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聖書のことば

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教をおつたえいたします。

P1130477
聖書引証 第二ペテロ3:1~13

3:1愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。 3:2それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。 3:3まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、 3:4次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」 3:5こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、 3:6当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。 3:7しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

3:8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 3:9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 3:10しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 3:11このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほどきよい生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。 3:12そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。 3:13しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

説教『率先避難者たれ』(國光勝美牧師)

 
6年前の東日本大震災を、私たちは改めて思うことです。
 きょうお読みいただきました第二ペテロの手紙ですが、これはペテロの手紙が書かれてから凡そ
3年後に書かれております。そしてこれを書いて間もなく、ペテロは殉教しました。第二ペテロ11415、

1:14それは、私たちの主イエス・キリストも、私にはっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。 1:15また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです。

 ちょうど、パウロにとっての第二テモテがそうであったように、ペテロは、これを記して間もなく、ネロの手によって殉教いたします。彼が使徒としての使命を帯びた大切な遺言的なメッセージです。私たちが去ったあとに、いろいろな試みがあなた方にやってくるけれども、どうかこの手紙を読んで、この時代の事を心得ておいて欲しい、それが3:3~10です。

3:3まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、 3:4次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」 3:5こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、 3:6当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。 3:7しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

3:8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 3:9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 3:10しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

 終末の世の終わりのことについて記されています。

今日の引証では省いておりますが、314を見ると

3:14そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

 このようにペテロは、この遺言的な書を遺しております。まるで今の時代をぺテロが予測して書いているかに感じます。小さな隣国が、もし悪意に満ちて核のボタンを一つ押したとき、易々と日本海を越えて核兵器が飛んでくる時代に私たちはおります。また、更にいうのならば、天文学も進んでおりますが、そのスケールから今の地球を見たときに、天の万象が焼け崩れ落ちるという表現をペテロが使っていますが、今の私たちに許されている科学的な表現を使うなら、地球に向かう小惑星の衝突が現実的に考えられている。すべてを支配しておられるお方の存在を思うときに、この3章に書かれている事は、決して絵空事ではなく、十分にこれらのことがあり得る、そのことをみ前に覚え、第二ペテロを開きますと、確かに、あの3・11のまさか、想定をはるかに超える津波が襲ってきた事どもを踏まえ、そのときにどのように対処したのかを心に留めながら、きょうのメッセージを持たせていただきたいと思っております。

 あれから6年。あまりにその日の事は印象的です。記録を見ました。私たちはこの週の月曜日、311日が金曜日ですからその前の月曜日に、その年の東北聖会をどこで開こうか、秋田教会の神谷先生と田沢湖畔で落ち合い、候補地の施設を一つ、二つ、相応しいかどうかの打ち合わせをしておりました。これが、この週の月曜日でした。310日に八幡平の家庭集会を持っております。

 3月末にS兄の結婚式を持つということで、糸魚川の方からご兄弟、ご両親がいらっしゃいます。掃除をしていました。午前は脚立に乗って高いところを、午後は低いところをやっていたときに、地震がきました。2日前の水曜日、祈祷会のときにも地震がありました。しかし、11日のこんどは揺れが収まりません。食器が落ち始めました。地震の恐怖はいつ収まるか分からないところにあります。尋常ではありません。書棚が倒れ、上にあったスピーカーがどんと落ちてきました。漸く収まったのが10分後。書斎が滅茶滅茶です。信者さん方が心配になり、安否確認に各戸を訪れました。ストーブが無い方に、屋根裏からストーブを探し出し届けました。

 O兄のところで、岩手日報に載った山田の写真を見せられました。ガソリンスタンドは長蛇の列、そして交通渋滞です。M・K姉の方に回って近づくと、そのあたりで自家発電をやっており煌々と明るい。周囲が真っ暗なので、ものすごく明るかった。これで連絡がつかない方々のところへは全部行ったわけです。あと心配だったのは、東北教区がどうなっているか、電話はどこも通じない。とにかく腹ごしらえをしたのが土曜日の夜。その後、私は猛烈に頭が痛くなった。手探りで鎮痛剤を探し出し服用しました。仙台の様子がわからない、仙台のNさんに連絡を取ると、「これから礼拝を守るといってます」。あと、秋田も連絡がつきましたが、山形がどうしても連絡がつかない。ほどなくだいじょうぶであることがわかった。あれから6年ということです。いちばん気にかかったのは、かつて教会にいらしていた山田の兄弟姉妹方がどうなったかでした。やっとお会いできたとき、この方々が仰ったことばが残っています「壊滅という言葉は知ってはいた。しかし、これがホントの壊滅であることを初めて知った」と。何とも言えない気持ちになりました。避難所に名前が出ているということで行ったところが、なかなか分かりませんでした。助かっていることが分かったときは本当に嬉しかったです。一週間後のことでした。お会いした時に財布がないというので、持っている財布をそのままお渡ししました。もっとはやく行きたかったのですが、ガソリンが手に入らなかったのです。山田に実家があるS兄の家は被災しませんでした。

 これらの事を思い起こしながら、もういちどみことばに心を向けましょう。

第二ペテロ「31記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。」

「奮い立たせる」、ペテロは、これが必要だと言っています。末の世に生きている私たち、どうか記憶をしっかりと呼び覚まし、信仰を奮い立たせるように。神のことばは、必ず成就します。

3章35節にあります。

3:3まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、 3:4次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」 3:5こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、」

 ノアのことを思い出してください。ノアが箱舟を作っていた時、人々は、見ろよ、ノアは頭がおかしくなっちゃったんだぜ、雨が降る雨が降ると言ってさ、大きな舟を作ってるんだよ。どこに?山の上に作ってるんだよ。人々は馬鹿にして、そんなこと起こるはずがないじゃないか。ノアは言います。さあ皆さん、雨が降りますから、どうかこの箱舟に入ってください。ところが誰も入りません。世の中の人々には想定外のことです。そんなばかなことがあるか。この世の終わりの事を言っているにも関わらず、本気で信じる人たちは、頭がおかしいのだと言われてしまう。世の終わりだって? 滅びのためにとっておかれるんだって? 火で焼かれるんだって? ばかばかしい。5節「こう言い張る」。聖書の第二ペテロ35節の欄外のところに「彼らは次のことを故意に忘れようとしているのです」とあります。神の裁きというものを全く知らないわけじゃないけど、そんなこと関係ないよ。しかしペテロは言っています、どうかしっかりと思い起こすようにと。終わりの日には不敬虔がはびこり、神なしとする世界が行き着くところまで行きついてしまっている。神様は裁きのために、それを保っておられる。しかし、8節以降をご覧ください。
3:9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
 神様は憐みのときとして今このときを、私たちに与えていてくださるのです。私たちは、釜石の子供たちのあの避難の見事さ、たぶん数日前の特集などでご覧になっているでしょう。特に対照的だったのは、仙台の大川小学校。大きな悲しい出来事を経験しています。釜石の子供たち、彼らの学校はハザードマップから見ると、その範囲から外れていたそうです。常識から考えて、津波警報があったとしても、ここには来ないと思っていた。しかし釜石の彼らは地震が起きてすぐに
10分後にはもう第一番目の集合場所にちゃんと並んでいた。それが第一次の避難場所だったわけです。しかし、その中で、もうすこし安全なところがあるからそっちに行こうと二番目の避難場所よりもさらに上に逃げていって、そしてさらにはそれぞれが山に登る。その状況下で最善を尽くしている。今でも心打たれるのですが、上級生が幼い子の手を引きながら逃げていく。ほかの人たちもその姿を見てやはり逃げる。これは勇気の要る行動だと思うのです。だいたい津波警報が出たって、せいぜい10センチの津波だというようなことが繰り返されていたわけです。ですから、そんな大げさな、なに警報がでたってと油断するのが普通です。

 逃げる、これを皆さんどう思いますか。私たちクリスチャンが世の中の人たちにありがちなふつうの意識でいいのでしょうか。主の再臨と言うまさにこの今第二ペテロで見たこのことを心にとめて、どれだけ行動をとることができるでしょうか。知っていることと、実際にその行動を取ることとは別問題です。

 数年前、別府の先生が、仲間たちと視察に見えました。どうして別府の方が視察に見えるほどに真剣に考えるのだろう。そして直ぐにわかりました。南海トラフの予測です。311を超えるかもしれない、これに備えるべく釜石に視察に来られたわけです。

 有名な碑はそちこちにあるのですが、釜石のちょっと南の方の唐丹地区に津波の碑が新しくできていました。そこに中学生が一人ひとり標語のようなものを書いています。印象的だったのは「百回逃げて、百一回でも逃げて」。実際この第二ペテロが主の再臨、世の終わりについて教えているときに、私たちは、これはどこか現実的でない。知識としてあっても体の中に行動を取ることができない何かがあるとすれば、また同じ失敗をしてしまう可能性がある。逃げるという事、実際にこういう行動を取るということ、どうか私たちは勇気をもって、そして、イエス・キリストの十字架とその救いと主の再臨のときに私たちはみ前に出ることができるように、心を一新すべきです。
第二ペテロ
31214
3:12そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。 3:13しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

3:14そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

 いまここで、本気になって信仰生活を歩んでもらいたい。

 教団の年会で上京しますが、南海トラフにいつ遭うかはわかりません。極端に走って、この日時を宗教的に特定しようとしてしまうようなことは悪魔の仕業です。悪魔は真理をゆがめて人を惑わそうとします。注意深くあらねばなりません。

 当たり前のように毎年のように行くけれども、しかし、お祈りをして、それぞれ変わりなくいつも通りに行きましょう。祈りの時をもっていきます。これを心にとめていくべきであろうとおもいます。

 あの小さな子供たちの手を引いて逃げた姿、それを見て第二の避難の地点からさらに山に逃げた人たち、彼らには危機意識が養われていた。私たちもどうぞ終末の意識を正しい意味において持ち、主の前に出ることができるように、私たちのクリスチャン信仰が、皆様方の近しい方々に、ああ、あの人が逃げたんだから、私たちがイエス様の十字架のもとに逃げたように、あの人に倣おう、率先的な避難者として証しを立てることができるように、勇気をもって、みんな神を否定しているときに、一人がクリスチャンになるということは、ノアが人々からあざけられたように、あざけられます。しかし、どうぞ、勇気をもって、このお言葉をしっかりもって、率先避難者として、イエス様の十字架のもとに逃げるものとして、証しをさせていただきたいと存じます。

 

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