午後の散歩

盛岡市の中津川に架かる中の橋から。光の加減もいまいちで、さてどうしたものか、欄干に取り付けられているハンギングバスケットを入れた景観はもう撮ったことがあるし。そこではたと、欄干の空間に景色をいれてみよう。買い物袋を足元に置き、屈んでカシャ。


盛岡市桜山神社の向かいにある喫茶モンタン裏に咲く蓮の花。ももいろの花はなく、ぜんぶ真っ白な花ばかりでした。もともとは下の写真の亀ヶ池と続きの池であったのでしょう。

きょうの衝撃は、書店での立ち読みならぬ座りこみ読書で開いたページにあった高島野十郎の一枚の絵。雑誌では高島の「たか」は「髙」でしたが。このような絵を描く人とはいったい? と、いまウェブを繰ると「高」の方になっていました。どちらが本当でしょう。明治23年生まれの画家。「透徹した精神性でひたすら写実を追及」とありました。人間に対する、というか自分に対するというか、その突き詰めようが怖い。何度も観たい、部屋に飾っておきたいというにはあまりに深刻めいているけれども、稀有な芸術性には有無をいわせない、そんな生々しい人物像にショックを受けました。また 『ユリとヴァイオリン』、このモチーフは、私が3・11のときに書いた小説の挿絵代わりにヴァイオリンとユリを配置して撮った写真があるのですが、それによく似ていたので、ちょっと嬉しくなりました。
今朝はかなりはやくに目が覚めたのですが、もうすこし休んだ方がいいと達観しているうちに、6時になってしまい、あれやこれやと目につくところ、ゴミ集積所の違反ゴミの始末などしているうちに、朝のウォーキングを果たせずじまい。クラッシック倶楽部も見逃し、午後になって、ありがたいことに陽も照ってはいないので、発送、買い物がてら出かけてきました。気温は29度と30度と上がったり下がったり。残暑は厳しいけれども、台風12号は熱帯低気圧に変わったとか。ああ、これですこしでもどこかが、誰かが被災を免れることができるかとため息。
岩泉に向けてか、きょうもヘリが軽微の爆音を響かせて薄曇りの下を、頭上を通り過ぎていった。もうこれ以上のことが起こってほしくない、誰もが被災地に心を痛め、誰もが同じ思いでいるのだ。
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