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安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 出エジプト20:8

  葡萄がよい香りを放っています。軒下に巣くっていたアシナガバチが現れ、針で突いたような小さな溝をいくつものこしていきます。ヒヨドリもきました。ぎっしりと詰まった房の実がすかすかになりました。カラスがやってくると、房がまばらになりました。やっと収穫に乗り出したのがヒトです。のこされた葡萄をぜんぶハサミで刈りとりました。ささやかな共存共栄です。

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 インマヌエル盛岡キリスト教会の先週の引証聖句は
ローマ書1:16,17
16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。


『福音は神の力ー2』と題して主牧よりメッセージがありました。

概略を短く記します。

 福音は神の力であるとありますが、それは罪を断ち切る力、死の力を断ち切る力です。人間の力では、襲い来る罪の力を断ち切ることはできません。私たちは自分で自分をどうすることもできません。ローマ人の手紙を書いたパウロは、正直にこのような心を吐露している。やってはいけないと分かってやってしまう自分がいる。どうしたらいいだろうか。どうしたらこの死の体から解放されるだろうか。これは罪というものと真剣に向かい合ったひとの真実な告白です。ローマの昔に、罪人の背中に死人を結びつける刑がありました。顔と顔、手と手、足と足とを合わせて括り付けられ追放されるのです。やがて死毒が罪人に回って死にいたるのです。パウロはその状況を思い浮かべながら、いったいこの死のからだから誰が解放してくれるだろうか。そしてパウロは言います。「しかし神に感謝すべきかな。神はこの死のからだから私を解き放ってくださった」。ロマ7:24,25にこのことが書かれています。罪と死の力から解放してくれるのは、神の力、イエス・キリストの福音の力だけです。
 真珠湾攻撃の総隊長淵田美津雄は敵のありように心打たれ、聖書に目を開かれキリスト教徒となりました。神の力によって憎しみの連鎖を断ち切ることができます。神の力が与えられる時、福音の力を自らに経験することができます。

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