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マタイ受難曲

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 『ミサ曲ロ短調』は、きょうもまた聴いても聴きあきないだろう。けれども一通り、シュレイアーの四大ミサ曲を聴き通そうと思う。
 ロ短調にしても、カール・リヒターのは、リリングのはどうだったかしら、2009年ごろにはあれほど聴いたはずが、シュレイアーとの違いはとなると答えることができない。辻井伸行さんは、どうも生後八か月になる前には、スタニスラフ・ブーニンの弾く『英雄ポロネーズ』とほかのピアニストの弾くそれの違いがわかっていたようだけれども、わたしは答えることができない。ふと聴きくらべようかとも考えたが、これはこれ、それはそれでいいではないか、その違いを確かめてどうなると思いなおす。

 けさのクラッシク倶楽部で、ピアニストのアンティ・シーララが「時間をかけて作品との関係を深めていく」と言っていたが、わたしは演奏者ではなく単なるリスナーのひとりに過ぎないのだが、演奏に相対してはまさしくそうだろうと思われた。殊にもミサ曲に関しては。

 今夜はDISC1 第1部 第1-25 約58分 を聴いて終えよう。
根底に一貫して認罪 罪の悲しみ、嘆きが流れている。この救いがたい人間。歌われるイエス・キリストの愛、贖罪の重みと尊さ、厳粛さが聖書の記事に則って綿々と続く。『マタイ受難曲』、全曲で約3時間の大作だ。

 ここでもペーター・シュライアー自らが福音史家をテノールで務めている。 

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