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2016年9月

雑感

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  2012年9月25日の写真をアップ。アルバムをたどっているうちに、一枚目に映っている方の姿が目に留まった。4年前は、この方が毎朝の散歩につきあってくださっていたのだ。この方が、朝は大変だということでやめると、新たに近くに転居してこられた方がこんどはご一緒くださった。この方がほどなく引っ越され、しばらくはひとりで歩いていたが、今はまた成り行きで、私も一緒に歩きたいと、ご近所のある方が同行くださっている。家にばかりいて、出かけるときには近場でもクルマに頼りすぎたことで、歩く力が弱くなったことを自覚されたとか。朝のウォーキングを始めてからは毎日が充実しているとも仰った。
 そして今朝の写真。

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 公園には毎日4、50人、夏場は100人に膨らむ。何れここに近くに遠くに映っている方々は、ほとんどが年間を通して体操に来ている。
 これからは寒くなる。寒くなっても、氷点下10度以下でも、このうちの20人近くは、真冬の厳寒下でも来る方々なのだ。

  ☆  ☆  ☆

 今週のクラシック倶楽部は若いクラシック・ミュージシャンのシリーズ。

29日は、
伊藤恵&ヤング・ミュージシャンズ ▽【出演】伊藤恵(ピアノ)/ エール弦楽四重奏団:山根一仁・毛利文香(バイオリン)、田原綾子(ビオラ)、上野通明(チェロ)▽【演奏曲】幻想小曲集 作品88(シューマン)、ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44(シューマン)▽【収録】2014年3月14日/NHKスタジオ(WEBページより転載)

 伊藤恵さんはシューマンの理解者であり、全曲録音を果たしているとか。ピアニストとしての貫禄がありました。4人は高校1,2年のときにカルテットを結成。各種コンクール入賞経験者たち。結成当時は、それぞれで弾いているという感じだったらしい。個性ある芸術世界を築こうという方々がカルテットの中で互いの音を聞きわけながら4人で一つの芸術世界を紡ぎあげるという面白さ。それぞれが音楽的野心満々。こののちの展開が楽しみ。
NHKスタジオでの収録ということで、それなりの緊張感が隅々にまで張りつめていた感じも。

30日のけさは、世界的に活躍する若手サクソフォーン奏者エイミー・ディクソンの演奏会から▽【出演】エイミー・ディクソン(アルト&ソプラノサクソフォーン)、小柳美奈子(ピアノ) ▽【演奏曲】4つのカントリー・ダンス(ベネット作曲)、スカラムーシュ(ミヨー作曲)、アヴェ・マリア(ピアソラ作曲)ほか ▽【収録】2015年6月29日(月)武蔵野市民文化会館 小ホール(WEBページより転載)

 次の行動の段取りをしながらの傾聴となったけれども、自然に流れ込んでくる親しみの持てる演奏だった。

 この盛岡にも大向佐保さんというクラリネット奏者がいらっしゃるけれども、いまはドイツで学んでいる。お帰りがいつになるのか。
 

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生き物の中に全く役に立たないものはいない

 金木犀の香りがしている。

「金木犀の無料画像」の画像検索結果

 無料画像をちょっとお借りした。花自体は目立たない。庭に出たときに香りが漂ってきたところで、ことしも咲いてくれたと木に近づいていって花をたしかめる。小さなオレンジ色の小さな花。結実を見ないのは雌雄異株だからで、日本には雄株しか入っていないというのはほんとうだろうか。金木犀の香りの成分のうちγ-デカラクトンはモンシロチョウなどへの忌避作用がある(.wikipediaより)という。ならば蚊へはどうだろうか。金木犀とさまざまな虫との相性を知りたく思うのだが。
 いま蚊取り線香の原料ともなっている除虫菊を思い出し、当たってみると、除虫菊の茎を燃やしたとき(これも茎だけではなかろうという気はするけれども)に発生する煙には殺虫力があるが、植えておくだけでは殺虫効果はなく、ある程度の虫よけにはなるということだ。
 アゲハやモンシロチョウにはたくさん翔んでいてほしいと思い、蚊には発生しないでほしい、何ということだろう、蚊は全面的に悪者扱い。蚊が役に立っている部署はないのだろうかとさらに当たってみると、


カの幼虫(ボウフラ)は水中の微生物を食べます。

ボウフラが完全にいなくなると、水質が悪化する水域もあるかもしれません。
それからボウフラは魚類(メダカやフナなど)の重要なエサでもあります。
成虫も他のいろいろな昆虫のエサになります。


生態系を構成する生き物の中に、全く「役に立たない」ものはいないと思います。


とあった。

 わが家の庭にもかなりの昆虫が棲息していることは厚みのある合唱でわかるのだが、この昆虫たちが蚊を食べても、それでも圧倒的にことしは蚊が多いと感じているのは、何度も刺された被害者意識からで、案外それぞれの個体数は自然のバランスがとれているのかもしれない。

 蚊によるジカウィルス感染が出たときには、やはり蚊の敵に回らざるを得なくなるのでしょうが、「生き物の中に全く役に立たないものはいない」とは、奥深く素敵な言葉だと思われます。

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派生する楽しみ

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 けさのクラシック倶楽部は、「塚越慎子 マリンバ・リサイタル」▽【出演】塚越慎子(マリンバ)/太田剣(ソプラノ・サクソフォーン)/鉄井孝司(コントラバス)▽【曲目】アメリカ組曲 ヘ短調(挾間美帆)ほか▽【収録】2014年2月16日/紀尾井ホール
 あすはマリンバ、と番組を確かめたにも関わらず寝過ごし「アメリカ組曲 ヘ短調」だけを聴く。録画を録ると、いつでも聴ける、と結局聴かないでしまう。それで番組に合わせて起きている。生きているうちにさまざま聴いておきたい、そんな思いだ。塚越慎子(つかこしのりこ)の演奏に関するよいページがあるのでつないでおくことに。最後の方に「アメリカ組曲」について、作曲者の狭間についても触れている。
 演奏を聴くというだけでなく、さまざまな関連ページに飛んで、さらに多くの音楽記事に触れることもクラシック倶楽部から派生する大きな楽しみとなっている。

 クラシック倶楽部以外では、当世の作曲家の作曲への想いや日常を、忙しい合間を縫って綴ってくださっている
作曲家木島由美子さんのブログにも毎日お邪魔している。木島さんがブログで、「創作のためには自分に栄養をやるべき」と仰っているが、以来、私は結果をあまり斟酌せずにできる範囲でそう心掛けている。

  
 

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雑感

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  近ごろ晴天に恵まれることが少なく、こんな日はいくらシャッターを切ったところで、よい写真は得られないとあきらめぎみ。憂鬱な雲を見上げて、ユトリロの空だと思うことはあるものの、そんな情感を織り交ぜた景色を写しとるには技術が足りない。というわけで、ずいぶんと前の、3年も前になるけれども、撮り置いた写真を引っ張り出してみた。

  ☆  ☆  ☆

 クラシック倶楽部、9月26~30日まではヤング・ミユージシャンとなっている。26日(月)はエイドリアン・ラ・マルカ(ビオラ)、
27日(火)はキット・アームストロング(Pf)。

エイドリアン・ラ・マルカの来日で、加藤昌則作曲「未在の庭」の初演が実現。彼はこの曲で「日本庭園を連想する」とはなしていたが、だとして、演奏の途上から、この庭が現実から遊離して天上に消えゆくような、空間に接触するその面から溶け失せてゆくような、そんな感じを受けました。
キット・アームストロングのピアノ、舌を巻くほどのテクニシャン。やるべきことがあり、半分しか聴けなかった。
 

 

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インドの両極

 けさ、といってもまだ真夜中、悪癖(めったに真夜中は起きてはいませんが)でちょっとTVを点けてみた。スポーツやら何やらは見る気にはならない。チャンネルを変えるうちに、何とズービン・メータの指揮場面。イスラエル交響楽団とピアニストデニス・マツーエフとのチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第一番」だった。メータは4月29日生まれだが、この‘16で80歳。小澤征爾と同世代。この誕生日を祝って、母国インドで自らが指揮する。このとき、メーターはベルリン・フィルの定演を振ることになっていたが、突如キャンセル、代役を小澤征爾に委ねたのだ。インドの各界から多くのゲストを招いてのコンサート。マツーエフのアンコール曲の次は「ハピーバースデートゥーユー」、観客、ステージの大合唱。実に華やかなもの。
 しかし、しかし、今夕、これもまたまたTV。たまたま点けたチャンネルの場面では、まったく別なインドのすがたと、政府、政策に反発する若者たちの音楽、パンク・ロックに共感する若者、農村の人々が映し出されており、さまざまな意味で引き込まれました。
 2012年でインドの総人口の17,5%、2億1700万人もの方々に食料が足りていない。これだけの飢餓人口。食料生産が追い付かないというよりは、買うお金がない。インフラが整備されていない。富の配分が為されない等々、事情は多々。何れ、恵まれない多くの若者、人々のありのままの心の叫び訴えであるパンク・ロック、これが為政者の耳を素通りすることのないようにと祈ったことです。
 同じ日にインドの両局面を垣間見、やはりマザー・テレサの働きがいかに偉大であったかを思い出す。聖人に列せられてから、聖人として不適格である点がいわれた。「改宗の強制、独裁者との疑わしい関係、収益の不適切な管理、それに、質の悪い医療などだ。最悪なのは、彼女が慈善の金を第三世界に浪費した典型的な白人だったこと。こうした理由で誰もが知る彼女のイメージが形成され、インド独立後の精神を深く傷つけ、分裂の根源となった。」と。カトリックでいう聖人がいるかいないかわからないけれども、少なくとも、自らはどんな優遇をも受けず享受することなく、生涯を貧しい人々を選び、敢えて貧しい人々とともに歩み祈り、尽力した、そのこと一つを取っても、尊敬と称賛に値すると思う。もし、そう批判するあなた、じゃ、テレサよりも立派にやってごらんなさいと言われたところで、できる者はそう多くはない。むしろ希少だろう。日本では山室軍平、戦前の労働運動の賀川豊彦が浮かぶ。
 かくいう筆者は、四六時中音楽にうつつを抜かしているようだけれども、朝夕のあいだ、昼日中は、そう遊んでいるわけではない。ごくたまに自治会の女性部の方々とのランチ、そして、おいしいコーヒーぐらいのもの。ディスクはほとんど息子が調達し、置き所に困って実家に送ってきたもの。来月の1日2日にサントリーホールに来るズービン・メータ、サントリーホールの30周年記念でもあるらしい。ガラ・コンサート、しかも正装だとか。サントリーホールのあの心地よさは忘れられないけれども、しかし、小澤征爾も並ぶその日には、筆者はせめてインドのパンク・ロックでも聴こうかと思う。そして、またまたいつの日かTVでガラ・コンサートの模様をやはり観て聴いてみたい。
 

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝で取りつがれた聖書の箇所をお知らせいたします。國光牧師による説教の題は『祈りの秘訣』でした。

ルカ伝11:1~13

1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
2
 そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。 
3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」
5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。
7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
8
 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。 9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
11 
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

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つくりだそう! 平和な時間帯

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  巨大な闇一枚をめくりあげると、打ち続く台風ののこした有耶無耶な空の気分はかき消えて、いささか押しつけがましい光が降り注ぐ、それでも静かな秋晴れを着た青空が広がっていた。こうして新しい一日が。
 善意と義務、優しさとから、そしていまは厳しい思惑を束の間胸の奥に畳み込んだ人たちが集まり、秋の運動会の準備に余念がない。あすも晴れる。

 リオ、パラリンピックはすでに終わり、終わったとたんにあの会心からの輝く笑顔、至福のすがたはニュースから消えて、洪水のように、台風の、テロの、殺人の、難民のニュースが立て続く。

 けさは、盛岡市中津川に掛かる中の橋付近の河川敷に、ワインと牛乳の葛巻町のイベントの設営が為され、家畜車で運ばれてきたか一頭の牛の鳴き声が、まだ交通車輌のすくないビルの谷間と公園とに響きわたっていた。牧場で聞く鳴き声は、大空にまで解放された清浄な空気に、樹木に草地に吸収されてしまうのか、それほど甲高くは聞こえない。それがこの街場では、存在感が際立ちすぎるほどにまだ朝7時前の街の一角に甲高く響いている。

 そして明日は運動会。気象の異変、災害ニュースに重い状況下では、静かな晴れ間や、たとえ産業がらみのイベントであっても、また役員が忙しい中で、時間、労力という犠牲を払っての総力結集の企画であっても、誰もが楽しめる時間帯、平和な時間帯を作り出すことは必要であると思われる。

  ☆  ☆  ☆

 9月23日のクラシック倶楽部、「
繊細さと野性味を併せ持つバイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセン。近年ブラームスとバルトークの対比に注目しており、今回もそれぞれのバイオリン・ソナタ第2番をとりあげた。」(クラシック倶楽部より)
 ブラームス作品は甘美で優雅、彼が53歳のときの作品。そしてバルトークの方は変化がめまぐるしく、彼が41歳のときの作品。
 はやりバルトークを傾聴。こんなはずじゃないという懊悩と叫びが聴こえてくるのだ。演奏に弱音器、それも弦限定の弱音器を用いていたようだが、弱音器は練習のときに周囲の迷惑を慮って用いるとばかり思っていたので意外だった。しかし、あのピアニッシモ、それ以上とも聴こえたあの微かな音を、果たして観客席の最前列だけに限ったとしても、何人の耳が聴きとっただろうか。

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明日はまた来る

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 意識ぜんたいが靄の底にくすぶりだし、いまにもストンと眠りに嵌ってしまいそうなこんなときは潔く自分をあけわたし、睡魔と真っ向から争う無益はやめよう。あすはまた来る。あす、東の空に、無頼の雲の間から、じわじわと、ゆうらりと太陽はまた昇る。

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遺影 / バイオリニスト、イザベル・ファウスト

 サンショウの葉っぱにアゲハの幼虫がいました。一枚目の写真、右上に見えるまだ黒っぽい幼虫が光沢がなくごつごつした感じであること、同じ仲間である下の写真で、腹脚の上に白線があることなどから、ナミアゲハであるかと。庭のそちこちに生えてくるサンショウを引き抜かないでおいてよかったと思えた瞬間でした。よく見ると、大きくなった緑色の幼虫が3頭、黒っぽい幼虫が5頭もいます。この時期からうまく成虫にまでなれるかどうかちょっと不安でしたが、それでも、この庭にアゲハが8頭もとぶさまを想い描くのは愉快でした。
 ネットで被って保護しようかと思いましたが、このように大きくなるまで無事だったのは、もしかすると獲物を狙う敵の死角の範囲にあるのかもしれないと、今日中にやればいいと先延ばしに。ところが、その2時間後、コーヒーを飲みながらふと外を見やると、雀が低空飛行、それもサンショウの木の高さなのですが、近くにある葡萄の木に止まったのです。何か気になり急いで出てサンショウの木を見ると、何と、緑色になった幼虫が3頭とも消えています。ペットを一瞬にして失ったようで信じられない。裏側も捜しましたがやはりいません。蛹になるために移動したとは考えられません。黒っぽい個体だけが残っていました。というわけで、写真は発見からたった2時間で、ただ一枚の遺影となってしまいました。


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 見事に雀に奪い去られた3頭の幼虫たち。一方、自然界の食物連鎖と厳しさが想われました。専門家ならそのあたりを詳しく述べることができるのでしょうが、カラスといい、クマといい、食べ物が足りていない。雀もそういう感じが。これは感じでいう事ではないのですが、ぜんたい生物の数が減っているのでは。

 と、ここでまた懲りずに「生物 激減」、と検索してみると、こんなページも。さらにいろいろあるでしょうけれども、何れ、しまいにはヒトにすべてが跳ね返ってくるのでしょうか。


  ☆  ☆  ☆

 けさのクラシック倶楽部は、ドイツ出身の女性バイオリニスト、イザベル・ファウストによるオール無伴奏でした。楽器演奏はことば以前ともいわれますが、無伴奏はさらに奥深いという感じが。「パルティータ第5番」作曲のヴィルスマイアーは1663生まれ。バッハは1685生まれ。たしかにヴィルスマイアーはバッハの22年前に生まれている。バッハを聴いている感じでしたが。ビーバーの「パッサカリア ト短調」はビーバーの最高傑作だとか。
 いちばん興味深かったのはバルトークの「無伴奏バイオリン・ソナタ」。
イザベル・ファウストは11歳で初めてバルトークを弾いている。彼女はデネス・ジグモンディに師事したが、ジグモンディバルトークを本能的に色鮮やかに教えてくれたと語っている。この無伴奏はバルトークが白血病を患っていたときに作曲。不安、魂の漂泊、陰影、暗示が伝わってくる。この曲を聴いてバルトークの理解の入り口にようやく立てた。

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クラシック倶楽部 & 大信田時子さんの近作 

 クラシック倶楽部、9月19日放送「庄司紗&メナヘム・プレスラー デユオ・リサイタル」 で、メナヘムさんは「音楽のインスピレーションは授かるのを祈るばかり」、「音楽の神髄に触れるには生涯学びづけなければならない。それは若者でも90歳 でもおなじこと」といっておられました。また庄司さんは、ブラームスの「バイオリンとピアノのためのソナタ第1番 ト長調 作品78」を弾くにあたって、「ブラームスのヴァイオリン曲の傑作」「ブラームスの思慕の情がたわってくる…窓際に座って窓を見つめているブラームスが浮 かぶ。過去の美しい思い出に浸り、また現実に引き戻され、また思い出に浸っている」などと曲想を述べています。

 メナヘムさんのショパンの「ノクターン嬰ハ短調遺作」、心打たれました。

 20日放送「有希 マヌエラ・ヤンケ&エマヌエーレ・セグレ デュオ・リサイタル」 ピアソラの「タンゴの歴史」、面白い。

 21日の今朝は、「トー マス・ツェートマイヤー バイオリ・リサイタル」。パガニーニの「24の奇想曲」からの抜粋。彼がいうに「即興のようではあるが、完全に練り上げられた作 曲である」と。自身のアレンジも入っているとのこと。一瞬、ヤッシャ・ハイフェッツが浮かびました。パガニーニ、息をのむ超絶技巧、そして時として音と音 の間隙にすとんと嵌った闇を感じることがあるのは、もしかすればパガニーニに関する先入観のせいかもしれない。

 クラシック倶楽部のあとに名曲アルバムが続くのですが、いつもはさらっと観ているだけ。それがきょう気づいたのは、「月の砂漠」の作詞者のこと。加藤まさを。大正のことだから海外には行ったことがなく、アラビアの砂漠は見ていない。それがラクダに乗った王子さまとお姫さまの挿画と詩を講談社の「少女クラブ」に掲載。これに佐々木すぐるが曲を付ける。砂漠のモチーフは御宿海岸であったとか。見なくとも、むしろ見ないですこしばかりのモチーフを手掛かりに想像する方がイメージが膨らむことはある。必ずしも、どこに行けないから、何がないから創作活動ができないというものでは決してないように思う。

       ☆  ☆  ☆

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今回は札幌にある絵画クラブと水曜デッサン会の交流展でした。 

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雑感

 草刈りをしていたところ、そう、もはや草取りの段階は過ぎて草刈りとなっていますが。けっこう蚊がいるのです。代々木公園の消毒のありさまが思い出されました。しかし今のところデング熱などの媒介の恐れはないとは思っていますが、できるだけ薬は撒きたくない。結局手の甲や手首を刺されてしまいました。できるだけ農薬を散布しないようにしてきました。というのは、薬が余った場合、処理に困るからです。農薬は産業廃棄物扱いなので産廃業者に託さなければなりません。その煩雑さもあります。それと一旦撒けば必ず人体に入ると思うからです。そこではたと、蚊を食べてくれるものはいないかと当たってみると、トンボ、カエル、コウモリ、スズメ、カマキリ、そしてボウフラの状態であればメダカ。カエル、コウモリはいません。トンボも滅多にはとんではこない。スズメは来るには来ますが、それほど期待できない感じが。結局頼みの綱はカマキリです。
 たまたま我が家に来ていた虫の好きな方が、塀にくっついているスポンジのような球状のものを見つけました。よく見るとカマキリの卵だったのです。一つの球状からは200~100匹のカマキリが生まれるらしい。成虫になるのはごくわずか。わずかとはどれぐらいとも思うのですが、これ以上たどっていく根気がありません。運よく生き延びた数十匹なのか数匹なのか。何れこの庭で発生する蚊を食べてもらうには、あの卵が一つ二つあったところで間に合わないかもしれません。ハラビロカマキリ、コカマキリは意外に人間の生活環境に近いところに卵を産み付ける勝手知ったる、勝手知ったると勝手な言い方をしてはいけないのかもしれませんが、蚊を食べてもらうには好都合なカマキリ種のようですが。ただカマキリ自体が非常に少なくなっているらしい。
 最初に出てきたページに蚊を食べてくれるのはカマキリも出ていたわけですが、さらに「カマキリのエサは?」と見ていくと、主に
バッタ、イナゴ、蝶、セミ、ハチ、ガ、コオロギ、ハエ、アブ、カマキリ、トカゲ、トンボ、カエル、ゴキブリなど。蚊も食べるは食べるのでしょうが狩の効率としては、蚊を何度も捕獲するよりも、昆虫を捕まえる方が効率は良さそう。となると、カマキリを増やしてこちらが望むほどの蚊を食べてもらおうという目算は期待薄。

 クラシック倶楽部を書こうとブログを開けたところが、蚊が浮かんだところで、ついついこんなはなしに、それも、さしたる無農薬対策にはつながらない成り行きと。仕方がない、下水溝内には薬剤散布、あとは水のたまりそうな場所の片づけといったところか。

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シンフォニエッタ盛岡  2016 秋のアンサンブルコンサート ありがとうございました!

 バスで行こうか、もうバスでは遅れそう。クルマにしようか、すぐに駐車場に入れるかしらん。やっぱりスクーターに限る! お誘いしたご近所の方は、私の習性をよくご存じで「現地集合にしましょう」。彼女はもう来ているはずと駆け込むと、先に待ってくれており、穏やかに手を振ってくれました。

 今回は弦楽器、管楽器、そしてピアノを入れてのそれぞれの持ち味を生かした9通りのアンサンブル。ここのところ忙しかったのですが、幸いにもほっと寛げる心地よいひと時をいただきました。休憩時のおいしい茶菓、友達と「ちょっと甘いものが食べたかったところ」とおいしく頂戴しました。

 お忙しい日常にあり、こうして貴重な余暇を練習に充て、ステージで音楽を分け合ってくださる皆様に心から感謝を申し上げます!

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 つたない写真で申し訳ありませんが。ずっと指揮者なしでしたが最後に指揮者登場、みなさまの歌劇『フィガロの結婚』の序曲が華やかに響きわたりました。また春の定演を楽しみにしております。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

 4時代はまだ暗い。台風10号が沿岸にのこした泥土を片づけるのにボランティアが足りない。山間部には、重機が、人が入ろうにも困難な状況がまだある。一方北上山地を隔てた西側では、岩手県国体が、石垣フェスティバルが、八幡宮祭りが予定通りに進行した。
 真っ暗な夜も明けていく。漆黒の闇に光が兆し、薄明は引き払われ、たとえ雲が光を遮ろうとしても、朝はそこに来ている。

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 インマヌエル盛岡キリスト教会の國光牧師が、先週に開いた聖書のおことばはマタイ伝25:14~30。『忠実なしもべとして』と題し、説教が取次がれました。 

14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。17 同様に、ニタラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算した。20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたのものです。』26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられるのです。30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

《お話の要点》 いま主は天の父なる神の右に座しておられる。そして主は再びこの世に来られる。これが世の終末です。「よほどたってから」、主人が帰ってくるのは「よほどたってからなのです。再臨をより現実的にいいます。9月には防災の日があります。直下型大地震への備えが叫ばれます。東京で学生時代を送っていた40年以上も前ですが、近々、関東大震災に匹敵するような大地震があるといわれておりました。地震がもうすぐ起きる、統計学的にいっても必ず起きる、しかしそれが今日かもしれないし、一年後かもしれない、しかし必ず来るからそれに備えるように。これは現実の問題です。ではどれだけ人がほんとうにその備えをしているだろうか。すくなくとも三日間の飲み物、非常食、光熱はどうなっているのか。点検しなければなりません。これは3・11で経験済みです。このように地震に備えると同じように、まして、主のおいでの時に失敗や遅れをとることがないように備えていただきたいのです。

 聖書中の「タラント」の貨幣価値ですが、ドラクマという貨幣価値があります。これは1デナリといわれるのとほぼ同じです。1デナリは労働者の1日分の給料に匹敵します。1デナリは約1万円。羊5頭の値段と牛1匹の値段が同じでした。1タラントは約6千万円。ですから5タラントは3億円です。このように換算すると、預けられた元手がいくらであったかわかります。この管理をそれぞれに託されたわけです。

《自分なりに捉えたこと》 私たちに管理を任せた主人がいま天におられ、さあ、御国の福音を述べ伝えるようにと仰っている。主の再臨のときまでに私たちに与えられたタラントを生かして御国の福音を述べ伝えなさい。タラントを御国のために生かすのでなければ、むしろそれを失ってしまうことになる、一人でも多くの方々に福音を述べ伝えなさい、ということかと捉えました。


※説教は短めに記しています。全体をお聴きになりたい方は教会へお出かけください。

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またまたギター、そしてソプラノ

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  連日、ギターを聴いている。クラシック倶楽部、けさはギター奏者荘村清志さん&ソプラノの小林沙羅さん。武満徹は荘村さんとの出会いによって多くのギター作品を作曲したが、1974年には荘村さんのために『フォリス』(意味は「二つ折りの紙」)、荘村さんのデヴュー25周年には『エキノクス』を作曲。荘村さんが「武満作品にはピアノ、メゾピアノ、ピアニッシモが多用されており、ホールで弾くのには時として説得力を持たせるのに…」云々と仰っていました。ちょっと聞き落とした部分もありますが、それはわかりました。果たして観客席の後ろにまで届くだろうか、音色が伝わるだろうか。音を出した途端に即座に音が空間に吸い込まれてしまうような感覚は弾きにくく怖いものかと思います。武満と荘村さんに、創作につながる人との出会いというものを考えさせられました。『森の中で』の三つの小品は3人の奏者にささげられており、その中の一曲が荘村さんに。
 小林沙羅さん、『島へ』、『○と△のうた』、『翼』、『死んだ男の残したものは』。すばらしい声で歌い上げてくださいました。味わいがありました。ただ、『翼』が劇中では市原悦子さんによって歌われているようですが、ポップスや歌謡曲調でさらっと歌うのも好ましいと思われました。格調高く歌い上げることは曲が望んではいない、そんな感じがしたのです。

  ☆  ☆  ☆

22時過ぎてしまいました。
明日のご案内を入れておきます。

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ヴィドヴィチ &  大井利江

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九月も半ば。例年は八月の下旬に咲く百日紅がいま真っ盛り。夏の暑さが戻ってきたような汗ばむ一日となった。か細い虫の音の遠くに、八幡宮のお囃子が聞こえている。それもまもなく止むだろう。きょうは十五夜、満月と見える月が煌々と掛かっている。

 まだ習慣とまではなっていないと思うけれども、またもやクラシック倶楽部。アナ・ヴィドヴィチのギター演奏。バッハの『無伴奏チェロ組曲』をなるほどギターではこのようにと何気なく耳を傾ける。アグスティン・バリオスの『大聖堂』になって、ひきこまれました。私が適切に言い表そうと時間をかけるよりも、上記のページを転載しておきます。

(1)プレルディオ(2)アンダンテ(3)アレグロの三楽章から成ります。アンダンテとアレグロはウルグアイのモンテビデオの大聖堂で着想(オルガンで バッハが演奏されていたという)し1921年に作曲、プレルディオはキューバのハバナの大聖堂で着想し1938年に作曲。アンダンテは大聖堂に集まった信 徒たちの祈りの念、アレグロは祈りを終えて外の通りへ出て行く人々の感動の余韻をとどめた足取りを表現。
 それと、『アランブラ宮殿の思い出』、ヴィドヴィチが、トレモロの美しさをはなしていましたが、このトレモロを滑らかに演奏するのはとても難しいのだとか。『アランブラ宮殿の思い出』は曲としての難易度は高いとはいえないようですが、正しい右手のタッチを習得していない人にとっては難しいということになるらしい。
 楽器を弾くすがたは美しいと思いますが、ヴィドヴィチを録るカメラワーク、さまざまな角度からのすがた、彼女の音楽性との交錯ができていたように思います。美しい映像でした。

  ☆  ☆  ☆

 岩手県の代表、大井利江さん、リオ入りしてその後どうなったの? それが夕方のニュースでは、砲丸投げで7位入賞。68歳でですから底知れぬ底意地という感じが。何と4年後の東京も視野にあるらしい。たしかにこの方なら再び過酷な練習もやり遂げるのでは。誰もが輝きたい、しかし誰でもが限られたメダルを獲れるとは限らない。しかし可能性を夢見るなら、どこまでもやっていただきたい。たとえ72、76と齢重ねるとも。出場者の最高年齢記録にも併せて挑戦していただきたいと思ったことです。

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音楽雑感

 ペペ・ロメロは、1944年スペインのマラガ生まれのクラッシック・ギター奏者、というわけで、またまたクラシック倶楽部のはなし。こんな時間があったら、詩の一つ、小説の断片でもつづった方が無駄がないではないかと思いつつ、書き出しが音楽であればさほど苦しまずに書けるのだから不思議だ。ロメロ、70歳は過ぎているわけだけれども、演奏からして、いまだ根強いファンが潜在的にもしっかりといる感じが。2014、浜離宮アサヒホールでの録画だ。
 この方の強みの一つは、作曲家セレドニオ・ロメロを父に持っていることであると思った。父以外の教師にはついたことがないという。父の作曲した『マドリード組曲第一番』は印象的だった。彼はギターを弾く在りし日の父のすがたを見ながら弾く。曲はキューバ風幻想曲、彼が5,6歳のときに暮らしたキューバの美しい風景が想像される。

 そして今朝は、TVはちょっとやすもうかと思いつつリモコンを押したところが、ギタリスト大武康司さん、と書きながら、字を間違えていないかちょっと不安。すこし聴いたら切ろうと思っていたところが、「人間の中にあるプリミティブなもの、それをギターで表現できないか、日本の作曲家を通して出てくるもの…」と語っている。それは何かな? とついつい終いまで聴いてしまった。武満徹の『すべては薄明の中で』、古民家の中の障子戸の陰影、座敷に伸び来る日脚、そして忍び寄る夕暮れなどが浮かび視覚的に感じられた。
 ギターの伴奏でメゾ・ソプラノの林美智子さんの日本の歌。武満が自ら詩を書いた『翼』、「空にえがく希望という字を」、私が理解していた武満とはまた違った一側面を知った。武満は、谷川俊太郎や荒木一郎の詩にも作曲し、『イエスタディ』の編曲も。小曲の数曲で、武満の多面の幾つかを知った。
 黙して演奏に徹する、それもいいけれども、何か一言があると、ならば聴いてみよう、聴いてみたいと乗り出している。リスナーを取り込み、聴く態勢を整えさせるためにも、ちょっとした言葉があると一層楽しく聴くことができる。 

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シンフォニエッタ盛岡  秋のアンサンブルコンサート 2016/9/17 (土)13:30開演 盛岡市民文化会館小ホール

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 秋です。シンフォニエッタ盛岡と仲間たちのアンサンブルです。おでかけください!

  ☆  ☆  ☆

 きょうは機会あって、防災学習会に参加しました。北上川、雫石川、中津川が氾濫した場合の浸水域、岩手山が噴火した場合の被災範囲、土砂災害危険区域の確認、これはウェブに出ていると思います。震度7の体験も。実際に遭遇した場合の恐怖が想像されました。

 災害列島日本。直接的、間接的に災害とともに生きなければならない日常にあって、いま無事に暮らしているだけでもどれほどに恵まれていることかを客観視し、分に過ぎた多くを望まず、身を低くして謙虚に生きるべきではないかと思わせられたことです。

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四大ミサ曲を聴き終えて

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 ぺーター・シュライアーの『ミサ曲ロ短調』、『マタイ受難曲』、『ヨハネ受難曲』、『クリスマス・オラトリオ』、いつかどこかで、コンサートで全曲を、ラジオで断片をと耳にしていたこれらの曲を昨日で全曲聴き終えた。『クリスマス・オラトリオ』の終曲に至っては、エンドレスで聴きつづけたいほどの心境となり、事実、繰り返し6回は聴き、夕食を終えてまた聴き続けた。まして演奏に参加した方々の感無量さはどれほどであろうかと推し量られた。彼の地、いったいどちらに行くことになるかは残すところの人生を鑑みて神が決めたもう範疇ではあるが、何れ彼の地に行くまでにこの時点で真っ向から向き合い聴き通し、素晴らしさを得心できた。
 曲を聴きながら、真昼の空の青さ、重い佇まいを見せる5階建てのアパート、家々を仕切る塀や生垣、真新しい家並み、錆びたトタン屋根、電信柱と幾条もの送電線、松の木、樅の木、ヒバ、夏椿とそれらが互いに作り出す空間。いそがしげに背を向けて小さくなっていく人の背中。もやがかる向こうに薄ぼんやりと掛かっていた半月が、ほどなく晴れた夜の間にくっきりと現れたさま。聴きながら、そんな窓外の風景に眼を滑らせていたのだけれども、ミサ曲はそのどの建物にも樹木にも人にも宇宙にも、何の違和感もなく染みとおり相和していく。ずっとヘッドホンで聴いていたけれども、終曲だけはスピーカーで高い目に聴く。農村などで広い田園地帯を覆い音楽が流れるときのように、この界隈にミサ曲が流れていたならと埒もないことに想いを馳せた。
 よいたとえかどうか、文学関連をブログにはあまり書かないようにしているけれども、このほどの芥川賞作家が書くコンビニ、微に入り細に入り、あらゆる角度から書き切っていることに恐れ入り、またこのほどの直木賞作家が理髪店を舞台に同様に書き完成させているけれども、音楽において、神についてこれほどまでに縦横無人に闊達に深遠に柔和に繊細に優美に或いは力強い音で活写し、それが声楽という楽器の可能性を存分に引き出し語りつくしている。音楽の最高峰に畏怖と敬意を抱いたことでした。

   ☆  ☆  ☆

  クラッシク倶楽部、先だってのリュート、マドリガルもよかったですが、きょうのイリーナ・クリコヴァのタレガ『アルハンブラ宮殿の思い出』、楽器と演奏者が混然一体、おとなの演奏という感じが。クラシックギターはどこか物足りないと思った時代もありましたが、あふれ出しそうな情感を弦のうちにとどめ、しかもそれが心に響いてくる、近ごろはそんな演奏に共感します。

 ☆以下の編集がまだ適切ではないのですが、パソコンがさっきからどこか不安定、記事を失わぬうちに保存とします。 

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

 台風10号の被害に大雨の襲来と自分の身に近いところで岩手県沿岸は今も尚大変な状況、きのうは青空を迎えましたが、心にはまだ雨雲が留まっている、そんな心境でもあります。こんな時に聖書が何の役に立つの? ボランティアの方がよほど即戦力になるじゃないの、そういう見方もあります。ただ、生きていく上で、心の中が、ちょうど土砂災害で家屋、家財、その他のものが一緒くたになり収拾がつかなくなるときがあります。そんなとき、そこを整理し、風通しをよくしてくれる。よく経験するところです。
 
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 インマヌエル盛岡キリスト教会で、先週、國光勝美牧師によって開かれた聖書個所は、第二テモテ4:1~8で、『福音を証ししよう』と題し、メッセージがありました。

1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 5 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。 7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

 生きているあいだは人生にさまざまなパターンがあるけれども、イエス・キリストを信じる者の未来を、牧師先生方は一生を賭けて毎週日曜日に講壇から語ってくださっています。教会へおでかけください。

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久方ぶりの秋晴れ

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 すばらしい秋晴れでした。ブログ用の写真がないなと思い、青空に映える雲か、岩手山か、ススキか、コスモスでも写そうとご近所の方をお誘いし、ミニドライブ。それが、イネがもうこんなに実っていました。

   ☆  ☆  ☆

 数日前のクラシック倶楽部、曽根亜矢子さんの平均律クラヴィーアの演奏は、東京浜離宮アサヒホールでしたが、すばらしい装飾のチェンバロ、鍵盤の周囲にも天板、側板にも。どなたの製作なのでしょうか。もしや久保田彰さんかとそちらにウェブで飛んでみましたがはっきりしませんでした。久保田さんは1580、1620年のモデルなどの復元製作を行っているようです。
 曽根さんの演奏は、平均律もよかったですが、アンコール曲のクープランのハープシコード曲集1の『波』の方がすんなりと耳にというより心にというべきでしょうか、入ってきました。

 楽器製作のことでいうなら、岩手県盛岡市に、チェロやヴァイオリンを製作し、すばらしい装飾を施している松本伸さんという方がいらっしゃいます。家紋も入れてくださるとか。音の方も全国的によい評価を得ているはずです。東日本大震災のときには、やはり被災したヴァイオリンが次つぎに送られてきたとブログにありました。けさの新聞のコラムに被災ピアノの修理がありましたが、ちょっとこのことを思い出しました。

 

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セラフィーヌ・ルイ

 画家セラフィーヌ・ルイ(1864年仏生まれ)の『楽園の樹』。

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 けさの天声人語によると、セラフィーヌは1歳で母を、6歳で父を亡くし、17歳で修道院の下働きをしながら20年を暮らす。家政婦をしていたとき、41歳で「絵筆をとりなさい」という天啓を受けたという。絵が売れると途方もない浪費をし困窮。心を病み療養所へ送られている。「私は絵のことをあまりよく知らない年老いた初心者です」とは彼女のことばだ。

 
こんな人生がなぜか心にぐいんと喰いこむ。

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パラリンピック開幕 & クラシック倶楽部

 

 岩手県洋野町の大井利江さんは、ほんとうにまたリオまで行くのだろうかと思っていたところ、県庁に知事に挨拶に出向いたニュースが流れた。円盤投げでアテネで銀、北京で銅だった。アテネからほんとうのところ、こんどの出場は厳しいかなと思いきや、砲丸投げでリオ入り、きょうの入場行進ではスタンド側を進んでいた。68歳。選手のありようの多様さが頑張り次第で高齢でも出場が可能となる。これもパラならではの特権なのか。それにしても68歳でとはなんとも凄い。

 

 障害者アスリートら4人が、雨の中、聖火台までトーチをつないだが、ブラジル代表のマルシア・マルサールさんが転倒し、トーチを落とした。そのとき、場内には野次も飛ばず、なじるものもなく、総立ちで声援。何というあたたかさ。胸に染みた。雨の中の一大ドラマの巧まざる名場面の現出だった。

 

 また装具をつけた子供たちが介添えを受けながらパラリンピックの旗に手を添え行進するすがたを見るうちに、「これはもうパラリンピックは何があっても開催しなければならない。これは障害を身に引き受けた本人とその親、親族の熱い願いであり、またこういう選手団を送り出せることが、その国の福祉の実情を測る重要なバロメーターであるだろうと思った。

 

    ☆  ☆  ☆

 

 またクラシック倶楽部のはなでしだけれども、これは6日の朝だった。京都府立府民ホール・アルティでのサラ・デイヴィス・ビュクナーのピアノ演奏で、「ゴールトベルク変奏曲 BWV 988」、「パガニーニによる大練習曲」から 第1、2,5,6番。ブゾーニの編曲の版だったが、ブゾーニはパガニーニを弾きやすく編曲してあるという。とはいうものの、大変な難曲と感じられた。因みにブゾーニ生誕150年にあたっているとか。そのブゾーニ版を力強いタッチで聴かせてくれた。彼女の黒いドレスにテーラードの赤い上着といった服装も自然で新鮮だった。
 ピアノはヤマハ。このようなコンサートでハマハを見たのは久しぶり、というよりも私は初めてであり、名器云々するまえに、随分とうれしい心持がしたのはなぜだろう。全国のコンサートホールがどんなピアノを備えているものかちょっと興味がわいたけれども、それを知って何になるかと思い、これ以上の突き詰めは棚上げに。

 一昨日は、ル・ポン国際音楽祭2014の収録版。毎年、兵庫県の赤穂・姫路で行われ、音楽監督は樫本大進。
 バルトークの『ピアノ五重奏曲』もよかったけれども、何といっても、ヴァンハル『ディベルトメント』はうれしかった。というのも、この曲の主役はコントラバスで、それが、いまいったいどこで活躍しているのか、もう一度聴きたいと思っていたナビル・シェハタが登場したのだから。
 赤穂市文化会館ハーモニーホールの収容は大ホールで1,168。樫本さんが、「アーティストができない雰囲気のところでやるのは特別な感じをあじわえる」とはなしていたが、そこはもっと聞きたいところだった。世界的な音楽家たちがフレンドシップ、ボランティアで来てくれている。ローカルの人たちにも音楽をとの意図があるようだ。

 拘束されるのがいやで番組を見ないでいたが、やはり見落としがないようにと予め見ることにした。その翌日が樫本大進・ナビル・シェハタだった。ラッキーだったと思いつつも、こんどは自分の好みを選択的に聴くことになるなと。ところが興味がなくても聴いてみたときに、むしろ新たな発見であったり新鮮でおもしろかったりということが多い。あすはチェンバロだったか、それでも無理をせずに聴けたなら聴くという緩やかさをもとう。

☆  ☆  ☆

 それにしてもこの雨。避難指示が次つぎに出ているが、無関係ではない。気象情報をいまいちど確かめてからやすもうかと思う。

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ペーター・シュライアーの『クリスマス・オラトリオ』

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 この賛美と祝祭にあふれる曲を、自分はただじっと耳を傾けるだけでいい、そして頷くだけでいいのだ、聴き進むごとにそう思わせられている。

     ☆  ☆  ☆

 けさの激しい雨音に、きょうの一日はどうなるだろうかと不安だったけれども、午前の参加すべき会合と午後のスケジュールを終える。
 自分にさまざまなノルマを課した結果が、目を疲れさせてしまった。あすからはすこしペースを緩やかにしようかと思う。

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 台風、大雨被害の深刻さ。気象の異変による崩壊は年ごとに進んでいるようだ。すでに自分も“タイタニック”に乗り組んでしまっている、そんな心境になることも。そのような中で、松明となってくれるのは、人のあたたかさ、支援の動き、状況に惑わされずに自分の仕事を果たす人のすがた、使命に殉じる姿勢と、そして神の存在への信頼であるように思う。

 

 

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午後の散歩

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 盛岡市の中津川に架かる中の橋から。光の加減もいまいちで、さてどうしたものか、欄干に取り付けられているハンギングバスケットを入れた景観はもう撮ったことがあるし。そこではたと、欄干の空間に景色をいれてみよう。買い物袋を足元に置き、屈んでカシャ。

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 盛岡市桜山神社の向かいにある喫茶モンタン裏に咲く蓮の花。ももいろの花はなく、ぜんぶ真っ白な花ばかりでした。もともとは下の写真の亀ヶ池と続きの池であったのでしょう。
 
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 きょうの衝撃は、書店での立ち読みならぬ座りこみ読書で開いたページにあった
高島野十郎の一枚の絵。雑誌では高島の「たか」は「髙」でしたが。このような絵を描く人とはいったい? と、いまウェブを繰ると「高」の方になっていました。どちらが本当でしょう。明治23年生まれの画家。「透徹した精神性でひたすら写実を追及」とありました。人間に対する、というか自分に対するというか、その突き詰めようが怖い。何度も観たい、部屋に飾っておきたいというにはあまりに深刻めいているけれども、稀有な芸術性には有無をいわせない、そんな生々しい人物像にショックを受けました。また 『ユリとヴァイオリン』、このモチーフは、私が3・11のときに書いた小説の挿絵代わりにヴァイオリンとユリを配置して撮った写真があるのですが、それによく似ていたので、ちょっと嬉しくなりました。

 今朝はかなりはやくに目が覚めたのですが、もうすこし休んだ方がいいと達観しているうちに、6時になってしまい、あれやこれやと目につくところ、ゴミ集積所の違反ゴミの始末などしているうちに、朝のウォーキングを果たせずじまい。クラッシック倶楽部も見逃し、午後になって、ありがたいことに陽も照ってはいないので、発送、買い物がてら出かけてきました。気温は29度と30度と上がったり下がったり。残暑は厳しいけれども、台風12号は熱帯低気圧に変わったとか。ああ、これですこしでもどこかが、誰かが被災を免れることができるかとため息。
 岩泉に向けてか、きょうもヘリが軽微の爆音を響かせて薄曇りの下を、頭上を通り過ぎていった。もうこれ以上のことが起こってほしくない、誰もが被災地に心を痛め、誰もが同じ思いでいるのだ。

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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

  葡萄がよい香りを放っています。軒下に巣くっていたアシナガバチが現れ、針で突いたような小さな溝をいくつものこしていきます。ヒヨドリもきました。ぎっしりと詰まった房の実がすかすかになりました。カラスがやってくると、房がまばらになりました。やっと収穫に乗り出したのがヒトです。のこされた葡萄をぜんぶハサミで刈りとりました。ささやかな共存共栄です。

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 インマヌエル盛岡キリスト教会の先週の引証聖句は
ローマ書1:16,17
16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。


『福音は神の力ー2』と題して主牧よりメッセージがありました。

概略を短く記します。

 福音は神の力であるとありますが、それは罪を断ち切る力、死の力を断ち切る力です。人間の力では、襲い来る罪の力を断ち切ることはできません。私たちは自分で自分をどうすることもできません。ローマ人の手紙を書いたパウロは、正直にこのような心を吐露している。やってはいけないと分かってやってしまう自分がいる。どうしたらいいだろうか。どうしたらこの死の体から解放されるだろうか。これは罪というものと真剣に向かい合ったひとの真実な告白です。ローマの昔に、罪人の背中に死人を結びつける刑がありました。顔と顔、手と手、足と足とを合わせて括り付けられ追放されるのです。やがて死毒が罪人に回って死にいたるのです。パウロはその状況を思い浮かべながら、いったいこの死のからだから誰が解放してくれるだろうか。そしてパウロは言います。「しかし神に感謝すべきかな。神はこの死のからだから私を解き放ってくださった」。ロマ7:24,25にこのことが書かれています。罪と死の力から解放してくれるのは、神の力、イエス・キリストの福音の力だけです。
 真珠湾攻撃の総隊長淵田美津雄は敵のありように心打たれ、聖書に目を開かれキリスト教徒となりました。神の力によって憎しみの連鎖を断ち切ることができます。神の力が与えられる時、福音の力を自らに経験することができます。

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無題

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 これは8月19日の写真です。岩手県紫波郡矢巾町煙山にある約2haのひまわり畑です。主人の用足しに同行した折についでに立ち寄りました。見ごろは8月中旬。ですからちょっと過ぎていたかなという感じでした。

 虫の音が聞こえています。この庭には少なくとも3種類はコーラスに参加できる虫たちがいるようです。けれども、コオロギの鳴き声しか聞き分けられません。
 昼間には甘い方のナイヤガラの葡萄に、蜂と鵯

 


 

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音楽雑感

  滅多にはないけれども、真夜中に目をさますことがある。1時とか2時、そんな時間だ。お茶を飲むなりするわけだけれども、これが悪癖かどうか、TVのリモコンを押してしまう。無意識のうちに音楽番組をさがす。そして観ることになったのが2016年、佐渡裕のトーンキュンストラー管弦楽団のガラコンサートだった。グラフェネック野外劇場だったと思う。ネットを飛んでみると「グラフェネックは、ウィーン市街から車で40分ほど。19世紀の優美なグラフェネック城がたたずみ、芝 生の緑が鮮やかな英国調の庭園が広がる32ヘクタールの広大な敷地に、対照的にモダンな建築の野外劇場とオーディトリアム(屋内コンサートホール)があり ます」とある通り、文化の厚みを感じさせる美しい景観の中でのコンサート。日本人である佐渡裕が指揮者として活躍してくれている嬉しさ。最後は花火が打ち上げられるのだが、指揮している佐渡がそれを最後の瞬間だけでも見ることができるかどうか、結局花火は、振り終える直前に終わってしまったのだった。
 それが以前に夜中に目をさましたときも、佐渡裕が、それもやはりグラフェネックでだったと思うが、コンサートをTVで観たことがある。ちょうど、「佐渡は日本では佐渡ではなくても務まるような番組に出ているようだけれど、いま実際どんなふうな活躍をしているのかしらん」と思っていた最中のことだった。佐渡裕に呼ばれたなどというつもりは毛頭ない。恥をかくだけのこと。ただ、何かに呼ばれてというか、無意識のうちの直感でなのか、目をさましてみると気にかけていた音楽に出会えたということがある。

 またまたTVのはなしだが、今朝のクラッシック倶楽部は、チョ・ソンジンのショパン『ピアノ協奏曲第一番』だった。1994年生まれの韓国のピアニストだ。2015年のショパン国際ピアノコンクールで優勝。アジア人としては3人目。このときの録画かと思う。瑞々しい感性に貫かれたすばらしい演奏だった。
 数日前のアフリカの民族音楽の影響のある作曲家の作品から弾いてくれたピアニストの登場など、毎日は観かねることもあるけれども、また、番組の途中からであったり、あたまの部分だけ、或いは最後部分だけしか見られないこともあるけれども、この番組がもたらしてくれる楽しみは尽きない。
 一方、メディアが提供してくれる音楽だけを崇め奉っていていいのかという疑問もないではない。けれども、自分で発掘するほどの余力のないものにとっては、いまのところ、これが随分とありがたいのだ。

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ペーター・シュライアーの『ヨハネ受難曲』を聴き終えて

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 宇宙の一角にありながら全人類をおおう大曲、聴き終えて先ずこのような感想を持った。第40曲にさしかかったとき、この曲を歌う者のうち、いったい誰がいちばん光栄だろうかと考えていた。やはりイエス・キリストを務めるバスだろうか。テノールが務める福音史家もそうだろう。バリトン務めるペテロ、ピラトだって。アリアを務めるそれぞれも。しかし天的な香りに歌い上げるコラールのすばらしさ。とどのつまり、こういうことだ。この演奏に参加できた人々はみな神の栄光に浴するのだ。もしこの演奏に参加する全員がまことの信仰をもって歌うなら、それは地を揺さぶり、天を沸かせるものになるだろう。
 
 これは、『ヨハネ受難曲』のDISC1を聴き終えたときに、主人がある方から聞いたと教えてくれたのだが、盛岡の某合唱団で、何といま、この曲を練習しているらしい。自分がこの曲を聴く光栄に与る資格があるかどうか甚だ怪しいところではあるが、いずれこの時宜には驚いてしまった。幸いカール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団のDVDも所蔵している。これはほんとうに自慢しても許されるのではないかと思う。当初の予定通り、シュライアーの『クリスマス・オラトリオ』を聴き終えたなら、取り掛かろう。

 いま聴き終えたペーター・シュライアーの盤の巻末には、付録として1725年稿からの3つのアリアが含まれている。そのうちの 第19Ⅱ曲アリア(テノール)の歌詞の一部を自分のために写して締めくくろうと思う。

もし辛い鞭打ちの
測り知れない数をかぞえられるなら、
おまえたちの罪の数も数えてみなさい。
こちらのほうがずっと大きいことを悟るだろう。
                   【樋口隆一訳】

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