。
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世間話でもしたいと思うも、この辺りはどちらもどなたも忙しそう。
クラシック倶楽部、ボリス・ギルトブルグのピアノ、これがトッパンホールでの録画、使用したピアノがファツィオリ(FAZIOLI)。ギルトブルグが指定したのかもしれない。ロシアのピアノ曲、シャコンヌ(グバイドゥーリナ)、音の鋭角が変化に富めば富むほど逆に寂寥感が増してくる感じなのだ。「楽興の時」から第1、第3、第4曲(ラフマニノフ)、やはり繊細で美しい。聴いたのはここまでとなった。
午前中は雑用、そして、すぐりを摘んだ。午後は息子に送りたいものを買い込んで発送。主人がこの春から野菜作りに凝っている。それも荷物の中に加える。
岩手からついに芥川賞作家が出た。大昔には一時期夢見たことはある。ボーリングでピンを直木賞だと思って狙いを定めボールを放ると、何とストライク! うん、これはいけるかも。こんどは芥川賞だと思って放ったところが、左端のピンが1本のこってしまった。当たらずとも遠からず! と夢だけは見たものの、その後地道に努力することもなく、投稿もしないまま、まさしく、ただの夢であったことを証明する運びとなっている。夜7時からの地域関連の会議から9時頃に戻ってみると、選考結果が出ていた。他人事ながらこれは嬉しかった。「3丁目の夕陽」の茶川先生の顔が浮かんだのは何故かな。これでやっと世間話ができた気分。
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春陽の生家の前に立派なオオデマリが咲いていた。そのときは間違いなくオオデマリだと思い写真に撮った。さて、家に帰ってPCに写真を取り込み、よく見ると、何と、葉っぱの形がオオデマリではない。いったいこれは何? そちこちを数か所検索して、テマリカンボクであることがわかった。現地では花だけを見てオオデマリと決め込み、葉の形をよく見ていなかったのだ。
春陽の墓を訪れた。没年が昭和6年12月9日とあった。「あっ、これ、違ってますね」と私は思わず言ってしまった。この時代の没年で、私の中では賢治が基準となっていて、賢治が8年。春陽はその翌年の7年、と、こんな覚え方をしている。春陽が没したのは昭和7年1月16日のはず。6年ではない。なぜだろう、なぜ違っているのだろう。これも家に帰ってから写真を取り込みズームでゆっくりとスライドさせてみた。すると何と、「昭和六年」と「十二月」の間に「旧」のひと文字が確認できた。田圃の「田」にも見える。表面に腐葉土のようなものが付着しており、現地でぱっと見ただけではわからなかったのだ。さっそく旧暦を新暦に変換。昭和7年1月16日と出る。間違ってはいない。
2度写真に助けられた。3度目はいつになるやら。カメラ眼に感謝!
☆ ☆ ☆
このところ動かない日々が続いている。朝ちょっとだけれども、TVですばらしい歌声を聴いてから、1時間ほど歩く。午前は、地域関係の仕事で歩き、また雨がふりそうなのを幸いに、ずっと放っておいた裏庭の草をしまつすることに。始めるまではなかなかエンジンがかからないが、一旦やりだすと際限がなくなるので止めようかとも思ったが、この雨もよいの機会を逃せば、またもや酷暑、炎天下となる。やるならこの午後を除いてはないと、鎌を片手にスタンバイ。結局4時間、夕方5時まで、その間雨が降ってきたが、炎天下でやるよりはましと濡れることなど気に留めずにとにかく一段落するまで続ける。よくもこう草深くなるまで放っておいたものだ。花たちが寛ぎ空間を得てゆっくりと深呼吸、久しぶりにゆったりと手足を伸ばしているように見えたのは私の心境か。
いま21時半、まだ降っている。東京では雹がふったようだ。
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ゆうべのクラシック音楽館は、
1945年創設のイギリスのフィルハーモニア管弦楽団。首席指揮者エサ・ペッカ・サロネンによるオール・ベートーベン。ソリストはショパン国際ピアノ・コンクールで優勝したチョ・ソンジン。
1.序曲「命名祝日」ハ長調 作品115
2.ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
3.交響曲第7番 イ長調 作品92 (以上 ベートーベン)
1、2はそれとなく聴いていたのだが、3の7番は久方ぶり。朝比奈隆、カラヤンの7番を連日聴いていた頃を思い出してしまった。カラヤンの斬新な試み、ステージに階段を設けて奏者を配置した映像がよみがえった。サロネンの7番は、若干性急にも聞こえるが、輻輳した美しさ、ドラマ性は損なわれておらず、最後まで順応できた。
☆
音楽の事は、実はついでで書いている。いま忘れないように書いておこうと思ったのは、音楽とは直接の関係はないけれども、ちょうど、ソンジンのピアノを聴きながら読んでいた本のこと。
雨宮処凛(あまみやこりん)著『14歳からの戦争のリアル』
戦争には、勝者と敗者がある。しかし、勝った側の心に勝利はあるのか、戦争に果たして、聖戦、正義の戦いはあるのかなどといった自分のことばなどは、ありきたりで書いている先から力が萎えるのだけれども、著者の数行は重たかった。
イラク戦争から帰国し熱狂的に迎えられた兵士のことば「このことが、私たちの部隊の者を混乱させました。私も自分が英雄だと信じようとしたのですが、何か心が壊れてしまったような感覚になりました。同じ部隊の人たちは酒に溺れたりドラッグを使うようになり、イラクから帰還して1年も経たないうちに、半数が薬物使用を理由に軍を除隊になりました」「ホームレスになった友人もいます。彼はファルージャで罪のない民間人を殺していました。パトロール中道路脇に立っていたお年寄りが手榴弾を持っているように見え、パニックになった彼はそのお年寄りを撃ち殺してしまったのです。しかし、遺体を確認すると、お年寄りが持っていたのは、数珠のようなものでした。……」
帰還兵たちは、PTSDに苦しみ、アメリカでは毎日20名以上の退役軍人が自殺を図っているという。
「イラクに派遣された自衛隊員は一発の弾も打たず、また一人も殺さず、自衛隊員からは一人の死者も出なかった。しかし、派遣された自衛隊員の中からは帰国後に29人の自殺者が出ている……こういった形でイラクに行った日本人の命が実際に失われていることを、この国の多くの人は知らない」
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起き出したのが4時半。きのうも一日家にこもり、地域関連の用足し以外には歩いておらず、1時間でも歩いてこようかと思っている間に雨がぱらつく音。新聞配達のバイクの音が遠く近く動いている。いましがた本格的に降ってきた。雷の音がしている。連日の猛暑。「主の祈り」を唱える。
キャサリンさん、いま宮古におられ、被災地の方々に耳を傾けて、演奏くださっています。習慣、食べ物の違い、方言に戸惑われながらも、ハープで讃美歌を届けてくださっています。
バッハよし、ベートーヴェンよし、しかし、心が空疎なとき、悲しむ時には、讃美歌がいちばん。癒されます。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教題は『主から与えられる歌』で、開かれた聖書の箇所は詩篇40:1~3でした。
指揮者のために。ダビデの賛歌
1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。
多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
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未明に心配したほどでもなく、終日くもり。時々ぽつりぽつりと雨粒が落ちた。みなさんが集まった会場の窓から雲を眺めながら、炒りつけるような酷暑からは守られたことに感謝する。ありったけの団扇を持ってきてくださった方、冷たい麦茶を持参くださった方、茶菓をのべてくださった方、準備を手伝われた方、参加することで協力くださった方と、さまざまに助けられていることを実感。よいひと時を持つことができた。![]()
今朝のクラシック倶楽部、ベートーヴェンの初演の響きにこだわるプロジェクトによる演奏で指揮マルティン・ハーゼルベック、演奏ウィーン・アカデミー管弦楽団。さまざまな研究のもと、ピリオド楽器を用いて初演当時の響きを再現するプロジェクト「リサウンド・ベートーベン」だ。「交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」第1楽章」、「交響曲 第5番 ハ短調 作品67」。とても興味深い内容だった。ベートーヴェンは実に4時間にも及ぶコンサートを企画していた。また2000人の聴衆の多くが立ったまま、拍手もできないほどのぎゅうぎゅう詰めという盛況ぶりの演奏会もあったようだ。ヴェートーヴェンが指揮するすがたを彷彿とさせるじわりじっくりと胸に迫る演奏だった。![]()
きのう朝のうちに盛岡タイムスに原稿を送信。却下されなければ明朝掲載となるだろう。![]()
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いま午前3時半、2時半ごろから目が覚めてしまった。きょうは地域の方々が集まるのだが、天気予報はどうなっているか、遠くへ行くわけではないけれども、いま見ると15時には31℃予報。熱中症指数厳重警戒だ。できるだけ雲が厚くかかってほしいと願う。気温上昇が抑えられて欲しい。心配でならない。ネットでは盛岡内陸、月、火と35℃をマーク、盛岡には近年なかったように思う。
「九州北部豪雨災害」と入れると、平成24年のそれが出てきた。熊本地震は去年の4月だったか。何れ今回の豪雨被害の緊急募金が始まっている。
自然災害の頻発、世界的に自然災害が拡大。日常を日常的にこなしながらも、ある種の覚悟、いま鳥の朝一番のさえずりを聴いているけれども、このさえずりが聞こえることに感謝しつつ、いつ自分に降りかかっても不思議はない自然の異変を想定しながら、それがそう遠くはないかもしれないと思いつつ、報道では知らされていない多くの隠されてある事実の前に、諦念とも覚悟とも思われる一種の想いができあがっている。地に足をつけながら日々をこなしていきたい。
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先週は、インマヌエル盛岡キリスト教会で、献児式がありました。お母さんに抱っこされ、お父さんと共に講壇の前に進み出たお子さんが、ひろ子牧師の手にわたされ、ひろ子牧師の腕の中で泣くこともなく興味ありげに澄んだ瞳を見開きながら、國光勝美牧師から祝福のことばとお祈りをいただいていました。

聖書からの引証は、
使徒の働き16:19~34
16:19彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。
16:20そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、
16:21ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
16:22群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
16:23何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
16:24この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
16:25真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
16:26ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
16:27目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。
16:29看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
16:31ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
16:32そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
16:33看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
16:34それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
説教題『福音を讃美歌にのせて』とのメッセージが取次がれました。
☆ ☆ ☆
本日午後2時から、当教会で、ハープ奏者キャサリン・ポーターさんのコンサートがあります。おでかけください。

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〒020-0806 岩手県盛岡市新庄町5-43にある天満宮に、高橋煙山の句碑があります。近道をするために、この碑のまえを通ることがあっても、立ち止まって読むことはありませんでした。きょう、ふと、何と書いてあるかを見ますと、「梅疎なり月照る杜の杉襖」。
煙山の経歴に見える弛まぬ努力と潔さに打たれました。明治10年、盛岡市八幡町生まれ。1歳で父親と死別、11歳で商家の丁稚奉公、旅役者、村役場書記、横浜毎朝新聞記者、南部鉄瓶卸商、その間に俳句の研鑽を積み、三重県で数社の俳句結社の選句者、そして昭和10年頃から盛岡市の緑水吟社の指導にあたる。禁酒禁煙の実行とその宣伝に努め、書斉を「無酒庵」と名付け、俳句三昧のうちに昭和35年6月26日、83歳で没している。
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7月にはいって第1週の日曜日。きょうは雨もよいの朝、こんな日にはメンタルが下降にならぬよう意識をたもちながら、朝のしごとに向き直ります。
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の聖書の引証は
エペソ書2:1~10
2:1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2:2そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
2:3私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
2:4しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
2:6キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
2:7それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
2:8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
2:9行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
2:10私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。
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常磐座はもともと芝居小屋だった。時には陸奥電気館のような巡業隊の映画や歌謡ショー的な演芸会、集会などに使われることはあったが、基本的に常設の芝居劇場だった。
大正元(12)年10月10日付の岩手日報記事
下閉伊郡宮古町本町酒造業菊池長七氏の経営に係る同町旧館常設劇場常磐館は今より十数年以前の建築にして頗る旧式なものなるが為め危険千萬なる有様なりしか近来大改修を加え旧来の面目を一新して土間始め総ての点に改良を施し最も見栄ある常設舞台となし其工事も意外に捗り此程落成したるを以って其筋の検査済み次第近々会場の運に立至るへしと言う
以上は「宮古の映画館物語~わが古里のニュー・シネマ・パラダイス~」(鬼山親芳著)からの抜粋。
円子正と東華音楽会(団) は、改築されたばかりのこの常磐座で、大正元年の12月に、どれぐらいの期間であったかはわからないが、音楽会を行っている。梅村保はこれに呼び出されている。梅村の書簡から、12月30日には演奏があった。その前後のことはわからない。
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