« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年6月

心にきざすとき

  もう6月もおわり。時はその速さのままに過ぎ去ろうとし、自分はすこしの間置いてきぼりを喰らって、あらら、ついていかなくちゃと、とっさに目を醒まして、7月へと意識を切り替えている。データーのそちこちのポケットにランダムに投げ込んである写真を、何があったかなと開けてみる。

Dsc00452
 ハルジオンとつぶやきながら、うん? 春でもないのにほんとうにハルジオン? と問う。ヒメジョオンじゃないの? ここでヒメジョオンとハルジオンの違いがよくわかっていないことがわかる。

 春紫苑(ハルジオン)は4~5月に咲く。花びらがピンクっぽく糸のように細い。茎を折ってみると中が空洞になっている。
 姫女苑(ヒメジョオン)は5~8月に咲く。花びらが白くて、多少幅がある。茎を折ってみると、白いわたのようなものが詰まっている。

 また葉のつき方とか、花がうなだれるとかうなだれないとかの区別の仕方があるようだけれども、何れ、写真はヒメジョオンであることがわかった。これまで混同しながらも、しっかりとした見分け方を調べてはいなかった。これからは間違うことはないと言いたいところだけれども、記憶の中で、いつか、二つが入れ替わってしまわないとも限らない。

 ☆  ☆

 何かしら心に兆すときがある。
 5時前に起きることがあっても、最近はずっとクラシック倶楽部を観ることがなかった。しかし一昨日の朝、居間にいてふとTVが目に留まった。こういう時は点けてみた方がいいかもとスイッチ・オン。果たしてル・ポン国際音楽祭2014年赤穂。バルトークのピアノ五重奏曲第4楽章。久しぶりに聴いたせいか、そればかりではないけれども、とても新鮮だった。(バイオリン)ボリス・ブロフツィン、(バイオリン)樫本大進、(ビオラ)清水直子、(チェロ)クラウディオ・ボルケス、(ピアノ)小菅優。
 それといつだったろうか。名曲アルバムも久しく聴いていなかったが、このときもふと兆すものを感じ、唐突にスイッチ・オン。「越後獅子」だった。新潟県新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする角兵衛獅子を題材とした地歌、長唄、常磐津、歌謡曲の楽曲。その昔は、男の子たちが街頭で、逆立ちやとんぼ返りなどのアクロバットを演じるもの。一人で演じる場合も、共演者がいる場合もある。成人のリーダーがいて、太鼓で伴奏するのが普通だった。全国を旅回りしたという。またプッチーニが「お蝶夫人」でこの曲の旋律を使用している。プロコフィエフは、大正7年の日本滞在中に覚えた越後獅子の旋律を『ピアノ協奏曲第3番』に転用しているという。「越後獅子」、ちょうど旅回りのことなどを考えていた最中の事。
 心に兆す、私にとっては、心に何かが兆すとき、どうやらそれは、天か、何者かが、わたしに何かを教えようとしている、そういうときであるようなのだ。

 
 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

庭の花々

 草をとり、水をやる。枯れた葉をとり、倒れかけた花を起こす。花々のあいだに立って、咲いてくれて有難うという。

Dsc00581

Dsc00583

Dsc00585

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あおい実

Dsc00410
 本日、盛岡タイムスに「楽都のユニゾン」連載第6回分800字入稿。6月30日(金)に掲載の予定。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。  

  地域の皆様方が品物を提供くださり、そして教会のみなさま方が物品管理、会場設営、販売と携わったバザーが終わりました。感謝、感謝です。ケニヤの屈託のないリズム、讃美歌が流れる会場で、多くの方々に買い物を楽しんでいただく事ができました。収益金はケニヤのテヌウェク病院のために使われます。

Dsc00572
Dsc00570
 先週は「聖霊に満たされて2」と題し、ガラテヤ書5:16~26が引証されました。

5:16私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 5:19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 5:24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 5:26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

 7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。
 

Img681

Img682

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バザーがあります

Img683

Img684

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ばらのつぼみ

Dsc00545_2

Photo

Dsc00544_2

Dsc00542

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「もう一つのショパンコンクール」を観て

  忙しさに追われ、これは自分で忙しくしているともいえるのだが、いちにちの終わりに一息つくと、また今からもう一仕事という気力の持続がたち消えて、ブログ更新を省略してしまっている。ブログカレンダーに穴があくどころか、日々に休みの面積が大きくなっている。

「ピアノの無料画像」の画像検索結果

 

                                  「ピアノの無料画像」の画像検索結果

 きのう、BS1で「もう一つのショパンコンクール~日本人ピアノ調律師たちの闘い~」を観て、気力が湧き、書き出したものの、再放送でもあり、ウェブ上にはすでに昨年のうちに書かれたコメントがひしめいているだろう。それはそれとして。
 ショパンコンクールは5年に一回、ポーランドのワルシャワにあるワルシャワフィルハーモニーホールで開かれる。20か国から16~30歳までの78人が参加。第1次~3次予選を経てファイナルとなる。これは奏者の戦いであると同時に、楽器メーカーとピアノ調律師の戦いでもあるというのだ。

 このコンクールでは、奏者は、4種のピアノ、ファツィオリ(Fazioli)、ヤマハ、スタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons)、カワイから選ぶことができる。私は、楽器メーカーは社歴が古い方が優れているだろうと思い込んでいたが、ファツィオリの社歴はたったの34年。40数人の職人で年間120台を生産している。このファツィオリに招かれた調律師が日本の越智(おちあきら)さんで100万人に一人という耳を持つ天才なのだそう。誰でもが天から与えられている耳ではあるが、これほどの性能、聴き分けを持つ耳があることに驚く。越智さんは、ファツィオリの透明感のある明るいカラフルな音色に惹かれたといっている。この天才的な耳に、ハンマーはこの強さ柔らかさでいいのか、金属ピンは一定か等々、音のすべてを問い合わせ、243本の弦、88鍵に耳が頷くところで、さあどうですかと、こんどは奏者たちの耳に問うのだ。この回のショパンコンクールで、ファツィオリを選んだ奏者はたった一人だった。
 ショパンコンクールでは、概して、あたたかく、色気、艶っぽさのある音色が求められるようだ。あるピアニストは、ファツィオリを「音が優しすぎる」「高音で音がぼやける」といっていた。一方「音が正確」「オーケストラのよう」というピアニストもいた。他のメーカーのピアノは、響きがゆたかに聞こえる分、ピアニストたちのウケはいいようだった。しかしルービンシュタインコンクールのファイナルでは、半数がファツィオリを選んでいるという実績がある。

 カワイの調律師は小宮山淳さんだった。カワイはピアニストたちの練習ルームを準備し、小宮山さんは焼き鳥缶、コーヒー、バナナを用意して、寛ぎを提供し、またピアニストたちに寄り添い心境を汲むなどのサービスにも余念がない。カワイに関しては、ロマンティック、重厚感との感触を聞いた。

 驚いたのは、いつの間にかのヤマハの大躍進。売り上げは世界第一位となっていた。これまで音楽番組に出ていた日本のコンサートホールのピアノはスタインウェイが圧倒的に多く、なぜ国産のピアノを置かないのか、日本のピアノはまだまだ名器には届かないのかと思っていただけに驚きは大きかった。TVでヤマハの方々を拝見して、成功のプロセスはわからないながら、企業戦略はかなりのものではないかと感じられた。ヤマハは、1985年のショパンコンクールで初登場。この収録でのコンクールでは、78人のうち36人がヤマハを選び、ヤマハを選んだそのうちの7人がファイナルに残っている。ヤマハの調律師は花岡昌範さんだ。
 ところが、土壇場で、7人のうち2人がスタインウェイに変更する。劇的な瞬間だ。

 スタインウェイは1853年アメリカのニューヨークで創立され、127の特許を持つ。年間3000台生産。ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並んで、世界のピアノメーカー御三家の一つ。   
 ファイナルでは、ヤマハを選んだ5人とスタインウェイを選んだ5人の闘いとなり、結局スタインウェイで演奏したチョ・ソンジンが
2015年第17回ショパン国際ピアノコンクールで優勝、ポロネーズ賞も併せて受賞。アジア人としては、ベトナムのダン・タイ・ソンと中国のユンディ・リに続き3人目だ。ソンジンの神経の行き届いた霊妙な響きがいま耳奥によみがえり、そして、ピアニストの難しい要求にも応え、たとえ真夜中であろうとも、土壇場であろうとも、あるときには、ピアノの心臓部分であるアクションのスペアを持ち込んでまで、許される時間のすべてを使い切ってピアノを調律する方々のすがたがくっきりと浮かんだ。
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

御霊によって

  とにかく忙しい一週間でした。遊ぶ時間がないのは、いいことかもしれません。もうすこし体力があればと思わないではないのですが、しかし、よい一週間でした。

Dsc00546

 先週の教会の説教『聖霊に満たされて』の聖書の引証個所です。
ガラテヤ5:16~26

5:16私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 5:19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 5:24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 5:26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。


Img681

Img682

| | コメント (0) | トラックバック (0)

46代目

Dsc00335

 きょうの盛岡タイムスに連載の第5回が載りました。鳥取春陽の生家が、桓武平氏の流れであることをかきました。この写真は、急峻な凸凹道を、JAFを呼ぶことも覚悟でのぼった物見山。現在は4戸となった刈屋北山の集落が小さく見えます。立っているあたりが東の沢。鳥取家が刈屋に落ちのびてきた当初、この辺りに見張りを立てて暮らしたといわれている。

 

Dsc00383

 北山にある春陽の墓に向かう。先頭は、鳥取家46代目の奥様が紹介くださった佐々木健先生。新里村史の編纂にも携わった方です。半日のガイドを引き受けてくださいました。続くふたりは筆者の友人、そしてしんがりが筆者です。

 それにしても、この深い山懐に埋もれることなく脈々と営みを守り続けてきた平氏の末裔の方々の矜持、平清盛の義弟である平時忠の『此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし』を思いだしたことです。先祖がこの地を踏んで以来829年を経たいまも、46代目であることが明確に捉えられています。

  ☆  ☆  ☆

 どうしてこんなに忙しいのかとつい思ってしまったが、そちこちのブログを見ると、筆者よりもはるかに忙しい方々がいらっしゃる。それでも口にはださずに、少なくともそれをマイナスと捉えることなく頑張っておられるようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

壇ノ浦

 「壇ノ浦」が無性に聴きたくなり、you tubeをさがして、かなり長時間聴いていたことがあったが、あれはいつだったろうかと、このブログの履歴を遡ってみると、去年の10月31日とわかった。なぜ唐突にそんな心境になったのか、琵琶がダダンと心のどこかで鳴ったような気がしたからだ。
 それが、この4月からの盛岡タイムスの隔金曜の連載で、予測もしなかった鳥取春陽も手掛けることになり、小説ばかりではなく、すこし専門的な関連著書を読むうちに、春陽の先祖が、桓武平氏の一門であるという言い伝えがあることがわかった。現地に足を運んで、恐らくは事実であろうと思うに至った。壇ノ浦がまったく無縁ではなかったわけだ。

 平氏の落人伝説は全国的にある。ウェブ上から拾えるものは以下の通り。
大分県玖珠郡九重町の松木地区、福岡県久留米市田主丸町、愛媛県八幡浜市保内町、愛媛県四国中央市金生町切山地区、高知県高岡郡越知町、徳島県三好市の祖谷地方、兵庫県美方郡香美町、福井県大野市久沢、富山県南砺市の旧平村、岐阜県高山市、栃木県日光市栗山郷、岩手県大船渡市~奥州市。

で、
岩手県大船渡市~奥州市がどう出ているかというと、
"平清盛の孫と伝えられる平土佐守宋賽が、壇ノ浦への参戦を断念し、現在の香川県から一族を引き連れて海へ逃げたのだそうです。そして太平洋側の海を北上して漂着したのが現在の大船渡市で、そこから内陸を目指したそうです。途中、大船渡の山奥には「平山」という集落もあります。最終的に落ち延びたのが人首(ひとかべ)の山大畑だそうです。以後、この地に館を築いて敵の襲来に備えたそうですが、一族の安全が保障されると、農耕生活に従事するようになりました。伊達藩時代は正宗に従い、帯刀を許され、代々平五右衛門を名乗るようになり、長い間栄えたとされています。"

 鳥取春陽の先祖は、能登半島から船で津軽海峡を回り宮古に上陸、刈屋北山に入ったという。これは今西英造著『演歌に生きた男たち』に書かれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ペンテコステ礼拝

 先週はペンテコステ講壇でした。聖餐式にも与りました。この日に毎年必ず歌う讃美歌が『いずこにある島々にも』です。インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師が『聖霊経験とは』と題して、使徒の働き182419:7からおはなしをしました。

Dsc00548














Dsc00542
18:24
さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。 18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。 18:27そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。 18:28彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

 

 19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。 19:3「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。 19:4そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。 19:5これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。 19:6パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。 19:7その人々は、みなで十二人ほどであった。

《國光牧師のおはなし》
 私たちは、信仰に歩む中で、必ず「きよめ」の問題、つまり第二の転機といわれる信仰の段階を歩む必要を知らされます。それがあって栄化の恵みに与ることができます。
 きょうは、聖書に通じ霊に燃えているアポロというユダヤ人がエペソに来たところからのおはなしです。エペソはパウロの伝道活動の中で、決して忘れられない大きな意味のある場所です。…(中略)…パウロは続く3年間、エペソを宣教の拠点にしました。アポロの弟子たちが聖霊を受け、教会が設立されたとあります。パウロは、第一次、第二次、第三次伝道旅行、そしてローマへの道の伝道旅行をしました。これは第三次伝道旅行が始まったところです。使徒の働きの「18:22それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。」で第一次伝道旅行が終わり、「18:23そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。」とあるこのところから第三次伝道旅行が始まっています。そしてパウロがエペソにやってくることになる。18:24に続きます。
 アレキサンドリヤはアフリカの北部にあります。「アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た」。両親はエジプトのアレキサンドリアで暮らしていた。アレキサンドリアにはユダヤの人たちが聖書を持って大きな影響を与えていた。アポロの両親はきっとその感化を受けており、聖書の神様こそほんとうの神様であると異教徒から改宗し、その両親の教えで、アポロは小さいうちから聖書に通じていたでしょう。「18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。」とある。アポロは、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。十字架の贖いをなし遂げた救い主を知らない。ヨハネという人物は自分よりも後から来る方、わたしはその方の靴のひもを解いて差し上げることはできないほどであると、主の道の備えをしていたほどのバプテスマのヨハネがいっている。このヨハネのキリストへの理解を享けて、アポロは、聖書に通じ、イエス様のことを知っていたわけです。しかし、それ以上ではなかった。イエス様のことを語るけれども、うん?と思ってしまうようなところがあったのです。
 しかし、「それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼(アポロ)を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。」とあります。プリスキラとアクラはユダヤ人でしたがクリスチャンになっていました。アクラの職業は天幕づくりです。パウロがコリントにやってきて伝道しようとしたときに、このプリスキラとアキラ夫妻は同業者であることもあり、パウロを懸命に助けました。そしてこのパウロの教えも受けていた。どうしてこの夫妻がそのときコリントにいたかというと、やがてネロという皇帝がクリスチャンを大迫害するあ、その前の皇帝が、ローマからクリスチャンを追放する命令をしました。それで、ローマにいることができなくなったプリスキラとアクラはコリントにやってきた。そこでパウロがコリントにやってきたときに、非常に近しくし、コリントの伝道を助けたのでした。
 このふたりが、ここではエペソに来ている。エペソで中心的なメンバーとして教会での活動をしていたときに、熱心な若者、聖書に通じているアポロという若者がいた。一生懸命にイエス様の事をおはなしをしている。会衆席で、プリスキラとアクラ夫妻が、頷きながら聴いている。しかし自分たちがパウロ先生からコリントにおいて受けたそれとちょっと違っていた。イエス・キリストの十字架と救いということにおいて、ご夫妻は非常に主に恵まれたご夫妻であっただけに、違いを感じた。そこでアポロを家に招いて食事をまじえながら、夫妻がパウロから受けていたほんとうの神の福音を伝えたのです。そして、アポロは、この夫妻の指摘を喜んで心から受け入れたのです。アポロのすばらしさがわかります。遜って人の教えに耳を傾けました。またもう一つ、麗しいことは、プリスキラとアクラが、決して集会場で、アポロの批判をしなかったことです。
 プリスキラとアクラは行く先行き先でよい証しを立てました。アポロの行く先々に、アポロを歓迎し助け励ますようにといっておいている。そのような励ましを受けながら、「18:28彼(アポロ)は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである」。このときに、「19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2『信じたとき、聖霊を受けましたか。』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。』と答えた。」
 つまり、聖霊というものを知っていたのかもしれませんが、与えられることがあるとは知らな。そこでやがて来るイエス様の福音を知り、パウロから主イエスの御名によってバプテスマを受け、その時に聖霊が彼らの上に臨まれて、彼らは異言を語ったり預言をしたりしました。聖霊降臨の出来事がここに書かれています。
 そしてプリスキラとアクラという人物に似ているなとおもったのは、モラビアンの人々とジョン・ウェスレーとの出会いです。ジョン・ウェスレーは、非常に真面目で真実な学徒であり、まじめに聖書を勉強している人物でした。彼らが几帳面、まじめに生きているのを見て、人々は揶揄して「彼らはメソジストだ」呼んだことからメソジストといわれるようになりました。そんなときに、ウェスレーは、アマリカのインディアンたちに福音を伝えようとして、ジョージアに伝道しようと、アメリカ行きの船に乗り込みます。そこにいたのがモラビアンの人々でした。船が難破しそうなほどの大嵐のときに、モラビアンの人々は、讃美歌tを歌い、礼拝を捧げているのです。ウェスレーは、彼らはわたしの持っていない何かを持っていると思いました。ジョージアでの伝道は敗北でした。訴訟問題までに巻き込まれます。弟のチャールズは別な所に伝道に行き、殺されそうになりました。失意のうちにイギリスに帰ります。そのときに、モラビアンの指導者のひとりであるピーター・ベーラーという人物と出会います。ウェスレーは博学でしたが、素朴なピーター・ベーラーに「わたしは説教をすることができなくなったこと、信仰がわからなくなった」と謙虚に打ち明けます。するとピーター・ベーラーは、言いました「ウェスレー先生、説教をやめちゃいけません。信仰について説教しなさい。そして、わからなくても、信仰について説教しなさい。そして、わかったらば、その信仰について説教するのです」。ウェスレーはそこでほんとうに励まされている。これはまさしくプリスキラとアクラとアポロの理想的な関係の有様です。
 あるときウェスレーは疲れ果てていく気もなかったとき、モラビアン派の集会があるというので、しぶしぶアルダースゲートにある集会に出ました。そこには、学ぶ機会にも恵まれなかった純朴な人が、ルターの書いたローマ人への手紙の序論を読んで人々におはなしをしていました。「義人は信仰によって生きる」、これを聞いたとき、ウェスレーは聖霊に感じ、「わかた!、信仰がわかった。そうだ、クリスチャンになるってこういう事だったんだ」。彼は喜び勇んでチャールズの許に行き、「僕はいまクリスチャンになった!」というと、チャールズはすでに数日前にモラビアンの集会で同じ経験をしていたのでした。それがメソジストの始まりとなったのです。
 ウェスレーはヨハネのバプテスマは受けていた、しかし、イエスの御名による、聖霊によるバプテスマを受けていなかった。培ってきた聖書の心理は、ある時に発火点があって、急に燃え始めて、まさに点火されたのが、アルダスゲートの経験であったのです。ウェスレーのこれまで持っていたすべてが生かされて、そして聖霊経験を持ったウェスレーたちの働きによって、このメソジスト運動が広がっていったと私たちは学ぶことができます。このできごと、使徒の働きの19章、これと殆ど同じではないかと思います。私たちがいま必要なのは、聖霊によって点火されることです。いま与えられている今まで培ってきたものが点火され、燃やされて、一人ひとりが証し人となってゆく、これが2017年の私たちのアルダースゲート、私たちのペンテコステの経験となりますように願うことであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バザーのお知らせ

Dsc00502_2

Img683

Img684

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミニバラとコデマリ

Dsc00408







Dsc00407




| | コメント (0) | トラックバック (0)

日曜日は礼拝、聖書

 

きょうはペンテコステ、聖霊降臨を記念する日です。

Dsc00432
 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の聖書の引証個所です。
ガラテヤ5:16~26

5:16私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 5:19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 5:24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。5:25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 5:26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

Img681
Img682

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サンキュー、サンクス

 ファミリーマートとサンクスを手掛ける「ユニーグループ・ホールディングス」が、コンビニ事業を「ファミリーマート」に統合、新装開店でメリット、デメリットはあるようだけれども、デザインとしてはサンクスの方がいい。街を明るくしてくれていた。生活圏にはサンクスが多かったので、これが次つぎにすがたを消すのは、店舗自体がなくなるのではないとしても、なにか寂しい。

Dsc00506
Dsc00505

Dsc00515

Dsc00516

| | コメント (0) | トラックバック (0)

盛岡タイムス連載 「楽都のユニゾン」―鳥取春陽と太田カルテット―連載第四回

Dsc00445
 きょうの盛岡タイムス紙に、連載「楽都のユニゾン」-鳥取春陽と太田カルテットーの第四回が掲載されています。ご覧いただければうれしく思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

朝の風景

Dsc00475

Dsc00460_2
Dsc00477

もりおか歴史文化館のまえにある「教育の像」。

Dsc00482
 ☆  ☆  ☆

 

はやくも六月。五月のおわりには、ちょっと息切れ。暑いあつい五月でした。
 運動不足を覚え、けさは歩きました。
 いまにも泣きだしそうな空のしたに、像や作業が輝いてみえました。

 中の橋では、朝はやくから業者の方が、ハンギングバスケットを掛ける作業を。盛岡の街がまたまたきれいになっています。

Dsc00494

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »