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壇ノ浦

 「壇ノ浦」が無性に聴きたくなり、you tubeをさがして、かなり長時間聴いていたことがあったが、あれはいつだったろうかと、このブログの履歴を遡ってみると、去年の10月31日とわかった。なぜ唐突にそんな心境になったのか、琵琶がダダンと心のどこかで鳴ったような気がしたからだ。
 それが、この4月からの盛岡タイムスの隔金曜の連載で、予測もしなかった鳥取春陽も手掛けることになり、小説ばかりではなく、すこし専門的な関連著書を読むうちに、春陽の先祖が、桓武平氏の一門であるという言い伝えがあることがわかった。現地に足を運んで、恐らくは事実であろうと思うに至った。壇ノ浦がまったく無縁ではなかったわけだ。

 平氏の落人伝説は全国的にある。ウェブ上から拾えるものは以下の通り。
大分県玖珠郡九重町の松木地区、福岡県久留米市田主丸町、愛媛県八幡浜市保内町、愛媛県四国中央市金生町切山地区、高知県高岡郡越知町、徳島県三好市の祖谷地方、兵庫県美方郡香美町、福井県大野市久沢、富山県南砺市の旧平村、岐阜県高山市、栃木県日光市栗山郷、岩手県大船渡市~奥州市。

で、
岩手県大船渡市~奥州市がどう出ているかというと、
"平清盛の孫と伝えられる平土佐守宋賽が、壇ノ浦への参戦を断念し、現在の香川県から一族を引き連れて海へ逃げたのだそうです。そして太平洋側の海を北上して漂着したのが現在の大船渡市で、そこから内陸を目指したそうです。途中、大船渡の山奥には「平山」という集落もあります。最終的に落ち延びたのが人首(ひとかべ)の山大畑だそうです。以後、この地に館を築いて敵の襲来に備えたそうですが、一族の安全が保障されると、農耕生活に従事するようになりました。伊達藩時代は正宗に従い、帯刀を許され、代々平五右衛門を名乗るようになり、長い間栄えたとされています。"

 鳥取春陽の先祖は、能登半島から船で津軽海峡を回り宮古に上陸、刈屋北山に入ったという。これは今西英造著『演歌に生きた男たち』に書かれている。

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