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聖書のことば

先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教です。

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聖書引証 ハガイ書2:1~9
1 ダリヨス王の第二年の第七の月の二十一日に、預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。
    2 「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者とに次のように言え。
    3 あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。
    4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。――主の御告げ――エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。――主の御告げ――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ――
    5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。
    6 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
    7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
    8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ――
    9 この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。――万軍の主の御告げ――」

説教題『主と共に仕事に取りかかろう』(國光勝美牧師)

31日は私の誕生日、70歳になりました。
どうぞこの年おことばで導いてください、これは切なる祈りでした。そしてハガイ書12章が示されました。特に15に「あなたがたの現状をよく考えよ」とあります。17にも「あなたがたの現状をよく考えよ」と。この教会に遣わされて44年経ちますが、このことを今深く示されております。18には「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう」。山に登り、木を運んで来て、宮を建てる、このような労力を払って、しっかりと教会を建てるようにと神様は命じておられる。そして113「「わたしは、あなたがたとともにいる。――主の御告げ」。神様がともにいてくださるというのです。ことしの教会の働きを進めようとするときに大きな励ましとなりました。244 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。――主の御告げ――エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。――主の御告げ――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ――

 神様はこの年、このおことばを羅針盤とし励ましとして、さあ、私が一緒にいるから強くあれ、仕事に取り掛かれ、このおことばに導かれて歩むんだよと仰る。私たちは、確かな指差しを得て、この方向に向かって共に歩ませていただきたい。

 また「あなたのみことばはわたしの足の灯、道の光」とのみことばがありますが、ハガイ12章の意味をより正しくとらえるためには、これを全体的に捉える必要があると導かれております。

ここでエズラ記をお開きください。先の「仕事に取り掛かれ」を健全に理解するためです。
イスラエルの民は、バビロンという異教の帝国に滅ぼされてしまいました。しかしイスラエルは、70年の後に異教の王でありましたが、クロス王によって、あなた方の祖国に帰りなさい。帰ってあなた方の民族的な誇りである神殿を立て直しなさい。費用はこちらで持ちますとの解放があり、エルサレムに帰ることができたという歴史があります。

 エズラ記1:1「 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。

 とある通りですが、この喜びを受けて、エズラ記2

1 バビロンの王ネブカデネザルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。
2 ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナ。イスラエルの民の人数は次のとおりである。

それからエズラ記7章をご覧ください。

1 これらの出来事の後、ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、エズラという人がいた。
6
エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。

ここを見ますと、エズラに率いられてバビロンから帰ってきたイスラエルの人々がいたのです。前半は、ゼルバベルをリーダーとしてヨシュアらに率いられて帰った人々であった。この人々が勇んで帰ったものの、先住民にとっては、このイスラエルの人々は自分たちの居住地に強引に入り込んだ迷惑な存在でしかなく、イスラエルの人たちに敵対し、神殿建設を妨害し、頓挫させてしまいます。

ここでエズラ記からハガイ書にとびます。同じ聖書の中にあっても、エズラ記は歴史書として編纂され、ハガイ書は預言書として編纂されているために、このように頁が離れております。

ハガイ書の1章には、ハガイが神様から遣わされた預言者としての民へのことばが記されています。

2 「万軍の主はこう仰せられる。この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」
3 ついで預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。
4 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。
5 今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。
6 あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。
7 万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。
8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。
9 あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。――万軍の主の御告げ――それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。

神殿の建築を始めたものの、先住民の妨害にあっては、容易にはいかない。イスラエルの人たちは、今はまだ宮を建てるときではない、その時期はまだ来ていないと言い出します。こうして、人々は、神殿を建てるという崇高な目的よりも自分の家を建てることを優先してしまったとき、ハガイが神のメッセンジャーとして次のように言います。

「よく考えろ! いまあなた方のとっている生活、あり方は、これでいいのか、よく考えろ! 神の目的を第一にすればいいものを、神の事を後回しにしてしまう、よく考えてみろ!!!」

ハガイは歯がゆくてならなかったでしょう。目的を神第一にすればいいものを、わかっていながら神を後回しにするイスラエルの人々。ですから「よく考えてみろ!」と言ったのです。

2 「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者とに次のように言え。
4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。――主の御告げ――エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。――主の御告げ――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ――」。ここでハガイは、頓挫しかけている宗教指導者であるヨシュアを励ましています。
7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
8
銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ――」。ハガイはこのようにイスラエルに檄を飛ばしました。

ゼルバベル、ヨシュア、イスラエルの人たちの神殿建設、今で言いますと教会建設に想いをいたします。私はこの地で70歳を迎え、もう一度みなさまと一緒に、あの開拓のときのような初めのスピリットをもって、教会建設をさせていただきたい。

23節に、自己卑下に陥っているすがたが書かれています。「3 あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。

私自身、ここは地方都市で東京のような大都会とは違うのだ、などといった思いに駆られることがあります。いつの間にか自己卑下に陥っている。また敵対勢力もあります。土着の宗教やその土地の因習もあります。教会に対する偏見もあります。教会建設には困難がつきものです。それも内外からあります。

私たちは、ほんとうに神第一としているでしょうか。神よりも自分たちを優先してはいないでしょうか。山に登り、木を運ぶといった労力、奉仕を惜しんではいないでしょうか。ハガイは、「強くあれ、仕事に取り掛かれ、わたしがともにいる」と、このように私たちに励ましを与えてくれています。

いかなる困難があろうとも、ゼルバベルと共に、ヨシュアとともに、皆様方と共に、この地に教会を建てあげさせていただきたいと願っております。

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