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日曜日のおはなし『神様からの賜物』

 おはようございます。
 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージをおつたえいたします。
 先週は、國光先生方のお孫さまの献児式も持たれました。お子様はお母さんに抱っこされ、式辞にもにこやかに健やかに臨まれました。

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引証聖句 ヨハネ伝3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

《國光勝美牧師のおはなし》
きょうは聖書の中の聖書といわれておりますヨハネ3:16を暗記していただきたいと思います。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 ペンテコステ、これは聖霊が私たちの上に臨んでくださった。教会の誕生日であるといわれます。イエス様が誕生されたクリスマス、イエス様が三日後に復活されたイースターと並んで、イースターから50日目に聖霊が降されたペンテコステは教会の大切な記念の日であります。

 よみがえられたイエス様は、その後どうなさったのか、それは、イエス様が、わたしは天から降ってきて、人と同じようになって、また罪びととしての身代わりとして、自分がこの世にきて、身代わりとして裁きを受けて罪の贖いの使命を天の父なる神様から託されて、そのようにしましたということを、こんど天に帰って父なる神様に報告をする。派遣されたクリスマスの時に、天から降ってきたお方は、こんど見事に業を成し遂げたといって、天にお帰りになった。実はそのあいだイエス様は40日間、三日目に墓からよみがえられて、40日間は弟子たちの目の前に何回も何回も、ほら触ってごらん、わたしだよ、何なら一緒にご飯を食べよう、といって一緒に食事もしてくださった。ともに。ただ違うことは何かというと、十字架の前のイエス様は場所に制約されている。肉体の制約を持っていたのですが、よみがえりのイエス様は、その制約から解き放たれている。それではまったく霊のようであったかというとそうではない。

 

よみがえりのからだという栄光のからだというもの、これは私たちと同じように、イエス様はよみがえって罪の贖いを為してくださったのですが、私たちも生きているあいだ、この肉体の命というのは、やはり死ななければならない。しかし、イエス様のよみがえりの命に私たちは与ることができる。それがどういうことなのかということをイエス様が、初穂として、見本として、これがよみがえりのからだですよといって人々の前に現れてくださって、そして十分に40日間示された後、イエス様が報告のために、天にお帰りになった。25:00天に帰るというのは、一つの異なる次元に入っていくということです。イエス様がクリスマスにお生まれになったというのは、神様である御子が別次元に入ってきてくださったということです。私が天の父なる神様のもとに帰ったときには、無事に使命を果たしてきましたと報告した時、そのしるしとして、聖霊をあなた方に与える、この地上にいる人たちに聖霊を与えるとイエス様は仰いました。イエス様が天に帰られるとイエス様は地上にはいないけれども、その代わりに聖霊様というお方を与えてくださる、これがペンテコステの約束であって、そして、その通りに天からお約束の聖霊が私たちのところに入ってきたたのです。これが使徒の働きの2章に記されております。

 聖霊が私たちに与えられる、これを別な言い方をすると、もう一人のイエス様、天に帰られたイエス様は、この世にはおられないけれども、この世にはおられないイエス様をよりリアルに、私たち一人ひとりにたしかなものとしてくださる働きをするイエス・キリストのお名前を使うことができる。またそのことを私たちに確かなこととしてくださる聖霊の働き、これがあるのだということを前回はお話をさせていただきました。

 きょうは、『神様からの賜物』という題をつけさせていただきました。神様からのプレゼントというと、先ずクリスマスのイエス様の御降誕を考えます。しかし、今お話ししましたように、ペンテコステのときの神様からの賜物は聖霊です。この聖霊という神様は、実に素晴らしいお方です。ご自分の存在はできるだけ前面には出さず、そのかわり私たち一人ひとりに、あなた方のうちにイエス様がおられるんですよ、神様の新しい命が、あなた方には与えられているのですよということを、私たちにはっきりさせてくださる働きをします。これが内住のキリスト様であります。イエス様に直接会った人は一人もいません。しかし会ったこともないイエス様がわかるのです。私を愛するイエス様、イエス様を慕う者になっているそのちからがどこから来るのかというと、聖霊なる神様がおられて、このお方はイエス様のことを私たちに拡大してくださる。そして、そこにイエス様というお方がいらっしゃることがわからないように、でもその拡大鏡のようなそのお方を通すのならば、イエス様のことがはっきりとわかる。それは、私たちのうちに聖霊が働いておられるということです。そして、きょう心に留めたいのは、イエス様がどこにお生まれになったのかということですが、イエス様は、馬小屋で人々から拒絶されて、誰からも顧みられないようなそんなところでお生まれになりました。イエス様はそこに喜んでご自分の場所を定めてくださった。そのお方は、私たちのような取るに足りないこのような心の中にも、イエス様は喜んで、その場所を占めてくださる。イエス様が、あの馬小屋でお生まれになったと同じように、あなたの心の中に、私の心の中に、イエス様はいま喜んで宿っていてくださるお方なのです。これを心に留めたいと思います。

 実は昨日、面白いことがありました。私は、必要あって古いパソコンを手放せずにおります。2002年に購入したパソコンです。使わなくなったのは、ディスプレイに接続するコードの調子がよくないのです。本体で打ったことがディスプレイに反映されません。別なパソコンに変えて、現在はそれを使っております。しかし古いパソコンのデータが必要なときが出てくる。何とかならないかと思っていたところ、マック仲間から、使っていないコードがあるからどうぞ、と連絡があり、きのうそれを手にしました。それまで画面が乱れていたのが、そのコードに変えた途端に、たちまちに機能が回復したのです。たった一つのコードで買ったときと同じように画面が回復しました。感動でした。神様との関係が、私たち、しっかりできているでしょうか。この神様との関係がしっかりと接続されているかどうか。原因は何かというと、コードです。コードをつくている細い線のどれかが断線していたわけです。切れているわけではなくとも、そこに不都合なものを生じているために正常に働かない。私たちの神様との関係はどうなっているでしょう。ほんのちょっと外れているとまた画面が乱れてしまう。ちょっとコードの角度をあげると、一瞬接続できたりする。どうか聖霊のお働き、私たち信仰をしっかりと神様にコネクトして、そうするのならば、神様が願っておられるすばらしい恵みが自分たちの信仰生涯の中に展開してくることをきっと経験いたします。どうか信仰の断線、あるいは接触不良、そのようなことがないように、聖霊さまに豊かに扱っていただき悔い改め、あるいはコードを変えるなりして、健康なすばらしい恵みにあふれた信仰生活を送らせていただきたいと思うことでございます。

 

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