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2016年7月

日曜日

  そろそろ外回りにも花を植えなければ、草を取らなければ、鉢を何とか植えかえなければと思ううちに、どの作業も忙しくままならない。庭はもう秋の気配だ。ブログも滞りがち、しかし長年の習慣もあり、日曜日となればこうしてはいられない。聖書の片言でも掲げなければとパソコンのまえに着いている。
 それにしてもけさの天声人語、きのうが土用の丑の日とあってウナギのはなし。もはや絶滅危惧種となっている。この日がくるたびに「わたしはもうウナギは食べません」という一文がどこにも見当たらないのだ。わたしが見落としているだけだろうか。養殖技術に、輸入にたよってでもウナギは食べたい、ウナギは流通させてほしい、そんな傾向を感じ取っている。ウナギがなくなれば死活問題、閉店だという業者もあるだろう。さまざまな事情は推測される。ただ、ヒトはそこまでして嗜好を満足させなければならないのかという疑念を拭いきれない。
 泣いているウナギの顔写真を載せたいところですが、

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の引証聖句は、

ヨハネの福音書7:37~39

 

37  さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いている なら、わたしのもとに来て飲みなさい。 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水 の川が流れ出るようになる。」 39  これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

 

 



 

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  けさのクラッシック倶楽部は、ビリヤード・アンサンブル。イギリス人の男声4人のアカペラで、ベルト『いと貴き主の御母』と、細川俊夫がビリヤード・アンサンブルの特質がより引き出されるようにと願って編曲した日本の歌メドレーのうち『さくら』が印象深かった。聖堂から響いてくるような祈りのこもる歌声。4人とも妙齢なのだが、その齢がまた演奏に滲みでていたように思う。

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夏の祭り

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 町内をこどもみこしが練り歩いた。29回目。ある方が「昔は子どもたちだけで80人の参加があったもの」と。きょうは26人。こどもの数が少なくなっている。日盛りの下を「ワッショイ! ワッショイ!」と汗を流しながら一巡。町内の方々のあたたかい笑顔に見まもられている。

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日曜日

きょうは日曜日。

 

 庭に出るとけっこう肌寒い。咲き終えたタチアオイ、咲き終えつつあるアガバンサス、眠っているのか起きているのかわからない樹木たち、生い茂った雑草もひっそりと、夏にしては根元に葉裏に冷ややかに留まる硬いめの空気にじっとしている。もう秋だ。咲いているなと見上げたノウゼンカズラが、もうみな散ってしまったのに気づいた昨夕。やっと咲き、咲き急ぐとも見えなかったが、けさは樹上にたったの一輪、樹間を彩りはじめた光に浴している。

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  先週、教会で開かれた聖書個所は
第一列王18:41 それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨 の音がするから。」 42 そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上 に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。 43 それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません。」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」 :44 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています。」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨 に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」 45 しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。 46 主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入口までアハブの前を走って行った。

 

國光牧師のおはなしは

 10日のホルンコンサートには、会堂にあふれるほどの方々がいらっしゃいました。祝福の感謝とともに、エリヤが、まだアハブたちには聞こえていない恵みの雨の音が聞こえていたことが語られました。
 リバイバルは聖霊の働きによって起こる。このとき、教会の受け皿ができていなければ教会は潰れてしまう、受け皿となる準備、覚悟をしておきなさいと、リバイバルを目の当たりにした初代の蔦田二雄先生は言われたそうです。
 聖霊が降ったときに、神様は想定外のことをしてくださるとの励ましのメッセージをいただきました。

 

 

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アジサイ

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自己責任

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 先ほど、20時半ごろの電話がなければ、ブログは書かなかったろう。わたし関係の電話は家電に入ってくる。本の下巻を抱えながら眠りこけていたところ、呼び出し音で目を覚ました。なかなかきっかりと目が覚めない。朦朧としたまま、しかし聞き間違えては大変と注意深く応対させていただいたつもりだが、失礼がなかったかどうか。受話器を置いてひと呼吸したところで目が覚めた。

 そして浮かんだのが「自己責任」ということば。地域がらみの仕事でも、こうしてください、ああしてくださいという指示に従って遂行、それで尚トラブルが起きた場合には、責任の幾分かを指示した方にも担っていただける部分があるかもしれない。しかし、たとえどんな事情にせよ、指示通りにせずにトラブルが起きた場合、これはもう自己責任なのだなと思い至る。

 
 

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自治会役員はたおれるまで?

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 きょう福祉関係の学びがあった。帰る道々、役員のなり手がない話題となる。ある自治会の会長をしておられる方は、民生委員の後任がなく、民生委員も併せて引き受けられた。奥様が病気になられたという。どなたか役員を替わってはくれまいかと探したところ、30人に断られたという。いうまでもなく、この方も高齢者。年齢的にも、また責任感の強さという点でも、正真正銘立派な高齢者、本来ならもうゆっくりと過ごされるに十分な資格を有する方であられる。

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ポールセンローズ・ジジ

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  ミニバラ ポールセンローズ・ジジ。 
ポールセンローザー社が開発したデンマーク王室御用達のミニバラ。
 大きく育てようと思っていたところ、1月ごろには切りもどした方がいいらしい。鉢植えの場合、月に一度固形肥料、週に一度液肥を。
 次つぎに花を咲かせている。今朝は7つ。完全数がうれしい。後続のつぼみも開花準備に余念がない。spade

 今朝の天声人語、このブログでも曖昧なときには、やはり断定できずに、断定してしまえば、それっておかしいんじゃないの、などというご指摘が耳奥で聞こえるような気がして、さりとて断定できるほどにきっちりと調べるのは億劫で、つい、なのか、らしい、だろうか、などと尤もらしく曖昧に濁してしまうことが多くなってきている。と気づいても、明日からは万端明朗、明確を期するというところには落ち着きそうにもない。どんなに些細な数行でも、書くというのは大変骨の折れる作業であるようだ。とまたしても。

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無償の行い

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できるだけ緑の多いところに、と思うとやはり公園になる。たまには岩山方面を歩きたいけれども、クマとの鉢合わせを恐れる。もしかすればクマの方がもっと人間との遭遇を恐れているかもしれない。
 公園がこのようにきれいに保たれているのは、市のほうで業者を入れているかもしれないが、ボランティアの方々のお陰でもある。先だっては加賀野町町内会と馬場町町内会の有志の方々が掃き掃除はもとより、側溝にたまった枯れ葉なども丹念に取り除いておられた。中腰でほうきを動かしている方々の傍らを通り抜けることにはどこかしら気まずさもある。
 無償で世の中のために動こうという意識を持った方々には何かほっとさせられる。

 

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いのちの力強さ

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 ゆりが開花したこの日、ことし初めて甲高いセミの鳴き声を聞いた。ミンミンゼミではないかと思う。本格的な夏の到来だ。抜け殻はいつも秋口になってから発見する。

 ニゲラの種を採取していたところに、力強いセミの鳴き声。はっとして手を休め思わず聞き入る。このゆりの開花も昨日から見守っていたけれども、嫋やかにとか優美にといった形容はまったく浮かばなかった。硬く握りしめたこぶし、その指の一本に力が漲りだし、その力が指の先を緊迫感をもって、開くはずのない扉を内側から力強く押し開く、そのように感じられた。見ているものに超自然のエネルギーを悟らしめる。全存在をかけて香り高く豊かに咲いている。

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新しい日曜日

 4時。雨もよいの薄墨色の空、ふと薄墨色とはどんな色? と、よそを開いてみると、「色相が87度、彩度が8%、明度が50%の空間にあります」と。目覚めたばかりの、あれはたぶん雀だろう、鳴声が間近にし、遠くには烏が悠々と鳴きかわしている。路地には原付バイクが一台走り去り、落とされた静寂に幹線を駆け抜けるクルマの音が繁くなってきている。

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  先週、インマヌエル盛岡キリスト教会では、ホルンコンサートがありました。
小さな会堂にはたくさんの人たちが。ホルンは殊に一音一音しっかりと吹き込まなければならないと伺い、神様を賛美するにはふさわしい楽器であると思わせられました。
ホルンは金管の中でも美しい。ラッパの中に天井の蛍光管と奏者宮田四郎先生のすがたが映っています。感動を皆さまとともに共有、驚きの感想が寄せられておりました。 

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 この日の國光勝美牧師の聖書の引証は、

詩篇40:1~3  
1  私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け 、私の叫びをお聞きになり、 2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。 3 主は、私の口に、新しい歌 、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

 獄中にあったパウロは、まさしく、このようなところから奇跡的な神の救いを目の当たりにしたことで、次のおことばが引かれました。

使徒の働き16章 26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。 27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。 28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。 29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。 30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。 31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

   

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かもたちのいこい

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  カモたちが、草地のひだまりで時折なにかを啄みながら憩っているように見える。平和なひと時だ。このような一場面に出会えたことに感謝する。

 この公園に至るまでの道筋にあるコンビニの入り口に並ぶ新聞を見ると、一面のトップの見出しは経済新聞だけが「首相、南シナ海に懸念」。その他の新聞はみな「仏テロ84人死亡」。対立、争いと人の血が流れない日はない。

 終末なのか。しかし明日世の終わりが来るとしても、それでも私も木を植え、花を植え、ついでに畑も耕すことができたなら、心にそんな平和を持つことができたならと思う。

 朝のラジオ体操の参加者が日々に増えている。けさは、ざっと60人は来ていたようだ。「あの人は、足を骨折したんだけど、ギプスを着けてずっと参加してたのよ。車で親を病院に連れていかなくちゃなんないから頑張ったらしい」、そんな話を聞いた。立ち上がろう、立ち上がらねばという気構えが肝心なようだ。

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光はいまも

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 「もし神が存在しないならば、この世の闇の深さはいかばかりか」
日々のニュースに、こんなことばが過る。そして希望はどこにと逡巡するうちに浮かぶのは、やはりヨハネ伝1章5節「光はやみのなかに輝いている、やみはこれに打ち勝たなかった」。これを文語訳でいうと「光は暗きに照る。暗きはこれを悟らざりき」であり、なかなかに耳の痛いこととなる。

 光はいま照っている。テロ、災害が頻発していても光はいま照っているというのだ。

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きょうは終日雨。数枚の写真を取りだしアップしてみたものの、どれもが今一つ釈然としない。何とかこの一枚に妥協する。


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あじさい

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宮田四郎 ホルンコンサート (ピアノ伴奏 木村千鶴子)

 10日に、インマヌエル盛岡キリスト教会で、宮田四郎ホルンコンサートを聴きました。しかし74歳であのようなすばらしい演奏ができるものかと驚きました。いつも水泳で鍛えていらっしゃるとか。練習量が多ければ多いほどステージでよい演奏ができるとは限らず、練習をしすぎた後のステージで思うままにならなかったことなど、長年の演奏経験から面白いお話を聞くこともできました。ご経歴は写真の下に掲げますが、ドイツ語を交えての海外経験、多くの国の方々との交流も興味深いものでしたが、演奏にあたかも間奏のように語られた人生途上におけるキリストとともにある実体験には説得力がありました。ベートーベンの「自然における神の栄光」、「アメージング・グレイス」、ヘンデル「安らぎの木陰」、フォスター「夢見る人」、実に美しく心和みました。
 木村千鶴子さんのピアノ伴奏は、温厚柔和と見えるお人柄のどこからこのような力強さがと耳を奪われました。

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 なかなか面白い一音楽家の人生です。字はすこし小さいですが、ズームを使ってご覧ください。

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きょうはコンサート

ヨシュア6:20 そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。

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28日に訪れたさくらんぼ園では、このようにたわわな実がついている。摘花、摘果をしていない。出荷するものは、やはり間引くようだけれども、さくらんぼ狩りのためにはなるにまかせているらしい。

 きょうもフル回転。毎日ほぼ同じ行動パターン。それも1日、これも1日。

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ベルケア・アガバンサス・すぐり・ブルーベリー

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ベルケア

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 アガバンサス

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 すぐり

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 ブルーベリー

   ☆   ☆   ☆   

 午前中は、城南地区の高齢者の方々のサロンに、小学校4年のみなさんが、将棋、オセロ、けん玉、おはじき、だるま落とし、コマ、百人一首、トランプなどなどを携えて交流に訪れてくれましたが、そのお手伝いでした。最近こんな活動をあまり書かなくなったのは、あたかも自分ひとりが一身に背負っているかの印象となりかねないことを懸念したからです。わたしはあくまでも脇役の脇役でしかないことをお断りしておきます。参加してくださる方々があり、熱心に取り組んでおられる方々が中心となって成り立っているわけです。いずれ子供たちのパワー、磊落さ、屈託のなさは心を明るくし楽しませてくれました。午後もそれ系の用事が2件。大通りの気温27度、暑い熱い午後を自転車で駆け抜けてきました。

 さまざま書いておくべきことが頭の中で見え隠れするのですが、さしあたって言葉に置き換えやすいことを連ねてみました。

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朝の光とともに

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 このところ朝は雨模様か霧雨となっている。この写真は6月21日のもの。たしか歩いているうちに日がさしてきたのだった。できる限り近所のどなたかをお誘いして歩くようにしているのだが、去年あたりにご一緒していた方は転居、それ以前にご一緒いただいた方は、やはり朝はたいへんと昼に切り替えられた。ひとりであってもカメラを手にしていると、距離感を覚えずに歩くことができる。

 PCの不具合でブログの更新を半月ほど休んでいるうちに、休み癖がついたらしく、夜の8時、9時が過ぎても、そう無理をせずとも、と怠け癖を容認。ちょっと疲れ気味ではあっても、すこしの緊張を要する報告の類でなければキーを打つぐらいはできる、出任せぐらいなら書けないことはないと、凡そ人さまが読む価値があるとは思われないことを綴ってみている。

 今朝の「クラッシック倶楽部」、生誕150年のシベリウス。シベリウスといえば「フィンランディア」、けれどもきょうは馴染みがなかった組曲、歌曲の小品を聴くことができた。館野泉がシベリウス作品の第一人者だそう。
舘野泉、渡邊規久雄、新田ユリのピアノ、大久保光哉の歌、佐藤まどかのバイオリン。中でも館野泉のフィンランディア賛歌は切々と染みる。

 昼はランチ付き会議。厚さはともかく150gほどありそうなバターたっぷりの肉とオイルたっぷりのサラダ。

 ここのところ、連日、地域がらみのことと、庭のパトロールで日を暮らしている。1メートルばかりの丈にてっぺんから足元にまで例年になくたくさんの花を付けたベルケアはもう咲き終えようとしている。いい写真ではないけれども一応添えておこう。

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 ベルケアの後を引き受けるように、いまはユリ科のアガバンサスが花を九つ咲かせている。花の数はこれまでの最高。もし忘れなければ後日アップするだろう。

 西洋すぐりは赤く熟し、すぐりは薄紅色に、ラズベリーは赤紫と赤に、ブルーベリーは緑、赤の間に紺色の実が。実がみのる、何とすばらしいことだろう。それがことしはブナの森には花が咲かず、つまり実がならないのだ。クマが好んで食べるというのに何ということだろう。

 庭の草が伸びている。ぐんぐんずんずん伸びている。ぜんたいが鬱蒼としてくる。ところどころに鎌をいれて空気と光を迎え入れている。

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ピアニスト田崎悦子

ピアニスト田崎悦子、1941年生まれ。
けさ5時すこし過ぎに、きょうのクラッシック倶楽部はなに? とTVのリモコンを押すと、直截な言い方になるけれども、年齢をそのまま感じさせる肩、背中のあいたドレスでベートーベンのソナタ第32番を弾いている。ピアノはべーゼンドルファー。それが齢相応の指先から描出されていく一音一音に自然の息吹がやどり澄み切っている。瞬時に引き込まれた。彼女の歩んできた華々しい音楽人生を知ったのは、この演奏を聴き終えてネットをたどってみてからのこと。しかし、そのような世に映しだされてきたすがたとはまた違った内面的な音楽人生が伝わってくる。彼女の演奏を聴くうちに、彼女のありのままのドレスすがたが、演奏のもたらす効果と相まって、あたかもそこに一つの芸術彫刻、生きた彫像が動いているように見えてきたのです。

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日曜日

 

朝の日ざし、さわやかさに元気をもらいました。

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 日曜日、教会に行く習慣は23歳のときからで、冠婚葬祭、地域の行事、その他の事情で年に2、3回ほど休むことがあっても、ずっと行き続けている。行くことが億劫に思われるときでも、半ば習慣的に日曜日は教会へ行き礼拝に参加しています。

 当教会の牧師先生のメッセージを聞くことができます。クリックしてください。一般の方々向けです。

 また、次のようなコンサートがありますので、おでかけください。


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病の枕辺には

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  およそ半月ものあいだ、ブログの更新を滞らせました。有休で帰省する予定になっていた息子を待ってパソコンの不具合を解決しほっとしたものの、きょうは地域がらみの行事を消化、気づけばアップしておきたかった聖書のこと、M氏の追悼コンサート、息子の提案で主人がプランを立てた二泊三日の旅のことなどがまだ着地せずに宙に浮いている。
 六月はとにかく忙しかった。どれも外すわけにはいかないと、どれにも参加した結果、どれもが底浅い関わりとなったばかりか、会議が二つ重なり一方をすっぽかしてしまうという失態も。

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 きょう敢えて鈍った意識を打ちたたき更新をしなければとキーを打っている理由は、

ヨハネの福音書11:1-4

1 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
2 このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
3 そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」


 自分の祈りにいかほどの力があるのか、私には自信がありません。あなたのために祈っていますというのは簡単です。しかし、それが何にどう作用するのかわかりません。しかし神のことば聖書には、あなたがイエス・キリストを神であると信じるなら「この病気は死で終わるだけのものではない」、先々がある、これより後の世界がある、そう書かれてあります。イスラム教がどうであるか、仏教がどうであるかは私にはわかりません。ただ聖書にはそう書かれてある。これはすでにご存じのことでしょう。もしかすれば私よりもはるかによくご存じのはずです。神はいま病の枕辺にあられる。

 

 

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