ペンテコステ礼拝
先週はペンテコステ講壇でした。聖餐式にも与りました。この日に毎年必ず歌う讃美歌が『いずこにある島々にも』です。インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師が『聖霊経験とは』と題して、使徒の働き18:24~19:7からおはなしをしました。

18:24さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。 18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。 18:27そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。 18:28彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。
19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、
19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
19:3「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。
19:4そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。
19:5これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
19:6パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
19:7その人々は、みなで十二人ほどであった。
《國光牧師のおはなし》
私たちは、信仰に歩む中で、必ず「きよめ」の問題、つまり第二の転機といわれる信仰の段階を歩む必要を知らされます。それがあって栄化の恵みに与ることができます。
きょうは、聖書に通じ霊に燃えているアポロというユダヤ人がエペソに来たところからのおはなしです。エペソはパウロの伝道活動の中で、決して忘れられない大きな意味のある場所です。…(中略)…パウロは続く3年間、エペソを宣教の拠点にしました。アポロの弟子たちが聖霊を受け、教会が設立されたとあります。パウロは、第一次、第二次、第三次伝道旅行、そしてローマへの道の伝道旅行をしました。これは第三次伝道旅行が始まったところです。使徒の働きの「18:22それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。」で第一次伝道旅行が終わり、「18:23そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。」とあるこのところから第三次伝道旅行が始まっています。そしてパウロがエペソにやってくることになる。18:24に続きます。
アレキサンドリヤはアフリカの北部にあります。「アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た」。両親はエジプトのアレキサンドリアで暮らしていた。アレキサンドリアにはユダヤの人たちが聖書を持って大きな影響を与えていた。アポロの両親はきっとその感化を受けており、聖書の神様こそほんとうの神様であると異教徒から改宗し、その両親の教えで、アポロは小さいうちから聖書に通じていたでしょう。「18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。」とある。アポロは、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。十字架の贖いをなし遂げた救い主を知らない。ヨハネという人物は自分よりも後から来る方、わたしはその方の靴のひもを解いて差し上げることはできないほどであると、主の道の備えをしていたほどのバプテスマのヨハネがいっている。このヨハネのキリストへの理解を享けて、アポロは、聖書に通じ、イエス様のことを知っていたわけです。しかし、それ以上ではなかった。イエス様のことを語るけれども、うん?と思ってしまうようなところがあったのです。
しかし、「それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼(アポロ)を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。」とあります。プリスキラとアクラはユダヤ人でしたがクリスチャンになっていました。アクラの職業は天幕づくりです。パウロがコリントにやってきて伝道しようとしたときに、このプリスキラとアキラ夫妻は同業者であることもあり、パウロを懸命に助けました。そしてこのパウロの教えも受けていた。どうしてこの夫妻がそのときコリントにいたかというと、やがてネロという皇帝がクリスチャンを大迫害するあ、その前の皇帝が、ローマからクリスチャンを追放する命令をしました。それで、ローマにいることができなくなったプリスキラとアクラはコリントにやってきた。そこでパウロがコリントにやってきたときに、非常に近しくし、コリントの伝道を助けたのでした。
このふたりが、ここではエペソに来ている。エペソで中心的なメンバーとして教会での活動をしていたときに、熱心な若者、聖書に通じているアポロという若者がいた。一生懸命にイエス様の事をおはなしをしている。会衆席で、プリスキラとアクラ夫妻が、頷きながら聴いている。しかし自分たちがパウロ先生からコリントにおいて受けたそれとちょっと違っていた。イエス・キリストの十字架と救いということにおいて、ご夫妻は非常に主に恵まれたご夫妻であっただけに、違いを感じた。そこでアポロを家に招いて食事をまじえながら、夫妻がパウロから受けていたほんとうの神の福音を伝えたのです。そして、アポロは、この夫妻の指摘を喜んで心から受け入れたのです。アポロのすばらしさがわかります。遜って人の教えに耳を傾けました。またもう一つ、麗しいことは、プリスキラとアクラが、決して集会場で、アポロの批判をしなかったことです。
プリスキラとアクラは行く先行き先でよい証しを立てました。アポロの行く先々に、アポロを歓迎し助け励ますようにといっておいている。そのような励ましを受けながら、「18:28彼(アポロ)は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである」。このときに、「19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2『信じたとき、聖霊を受けましたか。』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。』と答えた。」
つまり、聖霊というものを知っていたのかもしれませんが、与えられることがあるとは知らな。そこでやがて来るイエス様の福音を知り、パウロから主イエスの御名によってバプテスマを受け、その時に聖霊が彼らの上に臨まれて、彼らは異言を語ったり預言をしたりしました。聖霊降臨の出来事がここに書かれています。
そしてプリスキラとアクラという人物に似ているなとおもったのは、モラビアンの人々とジョン・ウェスレーとの出会いです。ジョン・ウェスレーは、非常に真面目で真実な学徒であり、まじめに聖書を勉強している人物でした。彼らが几帳面、まじめに生きているのを見て、人々は揶揄して「彼らはメソジストだ」呼んだことからメソジストといわれるようになりました。そんなときに、ウェスレーは、アマリカのインディアンたちに福音を伝えようとして、ジョージアに伝道しようと、アメリカ行きの船に乗り込みます。そこにいたのがモラビアンの人々でした。船が難破しそうなほどの大嵐のときに、モラビアンの人々は、讃美歌tを歌い、礼拝を捧げているのです。ウェスレーは、彼らはわたしの持っていない何かを持っていると思いました。ジョージアでの伝道は敗北でした。訴訟問題までに巻き込まれます。弟のチャールズは別な所に伝道に行き、殺されそうになりました。失意のうちにイギリスに帰ります。そのときに、モラビアンの指導者のひとりであるピーター・ベーラーという人物と出会います。ウェスレーは博学でしたが、素朴なピーター・ベーラーに「わたしは説教をすることができなくなったこと、信仰がわからなくなった」と謙虚に打ち明けます。するとピーター・ベーラーは、言いました「ウェスレー先生、説教をやめちゃいけません。信仰について説教しなさい。そして、わからなくても、信仰について説教しなさい。そして、わかったらば、その信仰について説教するのです」。ウェスレーはそこでほんとうに励まされている。これはまさしくプリスキラとアクラとアポロの理想的な関係の有様です。
あるときウェスレーは疲れ果てていく気もなかったとき、モラビアン派の集会があるというので、しぶしぶアルダースゲートにある集会に出ました。そこには、学ぶ機会にも恵まれなかった純朴な人が、ルターの書いたローマ人への手紙の序論を読んで人々におはなしをしていました。「義人は信仰によって生きる」、これを聞いたとき、ウェスレーは聖霊に感じ、「わかた!、信仰がわかった。そうだ、クリスチャンになるってこういう事だったんだ」。彼は喜び勇んでチャールズの許に行き、「僕はいまクリスチャンになった!」というと、チャールズはすでに数日前にモラビアンの集会で同じ経験をしていたのでした。それがメソジストの始まりとなったのです。
ウェスレーはヨハネのバプテスマは受けていた、しかし、イエスの御名による、聖霊によるバプテスマを受けていなかった。培ってきた聖書の心理は、ある時に発火点があって、急に燃え始めて、まさに点火されたのが、アルダスゲートの経験であったのです。ウェスレーのこれまで持っていたすべてが生かされて、そして聖霊経験を持ったウェスレーたちの働きによって、このメソジスト運動が広がっていったと私たちは学ぶことができます。このできごと、使徒の働きの19章、これと殆ど同じではないかと思います。私たちがいま必要なのは、聖霊によって点火されることです。いま与えられている今まで培ってきたものが点火され、燃やされて、一人ひとりが証し人となってゆく、これが2017年の私たちのアルダースゲート、私たちのペンテコステの経験となりますように願うことであります。
《國光牧師のおはなし》
私たちは、信仰に歩む中で、必ず「きよめ」の問題、つまり第二の転機といわれる信仰の段階を歩む必要を知らされます。それがあって栄化の恵みに与ることができます。
きょうは、聖書に通じ霊に燃えているアポロというユダヤ人がエペソに来たところからのおはなしです。エペソはパウロの伝道活動の中で、決して忘れられない大きな意味のある場所です。…(中略)…パウロは続く3年間、エペソを宣教の拠点にしました。アポロの弟子たちが聖霊を受け、教会が設立されたとあります。パウロは、第一次、第二次、第三次伝道旅行、そしてローマへの道の伝道旅行をしました。これは第三次伝道旅行が始まったところです。使徒の働きの「18:22それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。」で第一次伝道旅行が終わり、「18:23そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。」とあるこのところから第三次伝道旅行が始まっています。そしてパウロがエペソにやってくることになる。18:24に続きます。
アレキサンドリヤはアフリカの北部にあります。「アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た」。両親はエジプトのアレキサンドリアで暮らしていた。アレキサンドリアにはユダヤの人たちが聖書を持って大きな影響を与えていた。アポロの両親はきっとその感化を受けており、聖書の神様こそほんとうの神様であると異教徒から改宗し、その両親の教えで、アポロは小さいうちから聖書に通じていたでしょう。「18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。」とある。アポロは、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。十字架の贖いをなし遂げた救い主を知らない。ヨハネという人物は自分よりも後から来る方、わたしはその方の靴のひもを解いて差し上げることはできないほどであると、主の道の備えをしていたほどのバプテスマのヨハネがいっている。このヨハネのキリストへの理解を享けて、アポロは、聖書に通じ、イエス様のことを知っていたわけです。しかし、それ以上ではなかった。イエス様のことを語るけれども、うん?と思ってしまうようなところがあったのです。
しかし、「それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼(アポロ)を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。」とあります。プリスキラとアクラはユダヤ人でしたがクリスチャンになっていました。アクラの職業は天幕づくりです。パウロがコリントにやってきて伝道しようとしたときに、このプリスキラとアキラ夫妻は同業者であることもあり、パウロを懸命に助けました。そしてこのパウロの教えも受けていた。どうしてこの夫妻がそのときコリントにいたかというと、やがてネロという皇帝がクリスチャンを大迫害するあ、その前の皇帝が、ローマからクリスチャンを追放する命令をしました。それで、ローマにいることができなくなったプリスキラとアクラはコリントにやってきた。そこでパウロがコリントにやってきたときに、非常に近しくし、コリントの伝道を助けたのでした。
このふたりが、ここではエペソに来ている。エペソで中心的なメンバーとして教会での活動をしていたときに、熱心な若者、聖書に通じているアポロという若者がいた。一生懸命にイエス様の事をおはなしをしている。会衆席で、プリスキラとアクラ夫妻が、頷きながら聴いている。しかし自分たちがパウロ先生からコリントにおいて受けたそれとちょっと違っていた。イエス・キリストの十字架と救いということにおいて、ご夫妻は非常に主に恵まれたご夫妻であっただけに、違いを感じた。そこでアポロを家に招いて食事をまじえながら、夫妻がパウロから受けていたほんとうの神の福音を伝えたのです。そして、アポロは、この夫妻の指摘を喜んで心から受け入れたのです。アポロのすばらしさがわかります。遜って人の教えに耳を傾けました。またもう一つ、麗しいことは、プリスキラとアクラが、決して集会場で、アポロの批判をしなかったことです。
プリスキラとアクラは行く先行き先でよい証しを立てました。アポロの行く先々に、アポロを歓迎し助け励ますようにといっておいている。そのような励ましを受けながら、「18:28彼(アポロ)は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである」。このときに、「19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2『信じたとき、聖霊を受けましたか。』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。』と答えた。」
つまり、聖霊というものを知っていたのかもしれませんが、与えられることがあるとは知らな。そこでやがて来るイエス様の福音を知り、パウロから主イエスの御名によってバプテスマを受け、その時に聖霊が彼らの上に臨まれて、彼らは異言を語ったり預言をしたりしました。聖霊降臨の出来事がここに書かれています。
そしてプリスキラとアクラという人物に似ているなとおもったのは、モラビアンの人々とジョン・ウェスレーとの出会いです。ジョン・ウェスレーは、非常に真面目で真実な学徒であり、まじめに聖書を勉強している人物でした。彼らが几帳面、まじめに生きているのを見て、人々は揶揄して「彼らはメソジストだ」呼んだことからメソジストといわれるようになりました。そんなときに、ウェスレーは、アマリカのインディアンたちに福音を伝えようとして、ジョージアに伝道しようと、アメリカ行きの船に乗り込みます。そこにいたのがモラビアンの人々でした。船が難破しそうなほどの大嵐のときに、モラビアンの人々は、讃美歌tを歌い、礼拝を捧げているのです。ウェスレーは、彼らはわたしの持っていない何かを持っていると思いました。ジョージアでの伝道は敗北でした。訴訟問題までに巻き込まれます。弟のチャールズは別な所に伝道に行き、殺されそうになりました。失意のうちにイギリスに帰ります。そのときに、モラビアンの指導者のひとりであるピーター・ベーラーという人物と出会います。ウェスレーは博学でしたが、素朴なピーター・ベーラーに「わたしは説教をすることができなくなったこと、信仰がわからなくなった」と謙虚に打ち明けます。するとピーター・ベーラーは、言いました「ウェスレー先生、説教をやめちゃいけません。信仰について説教しなさい。そして、わからなくても、信仰について説教しなさい。そして、わかったらば、その信仰について説教するのです」。ウェスレーはそこでほんとうに励まされている。これはまさしくプリスキラとアクラとアポロの理想的な関係の有様です。
あるときウェスレーは疲れ果てていく気もなかったとき、モラビアン派の集会があるというので、しぶしぶアルダースゲートにある集会に出ました。そこには、学ぶ機会にも恵まれなかった純朴な人が、ルターの書いたローマ人への手紙の序論を読んで人々におはなしをしていました。「義人は信仰によって生きる」、これを聞いたとき、ウェスレーは聖霊に感じ、「わかた!、信仰がわかった。そうだ、クリスチャンになるってこういう事だったんだ」。彼は喜び勇んでチャールズの許に行き、「僕はいまクリスチャンになった!」というと、チャールズはすでに数日前にモラビアンの集会で同じ経験をしていたのでした。それがメソジストの始まりとなったのです。
ウェスレーはヨハネのバプテスマは受けていた、しかし、イエスの御名による、聖霊によるバプテスマを受けていなかった。培ってきた聖書の心理は、ある時に発火点があって、急に燃え始めて、まさに点火されたのが、アルダスゲートの経験であったのです。ウェスレーのこれまで持っていたすべてが生かされて、そして聖霊経験を持ったウェスレーたちの働きによって、このメソジスト運動が広がっていったと私たちは学ぶことができます。このできごと、使徒の働きの19章、これと殆ど同じではないかと思います。私たちがいま必要なのは、聖霊によって点火されることです。いま与えられている今まで培ってきたものが点火され、燃やされて、一人ひとりが証し人となってゆく、これが2017年の私たちのアルダースゲート、私たちのペンテコステの経験となりますように願うことであります。
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