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四大ミサ曲を聴き終えて

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 ぺーター・シュライアーの『ミサ曲ロ短調』、『マタイ受難曲』、『ヨハネ受難曲』、『クリスマス・オラトリオ』、いつかどこかで、コンサートで全曲を、ラジオで断片をと耳にしていたこれらの曲を昨日で全曲聴き終えた。『クリスマス・オラトリオ』の終曲に至っては、エンドレスで聴きつづけたいほどの心境となり、事実、繰り返し6回は聴き、夕食を終えてまた聴き続けた。まして演奏に参加した方々の感無量さはどれほどであろうかと推し量られた。彼の地、いったいどちらに行くことになるかは残すところの人生を鑑みて神が決めたもう範疇ではあるが、何れ彼の地に行くまでにこの時点で真っ向から向き合い聴き通し、素晴らしさを得心できた。
 曲を聴きながら、真昼の空の青さ、重い佇まいを見せる5階建てのアパート、家々を仕切る塀や生垣、真新しい家並み、錆びたトタン屋根、電信柱と幾条もの送電線、松の木、樅の木、ヒバ、夏椿とそれらが互いに作り出す空間。いそがしげに背を向けて小さくなっていく人の背中。もやがかる向こうに薄ぼんやりと掛かっていた半月が、ほどなく晴れた夜の間にくっきりと現れたさま。聴きながら、そんな窓外の風景に眼を滑らせていたのだけれども、ミサ曲はそのどの建物にも樹木にも人にも宇宙にも、何の違和感もなく染みとおり相和していく。ずっとヘッドホンで聴いていたけれども、終曲だけはスピーカーで高い目に聴く。農村などで広い田園地帯を覆い音楽が流れるときのように、この界隈にミサ曲が流れていたならと埒もないことに想いを馳せた。
 よいたとえかどうか、文学関連をブログにはあまり書かないようにしているけれども、このほどの芥川賞作家が書くコンビニ、微に入り細に入り、あらゆる角度から書き切っていることに恐れ入り、またこのほどの直木賞作家が理髪店を舞台に同様に書き完成させているけれども、音楽において、神についてこれほどまでに縦横無人に闊達に深遠に柔和に繊細に優美に或いは力強い音で活写し、それが声楽という楽器の可能性を存分に引き出し語りつくしている。音楽の最高峰に畏怖と敬意を抱いたことでした。

   ☆  ☆  ☆

  クラッシク倶楽部、先だってのリュート、マドリガルもよかったですが、きょうのイリーナ・クリコヴァのタレガ『アルハンブラ宮殿の思い出』、楽器と演奏者が混然一体、おとなの演奏という感じが。クラシックギターはどこか物足りないと思った時代もありましたが、あふれ出しそうな情感を弦のうちにとどめ、しかもそれが心に響いてくる、近ごろはそんな演奏に共感します。

 ☆以下の編集がまだ適切ではないのですが、パソコンがさっきからどこか不安定、記事を失わぬうちに保存とします。 

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