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ゆっくりしすぎて

 10月末近くには、だいたい大きな地域行事は終わり、教会も秋の特集が終わった、と書きながら考え込んでしまった。次に何を続けようか。考えこんでしまう理由は、これはこのまま書けば差し障りがあるな、これもいいことではあるが個人情報だ。こんなことを書いたところで面白くもなかろうと、はてもなく非生産的な思考が続きそうになる。実際こんな日は、ほんとうは、あっさりとPCを閉じた方がいいのだ。

 きのうは午後すこしゆっくりしようかと「新世界」の4楽章、落差1500メートルに落下する滝の飛沫を全身に浴びているかのような心地よさを感じる。そして小澤征爾のベートーヴェン7番、5番、6番と聴きながら、作曲者の楽譜通りの演奏はどんなものだろうかと思った。それから辻井伸行をつい次つぎに聴いてしまった。特にカーネギーホールでのDVDは、これも一つの神の奇跡ではないかと耳を澄まし、聴衆の歓呼に応える辻井さんのすがたを見るたびに感動で涙。聴きすぎたと耳奥に若干の疲れを覚えながら夕方の家事をこなし一段落。見る予定の9時からのズービン・メータと小澤征爾、そして正装の観客席、これがなぜか、どういうわけか、疲れていたせいか、もう脳のどこかが眠っているのか、精彩を欠いて見えたのには、こんなはずじゃなかったと耳を目を疑ってしまった。演奏自体は悪くはないはずで、結局自分を疑うしかなかった。こんなこともあるのだ。

 けさは、ゆっくり休んだ方がいいと5時起きにはこだわらずに起き出してみると、クラシック倶楽部は最後部分、曲名が映っていた。ハインツ・ホリガー オーボエ・リサイタルだが、演奏曲はだいたい聴いたことがあるから、まあ惜しいと言えば惜しいけれども。そして次のいつもの名曲、名曲という言い方はあまり好きではないけれども。それが、もういちど見たいと思っていた西條八十のこと。もういちど見たいと思っていたものを、あ、また流してくれるとありがたく思ったのは、ショパンの「ノクターン嬰ハ短調」とべートーヴェンの「クロイツェル」だったが、今回は「歌を忘れたカナリア」の西條八十。

 どこにも差しさわりがなく気兼ねなく書けるのが音楽。しかし音楽は文字にしてみたところで音にはならない。それを延々と続けることがよいのかどうか
 文章で的確に訴えてくるもの、胸に刻まれるものは、やはり精度が高い筆致で書かれたものだ。そういう文章はなかなか書けそうにもない。

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