ひと目盛以下の自覚
きのう、台風18号、真夜中の知らぬ間に駆け去って、迎えた朝の空模様。暗雲はまだのこるも、暗雲のうえにたしかに広がる青空への足掛かりは開かれる。
晴れる! アクセル全開で夏物をしまい込み、いまだ入門編レベルの家事をこなす。
そして夕刻にどれがいいかなと迷ううちに手に取ったのが長岡京室内アンサンブル。ケースからディスクをはずすと
秋、秋のただ中。して、肝心の響きはどう?
アンサンブルとは、奏者がみな一丸となって一つの音色を醸し出すことと思い込んでいた。ところが、このディスクの解説者はこう評している。
「指揮者のいないアンサンブルの弱点をまったく感じさせない。それどころか指揮者なしでこそ表現できる室内楽的な求心力が極限まで示され、すばらしく自由な、自発性に富んだ流麗な音楽を聴かせた」(小石忠男)ー日本経済新聞掲載からの抜粋
「極限まで」に頷くべきか否か、私の能力では聴き分けかねるけれども、たしかに「素晴らしく自由な、自発性に富んだ」にはなるほどこうも、と納得。アンサンブルへの思い込みを解消してくれた一枚となった。
バルトーク「弦楽オーケストラのためのディヴェルティメントSz113」を興味深く聴いたのは、いまがそういう心境にあるからかもしれない。
☆ ☆ ☆
クラシック倶楽部、6日は、イアン・ボストリッジ テノール・リサイタル。リンク先にとべば数々歌ってくれているのだが、やはり早朝であることもあり、こちらの脳がまだすっきりと目覚めていないこともあるかもしれないけれども、ブリテンの曲が好ましく思われた。ブリテン編曲のスコットランド民謡「悲しみの水辺」、しみじみと聴いた。民謡、多くの人々に愛されて多くの人々の心に時を超えて生き続ける、すばらしいことです。
きょう7日、webを転載して
イェスティン・デーヴィス カウンターテナー・リサイタル
▽【出演】イェスティン・デーヴィス(カウンターテナー)、トーマス・ダンフォード(リュート)【演奏曲】あなたは見たか、晴れやかに咲くゆりを(ジョンソン)、帰っておいで(ダウランド)、あふれよ、涙(ダウランド)ほか【収録】2016年2月4日(木)武蔵野市民文化会館小ホール
これはぜひ聴いてみたかった。
カウンターテナーとリュートの齟齬を感じさせない自然な有機的な音の響きあいがいい。ダウランドはエリザベス朝の最も優れたシンガーソングライターだという。リュート奏者でありリュート歌曲を作曲。作詞はいまの流行歌とたいして変わりないように思う。作詞者は不詳か。しかしダウランドの曲はカウンターテナーの声質と相俟ってなかなか内省的な深みが感じられた。むしろ歌詞なしで、ことば以前の響きを聴いた方がはるかに値が出るかとも思われた。
☆ ☆ ☆
音楽を聴くのは悪いことではないけれども、けっこう時間を費やす。何かをしながら聴くのがいいかもしれない。差し迫った忙しい事ができれば、そうもしていられなくはなる。すでに懸案事項、一つはあるのだけれども。
☆ ☆ ☆
「しかし、ついには霊が私たちのうえに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる」イザヤ書
これが昨日今日と浮かんだことば、そしてきょう我が家に慶事が一つあった。神の采配は憶測も及ばない。神が何をどのように動かそうとしておられるか、 自分の思惟や知恵の軽さは秤のひと目盛以下であることを自覚する。
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