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2016年10月

雑感

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 幽霊ではありません。繁みに映っていた自分の影です。朝は7時を過ぎないと、写真を撮るのに必要なだけの光がさしません。これもぼんやり。ことしはまだ鮭の遡上を見てはいませんが、もうとうに来ていて産卵を終えたことでしょう。10月1日に水中から撮影した魚影がネットに出ていました。今夕の天気予報には雪マークがちらほら。岩手県北部はいよいよ降るのでしょうか。きょうは居間にコタツを設置。朝の冷え込みに備えました。
 ブログの更新は、新聞配達や郵便配達の方々のように責任をもって滞りなく行うほどの責任感や使命感に乏しく、近ごろは、無理は禁物と休むことの方を優先することも多々。club

 先週金曜のクラシック倶楽部、今朝の番組ともに観ずじまい。今朝の
「トランペット界のパガニーニと絶賛されるセルゲイ・ナカリャコフが登場」の番組予告、これは何としても聴かなければと思いつつ、観ないでしまい、残念でならず、アマゾンで中古のディスクはないかしらんと思うも、待てよと先ずはyou tube をあたると2曲ばかりヒット。パガニーニが引き出された理由を演奏から若干は納得。それにしても、
やはり「アダージョとアレグロ 作品70」シューマン、「ルーマニア民俗舞曲」バルトーク、「幻想小曲集 作品73」シューマン、「愛の小道」プーランク、「華麗なる幻想曲」アーバンがどのように演奏されたのかを聴きたかった。備忘録を記し、アマゾンを探してみよう。spade

 10月も終わり。庭のいたるところに生え出ているサンショウの木についていたアゲハの幼虫は、一か所だけをのこして、みなすがたを消した。一か所とは丈髙い花の生い茂った奥まったところにあり、日当たりはそう悪くもなく、鳥が来ている気配がなかった所にある。3頭のアゲハが棲息。このうちの1頭は葉を食べつくした木から強制移住させたもの。朝に見ると中心部の枝に頭部を上にしてしっかりと枝に付いていた。それが夕刻に見ると、一頭の姿が消え、新たにまだ白と黒の斑なまだ1センチばかりの幼虫を発見。寒くなってくるがどうなることか。すでに青く立派に育った2頭はほどなく蛹になるだろう。しかし斑なのはどこまで大きくなれるだろうか。eye

 

 きょうは小泉八雲が一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」から自著『怪談』に取り上げ広く知られるようになった「耳なし芳一」を思い出し、琵琶「壇ノ浦」を聴いてみた。diamond

 

 ☆  ☆  ☆

 

 10月もきょうで終わる。音楽の事ばかりを書いているようですが、これは生活のほんの一部にすぎません。11月がどのような歩みになりますか、自然体でいくまでです。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

 

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 先週は工藤輝雄先生の特別集会でした。礼拝説教の引証はルカ伝23:32~43、説教題は『あなたはパラダイスにいます』。

32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。
33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。 34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。 35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」 36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、 37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言った。 38 「これはユダヤ人の王。」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。

39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
 

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クラシック倶楽部ーフルート、トロンボーンー

クラシック倶楽部10月26日。カール・ハインツ・シュッツ フルート・リサイタル ▽ウィーンフィルの首席ソロ奏者シュッツが登場 ▽【出演】カール・ハインツ・シュッツ(フルート)、村田千佳(ピアノ)【演奏曲】ハイドン:フルート・ソナタハ長調 作品74、ブラームス:フルート・ソナタ変ホ長調 作品120-2、プロコフィエフ/シュッツほか編:「ロメオとジュリエット」組曲から 【収録】2015年2月5日武蔵野市民文化会館小ホール 

 自分のための備忘録として演奏内容を転載している。
 画面の解説に、ブラームスのフルートソナタが、「クラリネット奏者ミュールフェルトの演奏から霊感を受けて作曲された」とあった。ミュールフェルトとは何者なのか。これもすぐに出てきた。ブラームスと彼がいつ出会ったか、俗説とまでいえるかどうか通説とでもいったらいいのか、それと正論と思しき洞察が出てきて面白い。斯くまでブラームスを魅了したミューンフェルトの音源は残ってはいない。が、このページでは次のように述べている。

 オッテンシュタイナー製のベールマン式クラリネットから紡ぎだされるその音は、甘く、繊細で、温かく、素朴な音色だったという。また、ヴァイオリンからクラリネットに転向したミュールフェルトの演奏は、かなり伝統から外れた独特のものだったらしく、ヴィブラートを多用して思い入れたっぷりに吹いたようだが、音楽的な解釈も大変優れていたので、その表現方法を学ぼうとクラリネット以外の演奏家も彼を訪ねたそうだ。当時の名ヴァイオリニスト、ヨアヒムですら、「表現力ではミュールフェルトに適わない」と述べたという。
 何れ創作のインスピレーションをもたらす存在がクリエーターにとっていかに重要であるかをここでも想わせられた。

10月27日。ミシェル・ベッケ&ヨルゲン・ファン・ライエン トロンボーン・デュオ・リサイタル ▽【演奏曲】ソナタ ト短調 作品2第8(ヘンデル)小品 変ホ短調(ロパルツ)カプリッチョ・ダ・カメラ 作品35(クロル)ロマンス(スヴィリドフ)オブリヴィオン(ピアソラ)ヴィオレンタンゴ(ピアソラ)おぼろ月夜(岡野貞一) ▽【出演】長尾洋史(ピアノ)▽【収録】2014年3月3日/紀尾井ホール

 
今朝は、トロンボーンの可能性の大きさを。オーケストラの1個性ではなくトロンボーンとしての可能性、これにもピッコロ、ソプラノ、アルト、テナー、バス、コントラバスなどの各トロンボーンがあり、広く音域をカバーできる。何れ管楽器の多くは、弦楽器のように広く音域がカバーできる類似楽器があるようだ。製造は世界に15社あるようだけれども、所謂名器がどこの製作楽器であるのかわからない。スヴィリドフのロマンスはプーシキンの「吹雪」のための挿画的な曲。吹雪のよい朗読音源があったので聴いてみる。
 
スヴィリドフ彼の師はショスターコーヴィッチ。同じく、体制には同調しなかった。
 最後にていねいに演奏してくれた「おぼろ月夜」心にしみました。

 こうして聴いたあとにも、その関連で楽しむことができました。
 この番組のあとに、べートーヴェンがクロイツェル・ソナタを生んだ住処
パスクワラティ・ハウスが映し出され感謝!

  ☆  ☆  ☆

 それにしても、辻井伸行さんのカーネギーホールデビュー盤収録の辻井さんの作曲による「それでも生きていく」、ほんとうに涙が出ます。それでも生きていく。誰の心にもある想いでもある。敷衍すれば、何があろうと、どんな困難があろうと、どんなに傷つこうと、それでも生きていく、生きていきましょうと励まされるのです。きのうも聴きました。きょうも聴きました。

 

 

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マルティン・フレスト  & 自己責任

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 きょうのクラシック倶楽部、番組半ばにTVのスイッチ・オン。しまった、これこそ最初から観るべきだった。クラリネットの可能性を引き出すにかけて天才的。クラリネットでこんな演奏ができるとは! 

マルティン・フレスト クラリネット・リサイタル ▽【出演】マルティン・フレスト(クラリネット)、ローラント・ペンティネン(ピアノ) 【演奏曲】シューマン作曲 幻想小品集/バルトーク作曲 ルーマニア民族舞曲から/ブラームス作曲 ハンガリー舞曲から/ファリャ作曲 スペインの七つの民謡から「こもり歌」/ヨーラン・フレスト作曲 クレズマー舞曲 ほか【収録】2015年1月10日/武蔵野市民文化会館小ホール -クラシック倶楽部より転載ー

 このコンサートの2日後に、兵庫芸術文化センターでマルティン・フレストのリサイタルを聴いた「住宅街の中の山小屋」さんが感想を出していたので、存じ上げない方ですが、勝手ながらつないでおきます。曰く言い難いところを明快に述べてくださってます。
 管楽器はそれほど聴かなくとも、と思っていたのですが、やはり、できるだけ聴いておいた方がよさそう。

  ☆  ☆  ☆

 地域の大きな行事は終わったとホッとしていたところがまだ。きょうはさらに大きな括りでの地域の行事があり、9時半からと思っていたところ、9時集合。つまり30分の遅刻。やってしまった! スミマセン。ゴメンナサイ。役目だったテーブルの設置は終わっていた。尤も、このための会議に事情あって欠席したために役割分担を把握していなかったのだ。それもこちらから事前の確認を入れなかった自己責任、凡そはわたしの側の自己責任だ。 

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ゆっくりしすぎて

 10月末近くには、だいたい大きな地域行事は終わり、教会も秋の特集が終わった、と書きながら考え込んでしまった。次に何を続けようか。考えこんでしまう理由は、これはこのまま書けば差し障りがあるな、これもいいことではあるが個人情報だ。こんなことを書いたところで面白くもなかろうと、はてもなく非生産的な思考が続きそうになる。実際こんな日は、ほんとうは、あっさりとPCを閉じた方がいいのだ。

 きのうは午後すこしゆっくりしようかと「新世界」の4楽章、落差1500メートルに落下する滝の飛沫を全身に浴びているかのような心地よさを感じる。そして小澤征爾のベートーヴェン7番、5番、6番と聴きながら、作曲者の楽譜通りの演奏はどんなものだろうかと思った。それから辻井伸行をつい次つぎに聴いてしまった。特にカーネギーホールでのDVDは、これも一つの神の奇跡ではないかと耳を澄まし、聴衆の歓呼に応える辻井さんのすがたを見るたびに感動で涙。聴きすぎたと耳奥に若干の疲れを覚えながら夕方の家事をこなし一段落。見る予定の9時からのズービン・メータと小澤征爾、そして正装の観客席、これがなぜか、どういうわけか、疲れていたせいか、もう脳のどこかが眠っているのか、精彩を欠いて見えたのには、こんなはずじゃなかったと耳を目を疑ってしまった。演奏自体は悪くはないはずで、結局自分を疑うしかなかった。こんなこともあるのだ。

 けさは、ゆっくり休んだ方がいいと5時起きにはこだわらずに起き出してみると、クラシック倶楽部は最後部分、曲名が映っていた。ハインツ・ホリガー オーボエ・リサイタルだが、演奏曲はだいたい聴いたことがあるから、まあ惜しいと言えば惜しいけれども。そして次のいつもの名曲、名曲という言い方はあまり好きではないけれども。それが、もういちど見たいと思っていた西條八十のこと。もういちど見たいと思っていたものを、あ、また流してくれるとありがたく思ったのは、ショパンの「ノクターン嬰ハ短調」とべートーヴェンの「クロイツェル」だったが、今回は「歌を忘れたカナリア」の西條八十。

 どこにも差しさわりがなく気兼ねなく書けるのが音楽。しかし音楽は文字にしてみたところで音にはならない。それを延々と続けることがよいのかどうか
 文章で的確に訴えてくるもの、胸に刻まれるものは、やはり精度が高い筆致で書かれたものだ。そういう文章はなかなか書けそうにもない。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

 「松川(岩手県の松川温泉)の紅葉が、まあ、見事で見事で」。きのうお電話いただいたこの方は80代半ば。近場であればご自分で運転もなさる。縦横無人に動いておられる。かくいう自分は、80半ばでこれぐらい元気でいられるか自信がない。飛躍するけれども、いま米の第45代大統領の座をめぐって悪趣味なお祭りさわぎも交え熾烈な戦いを展開しているおひと方は68歳、この1026日が誕生日だから三日後には69歳になる。もうおひと方は70歳。超人的な気力、体力だ。政治家の世界では、70代はこれから。前途洋々? たるもの。驚異的だ。
 体力、その他もろもろのエネルギーが週末には尽きる身には、驚愕のシンフォニーどころではない、途方もなく底知れぬ世界と見えています。


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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師の説教は『祝福の源に』と題し、創世記1214からのおはなしでした。

1 主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
2
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
3
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
4
アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。

  ☆  ☆  ☆

 教会では次のような特別企画集会があります。おでかけください。

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まずだいいちに & チェロアンサンブル

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 けさ真っ先に浮かんだことばは、「先ず神の国とその義とを求めなさい」。警告と祝福の両方だと受けとめました。人を介して届くことばは、時として屈折することがある。素直になれないことも無きにしもあらず。しかし神から、というとそれこそこれは心霊か、やたら神がかって見せているのかという疑念を呼び起こしかねないので、神からという言い方を変えて、聖書から直接に心にやってきたことばは、と言ってみますが、このストレートさは、かえってもうストンと落ちてしまって、はい、という以外の対応を探る余地がないのです。というわけで祈りました。

  ☆  ☆  ☆

 
けさのクラシック倶楽部は、

チェロ・アンサンブルのたのしみ ▽【出演】上森祥平(チェロ)、上村昇(チェロ)、河野文昭(チェロ)、林裕(チェロ)、藤森亮一(チェロ)【曲目】ブラームス作曲「間奏曲」、フンパーディンク作曲 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲 ほか 【収録】2016年2月20日 京都府立府民ホール・アルティ

 5人のチェリストのアンサンブルともなると、なかなか選べる曲がないことから、編曲が重要になってくるようです。河野文昭さんが代表でおはなしくださいましたが、編曲も数多く手がけており、今回演奏したシューマン「バッハのg名前によるフーガ」、フランク「天使のパン」も編曲。最初は1982年に上村昇、河野文昭、黒沼俊夫で京都で結成し、30年続いている。今のメンバーとは13回目だとか。拝見して、同じ曲を奏でながらも、或いは、5人が5通りの独自の音楽理解をお持ちかもしれない、それぞれが同じ曲を個別にソロで弾かれ録音したとしたら、などと考えてしまいました。
 
京都府立府民ホール・アルティのステージは、四方に演奏者の間近に客席が迫っており、しかも奏者の後ろの最前列はステージよりも一段高く、奏者の前の最前列はステージよりも一段低いだけという、弦の響きを直に体験できるとてもよい条件、室内楽を聴くのには理想的な造りであると思った。このアンサンブルは地元でも大変人気があるようだが、このようなアンサンブルのある京都を、新たな視点からよいまちだと思われてきました。

  ☆  ☆  ☆

 いつも拝見しているブログ、作曲家木島由美子さんの委嘱作品「瑠璃」が10月27日初演となるようです。お近くの方々は是非お聴きください。

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クラシック倶楽部ーチェロ編を聴いてー

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クラシック倶楽部、今週はチェロということで、月、火曜日は目覚ましをセット。目覚ましで起きるのはよくない、精神的によくないのか、実際にどこかにダメッジを加えることになるのか、ストレスになるということなのかはわからないが、何れよくないとどこかで聞いないた気がする。それが、この2日で「よくない」という理由の一端がわかった。
 せっかくの演奏にどこか靄がかかっているようで、ちょうど一昨日の朝のように、いつもの見慣れた町並みが視界10メートルの深い霧に閉ざされていたのだけれども、音が深い霧にでも閉ざされた景色のように感じられたのだ。運動神経も聴覚もまだ微睡んでいる。しっかりと聴こうと思うなら30分前、つまり4時半には起きていなければならない。録画せずに聴こうとなれば、冬場にはなかなか厳しい修行となりそう。もしかすれば挫折もあり得る。
 と思いつつ聴いたーと書きながら、またフツリと書いた分が失われることを恐れて一回セーブ、安心してまた書き出すー

 

 月曜日、ダニエル・ミュラー・ショット 無伴奏チェロ・リサイタル【演奏曲】プロコフィエフ作曲 無伴奏チェロ・ソナタ 嬰ハ短調 作品134、これはロシアの作曲家ウラディミール・ブロックによる補筆完成されたとか。/クラム作曲 無伴奏チェロ・ソナタ、これはチェロの好きだった母にささげられている。/ヒンデミット作曲 無伴奏チェロ・ソナタ 作品25第3から/バッハ作曲 無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 ほか【収録】2015年1月13日/浜離宮朝日ホール
 ダニエル・ミュラー・ショットが弓の先で器用に譜面を捲るのには恐れ入った。これもありなのだろう。

 

 火曜日、ミクローシュ・ペレーニ チェロ・リサイタル/ベンジャミン・ペレーニ(ピアノ)▽【曲目】無伴奏チェロ組曲 第3番 作品87(ブリテン)ほか▽【収録】2014年3月7日/浜離宮朝日ホール
 ミクローシュ・ペレーニは1948年生まれ。当年68歳。長らくひとつのものを一筋に貫かれた方には、わたしは敬意を払うことにしている。必ずやその年代ならではの優れた演奏内容に出会うことになるから。

 

 水曜日、チェロ・デュオ~ジャン・ギアン・ケラス&横坂源 ▽無伴奏チェロ組曲第1番(バッハ)無伴奏チェロ組曲(カサド)二つのチェロのためのソナタト長調(バリエール) ▽長い師弟関係にあるケラスと横坂の共演 ▽二人で交互に弾き分けるバッハの名曲 ▽カサドの傑作をケラスが熱演 ▽バリエールのチェロ二重奏の妙技 ▽ケラス&横坂のインタビュー ▽2014年9月23日NHKスタジオ収録
 この回は、4時半に起きて聴く値打ちのある演奏内容、映像だった。スタジオ録音でもあり、音も素晴らしかった。
 ジャン・ギアン・ケラスとの出会いで、横坂源は海外留学を決意、彼に弟子入りした。彼が横坂の人間味溢れる演奏に感じ入って勧めたのだ。今回のデユオにあたって、最初ギアン・ケラスは横坂源との曲の解釈の違いに戸惑ったようだ。それは、形の違う小石を一緒に積み上げていくようなものだと彼はいった。今はわたしと源とは対等だとも。
 カサドの無伴奏は、横坂とケラスが交互に演奏。随所に、静謐な水辺を逍遥する詩人の魂が感じられる演奏だった。
 次には、ケラスがガスパナール・カサド  (1897~1966)の無伴奏を独奏。カサドの配偶者は原智恵子。ケラスが演奏する背後には、貴重なカサドの演奏(無声)のすがた、そして当時のスペインの街並み、景色、踊る人々のすがた、闘牛などの映像が流れ、あたかもケラスが時を超えてカサドとのコラボを実現しているかのような趣があった。この回の番組を制作した方々にも感謝をしたことでした。
バリエールは題のとおりのデュオ。ケラスと源があたかも平和を語り合い、そして調和を具現しているかの演奏には感じ入りました。
 ケラスが、難民、戦争など厳しい世界情勢に思いを馳せ「なぜ自分たちはいま音楽家として生きているのかを自問すべきだ」といったことばが印象的でした。

 そして木曜の今朝は、北海道北見市公開収録 宮田大チェロ・リサイタル▽宮田大(チェロ)ジュリアン・ジェルネ(ピアノ)▽エレジー作品24(フォーレ) BUNRAKU(黛敏郎)チェロ・ソナタ第2番ニ長調作品58(メンデルスゾーン)▽2014年2月1日 北見芸術文化ホール 音楽ホール
 先ずは、人口12、3万か、2月の平均最低気温-14℃、オホーツク海に面するこの北見市に、2月1日に訪れたふたりの音楽家にご苦労様でした。500席は満席。待ち受けていたのはスタインウェイ。
 黛敏郎のBUNRAKU、海外ではよく演奏されるらしいですが、初めて聴いた。文楽特有の音曲、歌、人の声をチェロでそのままなぞったような作品。時として琵琶の音も感じさせる。日本独特、日本固有のものを素材としてこそ世界的であることができるとここでも思わせられた。
 ただこのコンサートでは、録音の際、ピアノの音はまずまずひろわれていたけれども、チェロの方はすこし残念だった。ステージでは、ずっとすばらしく鳴っていたのは間違いないと思うのです。録音の精度の問題かと思います。低弦の幅のある響きをそっくりとひろうのは、その時々の状況によって、たとえば厚着をしている人々が多かった場合には音が衣服に吸収されてしまうとか、湿度温度、空気の密度によっても違うのかもしれません。ホールの作りなどにもよるかもしれませんし、録音機材によるかもしれない。ひいては自分の耳が悪いのかもしれない。と、原因はわかりませんが。

 明日金曜日は、チェロアンサンブル。奏者、演奏曲をとても覚えきれませんが、通して聴くことで、すこし見えてきたこともあります。運よく起きられたなら聴くことができる。あすは気楽に楽しんで聴くことの総仕上げをします。

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失敗

 けっこう時間をかけて書いたブログが、ネットの不具合でアップできず、文書が失われてしまいました。消えたという実感がなく、どこかに浮遊しているのではという感じが。こんな日もあるそんな日もある。

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岩手県芸術祭 関係者の作品

岩手県芸術祭の絵画部門に入選した東京都在住のMeriさんの作品『眠られぬ夜』をご紹介します。Meriさんは、インマヌエル盛岡キリスト教会の関係者です。これはお借りした写真です。実物はもっと透明感があり屋根の上にもほの明かりが、そして夜空はもっと深い青みのあるガラス細工のような感じです。

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   また、彫刻部門では、高校時代の同期生のご子息である黒沼令さんが芸術祭賞でした。これも写真撮影は作家本人のみということで、手元にはありません。舟越保武を彷彿とさせる、完成度の高い立派な作品でした。ご主人の加津己さんも頭像を出品していました。

 また同芸術祭で、主人の作品『セルフジャッジ』が、児童文学部門で芸術祭賞でした。12月に掲載誌が刊行となります。

  ☆  ☆  ☆

 ひさしぶりに岩手県芸術祭の絵画・彫刻をひとめぐりしましたが、真摯で弛まない制作を続けてこられた作品の前に立つと、たとえそれが入選していないとしてもこちらの襟が正される思いがしました。文筆も、年間を通してひたむきに取り組むなら、3作は書けるはずです。それが春先は庭仕事で、花粉症で、夏場は暑さに参り、秋口は疲れがどっと出て、鬱っぽくて、忙しくて、疲れやすくて、齢かも、などなど、いやはや、やれなかった理由というのは、こうも容易く、無尽蔵に次からつぎへと出てくるもののようです。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

   

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会は主牧が山形教会の講壇を務めるために、國光ひろ子牧師がおはなし下さいました。説教題は『主に信頼する』。聖書の引証個所は、詩編125:1~5です。

1 主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなくて、とこしえにながらえる。
2 山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。
3 悪の杖が正しい者の地所にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。
4 主よ、善良な人々や、心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。
5 しかし、主は、曲った道にそれる者どもを、不法を行う者どもとともに、連れ去られよう。イスラエルの上に平和があるように。

インマヌエル盛岡キリスト教会では、工藤輝雄先生をお迎えして秋の特集を開きます。おでかけください。


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※チラシは、國光ご夫妻のご息女A姉が製作してくださいました。

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バッハはいつも新しい

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きょうのクラシック倶楽部
アンドラーシュ・シフ ピアノ・リサイタル~メンデルスゾーンとバッハ~▽厳格な変奏曲(メンデルスゾーン)交響的練習曲(シューマン)アラベスク(シューマン)パルティータ第4番からサラバンド(バッハ)▽作品についてのインタビュー▽2014年3月19日東京オペラシティコンサートホール

 アンドラーシュ・シフは作曲家の自筆譜を研究し演奏しているという。「厳格な変奏曲」 は奥深く無駄が一切ないすばらしい曲だが過少評価されあまり演奏されていないのが残念と語る。「交響的練習曲」は練習曲というよりも交響詩的な作品。改訂版の方が内容が凝縮されているとしている。
 アンドラーシュ・シフの一日はバッハを1時間弾くことから始まる。朝食後はさまざまな作曲家の曲を弾くという。読書家であり、独、英、仏、伊、ハンガリー語の原書に親しんでいるらしい。美術館めぐりや自然散策など、心と健康のために心掛けている。配偶者はヴァイオリニスト 
塩川悠子
 
 と、このように奏者の日常がわかると親しみも増す。けれども、わがイーハトーブのある女性チェリストは、演奏前、或いは演奏中に話すことは、演奏に自らを投入することを妨げる場合があるというようなことを仰っている。奏者が寡黙であるがゆえに演奏への期待感、緊迫感が増すということもあるだろう。近ごろは、指揮者や奏者がひとことでも話してはくれまいかと内心せがんでいる自分がある。話すはなさないは音楽家に委ね、リスナーは、そのどちらをも理解し、素直に耳を傾ける姿勢を崩さないことかと思う。トークはあってもなくても肝心なのは演奏そのもの。

次の13日、12日も興味深く聴きました。 

アンティ・シーララ~フィンランド実力派ピアニストのリサイタル ▽【出演】アンティ・シーララ(ピアノ) 【演奏曲】シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集 作品6から/ベートーベン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110 【収録】2015年6月30日(火)浜離宮朝日ホール

チェコを代表するカルテットとピアノ岡田博美、ベテランの共演 ▽パノパ弦楽四重奏団&岡田博美 演奏会【演奏曲】(1)モーツァルト作曲:弦楽四重奏曲 ト長調 K.80 (2)シューマン作曲:弦楽五重奏曲 変ホ長調 作品44 ▽【収録】2015年12月2日(水)浜離宮朝日ホール

 書きながらベートーヴェンの交響曲6番を聴いていたところ、いま終わり、もう7番が鳴っている。

 果たしてきょうの成果は何だったのか。一挙に為すべきことが増え、実のところ結局どれも手につかず、いちばん身近な、とりつきやすい音楽世界に逃げ込んだというのが真相。ただ午前中に行った裏庭の秋じまいで、きれいになった野菜畑が、仕事をした証しとして黒い土の表を翳りかげんの陽に晒している。ブットレアの繁みに隠れた秋明菊の丈は低いままに白く咲き、いびつな実を照り輝かせる椿の傍らには淡いピンクの小菊が肩を寄せあっている。もう10月も半ば。楽の音はともかく、自らのエンジン音を聴くべき時はすでに来ている。

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ピュアな世界

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 たった今、ノーベル文学賞の発表を知る。わたしの村上春樹に関する関心事項はひとつ、小澤征爾を書くのはやはり村上春樹だろうという一点のみ。村上は、クラシック音楽に精通してはいるが、スコアは読んでいない。小澤が、村上さんならすぐに読めるようになると言っている。これは書店での立ち読みで著書名は覚えていない。
 2016年のノーベル文学賞は、アメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディラン。黒人に対する人種差別の解消を目指した公民権運動やベトナム戦争を背景に当時の体制に反対する歌で知られている点で、なにも日本人ではなくともこれでよかったと思う。spade

 you tube、 バーバー「弦楽のためのアダージョ」を耳に流していたところ、音楽が切り替わり、はっとして聞き入る。
ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第二番、辻井伸行のピアノだ。music きのうのきょうのクラシック倶楽部はと書くつもりが、辻井伸行のピュアな、音の世界のみの世界が、いまは他に抜きんでており、退けようがないのだ。club

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最後に残るのは

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  さてきょうは何を書こうかとPCの前に。何とベルリン・フィルのデジタルコンサートホールに、30年前のサントリーホールでの演奏が公開されていることに気づき、さっそくweb上を跳んでみると、指揮する30年前の小澤征爾が大きく。これにはちょっと感動しました。

以下はデジタルホールからの転載です。

日本を代表するサントリー・ホールは、1986年10月12日にオープンしました。デジタル・コンサートホールでは、30周年を記念して開場直後に客演したベルリン・フィルの演奏会映像全曲をアップします。

 

広く知られている通り、ヴィンヤード型と呼ばれるホールの形態はベルリン・フィルハーモニーによく似ています。これはヘルベルト・フォン・カラヤンが、当時のサントリー社長佐治敬三氏にこの形をすすめたためで、佐治氏はその申し出をすぐに受け入れ、カラヤンを驚かせたと言われます。

 

1986年10月28~30日に行われたベルリン・フィルのこのホールにおける最初の客演演奏会の指揮には、当然カラヤンが予定されていましたが、公演の直前に病気でキャンセル。急遽小澤征爾が代役に立ち、3回の演奏会を見事に振っています。これは同時に、小澤が日本でベルリン・フィルを指揮した最初の機会であり、その意味でも記念碑的な意味を持つと言えるでしょう。

 

プログラムは、シューベルトの交響曲第7番《未完成》とR・シュトラウスの《英雄の生涯》。後者のヴァイオリン・ソロは、当時の第1コンサートマスター、安永徹が担当しています。NHKによって収録されたこの映像が、放送以外で公開されるのは今回が初めて。日本の聴衆にとっては様々な意味で感慨深い、この貴重な演奏をぜひお楽しみください。

 このようなことを書くのは自分の役目ではなかろうと思いつつ、地方にいるものが初めてカラヤン広場に立ち、コンサートの開場を待つあのわくわくする想い。それが最初の演奏で立つ予定だったカラヤンが来られず、小澤征爾を立てたというドラマティックな展開を聞くばかりも心が沸いたものでした。

 10月23日には、NHKクラシック音楽館で、サントリーホール30周年のガラ・コンサートを放送するようです。ズービンメータ & 小澤征爾、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、
バイオリン:アンネ・ゾフィー・ムター、ソプラノ:ヘン・ライス

 今朝のクラシック倶楽部といい、あまりにNHKに寄りすぎであることに、心中ためらいもあるのですが。

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 なんだかんだと言いながら、やはり有難いのは、地方で運営の困難を何とか切り抜けながらステージに立ち、演奏をしてくださる身近な方々であることに変わりはありません。この岩手から楽団が消えてしまうことなど想像することもできません。イーハトーブの楽の音よ永遠なれ、です。

  ☆  ☆  ☆

 きょうはお祈り会。
 そして夕刻には小澤征爾&水戸室内管弦楽団のベートーヴェンの交響曲四番、七番。もしかすると最後に自分に残るのはバッハとベートーヴェン、そして、身近な方々の定演を聴きに散歩がてら出かける、こんなふうになるのかな。加山雄三の「海、その愛」もいいですしね。由紀さおりの歌もいい。それと「アメイジング・グレイス」は永遠。聖書には何とあるか、「
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 」とありましたね。音楽だと書かれてはいません。

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クラシック倶楽部ー歌詞に学ぶー

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  月曜日、祭日でクラシック倶楽部はお休みかと決めこんで、遅い目にスイッチオン。
ティル・フェルナー&マーク・パドモア リサイタル【出演】ティル・フェルナー(ピアノ)、マーク・パドモア(テノール)【曲目】歌曲集 作品40から(シューマン)、「はるかな恋人に」(ベートーベン)、歌曲集「詩人の恋」(シューマン)
 そして今日、
マルリス・ペーターゼン ソプラノ・リサイタル ▽【出演】マルリス・ペーターゼン(ソプラノ)/イェンドリック・シュプリンガー(ピアノ)▽【曲目】歌曲集「女の愛と生涯」作品42(シューマン)ほか
 
 昨日今日と声量に威圧されることなく、恒の心で詞を味わいながら聴く。リヒャルト・シュトラウスの曲「乙女の花Op.22」で、詩に植物が詠みこまれているのはダーン作詞と出ていたが、フェリックス・ダーンの詞を詩作のうえで興味深く聴いた。

  ☆  ☆  ☆

 Eテレ、クラシック音楽館、交響曲までをTVで聴く必要はないと思っていたのだけれども、思わずも画面を見ると、ブルックナーの2番。N響の第1842回定演。何とパーヴォ・ヤルヴィが、2番をスウィングさせる、これは神に対する冒とくか云々と語っている場面。ブルックナーの演奏に関しては、ベルリン・フィルが極上に奏するとも、「神々しさが足りない」などと囁かれる。冒とくか否か。ついつい聴いてしまった。冒とくとまでは思わないけれども、一種の張感といったものに欠けることにはなっていると感じた。これもアリなのだろう。パーヴォ・ヤルヴィが、この歳になって曲の理解が変わったと言っていた。

  ☆  ☆  ☆

 岩手県芸術祭の絵画、教会のTさんが入選したというので最終日に行く。それが写真撮影は作家本人以外は禁止でした。ずいぶんと厳しくなったものです。

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サックスが泣く

  黒い建物に明かりが見えますが、コンビニです。重い雲に阻まれた夜明けが地の表を照らそうにも、おいそれとはにじりこめない曉暗。街路灯の向こうに、ひと気のない真夜中にもかっきりと目をあけて、朝いちばんの客を待っている。

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 台風は去り、構えるかにせり出したままのヘリポート。

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 東の岸に並ぶビルの間隙に迸りでた光。流されることもなくこの地点に留まり、潜りゆく水という水を洗いきよめる。

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  ☆  ☆  ☆

 教会でサックスを聴いた。アフリカの人たちに送る包帯作りをしながら。アメイジンググレイスが流れる。都会のビルの谷間に夥しい車のヘッドライトとテールランプのすれ違い。歓楽街にネオンの明滅。札幌すすきの、広島流川、福岡中州、東京新宿。サックスが泣く。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

 近ごろは5時起きかで記していたこのページでしたが、出遅れた今朝、先ず何よりも体力勝負かと実感したことでした。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教題は『見るべきものを見よう』。開かれた聖書個所は第二列王6:15~⒘でした。

15 神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。17 そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

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雨の日を明るく

 雨、雨、雨。一日中雨。止むかなと見えてもまた降り、止んでくれよと願っても、天の水がめの傾きはなおらない。
 こんな日には、心持をぴしっととおし、ユリの木のようにでんと構えたくとも、どこかが縮み、なにかがたわんでしまう。
 生え出てくる憂鬱の芽をぽきんと折ろう。そして、いつかのあのやわらかな春の日差しに咲く菜の花畑や、さんさんと陽がふり注ぐひまわりの畑を、記憶の中からぐいとたぐり寄せてみよう。

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ひと目盛以下の自覚

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  きのう、台風18号、真夜中の知らぬ間に駆け去って、迎えた朝の空模様。暗雲はまだのこるも、暗雲のうえにたしかに広がる青空への足掛かりは開かれる。
 晴れる! アクセル全開で夏物をしまい込み、いまだ入門編レベルの家事をこなす。
そして夕刻にどれがいいかなと迷ううちに手に取ったのが長岡京室内アンサンブル。ケースからディスクをはずすと

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 秋、秋のただ中。して、肝心の響きはどう?

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 アンサンブルとは、奏者がみな一丸となって一つの音色を醸し出すことと思い込んでいた。ところが、このディスクの解説者はこう評している。
「指揮者のいないアンサンブルの弱点をまったく感じさせない。それどころか指揮者なしでこそ表現できる室内楽的な求心力が極限まで示され、すばらしく自由な、自発性に富んだ流麗な音楽を聴かせた」(小石忠男)ー日本経済新聞掲載からの抜粋
 「極限まで」に頷くべきか否か、私の能力では聴き分けかねるけれども、たしかに「素晴らしく自由な、自発性に富んだ」にはなるほどこうも、と納得。アンサンブルへの思い込みを解消してくれた一枚となった。
 バルトーク「弦楽オーケストラのためのディヴェルティメントSz113」を興味深く聴いたのは、いまがそういう心境にあるからかもしれない。

  ☆  ☆  ☆

 クラシック倶楽部、6日は、
イアン・ボストリッジ テノール・リサイタル。リンク先にとべば数々歌ってくれているのだが、やはり早朝であることもあり、こちらの脳がまだすっきりと目覚めていないこともあるかもしれないけれども、ブリテンの曲が好ましく思われた。ブリテン編曲のスコットランド民謡「悲しみの水辺」、しみじみと聴いた。民謡、多くの人々に愛されて多くの人々の心に時を超えて生き続ける、すばらしいことです。

 きょう7日、webを転載して

イェスティン・デーヴィス カウンターテナー・リサイタル ▽【出演】イェスティン・デーヴィス(カウンターテナー)、トーマス・ダンフォード(リュート)【演奏曲】あなたは見たか、晴れやかに咲くゆりを(ジョンソン)、帰っておいで(ダウランド)、あふれよ、涙(ダウランド)ほか【収録】2016年2月4日(木)武蔵野市民文化会館小ホール
 これはぜひ聴いてみたかった。
 
カウンターテナーとリュートの齟齬を感じさせない自然な有機的な音の響きあいがいい。ダウランドはエリザベス朝の最も優れたシンガーソングライターだという。リュート奏者でありリュート歌曲を作曲。作詞はいまの流行歌とたいして変わりないように思う。作詞者は不詳か。しかしダウランドの曲はカウンターテナーの声質と相俟ってなかなか内省的な深みが感じられた。むしろ歌詞なしで、ことば以前の響きを聴いた方がはるかに値が出るかとも思われた。

 ☆  ☆  ☆

 音楽を聴くのは悪いことではないけれども、けっこう時間を費やす。何かをしながら聴くのがいいかもしれない。差し迫った忙しい事ができれば、そうもしていられなくはなる。すでに懸案事項、一つはあるのだけれども。

  ☆  ☆  ☆

 「しかし、ついには霊が私たちのうえに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる」イザヤ書

 これが昨日今日と浮かんだことば、そしてきょう我が家に慶事が一つあった。神の采配は憶測も及ばない。神が何をどのように動かそうとしておられるか、 自分の思惟や知恵の軽さは秤のひと目盛以下であることを自覚する。

 

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おもいでの月下美人

 2012年の10月、月下美人の葉の一点からふたつの花芽が出た。とてもめずらしい。小さいうちは背きあっていた。これから先はいったいどのようになるのだろう、背きあったままで大きくなっていくのだろうか。一つは落ちるか開花しないかもしれないと毎日見守っていた。それがしだいに交差する態勢となり、交差したまま大きく開花、花の香りが家中に満ちた。それは見事だった。このような例は今回きりだろうと思った。果たしてそれ以降、一つの点からふたつの蕾が出ることはなかった。宝物としてデータに保存している。何年かにいちどは、宝物を公開しよう。

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 ☆  ☆  ☆

 昨日は、食事作りを除いて全面休養。台所も部屋も雑然としている。きょうは元気回復。午前中はお祈り会に出席。午後はのびすぎた薔薇を剪定。午後からは家の中の整理、掃除。
台風18号情報と抱き合わせ? で入ってきたのが、大隅良典さんのノーベル賞、生理学・医学賞。これはきのうの事。さてさて歴代の受賞者はとwikiを見ると、もう大隅さんのお名前も書き加えられておりました。日本人がノーベル賞をいただくのは当たり前のような感覚になっていて、前回までの「おー!」という感嘆は出ませんでしたが、しかし、大隅さんが、いまの大学の研究環境に懸念を持っておられるようで、これがずっと続くかどうかは謎というところか、などと書きながら、こんなことを書くことが果たして自分の役割であろうかとまたまた? しかし数少ない明るい話題、それもとびっきりの明るいニュースであることから書いている。ただ明るいニュースで台風被害のいくばくかを相殺できるかとなると、それはそれで何ものにも阻止されることなく厳然としてやってくるというこの厳粛さ。10号被害が癒えない岩泉ではすでに避難準備が。ここ盛岡市でも雨が降り続いている。真夜中にかけてまともに迎えることになりそう。

  ☆  ☆  ☆

 けさのクラシック倶楽部は、イアン・ボストリッジ テノール・リサイタル。昨夜は健康への警戒感、これは自己責任となっているけれども、この警戒感から専らやすむことに専念。けさもようよう起き上がり後半を聴く。あまり無理をしないことに。けさは「名曲アルバム」のショパンのノクターンが染みました。webを探れば、演奏上の注意事項まであるのですね。誰が弾いてるの、と見れば、山本貴志さんでした。ショパンは小山実稚恵さんの演奏もぐっときます。小山さんは岩手ゆかりの方でもあります。

 午後は雨もふりだし、家の中で片づけをするにも少しでも明るくと音楽を流す。めまぐるしく変わる天気について行きかねる重たい気分も軽くなるかと。マルティン・シュタットフェルトのバッハのピアノ協奏曲、ひところは連日聴いていたものだ。そのときはかなり気に入っていたのが、久方ぶりに聴いてみると、ちょっと違った。ずっと、ここ三年ばかりものあいだ車に乗るたびに聴いていたチェンバロ、最初はすこし賑やかすぎると思っていたチェンバロが自然になってしまっていた。同じチェンバロでも別ものはどうかとエンシェント管弦楽団のも聴いてみたが、かなりアレンジが入っておりけっこうこれがスリムで新鮮な感じが。夕刻の最後はスクロバチェフスキーのブルックナー7番。そして今は激しくなってくる雨の音を聴いている。雨といから迸る水、地面をしたたかに打ち叩く雨音。それでもまだメゾフォルテ。どうか沿岸にはピアニッシモの雨となるように。そして一刻も早く晴れますように。

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よい調べ

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  銀杏。庭の樹下に芽を出していた。銀杏はどこまでも大きくなるので鉢に植え替える。「はやく処分した方がいいよ」という方の忠告に逆らって生かしている。葉っぱの形が懐かしい。

  ☆  ☆  ☆

 クラシック倶楽部はここのところ、女声が続いている。歌詞に微妙に齟齬を覚えるのはやはり齢のせいか、若いときに聴いておくべき世界があるように思った。いまはミサ曲などが穏やかに受け入れられる世界となっている。自分の側の事情はどうあれ、やはり鍛錬され、磨き上げられた声はすばらしい。

 これはこれですばらしいけれども、ステージとは別な音楽世界を思い出す。だれもいない校舎、音楽室から響いてきた「エリーゼのために」。人に聴かせようという思惑も、上手く弾かなければという緊張感や気負いもなく、ただ自分の心の趣くがままに弾いている。よい調べだった。

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ゆったり

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  国体開催地の岩手、土日と好天に恵まれる。それがきょうは午後から雨。最大級の警戒、台風18号。風の音を聞きながら、なにか重たい気分に支配されている。
 月曜日はゆっくりとやすみたくなる。それでも午前は用足し買い物、午後は叔母とはなす。書き留めたいことがたくさんあった。ただ今はゆったりと過ごそう。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

 書かなかったけれども、ここ一週間、目覚めるとすぐに心に浮かんだことばがある。「きよくあれよ主の血に贖われたるものよ」、これは讃美歌の歌詞にあります。
 洪水のような情報のただ中にあり、実際けさも小池、安倍、蓮舫、ヒラリー、トランプと一通りの顔が浮かぶ始末で、朝まだきにまでは思い出したくないと、必要な情報であると覚えつつも、日々メディアに浸食されている側面があることを憂いながら、では、社会の動きに迎合せず、時としてはに自分にちくりと痛くとも心に安らぎをくれる土台となるものはと考えるとき、それはやはり聖書、古くて新しく、死に絶えたかに見えて厳然として生きている聖書のことばなのではないかと行きつくわけです。

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 先週は地区行事があり、また今週も地域の手伝いがあり、二週続けて教会には行っておりませんが、インマヌエル盛岡キリスト教会では毎日曜日に聖書からのメッセージが語られております。先週は『祈りの秘訣2』と題し、マルコの福音書11章20~25節が開かれました。牧会は國光勝美・ひろ子先生方、そして真実な信徒の方々によって為されております。聖書もさることながら、これらの方々の真実さに諭され留まらせられることが度たびです。

11 こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。

12 翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。

13 葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉の他には何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。

14 イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。

15 それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、

16 また、宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。

17 そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」

18 祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからである。なぜなら、群集がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。

19 夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。

20 朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。

21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」

22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」






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『はばたき』

 10月に突入といえるほどの勇ましい気概はない。カレンダーの9月が剥がされ、刻々と経過する時間に静かに自分サイズの存在を委ね、もうすこしは焦って自分を為すべきことに追い立てるべきところを、石に狭められた小川を笹舟で、ゆらめき映じる紅葉とともに流れくだるような心地で、9月と10月の境を渡る。

 46年ぶりの岩手国体がきょうから11日間。また明るい話題に賑わうだろう。

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岩手県民会館の右外壁の中空に立つ舟越保武作『はばたき』の像
 


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