日曜日
そろそろ外回りにも花を植えなければ、草を取らなければ、鉢を何とか植えかえなければと思ううちに、どの作業も忙しくままならない。庭はもう秋の気配だ。ブログも滞りがち、しかし長年の習慣もあり、日曜日となればこうしてはいられない。聖書の片言でも掲げなければとパソコンのまえに着いている。
それにしてもけさの天声人語、きのうが土用の丑の日とあってウナギのはなし。もはや絶滅危惧種となっている。この日がくるたびに「わたしはもうウナギは食べません」という一文がどこにも見当たらないのだ。わたしが見落としているだけだろうか。養殖技術に、輸入にたよってでもウナギは食べたい、ウナギは流通させてほしい、そんな傾向を感じ取っている。ウナギがなくなれば死活問題、閉店だという業者もあるだろう。さまざまな事情は推測される。ただ、ヒトはそこまでして嗜好を満足させなければならないのかという疑念を拭いきれない。
泣いているウナギの顔写真を載せたいところですが、
先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の引証聖句は、
ヨハネの福音書7:37~39
37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いている なら、わたしのもとに来て飲みなさい。 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水 の川が流れ出るようになる。」 39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
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